女の子・4

「――え?」


 どちらからともなく、固まった。


 目の前でベッドの上に佇んでいるのは、紛れもない『超高校級の探偵』。
 暗い色のコートは脱いで、いつもよりもたおやかに見える。
 神秘的なまでの銀髪が、窓から来る風にふわりと揺れる。

 そこにいたのは、いつもの霧切さんじゃなかった。
 出で立ちからは女の子らしさが際立ち、ポーカーフェイスは崩れ去って動揺を隠し切れておらず、


 それゆえに、僕は――




――――――――――――――――――――
 弾丸論破 ナエギリSS 『女の子・4』
――――――――――――――――――――




「…え、じゃないよ。さっき、足を挫いていたでしょ」


 嫌な予感を拭い去る様にして、やや強引に話を進める。


 彼女の動揺している姿も、朝日奈さんの言葉も、不安材料は頭の隅に全て追いやる。
 さっきから何でもないように振舞ってはいるけれど、彼女が時々痛みに顔をしかめているのを見逃してはいない。


「病院に着くまでどれくらい時間がかかるかは分からないし、応急処置くらいなら僕にも出来るから」

 と、保健体育の教科書を指し示した。

 骨折や靱帯の損傷に比べれば、捻挫という響きはあまり怖くないかもしれない。
 けれど、甘く見ちゃいけない。
 そもそもそういう怪我との区別は、素人目には判別しにくいものだし。
 それに、捻挫といえども放っておけばクセになってしまう。


「一応聞くけれど…テーピングって何を」
「運動部がよくやってるでしょ。捻挫したところに、裸足の上から」

「だ、ダメよ!何を考えているの、苗木君…!?」

 ホラ、来た。

 本日何回目のハプニングだろうか。
 唯一他のと違う所があるとすれば、動揺しているのが僕では無くて霧切さんということ。

 それ以外は、またいつもと同じだろう。
 今回もまた、彼女に振り回されるんだ。


「今度はこっちが一応聞くけど…何を、って何?」

 はあ、と、ため息交じりで僕が尋ねた。

「何、って…あなた、本気で言っているの…?」

 一瞬取り乱した霧切さんだけれど、流石と言おうか、すぐに落ち着きを取り戻した。

 ただ、僕を見る目は一転して、動揺を隠し切れていない。
 まるで節操を知らないケダモノだ、とでも言うような目つきだ。

 失敬な、これでも人並に常識はある。
 少なくとも、男子の前で服の中を漁ったり、堂々と生理発言するどこかの誰かさんよりは、確実に。


「て…テーピングくらい、一人で出来るわ」
「ダメだよ、霧切さんの『自分で出来る』は、もう信用してあげないって言ったでしょ」

「くっ……だからって…何も、あなたがやる必要はないでしょう?せめて女子を…」
「? 誰がやっても変わらないと思うけど…でも、僕たち以外の生徒は、もう下校してるよ」


 論破されて、悔しそうに唇をかみしめる霧切さん。
 いや、そんな死活問題みたいな顔されても。


 こうなったら、奥の手である。


「お願いだよ…手当はさせて。霧切さんのことが心配なんだ」
「っ…」

 ピクリ、と、反応。

「それに…その足の怪我は、ちゃんと霧切さんを支えられなかった僕のせいでもあるから」
「っ…! アレは違うわ、あなたが支えてくれなかったら、もっと大怪我を…」
「でも、やっぱり…その捻挫がクセとかにでもなったら、責任感じちゃうよ」
「そんな、こと…」


 僕が申し訳なさそうに目を伏せると、困ったように霧切さんは言葉を詰まらせた。
 でも、とか、そんな、とか、彼女の拒絶が少しずつ揺らぎ始める。

 やっぱり。

 『僕なんか』という表現を嫌がったように、霧切さんは言葉に凄く敏感だ。

 『心配』とか『責任』とか、そういう単語に弱いんだ。
 優しい人だから、それを無碍には出来ない。
 強い言葉で反論できなくなる。

 いつもなら、例えそれが善意からの行為でも、
『苗木君、人が嫌がっていることはやめなさい。怒るわよ』
 と、バッサリ切って捨てられているんだけど。

 もちろん本気で心配はしているけど、打算で言っている分、霧切さんを騙しているようで気分が悪い。
 でも、仕方ないんだ。
 こうでもしないと、手当はさせてくれなさそうだし。


