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「ロマンチックな話だよね…天の川の向こう側にいる恋人に会いに行けるだなんて」
「他人の悲劇を勝手にドラマチックに盛りたてるのは、ロマンというより趣味が悪いと思うわ」


ロマンチストを気取るわけではないけれど、彼女の現実主義の前ではどんなラブロマンスも形無しだ。


「……、ゴメン」
「何を謝っているのかしら。別に責めているつもりはないのだけど」

本日、七月七日。
新暦に基づけば、世間的には七夕ということになる。

それに則って、夏祭りが行われる地域も多い。
寮の向かいの通りには、今年も学生客を当てにした出店がずらりと並んでいた。

学校帰りに彼女を誘ってみると、存外簡単にOKを貰えた。
僕としては、出店の代金を全部持つくらいの覚悟で誘ったんだけれど。
こういうイベントは、意外と好きなんだろうか。

濃紺の浴衣にポニーテール、手には水玉模様の水風船。
普段の恰好からは想像もつかないくらい、彼女に『和』は似合っている。
というよりも、『和』の方が彼女に似合っていると言っても過言ではないくらい。

ちなみに僕はと言えば、ジャージで行くつもり満々だったんだけれど、
浴衣姿の霧切さんが無言で何かを訴える視線を投げかけてきたので、地味な柄の甚平を引っ張りだしてきた程度だ。


「日本にはそういうイベントが多すぎるわ。バレンタイン然り」
「でも霧切さんチョコくれたよね」
「……、まあ、あなたには普段お世話になっているから」
文句はあれど、イベント自体を否定するつもりはないらしい。
というか、むしろ自分から積極的に参加しているきらいもある。

「…それにしても苗木君。あなたはこの七夕というイベントに疑問は感じないの?」
話を逸らそうとしているのがバレバレの話題転換。
というか、浴衣に水風船を携えて、思いっ切り満喫しているくせに、その台詞に説得力は宿らないだろう。

なんて、僕が言えるはずもなく。

「七夕の『牛郎織女』の話は、ちゃんと理解しているのよね?」

――働き者の牛飼いと、働き者の織女が恋に落ちました。
牛飼いは名を夏彦といい、織女は名を織姫と言いました。
織姫の父親は天帝で、彼は二人の結婚を認めました。

――しかし夫婦となった二人は、結婚生活の楽しさに働くことを忘れます。
これに怒った天帝は、二人を天の川を隔てて引き離してしまいます。

――悲しみにくれる織姫に、天帝は言いました。
心を入れ替えて真面目に仕事をするならば、一年に一度、彼に会わせてやる、と。

「…って感じ、だよね?」
「まあ、中国起源の大元の話とは少しずれているけれど、そんな感じでしょうね」

とりあえずは及第点をもらえてホッとする。
けれども、それも束の間。彼女にとっては、ここからが問題なのである。

「でも、もともとは七夕と牛郎織女、この二つには何の関係性も無いのよ」
「そうなの?」
「日本の習俗と中国の伝説をごちゃ混ぜにしただけよ」

…それは、なんというか、ちょっと知りたくなかった雑学だ。
てっきり僕は、『願いを叶えてくれる七月七日という日にあやかって』的な事だろうと思っていたのに。
たしかにそれを知っていれば、ロマンチックもあったもんじゃない。

「それに、その牛郎織女の話にしても、気に食わないわ」
「…ああ、結婚してから働くことを忘れて、って下りでしょ」
「そうよ。よくわかったわね」

霧切さんはなんとなく、そういう公私の別をきっちりしそうなイメージがある。
家庭は家庭、仕事は仕事。そうやって自分にルールを課すことが出来る人だ、彼女は。

「自分の役割も忘れて遊び呆けるなんて、見ていられないわ」
「でも、そこはさ、ホラ、伝承だから。『真面目に働かないとこうなるよ』みたいなことを言いたかったんじゃない?」
「…訓示的な意味合いが強い、ということ?」
「ん? んー…まあ、そうだね。織姫と彦星が悪いとは、一概には言えないんじゃないかな」

僕は少し、彼らの気持ちが分からないでもない。

もしも、好きな人と永遠を誓いあえたなら。
仕事も、世間も、使命も。
何もかも投げ捨てて、ずっと二人だけの幸せな時間を享受したいと思ってしまう。
それが、僕みたいな凡人の思考。
たぶん、霧切さんに真っ向から言っても、否定されるだけの。

