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弾丸論破 ナエギリSS 『女の子・2』
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さて、一度気にしてしまうと、それ以降は気になってしょうがなくなるのが人間の常だ。
あの爆弾級のイベント…とはいっても、僕にとってのみ、だけど。霧切さんはそうでもないみたいで。
とにかく、そのせいで彼女の海外での生活を訪ねる機会を失ってしまった僕は、
ますます彼女のことを、知りたいと思うようになっていた。
『超高校級の高校生』。
それが、この学園に集められた生徒たちの呼び名。
アイドルや野球選手、ギャンブラー、同人作家、御曹司にプログラマー。
あらゆるジャンルでそのトップを獲得してきた、僕と同い年のはずのエリート達。
彼らは何も、高校生になってからその実績を重ねたわけじゃない。
言うなれば、生まれた時から宿命づけられたかのように、才人としての道を歩んできたんだ。
そこには、『幸運』だなんてわけのわからない特別抽選枠で入学したような僕とは、比べ物にならない歴史がある。
凡人・苗木誠が絶対に経験できないような、密度の濃い人生がある。
ある人は、自分の命をチップに賭け事に挑み、
ある人は、ものごころついた時から大人と殴り合い、
ある人は、血を分けた兄弟との争いを勝ち抜いてきた。
凡人には理解できない苦労や、書き記せばベストセラー間違いなしのエピソードもあるはずだ。
それを、知りたいと思ってしまう。
僕が凡百の人間というのなら、それに相応しく、外野として彼らのような偉人に触れてみたい。
野次馬根性に似た、漠然としたあこがれ。
それが、希望ヶ峰学園に入学する前の苗木誠。
…実際には、入ってしまえば良い意味で期待を裏切られたというか、想像の斜め上というか、
とにかく彼らも僕と同じ、高校生に過ぎないんだとわかってしまって、ホッとしたという話があるんだけど。
それとは別に、そんな下卑た野次馬根性とは別にして、
僕は今、一人の人間として、霧切さんが歩んできた道を知りたいと、そう思っていた。
―――――
「えっと…」
午後の授業は移動教室に変更だったらしく、ほとんどクラスに人は残っていない。
時計を見れば、昼休みは残り五分。
割かし急いで次の授業の教科書を探す僕の目の端に、
「…霧切さん?」
机に突っ伏している、彼女の姿が目に飛び込んできた。
「寝てる…の?」
自分の席で、うずくまる様にして、両腕を組んで顔を伏せている。
近づいてみても、寝息のようなものは聞こえない。
その代わりに、
「…、んっ…」
苦しげなうめき声が、耳に届いた。
「なえ、ぎ…くん…?」
霧切さんが震えながら顔を上げて、僕の姿を探す。
その扇情的な仕種に思わずドキッとする。
喘ぐような呼吸とか、女性らしい背中のなだらかな曲線とか、汗ばんだ額とか。
いつもとは違う、儚げな霧切さん。
けれど、そんな不謹慎な気持ちが続いたのも、真っ青な彼女の顔色が目に入るまでだった。
「霧切さん…!?」
「…ぅ…」
即座に、事の切迫を理解する。
彼女の様子は、『儚げ』なんて綺麗な言葉で形容できないほど。
唇は、青というよりも紫色だ。
痛みに耐えてか、それとも寒いのだろうか、小刻みに震えている。
目を話した次の瞬間に、意識を失って倒れてしまっても不自然じゃないくらい。
「わた、しは…大丈夫だから、苗木君…授業に遅れるわよ…」
辛いはずなのに、僕の方を気遣ってくれる。
その声すら掠れていて、もう僕の頭からは、授業に遅刻しそうだとか、そういうどうでもいい情報は消え去っていた。