 そう、仕方が無いんだ。

 別に、いつもはお目にかかれない、うろたえる弱気な霧切さんを見て、

 からかわれている分のお返しだとか、ちょっとした悪戯を、だなんて、微塵も思っていない。



「ほら、ブーツ脱がすよ」
「やっ!」

 少し強引に話を進めようとすると、聞いたこともないような高い声が聞こえた。
 僕の腕から逃れるようにして右足を上げ、そして、


「あっ!…つ、……」
「ああっ、ホラ、動かしちゃダメだってば…」

 挫いたせいで、足を上げると変に力がかかってしまうらしい。
 痛みに顔が歪み、降りてきた足はちょうど僕の腕の中に収まった。

「あ…」

 しまった、と、霧切さんが目を見開く。
 僕はそんなのお構いなしに、ブーツの横にあるジッパーに手をかけた。


「待ってっ…ちょっと待って、苗木君!お願い…」

 あまりにも取り乱す霧切さんに、ふと罪悪感を掻きたてられる。
 と、僕が一瞬躊躇している間に、彼女は、すう、と、自分を落ち着かせるように息を整えて、

「コホン。……苗木君、人の嫌がることは止めなさい。怒るわよ」


 予想通りのジト目と台詞を僕に見舞う。
 …んだけど、今回ばかりは残念ながら全く迫力がない。


「いいよ、怒っても。けど、手当は絶対にするからね。そうじゃないと、また無茶しそうで心配だし」
「っ…」

 ここぞとばかりに、『心配』を連発。

「…どうしても、するの…?」
「するよ。っていうか、何でそんな頑なに嫌がるの?」


 たかが手当てをするだけなのに、と、肩を竦めてみせる。

 悪いけれど、こればかりは引けない。
 彼女が心配なのは本当だし、自分のせいで怪我をさせてしまったという負い目があるのも本当だ。

 のほほんとしているけれど、あまり楽観してる場合じゃない。
 捻挫は甘く見ちゃいけないんだから。


「何で、って…」


 相変わらず霧切さんは、そんなこともわからないのかとでも言いたげに、目を丸くして僕を見る。
 いや、だからそんな僕の方が常識が無いみたいな顔をされても。
 霧切さんに言われたくないというか、霧切さんよりは常識はあるというか。

 結局わからないので彼女を見返すと、顔を青くさせ、それから少しずつ赤くなっていく。

 熱で浮かされているというか、体調的に余裕が無いんだろう。
 今日の霧切さんは、いつもの五割増しで分かりやすい。
 分かりやすいのはいいんだけれど、余裕が無いというのなら、早く手当てしてあげたい。

 彼女の口から理由が出るのを、僕はただ待った。
 霧切さんはしばらく言葉を探していたけれど、やがて諦めたように、


「…ブーツは…蒸れる、から。ここまで言えば、分かるでしょう」


 …いや、全然。

 ショックを受けたように、一瞬呆然として、次の瞬間溜息を吐かれる。
 そこまであからさまにアピールされると、もしかしたら本当に僕の方が常識がないんじゃないかと疑ってしまいそうになる。


「――ええ、いいわ。女心の理解できない鈍感な苗木君のために、ちゃんと言葉で説明してあげる」

 はあ、そりゃどうも。
 開き直った霧切さんは苛立ったように、少しの間だけ威勢を保っていたけれど、


「…だから…蒸れるから、におい……とか」


 次の瞬間には、消え入りそうな声で、そう言うのだった。


「それは…苗木君も、嫌でしょう?だから…」
「いや、別に気にしないけど」
「なっ…!?」


 何かと思えば、そんなこと。
 霧切さんにしてはまともな理由で、むしろ拍子抜けしてしまった。

 確かに気にするのは分かるけれど、病人怪我人を相手にそんなこと気にしている場合じゃないし、そんな余裕もない。
 相変わらず霧切さんは、信じられないような眼で僕を見ているけれど。


