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 祭りとは人々を日常性から解放する『非日常』の場……なのだそうだ。
 道すがら霧切さんに教えてもらったことの受け売りだが、今の彼女を見ているとなんとなく分かる。

「どう、霧切さん。感想は?」
「まだ来たばかりじゃない。感想を求めるには早いと思うけれど」
「あ、ああ……それもそうか」

 僕の隣を歩く彼女は、見慣れたシャープなシルエットの洋装の代わりに白地に臙脂色で萩の柄をあしらった浴衣に身を包んでいる。
 銀色のロングヘアはフルアップに結われていて、襟から覗く白いうなじがとても眩しい。
 黒革の手袋は浴衣に不釣合いといえばその通りかもしれないが、僕にはいいアクセントになっているように思える。
 足元から聞こえてくるのは、ブーツの踵の音ではなく白木の下駄が奏でるカランコランという音。
 お陰様で今日は彼女との身長差がほんの少し縮まっていて、僕にはそれがちょっと嬉しかったりする。
 きっと下駄を履き慣れていないためだろう。
 いつもはコツコツ小気味良いリズムで響く彼女の足音が、今日は幾分ゆったりとしたテンポを刻んでいる。

「でも……悪くないわ。今のところは」
「そっか。霧切さんの住んでた国のお祭りと比べて、どう?」
「そうね。レトロな雰囲気と華やかさが溶け合っていて……ちょっと独特かもね」

 いつものようにクールな表情を保ってはいるものの、彼女のテンションがいつになく高いことが僕にも感じ取れる。
 出会ったばかりの頃の僕ではきっと気付きもしなかったであろう、ほんのささやかな雰囲気の違いがそれを教えてくれた。
 日本的なものに関心があるのだという話は以前に聞いていたけれど、縁日の雰囲気はばっちり彼女のお気に召したようだ。
 霧切さんの瞳の奥には隠し切れない静かな興奮が宿っている。
 左右に立ち並ぶ出店の列を興味深げに見回す姿は、しばし童心に返っているかのようでなんとも微笑ましい。

「あら」
「ん、どうかした?」

 霧切さんが指差した先には、一軒の屋台。

「りんご飴……まあ定番だね」
「そうらしいわね。前々からちょっと興味があったのよ」
「でも、あれって見た目より結構ボリュームあるよ? 大丈夫?」
「ご忠告痛み入るわ。だけど、折角の祭りなのにそんなことを気にするのって馬鹿らしいと思わない?」

 僕に向かって微笑むと、霧切さんは屋台へ小走りに歩を進めていく。
 どこかあどけなく見える、僕にとって初めて見る種類の彼女の笑顔だった。

 ◆ ◇ ◆

 学園にほど近い神社で三日に渡って催されるこのイベントがクラスメートの皆の話題にのぼったのは、数日前のこと。
 皆で一緒に行ってみないかという桑田君の提案は多数の賛意により滞りなく採決され、日取りは最終日にあたる明後日に決まった。
 にも関わらず、初日の今日僕らがここにいるのは、つまり抜け駆けというやつだ。

「皆の前で恥をかきたくないから、予め自分の目でどんなものなのか確かめておきたいの。付き合ってもらえないかしら?」

 なんでも霧切さんは、生まれてこのかた日本の夏祭りを訪れる機会が一度もなかったのだそうだ。
 海外生活が長かったというし、探偵として多忙な日々を送ってきたことを思えば、無理もない話なのかもしれない。
 そんな彼女のお願いを受けて、僕らは二人だけでこっそりと『下見』もしくは『予行演習』にやって来たという訳だ。
 とはいえ、果たしてそこまでする必要があるのか?という疑問を感じないでもなかった。
 同じ寄宿舎で暮らしているのに、指定された待ち合わせ場所が神社最寄りの駅前だったのもちょっと謎だった。

 けれどまあ、今となってはどうでもいいことである。
 待ち合わせ場所で浴衣姿の霧切さんを見つけた時には、そんな疑問は僕の中から綺麗に吹き飛んでいた。
 どこか緊張した面持ちの霧切さんは、和装のたおやかなラインも手伝ってか、いつもとは違った空気を纏っているかのようで。
 思わず見蕩れてしまう僕の視線が無遠慮に過ぎたからか、『恥らうように少し俯く』という彼女には異例のリアクションを見せて。