「え、と…保健室…というか、保体委員っ…!」
慌ててクラスを見渡すけれど、もうみんな教室を移動した後で、残されているのは僕達だけだった。
「っ…落ち着いて、苗木君…私より慌ててどうするの」
「あ、ご、ゴメン…声、響くよね」
「そう、ね…もう少し小声で話してくれると…」
助かるわ、と。
たいして大声をあげたわけでもないのに、霧切さんは不快そうに眉をしかめている。
こんな弱々しい霧切さんは、初めて見た。
イメージの中では、いつも毅然としていたから。
「参った、わね…午前中は、なんとか誤魔化せて、いたんだけど…」
「朝からずっと我慢してたの…!?」
「みんなや、あなたに…迷惑掛けるわけにも、いかないでしょ…」
そんなの、と、声を張り上げそうになって、ぐっと飲み込む。
大声を上げれば、余計に彼女を苦しめてしまうというのもあるけれど。
説教は、後ですればいい。
今は彼女を安静にさせなければ。
「霧切さん、立てる?とにかく、保健室まで行かないと…あ、肩につかまって」
目を伏せて、一度だけ首を振る。
「それには及ばない、わ…こうして、座ってれば…っ、勝手によくなる、から」
とてもそうは見えない。
たぶん、僕と話しているのも精一杯のはずだ。
会話を続けているから気を保っていられるのであり、少しでも緊張が緩めば気を失ってしまうかもしれない。
それなら、倒れてしまうのなら、こんな硬い机より保健室のベッドの方がいいはずだ。
それでも、変な所で強情な彼女は、僕がどれほど口で説得しても、意地でも聞かないだろう。
よし、と、覚悟を決める。
「…霧切さん、ゴメン。文句は後で聞くから」
「ちょっと、苗木君…何、を…っ!?」
抗議の声を無視して、少し強引に霧切さんの腕を取る。
それを僕の首に巻き付けて、背中から腕を回し、彼女の腰を掴む。
女性の腰を掴んだりなんて、ホント男子としてあるまじき、だ。
霧切さんにしても、自分より小さな男に支えられるなんて、きっと不快だろう。
けれど、いつもの僕ならそれだけで小一時間は悶々と悩めそうな諸問題も、今は後回し。
他に彼女を保健室に連れていく方法が浮かばないんだから、今はこれしかない。
「悪いけど…そんな具合悪そうなのに、ほっとけない。引きずってでも、保健室に連れていくから」
「…強引、なのね。病人には、優しくするように…と、教わらなかったの、かしら?」
憎まれ口を叩きながらも、彼女は僕に体重を預けてくれた。
口では必要ないと言いながらも、やっぱり横になりたかったのか、それとも抵抗する元気すらないのか。
僕より一回り大きいはずのその体は、驚くほどに軽かった。
「…辛い時は辛いって、ちゃんと言わないとダメだよ」
僕がそう言うと、耳元で彼女がクス、と笑う。
力ないはずのその声は、妙に楽しげに響いた。
「生意気ね、苗木君のクセに…」
―――――
保健室の中には、養護教諭の姿はなかった。
ただ鍵だけは空いていて、保健室のあり方としてはどうかと思ったけど、今だけはその不用心に感謝。
ベッドまで彼女を連れていくと、まるで糸が切れたかのように、ドサ、と霧切さんは倒れ込んだ。
やっぱり、強がっていたけど、相当弱っていたんだ。
強引にでも連れてきてよかった。
さて、制服にしわが付く…のはこの際目をつむるとして。
とりあえず土足で寝ころばせるわけにもいかないし、と、ブーツに手を伸ばす。
「っ、ダメ…!」
「え?」
がばっ、と、力なく横たわっていたはずの霧切さんが起き上がった。
脱がそうとしていたブーツを、ひしと両手で押さえつけている。
「ブーツは、自分で脱げるから…」
「そ、そう?」
心なしか、顔が赤い。熱もあるんだろうか?