「どっちにしろ病院に行けば、医者の前でブーツも脱ぐことになるんだし」
「…医者の前で脱ぐのと、同級生の前で脱ぐのは天と地の差よ。それも、あなたの、」
「僕?」
「っ……」


 少しの間睨めっこが続くと、それっきり霧切さんは黙ってしまった。
 睨んでいるというよりは、僕を天秤に乗せて、品定めしているような目つきだ。

 とにかく嫌で、けれども僕の手前で前科もあるし、自分の尊厳やら僕の言葉やらに揉まれて葛藤しているんだろう。
 ブーツを脱ぐのがそれほど嫌なんだろうか、僕にはちょっと分からない。
 そこまで嫌がられるなら、僕もちょっと躊躇ってしまう。


 と、今度は僕が揺らいだところで、


「――いいわ、覚悟を決める」

 すんでのところで、諦めたように溜息をつき、彼女は決断した。


「そんな…一大決心みたいな」
「鈍感な苗木君には分からないだろうけど、女にとっては一大決心よ。こんなこと…でも」
「でも?」
「もともとはあなたの忠告を守らなかった、私の自業自得なのだし…」


 だんだん声が小さくなっていき、彼女は「もう怒らせたくないし…」とか、「あなたになら…」とか、よく聞き取れないことを言っていた。
 まあ、決心が付いたのなら、それに越したことはない。

 さっさとテーピング巻いて、そうだ、アイシングもしないといけない。
 応急処置は早さが肝心だ。
 保健室に連れてきてから、時間も結構経っている。


 と、僕がブーツに手をかけたところで、


「ま、待って…」


 今度はなんだ、と、溜め息が隠せない。
 どうしてたかがテーピングで、こんなに時間を、




「お願い…せめて、自分で脱がせて」


「あ……、うん」




 あれ、なんだこれ。




 おかしな雰囲気。

 ただテーピングを巻くだけのはず。
 それだけのはずなのに。

 霧切さんは、羞恥と不安の入り混じった瞳で、僕の視線を気にしている。
 意を決したように、く、と唇を一文字に結び、ジッパーに手をかけた。


 まるで、一糸纏わぬ生まれたままの自分を晒していくように。

 彼女の覚悟が、不安が、含羞が、緊張が。
 荒くなる息遣いや、顰めた眉や、震える指先から伝わってくる。



 おかしい。


 別に、別に変な事を、そうだ、しようとしているわけじゃないのに。
 治療だろ、応急処置。
 何で僕までテンパって、さっきまで普通だったのに、



 変な事って、なんだろう。



 鼓動に紛れて、心臓の底から響いたような声が、熱を伴った血液に乗って全身を巡る。
 バクン、バクン。
 二度も三度も、僕の知らない声が、熱い血液を送っていく。


 むくり、と、自分の中の男が盛り高まっていく。
 霧切さんは顔を赤くして、熱や痛みとは別の何かに耐えている。

 奥ゆかしい手つきが、ブーツの横のジッパーを躊躇いがちに下げていく。
 ジジ、ジジジ。
 沈黙の中に響くその音すら、何か秘密を開いて晒すような、禁忌めいたものに感じてしまう。


