ナエギリ晴耕雨読 第一話『見切り発車もいいところ。』

――ざあざあ。

「……止まないわね」
「止まないねえ。……梅雨って、こんなふうにざあざあと降るものだったっけ」
「………よく、覚えていないわ。海外が長かったもの、私」
 思い出すように天井を見た霧切さんは、そもそも該当する記憶が無かったのだろうか、すぐに視線を元の位置に戻した。
 元の位置――すなわち、窓の外――である。
 バケツをひっくり返したような、とは流石に言い過ぎではあるものの、しとしとと表現するには少しばかり激しめの雨が、開け放たれた窓の外で自己主張を続けている。
 強い風は吹いておらず、昨日の夜から降り出した雨は、今のところ室内に目立った被害を与えてはいない。例年よりも十日ほど早い梅雨入りですと、
窓際のラジオが、雨よりかは幾ばくか大きな音で知らせてくれた。
「それにしても苗木君。貴方、随分と懐かしいものを持ってたのね」
「ラジオのこと? ううん、それは葉隠君がくれたんだ。今日の朝にね、弁当がどうとか、屋上でチャンネルがどうとかって言いながら」
「………大方、授業をサボって屋上で昼寝でもしていたんでしょう。優雅にラジオでも聴きながら」
 良い身分ねと鼻を鳴らす。口の端が少しだけ上がっているように見えるのは、きっとボクの気のせいでもなんでもない。
 二人でぼうっと窓の外を眺める。お決まりのの挨拶を交わして、定番となったコーヒーを飲んで。ぽつりぽつりと短い会話を繰り返す。今日はずっとこんな調子だ。
 つまるところ、いつも通りである。
「………昨日ね、」
「うん?」
「ようやく冬物の蒲団をしまったのよ」
「あー。寒かったもんね、今年。ボク、まだ出しっぱなしだよ」
「それで正解よ。ようやく暖かくなってきたと思って、半日ほど羽毛と格闘してようやく片付けて。春物のタオルケットを引っ張り出したらこの天気よ。今朝は随分寒い思いをしたわ」
「それは……災難だったね」
「ほんとうに。結局タオルケットも元に戻して、朝からひどく疲れた気分よ。少しでも長く降ってもらわないとやってられないわ」
 溜息と共に吐き出した言葉は、半分ばかり閉じた瞳に乗って窓の外へと投げられた。せめて霧切さんがしばらくは布団を動かさずに済みますようにと、
梅雨が少しでも長く続くよう祈るばかりである。
 望む者の少ない長雨に対して、この同級生の機嫌ひとつの為にあえて少数派に回る自分がおかしかった。
「まあ、この様子だとしばらくは――」

 ――風が、吹いた。

 向こう一週間の天気は梅雨前線と低気圧の影響で雲の広がる日が多いでしょうと、抑揚のない天気予報士の声にぶちぶちと雑音が入る。
 雨が吹き込んでいるのだろう、ボクは慌てて立ち上がった。数少ない退屈しのぎである。貰いものでもあることだし、いきなり壊れてはたまったものじゃない。
「苗木君、とりあえずこっちの机に」
 窓を閉めるのは気が進まないし、ラジオを余所へやることにする。霧切さんの声を背中に受けながら、雨の当たる窓際でラジオを抱えて、なんとなく外を見て。……霧切さんをみて、もう一度外へと目を向けた。
「…………ああ、なるほど」
「どうしたの。壊れるわよ、それ」
 不審そうに眉根を寄せる霧切さんを、ボクは手招きしてみる。なによ、と一層の疑念が声に上乗せされた。
「そこからじゃ見えないんだよ」
「何の話よ」
「いいからさ、騙されたと思って」
「……まあ、いいけど。とりあえずそのラジオをよこしなさい」
 机の端の方へとラジオを置いた霧切さんは、ボクの隣までトコトコとやって来た。
「それで、何ですって? 本当に騙してたら承知しないわよ」
「なんでそんなおっかないのさ。大丈夫だよ。ほら、あそこ。見える?」
「見えるって、なにが――あ」

 ふらふらと窓の外をさまよっていた霧切さんの眼が、ある一点に固定される。座っていては決して見ることのできない、校舎の隅にそれはあった。
「紫陽花……ね」
 それは何故か淡い紫色のものばかりで。アジサイって赤とか緑とかもあったように思うのだけど、いまひとつ自分の記憶に自信が持てない。
 灰色の空の下ぽつぽつと咲いているちいさな紫色の集合体は、世界で自分たちだけがこの雨を喜べるのだとでも言いたげだった。
「綺麗ね。ここからだと、まるでブーケが沢山植えられてるみたいに見えるわ」
 言い得て妙だと思う。まるく鮮やかに咲き誇るその姿は、花嫁の手に収まるのが相応しいように見える。
 けれど、ボクにはもっと違うものに見えた。

「霧切さんみたいだよね」
「――え?」
 深い意味はないんだけど、と付け足す。
「なんでかは知らないけど、あそこのアジサイって紫ばっかりじゃない。アジサイ見つけたら霧切さんが頭に浮かんで、見比べてみたらああ似てるなって思って」

「よく似た色をしてるよね。こんな綺麗な紫ってなかなか無いと思うな。あのアジサイも、霧切さんのその、髪も」
「――ぁ、」
 薄い、透けるような紫色。近づいてみたらまた雰囲気が変わるのかもしれないけれど、ここから見ればまるで同じ色に見えた。
 もう一度見比べようとして、霧切さんへ顔を向ける。ボクより少しだけ高い位置にある視線は、座っていた時と同じように窓の外に固定されていて。

「……止まないわね」
「止まないね」
「でも、もう少しくらいなら」

 ――しばらくは傘を手放せない日が続きそうです。気温の変化に注意してください。――

 雑音の入らないラジオの音に、霧切さんが小さく、安心したように溜息をついた。

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