虚ろなジト目で見られて、なぜかすごくいけないことをしてしまったような気に駆られた。
よくわからないけれど、霧切さんがそう言うなら。
「…苗木君」
ブーツを押さえながら、観念したように霧切さんがささやく。
急に動いたからだろう、自分の出した声すら頭に響いているようだった。
「申し訳ないのだけれど…頭痛薬か何かがあれば、取ってきてもらえる?」
「あ、うん。任せて」
頼ってもらえるのは素直に嬉しいので、僕はいさんで薬が詰め込まれた棚に向かう。
幸いにも鎮痛剤はすぐに見つかった。
棚の中には、何の言語で書かれているかわからないようなラベルばかりで、頭痛薬は日本語表記でホッとする。
用法用量が分からない薬を、おいそれと勧めるわけにもいかない。
ひったくる様にして手に取り、それから備え付けの水道で水を汲んで、
ついでに役立ちそうな機器やら娯楽のための本やらを、手当たり次第に手に取ってみる。
「霧切さん、あったよ」
戻ってカーテンを捲ると、霧切さんは既に布団に潜り込んで、横になっていた。
僕が取ってきている間に脱いだのだろう、ベッドのわきにブーツと、折りたたまれたコートが置かれている。
「ん…ありがとう」
ふぁさ、と布団をまくると、霧切さんはワイシャツ姿。
絡まないようにするためか、髪はゴムで止め、後ろで束ねられている。
なんだろう、さっきの弱りきった姿もそうだけれど、
学校の制服で毅然としている姿しか知らないから、こういういつもと違う霧切さんを見ていると、
ちょっと、ドキドキする。
「あの…今、飲む?」
誤魔化すために、腕に抱えた薬瓶と紙コップを示した。
彼女の焦点はしばらく空を彷徨い、かなりの間を置いてから僕を捉える。
「…そうね、貰えるかしら」
さっきまで青白かった顔色は、一転して赤みを帯びていた。
たぶん、というかやっぱり、熱があったんだろう。
それでも、今の方が幾分か健康に見える。
布団に入って温まったことで、少しは体が落ち着いたんだろう。
やっぱり無理をしていたんだ。午前中はずっと我慢していた、と言っていたし。
僕は見付けてきた体温計を取り出し、彼女に渡す。
「熱も一応測って。解熱剤も取ってきたから」
「至れり尽くせり、ね」
霧切さんは困ったように笑いながら、体温計を受け取る。
そして、
その場でおもむろに、ごそごそと体温計を服の中に滑り込ませた。
「ちょっ…!」
ワイシャツの裾から白い肌が見えたところで、僕は慌てて下を向いた。
なんて、不用心。こちとら男子高校生だと言っているのに…!
せめて、『向こうを向いてて』くらい言って、猶予の時間をくれたっていいじゃないか。
そんなこと目の前でされて、平静でいられるわけない。
ない、のに。
『やはり苗木殿の考えすぎな気もしますな』
昼休みに聞いた、山田君の言葉が浮かんだ。
僕の方が気にしすぎなんだろうか。
そうだ、別にやましいことをしてるわけでもないんだし。
もしかしたら彼女が僕を、そういう異性として見ていないってだけかもしれない。
それなら、別段気にすることもないか、と顔を上げて、
服の裾から、何かちらりと白無垢が見えた気がした。
それは彼女の素肌か、それとも下――
ごすっ
「…っ、つぅ…」
考えが及ぶ前に、嫌な音がして目の前に星が飛んだ。
くわんくわん、と、頭が揺れる。
「…?」
霧切さんが、不思議なものを見るような眼で僕を見ていた。
看病してくれていた少年が、いきなり目の前で自分の頭を殴れば、まあそういう反応になるだろう。
「頭、大丈夫?」
その『大丈夫』はどっちの意味だ、とはあえて聞き返さず。
「ああ、うん…ギリギリ」
適当に、あはは、と笑って返した。
危ない。
もう少しで、ちょっとアウトな想像をしてしまう所だった。
病人を前にして、あらぬ妄想を思いとどまるくらいの理性は残っていた。
ぴぴぴ、ぴぴぴ
空気を読んでか読まずか、電子音が鳴る。
「あ、もう終わったみたいだね」
「そうね」
今度は事前に、顔を下げておく。
案の定、すぐにごそごそと衣擦れの音。服の中から体温計を取り出しているのだろう。
うん、予防策さえ張っておけば、お互い(というより僕が一方的に)困ることはない。
衣擦れの音が止まって、もういいか、と顔を上げる。
霧切さんが僕に、はい、と、体温計を差し出していた。
「~~~っ…」
さっきまで霧切さんの肌に、直に触れていたソレ。
はい、じゃないってば…!
