7cm(前編2)

「苗木、またなんかしたの?」
「…いや…」

 心当たりはない。
 けれど、また知らないうちに彼女を不快にさせてしまったんだろう。
 思えば僕はいつもそうだ。

 恩を受けることはあっても、仇で返すばかり。
 見た目や言動にも男らしさはなく、優しい言葉一つ欠けたこともない。

 怒られても、仕方がないと思う。
 むしろ今まで、どうして僕に付き合ってくれていたんだろう。


「すっごい睨んでたし、舌打ちも…あ」

 朝日奈さんがまた、廊下の向こうを見る。つられて僕もそっちをみて、

「あ」

 忘れていた地獄のことを、すっかり思い出したんだ。




 転がっていた。




 葉隠君と、桑田君だ。


 本当に転がしたかのように、地面に投げ出されている。
 体のラインに沿って白線を引けば、そのままサスペンスに出てくる被害者として出演できそうだった。

 人災だと、すぐに分かった。
 その向こうで、鬼の形相で髪をセットしている大和田君を見つけてしまったんだから。

 ぴくり、と、葉隠君の手が動いた。
 どうやらまだ意識があったようだ。
「う…」
 彼の顔がゆっくりと持ちあがり、そして僕を捉えると、

 まるで最後の力を振り絞る様にして、




「に、逃げろぉ…苗木っち…!!」




 そう叫んだ。


 と同時に、グリン、と大和田君の顔がこちらを向く。



 葉隠君の馬鹿…

 それじゃ僕も共犯だとバラしているようなもの…いや、むしろ道連れを狙ったのか?
 とにかくそう叫ぶと、葉隠君はいかにも気絶しましたというように、再び地面に倒れ伏した。

 が、

「……ぅおふっ!?」
 僕の姿を捉えた大和田君がずんずんこちらに向かって歩いてきて、通路のど真ん中にいた葉隠君は、
 蟻が象に踏みつぶされるように、何の気なしに大和田君に踏みつぶされて、びくんびくんと地面をのた打ち回った。
「ぐぉお…」

 ああ、当事者じゃなければ、最高に面白い絵なんだけどな、と、僕は震えながら思った。


「よぉお…朝日奈に、苗木じゃねえか…」
 ピキピキと額に青筋を浮かべて、大和田君が詰め寄ってくる。

「あ、大和田。もう測定終わったの?…何その髪型、ペンギンみたいになってるよ」

 笑いもせずに、天然の朝日奈さんが地雷を踏み抜いた。

 ビキ、と、嫌な音が響く。

 幸いながら、大和田君はどれほど激昂しても、女性に手をあげるような人じゃない。
 しかしそれは、裏を返せば、その分の鬱憤が他の男に振りまかれるというわけで。
 現在その対象となるだろう男は、目の前にいる一人しかいない。

