超高校級の平凡(前編)

「苗木君」


 帰りのホームルームが終わると、銀髪の少女が表情一つ変えず、机に突っ伏していた僕の隣に佇んでいた。
 思わず出そうになった溜息を呑み込んで、僕は体を起こした。

「霧切さん」
「何を呆けているの?早く帰るわよ」

 文字にしてしまえばなんとも味気のない督責の言葉だけれど。
 信じてもらえないかもしれないが、というかたぶん彼女自身に言っても認めようとはしないだろうけれど。
 今の霧切さんは、かなり機嫌が良い。

 声がいつもより高くて、軽やかだ。
 先日買った新しいブーツを舞園さんに褒められていたから、たぶんそれが原因だ。

 同じ時間を過ごしてみてわかることだけど、霧切さんは感情の変化を表情にあまり出さない。
 まず、滅多に笑わない。泣かない。怒る時はあるけれど、それでも顔に出すのはよっぽどだ。


「…苗木君、どうしたの?」
「へ!?あ、ううん…なんでも」


 一方で、僕は。
 考えていることが顔によく出ると、もっぱら評判である。

 霧切さんが訝しげに顔を覗いてくるので、僕は慌てて目をそらした。
 表情を探られている心地がしたからだ。


「ゴメン、実はさ…職員室に行かなきゃいけないんだ」
「…そうなの?」


 だから僕は、ウソが病的に下手だ。

 ギャンブルをすれば、途端にカモられてしまう。『顔色で手札がわかるから絶好のカモですわ』とは、セレスさんの言葉。
 舞園さんが僕限定でテレパシーを発動させているのも、やっぱりこの分かりやすさが原因なんだろう。
 カマかけにも滅法弱くて、霧切さんや江ノ島さんにはよくからかわれる。

 だから、せめてもの対策として。
 ウソをついている間は、相手のことを見ないようにしているんだ。


「急に僕だけ面談みたいなのに呼び出されてさ…はは」
「…そう」


 無理がある。こんな時期に面談なんて、まずないだろう。

「どれくらいかかるの?」
「え?」
「待ってるから、さっさと済ませてきて」


 ああ、今日の霧切さんはホントに、嫌になるほど機嫌が良い。


 いやいや、別に彼女の機嫌が良いことがダメだと言っているわけじゃない。
 ただこの申し出が、僕にとっては都合が悪いものだ。
 そういう意味。

 普段の彼女なら、『そう、頑張ってね』と言って先に帰ってしまうだろう。
 もちろん頼めば待っていてもらえるけれど、待たされた分の機嫌は損なわれる。




 一方で、僕は。


「いや、それが何の用事か知らされてないんだ…け、結構かかるかもしれない、から…」
「構わないわ」

 割と、機嫌が悪い。

「ううん、悪いよ…先に帰っていてくれる?」



 機嫌が悪いというと、少し語弊があるかもしれない。

 別に「僕今怒ってます気を使ってください」みたいなアピールをしているわけじゃない。
 イライラしているわけじゃなくて、どっちかっていうとへこんでる。テンションが低い。そんな感じ。


 誘ってもらった上にそれを断って、なんて、いつもの霧切さんだったらどうなるだろうか。
 おそらく1オクターブは声のトーンが低くなる。『…そう』と言って、先に帰ってしまうだろう。
 もしくは『苗木君のくせに生意気云々』と因縁をつけられるかもしれない。


 さて、今回の彼女の反応。

「そう?じゃあ…先に帰るけれど」



 ドキッとする。
 いつものツンツンした霧切さんもいいけれど、今日のようなしっとりとした霧切さんも新鮮。
 表情は何一つ変わらないのに、仕種や声の高さで、ここまで違いが出るものだろうか。


