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『○月◇日 響子 誕生日』

 白いクロスの敷かれたテーブルには三本の蝋燭が立てられたバースデーケーキ。
 その正面には、銀髪の少女が大きなクマのぬいぐるみを両手で抱え座っている。
 屈託の無い満面の笑顔は、きっとファインダーの向こうにいる両親に向けられているのだろう。
 本当に幸せそうなその表情を見ていると、なんだかこちらまでもが嬉しくなってくる。
 とても暖かい、素敵な写真だ――そう思う。


 ふと顔を上げ、隣を見やる。
 と、

「……何?」

 視線に気付いた霧切さん――すなわちかつての写真の少女が無愛想にそれに応える。

「いや、何ってわけじゃないんだけど」
「なら、私の方を見る必要はないわね。そっちだけ見ていればいいでしょう?」

 僕の膝の上のアルバムを指差す霧切さんの顔は、いつもに比べてやや仏頂面寄りのポーカーフェイスを作っている。
 ただし――僕の見間違いでなければその頬には朱が差していた。
 これはつまり照れている、ということでいいのだろうか。
 思わず口に出してそう聞いてみたくなるが、押し留める。
 余計な一言で地雷を踏もうものなら、このアルバムの閲覧許可は恐らく永遠に取り下げられてしまう。
 そして、そんな展開は僕の望むところではない。

 代わりに、僕は比較的当たり障りがないであろう別の疑問を彼女にぶつけてみる。

「あの、ところでさ。何で霧切さんも隣で見てるの?」
「何か問題でもある?」
「いや……問題はない、けど」
「……私もまだ中身を確認していないから。あなたの監視がてらに眺めているだけよ」

 監視ってなんだろう。
 ちょっと気になるが、まあそこはいい。

「そっか……まだ見てなかったんだね……」
「だから、私のことはいいじゃない。そちらに集中して」
「う、うん……」

 このアルバムを学園長の私室で見つけたのは、僕らが学園を出る直前のことだ。
 まだ『探偵』になる以前の、そして『父親』がいた頃の自分の姿を綴った記録。
 霧切さんは当初、それを荷物の中に加えることさえ気が進まない様子だった。
 しかし僕が強く勧めた結果このアルバムは学園から持ち出され、そして今も彼女の手元にある。
 差し出がましいことをしたかな、という気がしなくもない。
 霧切さんが未だ一度もこのアルバムを開いていないと聞いて、尚更そう思えてくる。

 しかし――我ながら現金な話だけれど。
 こうしてページをめくり、僕の知ることのなかった過去の彼女を垣間見ていると、やっぱり――

「……あまり人の写真を見ながらニヤニヤしないで欲しいわね」
「え? そんな顔してた?」
「率直に言って気持ち悪いくらいニヤつているわ、現在進行形で」
「……ごめん」

 霧切さんの視線がちょっと痛い。
 それでもやっぱり、持っていくよう勧めて正解だったと僕は思う。




『10月31日 ハロウィン』

 少女は黒い三角帽子に同じく黒のワンピースという魔女の扮装だ。
 銀髪と色素の薄い瞳も相まって、まるで童話の世界から抜け出てきたかのように可愛らしい。
 そしてその隣でソファに腰掛けているのは、少女と同じ色の瞳をした若い黒髪の男性。
 少女に箒で頭をはたかれて、困ったような顔で笑っている。
 彼女の腕に提げられたバスケットには既に目一杯お菓子が詰込まれているが……。
 それにも関わらず悪戯されてしまっては、如何ともし難いだろう。
 何故だか、僕は黒髪の男性にある種のシンパシーを感じてしまうのだった。


「なんだか随分本格的だね。このランタンなんか、本物のカボチャで作ったやつでしょ?」
「そうね。この頃はアメリカに住んでいたはずから」
「へえ。流石本場だなあ……」
「……一応訂正しておくけれど、ハロウィンの起源はイギリスよ」
「あ、そうなの?」
「まあ、盛んなのは専らアメリカの方だけれどね」

