ナエマイSS『エスパー』5

「舞園さん…」
「だ、大丈夫です…ちょっと、疲れてて…すみません」

 ぐしぐし、と、袖で瞳を擦る。
 肌が傷つくから止めろといつもマネージャーに怒られるけど、今は。
 今は、アイドルじゃない。
 一人の女だ。
 一人の女として、苗木君の前にいる。

 関わっちゃいけない、という表現はオーバーだ。
 跡が残るくらいに力強く涙を擦ると、少しだけ目の奥がさっぱりした。

 明日からも彼に笑いかけるし、
 明日からも彼をからかうし、
 明日からも彼のことは、きっと大好きだ。


 けれど。

 この報われない恋愛を、私は諦める。


 きっと、そういう運命なんだ。
 私と苗木君は結ばれない。
 今日という日までアピールを続けてきて、一向に報われなかったのがそもそも兆候だったのかもしれない。


「あーあ…なんか、疲れちゃった」

 諦めの言葉と共に、ふ、と息を吐くと、一気に体中の力が抜けた。
 力が抜けて、いつもよりも深く笑うことが出来た。


 エスパーだから、だなんて、本気で言っているわけじゃない。
 人よりちょっと直勘が鋭いのと、ちょっと感情の機微に敏いくらいだ。

 だから、念力なんてないし、明日の天気もわからないし、相手が何を考えているかなんてわからない。


 エスパーごっこは、もうお終いだ。



 苗木君は、じっと私の顔を見ていた。
 射抜くような、包み込むような目つきだった。


 く、と苗木君の頬が歪む。

 この表情は、――

 いつもの癖で分析でもしそうになって、目を反らした。
 瞳の中に苗木君を入れてしまうことすら、罪深いものに思えた。

 瞳の端で、苗木君は立ち上がって、


「嫌だったら、逃げてね」
「え、」


 私が言葉を返す前に、薄い布が頭から被せられた。


「ちょ、なえ、」

 ぐい、と、優しくも力強い何かが、私の頭を引っ張る。
 薄い布は、苗木君の着ていたパーカーだった。
 何をされているんだろう。
 不思議と、抵抗する気力は起きない。


「ゴメン…今だけは、考えてること読まれたくないんだ」


 グサ、と、世界で一番好きな声が、胸に突き刺さった。

 自分でわかっていたことなのに、彼の声で改めて聞くと、罪の意識が掻きたてられる。
 痛みで思わず喘いでしまいそうになって、

 その声が、自分の真上から響いたことに気が付いた。


 ド、ド、温かくて硬い壁の奥から、リズムよく鼓動が響く。


 えっと、これって、

 苗木君の顔が私の頭の上にあって、目の前にあるのは多分苗木君の胸で、
 じゃあ、私の肩をパーカー越しに包んでいるのはきっと苗木君の腕で、


 私は、苗木君に抱かれているんだ。



 ボボボ、と、再燃する心臓。
 何度もスイッチのオン/オフを繰り返して疲れきっているはずなのに、今日一番の高鳴りだった。


「あ、の、なえぎ…くん…?」

 口から出た声は、なんとも力なく震えていた。
 私と彼の心臓の音の方が、まだ大きい。

 いつもは私が彼をからかう、いじめる立場なので、彼の方からアクションを起こされた時は弱い。
 苗木君以上に、私の方が焦ってしまうんだ。


「えっと…その、まずは…勝手にこんなことして、ごめん」

 彼の声も、どことなく上ずっていて。

「い、いえ…私は、あの…嫌じゃないです…けど」

 苗木君こそ、嫌じゃないのか。
 私はあなたの考えを何でも見透かしてしまう、怖い魔女、嫌な女。

「あの、それと…その、体調悪かったのに、振り回してゴメン」
「そんな、私が言い出したのに…それに、私は楽しかったし…」
「…それでも、謝らないと気が済まなくて」

 ど、ど、どど、ど、ど、

 私の鼓動、苗木君の鼓動。
 どちらが速くてどちらが大きいのか、全然わからない。
 緊張してるんだ、お互いに。

 だって、布一枚越しに、苗木君が私を抱きしめているんだから。


「あと、あの…怖いって言ったの、舞園さん気にしてるよね…ゴメン」
「な、」


 エスパー?


「んで、分かっ…じゃなくて、全然気にしてな…あ、でも、ちょっとへこんだだけで…」
「分かるよ。舞園さんが笑った顔、いつもよりすごく…悲しそうだったから」


 心臓がひと際、高く跳ねた。

「いつもの舞園さんの笑顔は、なんていうか…花が咲いているみたいな、綺麗で明るい感じだけど」

 いつもの、私の。
 苗木君、その言葉は。

 『いつもの私の笑顔』をよく知っていないと言えない言葉だって、あなたは気づいていますか。

「さっきのは全然違うっていうか…何かをあきらめて、しょうがないか、って笑う感じで…上手く説明できないんだけど」

 苗木君、その言葉が。
 私の心臓をどんどん速めてしまっていること、あなたは気づいていますか。

「だから、なんか励ましたいというか…抱きしめたくなっちゃって。あ、でも、その、変な意味とかじゃなくって、えっと…」


 あれ、嫌じゃない。

 いつも、私が苗木君にしていることと同じなのに。
 感情の機微に、表情や仕草に敏く目を光らせていること。
 考えを読まれたのに、なぜだろう、すごく嬉しい…


「怖いのはホントだけど…嫌じゃないんだ、僕。舞園さんが僕の心を読むの」
「…は、はい」
「あ、でも…今みたいな時は、心読まれたら困る…かも。すっごく、ドキドキしてるから」