受け取りたいのは山々だし、彼女の体調だってもちろん本気で心配だけど。
それでもその前に、最低限自分の中のモラルは守りたい。
そう思ってしまう僕は、古臭いだろうか。
手に取ってしまえば、彼女の温もりを直に知ってしまう気がする。
いや、もうホント、こんなこと考えていること自体が不謹慎だってわかっているんだけど…
「…何度、だった?」
差し出された体温計に気付かないフリをして尋ねる。
「…37.5。反応に困る微熱ね」
特に気にした様子もなく、彼女はデジタルに表示された数字を読み上げた。
ふう、と、色々な意味で胸を撫でおろす。
ひとまず危機は去ったみたいだし、それに、
「解熱剤は、せっかくだけどいらないわ。このくらいなら、少し休めば治るから」
本当よ、と彼女は念を押した。
たぶん、さっきまでの僕がやたら過保護に映っていたんだろう。
横になったのがやっぱり良かったのか、先ほどまでの消え入りそうな様子から一変。
少しだけ眠たそうだけど、いつも通りの余裕のある霧切さんが戻ってきた。
「…ん。改めてありがとう、苗木君」
鎮痛剤とコップの水を飲み干して、微笑む。
「どういたしまして」
「…もう授業に戻って大丈夫よ。私はちゃんとここで安静にしてるから」
「どうかな、目を離したらまた無茶しそう。僕が帰った瞬間にベッドから抜け出したりとか」
「言ってくれるわね。あなたは普段から、私をそういう節操のない人間だと思っているわけ」
へーえ、と、底意地の悪い笑み。
うん、とりあえず。冗談を言う余裕くらいは回復したみたいで、ひと安心。
時計を見れば、もう授業時間は半分を過ぎていた。
今からわざわざ教室に向かっても、たぶん遅刻したことを義務的に怒られるだけ。得るものはないだろう。
『超高校級』と付いた高校生ばかりを集めた学校の宿命か、この学校は基本的に放任主義。
派手に学校に遅刻しようが、無断で授業を休もうが、校則を守っている限りは罰則はない。
だから、ここで僕が教室に戻ろうが、そのまま学校をサボろうが、そこに大した違いはないのだ。
それなら。
より有意義な時間の使い方をしたいと、僕は思う。
「えっと、霧切さんは…」
「私?」
唐突に切り出したので、また霧切さんが首をかしげる。
「眠たいとか、まだ頭が痛いとか、ある?…僕、もう出てった方がいい?」
ここに残るためには、彼女の許可が必要だ。
霧切さんは少しだけ、僕の言葉を吟味する。
そして、その意図をすぐに理解したのか、
「…そうね、特にはないけれど。迷惑をかけたついでに、もう一つお願いがあるわ」
「何?」
「このまま保健室で放課まで過ごすのも退屈だし、話相手を探しているのだけれど。心当たりはないかしら?」
僕の意を汲んで、凛として微笑むのだった。
「…、うん。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「自販機で買うならコーヒー以外、淹れてくれるならコーヒーがいいわ」
「了解」
時間を潰すための飲み物を提案し、給湯室にはコーヒー用のドリッパーが無かったことを思い出す。
ポケットの中の小銭を確認して、僕は保健室を後にした。
―――――
霧切さんは、とにかく自分に厳しい人だ。
目を離せば、また無茶をしてしまうかもしれない。
そうじゃなくても、ただでさえ病人だ。
辛い時に辛いと言える相手が、傍にいた方がいいだろう。
という、綺麗な建前。
本音は、せっかく二人きりなんだから、というずるい理由。
以前は聞きそびれた、彼女自身の話を聞きたかった。
これまで何を見て、何を知って、何を行ってきたのか。