 僕の言葉に答える霧切さんは相変わらずのポーカーフェイスだ。
 けれどその横顔はどこか昔を懐かしんでいるかのようで、そして同時にどこか寂しげに見える。
 それはきっと、彼女の隣に写っている男性――父親のためなのだろう。

 最後の学級裁判。
 江ノ島盾子の絶望を撥ね退けたあの時に、彼女の中の父親への想いには一区切りがついたものだと僕は思っていた。
 だが、区切りがついたからこそ。
 憎しみや憤りだけではない想いを認められるようになったからこそ。
 もはや伝える相手のいないその想いは、彼女にとって――。

 いや、やめよう。
 これではまるで下種の勘繰りだ。
 取り繕うかのように、僕は慌てて言葉を捜す。

「えっと、それにしてもさ」
「何かしら」
「やっぱり可愛いね、霧切さんの笑った顔。今もだけど、この頃から」

 僕が言い終わるのとほぼ同時に、霧切さんのジト目が僕に突き刺さる。

「……苗木君」
「うっ……」

 空気を変えようと咄嗟に口をついたこととはいえ、どうにも残念な台詞をチョイスしてしまったものだ。
 もちろん、嘘を言ったつもりはないのだが。

「もうその手は食わないわよ」
「あ、その、だから……別にからかおうってわけじゃあ」

 しかし、まあ。
 彼女の瞳からひとまずは憂いの色が消えたということで、良しとしよう。
 その代わり、今もなおジト目が僕に向けられているが。





 ……いや、ちょっと待て。
 そこで僕は違和感に気付く。
 さっきの彼女の台詞、ちょっとおかしくないか?

「ねえ……今、『もうその手は食わないって』言った?」
「え?」
「『もう』ってつまり……霧切さん、もしかしてあの時のは演技じゃなくて……」

 じと。

 言いかけたところで威圧感が上乗せされた視線に射抜かれる。

「記憶が無いわね。そんなこと言ったかしら?」
「え、えーと……言って……なかったかも」
「それより、アルバム。続きを見ないの?」
「あ、ハイ……」

 霧切さんに言われるがまま、僕はいそいそとページをめくるのだった。


 ◆


『11月15日 三歳の七五三』

 どこかの神社の境内。
 カメラに向かって片手で袖を広げてみせて、誇らしげに笑う赤い着物姿の少女。
 もう一方の手は隣で優しげに微笑む女性の手をしっかりと握っている。
 少女と同じ銀色の髪をしたその女性は、雰囲気は随分違うけれど今僕の隣にいる彼女とよく似た顔立ちだ。
 そしてそのさらに隣には、上品な口髭をたくわえた初老の男性が穏やかな笑みを浮かべて佇んでいる。


「この女の人って、霧切さんの――」
「ええ、母よ」
「やっぱりそうなんだ……凄く綺麗な人だね」

 ということは、口髭の紳士の方は彼女の祖父か。
 もっと厳格でおっかない感じの人を想像していたけれど、写真の紳士からは僕の抱いていたのとは真逆の印象を受ける。
 あるいは、世界に冠たる探偵一族の長もかわいい孫の前では案外好々爺のだったのだろうか。

「神社ってことは、この時は日本に戻っていたの?」
「霧切の本家に帰省していた時だと思うわ」
「へえ……」

 それにしても――写真の母親は今の彼女に本当によく似ている。
 ほっそりとした輪郭に、切れ長の眼と薄い唇。
 知的で上品な印象は霧切さんそっくりだ。
 ただ、写真の女性は彼女よりも随分と雰囲気が柔らかい。
 娘に向けられた何気ない、それでいて愛情に満ちた微笑。
 これが母親の顔というやつなのだろう。
 いつか結婚して母親になったら――その時には、きっと霧切さんもこんな笑顔を見せてくれるのかもしれない。
 思わずそんな妄想が頭の中を突っ走る。

