7cm(後編1)

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 すぐ隣には、明らかに不機嫌そうに眉をひそめている霧切さん。
 さっきから一言も話さず、小説を読み進めている。

 あ、今こっち見た。

 その力強い目に気圧されて、慌てて僕は目を反らす。
 きっとまだ、怒っているんだろう。


 いつもの勉強会のはずだったのに、この図書館にいるのは僕たち二人だけ。



―――――



 どうして、こうなってしまったのだろう。

 すぐ隣には、明らかに怯えた様子で縮こまっている苗木君。
 さっきから私の方を気にしては、勉強の手を止めている。

 あ、今こっち見た。

 私の視線から逃れるように、慌てて苗木君は目を反らす。
 きっとまだ、怯えているんだろう。


 いつもの勉強会のはずだったのに、この図書館にいるのは私たち二人だけ。



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 弾丸論破ナエギリSS 『7cm』後編
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 希望ヶ峰学園には、一匹の犬がいる。


 さしもそのブランドに見合うような血統書つきではなく、親どころか元の飼い主もわからない雑種犬。

 それを、拾ってきた二人の生徒が学園長に掛け合い、寮生の署名を集めて駆け回り。
 創立から初めて、この学園の寮にペットとしての犬の飼育が認められた、ということだ。

 これは既に、希望ヶ峰学園の有志まとめサイトにはもちろんのこと、
 学園長の趣味なのか、学園の公式のホームページにまで掲載されている情報である。

 ちなみにその雑種犬、拾い主の一人である、その代の『超高校級の幸運』の本名からあやかって、
 もう一人の拾い主の提案で、マコ、と名付けられたそうな。



 と、やや説明じみた自己紹介もほどほどに。

 マコ――すなわち僕は、目の前で他のご主人たちが口争うのを退屈に聞き流している。


「解せんな」

 眼鏡をかけた偉そうなご主人が、不快そうに吐き捨てた。

「なぜ俺が、あいつらのために一肌脱がねばならんのだ。仲良しごっこなら、お前らで好きにやれ」
「十神君、学友の仲直りのために尽力するのは当然じゃないか!」

 相変わらずうるさくてハキハキした声で、白いご主人が言い返す。
 僕としては、早く餌当番のあなたにドッグフードを注いでもらいたいのですが。


「相っ変わらず偉そうだな、おめぇも。勉強会を休んでくれっつってるだけだろうが」
「そうだよ、別にあんたたちになんかして、っていうわけじゃないんだし」
「理由とかは、私たちが適当に考えておきますから…」


 対して、リーゼント、ツインテール、そして目の怖いご主人。
 何やら企み事をしているのは、どうやら彼らの方。
 それに協力するのを、眼鏡のご主人が渋っている、というのが現状。

 聞いた様子だと、どうもあのアンテナと手袋のご主人を仲直りさせようとしているみたいだ。

 確かに、いつもはなんだかんだで仲の良いあの二人、今日は元気がなかったっけ。
 ついさっきも中庭で鉢合わせしてしまって、お互いに気まずそうに目をそらして。
 無言のままアンテナのご主人が逃げちゃって、手袋のご主人は傷ついたような顔をしていた。


 原因は、誰にもわからない。
 おそらく本人たちにもわかっていないのだ、と、言っていたのはツインテールのご主人。

 しかし決して、互いに嫌いになったわけじゃない。
 むしろその逆で、お互いを好きだからこそ、逆にいろいろと意識しすぎてしまっているらしい。

 だから一度、無理やりにでも二人きりにして、ちゃんと話す機会を作ってあげる、という作戦。
 提案したのは、相談を受けていた三人、ということ。


 まったく人間というのも面倒くさいなぁ、と、僕はようやく注がれたドッグフードの皿に顔を突っ込む。


「…ふん、まあいい。要は、いつもの勉強会を休めばいいのだな」
「おう、ようやく素直になったか。…ったく、桑田がツンデレとか言ってたけど、その通りだな」
「黙れ、直角リーゼント」
「あ゛ぁ!?」


 売り文句に買い文句を押しつけたかと思うと、青筋を立てるリーゼントのご主人を尻目に、

「まったく、この俺が時間を割いてやったというのに、それをドタキャンだと…」

 と、ぶつぶつ言いながら、自分の部屋へ戻っていく。



 どうどう、と、女子勢が怒れるリーゼントのご主人を宥めている隣で、


「ところで…二人を放置して、具体的には何をさせるんだ?」

 と、白いご主人が、当然の疑問を口にした。
 カチ、と、時間が止まって沈黙が流れる。

「何を、って…そりゃ石丸、あんた……、どうすんの?」
「提案したのは舞園だろ。どうすんだ、なんか考えてんのか?」
「えっ、えぇっ!? わ、私はただ二人きりになれれば、って…」


