ナエギリ晴耕雨読 第三話『ちょっと時間が空いたので。』

 晴れたわね、と霧切さんが言った。


 降り止まない雨にうんざりしていたのが二日前のことで、6月の最高気温が記録されそうだとの声に慌ててエアコンの掃除をしたのが昨日。
 ぐいぐいと上昇する気温と湿度に耐えかねて、何かに負けた気分になりながらエアコンのスイッチを入れたのがつい二時間前のことだ。

 ボクらは何故か、校庭に立っていた。

「暑っつう………ねえ、そろそろ理由を教えてよ、霧切さん」
「そろそろ、ね」

 霧切さんは振り返りもしない。技術の進歩に敬意を払ってもといダラダラと涼んでいたかと思えば、一言「空気が淀むわ」とエアコンのスイッチを切り、ふらりと外に出たのだった。
 校舎の影になっている所を選んで歩いているあたり、好き好んでこんな所にいるわけじゃないと思うのだけど、ボクに推理できたのはそこまで。

 あ、あともうひとつ。エアコンを切りあまつさえ電気まで消したということは、ボクについてきてほしい、ということなのだろう。………多分。

 日陰とはいえ、この湿度はどうしようもない。際限なく滴り落ちる汗を手の甲で拭いながら、ふと霧切さんは暑くないのだろうかと考えた。
 ボクより少し大きめのコンパスでスタスタと歩く霧切さんは、未だ目的地を教えてはくれない。
 些細な悔しさと置いてけぼりの悲しさを開くのもおっくうな口に全部乗っけるつもりで、ボクは彼女の背中に問いかけた。

「ところでさ。暑くないの、霧切さんは」
「暑いに決まってるでしょう」
 歩くたびに揺れる銀色の隙間から覗く首筋には、汗の一滴も見当たらなかったように思えた。
 日焼けからは縁の遠そうなしろい肌。黒の手袋はむしろ暖をとっているようにさえ見える。

 衣替えと称して当たり前のように半袖になったボクらクラスメイトは、当たり前のように半袖に手袋という出で立ちの霧切さんに愕然として。
 最初こそ女子の中で突っ込んだりもしていたようだけど、今となっては誰もその話題に触れる人はいない。案外寛容なクラスである。
 春服では見えなかった腕の白と、手袋の黒のコントラストが眩しくて、ボクは変な気分になりそうだった。半分ぐらいはこの暑さのせいだけど。


 晴れたわね、と霧切さんが言った。

 校舎の曲がり角、その直前で霧切さんが足を止めた。ここが目的地、ということなのだろうか。
「何も、ないよね」

 利用しているのかしていないのかわからない、校舎の影になっているところ。霧切さんが立ち止まっているから、その先はボクには見えない。

「苗木君」
 ちょいちょいと手招きをする霧切さん。珍しい仕草だ。
「なに、どうしたの」
「そこからじゃ見えないのよ」
「何の話? とりあえず、そっちに行けばいいんだね」
「………貴方は素直ねえ」
「だから何の話さ」

 さっぱり要領を得ないまま、霧切さんに促されるまま角をまわる。

 ――アジサイがそこにあった。

「う、………わあ」

 正確にはアジサイだったもの、と表現するのが最も近いだろう。花は萎れ、僅かばかり日に当たった部分が茶色く変色している。
 校舎に沿うようにして咲いていただろうアジサイたちは、今は数えるほどしか残っていない。
 振り返ると、ブラインドを下ろしたボクらの部室が見えた。
 ほんの何日か前、あの部屋から見下ろしたアジサイだった。

「……霧切さんは、これを見せたくて?」
 こっくりと頷く。霧切さんに似ていると、そう言ったアジサイ。霧切さんは覚えていてくれたのだろう。

 ボクが育てていたわけではないのに、殆どが枯れてしまったアジサイはひどく残念だった。

「――苗木君、ありがとう」
「………え?」

 ひどく似つかわしくない、いやボクにふさわしくない言葉をもらったような気がした。慌てて顔を挙げて、そこでボクは初めて自分がうつむいていたことに気づいた。

 霧切さんはもうボクを見ていなかった。手を庇にして、眩しそうに空を仰いでいる。口元には微かに笑みが浮かんでいる。
 ボクも彼女に倣った。

 大きな入道雲。どこまでも、どこまでも続いていきそうなほどに広がる空。夏の青空がそこにはあった。


 晴れたわね、と霧切さんが言った。

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