「……やっぱり、似合っていないかしら」
「ううん、良く似合ってる。凄く綺麗だよ」

 雰囲気に当てられたのだろうか、歯の浮くような台詞が躊躇なく口から出てくる。

「……ありがとう」

 霧切さんは目を伏せたまま、彼女らしからぬ囁くような声で言った。
 その頬がほんのり朱に染まっていたのは、僕の見間違いではなかったと思う。

 だから、そう。
 『下見なのにそこまで気合を入れて完全武装しなくてもいいんじゃ?』だとか。
 『どこで着替えたんだろう? 他の誰かには見られたくないだろうし寄宿舎じゃないよな?』とか。
 新たに湧いてきた疑問も、気にするほどのことじゃあないのだ。

 ◇ ◆ ◇

「見た目は綺麗だけれど、ちょっと大味ね」

 右手のりんご飴を見つめながら、左手の人差し指を頬に添えて霧切さんが呟く。
 言葉に反してがっかりしたような様子はなく、むしろ初めて触れる物に対する好奇心で声が弾んでいる気さえする。

「まあ、どちらかというと味よりも雰囲気を楽しむものかもね。りんご飴って」
「雰囲気?」
「うん。『お祭りに来てるんだなあ』って気分をさ」
「ああ……なるほど。なかなか素敵な考え方ね」

 そう言うと、霧切さんは再びりんご飴を舐め始める。

 霧切さんは探偵だ。
 常に周囲から一歩退いた立ち位置を堅持し、自分を抑え、中立たることを求められる。
 僕にとっては非日常の、そんな世界で彼女はずっと生きてきた。
 だけど今日の霧切さんは、初めての縁日というささやかな非日常の中、守るべき自身の有りようからほんの少しでも解放されているように見える。
 そんな彼女の姿が僕にはとても嬉しくて、そして愛おしい。
 僕もまた、『縁日でテンションの上がっている霧切さん』という非日常をかみ締めているといったところか。
 アプローチの仕方は少し異なっているけれど、僕と彼女はこの縁日という場において非日常を共有し、満喫している。
 そのことに、僕はいいようのない幸福感を覚えるのだ。

 ――などとそれっぽいモノローグを頭の中に流して気を紛らわせようとしてみたのだが、やっぱり駄目だった。
 お囃子の音を打ち消さんばかりに鳴り響く心臓の音を聞きながらも、僕の目は彼女に釘付けになっていて、逸らすことができない。
 視線の先では霧切さんが僅かに目を細め、硝子細工のような飴の上にぺろりぺろりと赤い舌を這わせている。
 なんというか、こう……反則的だ。
 綺麗な女の子がりんご飴を舐めるている、ただそれだけのことなのに凄まじく危険な感じだ。
 これもまた、祭りの齎す非日常の一環なのだろうか。

「どうかした?」

 そしてそんな僕の様子に霧切さんが気付かないわけもない。
 小首を傾げる動作にあわせて、アップに纏められた銀髪がかすかに揺れる。

「え!? あ、や、なんでもないよ! あの、ほら、僕もなんだかお腹が空いてきたかなあ……なんて」
「? そう……」

 自分でも挙動不審になっていることは分かるが、如何ともし難い。
 少し不思議そうにしてはいたものの、霧切さんはそれ以上何も言わなかった。
 どうも僕のおかしな態度の理由に本当に気付いていないようだが、この場の空気には彼女の洞察力をも鈍らせる力があるのだろうか。
 それとも、自分の所作が異性から見て極めて破壊力に富むものであることを素で理解していないのか。
 なんにせよ、いつもの調子で追求されなかったことに僕は内心胸を撫で下ろしていた。
 ……のだが。すっ、彼女の右手が差し出される。

「少し、齧ってもいいわよ」
「は……なっ、えぇ!?」

 そこにあるのはりんご飴。
 紛うことなき、彼女が舐めていたりんご飴だ。
 思わぬ方向から迫ってきた追撃の手に、僕は周章狼狽するほかない。

「……冗談よ」

 霧切さんが、僕の慌てようを見てふっと笑う。
 僕をからかった後のお馴染みの顔。僕の『日常』の中で、彼女が探偵の鎧を解いた自分を垣間見せてくれる瞬間の顔だ。

「あ……は、ははは……」

 変な言い方だけれど、今はその顔がとても懐かしいものに映る。
 慣れ親しんだ日常の欠片が、非日常に呑まれかけていた僕を引き戻してくれた――なんて言い回しは大袈裟だろうか。
 ともかく、先刻まで縦横に踊り狂っていた僕の心臓は幾分か落ち着きを取り戻し始めている。

