楽園の犯罪

 連休中の寄宿舎。夜の食堂で、ボクは大いに羽を伸ばしていた。
この希望ヶ峰学園の職員も連休中には多くが休みを取ってしまう。
つまり日頃はしっかりと管理が行き届いている寄宿舎の監視(と言うのは言い過ぎか?)も緩んでいるという事だ。
もちろんボクにやましい事は何もないのだが、午前中に一度の見回りさえやり過ごせば、得られる開放感は大きい。
それは食堂にいる他の生徒たちにとっても同じようで、各々がリラックスした様子で過ごしている。

 さて、これから何をしようか……。ボクは大きく伸びをして何気なく、向かい側の席の方に目をやった。
そちらにはボクがこの食堂に来た時から女子のグループが出来ており、何やら盛り上がっているようだった。
そして今は……絶妙のタイミングで彼女たちが一斉にこちらを振り返り、ボクに視線が集中する。
な、なんだ? 何かボクの噂でもしていたのだろうか。幸か不幸か何の心当たりもないボクには戸惑う事しか出来ない。
そのうち一人の女子が席を立ってこちらに向かって来た。
上品な微笑を浮かべたゴスロリ服の女の子──彼女は“超高校級のギャンブラー”セレスさんだ。
「苗木君、ちょっとよろしいですか?」
「な、何か用?」
ボクが思わず身構えると、彼女は何気ない口調で言い放った。
「相変わらず暇そうですわね」
口元には微笑を浮かべたまま、心にチクリとくるような一言だ。
ボクは何か言い返そうとしたが、本当の事なのでもごもごと口を動かす事しか来ない。
セレスさんはボクのそんな反応にはお構いなしに話を続ける。
「そんなあなたの暇をわたくしが潰して差し上げましょう。……ああ、礼には及びませんわ」
この流れ……ボクは今までの経験でピンときた。半ば諦めの境地で聞き返す。
「……要するに、何か雑用をして欲しいって事?」
「雑用とは人聞きが悪いですわね。わたくしはあなたを見込んで、とても名誉な任務を差し上げるつもりですのに」
セレスさんは一瞬心外そうな表情をしたが、すぐにさっきの微笑を浮かべて言葉を継いだ。
「……苗木君。今から大浴場に同行して入り口の所に立っていて下さい。
そして、わたくし達が入浴している間、不貞の輩が入り込まないように守って欲しいのです」
「ああ、何だ。つまり女湯の見張りをすればいいんだね。……って、えええええ!?」
セレスさんのさりげない口調に引き込まれてついノリツッコミをしてしまった。ボクは驚きのあまり立ち上がる。
じょ、女子のお風呂の前にずっと立ってろって、それはいくらなんでも問題が……!!
それはともかく、ボクが大きな声を出したせいで周りの注目を集めてしまった。
ちょうど食堂を出たところ葉隠クンに、離れた席に座っていた大和田クンや桑田クンまでもが振り返る。
ボクは急激に恥ずかしくなって席に座り直した。
「そ、それってどういう……」
もう一度聞き返した時、いつの間にかセレスさんと一緒に居た女子の皆が集まってきている事に気がついた。
顔ぶれは……朝日奈さん、大神さん、江ノ島さん、腐川さんだ。
呆気に取られているとグループを代表するように朝日奈さんが口を開いた。
「この寮ってせっかく立派な大浴場があるのに皆で一緒に入る事って無いなって、さっき話してたんだ。
ほら、いつもは女子のお風呂の時間は結構限られてるじゃん。皆、部活とか仕事とかでタイミングも合わないし」
ボクは頷きを返す。そう言えば……大浴場が女子にはあまり利用されていないというのは聞いた事がある。
それは大浴場が男女共用の脱衣所の先で男湯と女湯に分けられているという不可解な構造をしているせいで、
女子が入浴する時には必ず女性教諭が入り口に見張りにつかなければならないという規則があり、
どうしても入浴時間が限られてしまうせいらしい。
最新鋭の設備が整った希望ヶ峰学園の寮で、どうして大浴場だけがこんな仕組みなのかは謎でしかない……。
「連休中は先生がつけないから女子は自分の部屋のシャワーしか使っちゃダメって言われるんだけどさ、
これって逆にチャンスだと思うんだよね。だって自分達の好きな時間に、皆揃って入れるんだよ?」
悪戯好きの子供のように無邪気に笑う朝日奈さん。そこに大神さんが一言付け加える。
「ただし、信用のおける見張り役が必要だがな……」
「そこでわたくしがあなたを指名したという訳です、苗木君。
あなたの真面目を通り越してバカ正直な人柄は皆さんよくご存知ですし、
何よりあなたはわたくしのナイトですもの。主人の身を守るのは当然の事でしょう?」
素直に喜べない単語も混じっていたが、セレスさんや皆から信用してもらえるのは悪い気はしない。
でも、だからと言って即座に首を縦に振るような勇気がボクにある訳がなかった。
「で、でも、ボクなんかよりもっと頼りがいのある人がいるんじゃ。……ほら、石丸クンとかさ。
何てったって“超高校級の風紀委員”だよ?」
ボクはささやかな抵抗を試みたが、そこへ江ノ島さんが割って入る。
「あーダメダメ。石丸は連休中、ずっと部屋にこもってガリ勉やってるし。
だいたいあの石頭が協力してくれる訳ないじゃん。『君たちッ! それは規則違反だぞッ!』とか言うに決まってるって」
途中、石丸クンそっくりの口調を交えた言葉に、ぐぅの音も出ない。
さらに、今まで黙っていた腐川さんまでもが苛立ったように声を上げた。
「な、何よアンタ……そんなに私達のお願いを聞くのが嫌なの? それとも私が嫌いなの? そうなの?
何よ、わ、私だって好きでこんなややこしい事に関わってる訳じゃないのに。
私はそこの朝日奈さんが、『どうしても皆一緒がいい』って言うから仕方なく……!」
腐川さんは言いながら、大きな歯軋りを交えて落ち着き無く辺りに視線を走らせる。
……放っておくと、どんどん被害妄想が強くなりそうだ。ボクは観念した。