「おい苗木…」
「はい…」
「お前確か、俺が起きた時に目の前にいたよなぁ…」
「えっ、と…そうだっけ?」

 殺気に押されて、口元が緩む。
 可笑しいわけじゃなくて、頬がひきつってしまうのだ。

「ってことは俺のこの髪形も気づいてたってことだよなぁ…」
「や、僕は…」



「ちょっと、大和田!」

 と、そこで救済。
 恐いもの知らずの朝日奈さんが、僕と大和田君の間に割って入る。

「苗木は今、すっごい大変な問題に直面してんの!」
「あ?」
「あんまちょっかい出さないでよね!」


 これは、
 ナイスフォローだ。
 たぶん意図して言ったわけじゃないんだろうけれど。

 すかさず僕も、頭の中で言い訳を組み立てる。

「う、うん、ちょっと悩んでて…大和田君の髪型にも、気が付けなかったんだ…ゴメン」

 大和田君は品定めするように、僕をぎろりと睨む。

 額の青筋は消えている。
 どうやら危機は脱せそうだ。

「チッ…なんだ、そうかよ。まあいいわ、どうせ主犯はあいつらだろ」
「う、うん…」
「ったく、兄弟が教えてくれなかったら、あのまま体育館まで突っ込む所だったぜ…」


 ガシガシと頭を掻いて、大和田君は洗面台の前に戻っていく。




 大和田君は、喧嘩が強い。

 それは単に、力が強いとか、反射神経が良いとか、それだけの問題じゃないと思う。
 場馴れしていること。度胸があること。逃げないこと。

 その全ての理由が、男らしさを体現している。



「あの、大和田君」

 ポマードを塗りなおしている彼に、僕は思いきって声をかけた。

「…相談が、あるんだ」




――――――――――――――――――




「…はい、終わりです。服を着て、教室に戻ってください」

 …体重も身長も順調に伸びているくせに、少しも胸囲が変わらないのはもしかして何かの異常だろうか。
 下着を身につけて、私はさっきの舞園さんと同じように、自分の診察表を睨みつける。

 82。

 小さくはない、けっして小さくはない、と、暗示のように自分に言い聞かせ、ごそごそと部屋の隅で制服に着替えていると、

 意外な人物に、声をかけられた。



「おっす」


「…江ノ島さん」



 格差。


 その単語が、私の頭を埋め尽くす。
 服の上からでも分かるけれど、下着姿になるとそれはいっそう際立つ。

 彼女の下着姿はとても健康的で、そのくせどこかに官能な色がある。
 ふくよかな胸。拳大のたわわに実った果実を思わせ、光を反射させてその張りを訴えてくる。
 女性らしさを伝える、丸みを帯びた腰。それでいて無駄な肉はほとんどない。
 ウエストはさすがに私の方が細かったけれど、それでも見事な腹筋がくびれを作り上げていた。


 腕を組んだ彼女の手に、診察表の結果が見て取れた。



 89。



 格差。


「…何の用かしら」

 私は噛みつくように尋ねた。
 何を言われたわけでもないのに、なぜか負けた気がして、悔しくて。

「ん?いや、なんか舞園がね」
 さも興味なさそうに、江ノ島さんが返した。
「霧切が悩んでいるみたいだから、相談に乗ってやってくれって」
「舞園さんが…?」

 いつの間に…

 保健室の中に、彼女を姿を探してみるけれど、見つからない。

「あんたは相談に乗ってやらないのかって聞いたんだけど、『恋敵ですから』って言って教室戻っちゃった」

 まったく、あの人は。
 どうして私の周りには、こうもお節介焼きが多いのだろうか。


「…で?」
 くるくると、ツインテールを弄ぶ。
 その仕種もとても女性的で、なんかずるい、と私は思ってしまう。
「あんたは何悩んでんの?」
 確かに彼女に戦略を教われば、彼との関係ももう少しわかりやすいものになるだろうか。
「ま、『超高校級のギャル』に相談してくる時点で、なんとなく予想はつくけど」

 まあ、おそらくその予想の通りだろう。
 せっかく相談に乗ってくれるというのに、今更隠し立てしても意味はないだろう。



「男の子の…」
「ああ、苗木ね」
「…」

 思わず身構える。
 私はまだ、苗木君の名前を出してはいないのに。

 江ノ島さんは、さも当然のことを口にしたかのように平然としていた。
 私の仕種が、それほどまで分かりやすかったのだろうか。

「その、世間一般の男の子が…」
「だから、苗木でしょ?」
 首をかしげる。どうしても認めないといけないのだろうか。
 しかし彼女を相手に、争っても負けしか残らないような気がする。
「…まあ、いいわ。それで」


 私は諦めて、懸念の一つを口にした。


「その、胸…とか」
「胸?」
「…大きい方がいいのかしら」


 江ノ島さんは、小声で んー、と呟いて、
 私の胸元に目線を移した。

「~~っ…」

 気恥かしくて、思わず胸を手で隠す。
 私はもう制服に着替え終えているのに、彼女は下着姿のまま。
 それなのに私の方が恥ずかしがっているのは、どうも変な構図だ。

「別に、小さいわけでもなくね?」
「大きいわけでもないわ。それに、あなたに言われても嫌味にしか聞こえない」
「人と比べてもなぁ…何?苗木が、大きい方が好きだって言ったわけ?」

