7cm(後編2)

「あの、だから…謝らないといけないとは、思っていたんだけど」

 それは、違う。
 あなたが謝るようなことじゃないんだ。

 怒っていたんじゃない。
 私が勝手に、機嫌を悪くしていただけ。


「ま、待って…」

 と、言いつつも、そこから先に繋げる言葉が見つからない。
 違う、あなたにそんな的外れな謝罪をさせるために、約束を持ちだしたわけじゃないのに。


「でも、理由もわからずにただ謝るのも、霧切さんに失礼かな、って思って…」

 理由なんて、わかる方がおかしい。
 私が彼にあたっていた理由なんて、的外れもいいところなんだから。

 あなたが他の女の子と楽しそうにしていたから、嫉妬しただなんて。
 口が裂けても言えるもんか。



「……ごめん、なさい」


 だから、それよりも先に。
 私は自分の非を詫びた。

「えっ、な、なんで、霧切さんが」
「違うのよ、苗木君…あなたの罪悪感を煽るためにあんなこと言ったわけじゃないの」

 自分が悪いのに先に謝られる辛さは、もう身に染みている。



 素直になることには、相変わらず抵抗がある。

 それは、素のままの自分を晒すということだ。
 それは、とても恥ずかしくて、とても向こう見ずで。

 それこそ苗木君とまだ、出会う前。
 馬鹿みたいに裏切られて、安易な信頼への代償を払ったことも忘れてはいない。

 だから、怖い。

 人を信用して、自分の素直な気持ちを晒すということは。
 私にとっては、敵に自分の弱点を教えるが如く、最も愚かな行為に等しかった。

 けれど、苗木君は違う。
 彼は敵なんかじゃない。

 彼は私に、素直な気持ちでもって接してくれているのに。
 いつまでも私が意地を張っているのは、それこそ彼に対して失礼だ。


「…謝るべきは、私の方なのに」
「だ、だから霧切さんが謝ることなんて、」

「…ずっと」
「え?」
「怯えていたでしょう、私に」


 カチ、と、時計が次の針音を刻むと同時に、彼が凍りついた。

 ビク、と、その体が強張ったのがおかしいくらいにわかる。
 目はあちこちに泳ぎ出し、息を詰まらせたように口を開きっぱなし。
 まるで小動物みたいだ。
 ホント、嘘が下手なんだから、と、思わず頬が緩みそうになってしまう。