「それで、苗木君は何を食べるのかしら」
「う、ん?」
「空腹なんでしょう? あなたが自分でそう言ったんじゃない」

 そういえばそんなことを言ったような。

「食べ物を売っている店はそこかしこにあるけれど……あなたが何を選ぶのか気になるところね」

 言葉の通り、霧切さんは興味津々といった風情でこちらを見つめている。
 縁日経験者の通の選択を見せてもらうわ、なんて台詞が聞こえてきそうだ。
 どうやら既に、彼女の中では僕が何かを買って食べる流れが出来上がっているらしい。
 本当に今日の彼女は子供みたいだ。僕が振り回されているのはいつもの通りだけれど。
 半ば急かされるような形で、僕は霧切さんがそうしていたように出店を見回すのだった。

 ◆ ◇ ◆

 焼きそば、たこ焼き、おでん、フランクフルト……。
 どれも縁日の定番ではあるけれど、ちょっとありふれていて凡庸だ。
 いや、僕にはそれくらいの方が分相応かもしれないが。
 どうせなら今日でなければ、というものを選びたいものだ。

 そんなこんなで、僕が選んだのはチョコバナナの屋台。
 ファンシーなビジュアルに多少の気恥ずかしさを覚えなくもないけれど、ひんやり冷えたバナナの触感とチョコの甘味の独特の調和には代えがたい。
 縁日ならではのB級グルメという点でも申し分ないだろう。
 最近は過剰なくらいにデコレーションされたチョコバナナも多いけれど、この屋台のトッピングは控えめで僕の好みに合致している。
 数人の順番待ちを経て、百円玉二枚と交換にバナナの串を受け取った僕は、ひとまず満足して隣を振り返る。

 そして僕は異変に気付いた。
 ついさっきまで、そこでチョコバナナを珍しげに眺めていた筈の霧切さんの姿がどこにもないのだ。

 まさか――迷子?
 いや、いくらテンションが上がっているとはいえ、彼女に限ってそんなことはあり得ない……筈だ。
 となると、むしろ僕が迷子?
 ……我ながら意味不明だ。どうやら僕は本気で動転しているらしい。

 慌しくあちこちに視線を巡らせるうち――視界の端に銀色が映りこむ。
 向かい側の列のやや離れた位置にある出店の前。
 行き交う人々の間から後姿がちらりと見えた。
 十中八九、人違いではない筈だ。
 人ごみをすり抜け、僕は急いでそこへ走る。


「き、霧切さん!」
「あら、苗木君。どうしたの?」

 霧切さんはしゃがみこんだまま僕を振り返り、そしてまた視線を前に戻す。

「『どうしたの?』って……もう」

 『ヨーヨー釣り』と大書されたのぼり旗の立つ、小さな露店。
 据え付けられた水槽には色とりどりの水風船が浮かべられ、その周囲には数人の子供達と……女子高生が約一名。
 浴衣に革手袋といういでたちの銀髪の少女は、的屋のおじさんから見ても珍客の部類なのだろう。
 先程から胡乱な視線を向けているが、霧切さんが意に介す様子は一切無い。

「心配したんだよ。霧切さん、突然いなくなるから……」

 ほっとしながら僕は彼女の隣に移動し、彼女の顔を覗き込む。

「悪いけれど、今大事なところなの。少し静かにしていてくれる?」

 しかし相変わらず霧切さんは一心にヨーヨー風船を見つめるのみだ。
 その瞳には彼女が探偵として事件に立ち向かっている時を彷彿させる光が――って。
 果たしてコレはそんな真剣な眼をするような場面なんだろうか。

 僕の当惑をよそに、霧切さんは手にしたこより紙を静かに下ろしていく。
 先端の釣り針が水面の下へと潜り、標的のゴム紐を引っ掛ける。
 そして下がる時と同じ速度でゆっくりと引き揚げられ……

「あ」
「あ」

 ぷつんと千切れた。
 重力にひかれて落下した風船がぽしゃりと音を立て、プールに波紋を広げる。

「どうしてくれるの苗木君……あなたのせいで二つ目を取り逃したわ」

 ここで、ようやく霧切さんは僕に向き直る。ジト目で。

「なっ、僕のせいなの!?」
「その通りよ。あなたが突然現れるものだから、集中力が途切れてしまったじゃない」

 なんだか理不尽だ。
 霧切さんがちょっとむくれているように見えるのは僕の目の錯覚だろうか。

「責任、とって貰うわよ?」
「せ、責任……!?」
「今度はあなたの番ってことよ。ほら、百円」

 若干不穏な言い回しに戸惑いながらも、僕は言われるまま百円玉を的屋のおじさんに差し出す。

「苗木君、このゲームはやったことある?」
「うん……まあ。小学生の頃に、だけど」
「それでも経験者なら、今日が初めての私よりは上手い筈よね。三つ。三つで許してあげるわ」
「なんだそりゃ……ていうか、許す許さないとかそういう話だったの?」