「……見守ってやるのが、提案者としての責務ではないか?」


 ぼそり、と、白いご主人が呟いた。
 きっと、下心も何もない、本心から出た言葉なのだろうが。

 三人が驚いたように、彼を振り返る。



『…人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られて死んでしまうようですよ、ご主人方』




―――――



「…石丸君たち、来ないね」
「……そうね」
「…さ、先に始めちゃおうか?」
「……そうね」
「あ、あの……今日は、英字新聞の和訳をしようと、」
「好きにしなさい」


 そう言って、霧切さんが小説を読み始めてしまってから、もうすぐ三十分が経つ。

 ここに座ってから交わした会話は、上の三往復だけだ。
 いや、果たして会話と呼べたのかどうか。
 初対面の日だって、もう少し話が弾んでいた気がする。

 あまりの情けなさに、ちょっとだけ泣きそうになりながらも、
 僕はインクの滲んだ英字新聞を、また一枚捲る。
 泣いたって、わめいたって、現状が改善される兆しはなさそうだ。


 石丸君、十神君、そして霧切さん。
 我がクラスの誇る秀才スリートップが、学校の勉強に留まらず、幅広い知識を与えてくれる。
 そんな今日の勉強会は、本当に貴重なもの…に、なるはずだったんだけど。

 きっと霧切さんは、まだ怒っているんだろう。
 さっきマコの前で鉢合わせた時も、すごく怖い顔をしていたし。


 本当は今日の勉強会を、休んでしまおうかとも考えた。
 けれど、彼らの貴重な時間を僕なんかのために使ってもらって、
 その僕がサボるだなんて、あってはならないことだと思ったし。

 石丸君と十神君もいるから、きっと大丈夫。
 そう高をくくってやってきてみれば、この始末である。


 泣きたい。


 チラ、と、顔を上げて、僕は何度目か彼女の様子を伺った。

 霧切さんは相変わらず、お気に入りの作家のミステリー小説に目を通していた。


 いつもと少し、髪の結い方が違っている。
 毛先だけを三つ編みにした、ゆったりとした髪型だ。
 インディゴのホットパンツに、黒のキャミソール。
 彼女にしては珍しく(もちろん良い意味で)、肌を大きく露出させた服だった。