何が好きで、何が嫌いか。何が楽しくて、何が辛いのか。
他のクラスメイトとするような話を、彼女ともしてみたかったのだ。
もちろん、無理強いは出来ない。
体調が良くなったと言っても病人だし、それに彼女が話したくないようなことは聞き出せない。
そういえば、海外の食生活の話は、あまり話したがらなかったっけ。
たぶんアレは、嫌だというより、本当に海外にいた頃は食事に興味が無かったんだろう。
だから話せるようなエピソードもない、と言ったんだ。
と、自販機の前で思い至り、
「…そういえば、コーヒー」
珍しく、彼女がこだわったものを思い出した。
いつもよく飲んでいるイメージは、確かにあったけれど。
缶コーヒーはダメで、淹れるコーヒーはいい、と、彼女にしては珍しく自分の趣向を主張したっけ。
きっとこだわりもあるのかもしれない。
そうやって今日の話題を思いついたところで、僕は自分用の紅茶のボタンを押した。
―――――
カララ、と、塞がった両手の代わりに、足で保健室の扉を開ける。
行儀が悪いのはご愛敬。
マナーなんて、人に見られてこそ意味があるんだから。
「お待たせ。ホットでよかった?」
「ええ。いくら?」
「…さすがに、病人から徴収するような守銭奴じゃないよ」
「わかってるわ。一応、礼儀として聞いてみただけ」
戸棚にあった本を読んでいたらしく、ベッドに背を預けて座っている霧切さんに出迎えられる。
小棚にレモンとミルクの紅茶を置いて、好きな方を、と示した。
彼女が取って、残った方を僕が貰う。
と、ついでに話の種も撒いてみたりして。
「霧切さんって、コーヒー好きなの?」
「…どうして?」
本当に意外だ、といった顔で聞き返しながら、彼女はレモンのパックを取る。
残ったミルクを僕が手に取り、ストローを差し込む。
「や、いつも飲んでるからっていうのもあるけど。さっき、缶コーヒーはダメだって言ってたでしょ」
「…ああ、そうね」
「コーヒーが好きな人って、缶コーヒーは邪道だって言うことが多いから」
ミルクティーのストローに口を付けると、既製品じみた甘さが口に広がった。
僕はこの、いかにも大量生産チックな糖分は嫌いじゃないんだけど。
この甘さが、玄人曰くコーヒーの風味を台無しにしてしまっているらしい。
『あんなのコーヒーじゃない!少し苦めのコーヒー牛乳だもん!』
と喚いていたのは、背伸びをしたいお年頃の我が妹だったりする。
「まあ、コーヒーが好きなのは認めるけれど…論拠としては不十分ね。それじゃ探偵業はやっていけないわよ、苗木君」
別に僕は探偵でもないんだから、そんな確実な論拠はいらないんだけど、と口をすぼめる。
口に出すとなんとなくまずい気がするので、とりあえず黙っておくけど。
「私は別に、缶コーヒーが嫌いなわけじゃないわ」
「あれ、そうなの?」
「確かに豆から挽いた方が美味しいけれど、コーヒーと名のつくものはだいたい好き…と言えると思うわ。インスタントでも缶でも。
カフェオレやカプチーノ、ダッチにウィンナーにアイリッシュ「それお酒だよね」細かいことは気にしないの。
あとはジェラートにゼリー…そうそう、向こうの夏は、フラペチーノが最高に美味しいのよ」
「ああ、うん。それは前に聞いたことある。確か日本のフラペチーノとは違うんだよね」
「ええ、こっちのはむしろシェイクに近いから。向こうはコーヒーと練乳を混ぜて、クラッシュアイスを豪快に入れて、シェイカーで…」
珍しく霧切さんは饒舌だ。
熱で浮ついているというのもあるのかもしれない。
でもたぶん、好きなものを語っているから活き活きしている、というのが大きいんだと思う。