 けれど、と、私は気を引き締める。
 彼が体を強張らせたのは、つまり、


「怯えてなんか、ないよ」
「言い方が悪いかしら。ずっと私が不機嫌だったから、気を使わせて…」
「そ、そんなこと…そもそも僕が霧切さんを怒らせて、」


 バチ、と、目が合う。
 泳いでいた苗木君の瞳が、いきなり私を捉えた。


 追い詰められたような、切迫した表情で。

 いつも見せる、優しい光をたたえた瞳ではない。
 時折見せる、射抜くような強い意志を宿らせた瞳でもない。



 その瞳は、



「…ずっと、聞きたかったことがあるんだ…けど、怖くて聞けなかった」



 奇遇なことだ。
 私もずっと、あなたに怖くて聞けなかったことがある。


 彼の瞳の奥に、私が映し出されている。
 まるで水の底を見ているかのように、透き通って揺れる。

 瞳の奥の私が、はたして苗木君と同じ表情をしている。


「僕は……、ずっと霧切さんに迷惑をかけてる…」

 私は、ずっとあなたに理不尽を強いている。

「背も低いし、意気地無しで…自分でもわかってるけど、全然男らしくなんてない」

 無愛想で、意地っ張りで…自分でもわかっている、全然女らしくなんてない。

「時々不安になるんだ…僕は、君の隣にいちゃいけないんじゃないか、って」

 時々不安になるのよ、私なんかがあなたの隣にいていいのか、って。

「…ねえ、霧切さん」



 次に紡がれるであろう言葉は。

 寸分違わず、私の口が紡ぐ言葉と、同じなんだろう。




「どうして、一緒にいてくれるの…?」



―――――



 バチ、と、目が合う。
 伏せられていた霧切さんの瞳が、いきなり僕を捉えた。


 自分の罪を告白するような、思いつめた表情で。

 いつも見せる、凛とした鋭い光のある瞳ではない。
 時折見せる、慈愛に溢れた穏やかな瞳でもない。



 ずっと、聞きたかったことがあるんだ。
 けど、怖くて聞けなかった。

「奇遇なことね。私もあなたに、ずっと聞きたかったことがあるのよ」


 彼女の瞳の奥に、僕が映し出されている。
 まるで灯を見ているかのように、輝いて揺れる。

 瞳の奥の僕は、はたして彼女と全く同じ表情をしている。


「私は、ずっとあなたに理不尽を強いているでしょう」

 僕は、ずっと霧切さんに迷惑をかけている。

「無愛想で、意地っ張りで…自分でもわかってる、全然女らしくなんてない」

 背も低いし、意気地無しで…自分でもわかっているけど、全然男らしくなんてない。

「時々不安になるのよ。私は、苗木君の隣にいてはいけないんじゃないか、って」

 時々不安になるんだ、僕なんかが君の隣にいていいのか、って。

「…ねえ、苗木君」



 次に紡がれるであろう言葉は。

 寸分違わず、僕の口が紡ぐ言葉と、同じなんだろう。




「どうして、一緒にいてくれるの…?」



――――――――――




「「どうして、一緒にいてくれるの…?」」


 二人分の声が重なって、二人だけの図書館に響いた。
 二人が互いに、ずっとため込んでいた疑問だった。

 そして、それは本来なら。
 二人が互いに、決して尋ねることの出来ない質問だった。


 聞きたかった。
 けれど、聞けなかった。


 自分の存在意義を、相手に問う質問だった。


 苗木誠が、苗木誠でなかったのなら。
 霧切響子が、霧切響子でなかったのなら。
 どちらか片方でも違ったのなら、その疑問は生まれることはなかっただろう。

 ただ、事この二人に関しては。
 互いが互いに、複雑に関係を絡みあわせていたから。


 霧切響子は、後悔していた。
 苗木誠に、あまりにも辛く当たってきたこと。
 理不尽に殴ったり、心ない言葉を浴びせかけてきたことを。

 自分には、彼の隣にいる価値はないと思っていた。
 それでも苗木誠は、変わらず自分と接してくれる。


 苗木誠も、後悔していた。
 霧切響子を、あまりにも蔑ろにしてしまったこと。
 幾度も自分を助けてくれた彼女に、何一つ恩を返せていなかったことを。

 自分には、彼女の隣にいる価値はないと思っていた。
 それでも霧切響子は、見捨てず側にいてくれる。


 だから、二人は。

 相手に認めてもらえなければ、自分を許すことは出来なかった。
 自分から歩み寄る資格なんてないと、そう思わずにはいられなかった。


 あまりにも、近すぎた二人だった。


 机で隣り合う、二人の距離はたった7cm。


 手を伸ばせば、触れる距離なのに。

 一歩踏み込めば、届く距離なのに。


 たったそれだけの差を気にして、二人は自分を遠ざけた。





「……僕は」


 その、どうしようもなく歪で、永遠とも思われた均衡を。
 先に破ったのは、『超高校級の希望』となるべき少年だった。



―――――



 時を止めたような長い沈黙を、震えた声が破る。

「僕は、霧切さんが…」


 ドクン、と、心臓が嫌な跳ね方をした。

 思いつめたような、苗木君の顔。
 聞こえた鼓動は、もしかしたら彼のものだったのかもしれない。

 その続きを聞きたい自分と、聞きたくない自分がいる。

 霧切さんが、何?
 私のことを、どう思っているの?


 わかっていた、はずなのに。
 自分自身で、何度も言い聞かせていたはずなのに。
 桑田君や葉隠君にまで、言われたことなのに。


 怖い。

 他の誰よりも、彼の口から言われるのが一番怖い。


 心臓の跳ねる激しさに、痛みさえ覚える。
 手を握り締めていなければ、震えだしてしまいそう。

 視線なんて、到底合わせられない。
 瞳を閉じてしまわない様に、こらえるのが精いっぱいだ。


 矛盾。
 先程までは、彼の正直な本音を聞ければ、とまで思っていたのに。
 その彼の本音が、ここまで怖いだなんて。


 ああ、本当に、なんて面倒くさい人間なんだ、私は。

 こんなだから苗木君も、


 その口がゆっくり開く、


 待って、

 まだ、

 心の準備が、



 止めて、





 言わないで、






「僕は、霧切さんが…無愛想とか、理不尽とか、思ったことは一度もないよ」






 恐る恐る、伏せていた顔を上げる。


 苗木君はまだ、当惑した様子だったけれど。

 それでも真っ直ぐな眼差しで、私を覗き込んでいた。



「嘘よ…」


 思わず、口から零れおちる。

 彼が嘘をつくときの特徴は、経験上よく知っていた。
 目を泳がせて、決してこちらを見ようとしない。


 その彼の目が、

 依然として優しい光をたたえて、私を覗き込んでいる。


「不満に思ったこと…一度や二度じゃないでしょう」
「確かにぶたれたりしたら、そんなぁ、って思うことはあるけどさ」


 少し照れくさそうに、鼻頭を掻いて。
 それでも彼は、まだ私に笑いかけてくれている。


 嘘じゃ、ないの…?