 そして。
 あの忌々しい、厚底のブーツも、悔しいけれど似合っている。
 見事に彼女の清楚で凛とした外見に、マッチしてしまっているのだ。

 いつものコートに身を包んだ、凛々しい姿もかっこいいけれど。
 こんな可愛い服も、よく似合っているんだな、なんて、


 彼女が怒っていることも忘れて、僕はしげしげと眺めてしまっていたわけで。



 ジロリ、と、まだ不機嫌そうなままの彼女の瞳がこちらを向いた。


「…何よ」
「あっ、いや、なんでも…」


 どもり気味に返すことが出来ず、僕はまた勉強に戻った。
 今日の服も素敵だね、なんて、僕が褒めるのは百年早い。

 こんな意気地無しに褒められたって、霧切さんだって嬉しくないに決まっている。



 謝ってしまえば、楽になるかもしれない。
 少なくともこのピリピリした空気を打破する、小さなきっかけにはなるだろう。

 けれど、それは出来なかった。

 以前も、十神君に言われたんだ。
 僕が早々に謝ると、問題を早く片付けてしまいたい感が出てしまう。
 そんな誠意の欠けた謝罪で、許されるべきじゃない。

 それに、未だに僕は、恥ずかしい話だけど彼女が怒っている理由を知らない。
 理由も知らずにただ謝る、それは彼女に対して一番失礼な行為なんだ。



 だから、僕は。
 謝ることも出来ず、こうして不機嫌な彼女を前にして、何も出来ないでいる。

 悔しかった。
 もっと僕に男気があれば、怒っている理由だって聞けただろう。
 もっと察しが良ければ、聞かずともその理由はわかっただろう。


 本当に、情けない。
 男らしくない。

 こんなカッコ悪い男、やっぱり霧切さんは…



―――――



 どうして二人が来ないのか、なんとなく察しはついていた。
 私の周りには、お節介焼きが多いから。

 でも、今回ばかりは、本当に大きなお世話だ。


 二人きりにされたって、困るだけなんだ。
 私も、彼も。

 ただでさえ、お互いの距離を測りあぐねているのに。


 苗木君の視線を感じる。
 おそらく、私がらしくない格好をしているのが、可笑しいのだろう。


 昼間、江ノ島さんに言われたことが頭にこびりついて。
 少しは女の子らしい服装でもしてみれば、苗木君も見直してくれるかも、だなんて。

 精一杯のオシャレが、浮いているようにしか思えなかった。

 馬鹿だ、私は。
 浮かれていたんだ。


 そもそもに苗木君は、私なんかと二人きりになりたくないだろうに。
 舌打ちの件も弁解せずに、一体何をアピールするつもりだったんだ、馬鹿。


「…何よ」
「あっ、いや、なんでも…」

 まるで八つ当たり。
 無愛想に視線を追い払うことしか、不器用な私には出来ない。

 江ノ島さんなら、おどけていなす事も出来ただろう。
 舞園さんなら、もっと空気を読んだ服を選べただろう。
 朝日奈さんなら、もっともっと素直に仲直りできただろう。


 ただでさえ、他の女の子よりも劣っている私が。
 暴力、暴言、挙句舌打ち。

 最低だ。

 苗木君が私を避けようとしていたのも、ある意味当然なんだ。


 本当に情けない。
 女らしくない。

 こんな可愛くない女、やっぱり苗木君は…





 と、ふと。

 その苗木君が、鉛筆を止めていた。
 先程までのように、私の顔色を伺っているのとも違う。
 数行も読み進められていない小説から顔を上げて、様子を伺ってみる。


 文章を見据えたまま、固まってしまっている。
 おそらく、訳が難しい文章にあたってしまったのだろう。

 いつもなら私にすぐ尋ねてきてくれるのに。


 ああ、確かに俗語的な表現が見受けられるわね。
 けれど苗木君、これは前回やった英文和訳の応用よ。
 よくある省略形だから、他の文中から主語となるべき単語を探せばいい。
 ここまで言えば、わかるわね。


 尋ねてくれれば、いつもならそう言い返せるのに。

 苗木君は固まってしまっている。
 尋ねられないんだ、私が不機嫌なままだから。
 私自身、実際に尋ねられても、いつものようには答えられないだろう。


 けれど。

 私が今ここにいるのは、彼に勉強を教えるため。


 仮にも苗木君は、私の教え子。
 気まずいから教えないだなんて、そんな甘えは許されない。
 教え子が迷っているときに、意地を張っているわけにはいかないんだ。


「…貸しなさい」
「うぇっ!?」

 何とか自力で訳を進めようとしていた彼の腕から、鉛筆をひったくる。
 …無愛想極まりないけれど、今はこれが精いっぱいだ。

 彼の自力によって綴られた文章は、てんで出鱈目。
 これでは、前の文章と全く逆の意味になってしまう。

 それを指摘するために、私は英字新聞の記事の該当部分に、赤ペンで線を引いた。


「あ、霧切さん…」


 彼が何かを尋ねようとしているが、応える余裕はない。
 情けない話だけれど、今でもいっぱいいっぱいなんだ。

 彼が間違ってノートに訳した文章に、赤線を引く。
 それから間違って訳した記事の単語の上にも、正しい訳語を書き込んで、



「…その新聞記事、図書館のものなんだけど」



 ……。



「苗木君…そんな大事なことを、なぜもっと早く言ってくれないのかしら」


 新聞記事を見やる。
 外国の女優が大見出しを飾る一面、そのど真ん中。
 鮮やかな赤の線が、早くも滲みはじめていた。

 これは、誤魔化しようがない。

 冷やり、嫌な汗が背中に噴き出る。

 やってしまった。
 公共の書物に、故意ではないとはいえ、落書きをしてしまったのだ。



 違う、わかっている。
 彼が悪いんじゃない。
 気がつかなかった私が悪い、のに、


「だって…注意しようと思っても、聞いてくれなかったし…それに……、…」
「それに、何かしら? 言いたいことははっきり言いなさい、約束でしょう」


 この、意地っ張り…!


 正直に言って、苗木君。

 私が悪いのだと。
 ずっと不機嫌で、話しかけにくかったんだと。

 それくらい、あなたに言われるくらいのショックを受けないといけない、この女は。

 だってもう、自分の非を素直に認めることさえできない程に。
 あなたの優しさに甘えてしまっている、子どもなのだから。



―――――



「それに、何かしら? 言いたいことははっきり言いなさい、約束でしょう」


 この、臆病者…!

 僕は声には出さず、自分自身を罵った。


 そう、約束なんだ。
 例えそれで、霧切さんを傷つけることになったとしても。

 言わなければ、歪で気まずい関係がずっと続くことになるんだ。

 不機嫌な彼女を恐れて、避けて。
 それじゃダメだろ。

 口に出すのは、怖いけど。
 気まずいままの方が、ずっと嫌だ。


「……その」
「ええ、何?」

 答えた霧切さんの唇が、少しだけ震えたように見えた。
 彼女が何かに怒っている時に、よく見せる仕草。


「怒ってる、から……」

 だから、僕も、正直に。

「あまり話しかけられても、霧切さんは嫌なんじゃないか、って…思って」


 勇気を出して、そう本音を告白してみれば、


「……、えっ?」


 一拍以上の間を開けて。

 伏せられがちだった瞳を見開き、暗かった声色も1オクターブ上がり。
 それまでの不機嫌なオーラが、まるで一気に消し飛んでしまったような様子で。

「怒っている、って……私が?」

 本当に意外そうに、再び尋ねられるのだった。




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