女の子・エピローグ

 鍋に水、酒、鶏がらスープを入れて、小さめに切った鶏胸肉を煮込む。

 沸騰するまでの時間に野菜を細かく刻んで、数個分の卵も解いて。

「……」
「み、見られてると…緊張するんだけど」
「あら、最善を尽くしてくれるんでしょう?」

 そんな会話をしているうちに、スープが沸騰して、火を止めて灰汁を取り。
 刻んでおいた水煮筍やらキクラゲやらを、これでもかとたっぷり入れて、味をつける。
 とろみをつけるから、気持ちだけ味は濃い目に。

 あとは弱火で放置。
 食べる前に片栗粉、溶き卵と酢を入れれば、スープは完成だ。

 さて、と、次の獲物に取り掛かる。

 中華鍋に油を敷いて、カンカンになるまで温めて。
 溶いておいた卵を半分ほど入れて、半熟の内に白米も投入。
 潰すように炒めて、軽く混ぜたら、具材を入れるだけ。
 簡単だ。


「…緊張する、と言う割には、驚くほどの手際だけれど」
「そう?まあ、慣れてるから」
「これなら、調理実習であの盛り上がりも納得ね…」
「う…茶化さないでってば」

 今日のチャーハンは高菜と長ネギ。そして上から白胡麻を振りかける。
 もっと豪勢でもいいかなと思ったけれど、アクセントの強い高菜が入っているから、十分だろう。
 それに、他のおかずの量を考えれば、ご飯ものはシンプルな方がいい。


「苗木君、お皿はこれでいいのかしら」

 油の温度を見ている隙に、霧切さんは裏の戸棚を開けて、深皿を僕に見せてくる。

「あ、それじゃなくて、上の平皿……って、何してるの」
「見てるだけと申し訳ないし、手伝おうと思って」
「い、いいよ!全部僕がやるから」


 ただでさえ、あれほど重い罪を犯して、こんな軽い償いで許してくれるというのに。
 その相手に手伝わせては、もう立つ瀬が無くなってしまう。


 そうこうしているうちにも、一品、また一品と出来上がり。

 得意、とまで言ってしまったからには、中途半端な事は出来ないと。

 調味料選びから始めてしまった霧切さんへの御馳走は、満漢全席…とまでは遠く及ばないけれど、


「…二人で食べきれるかしら」
「余ったら、みんなにもお裾分けしようか」


 テーブルを埋め尽くす皿、皿、皿。

 そんな、豪勢な食卓になってしまったわけである。






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 弾丸論破 ナエギリSS 『女の子・エピローグ』
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「…正直、甘く見ていたわ」



 自身作の酢豚を一口、もう一口と放り込み、ゆっくりと咀嚼して。
 沈黙に耐えきれず感想を求めて、出てきた答えがそれだった。

「え、と…どう?お口に合うかな、なんて…」

 個人的には、かなり上出来だったんだけど。
 鮮やかな彩りを失わない野菜の揚げ具合から、合わせ調味料の配合まで。

 けれど、そのポーカーフェイスで黙られてしまうと、段々と弱気になってくる。

「苗木君」
「はい…」

「花嫁修業は完璧ね」



 …からかわれているのだと理解するまで、三秒もかかってしまった。


「料理に文句がないなら、別に良いんだけどさ…」
「文句どころか…食に詳しくない私が品評してしまうことが、失礼に感じてしまうくらいよ」
「そんなことないよ。でも一応、ちゃんとした言葉で誉めて欲しいな」
「…ええ。美味しいわ、すごく」

 そう言って、また一口。
 今度はスープにも手を伸ばし、

「……、美味しい」
「ホントに?」
「ええ…ごめんなさい、上手く言葉で言い表せなくて。でも、本当に美味しいわ」
「いいよ、グルメリポーターじゃないんだから」


 美味しいものを食べた時の感想なんて、『美味しい』で十分だ。
 言葉が邪魔になってしまう時だってある。

 それに、霧切さんの食べる姿を見ていれば、尚更必要ない。

 一口、また一口。
 ゆっくりだけど、箸は止まらず。
 表情も、こころなしか少しだけ綻んでいるように見える。



 そうやって僕なんかの料理を美味しそうに食べてくれるだけで、僕もある意味満腹と言うか。


「……あなたは本当に、幾度注意しても治らないわね」

「え、えっ!?」

 不満そうな、そうでもないような彼女の瞳が僕を捉えて、ギクリとする。


「僕、まだ何も言ってないのに…」
「そっちじゃなくて。私が食べている姿はそんなに面白いのかしら?」
「あ……、ゴメン」
「…だから、謝らないで。これも何度も言っているわ」