 シュル、と、ブーツの中からおみ足が姿を見せる。
 黒い、というよりは濃紺の、ストッキングに似たロングソックス。

 そこで霧切さんは、何かを確認するように僕を見る。
 僕もそれに応えて、彼女を見返した。



 靴下も脱がなければ、テーピングは出来ないよ、と。
 無言で語りかける。

 わかっているわ、と。
 彼女の瞳が訴えてくる。


「……」
「……」


 保健室に響くのは、時計の秒針と衣擦れの音。
 そして、彼女の吐息。

 それくらい、静寂が支配していて、


 ドクン、と、

 より強く心臓が打った鼓動が、彼女のものなんじゃないかと勘違いしてしまうほどだ。


 顔が赤いのは、熱のせいだけじゃない。
 息が上がっているのは、痛みのせいだけじゃない。

 霧切さんがあれほど嫌がっていた理由が、なんとなくわかってしまった。

 見ているだけの僕でこれほどなんだから、当人である彼女が感じているのは、その数倍のはず。
 食い下がらない僕を、仕方ないながらも信用してくれたんだろう。

 それなら、僕が変な気を起こすわけにはいかない。
 彼女の信用に応えなければ。



 シュルシュル、と、靴下が下ろされていき、

「…」

 それでも、思わず。
 僕は生唾を飲んでしまった。



 綺麗な素足。


 その肌はシーツに負けないくらいに白くて。
 捻挫した足首だけ、うっすらと赤色が咲いている。

 余計な肉付きなんてほとんど無くて、けれど骨ばっているわけでもない、女の子らしい細い足。
 外気に晒されて、恥ずかしがるように爪先を丸めている。
 蒸れると言ったのも本当なんだろう、肌は少ししっとりとしているようで、光を反射してどこか背徳的な神々しさがある。


「…苗木君?」

 視線に晒されているのが居心地悪いのか、裸足の所在を求める霧切さん。
 その声で、見とれていたままの僕は、どうにか我を取り戻した。

「あ、うん…えっと、ここに乗せて」

 霧切さんの正面に跪いて、自分の膝の上を示した。


「苗木君、流石にそれは…」
「その方がテーピングしやすいし」
「でも…あなたに足を乗せるなんて」

 霧切さんが済まなそうに俯くのを、教科書の挿絵にもあるのを示して、やや強引に納得させる。

「…巻くよ。痛かったら言ってね」
「ん…」


 ひた、と、彼女の小さな足が僕の膝の上に乗る。
 外気に晒されたそれが、酷く官能的で。
 おずおずと足を差し出した霧切さんの仕種が、酷く扇情的で。

 何も余計な事を考えないように、努めて自分を戒める。

 ビ、とテープを勢いよく剥がし、雑念を払う。
 落ち着け、全部気のせいだ、と言い聞かせる。


 片腕で霧切さんの足を支え、ひた、と、しっとりとした柔らかい肌にテープの先端を固定する。
 脱脂綿を広げて、患部である足首の内側と外側を覆う。
 それから足を直角に立てて、土踏まずを基点に、足の甲から足首を固定するように巻いていく。