僕も料理の話をしている時は、こんな感じなんだろうか。
もう少し霧切さんのフラペチーノ談を聞いていたいけど、その前に。
「――それで、結構甘いから子どもなんかにも人気があって、」
「あ、ごめん、ちょっといい?」
「何かしら?」
話を中断する形になってしまったけれど、さして気にしていないみたいなのでよかった。
「じゃあ、なんで今回は缶コーヒーはダメだったの?」
と、疑問を口にする。
「…ああ、それ。簡単よ、この時期は缶コーヒーは冷たいのしかないでしょう」
「うん」
「あなたが私のコーヒー好きを知っていたら、そっちを買ってきたかもしれないから」
それは、えっと…どういうことだろう。
「…もしかして、温かいのが飲みたいから、コーヒーって選択肢を消して誘導した、ってこと?」
「ご名答」
満足げに霧切さんが笑う。
えっと、すごい回りくどいというか、複雑。
そんな謎かけみたいなことしなくても…
「温かいのが飲みたいって言ってくれれば、ちゃんと買ってくるよ…もしかして、僕のこと試したの?」
「心外ね。信頼した、と言ってくれない?病人にキンキンに冷えた炭酸を飲ませるような、気の利かない男の子じゃないでしょ」
む、そう言えば聞こえはいいけど。
からかうように笑って、霧切さんは自分の紅茶に手を伸ばした。
ほう、と、一息。
温まるのがいいのか、ぼんやりと目を蕩けさせている。
「…早く良くなるといいね」
思ったことを、そのまま口に出した。
今日はこのまま放課まで大人しくして、それからタクシーで病院に向かえばいい。
入院まではいかないだろうし、点滴か、もしくは栄養剤を貰えばいい。
でも、霧切さんは、
「大げさね。放っておけば、勝手によくなるわ」
そんな不精な事を言う。
そんなのダメだ、と。
女の子なんだから、自分のことを大切にしないといけない。
僕がそんな反論を切り出す前に、彼女は続ける。
「…でも、今回ばかりはあなたが来てくれて、助かったわ」
「僕が来なかったら、ずっと意地張って我慢してたでしょ」
「…あなたはホント、私をなんだと思ってるのかしら?…と言いたいところだけど、否定できないわね。
毎度のことだから、いつも通り我慢していれば済むと思っていたんだけれど…」
「毎度のこと?」
そんな頻繁に風邪でも引いているのだろうか、と。
まだ平和に、そんなことを思っている僕の頭は、
次の瞬間、不穏な単語を耳にして、一気に冷めていく。
「――ええ、今月は特に重かったみたい」
相変わらず、こともなげにさらりと。
他人事のように、霧切さんは言った。
その、男子には馴染みのないフレーズが、やけに怖気を感じる。
第六感が、危険を告げる警鐘を鳴らしている。
アンタッチャブル。
これより先は封鎖されたし。即時待避せよ。
「と、とにかく…学校が終わったら、すぐ病院に行かなきゃダメだからね」
そう、無理矢理に軌道修正して、
「大げさね。ただの生理よ」
盛大に失敗した。
「……」
ああ、もう無理。もう今日は無理。
色んな出来事があって、ホントそれなんてエロゲ?なイベントもなんとか平常心で乗り越えてきた。
でも。
もう今日は、これ以上霧切さんの顔をまともに見ていられない。
「まあ、ただの生理、というのは言いすぎかもしれないわね。人によって辛さは…苗木君?どうかしたの?顔が赤いけど」
ええ、どうかしましたとも。
あなたのせいでどうかしてますとも。
こればかりは、霧切さんが悪いんだ。
そうやって臆面も無く恥ずかしい単語をバンバン連発される、こっちの身にもなって欲しい。
「…霧切さん、僕、」
「ええ、どうしたの?」
「ぅ…」
帰る、と言いだしそうになり、思いとどまった。