 そして五分後──大和田クンと桑田クンの何か言いたげな視線を背中に感じながら女子と一緒に食堂を出たボクは、
大浴場の入り口に背を向けた格好で、廊下に立っていた。
絶対に振り返らないように、と念を押された上で背後に女子達のはしゃぎ声を聞きながら。

『それにしても苗木が引き受けてくれて助かったねー。霧切ちゃんと舞園ちゃんもいたらもっと良かったんだけど』
『早朝に偶然お二人にお会いした時、これから休み明けまで仕事で不在と聞きましたわ。またいずれお誘いしましょう』
『ふーん……仕事かあ。大変だね。“超高校級のアイドル”に、“超高校級の探偵”っていうのも』

この声──朝日奈さんとセレスさんだ……。声が外に漏れてる事に気づいていないのだろうか。
大浴場入り口には目隠しの為に大きなのれんが掛けられているが……布一枚隔てた先であの二人が……。

『ふんっ……相変わらず貧相な身体ね……』
『ハァ? アンタにだけは言われたくないんですけど! この超ド貧乳っ!』
『やめぬか、二人とも。今日は友情を深めるために風呂に来たのであろう』

腐川さんに江ノ島さんに大神さん──そういえば江ノ島さんは初めて会った時に「盛ってる」とか言ってたな……。
……って、何を考えてるんだボクは。余計な事は考えずに見張りに集中……集中……。

『わぁー、セレスちゃんやっぱり肌綺麗ー! いいなぁー……こんな所まで真っ白だよぅ……』
『あっ……朝日奈さんっ……どこを触って……///』

!? ……しゅ、集中だ。集中しろ、ボク。……そうだ、こんな時こそセレスさんに教わったスキル“抜群の集中力”で……!

『ホントだ、しかもスベスベ! ……ねえ、これって何かつけてんの?』
『な、何よアンタたちばっかり楽しそうにして……! わ、私にも触らせなさいよ……!』
『ちょっと……腐川さんまで……!? やめて、下さい……そこは……っ///』

……ふぅ。よく聞こえる。 今はダメだ、このスキル……早くなんとかしないと……!

『みっ、皆さん……や、やめ…………やめろって言ってんだろうが、このビチグソがぁッ!!///』

お馴染みの怒声が廊下にまで響き、一瞬、辺りは静かになった。そこに大神さんの冷静な声。

『そのぐらいにしておけ。いつまでもこんな格好で遊んでいては、全員風邪を引いてしまうぞ?』
『はーい、さくらちゃん』
『そうだね。また後で触らせてもらおっと♪』
『つ、謹んでお断り致しますわ……』

数人分のペタペタという足音に続いて、女湯の引き戸の音らしい「カラカラ……ピシャッ」という音がして
ようやく女子たちの声も気配もしなくなった。ボクはほっと大きなため息をつく。
これは思った以上に危険な任務だ……。


 一人廊下で悶々としつつ過ごして三十分。連休中で人が少ないせいか、廊下を歩く人すらいない。
「早めに出て来る」とは聞いていたものの、だんだんと待ち疲れてきた。
皆が心配するような事が起こらないのが救いだが──そう思った時、事件は起こった。

『いやああああああっ!!』

ボクは突然の悲鳴を聞いて驚き、竦みあがった。今の声は──朝日奈さん!?
さらに続いて内容の聞き取れない複数のざわめき。どう考えても、穏やかじゃない。
反射的に大浴場の方を振り返ったボクだが……すぐに駆けつけていいものか迷ってしまう。
今、女湯の方に行ったら違う意味で危険なんじゃ。それにお風呂に虫が出たとか、そんな小さな理由かもしれない。
一方で、頭の中で危険信号も激しく点滅する。……もしも事故や不審者だったら──
ボクは迷いを振り切り、目の前ののれんを潜って脱衣所に飛び込んだ。

 脱衣所に入ったボクは、素早く靴を脱ぎ、辺りに視線を走らせる。
脱衣所のどこにも人の姿は無く、板張りの床に二台並んだベンチや、壁際のロッカーにも異常は無い。
突き当たりの壁にはそれぞれ大きく「男」「女」と書かれた磨りガラスの引き戸が並んでいて、
誰も入っていないであろう男湯の戸は大きく開け放たれ、女湯の方は閉まっている。
耳を澄ますまでもなく、女湯と書かれた方から慌てたような複数の人の声がした。
『誰か……』『犯人を……』という断片的な単語しか聞き取れないが、やはり緊急事態が起こったようだ。
ボクは「大丈夫!?」「入るよ!?」などと声をかけながら、勢いよく女湯の引き戸を開け、そこに頭を入れる。