 目を伏せて、僕も食卓へ向かう。
 レンゲで取り分けて、カニ玉を一口。

 …うん、タレの甘酸っぱさが絶妙。
 本物のカニを使うわけにもいかないから蒲鉾で済ませたんだけど、存外悪くない。


 カチャ、カチャ。


 食器が触れ合う音だけが響き合う。

 会話は特にはない。
 クラスと寮が同じだけの、僕と霧切さんの食事は、いつもこんな感じだ。



 確かに、傍から見たらもの寂しいかもしれないけれど。

 今は、これが一番いいと思える。
 どちらかが無理をして歩み寄るのではなく、お互いにちょうどいい距離を保って。





「――美味しかったわ、御馳走さま」


 カタ、と。
 テーブルの反対側で、霧切さんが食器をおいた。

「もう食べたの?」

 まあ、彼女ならそれもありそうだな、と思って皿を見れば、

 そんなことは全然なくて、まだ食事はだいぶ残っていた。

「……食べないの?」
「ええ」

 どうしたんだろう。
 いつもの彼女らしくない。

 皿の上から食材を殲滅するまで容赦なく食べ尽くす女傑のはずなのに。

「……あなた、今失礼なこと考えてない?」
「そ、そんなことないけど」

 また思っていることを見透かされた気がして、ギクリとする。
 彼女には、隠し事が出来ないのかもしれない。

「食欲、ないとか?あ、まだ体調悪かったり…」
「いたって健康体よ」
「そう…?」


 けれど、霧切さんがいつもの霧切さんじゃないのは、よく見れば明確だった。

 料理の方をじっと見つめて、ぴしっと礼儀正しく、手は膝の上に置いて。
 ちょっと肩に力が入っているように見えなくもない。

 間違い探しのような、微々たる変化だけれど。
 ようは、ちょっと様子がおかしいのだ。


「…」

 実は美味しくなかったのだろうかとも考え、彼女が食べていた酢豚を一口食べてみる。

 …うん、美味しい。
 酸味が少し効いているけれど、食べにくいレベルではない…と思う。


「苗木君…どうかしたの?」
「え?いや、霧切さんあまり食べてなかったから…あまり口に合わなかったのかな、と思って」
「まさか」

 とんでもない、という風に、一瞬だけ慌てて見せる。

「それに、私の性格はよく知っているでしょう。美味しくないものは正直に言うわ」
「…ああ、うん、それもそうか」
「……納得されると、それはそれで複雑ね」

 今度は僕が慌てて、彼女から視線を反らす。

 確かに、霧切さんは優しい人だけれど。
 自分に不利益のあること以外には、嘘はつかない。
 美味しくなかったのなら、『申し訳ないのだけれど、私の口には合わなかったわね…』くらいの反応があるはずだ。

「と、すると…なんで?」
「なんで、って…何が?」
「だから…いつもと比べて、全然食べてないからさ。どうしたのかな、と思って」


 よくよく見れば、不信は至る所に転がっている。

 まず、彼女は用意されていた料理をきっちり半分ずつ残していた。
 普通、残してしまうのなら自分の好き嫌いによって残る量に偏りが出てしまうだろう。
 けれどどの皿も、ちょうどぴったり半分、線を引いたかのような正確さで残されているのだ。

 次に、彼女自身の挙動不審。
 姿勢は正しく保たれ、相も変わらずポーカーフェイス…なんだけど、どことなくぎこちなさが残る。
 時々もぞもぞと居心地悪そうに動いては、料理と僕の顔を見比べるように視線を交互させ。


 というか、その視線もどこかおかしい。


 親の仇でも見るように、まだ湯気を立てているスープを恨めしげに睨みつけ、少し目を閉じる。
 それから僕に顔を戻し、『なんでもないわよ』と主張するようにポーカーフェイス。
 けれども段々と視線は食卓に移っていき、今度は唐揚げのネギソースへ。
 睨むような視線が徐々に解けていき、あ、今、生唾を飲み込んだ。