「別に、そうじゃないけれど…」
「あ、やっぱ苗木なんじゃん」


「…ありがとう江ノ島さんとても参考になったわさようなら」
「わー、待った待った!ちょっとした冗談だってば!」

 まったく、この人は。
 どうして私の周りには、こうも揚げ足とりが多いのだろうか。

「で、でもさ、言ったわけじゃないんでしょ?っつーかあいつはそんなこと言わないでしょ」
「口には出さなくても、心の中では思っているかもしれないでしょう」
「じゃあ、聞いてみればいいじゃん」


 それが、懸念だった。

 彼は、相変わらず約束を守ってはくれない。
 私が半ば一方的に取り付けた約束だけど、それでも約束は約束だ。
 言いたいことは何でも言う、と、そう誓ったのに。
 たぶん私が正面から尋ねても、彼は正面から答えてはくれない。

 私を傷つけないために、平気でウソをつく。
 バレバレのウソを。


「胸が大きい人が好きなのかって、聞いて解決。じゃないの?」
「そんなことを聞いて回ったら痴女よ」
「でも、あんたが気にしているのって、そういうことだよ」
「…」


「実際胸なんてさー、エッチするときにしか使わないでしょ。あ、これは冗談とかじゃなくて。
 例えばあんたが超巨乳になったとして、それからいきなり苗木がベタベタしてきたとしてもさ、嬉しくないでしょ?
 だってそれは、あんたの内面とかそういうのを見て、好きになったわけじゃないじゃん。胸だけで判断されてんじゃん。
 いちいち大きくなきゃダメだとか言ってるやつってさ、要はそういうことしか頭にないんだよね。
 苗木はそういう奴なの?エッチなことしか頭にないわけ?そういう男を、あんたは好きになったの?」


「…いいえ」

「じゃ、気にすることなくない?」

 下着姿のままなのに、彼女の言葉にはどうしてか説得力が宿った。
 というか、説得というよりも、上手く丸めこまれた気がする。

 どうしても、否定しなきゃいけない気持ちにさせられた。
 苗木君はエッチなことばかり考えている男だと、いつも言っているのは私の方なのに。

 人に同じことを言われると、気分が悪かった。



「相談は終わり?…って顔じゃないね。なんかまだ、抱えてるんでしょ」
「あなたに話せば話すほど、厄介になっていく気がするのだけど」
「ま、話すだけ話してみなよ。あたしのアドバイスを真に受けるかどうかは、聞いてから判断しても遅くはないでしょ」



――――――――――――――――――



「で?なんなんだ、相談ってのは」

 購買での戦利品の一つであるハンバーガーを僕の手からむしり取り、大和田君が尋ねた。
 別に強奪されたわけじゃなくて、相談に乗ってもらう代わりに僕が昼飯代を持つと提案しただけだ。
 今日は身体測定があるため、授業は午前で終わり。
 ほとんどの生徒は食堂に直行するため、少しでも遅れると席が無くなってしまう。それで、購買だ。

 ハンバーガーを頬張る大和田君の隣に腰をかけ、僕もサンドイッチの包装に手を伸ばした。
「…大したことじゃ、ないんだけど」
「…つーかよ」
 ドス、と、頭の後ろを殴られる。
「ぐぇ」
「水臭えんだよ、お前はよ。前の中退云々の騒ぎの時もそうだったけどよ。
 そういうの悩んでんだったら早く言え馬鹿。転がすぞ」
「うん…ゴメン」
「…チッ」

 よく今日は舌打ちされるな、なんて思いつつ。
 僕はその中退の騒ぎに、思いを馳せた。
 あの時も霧切さんが傍にいてくれなかったら、たぶん僕は学校を去っていただろう。


「あの、さ」
「おう」
「…気になってる人がいるんだ」





 ブッフー!!