 教室を出て去り際に、彼女は振り返る。

「そういえば、今日のマコの餌当番…苗木君と不二咲さんよ。忘れないでね」

 そう言い残して、霧切さんは寮へと戻って行った。


 マコというのは、先月から僕達が寮で飼っている犬のことだ。
 元は捨て犬で、僕と霧切さんが拾ってきて、みんなで世話をすることを条件に飼わせてもらえたんだ。


 あの頃から、彼女との距離が少しずつ近くなった。
 まだお互いの像は上手く掴めず、手を伸ばして互いを探り合っているような状況だけど。
 セクハラ(誤解だけれど)も何度かあったし、殴り合い(一方的な)もしたし。
 くだけた話も出来るようになった。

 正直に言えば、その頃から彼女を明確に意識しだした。
 それまでは無意識…と思っていたけれど、周りから見たらどうもそういう感じだったようで。





 そして、だからこそ。
 僕は最近、意図的に彼女と距離をとっている。

――――――――――――――――――

 最近、一緒に帰っていない。

 そう感じたのは、昨日一人きりで寮まで戻る道の途中で。

 どうも最近、何か物足りなさに似た違和感を感じていたところだ。
 いつもなら、苗木君の方から誘ってくれるから、気が付かなかった。


 一緒に帰る、といっても、本当に寮まで一緒に歩くだけだ。
 途中売店に寄ったり、そのままどこかに出かけてみたり、というのは時々あるけれど。
 寮に戻るまでの数分間、ゆっくりと歩き、他愛のない話をする。
 そんな、普通の学生生活。

 どうも彼とのそういう時間には、ファーストフードのような庶民的な魅力がある。
 ある時突然、ふと恋しくなるのだ。


 そんなわけで、

『何を呆けているの?早く帰るわよ』

 珍しく自分から、勇気を出して誘ってみたわけなんだけれど。




 というか、私の誘い方も、アレはない。
 上から目線すぎる。
 もし私が苗木君に同じように誘われたら、絶対に乗ってやらない。


 まあ、それは追々改善していくとして。



 苗木君は、調子が悪そうだった。
 何か困ったことがある時に、諦めたように笑うのは彼の癖だ。

 私を避けているようにも感じた。

 知られたくない用事でもあったんだろう。
 職員室に呼ばれたというのも、怪しいところだ。
 呼ばれたのなら、ホームルームが終わった後も自分の席を動かずにボーっとしているのはおかしい。


 コツ、コツ、と、小気味良い音を鳴らして、ブーツが床を蹴る。
 思い切って買った、少し根の張るブランド物。
 舞園さんはすぐに気が付いて、似合うに合うと誉めてくれた。

 私は、年頃の乙女(苗木君に聞かれたら失笑されるだろうが)にしては、ファッションに疎い。
 このブーツも気に入ったはいいけれど、似合わなかったらどうしようと不安に駆られながらの登校だった。
 でも、舞園さんのお墨付きなら、これでどこに出かけようと恥ずかしくない。
 探偵稼業から学園生活に身を移して、久しぶりの贅沢。

 本当はこのブーツの感想を、苗木君にも聞きたかったんだけれど。
 まったく、そこに気づかないところが甲斐性無しというか朴念仁というか。



 とにかくそんなわけで。
 一緒に帰ろうとしても断られ、手持無沙汰になった放課後。
 どう過ごそうかを考えあぐね、植物園でも覗いてみようかと階段を上りはじめた、その時だった。





 カララ、と、乾いた音。




 何の気なしに振り返ると、今し方出てきた教室の扉が開いて、苗木君が顔を出していた。

「…」

 何かを探すように、辺りを見回している。
 彼の位置からは見えないのか、どうやら私のことは見えていないようだった。



 ふと、好奇心を駆られる。
 まるで犯行現場から逃げ出す犯人のような足取りで、彼が教室を抜け出すものだから。
 探偵としての性だろうか。いやむしろ、人としての性だ。

 つけまわしてみたくなるのは。




 いつもよりだいぶ早足の彼は、職員室とは正反対の道を進んでいる。

 私が苗木君に同じことをされたら、きっと憤慨して彼を責めるだろう。
 いや、まず彼に後ろを許してしまうような不覚はとらないけれど。
 というかそれ以前に、そもそも私をつけまわすようなこと、彼はしないだろう。


 なんて理不尽なことを頭の中で考えながら、私は道順を追う。

 階段を下りて、一階へ。
 玄関ホールを通り過ぎる。
 そして寮の通用口を通り抜け、食堂の前。
 目に厳しい真っ赤なタイルで張られた廊下を――




 うん?