そして湯煙の中に、ボクは見た──

浴室の中で身体にバスタオルだけを巻いたクラスメイトの女の子たち。
そして、頭にタオルを巻いた姿で湯船に浸かった驚くほど色の白い──
次の瞬間、ボクの視界は物凄いスピードで飛んできた何かによって奪われた。
「何入って来てんのよっ!!」
江ノ島さんの怒声と共に額に鋭い衝撃が走り、ボクはその場に倒れこむ。
どうやら彼女が“超高校級の野球選手”顔負けのコントロールで風呂桶を投げつけてきたらしい。
ボクは薄れゆく意識の中で、最後に見た光景を噛み締めていた──


 ふと気がつくと、視界に見慣れない天井が飛び込んできた。どうやらボクはどこかの部屋のベッドに寝かされているようだ。
とにかく自分の現状を把握しようと体を起こすと、だんだんと意識がはっきりしてきた。
部屋の中にあるのは数台のベッドの他に、スチール製の薬品棚と机。さらに消毒液の独特の匂いが鼻につく。
ここは──校舎棟の保健室……。気絶したボクを誰かがここに運んでくれたのか。
理解すると同時に額がズキズキと痛んで思わず顔をしかめると、部屋の隅にある扉が開いた。
「あら、目が覚めたのですね」
「ああ……セレスさん」
彼女は口元に優しい微笑を浮かべてボクの方にゆっくりと歩いてきた。
そして水に濡らした黒いレースのハンカチをボクの額に押し当てる。ひんやりとした感触が気持ちいい。
「ありがとう」
「いえ。……血が出ていないのが幸運でしたわね。一撃で気絶させてくれた江ノ島さんに感謝するといいでしょう。
あとは、あなたをここに運んでくれた大和田君にも」
江ノ島さんに感謝と言うとちょっと複雑な気持ちがするが、大和田君にはお礼を言わないと。
ボクは苦笑しながらセレスさんに頷きを返した。
「でも、あなたがいけないのですよ。まさか堂々と女湯に入ってくるなんて……」
「そ、それは……違うよ。あんな悲鳴を聞いたら誰だって──」
そう言えば、結局あれは何だったんだ? セレスさんに問いかけると、彼女は真剣な表情になって言った。
「それです。とてもまずい事になってしまいましたわ。……残念ながらあなたにとって、ね」


 ボクはセレスさんに連れられて寄宿舎の食堂へと向かった。
あちらに“事件”の関係者が集まっていて、詳しい説明はそちらでしてくれるらしい。
人気の無い校舎棟の廊下を無言のまま二人で通り抜け、あっという間に食堂にたどり着く。
そしてセレスさんが食堂の扉を開けると──ボクは中にいた人達の非難めいた視線を体中に感じた。
大和田クン、桑田クン、葉隠クン……それに朝日奈さん、江ノ島さん、大神さん、腐川さんも。
な、なんだ、この空気……? 何かとてつもなく嫌な予感が……。
「苗木君がお目覚めでしたので、お連れしましたわ」
セレスさんが何事も無いかのような自然な口調で言ったが……誰も答えない。
ボクは異常な緊張感に耐えかねて全員の顔を見回した後、大和田クンに声をかけた。
「え、えっと……さっきは大和田クンがボクを保健室まで運んでくれたんだよね。ありがとう」
彼は短く「ああ」とだけ応じて……キッとボクを睨みつけた。
「んな事ぁ、今どうでもいい。それよりテメェ、一体どう落とし前つける気だぁ?」
大人だって震え上がるような鋭い眼光と、ドスの利いた声。ボクは訳もわからず、こう言うしかない。
「お、落とし前って何の事……?」
「な、何よ。この期に及んでとぼけるつもり? ……この覗き魔!」
ボクの問いに答えたのは腐川さんだ。ボクは慌てて反論する。
「の、覗き魔って……! そりゃ、結果的に女湯の方に行っちゃったのは悪かったけど、
あれは朝日奈さんの悲鳴を聞いたからで、心配になって……不可抗力っていうか……」
当の朝日奈さんを見ると、彼女は驚きと戸惑いが混じったような表情でボクを見返した。
「そうではありませんわ、苗木君。むしろ今、問題になっているのはその少し前に起きた出来事なのです。
皆さんは、あなたこそが朝日奈さんに悲鳴を上げさせた『覗き魔』だと思っているのです」
朝日奈さんに代わるように、セレスさんが教えてくれたのはボク自身にはまるで身に覚えの無い話だ。
ボクは再びズキズキと痛み出した額をセレスさんに借りたハンカチで押さえ、詳しい説明を求めた。


