ナエギリ顛末記 1 > 2

「どう……?」

テーピングの解かれた左手の指をゆっくりと開く、閉じるという動作を繰り返してみる。
握り拳を作るように力を込めてみたらピリッとした軽い痛みを覚える。

「何もしない状態は大丈夫だけど、力を入れてみるとまだ痛いかな」
「それじゃあ今朝もテーピングしておきましょう。苗木君はそこで待ってて、左手は洗面器に入れたままでいいから」
「はぁい。……つぅ!」
患部を冷やさないといけないということで、冷たい水の中に左手を入れると眠気が吹っ飛んだ。

「待たせたわね」
今度は湯気が漂う洗面器を両手で運んできた。肩には手ぬぐいのタオルが二枚。
「怪我がなければ朝風呂っていう贅沢なことが出来たんでしょうけど……」
そう言ってお湯というより温泉を汲んだ洗面器に手ぬぐいを入れて軽く絞る。
「じっとしてて……」
「いや、さすがに顔を拭くくらい一人で「ほら」……もがっ」
結局、僕は霧切さんのなすがままに顔を拭いてもらった。

最初は額から。
上から下へと流れるように目の周りをなぞられ、鼻・左右の頬が拭かれる。
そして頬から顎へ。最後に口の周りを撫でられるようにして表面の垢が拭われた。

「……ぷはっ」
「痛くはなかった?」
「うん、でもちょっと恥ずかしいな……」
「それでもスッキリしたでしょう?」
「う、うん……」
「よろしい」

どこか満足気な顔を浮かべながらお湯の洗面器に手拭いを入れて濯ぐ。
今度はもう一枚の手拭いを入れて軽く絞る。そして霧切さんは自身の顔を拭き始める。

手持ち無沙汰な僕は何となく彼女の手を眺めていた。
――正確には、彼女の手袋を。

撥水加工がされているのだろう、お湯に浸かったタオルを触っても手袋に染みが一つもない。
おまけに表面の層は一つの綻びもなく、新品のように見える。
そして隙間なく指にフィットし、手袋が邪魔して動作に支障をきたすことはこれっぽっちもない。

……以前、霧切さん本人からその手袋はオーダーメイドだった話を聞いたことがある。
もっとも、消耗品だから自分の部屋に予備の在庫はたくさんあるけど……なんて話も。
でも、どうして手袋をしているのかっていう理由を聞いてみたら、やんわりと断られて話を逸らされた。
まだ今の僕と霧切さんの距離では踏み込んではいけない領域なんだろう。

「……? 私の顔に何かついているの?」
「そ、そんなはずあるわけないじゃん!」
「そう、ならいいけど……。アイシングもそれくらいにしときましょう」
「うん」
あまり気にした様子もなく、洗面器のお湯と水を洗面台に流す。
次に僕の顔を拭いた手ぬぐいで左手の水気を吸って、使用済みのランドリーボックスに入れる。
「それじゃあ、朝食を摂る前に救急箱を借りてテーピングしておきましょう」
「わかった」
ミシミシと小さな音を立てる廊下を二人で歩く。
少しだけ僕の前を先に歩く霧切さんの後ろ姿を見て何となく思った。

いつか、霧切さんは僕にその手袋を付けることに至った理由を話してくれるだろうか。
そして手袋の奥にある手を見せることがあるのだろうか。

でも、隣同士の肩を並べて歩ける距離まで近づいたら、霧切さんの方から自ずと話してくれる気がした――。


~ ナエギリ顛末記 1/2 ~


昨夜と同じように、霧切さんからテーピングをしてもらって会食場に入る。
昨日僕らが座った同じ席に2人前の料理が既に並べられていた。
異なる点は、年配の宿泊客が数人違う場所で朝ご飯を食べていたことだった。

席に座ってみて並べられている朝ご飯の献立を見てみる。
バターロール2個、クルトン入りのコンソメスープ、ベーコンエッグに野菜サラダ、カットされたオレンジ。
飲み物にはストローを挿して飲む小さなパック牛乳。