 なんだ、これ。
 寮の居住区域に戻ってきてしまった。

 ああ、これから誰かの部屋に行くんだろうか。
 友人?それとも…



 なんて、センチメンタルな妄想をはべらす暇も無しに、

「はぁ…」

 『超高校級の幸運』に似合わぬ暗い溜息を吐いて、彼は自分の部屋の中に吸い込まれるように入ってしまった。



 取り残された私は、何が何だか分からずに、自分の部屋で立っているだけ。

「なんなのかしら…」

 寂しさを紛らわすための独り言は、私を一人残して壁に吸い込まれていった。

――――――――――――――――――

「はぁ…」

 再び大きな溜息を吐いて、僕はベッドの上にダイブする。
 バネの強いベッドは、僕の軽い体なんか簡単に跳ね返す。

 ぽーん、と体が宙に浮いて、滑稽なポーズのままベッドの反対側に投げ出された。

「いてっ!」

 そのまま地面に打ちつけられる。

 まるでコントみたいな流れだったけれど、笑ってくれる相手は部屋の中にはいない。
 この部屋には僕だけ。あとは虚しさが漂っている。

 悔し紛れにベッドを殴ってやろうかとも考えたけど、やめておいた。
 物に当たるなんて大人げない、というのが建前。
 どうせこのベッドは、僕の小さな拳を簡単に受け止めて、同じように跳ね返してくるんだろう。


 宙に漂う虚しさを呑みこんで、僕は大人しくベッドのに横になった。




 『超高校級の平凡』。
 いつからか、僕についたあだ名だ。

 からかいや蔑称で使われる時もあれば、その逆もあったりする。
 僕がおどけて自称することもある。
 好みのゲームや音楽は、だいたいそのジャンルのトップに位置している。
 容姿も性格も、知恵も身体能力も。どこにでもいる、平凡な学生。
 それが、このあだ名の由来だ。


 僕も、そのあだ名を自称する。
 僕は平凡だ、そう思っていたから。

 それは正しかった。
 僕は平凡だ。




 世の一般人と比べれば。




 どこにでもいる、という言葉を使ったけれど。
 それはこの学校に限り、例外だ。
 ここは希望ヶ峰学園。
 『超高校級の高校生』が集う、エリート中のエリート校だ。

 一般人なんて、どこにもいない。


 僕と彼らの差は、至る所で見受けられる。

 例えば、先日行われた体力測定でもそうだ。
 授業の一環として行われるので、その規模はクラスごとなわけで。

 数字という目に見える形で表されて、初めて僕はクラスメイトとの差を、現実を思い知った。






 コン、コン



 控え目にドアがノックされる。

「苗木君、いる?」
 女子よりもかぼそい声。不二咲さんの声だ。
 そういえば今日は、餌当番だっけ。


 扉を開けると、ジャージ姿の不二咲さんが小さくなっていた。

「ゴメンなさい…もしかして寝てた…?」
「大丈夫。そろそろ行く?」
「う、うん」



 友達付き合いと言えるのかどうかは分からない。
 例えば一緒に二人でどこかに出かけるわけでもないし、互いの部屋に入ることもほとんどない。
 けれど、僕と不二咲さんは、不思議と気が合った。

 具体的に言えば、僕と不二咲さんは体育見学の常習犯だ。
 一緒になって休んだことも、一度や二度じゃない。
 病院の同室に入院しているような、妙な連帯感というか仲間意識というか。