 ボクが『覗き魔』というのはどういう事なのか。
初めから詳しく聞かせて欲しいというボクの言葉に、「じゃあ……」と小さく手を上げて答えたのは朝日奈さんだ。
「まず、私が女子の皆でもっと仲良くなりたいな、って思ったのが最初なんだ。
それで、連休中は皆一緒に大浴場に入るチャンスだから……ってのはもう話したよね?」
その話は直接聞いていたので何の疑問もない。ボクは大きく頷いた。
「食堂でその話をさくらちゃんとしてるうちに、セレスちゃん達が来たから、
皆を誘って五人で一緒にお風呂に入る事にしたんだよ」
「皆を、って……舞園さんと霧切さんは?」
ボクがここにいない残りの女子二人の名前を出すと、セレスさんが証言に加わった。
「お二人は不在でしたの。今日、寮に残っている女子はこの五人で全員ですわ」
連休中は普通の高校生らしく、実家に帰って過ごす人や“超高校級”の才能を活かした仕事をしている人も多い。
今、この場にいないクラスメイトは学園外に出ているのだろう。
ただ、石丸クンは別か。彼はずっと部屋にこもって勉強してるとか何とか……。
「それから、セレスちゃんが『見張りを頼むなら苗木君』って言って、皆も賛成してお風呂に行ったんだ」
ボクを含め、朝日奈さん以外の女子全員が頷いた。
「苗木を廊下に残して脱衣所に入った後、服を脱いで……じゃないや、
その前に江ノ島ちゃんがお風呂に誰も入ってないか確認してくれたよね?」
朝日奈さんの言葉に、今度は江ノ島さんが応じる。
「うん。入り口の下駄箱に靴が一つも入ってないのはわかってたけど、一応ねー。
特に男湯の方に男子が入ってたらマジ最悪だし。ま、軽く覗いてみたらやっぱり誰もいなかったね」
……『軽く覗いてみた』、か……。少し気になるが、これは後でいいか。
「お喋りしながら服を脱いで、それからお風呂の中でも体を洗いながら色々喋ってたんだけど──」
「恋バナとかね♪」
江ノ島さんが茶化すように口を挟むと、すかさずセレスさんが小さな咳払いをする。
江ノ島さんは舌をぺろっと出して無邪気に笑った。……彼女だけはこの状況を楽しんでいる風でもある。
「十分ぐらいしてからかな。私が何気なく女湯の入り口の方を見たらさ、ガラスに映ったんだよ。
湯気もあったし、磨りガラスだし、はっきりとは見えなかったけど……あれは絶対に人影だったよ!」
朝日奈さんは言葉を切り、拳を握って力説するが……犯人の姿を見たわけじゃないのか。
「それで、すぐ悲鳴を?」
「ううん。苗木がちゃんと見張ってくれてるはずだから、最初は女子の誰かだと思ったんだ。
でも、舞園ちゃんも霧切ちゃんも今日はいない、って聞いてたのを思い出して……それで怖くなって──」
それが、ボクが聞いた悲鳴……。納得していると大神さんも証言に加わる。
「朝日奈の悲鳴を聞いた我らが入り口の方を見た時には、すでに人影は消えていた。
朝日奈から『覗き』が出たと聞き、湯船を出ていた者はすぐに体にタオルを巻いたのだが、
そこへ苗木がガラス戸を開けて姿を現したという訳だ」
大神さんの言葉を聞いてボク自身の記憶も蘇ってきた。
浴室の中に広がっていた光景はまさに“楽園”──ってこの記憶じゃない、風呂桶の剛速球だ。
思わず江ノ島さんの方を見ると、彼女は得意げな笑みを浮かべる。
「ストラーイク! ってね♪」
複雑な感情を抱えながらボクは苦笑を返し、その先の証言を促した。


 「苗木君が不慮の事故で気絶したのを確認したわたくし達は、すぐに犯人の姿を探しました。
と言っても、入り口に見張りがついていた以上、探す場所は脱衣所と男湯しか無かったのですが」
セレスさんの言葉に、他の女子全員が頷く。
「脱衣所の中には人が隠れられるような場所は無いから、すぐに男湯だ!って思ったんだよね。
それでセレスちゃんと腐川ちゃんを脱衣所に残して、私とさくらちゃんと江ノ島ちゃんで男湯に入ったんだ」
「……でも、中には誰もいなかった。三人でしつこく調べたけど、お湯の中にも、奥のサウナ室にもね」
「我らは捜索を諦め、服を着て脱衣所を出た。後の事はもはや語るまでもなかろう……」