だから、せめて彼らを庇うくらいは、してあげたかったのだ。


「――でも、それもあるけれど」

僕達は夏の風物詩と出店を満喫して、トボトボと寮へと帰る所だった。

学校を終えて、通りに出てきた頃は、まだ夕日も落ちきっていなかったけれど。
思っていたよりも長い時間、外にいたのだろう。


見上げれば、群青色の空に、宝石を散りばめたような光の束。


「一番許せないのは、『一年に一度会える』という不幸をロマンチックだと解釈してしまう、私たち人間の都合の良さ、ね」

祭りの通りから少し離れた車道を、僕らは歩いていた。
車も人影もほとんどなくて、広い道のど真ん中で、僕らの距離は割と近く。

「辛すぎるでしょう。一年に一度しか、好きな人に会えないなんて」

彼女との歩幅は、同じくらいだけれど。
霧切さんは、僕の少し前を歩いている。

「苗木君、あなたはどう思う?」
「どう、って?」

立ち止まって、彼女は振り向いた。
僕も、それに合わせて立ち止まる。

霧切さんの顔は、いつも通りのポーカーフェイス。

けれどその声は、凛とした響きがあるのに、今にも震えだしそうなくらい儚いものに感じた。


「例えば…私がすごく遠くに行ってしまって、一年に一日しか帰れなくなってしまったら」


それが、何を指しているのか、僕にはわからなかった。

ただ、高校を卒業した後、彼女が日本を出て行くであろう事情を、なんとなく僕は知っていた。


「……すごく、寂しいよ。でも」
「でも?」
「たぶん、その寂しい分だけ、我慢した分だけ、その一日は尊いものになると思う」

どれだけ会えない時間が辛く、長くても。
それを越えて再会できた時の喜びは、それまでの辛さも、長さも、吹き飛ばしてしまうくらいの価値があるはずだ。


「ずっと一緒にいられる方が、もちろん良いに決まってるけどさ」
「……そう。あなたらしい、前向きな意見ね。素敵だと思う」
「うん。ありがとう」

「……けれど、私は耐えられないわ。あなたみたいに、強くないのよ」

心の読めない表情のまま、彼女は前に向き直って、再び歩き出した。
心なしか、歩幅が広くなったように感じた。


「…ねえ、霧切さん。今度は僕が質問していいかな」
「何?」
「さっきの例だとさ、まるで僕達二人が――」

「待って、苗木君」

続けようとした言葉を、彼女に遮られる。

まるで、その先の言葉は聞きたくない、とでも言うようなタイミングで。

そしてそこで、ようやく彼女は立ち止る。
立ち止まって、正面を向いたまま、

「…鼻緒が、解けてしまったみたい」

履いている下駄の方も見ずに、彼女は言った。


「悪いけれど、先に行っていてくれる? 結び直したら、私も追いつくから」


そう言って、彼女が振り返る。

下駄の鼻緒は、解けてなんかいなかった。


「…いいよ、待ってる」
「先に行って。待たせてしまうわ」
「うん、だから待ってるよ」
「私のことは気にせず、先に行ってて」

言葉だけ繰り返して、彼女は動こうとしない。
下駄に指を伸ばすことすらも、しようとしなかった。

こちらは決して見ずに、言葉だけで僕を突き放す。
たぶん先に行ってしまったら、彼女が僕を追いかけてくることはないのだろう。

彼女の無表情ともとれるポーカーフェイスに、色が宿った気がした。

「私なら、大丈夫だから。あなたを待たせている方が…私も、辛いから」

その色は、とても辛そうで。
短冊に書いても叶わない願いがあると知った、子どものような表情だった。

「僕が自分で待ちたいから、霧切さんを待ってるんだ。結び直すまで、ずっと待ってる」
「苗木君、お願いだから…」


彼女がようやくあげた顔が、どこか辛そうだったので。

「…来年の今日までかかっても、ずっと待ってるよ」

僕は余計なひと言を、付け足してみた。

一瞬だけ、彼女の目が見開かれた。
ポカン、と、擬音がついてきそうな勢いだった。

それと同時に、僕の顔が急激に熱を帯びていくのを感じた。


「…苗木君に彦星役は似合わないわ」


一拍置いて、霧切さんが噴き出す。
滅多に見られない、珍しい彼女の破顔だった。

「うん、自覚はしてる…」

それくらい、おかしいことを言ったのだと。


「ねえ、苗木君」
「うん?」

「鼻緒を結い直すの、面倒になってしまったわ」

最初から解けていない紐を隠すように、彼女は片足の下駄を脱いで拾い上げる。

「寮まで、負ぶっていってくれない?」
「え、ええ!?」
「…何よ。来年の今日まで待つより、ずっと楽でしょう」
「そ、そりゃそうだけど…」

少しだけ不機嫌そうに眉を寄せて、それからまた意地悪い笑みを浮かべる霧切さん。

「で、でもまずくない? 学校の近くだし、誰かに見られたりとか…」
「みんな出店を回っているし、大丈夫よ」
「で、でも…霧切さんも、嫌でしょ? 僕なんかに背負われたり…う、わっ!?」

僕の言葉なんてまるで聞かずに、彼女は僕の後ろに回って、背中に体重を預けてきた。
必然、倒れないように、僕は彼女を後ろ手で支えてしまう。

柔らかい彼女の体が密着して、僕の方が情けなくも悲鳴をあげてしまいそうになる。

「生意気ね。彦星のくせに、口答えするの?」
「べ、別に彦星って、織姫の部下とかそういうんじゃないと思うんだけど…」
「ほら、早く寮につかないと、誰かに見られても知らないわよ」
「見られて困るのは、僕より霧切さんじゃないかな…」


―――


彼らが祭りで書いた短冊は、
翌日その光景を見ていた、心ない出歯亀達によって晒されてしまうわけなのだが、

あまりにも純粋な二人の願い事に、出歯亀達の方が大批判を喰らったのは言うまでもない。

『天の川の向こう側に戻っても、織姫が笑って暮らせますように』
『残された彦星が、来年も織姫を待っていてくれますように』


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