 すごい音がした。
 まるで水風船を割ったような飛沫が、その辺に降り注ぐ。
 見ると、口元をコーヒー牛乳まみれにした大和田君がむせ返っていた。

「ど、どうしたの?」

「ばッ…ゴホッゴホッ!!おま、気になってる野郎って…俺ぁそういう趣味は、ゲフッ!!」


 顔を真っ青にした大和田君が、早口でまくし立てている。
 どうやら盛大な勘違いをされているみたいだ。


「いや、霧切さんのことなんだけど…」


「あ?…ああ、だよな」
「…」

「や、わりぃな…最近俺がそっちの気があんじゃねえかって、コソコソ噂してる野郎がいるからよ…」


 俺ぁキャーキャーしてる女が苦手なだけだっての、と言いながら、大和田君は口元のコーヒー牛乳を拭う。

 噂の震源は桑田君と葉隠君だということは、黙っておいた方がいいのだろう。


 というか。


 普通に、何の気なしに口にしてしまった。
 認めてしまった。
 霧切さんのことが気になっているって。

 思うのと、実際に言葉にするのとは結構違う。
 当たり前のように口から出てきたけれど、やっぱり恥ずかしくて、顔が少し熱い。

 僕が彼女のことを、…、あの、うん。


「…あ、他の人には…」
「言わねえよ。約束する」

 よかった。
 まあ、口の堅い彼に相談すると決めた時点で、あまりその心配はしていなかったけれど。
 万が一にも噂が広がってしまえば、彼女に迷惑がかかるかもしれない。


「大和田君も一部は知っているかもしれないけれど…僕は彼女に、何度も助けてもらってるんだ。
 それで、その…僕も彼女のことを助けたり…彼女にとっての特別な存在になりたいと思ってる。
 それなのに、僕は恩を返すどころか、彼女に迷惑をかけてばかりで…
 だから…だから、もっと、彼女に頼ってもらえるような、彼女を支えられるような男になりたくて…」


「特別、ねえ」


 意味ありげに、大和田君は呟いた。
 その真意を尋ねようとしたけれど、その前に大和田君が僕に尋ねる。

「っつーか、なんだって俺に相談すんだ?それこそさっき、朝日奈にでも話せばよかっただろうが。
 結局俺はそれを聞いて、何を言えばいいんだ?どうしてほしいんだよ」


「大和田君は、男らしいから…」

 彼からなら、学べると思ったんだ。
 頼られる男になるには、誰かを支えられる男になるには、どうすればいいか。

 大和田君は、一瞬だけ眉をひそめる。

「…男らしくなんかねえよ」
「え?」
 何かを呟いていたけれど、よく聞こえない。
「そもそも、俺のどこを見て男らしいと思ったんだよ、お前は」

 そこで僕は、今朝の件を説明した。
 大和田君と霧切さんが、廊下でぶつかった時のことだ。

 ぶつかったのが僕だったら。
 彼女を支えることは出来なかった。転んでしまう彼女を庇うことも出来ないだろう。
 それどころか、僕の方が貧弱にも弾き飛ばされてしまうかもしれない。

「…あのな」

 僕が一拍置くと、大和田君はガシガシと気まずそうに頭を掻いた。

「ガタイのでかさだの、腕の太さだの…そういうのが男らしいと思ってんなら、それは勘違いしてるぜ」

 そうだろうか。
 大和田君の丸太のような腕や、身体の大きさは、立派な男の証だと思う。
 少なくとも、僕の貧弱な体には、男らしさなんて欠片も宿っていないけれど。


「あー…じゃ、例えばだ」
 大和田君は子どもに言って聞かせるような、そんな穏やかな笑みを見せる。

「いいか、例えばだぞ。今朝みたいに、俺が霧切にぶつかって、あいつが転びそうになって…
 それに見向きもせずに俺がさっさと体育館に行っちまったら。お前はそんな俺を見て、男らしいと思うか?」

「あ」

 言われてみれば。

「男の風上にも置けねえ、と思うだろ?そういうことだよ。体の大きさなんて関係ねえ。何をして、何をしないかだ。
 まあ、俺には真の男らしさなんてわかんねえし、そういうのって人によって捉え方もそれぞれだろ。
 好きな女なら、大切に守ってやりゃあいい。そのために体を鍛えるってんなら、それもありだと思うけどな」