朝日奈さん、江ノ島さん、大神さんの説明を聞いて、ボクはゴクリと唾を飲み込んだ。じゃあ──
「一応、聞いてやるぜ。苗木、お前が覗き魔か?」
桑田クンが敵意をむき出しにした口調でボクに問いかける。ボクはぶんぶん首を振って答えた。
「ち、違うよ。ボクは覗きなんかしてない!」
「じゃあ見張りをしてる間、脱衣所に誰か入ったり出たりしたのを見たか?」
……これも、答えは「ノー」だ。ありのままに本当の事を言うしかない。
「って事は、決まりだな。やっぱりお前が犯人だ。……だってそうだろ?
事件の前も後も、脱衣所に出入り出来た男はお前だけなんだからな」
桑田クンの人差し指がボクの目の前に突きつけられる。
「な、苗木は見張りをしてると見せかけて、私達が女湯に入ったらすぐに覗きをしていたのね。
そして、それを朝日奈さんに気づかれたら、い、一旦ガラス戸を離れて、何食わぬ顔で戻ってきた。
『ちゃんと見張りをしてました』って演技をして、わ、私達を騙そうとしたのね……!」
腐川さんはわなわなと体を震わせ、すごい形相でボクを睨みつけた。
そんな……そんな事って……!
ボクが犯人じゃない事はボク自身が一番良く知っている。訳がわからない!
確かに、今までの話からするとボク以外が犯人ではあり得ない。
そうでもなきゃ、犯人はボクが駆けつけるまでの間に煙みたいに、大浴場から消えちゃったのか……!?
ボクの混乱などお構い無しに、皆次々とボクを責め立てる。
「苗木……見損なったよ……」
「こういう大人しそうなタイプが本当は一番危ないんだよねー」
「せ、責任取りなさいよ! 私の肌を見ていい男は白夜様だけなのにぃ……!」
「ぬぅ……。我の目が曇っておったか……」
女子の皆からの冷たい視線は、想像以上にボクの心を痛めつける。一方、男子は──
「あーあ。これで女子の好感度、ガタ落ちだな」
馬鹿にしたように冷笑を浮かべる桑田クン。
「テメェの腐った性根、俺が叩き直してやんよ……!」
怒りを全身に漲らせ、拳をボキボキと鳴らす大和田クン。
「苗木っち……苗木っちの事は忘れないべ……」
そして、合掌してボクの事を(天国に?)見送ろうとする葉隠クン。
ボクは……やってない! そう叫びたいぐらいの気持ちだが、喉がカラカラで声が出てこない。
大和田クンが一歩、二歩と詰め寄ってくる。その拳が高く振り上げられたその時──
「ちょっとよろしいですか?」
セレスさんがまるで道でも尋ねるかのような口調で、しかしはっきりと通る声で言った。


 「まだ彼を犯人と決め付けるのは早いのではありませんか? 苗木君が犯人だとしたら、不合理な点がありますもの」
セレスさんのあまりにも堂々とした話しぶりに気勢を削がれたのか、大和田クンは怪訝な顔をして拳を下ろした。
「不合理な点だぁ……? 何だよ、そりゃ」
セレスさんは大胆にも大和田クンの問いを無視するように、ボクの方へ顔を向ける。
「苗木君。もう一度聞きますが、見張りの最中には誰の姿も見なかったのですね?
本当は見張りをサボってどこかに行っていたとか、居眠りをしていたという事は?」
ボクは戸惑いながらも、正直に答えた。
「誰も見なかったし、どこにも行ってないし、居眠りもしてないよ」
ボクの言葉を聞いてセレスさんは頷き、満足げに微笑んだ。
「皆さん、お聞きになりましたわね。彼は先程から、自分が不利になるような事ばかり言っています。
挙句の果てにろくな抗弁も出来ず、絶体絶命の危機に陥っている──
苗木君が犯人だとしたら、こんな間抜けな話があるでしょうか。
ただ、『トイレに行きたくなって脱衣所の前を離れた』とか簡単な嘘をつけば済む話ですのに」
セレスさんの意見に、ボクも含めた一同は息を飲んだ。それほど彼女の話しぶりには有無を言わさぬ説得力があったからだ。
朝日奈さんに至ってはあっさりと「そう言われたら、そうだね……」などと小さく呟いている。
ボクは救いの神を見るような気持ちでセレスさんを見ていたが、ここで桑田クンが吠えた。
「じゃあ、誰が犯人だってんだよ!? 苗木以外に誰が覗きをやれるってんだ!?
結局何も変わってねえよ。他に怪しい奴がいないなら、犯人は苗木に決まってんだろーがッ!」
セレスさんに食って掛かる桑田クン。しかし彼女は小さく鼻を鳴らして一蹴する。
「野蛮な声を出さないで下さい、このドアホが」
呆気に取られた桑田クンは目を大きく見開き、魚のように口をぱくぱくさせる。
そんな彼に、セレスさんはゾッとするような冷たい声で言い放った。
「では、賭けますか? 本当に苗木君が犯人かどうか」
「か、賭け……?」
「わたくしは自分の持っているもの──全てを賭けますわ。あなたにも当然、それに見合ったものを賭けて頂きましょう。
覚悟して下さいね。わたくし、今まで賭けに負けた事も、敗者に情けをかけた事も一度もありませんから……」
無敵の“超高校級のギャンブラー”にここまで言われては、桑田クンも引かざるをえない。
「な、何言ってんだよ。大げさな。俺は別にそこまで──」
「それならば、考える時間を下さい。苗木君は犯人ではない……その事を必ず証明してみせますから。
他の皆さんも、よろしいですね?」
……誰からも異論は出なかった。


 セレスさんの宣言をもって、一旦その場は解散という事になった。
まだ半信半疑といった表情の皆がぞろぞろ食堂を出て行くと、ボクはすぐにセレスさんの方に駆け寄る。
「セレスさん……ありがとう! 本当に助かったよ!」
心からの感謝の念を込めて言ったのだが、セレスさんは小さく首を横に振って、そっぽを向いてしまった。
「わたくしは思った事を言っただけですわ。それに、まだあなたの無実が証明されたわけではありません。
精々知恵を絞って考えてください。真実が明らかにならなければ、どの道『オシオキ』ですわよ?」

彼女の言う通りだ。いや、さらに崖っぷちに立たされてしまったとも言えるだろう。
ボクを庇うためにあんな啖呵を切ってしまった以上、もうセレスさんもただの被害者では済まない。
彼女に恥をかかせない為にも、何としても真犯人を捕まえないと……!