「お母さん似なんだね、霧切さん」
「よく言われたけれど、自分ではいまひとつ分からないわ」
「いや、本当に似てるよ。今の霧切さんと、写真のお母さん」
「……そう、かしら……」

 なぜだか霧切さんの顔が一層赤くなる。
 ……はて。果たして今の会話の中に彼女が照れるような何かがあっただろうか?
 訝しみつつ頭を捻り、そしてようやく僕は思い出す。
 自分がつい今しがた、霧切さんのお母さんを『凄く綺麗』と評したことを。

 今さらながら恥ずかしさがこみ上げてきてしまう。
 いつの間にか僕も彼女もお互いから視線を逸らしている。

「……」
「……」

 寸刻の静寂。

「……続き、見ようか」
「……そう、ね」


 ◆


『6月19日 父の日』

 ハロウィンの写真と同じソファー。
 父親の膝の上に腰掛けている少女は、カメラに向けて両手で画用紙を広げている。
 そこにクレヨンで描かれているのは父親の似顔絵と、『おとうさん だいすき』という幼い文字。
 少女は笑っている。
 これまでのどの写真よりも、素敵な笑顔で。
 父親も優しく娘の頭を撫でながら笑っている。
 娘と同じ色の瞳に深い愛情を湛えて。
 二人の笑顔は、僕にはとてもよく似て見えた。


「……ねえ、覚えているかしら。私が前に話したこと」

 霧切さんが呟くように語り出す。

「『父に会っても話したいことなんてない。言いたいことならあるけれど』って」

「今なら言えるわ……『それは違う』って。『それだけじゃない』って。今なら……認められる」

「でも……父はもういない。もう、私の内にあるものを伝えられない。あの人の内にあったものも、知ることはできない」

 訥々と、霧切さんの口が言葉を紡いでいく。
 口を開く時にはいつだって歯切れ良い物言いをする彼女のそんな姿は、僕にとって初めて見るものだった。

「きっと、もう決して……この気持ちに整理がつくことは無いのでしょうね」

「でも……いえ、だからこそ……」

 視線を写真に落としたまま、霧切さんは独白を続ける。
 それは目の前の僕だけではなく、どこか遠くの誰かに向かって語りかけているかのようで。

「あなたは言ったわよね。『皆の死を乗り越えなんてしない。ずっと引きずっていく』って」

「私も、引きずっていくわ……この気持ちを。あなたが、そうすると言ったように」

 僕は、彼女をただ無言で見つめていた。


 ◆


「……つまらないことを喋ってしまったわね」

 抑揚をおさえた、しかし明瞭な声。
 喜怒哀楽を奥深くに仕舞い込む探偵の顔。
 暫くして僕に向き直った時には、もう霧切さんはいつもの霧切さんだった。

「まったく……柄じゃ無いわ。忘れてちょうだい」

 そう言って髪をかき上げる仕草も、やはりいつもの彼女と寸分違わないものだ。


 なのに。
 それでも、僕には彼女が無理をしているように思えてならない。
 胸の内から漏れ出たものを必死で抑えようとしているように見えてならない。
 だから、僕はこう言わずにはいられない。

「つまらないことなんかじゃあ……ないよ」

 僕を見返す霧切さんの表情は変わらない。
 だけど、その瞳の奥では何かが揺れている。
 少なくとも、僕にはそう見えた。

「今話してくれたことは、きっと霧切さんにとってとても大切なことだと思うから」

 霧切さんが僕に向かって口を開きかけた、その時。

 狙い澄ましたかのようなタイミングでアルバムの隙間から何かがひらりと滑り落ち、霧切さんの足元で止まる。
 四つ折りに畳まれた紙切れ。
 それを霧切さんが拾い上げる。
 革の手袋に包まれた指が、紙切れの折り目をゆっくりと広げていき――現れたのは。


 クレヨンで描かれた似顔絵と、『おとうさん だいすき』という幼い文字。
 写真に写っているのと同じものだった。
 画用紙を持つ手が、小さく、ほんの僅かに震えている。