 ◇ ◆ ◇

「納得できないわ」

 霧切さんの左手で二つのヨーヨー風船が揺れる。
 彼女が自分で釣った緑色と、僕が釣った紫色。

「いくつ取っても持ち帰れるのは一つだけだなんて、おかしな話だと思わない?」
「いや、どこのヨーヨー釣りもそんなもんだよ?」
「正当な代価を支払って勝ち得た戦利品を手離すのが普通なの? 折角、あなたが四つも取ってくれたのに」
「そんなにヨーヨー風船持って帰ってどうするのさ……」
「記念にするのよ。他に何があるの?」

 不平を口にしながらも、霧切さんは機嫌が悪いようにはみえない。
 手首のスナップでヨーヨー風船を弾ませながら、周囲の水飴を舐め取られ露になった姫りんごに小さな口で齧りついている。

「ところでさ。さっきも同じ事言ったけど……霧切さん、急にいなくなっちゃうから吃驚したんだよ?」
「……それは、悪かったわ。少々浮かれ過ぎね、今日の私は」
「ほんと、どうしようかと思ったんだから」
「だけど、子供じゃないんだからそこまで心配することでもないでしょう? 携帯電話だって持っているんだし」
「それは……そうなんだけど。でも……」 





 無愛想な女の子だな、というのが彼女に対する第一印象だった。
 それがふとしたきっかけから次第に会話を交わすようになって、彼女が内に秘めた豊かな喜怒哀楽に僅かずつ触れていって。
 彼女の隣で探偵助手の真似事をしたこともあった。
 複雑怪奇な事件を前に不敵に微笑んで、そして真実を白日の下に晒してみせる彼女はとても素敵だった。

 そして、僕は知っていった。
 彼女の意外に子供っぽい一面も、クールな表情の下に忍ばせた熱い心も。

 僕はもう知っている。
 彼女は頭の回転が早くて、荒事の心得だってあるし、それに芯も強い。
 なんでも一人でそつなくこなしてしまう。
 その癖に――いや、だからこそ。どうしようもなく不器用で、意固地で、他人に頼るのが下手なことを知っている。
 探偵としての使命も、お父さんの件のような私事も、辛いことも悲しいことも、彼女は全部一人で抱え込んで飲み込もうとする。
 誰かが彼女に声をかけ、手を伸ばしてあげなければ。

 何をやるにも彼女は僕より上手だけれど、でも僕には彼女が時折ひどく危うげに見えてしまって、そして放っておけないと思う。
 僕は彼女の傍で、彼女を支えてあげたい。
 己の道を一人ひた走ろうとする彼女に寄り添いたい。
 彼女が自分の力だけではどうにもならなくなった時に、手を差し伸べるのは僕でありたい。
 こんな風に考えることが思い上がりで、余計なお世話なのだとしても。

 祭りとは人々を日常性から解放する『非日常』の場なのだそうだ。
 だから、今日の僕はこんなことだって出来る。



「でも、やっぱり僕は君が心配だから」

 彼女の左手に僕の右手を重ね、そして優しく握りしめる。
 手袋越しに伝わってくる、微かだが確かにそこにある彼女の体温。
 霧切さんが足を止め、同時に目を見開いて僕を見返す。
 りんご飴を手にした右手もまた、中空で静止している。


「なえ――」
「帰るまで離さないよ。また、一人でどこかに行かれたら困るもの」

 霧切さんは慌てて顔を伏せ、黙り込む。
 だけどその顔が耳まで赤くなっているのは、見間違えようがなかった。
 かく言う僕の顔も、きっと似たような状態なのだろうけれど。

 しばし間を置いて、彼女が口を開く。

「……浮かれているのは、私だけじゃなかったみたいね」

 霧切さんが、そっと僕の手を握り返す。
 顔を上げ、面映げに微笑む彼女の頬は、まだ仄かな桜色をしている。

「生意気だわ、今日のあなた」


 僕はごく普通の平凡な世界の住人で、彼女は探偵という僕には遠い世界で生きてきた。 
 僕らの人生が希望ヶ峰学園という一点で交わったこと自体、奇跡といってもいい。
 学園を離れる日がきたら僕らの接点はどこにも無くなり、僕の日常から彼女の存在はふっと消えてしまうのかもしれない。
 丁度、さっきのように。
 けれど、僕はそれじゃあ嫌だ。
 今、彼女と共にいるこの時間を、僕の人生の中の思い出の一つで終わらせたくはない。
 この縁日のような、過ぎ去っていく一時の非日常にはしたくない。
 願わくば、この非日常が僕らの日常とならんことを。

 僕の右手と彼女の左手の下で、二つのヨーヨー風船が揺れている。


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