 決意を固めたボクはセレスさんに同行を頼み、再び事件の現場へと戻った。
目の前には大きな藍色ののれんが掛けられた、大浴場の入り口。
見張りをしている間、ボクがずっと立っていたのがこの場所だ。
「ふん……。ここで苗木君が見張りをしていたのですね。
さて、真面目に任務をこなしていたあなたの目を盗んで犯人が入り込むにはどうすればいいのでしょう?」
クイズの出題者のように問いをかけるセレスさん。その答えは、ボクには一つしか思い当たらない。
「ボクの目を盗んで、っていうのはどう考えても不可能だと思う。
それなら、ボクやセレスさん達が来る前に大浴場に入っているしかない」
「覗きを目的にして、中で待ち伏せしていたという事ですわね。ひとまずは、それでいいでしょう」
セレスさんは小さく頷いてから、一人でスッとのれんを潜った。ボクもそれに続く。


 「次に犯人はどうしたのですか?」
「考えられるのは……『男湯の方に隠れた』かな。脱衣所や女湯にいたら真っ先に見つかっただろうしね」
ボクは言いながら男湯の入り口に歩いていった。事件当時のまま、磨りガラスの引き戸は開け放たれている。
「そうですわね。服を脱ぐ前に江ノ島さんが誰かいないか確認してくれましたが、
そこから頭を入れて覗き込んだだけのように思います。この時点では、男湯に隠れるのは可能だったでしょうね」
女子である江ノ島さんには、男湯の中に入ってまで確認するのは躊躇われた事は想像に難くない。
しかも男湯の奥にはサウナ室があるのだ。そこまで行けば、見つからないだろう。
「そして犯人はわたくし達がお風呂に入るのと入れ替わりで脱衣所に戻り、
女湯のガラス戸の前に立ったところで朝日奈さんに気づかれてしまって逃げ出した、というところですか。
ですが、ここで問題が生まれますわね。その後、『彼』はどこへ消えたのか……?」
それだ。脱衣所の入り口から廊下に出ようとすれば、ボクに見つからなくてはおかしい。
再び男湯に隠れたとしても、覗きに気づいた女子達に見つかっているはずだ。
その時には『お湯の中にも、奥のサウナ室にも』誰もいなかったと、江ノ島さん達が証言しているんだから。
ボクは必死で頭を回転させる。ボクだけのためじゃない、ボクを庇ってくれたセレスさんの為にも。
だが……ダメだ、どうにもいい考えが浮かんでこない。
そこでボクは、具体的に犯人の動きを想像してみる事にした。
朝日奈さんの悲鳴を聞いた犯人は、さぞ慌てた事だろう。すぐに女湯のガラス戸の前を離れる。
それから、どうした? 脱衣所の中にいては見つかってしまうし、唯一の出口の前ではボクが中に入るか迷っていた。
(のれんの下の方にボクの足が見えていたはずだ)それなら……犯人が逃げ込む場所は一つしかない。男湯だ。
という事は……男湯から──? ボクの頭に『正解』が閃いた。

 「わかったよ、セレスさん。犯人は一旦、男湯に戻ってから、一瞬の隙を突いて脱衣所を通って廊下に出たんだ。
とても危険で大胆なやり方だけど、不可能じゃない」
セレスさんは小首を傾げる。
「一瞬の隙と言うと……あなたが女湯の戸を開けて覗き込んだ瞬間ですか。でも、それは──」
「出来るはずだよ。恐らく犯人は、朝日奈さんの悲鳴の後は男湯の引き戸の陰に隠れていたんだ。
事件の前も後も、引き戸は開けっ放しになっていたんだよね?」
男湯も女湯も同じ磨りガラスの引き戸がついている。朝日奈さんは閉まった状態のガラス戸の人影に気づいたが、
空いた状態では磨りガラスが二枚重なっているのだ。隠れていても、まず気づかれない。
「確かに。ガラス戸の陰に隠れるのは可能だったでしょうね。一旦隠れてチャンスを伺い、
苗木君が女湯の引き戸を開けるのと同時に一気に廊下まで走りぬけたという事ですわね」
脱衣所の床には二台のベンチぐらいしか置かれていないから、さほど障害にはならないだろう。
板張りの床は裸足になり、慎重に駆ければそこまで大きな音は出ない。
最後に、脱衣所と廊下を隔てているのは目隠しのれん一枚だ。
開閉の必要があるドアと違って勢いよく飛び出したところで、何の物音も立てるわけがない。

「犯人は自分の大胆さ……それにロケーションと偶然に助けられたのですね」
セレスさんが微笑み、ボクは頷きを返す。
「後は誰が犯人か、だけど……それを絞り込むには皆に確認しなきゃならない事がある。
もう一度食堂に集まってもらって、そこで今の推理を聞いてもらおう」


