ナエマイSS『エスパー』3

 雨が酷くなる前に、急ぎましょう。


 そう言って走りだして、数分。
 そりゃあ疲れるし、小雨とはいえ服は濡れてしまうし。
 門限までには寮に戻らないといけないとはいえ、雨宿りの旨を事前に伝えれば見逃してはもらえるし。


 それでも、私は苗木君の前を走る。
 彼と並ばない限りは、このだらしない顔も見られることはないんだから。

 顔が酷く熱くて、フラフラしてしまう。
 走っているのに、空を飛んでいるんじゃないかと錯覚する。


 寮までの道には、コンビニはない。
 駅の裏側から出たら、塀に挟まれた一本道をひたすら走るだけ。
 途中で傘を買うことはできないし、その必要もないだろうと思っていた。


 けれど。


 雨足が、どんどん酷くなる。
 そぼ降る雨は次第に勢いを増し、家屋や私の体を穿つ。

「っ……はぁっ、はぁ…」

 自然と息が上がる。

 こんな豪雨は、年に一度か二度だ。
 ドドドド、と、滝に打たれているかのような水弾。
 髪も服も、すでにぐしゃぐしゃだ。
 出かける前に天気予報を確認しなかった自分を恨む。

 バシバシと、道を屋根を私を叩く、雨音の合唱に混ざって、

「――まい…ぞの、さっ…」

 私を呼ぶ、苗木君の声。
 咄嗟に振り返る間もなく、立ち止まった私の手を、苗木君の指が捉えた。

 寮までの道のりは、あと半分ほどまでに差し掛かっていたところ。
 私の腕を掴んだ苗木君は、道とも呼べない脇道にそれて進んでいく。

「苗木君、どこ行くんですか!?」

 大きな声で叫んでみても、私の声では雨音に負けてしまう。
 けれども必死に叫んで喉を痛めては、今後の活動に関わってしまう。

 諦めて、彼に引かれるがまま、細い脇道を突き進む。
 入り組んだ細道の奥に、小さな屋根があった。

 二人がやっと座れる程度の、古びたベンチ。
 それを覆うようにして囲う屋根の下、隅には蜘蛛の巣が張っている。


「はっ、は、っ……バス停、なんだ…昔の」
「はぁ、はぁっ……」
「僕が子どもの頃は、まだ…っつ、使われてたんだけど…」

 息を整え、途切れ途切れに説明してくれる苗木君。
 この小屋のようなバス停は、道路が整備されてからは使われなくなって。
 子どもの頃は秘密基地や、雨宿りに使っていたらしい。

「……すみません、私が無理にでも帰ろうとしたから…」

 さすがに、私の蕩け顔ももう消え失せていた。

「そんな、舞園さんのせいじゃないよ」
「でも、落ち着いて寮に連絡すればよかった…」
「こんな土砂降りになるなんて、予想できない…よね?」
「…なんで疑問形に?」
「や、エスパーな舞園さんだったら、予想できたのかなぁ、と」

 いたって真剣に訪ねる苗木君がおかしくて、思わず噴き出してしまう。

「え、え? 僕、なんか変なこと…」
「ぷふっ…いっ、いえ…ごめんなさ…っ、あははっ」

「……馬鹿にされている気がする」

 珍しく苗木君が拗ねてしまったので、可笑しいのを堪えて弁解。

「…エスパーって言って、本気で信じてくれたのが、嬉しくて」
「……」
「でも私のエスパーは、苗木君限定ですから」
「そうなの?」
「はい」


 あなたの反応が、好きだから。
 純朴で、なんでも正面から受け取って、信じてしまう。


 だから私は、そんな真っ直ぐな苗木君が好きだ。


 彼の方は、そんな私の気持ちを露とも察してくれないけれど。


「…しばらく雨宿りしましょうか。走ったから、十分くらいは様子を見られます」
「門限は、もういいんじゃないかな…一応寮に、遅れるかもって電話しておくね」


 苗木君が背を向けた隙に、スカートを絞る。
 あまり吸水性の高い素材じゃないはずなのに、水が線になって滴る。

 上着の方は完全に水を吸っていて、このまま着ていては風を引いてしまうだろう。
 すぐさま脱ごうと手をかけて、苗木君の存在を思い出す。


 危ない。
 まさかの生着がえを、晒してしまうところだった。

 苗木君に、晒して、


 ……。

「あ、はい…ちょっと雨宿りしていくので……いや、大丈夫です…」

 苗木君はまだむこうを向いて、電話をかけている。
 濡れた上着。
 このままじゃ、確実に下着まで染みてしまう。
 上着と下着の間には、薄い白のワイシャツ。
 ワイシャツにも、もう水が染みかけている。

 脱ぐ?
 苗木君の前で?