『なんかさ、自分の得意な分野じゃ誰にも負けないって胸を張れるんだけど…』

 いつかの授業中に、不二咲さんが口にした言葉だ。

『こうもはっきり負けると、やっぱり悔しいよね』


 その言葉は僕に宛てたものか、それとも自分に向けていたのか。
 きっと彼なりに、純粋に悩んでいるからこそ呟かれた言葉だ。

 そして僕は、何の気なく発せられたその言葉に、出口のないトンネルに放り込まれた気分にさせられた。


 自分の得意な分野なんて、僕には存在しない。

 僕は『超高校級の幸運』。
 まぐれでこの高校に入学を認められただけだ。




 例えば子どもの頃は野球少年団に通っていたし、国語だって結構得意だった。
 けれどそれは、あくまで一般人のものさしだ。

 100から見れば、0と1に大差なんてない。
 宇宙から見れば、人間と塵芥を見分けることはできない。
 そういう絶望的に遠い距離が、絶望的に高い壁が、僕と彼らの間にある。

 わかっていたけれど、わかっていなかった。
 近づけば近づくほど鮮明に、僕はその遠さを、高さを知る。



「苗木君…?」
「へ?…あ、うん、ゴメン…今行く」

 不二咲さんが心配そうな顔で、僕を見上げていた。
 表情を読まれている気がして、僕は反射的に顔を上げて、彼より数歩先を歩くことにした。









 40%超。


 『超高校級の幸運』枠で入学してきた生徒の、途中退学率だ。
 中には病気による留年や、海外の姉妹校への留学もあるけれど、その大半が転校と中退で占められている。

 学校側が提示している情報のようだから、確証は持てないけれど。
 辞めていく生徒はけっして、いじめられたりなんてことはないらしい。
 プレッシャーに耐えられなくなって、自分から申し出るのだ。
 過去には自殺未遂まであったらしく、当時の雑誌の切り抜きまで見てしまった。


 その雑誌の切り抜きに、言われている気がしたんだ。

 これが普通の反応だ、と。

 『超高校級の幸運』として入学した一般人が、超人との差を思い知った時。
 こうなるのが普通の反応なんだ。





「な、苗木君…」

 また声をかけられて、ハッとした。
 数歩先を歩いていたつもりが、いつの間にか不二咲さんが正面に立っていた。

「大丈夫?顔色悪いし、すっごく怖い目つきしてたよ…」
「…ごめん、今朝からちょっと、お腹が痛くてさ」
「ええ、本当!?じゃあ寝てた方が…あ、マコの餌は僕が一人であげてくるから…」
「いいんだ、気にしないで。もう治まったから」

 汚い嫉妬。自己嫌悪。ループ。

 彼らと自分との差は幾度も目にしていたのに、意識したのは、本当に最近になってからだった。

――――――――――――――――――

「苗木君、帰るわよ」

 翌日、放課後。
 私はなるべくいつも通りの調子で、彼に話しかけてみた。
 振り向いた彼の笑顔に、不自然さというか、ぎこちなさを感じる。

「ごめん、今日ちょっと、桑田君たちと出かけるんだよね…」
「…そう」

 彼は、ウソが病的に下手だ。

 桑田君は、今日は数学の補習があるため出かけられないと、ついさっき大声で嘆いていた。
 口裏合わせや下準備という概念が、彼の中にはないんだろうか。

 けれどそれを追求しても、なにがどうなるわけでもない。

「また明日ね、苗木君」
「うん…また明日」

 すぐばれるウソなら、つかなくていいのに。



 その日も私は、彼のあとをつけてみた。
 前日同様、彼は真っすぐ自分の部屋へ向かった。
 時々部屋の前を通ってもみたけれど、ずっと部屋の中に籠もっているようだった。

――――――――――――――――――

「40%…」

 あの数字を見てから、ふと自分もこの学校を辞めたら、という仮定考えることがある。
 考えるだけなら自由だ。いくらでも出来る。
 退学でも、転校でも。
 形はどうであれ、この学校から離れることができれば何でもいい。