 そして食堂──ボクがたどり着いた推理に対して皆からは些少の疑問は出たものの、
『不可能ではない』……つまり、『ボクが犯人とは限らない』という結論に至った。
「ふーん。要するに、真犯人は超ラッキーだったって事ね」
江ノ島さんの独白に、ボクは大きく頷く。
恐らく、今回の事件は事前に男湯に隠れていた事以外は行き当たりばったりの犯行だ。
しかし犯人の行動は『待って、隠れて、逃げた』というだけなので、当人には分の悪い賭けでもなかった事だろう。
「んん? でもよ、超ラッキーな男っていや、やっぱり犯人は苗木っちじゃねえか?」
唐突な葉隠クンの言葉に、“超高校級の幸運”であるボクは盛大にズッコケた。
「いや、ボクが犯人なら隠れても逃げてもいないよ!」
どっちかって言うとツイてないし……気を取り直して推理を続けよう。
「実は、まだ真犯人が誰かはわかってないんだ。それで、皆に二つ確認したいんだけど──」
ボクは緊張した面持ちの皆の顔を見渡して言った。
「第一に、事件の容疑者は本当にここにいる人で全員なのかな?」
ボクの言葉に、皆は口々に答える。
「後は石丸がいるけど?」と江ノ島さん。
「委員長は自分の部屋で缶詰だろ? 朝から全っ然会わねえし、『容疑者』からは外していいだろ」と桑田クン。
「うん、私も石丸は見てないよ。さすがにずっと誰にも見られず動き回るのは無理だよね」と朝日奈さん。
「学園のセキュリュティの厳しさを考えれば、全くの部外者が入り込んでいる可能性もゼロでしょうね」とセレスさん。
「クラスの他の者達は、今朝すでに学園外に出ていて不在だったな」と大神さん。
「びゃ、白夜様はご実家に戻られているわ。他の人には興味ないけど白夜様だけは(ry」と腐川さん。
「不二咲も実家に帰るって言ってたぜ。俺が聞いてんのはそれだけだ」と大和田クン。
「山田っちは何だっけな……コ……コミ? ……オタク系のイベントに泊まりで参加するって言ってたべ!
あと、舞園っちと霧切っちは仕事だべ! オレの占いは三割当たる!」と葉隠クン。
最後に「それは占いじゃないよね……」と再び朝日奈さんが発言して一通りの証言は終わった。
……今の証言の中にとても気になる部分があった。あれは──
「とにかく、ここにいる人を容疑者として絞り込んでいいみたいだね」
女子は全員被害者なのだから、当然犯人は男子……ボクを除けば大和田クン、桑田クン、葉隠クンという事になる。
「じゃあ第二に、この中で自分のアリバイを主張できる人は?」
専門用語(?)で“現場不在証明”というやつだ。…………誰も答えない。なら、もう決まりだ。
ボクは質問を終えて『真犯人』を指名した。
「葉隠クン。君が真犯人…………覗き魔だね?」


 「んああ? な、何でわかっ……じゃねえ、そうなるんだべ!?」
葉隠クンは口を滑らせた、という風に慌てて言い直した。……ボクは激しい脱力感に襲われながらも説明する。
「大浴場で待ち伏せをするには、当然、女子の皆より先に大浴場にいなきゃダメだよね。
容疑者のうち、それが可能だったのは先に食堂を出た葉隠クンだけじゃないか。
もっと以前から大浴場に人がいた可能性は、さっきの証言で無くなったんだから」
ボクは自らの記憶を振り返る。
葉隠クンはボクがセレスさんに話しかけられた時、『ちょうど食堂を出たところ』だった──。
「んー……そういや、そうだっけか。……いやいや! でもよ、苗木っちにだってまだ容疑はかかってんだろ!?」
一人で納得したり、激しく首を振ったりしている葉隠クン。セレスさんが大きなため息をつく。
「苗木君が犯人でない、心情的な根拠は前にわたくしが説明したではありませんか」
「シ、シンジョウテキって何だべ!? そんなんじゃダメだ。オレが犯人だっていう、証拠を出してくれよ!」
葉隠クンは激しく地団太を踏んで抗弁した。……本当に、彼はボクらより年上なんだろうか……?
「葉隠クン。さっき舞園さんと霧切さんは仕事、って言ってたけど……それっていつ聞いたの?」
「い、いつって……そんなのが事件に関係あんのか? ええ~……あれは……あ、ああっ!?」
ボクの問いに、彼は顎が外れるんじゃないかというぐらい大口を開けて驚いて見せた。
これは、「どういう意味かわからない」という他の皆にも説明しなくてはならない。
舞園さん達の『仕事』の話は、ボクが脱衣所の前で見張りをしていた時に立ち聞きしていた情報だ。
あの時の二人のやり取りからして、朝日奈さんや他の女子も『仕事』とまでは知らなかった事だろう。
他の場面で舞園さん達の事が話題になった時には「不在」としか言われていない。
葉隠クンがその情報を知る事が出来るのは──脱衣所での女子の会話を盗み聞きしていた場合ぐらいだ。
恐らく、彼は最初はサウナに隠れて江ノ島さんのチェックをやり過ごしたものの、
暑さに耐えかねてすぐにサウナを出て、磨りガラスの陰に隠れていたんじゃないだろうか。