「そういうところも霧切さんの魅力だって…僕は思うよ」

 照れくさそうな笑顔のまま『魅力』だなんて言われて、思わず頬が熱くなる。
 きっと、そんなつもりで言ったわけじゃないんだろうけど。

 こういう天然ジゴロなところが、江ノ島さんも言っていた、女子に人気のある理由なんだろう。


「クールに見えて、本当はすごく優しいところとか…論理的に見えて、気持ちが先に出ちゃうところとか」

 指を折って、彼は私の長所と思しきものを数える。
 恥ずかしい、顔から火が出そうだ。

 ずるい。
 卑怯だ、そんなことを言うのは。

 こんな面と向かって人を褒めちぎっても、たちが悪いことに、彼には打算や邪気がない。
 本心から、こんなことを言っているんだ。
 そう思うと、余計に恥ずかしくなる。


 と、今度は別の理由で顔を伏せかけた時、

 彼の顔が少しだけ陰ったのを、私は見逃さなかった。


「あと…僕みたいな情けない奴も、見捨てないでいてくれるところとか」

 諦めたように笑って、そんな自虐を混ぜてきた。


 それは、それだけは聞き捨てならない。

「それは違うわ」



―――――



「それは違うわ」


 居心地悪そうに目を伏せていた霧切さんが、その言葉とともにいつもの調子を取り戻した。

 あまりにも唐突で。
 今度は、僕が面食らう番だった。

「え、あの」
「誰が、情けない奴ですって?」


 そんなの、僕以外にいないだろう。

 『超高校級の幸運』なんて、偶然でこの学園にやってきた。
 才能なんてまるでなくて、『超高校級の平凡』とまで言われるほどだ。
 彼女の気持ちを察する聡明さも、彼女を支える腕力も、迷惑をかけない男らしさも。

 何一つ、ない。


「私だって一度も、あなたが情けない人だなんて思ったことはないわ」

 だから、彼女がどれほど真剣な目でそう言ってくれても。
 僕は自分を信じることはできない。

「それこそ嘘だよ…自分でもわかってる、霧切さんが嫌になるほど、」
「私が、いつ、」


 僕の言葉を遮って、彼女がずい、と踏み込んでくる。
 上体を乗り出して、僕に詰め寄る。


 ドキ、と、

 それまで止まっていたんじゃないかと思うくらいに、急に心臓が跳ねた。


「私がいつ、そんなことを言ったというの? あなたのことが嫌になると」
「言っ…て、ないけど」


 ちょっ、近、


「そうね、言ってないわ。私はあなたのことを情けないだなんて、思ったことはない」
「や、でも、」
「それとも苗木君は、私が嘘をついていると思っているのかしら?」


 さらにぐいぐいと、霧切さんが押し迫ってくる。
 人差し指を僕の額に押し付けて。


「おっ、思ってない…です」
「……よろしい」

 目の前数センチで、彼女がほほ笑む。



 うわ、こんな近距離で、

 そんな可愛い顔、反則だ。



 ……なんか、押し切られる形になってしまった。
 こういうところが、僕は自分で男らしくないと思っている次第なんですが。

 でも。


 こんなに彼女が熱弁してくれるなんてこと、滅多になくて。


「でも…ホントに僕は男らしくなくて、霧切さんにあれだけ迷惑かけてきたのに…」
「私だって、全然女の子っぽくないでしょう。あなたは優しいから、文句も言わずに側にいてくれるけれど」

「それは違うよ!文句だなんて…僕は、僕自身が霧切さんの側にいたいから…」
「…私だって、同じよ。恩返しがほしくて助けたわけじゃない。私が、あなたの側にいたかったから…」

「……」
「……」



――――――――――



「あ゛ぁあああ~~!! 焦れったい、焦れったいぃいい~~!!」

「ちょ、江ノ島さん! 気持ちはわかりますけど、静かにしないとダメですよ…」
「見つめ合ってないでキスの一つでもかませっての、草食動物どもめぇえ…」

「……なぁ、やっぱりやめた方がいいんじゃないか」
「あぁ?何言ってんだ兄弟、おめぇが言いだしたんだろうが」
「いや、しかし…趣味が悪いんじゃないか、級友のプライベートを覗き見るだなんて」

「ちょっと石丸君、今更そういうのは言いっこなしですよ」
「覗き見るんじゃねえ、心配だから見守ってるだけだろうが」
「いや、しかし…後で苗木君と霧切君に謝りに行かなければ…」
「はぁ?どんだけ真面目なのよ、言わなくていいんだってばそういうの」
「しかし、君たちは罪悪感は感じないのか!?」
「ちょ、声でか、」