 巻きにくいので、足の向きを変えるために直接足の裏に手で触れて、


「――ひぁっ!?」

「うぁわあっ!!」


 心臓が、ゴルフボールみたいに跳ねあがった。


 彼女かこれほど大声を上げるのを、初めて聞いた。
 彼女がこれほど高い声を出すのを、初めて聞いた。

 それに釣られて鼓動が押し上げられ、バックン、バックンと、太鼓のような震動が胸から伝わってくる。


「ご、ごめん…痛かった?」

 そうじゃない、とわかっていながらも、僕は尋ねた。
 あの声は、痛みを訴えるものじゃなかった。

「あ…、そうね、少しだけ…」
「ゴメンね、霧切さん」
「いえ、謝ることじゃ…ないけど」

 けど、と、霧切さんはジト目で僕を見て、

 いや、もはやジト目ですらない。
 頬をうっすら赤く染め、どことなく潤んだ目で、不安そうに僕を見ている。




 その目を見て、その目に見られて、


「何を…しようとしたの…?」


 押さえていた何かが、吹っ飛んだ。





「あまり、その…足には、」

「巻きにくいから支えようとしたんだけど…そんな、触っただけで痛いの?」

 彼女の言葉を遮って、僕は足の甲を、つ、と撫でた。

「なっ、な――!!?」
「…じっとしてて」


 霧切さんが言葉を失っている間に、僕は両手で彼女の足をそっと包んだ。
 少しだけしっとりした、すべすべの足。
 そこに、わざと指を這わせる。


「んっ…!……な、苗木君、止めて…」

「…骨が折れてないか、確かめるだけ…それだけだから。痛かったら、言って」

 当然、触っただけで折れているかどうかなんて、僕には確認できない。
 痛いところがあったのなら、ただの捻挫じゃないんじゃないか、と疑う程度だ。

 僕が見ているのは足ではなく、霧切さん自身だった。

 怯えているのだろうか、明らかに不安がっているのが見て取れる。
 足を触られるのが嫌なのと、足を触る僕の指がくすぐったいので、顔を真っ赤にしている。


 痛いかどうかを確かめる気なんてない、触れるか触れないかのギリギリで、指を伝わせる。

「んっ…」

 かと思えば、爪を軽く立てて、足の裏に一本線を引く。

「は、…っ!!」

 変化を持たせて足を擽ると、霧切さんは息を止めて声を我慢して見せた。
 けれど体はぷるぷると震え、くすぐったさから逃れるように足を捩る。
 僕の手から逃れようと足を引くけれど、なぜか強くは抵抗せず、僕の腕を振り払ったりはしない。

 かわいい。

 霧切さんが、こんな顔で、こんな声を出すなんて。
 いつも、『超高校級の探偵』としての、落ち着いた大人しい彼女ばかりみていたから。
 こんな、年頃の女の子みたいな嬌声をあげるのが、とても新鮮に感じる。