 もう言い逃れは出来ないと悟ったのか、葉隠クンは目を閉じ、天を仰いで静かに言った。
「……オレがやりました……」
「葉隠クン……どうしてボクが疑われた時に、すぐに名乗り出てくれなかったの?」
今さら追及しても仕方のない事だが、聞かずにはいられなかった。
「いや、悪いとは思ったんだべ? でもオレは助かるし、苗木っちだし、いいかな~ってな。ハッハッハ!」
「…………」
一つも良くないのに豪快に笑う葉隠クンに、ボクは返す言葉もない……。
そんなボクに代わるように、セレスさんが一歩前に進み出て彼を指差す。
「大神さん。大和田君。……よろしくお願いしますわ」
「……うむ」
「オウ」

 ……その後、葉隠クンがどんな『オシオキ』を受けたかは省略しておく。
ただ、彼は肉体的な制裁を受けたのでそれ以上の罰は受けずに済んだ。
女子の皆には規則違反をして大浴場を利用したという負い目があったせいもある。
とにかく、これにて一件落着……という事でいいだろう、多分。


 事件が解決して場が解散になると、ボクの他にセレスさんだけが食堂に残った。
彼女は満足げな微笑を浮かべてボクの前に歩み寄ってくる。
「やりましたわね。一時はどうなる事かと思いましたが、それでこそわたくしのナイトですわ」
褒められるのは嬉しいが、少しむず痒くもある。ボクは頭をかいて答えた。
「いや、セレスさんが庇ってくれなかったら、きっとあのまま終わってたよ。……ありがとう」
これは本心からの言葉だ。皆から疑いの目を向けられたあの時、セレスさんが庇ってくれなかったらと思うとゾッとする。
「それにしても、あの時のセレスさん……格好良かったなあ。
男子相手に、一歩も引かないで逆に脅かすなんて。さすがは“超高校級のギャンブラー”だね」
──ボクはあの時の光景を目に浮かべながら言った。
興奮して怒鳴り散らす桑田クンに対して、全く動じないセレスさん。
表情は冷たく、けれど自信に満ちていて……さすがに本人に面と向かっては言えないが、とても綺麗だった。
そんな感慨に浸っているボクに、セレスさんは事も無げに言ってのける。
「ああ、あれですか。あんなのはただのプラフ──ハッタリですわ。
ああ言ってやれば、桑田君程度の方ならば引くであろう事はわかっていましたからね」
は……ハッタリ? ……やっぱりセレスさんは只者じゃない……。
ボクが唖然としていると、セレスさんは微かに俯いて、独り言のように続ける。

「──それに、信じていましたもの。あなたの事を……」
「えっ?」
つい聞き返すと、彼女は慌てた様子で視線をそらした。
「い、いえ。あなたの事をナイトに選んだ、わたくしの眼力を信じていたのです。
わたくしに限って、見込み違いなどという事はありませんわ」
「そう……」と答えておいたが、その白い頬が少し紅く染まっていたのをボクは見逃さなかった。

ここで会話が切れ、微妙な沈黙が流れる。やがて、セレスさんが再び口を開いた。
「……苗木君。そう言えば、一つ聞いておきたい事があるのですが」
「聞いておきたい事?」
「あなたが朝日奈さんの悲鳴を聞いて、女湯の戸を開けた時の事ですわ。あなたは、その…………どこまで見ましたの?
あの時、他の方は湯船を出てタオルを身体に巻いていたように思うのですが、わたくしは……」
大きな赤い瞳が心の内を探るようにじっとこちらを見つめる。
それにつられるようにしてボクの中に鮮明な記憶が蘇った。
『頭にタオルを巻いた姿で湯船に浸かった驚くほど色の白い──』それはセレスさんの身体。
もっとも、女湯にたちこめる湯煙と、波打つお湯のおかげではっきり見えたのは肩から上ぐらいなのだが──
ボクは無言のまま、ゴクリと喉を鳴らした。顔が熱い。
「み、見たのですね?」
沈黙を肯定と受け取ったセレスさんが、今度ははっきりとわかる紅い顔をしてこちらに詰め寄る。
「い、いや、全然! ほら、湯気が凄かったし、すぐ気絶しちゃったしボクは何も」
「本当でしょうか……?」
セレスさんの瞳の中にはボクの顔が映っている。その位、彼女の顔はボクの顔に近づいていた。
何と言われても、ここは嘘をつき通すしかない……!
「本当だよ、本当!」
しばらくの沈黙の後、セレスさんはようやく一歩退いて矛を収めた。
「……そうですか。まあ、今日の所はその言葉を信じましょう」
ボクはホッとして胸を撫で下ろす。……が、すぐに思い直した。『今日の所は』?
「だって……だって、これはとても大切な事ですわ。わたくしはまだ男性には一度も──
ですから、もしもの時には責任を取って頂かなくてはなりませんもの」
せ、責任……? 責任って──
「とにかく、よろしいですね? この件についてはいずれまた」
強い口調に、ボクは首を縦に振るしかなかった。
「何だか、疲れてしまいましたわ。今夜は早めに休む事にしましょう。……おやすみなさい、苗木君」
そう言って会話を切り上げたセレスさんは、素早くこちらに背を向けて食堂を出て行った。
残されたボクは一人立ちすくんでいたが、やがて自室に帰る為に歩き出す。
……まだ顔が熱い。『いずれ』か……。その時までにちゃんと対応を考えておかないと……。
ボクは掌の中の黒いハンカチを握り締めながら、食堂の扉に手をかけた。

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