「あれ、二人…近くね?」
「えっ」
「おい、あの距離…」
「霧切さん、大胆…!」
「ふ、『不純異性交遊』だ!」
「まだ言うかお前は!」
「っておい、狭い…」
「江ノ島さん、しゃがんで、見えないです…」

「ちょっと、コラ、押すなって…!」



――――――――――



 僕たちは、しばらくそのままお互いに見つめあっていた。
 互いの瞳に映った、自分自身を見ていたのかもしれない。

 まるで鏡のように、同じように笑い、同じように悩んだ、瞳の中。


 つまるところ、僕と彼女は。

 似た者同士なんだ。
 鏡映しのように。


 相手から見ればどうでもいいような、ちっぽけな悩み。

 それを、

 決して届くことのない、遠い距離だと。
 決して超えることのできない、高い壁だと。

 勝手に、思い込んでいたのかもしれない。



 僕からすれば、霧切さんが無愛想だなんて、本当に瑣末な問題で。


―――――


 私からすれば、苗木君が意気地無しなんて、本当に瑣末な問題なんだから。


 そんな小さな欠点を遥かに超える魅力を、私はいくつも知っている。

 あなたが一つの理由で以て、自分を蔑むのなら。
 私は二つの理由で以て、あなたを称賛しよう。


「霧切さん、もしかして僕たち…」
「ええ。お互いに、悩みすぎていたみたいね」

 ぷっ、と、苗木君が噴き出した。
 くすり、と、思わず私も笑いを洩らしてしまう。

 ゆるり、と、凝り固まっていた空気が緩んでいく。


 それもそのはずだ。
 お互いに感じていた引け目は、もう解消されたんだから。

 何よりも信頼できる、お互いの言葉で。



「でも、良かった…僕、絶対霧切さんに愛想を尽かされているって、ずっと思ってたから」

 誤解だけどセクハラもしちゃったし、と、おどけたように苗木君が鼻の頭を掻く。
 困ったときや照れ隠しに、よく彼が見せる仕草だ。

「それを言うなら私だって…絶対あなたに嫌われていると思っていたわ」
「あ、でも…パンチとかはさすがに今後は勘弁してほしかったり」
「さあ、どうしようかしら? 苗木君、別に嫌ではないみたいだし」
「いや、さすがに痛いのはちょっと…」
「ふふ…じゃあ、今後のあなたの言動次第ね」


 そう冗談めいて、笑いあって、ふと彼が重心をずらした時、



 ふと、長椅子におかれた私の腕に、彼の手が触れた。

 そうだ、さっき。
 あまりにも彼が卑屈なことを言うから、勢いで身を乗り出してしまったんだっけ。



 その距離、約7cm。

 遠くにいると思っていた彼が、驚くほど近くにいた。


 文字通り、目と鼻の先に、彼の顔があった。

 一歩踏み込めば、届く距離。
 手を伸ばせば、触れる距離。


 体を乗り出せば、唇が――



「あ、ゴメン…」

 そのことに苗木君も気付いたのか、恥ずかしそうに触れ合っていた手を引っ込めようとする。
 その腕を、

 気付いた時には、私の指が捉えていた。

「ふぇっ!?」

 突然のことに驚いたのか、苗木君が突拍子もない声を上げた。
 その怯えたような姿が、とても愛らしく思えて、


「苗木、君…」

「え? あ…」


 私は、



「あの、霧切さん…?」

「……嫌なら、拒みなさい」



 してほしい、なんて言えるわけない。


 嫌われていないと、わかっただけだ。
 言ってしまえば、マイナスだと思っていたのがゼロに戻っただけ。
 スタート地点に立っただけだ。


 そこまで踏み込んでしまうのは、やりすぎだとわかっているのに。
 雰囲気に流されているのかも。

 もう、止まれない。


 言葉にするのは、まだ恥ずかしいから。

 代わりに私は、目を細めて顔を近づけた。



 無音の図書館に、心臓の律動が響いている。


「霧切、さん…」

 苗木君は、拒まない。
 気づいてはいるのだろう、顔を真っ赤に染めている。
 彼の瞳の奥の私と、きっと同じくらい真っ赤に。

 それでも、
 拒まないなら――



 上体を近づける。

 触れ合った指先を絡める。


 無音の図書館で、二人分の心音が近くなる。

 遠かった7cmが、少しずつ近くなる。


 鼻先が触れ合う寸前。

 彼はまだ、目を閉じない。

 吐息がかかる。

 瞳の向こうに映る私が、少しずつ近くなる。




 無音の図書館を、




「ちょっと、コラ、押すなって…!」



 ぶち壊すかの如く、聞き覚えのある級友の声が響き渡った。





―――――――――― To epilogue.


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