 もっと擽ってみたい。

 首筋から耳、脇腹に背中、内股、足の先まで。
 指で弄ぶだけじゃない、服の上からじゃ足りない。
 素肌の上を、羽箒を使ったり舌で舐めたり――


 と、舐めるところまで考えが及んで、

 それはすごく、なんていうか、エロチックだな、なんて他人事みたいに考えて、



 はた、と、自分が彼女に、


「苗木、君っ……んっ、は、ぅ…足は、ダメぇっ…におう、から、ぁ…!!」


 欲情していることに気づかされた。




「あ……っ」


 途端に、ものすごい後悔と自責の念が僕を責め立てる。

 同級生の、それも怪我と病気に見舞われた女の子を相手に、僕は何を…


 ぱっ、と、思い出したように足から手を離す。
 彼女の足は、そのまま力尽きるように、ぼとり、と再び僕の膝の上に戻ってきた。

「はぁっ、ハッ、…っく、ハッ…」

 足の裏がまだくすぐったいのか、たぶん無意識に、膝に足を擦りつけてくる。
 苦しそうに息をする霧切さんの姿に、

 罪悪感に、心臓を切り刻まれる心地がした。


「あの、霧切さん、ご……」


 咄嗟に謝りそうになって、どちらが彼女を傷つけることになるか、と躊躇う。

 このまま、何もなかったように誤魔化して、うやむやにしてしまうのか。
 手当てをしてもらうために信頼した男子に、汚い感情を抱かれていたことを伝えるのか。


「も…もう、終わり…?」
「…うん。痛いところはなかった?」
「え、ええ、そうね…特には」


 躊躇するまでもない。

 僕は、前者を選んだ。

 最低な行為だけど、彼女の気分を害するよりは。
 話してしまって楽になりたい気持ちもあったけれど、今の気の迷いは墓場まで持っていこう。

 ホント、最低だ。
 クラスメイトに、そんな目を向けるなんて。

 仮にそんな気持ちが無かったとしても、いたずらというには度が過ぎている。
 これじゃあ、霧切さんに常識が無いなんて言える立場じゃない。

 僕の劣情は伏せるにしても、いたずらの件は後で謝らなければ。
 今はとりあえず、テーピングとアイシングを済ませないと。


「じゃあ、もう…履いていいのね?」


 安堵の息とともに、霧切さんが胸を撫で下ろした。
 けれどテーピングは、まだ踝のところまでしか終わっていない。


「や、もう少し…」


 ジト、と。
 擽っていない分の余裕があるのか、まだ目元は潤んでいるけれど、今度は本気で睨まれる。


「そんな目で見られても…」

「…あなた、わざとやってない?」
「な、何を?」

 さっきの擽りのことだろうか、と、心臓が跳ねあがる。

「素足を晒して、その上触られて…どれほど私が恥ずかしい思いをしているか、わかっていないとは言わせないわ」

 と、頬を染めながらも拗ねたように睨んでくる、また少しずれている霧切さんなのであった。

「あの…そんなこと言われても。まだテーピングは終わってないし」
「わかってるわ。早く済ませてちょうだい」

 ツン、と目をそむけながらぶっきらぼうに言って、



「あ…でも、その…あまり触ったり、顔を近づけたりはしないで…」

 弱々しく付け加える。



 ――くそ、反則だ、さっきから。

 そんな弱々しい霧切さんを見せつけられるたびに、もっと虐めたくなってしまう。
 女の子を見て虐めたくなるなんて、僕はきっとおかしいんだ。


「ほ、ホントに匂ったりとかは全然しないよ」

 おそらく的外れだろうフォローをして、テーピングを巻くために霧切さんの足を近づける。
 少し、ブーツの革の匂いが残っているくらいだ。
 あとは彼女自身の、なんというか、女の子特有の石鹸のような匂いがするだけ。