 その仕種に、僕は見覚えがあった。


「……霧切さん」
「何かしら」
「もう食べないの?」
「……、そう、ね」

「ほら、この唐揚げなんか……柔らかいもも肉にしっかり下味をつけて、ごま油で風味をつけてみたんだけど。
 卵に少しつけてから揚げて、肉汁も閉じ込めたんだ。その分、ネギやタレの辛さにアクセントをつけてさ」
「ええ……、ええ、美味しかった…美味しかったわ」


 言葉に釣られて唐揚げを凝視する彼女の目線を見て、僕は確信する。


「ホントにもういらないの?」
「……」
「そっか…霧切さんに食べて欲しかったんだけどな」
「…そういう言葉は卑怯よ、苗木君」
「え?何が?」
「…なんでもない」

 ふい、と目を反らしながらも、反らしきれずに彼女は食卓の上を見る。
 その表情からはもう、心情を隠すための仮面が剥がれおちていた。



「――霧切さん、実はまだお腹が減ってるんじゃないの?」

「!!」


 その彼女の驚きようを見て、やっぱり、と確信を強くする。


「そんなこと…もう、お腹一杯で、」




 キュルルリル。



 漫画みたいなタイミングで、彼女の腹の虫が鳴る。


「……ぷ、くっ…」

 思わず堪え切れず、僕が笑いを洩らせば。

「……どうして、わかったの?」

 いつぞや素足を晒した時のように、彼女は頬を染めてみせた。



「うーん…まあ、理由は色々かな。普段食べてる量って言うのもあるし、綺麗にお皿に半分ずつ食材が残されてるし」
「なるほど…料理人の目は欺けないわね」

 真っ赤のまま目を伏せて、悔しそうに唇を噛んでいる。

 相変わらず、彼女の恥ずかしがるポイントはわからない。
 下着を見られるのは大丈夫なのに、素足を見られるのは恥ずかしい。
 男の前でモリモリと食べるのは大丈夫なのに、お腹が空いているのを見透かされるのは恥ずかしい。


 それは追々理解していくとして、一つ訂正。



「――料理人は、関係ないと思う」

「え?」

「やっぱり、自分では気づいてないんだ。霧切さんの目、すごく輝いてたよ」


 料理を見ている時ね、と、いつぞやの意趣返しとばかりに、指を立ててみせる。


「あ、……」
「否定しないってことは、図星。そうなんだよね?」

 彼女はこれ以上ないくらいに顔を真っ赤にさせて、



「……苗木君、意地が悪いわ」

 少しだけ困ったように笑い、自分の敗北を認めた。

「今日くらいはお返しを、と思って」
「何の?」
「日頃お世話になっているのと、日頃からかわれているのと」
「…前者のお返しは、ありがたく頂くけど」

 そう言って憮然と差し出されたお皿に、ふわふわのカニ玉をよそう。



「けれど…からかっている、だなんて心外ね。私がいつ、苗木君をからかったの?」


 カニ玉を受け取りながら、彼女は笑う。

 …危険な笑みだ。
 反撃ののろしとか、そういう類の。


「いつ、って…ついさっきも、花嫁修業がどうとか」
「あら、からかっただなんて。あれは私なりの愛情表現なのに、傷ついちゃうわ」
「愛っ…!?…そ、そういう、冗談はダメだって言ったじゃないか…」