 もし、この学校を辞めたとして、それからどうするだろうか。
 もしかしたら、舞園さんや不二咲さんや、近しい友人たちは、少しは名残惜しんでくれるかもしれない。
 それでもやっぱり僕みたいな凡人が、他の人の記憶に残ることはないだろう。
 時間とともに薄れ、忘れ去られていく。

 そして、別の学校で暮らす自分を想像する。
 同じような趣味を持ち、同じような悩みを持ち、同じような希望を持つクラスメイト。
 平凡な授業、平凡な友人、平凡な恋愛。
 もしかしたら転校生という理由だけで距離を置かれたり、いじめを受けたりもするかもしれない。

 もし、そうなったら。
 今とどちらが辛いだろうか。


 眠りもせずにベッドに横になっていると、沈鬱な妄想に囚われてしまう。

 最初はこんな妄想をするのも、それほど頻繁じゃなかった。
 例えば音楽を聴いたり、友人と遊びに出かけているうちにどうでもよくなってしまうような類のもの。

 少し前から、夢を見るようになった。
 別の高校で学校生活を送る夢。
 日を追うごとに、それはだんだんリアルになる。

 最近ではその妄想に身を委ね、この現状に憂うフリをして悲劇の主人公を気取っている自分がいる。


 みんなが聞けば、きっと笑うだろう。
 ちっぽけな悩みだと。
 彼らからすれば、きっと本当にちっぽけなことなんだ。

――――――――――――――――――

「苗木君、一緒に帰りましょう」

 なるべく柔らかい口調を意識して、誘ってみる。
 もしかしたら昨日までのは誘い方が悪かったのかもしれない、なんて小さな言い訳をして。
 けれども振り向いた彼からもらった返事は、想定通りのものだった。

「ごめん…今日はちょっと…」

 よく見ると、目の下にクマが出来ていた。
 もっと強引に突っ込んで聞いてみれば、その理由を教えてくれるかもしれない。
 けれど、それじゃ取り調べだ。
 大切な…友人に、そんなことはできない。

 ここ数日、彼はずっとこんな調子だ。
 私が避けられているだけかとも思ったが、見ている限りでは他のクラスメイトにも同じような反応を示している。
 何かを尋ねても生返事ばかり。無表情か、枯れたように笑うかのどちらか。

 一体何に悩んでいるのかは、見当はつかない。
 でも、話してくれればいいのに。
 私じゃ力になれるかどうかは分からないけれど、話を聞くくらいなら出来るのに。

「…分かったわ、また明日」
「うん…ゴメンね」

――――――――――――――――――

 ピリリ、ピリリ。


 聞き慣れない音楽を鳴らして、ケータイが私を呼ぶ。

「…お兄ちゃん?」
 この曲で指定した相手は一人しかいない。
 その上、電話で話す時はいつも私から掛けるので、この着信音を聞くのはかなり久しぶりだ。
 珍しいこともあるもんだと思いながら、私は通話ボタンを押した。


「もしもし?どしたの?」
『あ、うん…今、大丈夫?』
「ダイジョブだよ。暇してたし。何か用?」
『いや……元気かな、と思って』
「何それ…気持ち悪っ」
『茶化すなよ』
「まあ、元気だよ。お父さんもお母さんも、相変わらず。代わる?」
『いや、いい』
「…なんかあったの?」

 何かおかしいということは、すぐに分かった。
 電話口から聞こえてくる言葉は、紛れもなくあの冴えない兄貴の言葉だったけど。

『うん、まあ、あの…色々』
「ふーん」

 ぼかすということは、言いたくないんだろう。
 私だって別に、聞きたくはない。
 まあ、向こうから話してくるんなら、聞いてやらないこともないけど。

『あの、さ』
「ん?」

『例えば僕が…急に学校辞めたいとか言い出したらさ』
「は!?」

 驚いて大声を出してしまう。
 音割れが自分の耳にまで響いて、思わずケータイから顔を離した。

『た、例えばの話だよ』
「何、学校辞めたいの?」
『…母さんと父さん、どんな反応するかな』
「まあ、良いって言ってくれるんじゃない?少なくとも表面上は」
『…そっか』