 と、霧切さんは僕が足を嗅ぐと思ったのか、

「やっ…!」

 また高い声を上げて、とうとう足を引いて、僕の腕を振り払った。

 彼女は僕が掴んでいた右足を、これでもかというくらいに跳ね上げていて、





「あっ…」
「え…?」



 瞬間。




 それまで頭を占めていた、色々な問題。

 霧切さんに悪戯をしてしまったこと、霧切さんが怪我人だということ。
 更には遡って、初めて彼女と食堂で会話した時のことまで。

 それら全てが、僕の頭から消し飛んだ。




 ベッドに腰をかけている霧切さんの真正面に、僕は跪いて座っていた。
 保健室、開け放たれた窓からは涼しげな風が流れ込んできて、カーテンを揺らしている。


 優に、2~3秒。


 目をそらすことを考える前に、その光景が目に焼き付いてしまった。

 大きく跳ねあげた足は、必然、スカートを引き上げる。
 そのまま窓から入ってきた風を受けて、その布地はふわふわと舞う。

 僕の目と鼻の先、手を伸ばせばいとも容易く触れられる距離で。

 指で押せばどこまでも沈んでいきそうな、柔らかそうな太ももの奥に。

 靴下と同じ濃紺の布地は、彼女の肌の白無垢と綺麗なコントラストを成している。
 柄や装飾のない、それ故に大人びた雰囲気。


 霧切さんの、下着――




「「~~~~っ…!!!」」



 その数瞬を経て、僕達は同時に、弾かれるように動いた。

 霧切さんは、もう舞っていないスカートを、これでもかというくらいに自分の足に押し付けて。
 僕は、何も見ていませんとでも言うように、がばっと頭を下げる。

 けれど今更どうしたところで、その数瞬で起きたことを無かったことには出来ない。


「…見えた、のね?」
「…う、うん」


 確証を持って確認してくる彼女に、僕は正直に答えるしかなかった。


 ああ、なんで、よりにもよってこんな時に。
 今だって必死に自分の理性を押さえつけているというのに。


 少し意外だったのは、霧切さんもそれを気にしているということ。
 服の中に手を滑り込ませたり、生理だと発言することに躊躇はなかったのに。

 それは、羞恥心ではなく、もはや常識の欠落。
 そんな彼女が、今後上手くやっていけるのだろうかと心配していたのだけれど。
 さすがに、下着はダメらしい。

 どこかで安堵する。
 霧切さんに拒まれなければ、僕自身が再び理性を失くして暴走した時、止めるものは何もなくなってしまうのだから。

 でも。
 安堵している場合じゃなくて、今度は謝罪をしなければいけない。
 さっきの劣情とは、また別の話だ。

 こういう場合は、どんなアクシデントであれ、見た男が悪いのだと相場で決まっている。





「あの、霧切さん、ごめ」

「ゴメンなさい、苗木君…」



 そうして、謝罪の言葉を口にしようとした僕の頭上から、的外れな謝罪が届いた。

 僕が謝るはずなのに、その言葉を遮って。





「…、は?」

 思わず、伏せたばかりの顔を上げてしまう。

「あの、なんて…」
「だから、その…ゴメンなさい」


 聞き返しても、どうやら僕の聞き間違いではないようで。

 確かに彼女は、困ったような顔で、スカートを押さえてはいるけれど。
 その目に浮かんでいるのは、羞恥ではなかった。

「変なもの、見せてしまって」
「へ、変なものって」


 それは、『見られた恥ずかしさ』ではなく、『見せてしまった情けなさ』だった。
 申し訳なさそうに顔を伏せ、自分を恥じている。

 その仕種は、そのズレは――





「…霧切さん」





 今になって、まさかのこのタイミングで、ようやく気付いた。

 彼女と付き合ってきて感じていた、違和感の正体に。


 男子の食器を躊躇なく使い、目の前で服の中に手を滑り込ませ、堂々と生理だと告白し、
 倒れそうなくらいに体調が悪くても無理を通し、僕や周囲の人間には迷惑をかけまいとする。


 彼女は、

「どうして…?」

 女性としての自分というものを、丸っきり蔑ろにしていたのだ。




―――――




「どうして、というのは…何のことかしら」

「探偵、だったから…?」

「……苗木君?」


 以前、聞いたことがあった。

 探偵業は競争社会で、性別はなんの意味もないのだと。
 レディーファーストなんて存在しないし、むしろ男尊女卑のきらいもある。
 女性の方が能力的に劣るという偏見が強く、実力を認めさせるためにはなりふりを構っていられない。

 だから、彼女は。
 自分を女性として扱わないのだろう。

 だから、彼女は。
 自分の味方を作らないのだろう。


 それは、探偵社会では不利以外の何物でもなかったのだから。


「なんでそんなこと…変なものだなんて…」
「…」


 憤り。
 それは、彼女に対するものじゃない。

 僕が、それまで抱いていた憤りは。


「僕は、霧切さんの下着を見ちゃったんだよ…?」
「ええ。だから、ゴメンなさい、と」


「違うよ! 見られて恥ずかしいのは霧切さんでしょ!?」


「確かに恥ずかしいけれど、あなたにこんなものを見せてしまったことの申し訳なさの方が…」
「…」

 彼女を取り巻いていた、全ての環境。
 それに対しての憤りだったんだ。

「前から思ってたけど…霧切さん、おかしいよ」
「…また、怒ってるの?」

 また彼女は、ずれたようなことを尋ねてくる。
 怯えたような、笑みだった。

「私が変なものを見せてしまったから――」

「違う…!」



 いつか抱いた、疑問。
 彼女は『みんな』と話さない。

 その『みんな』とは、誰を指したんだろうか。
 その答えが、ようやく見つかった。


 彼女は常識を知らない。
 当たり前だ、常識は人と人との、『みんな』の中で作り上げるもの。

 霧切さんは、味方を作らない。
 たった一人で、今まで生きてきたんだろう。

 そんな彼女にとって、『みんな』とは。

 すなわち、自分以外の全員を指していた。


 だから霧切さんは、味方を作らない。
 自分以外の全ては、競争相手だったから。

 だから霧切さんは、自分を大切にしない。
 守りに入って少しでも弱みを見せれば、付け込まれるから。

 だから霧切さんは、自分を女の子として扱わない。
 だって誰も今まで、彼女を女の子として扱ってはくれなかったのだから――



「霧切さん」
「ええ…」
「霧切さんは、女の子だよね」
「…当たり前じゃない。言われなくても、分かっているわ」

 当惑した目を向けられる。
 ポーカーフェイスじゃない、何を言い出すのか、と、怯えた顔。


「女の子は……もっと、自分のことを大切にしなきゃダメだ」



 なら。

 それなら僕が。



「男子の使っていた食器をそのまま使ったり、男子の前で服に手を入れたり、堂々と生理だって言ったり…そんなの、ダメだよ」


 僕が彼女に、常識を教えてあげなければ。
 僕が彼女の『みんな』になる。
 僕が彼女の味方になるんだ。


「どうして…?不快な気分にさせるの?」
「違っ、そうじゃなくて…」
「苗木君は…嫌、だった?」


「…嫌じゃ、なかったよ」


 そのためには。
 恥ずかしいことでも、正面から教えてあげなくちゃいけない。




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