元々彼女に話し相手になってくれるよう頼んだのはこっちだ。
それを、僕の方から放り出すことは、流石にできない。
本当に珍しく饒舌な霧切さんは、挙動不審な僕を気にも留めず、話し続けている。
それをそらで聞きながら、帰りのホームルームを知らせるチャイムが鳴るまで数十分。
なんとも言えない気まずい気持ちのまま、僕はひたすらうつむいて、彼女の話に相槌を打つのだった。
―――――
朝日奈さんが、すぅ、と息を吸ったのを見て、僕は襲い来る罵声を覚悟して目をつむった。
「苗木の、馬鹿っ!!!」
キーン、と。
かき氷の関連痛に似た金属音が、頭の中で響く。
流石、水泳少女は肺活量が違う。
けれど、朝日奈さんの憤りはもっともだ。
経緯はどうあれ、こういう場合は女性に恥をかかせだ男の方に非があると、相場で決まっている。
まあ、霧切さんが恥ずかしがっていたかどうかは、また別の問題だけど。
「まあ待て、朝日奈…」
「待ってらんないよ!苗木ってば、デリカシーなさすぎ!女の子にそんなこと言わせるなんて…!」
「話を聞く分には、霧切が自分から明かしたようだが」
「う…そ、それでも、男子ならそういう事情は、女の子が口にする前に気付くべきだよ!」
あの後、帰りのホームルームを言い訳にして、一旦教室に戻った僕は、
保体委員である朝日奈さんと、その日の日直だった大神さんに、事の経緯を説明した。
授業を休んだ理由と、霧切さんの体調の件を日誌に書いてもらわなければいけないから。
正直、日直が大神さんでホッとした。
彼女がいれば、怒り狂う朝日奈さんの手綱を握ってくれる。
朝日奈さん一人が相手なら、事情を説明する暇も無く、さんざん僕が罵倒されて終わりだろう。
「それに、苗木の話はまだ終わりではないのだろう…相談に乗られたからには、話は最後まで聞くべきではないか」
「あぅ…まあ、それはそうだけど…」
流石、大神さんは安定感が違う。
「うん…あの、今回のことは、確かに僕が不注意だったというか、気が利かなかったというか…それは反省してるんだけど」
朝日奈さんに報告する時、霧切さんの生理の話を誤魔化すことも出来たと言えば出来た。
そうすれば、怒鳴られることもなかっただろう。
けれどそれをしなかったのは、今回の件がやっぱりおかしいと感じたから。
「相談とは、苗木自身ではなく、霧切側の問題についてだな?」
「うーん…確かに、霧切ちゃんってそういうところありそうだよね…恥ずかしいことを恥ずかしいって思ってないっていうか」
例えこれが、僕の考え無しが招いた事件だったとしても。
やっぱり、ああいう女の子の事情なんかを、自分から口にしたりするのはおかしい。
「ちょっと天然…なのかな」
言いにくそうに、朝日奈さんが言う。
正面からの罵声はともかく、影で人を悪くいうのは馴れていないんだろう。
「む…これは我の推測に過ぎないのだが」
と、相談ごとに定評のある大神さんが口を開く。
「霧切は、苗木がそのように困っている姿を見たいがために、わざとあのように振舞っているのではないか…?」
「え?」
「苗木よ…そう仮定したとして、何か心当たりはないだろうか」
言われてみれば、確かに。
何度か交わした談笑の中で、霧切さんにからかわれた回数は数え切れない。
いじめともちょっと違って、ただ僕を困らせて、その反応を楽しむという、なんとも困った趣味だ。
敵意も害意も感じないし、僕自身も彼女とのそういう関係に、むしろ居心地の良さを感じていたけど。
「僕が困っているのを見たくて、わざとあんな…その、恥ずかしいことを言ったりやったりした、ってこと…?」