「あのさ」
『うん』
「お父さんもお母さんも、希望ヶ峰学園の入学が決まってさ」
『すごい喜んでたな。覚えてるよ』

「…」
『…』

「お兄ちゃん、ホントどしたの?いじめられてるとか?」
『そんなんじゃないから』
「あー、やっぱりか…そりゃ、超人の集まるクラスに凡人一人だけだと浮くよね」
『聞けって…』
「寂しくなったらいつでも、私に電話してくれていいんだよー?」


 ブツッ、ツー、ツー、ツー。

「ありゃ、からかいすぎたか」
 通話状態を終了して、私はケータイを机に置き、ベッドの上に身体を投げ出した。
 ホント、急にどうしたんだろう。
「…まさか、ホントにいじめられてんのかな」

 あの兄に限って、それはないだろうと思うけど。

――――――――――――――――――

「苗木君、よかったら一緒に帰らない?」

 最大限の譲歩。
 後で思い出して後悔するくらいの、精いっぱいの明るい声に、精いっぱいの笑顔。
 キャラじゃないだろ、と、自分の中でツッコミが入る。

「や、ちょっと…」
 苗木君は相変わらず、苦しそうに笑うだけだ。

 ここまでアピールしてもダメだと、もはや笑えてくる。

 私は作り笑いを止めて溜息を吐く。

「今日の放課後も、相変わらず忙しいのね」
「ゴメン…」

 見るからに覇気がない。
 ロボットと話している気分だ。

「最近、元気がないようだけど」
「…」
「悩みごとでもあるのかしら?」
「や、特には」

 尋ねられた質問に、曖昧な返事を返すだけ。
 心なしか、声も小さく掠れて聞こえる。


 なんだかムカムカする。
 こんなの、全然苗木君らしくない。

 友人たちと馬鹿騒ぎしてみたり、私にセクハラじみたことをしてきたり。
 そんな普段の彼が、ここ数日、いやもしかしたら数週間、なりを潜めていた。

 そのせいなのかは知らないが、最近クラス全体の雰囲気がどんよりと沈んでいる。
 舞園さんなんかは特に顕著で、苗木君に引きずられるようにして、溜息を吐くことが増えた。
 普段は苗木君と一緒にいる友人たちも、彼がいないと調子が出ないのだろう。
 一見いつも通り騒いでいるが、その実は無理のある空笑い。聞いているこっちが痛々しくなるほどの。



「何に悩んでいるのかは知らないけど」

 そういった諸々の事情だったり、私自身の苛立ちだったり。
 それらを踏まえて、とうとう私は突っ込んだ。

「一緒に帰ろうと誘っても断るし、そのくせ大した用事も無しに独りで帰っているみたいだし」
「…」
「私と一緒に帰るのが嫌なら、はっきりそうだと言ってくれない?」


 冗談のつもりで言った。

 ふざけているわけじゃないけれど、彼は否定してくれると思ったのだ。
 そしたら、そこから悩みを聞きだす足掛けが作れるから。



「…ゴメン」



 彼は一言、そう呟いただけだった。



 『ゴメン』?

 ごめんなさいってこと?
 どういう意味?
 『嫌ならはっきり言え』、に対して、『ごめんなさい』。
 あ、そうか。告白を断るときなんかに、よくある返しだ。
 『付き合ってください』、に対して、『嫌です』だと棘があるから。
 『付き合ってください』、に対して、『ごめんなさい』。
 それと同じ。
 つまり、ああ、そうか。


「…そう。わかったわ」
「…」

 私は断られたのか。

「気が付かなくて、ごめんなさい」
「…」
「安心して。明日からはこんなにしつこく誘ったりしないから」

「…ゴメン」
「…何よ…」
「…」
「ゴメンって、どういうこと…?」
「…」
「ちゃんと言葉で、断ればいいでしょう…!?」


 言いたいことは口にすると、約束してくれたのに。
 その約束すら、もはやどうでもいいんだろうか。

 声は震えていた。声だけじゃない。体中が震えだしそうだった。
 誤魔化すために、怒鳴ろうとした。
 けれど肺も震えていて、まるで押さえつけられているみたいに、上手く息が吸えない。