 残念ながら、顔だけ隠しても緊張しているのは丸わかりだ。


 あ、そっか。

 彼の『怖い』という言葉を、
 私は『嫌い』と混ぜてしまったんだ。

 嫌じゃない、と苗木君は言った。

 怖いけど、嫌じゃない。


 ついさっき諦めたはずの、恋心。
 まさか数分後に再び芽吹くなんて、思いもよらなかっただろう。


「…大丈夫ですよ、苗木君」


 パーカーから、苗木君の匂いがする。
 私を支えてくれた暖かい背中を、思い出した。


「私も、苗木君がエッチな目で私のことを見るの…怖いけど、嫌じゃないですから」
「ぶッ…そ、そういうのは、言わないで…」

 硬い壁、彼の胸。その奥で、鼓動がいっそう速くなった。

 ああ、暖かい。
 女の幸せは、愛するよりも愛されること。
 先輩が教えてくれた言葉を、今は理解できる。

 これは、認めざるを得ない。
 彼をからかったり、笑顔にさせたり、今日一日で色んな事を苗木君にしてきた。
 色んな表情を見ることが出来たし、それはすごく幸せだったけれど。

 腕に抱かれている、この暖かさは。
 他の何物にも劣らない、至上の幸せだった。


 パーカーを取り払って、生身で彼に抱きつきたかったけれど、止めておいた。

 やっぱり、こんなに緩みきった顔は、苗木君には見せられない。


「…私のエスパーが、移っちゃったのかな」
「え?」
「どうして、いつもの笑顔と違うって気づいたんですか?」
「あ、そういうことか。…うーん、なんでだろ」

 きっと、気が弱くても真っ直ぐな、優しい彼だから。
 人一倍、誰かの不幸に敏感な彼だから。

 諦めかけていた私を、助けてくれたんだ。


「…あーあ。苗木君、こうやってこれからも、私を甘やかしていくんですね」
「えっと…慰めただけ、だと思うんだけど…」
「もう遅いですよ。ただ慰めるだけなら、言葉だけでもよかったはずです」
「う、それは…」

「明日からは私、もっともっと苗木君に甘えて、からかって、」

 ずっと、あなたのこと、好きであり続けるから。


「――覚悟してくださいね、苗木君」


 ―――――


「舞園さん、あの」
「ルーズリーフは、私も忘れてしまって…ごめんなさい」


 もうそろそろ慣れてもいい頃なのに、苗木君は初めての時と同じ反応。
 目を丸くして、それから少しして、困ったように笑うのだ。

「…今更なんだけどさ。実は超高校級のアイドルじゃなくて、超高校級の超能力者だったりしない?」
「残念ながら、苗木君限定なので」

 言いながら、ノート代わりになりそうなモノはないかと、鞄を開く。

「あ、大丈夫だよ。無かったらなんとか工夫するから」
「そんなわけにはいきません。また他の女の人のところに行かれたら、たまったもんじゃないですから」
「うぐ…そ、それはホントにゴメンって…」


 あの日から、月日は過ぎて。

 苗木君の背が私を越して、私の肩幅が苗木君よりも小さくなった頃。
 私たち二人の関係は、一つの転機を迎えた。

 その関係がどういう枠組みなのかは、一言では語り表せないというか。
 言葉にしてしまうと、途端に嘘っぽくなってしまうというか。
 正直なところ、私としても書き記すのは恥ずかしいというか。


 ただ、思い切ってバッサリと切った私の髪を見てもらえば、なんとなく想像はついてしまうのだろう。
 別に願を掛けていたわけでもないけれど、鋭いクラスメイトのうちの何人かは言葉をくれた。


「舞園さん、今日は、」
「ストップ。二人っきりの時は名前で呼んで、って…言いましたよね?」
「…舞園さんだって、さっき『苗木君』って言ってたよ」
「じゃ、今からお互いに名前で呼びましょう。ね、誠君」

 躊躇いも見せずに微笑みかければ、いつものように苗木君は赤くなる。
 幾度も繰り返したやり取りだけれど、飽きる気がしない。

 いつまでだって私はあなたをからかうし、私はあなたに笑いかけるし、私はあなたを愛し続ける。

「さ、さや…」
「んー?」
「う、ぐ……さやか、さん」
「はい、よくできました。あと、私はいじめっ子体質じゃないですよ」
「……」
「そうですね。私が相手だと、気軽に浮気も出来ないですね」
「…まあ、する予定もないんだけどね」


 エスパーごっこは、まだ続いている。


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