大人ナエギリ花札編 十枚目

十枚目:紅葉に鹿

 奈良は東大寺、奈良公園。
 紅葉を踏み鳴らして歩く鹿が、観光客を眺めている。

「シカせんべい…なんでか販売中のには手を出さないんだよね、鹿も」
「彼らもなんとなく分かっているのね。アレは買った人の手から食べるものだ、と」
「試しにあげてみる?」
「…遠慮しておくわ」
 どこか憮然とした調子で、霧切さんは肘を付いた。
「昔から動物には好かれないのよ。逃げるか威嚇するかの二択だから…」
「昔、って…いつぐらい?」
「実家で飼っていた犬は、最後まで私に懐くことなく…五年前に天寿を全うしたわ」

 五年前というと、彼女がまだ高校にいた頃だ。
 確かにあの頃の霧切さんは、動物に限らず人間すらも近づけない雰囲気を持っていた。
 今は、どうだろう。
 少なくともあの頃よりは、母性というか包容力というか、とにかく大人の女性になったと思う。
 本人に言うと睨み倒されるから、絶対に言えないけど。

 僕は立ち上がり、ベンチのすぐ近くの売店へ向かった。
 二袋買って、一つを彼女の胸元に押し付ける。

「ちょっと…私はやらないわよ」
「ものは試しって言うでしょ。ホラ、鹿寄ってきたよ」
 きっと本当は動物が嫌いじゃないのに、怖がらせたくないから遠ざかっていたのだろう。
 そういう寂しい優しさを持っている人だから。
 鹿たちもお見通しのようで、特に怖がるでも無く霧切さんの周りに集い、早く早くと彼女を急かす。

 僕は袋から一枚だけせんべいを取り出し、比較的体の小さな鹿の口元に持っていった。
 もそもそと食べ、次はないのかと問うように見上げる仕草は、なんとも愛くるしい。
 僕のやり方を見よう見まねで、霧切さんも恐る恐る袋を開く。

 と、彼女の後ろにいた鹿が、軽く頭で彼女を小突いた。

「…ちょっと待ちなさい、今開けるから…」
 彼女が袋を開けるのを手間取るうちに、三匹、四匹、どんどん鹿が集まってくる。
 手伝ってあげようかな、とも思ったけれど、これはこれで。
「やめ、ちょ…あなたたち、少しは辛抱というものを…」
 焦っているのか、なかなか袋の紐は開かず、急かすように何度も頭突きされている。
 思わず立ち上がって鹿と距離を取るも、鹿の群れは袋を持った彼女を追いかける。

「ちょ、ちょっと苗木君…! 笑ってないでどうにかしなさい、コレ…」
 シュールな絵面に思わずケータイを構えていた僕を、盾にするように背中に逃げる。
「食い意地張って…あげないとは言ってないのだから、慎みを持って…」
「そうだね、まるで誰かさんみたいだね。いつも肴をせっつかれる僕の気持ち、少しは分かった?」
「……私はここまで酷くはないわよ」
 彼女はそれっきり黙って、僕の背中にくっついてしまった。
 今は外出中、人目のある場所では霧切さんは大人しい。
 まあ、これでもう動物に嫌われているなんて言ったりしないだろう。

 試しに、背中にくっついたままの霧切さんの口元に、シカせんべいを咥えさせてみる。
 まるで怯える小鹿のように、彼女は僕の手からもそもそとせんべいを食んだ。




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