「うん…」


 少し沈黙。
 大和田君は、照れを隠すように、また頭をガシガシと掻いている。


 彼に相談して、正解だったと思う。
 自分一人じゃ、そんな解答は思いつけなかったから。

 言われてみれば。
 体の大きさや力の強さなんて、手段の一つでしかない。
 僕がそういうものに憧れを抱いていることには代わりないけれど。
 でも、目的は彼女を守ること。なにもそれは、腕っぷしの強さとかに限った話じゃない。

 僕みたいな弱い奴が霧切さんを守るだなんて、おこがましいかもしれない。
 けれど、大切にしたい気持ちは本当だ。
 彼女にとっての特別な存在になりたい。それはつまり、そういうことだ。


 彼女の隣を歩くのに、相応しい男になること。
 全てはそれからだ。
 思いを伝えるにしても、友人として彼女を見守るにしても。




――――――――――――――――――




 私が指摘したところで、ようやく江ノ島さんは下着姿から服を身に付けた。
 時計を見れば、もう昼過ぎ。

 彼女を誘って食堂に向かう。
 この時間ならピークは過ぎているので、空いている席もいくつか見受けられた。


「それで、恋愛処女は他に何を悩んでんの?」

 カレーとライスをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせながら、ニヤニヤと彼女が笑っている。
 たちの悪い笑みだ。つい最近も、どこかでその笑みを見た気がする。

「…その呼び名、止めてもらえないかしら」
「事実じゃん」
「破廉恥よ」
「さっきまで胸がどうのと話していたのに、今更それはないわ」

 彼女との口論は平行線だ。私とは考え方が180度違う。
 恋愛や男女関係に対してフランクな彼女。
 探偵として男社会で生きてきた私。
 当然、多少意見が食い違うことだってあるだろう。

 それでも、第三者の意見は重要だ。
 少し溜息を大げさに吐いて、私も少し遅めの昼食に手を伸ばす。


「…気になっている男の子がいて、」
「苗木ね」

「…あなたは…どうしてそこまで私と苗木君をくっつけたがるのかしら」
「いや、傍から見てたらそうとしか見えないんだけど…違うの?」


 違、わないけれど。
 認めてしまうのも癪なので、私は特に反応を返さずに話を進める。


「でも…彼との距離が、わからなくて」

 私と彼は、なんなのか。
 どういう関係と呼べるのか。

 探偵と助手、そういう括りもある。
 ただのクラスメイト、それ以上であると信じたい。
 友達、とは少し違うような気がする。
 恋人、……


「少し前までは、とても近くにいると思っていた。けれど、それは私がそう思ってただけで…」

「それも聞いてみりゃいいじゃん」
「…そんな単純な関係じゃないのよ」
「ふーん。めんどくさい付き合い方してるね」
「そうかしら」
「あたしだったら、男は二択だけどね。付き合えるレベルか、そうじゃないか」

 もしかして、苗木君が胸に顔を突っ込んだ時に特に怒ったりしなかったのは、
 彼女にとって苗木君が、そのレベルに達していない、眼中にない存在だったからだろうか。

「それに…私が彼をどう思うか、というだけの問題じゃない」
「向こうが霧切のことをどう思っているか、ってこと?」


 そう、問題はそこだ。

 おそらく、彼にとっての私は、あまり大きな存在じゃない。
 少なくとも、彼がこの学校を中退することを考えた時に、それを留まらせる要因にはならなかった。
 なれなかった、と言った方が正しいか。

 それが、その事実が、彼に何かをしようとするたびに、心の中でつっかえ棒となってしまう。
 色んな事を、思いとどまってしまう。

 最近では、彼を遊びに誘うのをためらってしまうくらいだ。
 一体私は彼にとっての何で、どんな権利があって誘おうとしているのか、と。
 遊びに誘うのなんて、友達でも、クラスメイトでも、何の気なしに行えるはずなのに。
 きっと誘えば、苗木君は気持ちいいくらいの笑顔で応じてくれるはずなのに。