大神さんは無言で肯定、朝日奈さんは何やらうんうん頷いている。
確かに、そう考えれば辻褄は合う。
ちょっと悪質だけれども、これまでの彼女のからかいの延長にあるのが、今の現状だと。
でも、どうだろうか。
納得できないというか、何かが引っ掛かっている。
そういう節度のない冗談を言う人じゃない、という漠然とした信頼もあるけれど、それとは別に。
彼女のあの言動は、嘘や冗談の類ではなく、もっと素の反応のように見えていたんだけれど…
「ね、でもさ」
と、思い悩んでいると、それまでの会話の流れなんて全く無視して、
「それでいくと…霧切ちゃんって、苗木のこと好きなんじゃないの?」
朝日奈さんは、そんな爆弾を投下してきた。
「は、はぁ!?」
思わず、突拍子もない声を上げてしまう。
「な、なんで今の会話でそういう方向に派生するのさ…?」
「だってさ、そうじゃなきゃそんなきわどいちょっかいまで出さないでしょ」
と、こともなげに朝日奈さんは返す。
まるで、当たり前だとでも言うように。
大神さんも口をはさんでこないところを見ると、概ね反対意見ではないのだろう。
「だいたい、ありえないよ…霧切さんが、僕なんか」
照れているわけじゃない。
ただ、驚いている。というよりも、呆気に取られていると言った方が正しいかもしれない。
それぐらい突拍子が無い話だからだ。
重ねて言うけれど、この学校に集っているのは『超高校級の高校生』。
いわばエリートだ。
比べて僕なんか、平凡が服を着て歩いているような人間。
学力も容姿も能力も、その全てが人並で。
自分で言ってて悲しくなるけど、まあ、うん、そういうことだ。
霧切さんの気を引ける要素なんて、少しも持っていない。
「…釣り合わない、でしょ」
と、自分に言い聞かせるように。
すると、今度はそれまで黙っていた大神さんが口を開いた。
「…ふむ、朝日奈のいうような恋愛沙汰は流石に早計だが…霧切は苗木に一目置いている、というのは周知の事実だ」
「え?」
「苗木…自分では気づいていないのかもしれないが、霧切がまともに会話を交わす相手は、お前だけなのだぞ」
それは、違う。
声を出して否定したい衝動に駆られた。
霧切さんが話す相手が僕だけなんじゃない。
みんなが霧切さんと話そうとしないだけだ。
話しかければ、彼女はちゃんと応じてくれる。
無視したり、聞き流したりしない。
それをみんな、知らないんだ。
他人を避けているわけじゃない。
大人しくて大人っぽいけど、暗いってわけでもない。
みんな、そんな彼女の雰囲気に呑まれて、誤解しているだけなんだ。
と、自分で口に出さずに言って、
その『みんな』が、誰を指しているのだろうか、と疑問が浮かんだ。
「からかうにしろ、雑談するにしろ、霧切ちゃんが普通に相手するのって苗木くらいだよ」
だから、それは。
逆なんだ。
みんなが霧切さんを避けているんだ。
「それに、苗木と一緒にいる時の霧切ちゃん、よく笑ってるし」
僕をからかうのが楽しいから。
それ以上の理由なんてない。
「他の男子には、興味なさそうだしね」
だからと言って、イコール僕が好き、なんて結論はおかしい。
そう、否定すべきなのに。
否定しないと、彼女に失礼なのに。
「だから、霧切ちゃんは苗木のことが好き――」
「黙って聞いていれば、人のいない所で好き勝手言ってくれるわね」
と。
病院に行っていたはずの人間の声が、僕たち三人の後ろから響いた。
それはまるで、地獄から蘇って来たかのような声。
後に、大神さんは語る。
死を覚悟する程の殺気を感じたのは、あれが二度目だった、と――
最終更新:2011年07月15日 19:46