「霧切さん……」

 僕から表情を隠すかのように霧切さんは顔を伏せる。

「……ごめんなさい」

 消え入るようなか細い声だった。

「少しだけ……少しだけ一人にしてくれないかしら……」

 いつかと同じ台詞。
 だけど、あの時よりもずっと、今の霧切さんは弱々しく見える。
 父の亡骸と対面した時でさえ、僕の前では気丈な態度を崩さなかったのに。
 一つの絶望を、一つの戦いを乗り越えた今だからこそ――。
 突如形を伴って現れた思い出の欠片は、一層深く彼女の心に突き刺さるのかも知れない。

 僕は軽く目を閉じる。
 そうして意を決すると、口を開く。

「ゴメン。その頼みは聞けない」

 霧切さんの肩がかすかに揺れる。

「……何故?」
「君のことを、放っておきたくないから」

 なんだか恥ずかしい事を言っているな――。
 そんな自分の心の声がどこか遠くに聞こえる。

「ねえ……霧切さん、前に言ってくれたよね。その……僕と一緒ならこの先何が待っていようと平気だって」

 霧切さんは何も言わない。
 身じろぎもせずにただ、深く俯いたままだ。

「正直さ、ちょっと買い被られ過ぎじゃないかって気もしてるんだけど……。
 でも、君が本当にそう思ってくれているなら……君が引きずっていかなきゃならないものを僕にも少しだけ分けてくれないかな」

 それでも、尻込みする気には不思議とならない。

「霧切さんは探偵だから、他人に弱さを見せられない……それは僕も知ってる。
 けれど、君が僕と一緒に来てくれるって言うなら……僕が君と一緒に行ってもいいのなら、辛いことは一人で抱え込まないで。
 僕でよければ、吐き出してよ。さっきみたいにさ」

 搾り出すような声が問い返す。

「お節介にしても度が過ぎるわ……」
「うん……まあ、自覚はしてる。でも、『一緒に行く』って多分そういうことなんじゃない?」

 再び、沈黙。

 そして、暫しして。

「……ありがとう」

 ぽつりと呟いた後。

「……っ、くぅ……ぅ……」

 堰を切ったように霧切さんの口から嗚咽が漏れ出す。
 それはほんの微かな、押し殺したようなすすり泣きだったけれど。
 肩を小さく震わせながら、霧切さんは確かに泣いていた。
 彼女の瞳から零れ落ちた雫が画用紙を濡らしていく。 


 自然と、僕の身体は動いていた。
 彼女の頭に手を伸ばし、そっと撫でる。
 写真の中で彼女の父親がそうしているように。
 ふわりとした、柔らかな髪の感触が掌から伝わってくる。

「……何、それ……」

 初めて耳にする、涙に濡れた霧切さんの声。

「あ、ごめん……ちょっと調子に乗り過ぎたかも」
「全く、よ……生意気……にも、程があるわ……」

 僕が慌てて手を引っ込めようとしたその時、霧切さんがすっと僕の方へと体重を傾ける。
 彼女の肩と、僕の腕が触れ合う。
 心地良い程度の重みと、そして彼女の淡い香り。

「言い出したのは……あなた、なんだから……自分の言葉には……責任、を……持って……もらうわよ」

 僕の肩に頭を預けたまま、涙混じりに霧切さんが言う。

「勿論。僕でよければ、ね」

 答えながら、僕は再び霧切さんの頭に手を添え、優しく撫でる。
 ひととき写真の少女に舞い戻りすすり泣く彼女が、超高校級の探偵に立ち返るまで。
 僕はただ、彼女を撫で続ける。
 触れ合う身体から伝わる体温を感じながら。





 その後、僕らはこの時の様子を葉隠君と朝日奈さんに目撃されていたのを知ることになる。
 そして散々冷やかされる羽目に陥るのだが、それはまた別の話だ。
 ここで僕の口から語ることじゃない。


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