 それは、いけない。
 恥ずかしいとか、アイドルなんだからとか、理由は幾つもあるけれど。
 彼の前で、そんなみっともない姿を晒したくない。
 体育の授業でブルマを履いているのとは、ワケが違う。

 でも、風邪を引いてしまえば、喉は潰れる。
 アイドルの生命線。
 事務所には確実に怒られるし、数日は仕事を休まなければ。

 私は、

 引かれないだろうか。
 いきなり脱いで、変な女に見られたりはしないだろうか。
 苗木君に限ってそんなことはない、分かっている。
 それでも、一抹の不安は拭えない。


 私は…



「…寮長、ゆっくり帰って来なさいって、――」

 絶句。

 振り返った苗木君がそのまま固まり、勢いよく360度回転して、また壁の方を向く。


「まっ、ま、舞…」
「…どうしたんですか、苗木君」

 冷静に。
 私の方が慌てて恥ずかしがってしまえば、苗木君はもっと困る。
 私の都合で脱いだんだ、彼に迷惑はかけられない。

「な、なんで上着脱いで…」
「濡れていたから、ワイシャツになっただけです…風邪を引くと、困るので…」


 ああ、どうか深く言及しないで。
 これでも、恥ずかしいことに変わりはないんだ。
 無理な話だとは分かってる、それでも私は平然を貫き通しているんだから、どうかあなたも。

 僅か、というレベルではなく、水を吸った白いシャツ。
 黒の下着が透け、肌にピッタリと張り付いて、思いっきり胸のラインを強調していた。


「はっ…裸じゃ、ないです。だから、恥ずかしくない…」
「そ、っ…」
「こっち向いて、ください…苗木君」


 彼に限ってそんなことはないだろうけれど、でも、もし、
 万が一、襲われてしまったら…

 声が震えるのは、寒さのせいだけじゃない。

 いや、熱い。
 顔が、体が、火照る。


 ちゃんと、見て。私を。
 せっかく二人きりになれたのに。

 苗木君の視線は気持ちいい、見られる、私の胸――

「っ……!!」

 慌てて頭を振った。
 何を考えていたんだ、私は。

 自分の淫蕩を否定するわけじゃない。
 私の内にあるいやらしさや腹黒さなんて、私が一番よくわかっている。
 それでも、時と場所は選ばなきゃいけない。
 彼の真っ直ぐで綺麗な瞳の前に、晒していいものじゃない。


「苗木君…」

 名を呼ぶ。

 その名前の響きすらも扇情的に思えて、ゾクリと背筋を奔る興奮。

 観念したかのように、彼は正面を向いてベンチに座った。
 一瞬だけ私の姿を確認して、それからバッと正面に向き直る。


「んっ…」


 あ、ダメだ。
 火照った。

 胸に実る二つの果実が、彼に見られたその一瞬だけ、ジリジリと熱を帯びた。


 もっと、見て欲しい。


 だって、苗木君。
 私の体。綺麗でしょう。
 胸も、クラスの中では大きい方なんですよ。
 腹筋頑張って、くびれだってあるんですよ。
 この下着も、苗木君と出かけると思って、一番可愛いの選んだんですよ。

 苗木君。見て。

 ふわり、と、まるで意思に釣られたかのように。
 私の体は苗木君に向き直り、ずるり、と引きずられる。


「え?」

 一瞬だけ宙を飛んだ体。
 いや、飛んではいない。意識だけ。

 力が入らない。
 大きく視界が揺れる。
 熱い。気持ちいい。

 私は正面から、苗木君の腕にしがみつくようにして倒れこんだ。


「ふ、わっ…○※$△×♪!!?」

 意味を為さない音をあげて、苗木君が硬直する。

 胸が、まるでスポンジを押し付けているかのように形を変え、苗木君の片腕を柔らかく包む。

「舞ぞ、の、さ……当たっ、て」


 気持ちいい?
 女の子って、柔らかいでしょう?

 いいんですよ、苗木君。
 あなたになら。
 見られても、触れられても、私は。

 苗木君がしたいこと、されたいこと、ぜんぶわかる。


「舞、園…さん?」

 健全なこうこうせいのおとこの子が、したいこと、されたい、
 からだ、あつい、でも寒くてきもちいい
 ぬぎたい もっときもちよく

 あ、でも


「舞園さん…!?」



 私の視界は、最後に深刻そうな苗木君の表情だけ映して、ふわふわと無意識の彼方へ飛んで行った。


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