「ゴメン」


 下を向いたまま、ただそれだけ。
 その言葉は弁解でもなく、説明でもなく、そして謝罪ですらない。
 まるで免罪符のように、かざされるだけ。

 ぐ、と、熱い血液が頭の中に流れ込んできた。
 右腕を振りあげそうになって、やめる。
 暴力に訴えて、何かが解決するわけじゃなかった。


 断られたことのショックで、私はそこに立ち尽くしていた。
 怒っているのか、悲しんでいるのか、自分でもよくわからなかった。
 苗木君はじっと、机の表面に目を落としていた。たぶん、何も見ていないんだろう。

 理由を聞こうとしたけれど、なぜか息が吸えなくて。



 カララ、と、乾いた音がして、教室の扉が開いた。


「あれ、霧切さんと…苗木君?」

 小動物がおどおどと、教室の入り口からこちらを見ている。

「…不二咲さん。どうかしたの?」
「ちょっと、トイレに行ってて…二人こそ、何してるの?」

「…何もしていないわ。不二咲さん、よかったら一緒に帰らない?
「あ、うん、いいよ。苗木君も…」
「彼は用事があるそうよ」
「そう、なの?」


 彼はまだ、机に目を落としていた。
 おそらく梃子でも、こちらを見ようとはしないだろう。

 私は彼に背を向けて、教室を後にした。

――――――――――――――――――

 霧切さんは怒っていた。顔を見なくても、声で分かる。
 当然だ。僕はそのくらい酷いことを言ったんだから。

 もしかすると、明日からは口を利いてもらえないかもしれない。


 でも、しょうがないんだ。


 教室から顔を出して、二人が帰ったのを確認する。

 今日は学園長室に呼ばれていた。





「…失礼します」
「おお、よく来たね。掛けてくれ」

 穏やかそうな顔をした、初老の男性。
 希望ヶ峰学園の学園長にして、霧切さんの実の父親。

 言われるがままに、ソファーに腰をかけた。
 柔らかくて、どこまでも沈んで行く心地がした。

「響子がいつも世話になっているね」
「いえ」

 耳が痛い。
 ついさっき、アレほど手酷い仕打ちをしたのに。

「あれも君に出会って、だいぶ柔らかくなったよ。まだ私のことを、父親だとは認めてくれないみたいだが」
「…そう、ですか」
「ああ、済まない。関係な話をしてしまったね」
「いえ、大丈夫です」
「本題に入ろうか」



 湯呑に注がれた緑茶には、茶柱が立っていた。
 『超高校級の幸運』だってさ。
 お茶にまで馬鹿にされている気がした。




「自主的な中途退学のためには、君本人と保護者の方が署名した退学届が必要となる」



――――――――――――――――――

「苗木君のことなんだけどね…」
 いつもは彼と二人で歩いていた廊下。
 不意に不二咲さんが、そんなことを口にした。

「やっぱり何か、悩んでるよね」
「…そうかしら」
 どうでもいいフリを装う。
 不二咲さんにではなく、自分に宛てて。
 気にかけているのは本当なのに、彼にあんなことを言ってしまった手前、素直に頷くのは憚られた。

「あの、さ」
「何?」
「希望ヶ峰学園のまとめサイト…見たことある?」

 その話は何度か、苗木君にされた記憶がある。
 確か、希望ヶ峰学園に入学した生徒全ての情報を、有志が集まって編集しているサイトだ。
 本人の顔写真から始まり、家族構成や過去の功績がどんどん載せられてしまうらしい。
 もちろん、根も葉もない噂やただの悪口が書き込まれることもあるみたいで。