 何度セクハラされても、何度暴力に訴えても。
 その間にある境界線を、まだ一度も越えることは出来ていない。


 重症なんだ。

 だから困って、相談している。


「それだって、聞いてみればいいでしょうが」

 カレーライスを食べ終わった江ノ島さんが、暇を持て余すようにくるくると、髪の毛をいじっている。
 私も同様にくるくると、パスタをフォークに巻きつける。

「もし拒まれたら…私が彼にとって取るに足らない存在だったら…そう思うと」
「あのねえ…」


 溜め息を隠すこともせず吐いて、江ノ島さんは私を見据えた。


「言っておくけど、苗木って結構女子の中じゃ人気高いから」




 ドクン。



 また、嫌な跳ね方。
 心臓が、彼の中退の話を聞いた時のように。



「積極的にアピールしてかないと、いつ他の女子に取られてもおかしくないんだからね」

「…それなら、」

 それなら、しょうがない。
 彼がその女子を選んだということだ。私が口を出すことじゃない。
 私は選ばれなかった。それだけだ。


 江ノ島さんが、みるみる不機嫌になっていくのを目の端で捉えながら。
 私は、目の前のスパゲティの皿に視線を落としていた。
 いつかの彼が、机に視線を落としていたように。
 顔をあげる気にもなれなかった。


 彼の隣に、私の知らない女子がいる。
 彼はとても楽しそうで、とても幸せそうで。

 二人で向かい合って微笑み、肩を抱き、唇を寄せ、身体を抱きしめ、そして――


 想像しただけで、顔が熱くなる。
 別に、その先を想像して恥ずかしくなったわけじゃない。
 これでも高校生だし、彼のセクハラで鍛えられたから、多少の免疫はある。想像なんて、いくらでも出来る。

 ただ彼が、自分以外の女子と、そういう行為に及んでいる。そう考えただけで。




「霧切」
「え?」

 呼ばれてふと、顔をあげた。
 顔をあげるのは億劫だったが、なにか彼女の声にただならぬ色が宿っていたので。

「…先に、謝っとく。今から、気分悪くさせるようなこと言うから」


 眉をしかめ、コツコツと爪で机を叩いている。
 イラついているのが、見て取れた。
 たぶん、それくらい今の私は見ていて腹立たしい存在なんだろう。


「なんでそんなビビってんの?」

「…」

「向こうがあんたのことをどうも思っていなかったら、それでお終いなわけ?
 『なんとも思っていませんでした、ハイ残念』で、あいつのこと諦められるの?
 そこからこっちを振り向かせようとする努力はしないの?気になってるとか言ってたけど、その程度?」


 早口でまくし立てられ、反論する隙も余裕も失う。

 その程度なんかじゃない。
 私たち…いや、私にとって、彼という『平凡』が、どれだけ大切な存在か。
 諦められるはずがない。



 でも、それでも、
 その気持ちが彼に迷惑をかけるくらいなら、私は――




「なんつーかさぁ、草食系ってゆーの?あんたら二人見てると、すっごいもどかしい。イライラする」

 報われない恋愛小説を呼んでいる気分だ、と、彼女は付け加えた。

「告白は受験じゃないの。断られて、そこで終わりじゃないんだよ。ったく、これだから恋愛処女と恋愛童貞は…」


 責めているわけじゃないんだろう。
 言葉を吐き出すことで少しずつ冷静になっていったのか、苛立ちを失速させるように口籠る。





 彼女には、悪いけれど。


 いつか、私が思いを忍ばせることに耐えきれなくなる日が来たとして。
 彼への思いを伝えずにはいられなくなってしまったとして。

 断られたら、そこで終わらせようと思う。

 彼は引きずってしまうだろうから。
 断ったことに、負い目を感じてしまうだろうから。
 そこにつけこんで食い下がった結果付き合えたとしても、嬉しくはない。
 彼に無理をさせて、私だけが満足するなんてありえないから。

 引きずる思いや負い目を、少しでも軽くさせるために。
 断られたら、何もかも終わらせなければならない。


 けれど、彼女に相談したこと自体は、本当に良かった。
 具体的な覚悟を決めることができたから。

 いつか。
 思いを伝えよう。
 そして散るんだ、潔く。



「…まあ、スタンスの問題は、強制するもんじゃないからね。一応今のは、あたしがどう思ってるかっていうことだから。
 問題はアプローチでしょ。まだ距離だかなんだかが不安だっていうんなら、もう少し近づいてみれば?」