「あら、冗談じゃないわ。私、苗木君のこと結構好きなのに」
「……、はいはい…」

「――勝手に人を信用して、無防備な笑顔を晒してくる所なんか、特に」


 クスクスと、楽しそうに彼女は笑う。
 まあ『結構』とか付く時点で、本気ではないことは分かっている。


「――じゃ、僕も霧切さんのこと、結構好きだよ」
「あら、ありがとう」


「……」
「……」

 彼女に対抗して、どこが好きかなんてからかい半分で例を挙げてみようとして。
 そういえば僕は、霧切さんのどこを好きになったんだっけ、と、考え込んでしまう。

 どうしよう。
 ここが好きなんだ、と一つだけに限定して挙げるのは、ちょっと難しい。

「…」
「…」


 沈黙が流れる。

 それまでカニ玉をつついていた彼女も、所在なさげに僕の方を見る。
 どうしよう。


 いつもいつも僕をからかってくる時に見せる、落ち着いた笑顔には癒される。

 けれども妙な所で優しいというか気遣い屋で、思いやりを忘れない所も魅力的だ。

 人には迷惑をかけまいと、自分に無理を強いるところは放っておけない。

 そのくせ人が困っていれば、自分から差し伸べることはなくとも、助けを求める手を握ってしまう優しさもあって。


「…どうしたの、苗木君。降参かしら?」


 目の前で、挑戦的にほほ笑む彼女の。

 その全てが全て、好きな所なのだから。





 惚れた方が負けと言うならば、


「…そうだね。やっぱり霧切さんには敵わないよ」

「…何か、含みのある言い方ね」

「ううん、別に」



 あの日、食堂で隣り合った時から、この勝負は決していたんだろう。






「……。まあ、いいわ。美味しいご飯も食べさせてもらったのだし、今回は見逃してあげる」
「それはどうも。ちなみに、作り置いていたデザートも待ち構えているんだけれど」

「…そういうことなら、次は私の番ね」

 そう言って、霧切さんは席を立つ。
 その言葉の意味するところが分からずに、僕は首を傾げた。


「デザートのお供にコーヒーはいかがかしら?飛びっきり美味しいフラペチーノを御馳走するわ」
「え?いいの?」
「…私もあなたに、迷惑をかけたから。その謝罪とお礼を」


 まあ、そういうことなら、遠慮なく。

 それに以前の霧切さんの話に出てきた、本場のフラペチーノというのも気になるし。
 専用のシェイカーを持っていないと難しいという話だったから、作ってもらえるなら本当に嬉しい。
 味の方も、霧切さんのこだわりに任せれば、これ以上に無い一品を頂けるはずだ。
 それこそ、詳しくない僕が品評するのは失礼なくらいに。


「…先に言っておくけれど、変に期待はしすぎないでね」

 やっぱりそれを見透かしたかのように、彼女は付け足す。
 流しに向かうために、空になった皿を片づけて。

「うん。霧切さんが御馳走してくれるだけで、嬉しいから」
「…そうやってプレッシャーをかけるのも禁止」

 僕が厨房に立っていた時には、その視線やら問いかけやら期待やら、延々とプレッシャーをかけ続けられたのに。
 まったく理不尽な話である。




「そういや、最後に」

 食器を流し台へ持っていく彼女の後姿に、僕は尋ねた。

「結局、どうして半分も料理を残していたの?」

 空腹がばれた途端に食事を再開し、結局全ての皿を平らげてしまった少女の背中に。




「――だって、あなたが言ったのでしょう。女の子らしい女の子が好きだ、と」

「へ?」



 ちら、と、彼女が首だけ振り返って視線を送る。
 言っただろうか、そんなこと。

 女の子らしく振舞ってほしいとは言ったから、それを少しだけ間違って捉えてしまったのだろう。

 だとしたら、それは大きな誤解だ。



「僕はね、霧切さん」

「…」

「遠慮して我慢して食事を残して、ダイエットする頑張り屋な女の子よりも」

「……」




「作ったご飯を美味しそうに食べてくれる女の子の方が、好きだよ。霧切さんみたいな」




 カタ、と、彼女の腕の中で、食器が揺れる。



「…もう、からかわないで。今日の苗木君は、意地が悪いわ」




 霧切さんは振り向かずにそう言って、流し台へと消えていった。

 その表情は見えなかったけれど、見る必要も無かった。
 どうせまたいつものポーカーフェイス。
 それでも最近は、少しだけ豊かな表情を見せてくれるけれど。


 けれど。

 それ以上に、リンゴみたいに真っ赤になった彼女の耳が、今度は僕の勝ちだったと、伝えてくれたから。





 さあ、久々にこんな大量に料理をして、疲れてしまったことだし。

 彼女の入れてくれるコーヒーくらいは、任せてゆっくり待つとしよう。




 この話のように、冷たいけれど、それはそれは甘いフラペチーノを。



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