「見たことはないわ、話には聞いているけど。それがどうかしたの?」

「…40%」
「は?」

 何か恐ろしい呪われた言葉でも吐くかのように、不二咲さんは怯えた様子で言った。

「各年特別枠として設けられる『超高校級の幸運』の中退率…だって」



 心臓が、跳ねる。


 中退。学校を辞めるということ。
 なぜかその言葉を聞いて、最近やつれていた彼の姿が思い起こされた。


「中退する一番の理由は…というか、それがほとんどだったんだけど」
「プレッシャー、周囲との壁、劣等感…そんなところかしら?」
「う、うん、そう」

 どうやら不二咲さんも、考えていることは私と同じようで。
 目を潤ませて、今にも泣き出しそうな顔でついてくる。



「ね、大丈夫だよね…?苗木君、学校辞めたりしないよね…?」



 苗木君は、『超高校級の平凡』とも呼ばれている。
 蔑称なのかからかいなのかは分からない。
 けれど彼自身もそれを受け入れて、自分をそう呼んでおどけて見せることもある。

 私たち『超高校級の高校生』は、ある分野で突出した才能を見出され、この学園にスカウトされる。
 自分で言いたくもないけれど、いわば選ばれた存在。

 そして、だからこそ。
 それに付き纏う孤独や苦悩と闘ってきた。

 他人に理解されない悩みもあれば、周囲からのあからさまな嫉妬や敵視に揉まれたこともある。
 私たちを取り巻いていたものは、羨望の目か、敵か。常にその二つだった。


 そんな私たちにとって、『超高校級の平凡』である苗木誠が、どれだけ大切な存在だったか。


 彼はいわゆる、普通の友人だった。
 くだらないことで笑い合ったり、一緒に出かけてみたり、喧嘩したり、仲直りしたり。
 彼といる時間は、そんなありふれた日常で溢れている。
 私たちに用意されていなかった『平凡』を、彼が届けてくれるのだ。

 彼にはどれほど力説しても伝わらないだろう。
 学友と一緒に帰る、たったそれだけの日常を、どれほど私たちが渇望したか。
 たったそれだけの平凡が、どれほど私たちにとって貴重なものか。



「辞めたりなんかしないわ、彼は」

 それは確証ではなく、願望だった。

「少なくとも、私たちに何の相談も無しに、そんなことする人じゃないでしょう?」
「そ、そうだよね」
「そうよ」


 きっとそうだ。彼が黙っていなくなるなんてこと、あるわけがない。
 最近の彼がおかしいから、こっちの調子まで狂わされてしまった。
 迷惑な話だ。

 別に変な意味はないけれど、帰ったらちょっとマコをからかってやろう。

――――――――――――――――――

 ガタン、と扉が開いて、僕と学園長はそろって目を向けた。
 まるで映画のワンシーンみたいに、蹴り飛ばして開けたんじゃないだろうか。
 それくらい勢いよく、扉が弾けた。

「今、なんて言ったの…!?」

 霧切さんが、立っていた。
 顔を真っ赤にさせている。

 学園長を一瞥して、ツカツカとブーツを鳴らして部屋に入り、僕の目の前まで来る。

 すごい剣幕だった。
 彼女が感情を顔に出すなんて珍しいな、と、僕は他人事のように思った。


「…霧切さ「来なさい、すぐに。話があるわ」

 ぐ、と、すごい力で腕を握られる。
 僕は思わず眉をしかめて、学園長の方に目を向けた。

「響子」
 学園長が霧切さんを呼ぶ。
 いっそう目を吊り上げて、霧切さんは振り返った。

「突然お邪魔して申し訳ありません、学園長。失礼ですが、生徒は名字で呼ぶのが一般常識では?」
「…そうだな、すまない。霧切君、悪いが苗木君は面談中だ。話は後にしてくれ」

 嫌にピリピリした空気が、部屋の中を漂っている。
 まるで高濃度のガスの中にいるみたいな。
 少しでも火花が散れば、大爆発。そんな気分だ。

 そしてそんな危うい状況に自分がいることを、僕はやっぱり他人事のように眺めていた。
 胸の奥で誰かが、どうでもいい、と呟いた。




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