「近づく…?」

「そうすれば向こうだって、あんたのことを意識し始めるだろうし、告白も上手くいくかもしんないでしょ。
 下の名前を呼んでみるとか、何気なく体に触れてみるとか。付き合うって、そういう所からだよ」



――――――――――――――――――



 植物園を後にして、僕達は寮へと向かう。


 大和田君に相談出来たのは、男らしさがなんたるか。
 つまり、そこまでだ。

「…悪いけど、女との付き合い方はわかんねえな」
「そっか…」

 彼も、女性とあまり上手く行った経験はないみたいで。
 喧嘩無敗(本人談)の大和田君も、女性関係は連敗中。

 それに、一般の女性との恋愛経験を聞いても、それが参考になるかは分からない。
 彼女は少しだけ、特殊だから。

 まともな恋愛経験のない男子が二人、植物園で黙り合っている姿は、かなり虚しかった。
 それもあって、僕達は早々に階段を下りていく。


「どうすんだ、これから」
「どう、って?」
「霧切とだよ」

「う…ん、どうしようか、な」

 曖昧に返すと、大和田君がぎろりと睨んでくる。
 慌てて僕は付け加えた。

「なんていうかさ、今のままでもいいっていう気持ちもあるんだよね…下手にいじって壊したくない」
「ああ…」
「もちろん、特別な存在ではありたいんだ。だけど…」

 欲に任せて突っ込んでしまえば、関係を壊してしまいそうで怖い。
 ゆっくりと、一歩ずつ、進んで行きたい。


 大和田君と話せてよかった。

 自分の気持ちを整理することができたから。

 僕は霧切さんにとって、特別な存在になりたい。
 けれど、そのために今の関係を壊したくはない。
 僕には腕っぷしも身長も、何もないけれど。
 もっと身近な事から、僕に出来ることから、『超高校級の探偵』である彼女の力になっていきたい。

 その好意が彼女に届くまで、きっと気の遠くなるような時間がかかってしまうだろう。

 でも、それでいい。
 むしろ、気づかれないままでもいい。

 だってこれは、僕から彼女への恩返しなんだから。
 恩返しに見返りを求めては意味がない。
 だから、僕の独善でいいんだ。


「…っていっても、今はむしろ彼女が僕の力になってくれているんだけどね」

 ハハ、と苦笑い。
 彼女だけじゃない。
 クラスメイトみんながそうだ。

「っと、そういやもうそんな時間か」

 大和田君は慌てたそぶりも見せずにケータイの時計に目をやる。
 学校が終わった後の、僕の『勉強会』の時間が迫っていた。

 『超高校級』のクラスメイトから、各方面の知識や技術を学ばせてもらうためのものだ。
 僕の学園生活が少しでも有意義になる様に、と、霧切さんがみんなに声をかけてくれたのが始まり。
 ホント、彼女には感謝してもしきれない。


「…あ」

 そういえば。

「どうした?」

「今日の担当…霧切さんだ」

 正確には、霧切さんと石丸君と十神君と。
 語学に始まり、学校で習う授業から、教養と呼べる範囲で語学や経済学を見てもらっている。
 たぶん大学でやるような勉強だ。それも、本場でそれを学んできた人間から教わるので、これほどありがたい講義はない。

 けれど、どうしよう。

 正直、こんな話をした後で彼女と顔を合わせるのは、気まずいというかなんというか。


「ま、男見せてこいや」
「そ、そんな…まだ早いよ」
「別に告れって言ってるわけじゃねえぞ。ただ、少しでも霧切に気ぃ使ってやれっつってんだよ」
「…?」
「いつも恩を受けてばかりだから、たまには恩返ししたいって、さっき自分で言ってたんだろが。
 何気ない誉め言葉を掛けるでも、プレゼントの一つや二つ贈ってみるでも、今から出来るだろ」




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