あれ、何か違和感が……
そんな気がして僕らとは違う席で食べている宿泊客の献立をざっと眺めてみる。
ご飯にお味噌汁、玉子焼きなどといった典型的な和食だ。
なんで僕らだけ洋食なんだろう……?
「それは私の計らいよ。はい、これ」
封を破ったお絞りを渡しながら僕の疑問に霧切さんが答えてくれる。

「えっ、どういうことなの?」
「正確には昨夜救急箱を借りるついでに女将さんに相談しておいたの。
 明日の朝食をスプーンやフォークで食べれるメニューに変更できないかって」
「スプーンやフォークで……?」
「和食は両手を使わなきゃ食べ辛い料理でしょう? 
 ……ここまで言えばわかるわね、苗木君?」
「あ、左手を使えない僕でも食べやすいように……」
「その通りよ。さぁ、いただきましょう」
「いただきます」
先にお絞りを渡した理由も、パンとオレンジを手掴みにするということからで合点がいく。

バターロールを食べやすいように一つまみ。
口に運んでみると、どこかほんのりとした温かさを感じる。
「あったかい……」
「きっと近所のパン屋さんに頼んで、朝早くから用意してもらったんでしょうね」
同じようにパンを食べていた霧切さんが感想から推理をする。
「でも僕だけ洋食でも良かったんじゃない? 霧切さん、実は和食が苦手なの?」
「……そんなわけないでしょ。向こうのお客さんの料理が見えるかしら?」

霧切さんの向ける視線を一緒に追ってみると、黒いお鍋から湯気の立つ絹豆腐を掬っていた。
そしてツユの入った小鉢に浸してから口に運ぶ。
その人は「はふっはふっ」って熱さに耐えながら湯豆腐を堪能している。
……まだ起き抜けで寒さの抜け切れてない体にホッカホカの料理か。
「……(ゴクリ)」
「ほら見なさい。別々にしたら苗木君のもの欲しそうな顔を見ながらご飯を食べる私の身にもなって」
「すごく、気まずいです……」
「そうね。いっそのこと、私が苗木君に湯豆腐を食べさせるってのもありかしら?」
「えっ」

そのシチュエーションを思い浮かべてみる。

『ふぅーっ。ふぅーっ。……はい、苗木君「あーん」して』
霧切さんの吐息によって程よい温度に冷まされた一切れの絹豆腐。
箸で摘まれた豆腐を落とさないように左手は下に添えて。
『あーーん……』
親鳥から与えられる餌を受け取る雛鳥のように僕は大きく口を開けて豆腐を迎え入れる。
『ほふっ、ふぅ、はふっ』
『美味しいかしら、苗木君?』
言わなくてもわかる質問を霧切さんは敢えて聞いてくる。
飲み込んだ過程で口の中、咽、胸の辺りが温まる感触を覚えながら僕は言った。


「うん、とっても」
「えっ!?」
「あ! いや、とっても恥ずかしいから別のメニューで良かったよ。本当だからね!」
「苗木君……」
真っ赤な顔をして答える僕にジト目な視線を向けてくる霧切さん。
「すいませんでした……」
どんなことを考えているかを聞かれる前に先に謝っておく。
でも、そんなことをやったら別の意味で熱々だよね……。
パック牛乳を飲んで頭に溜まった熱を冷やす。

その後はちょっと会話もし辛くなって、お互い無言のまま朝食を食べ終わる。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様……」

時計を見ると7時20分を過ぎた辺りだった。
電車の時間を考えるとチェックアウトするまであと30分くらいだろう。


「お願いがあるんだけど、先に私が着替えていいかしら?」
部屋に戻ると霧切さんが言う。
「いいよ。その間に僕は食後の歯磨きをしてくるよ」
「ありがとう。もし早く戻ってきたら、私が出るまで入り口の前で待っててくれる?」
「もちろんだよ」
女の子の身支度は時間が掛かるって言う。
霧切さんも例外ないだろうから、ゆっくり時間を掛けて歯磨きをしておくようにする。

そして5分以上掛けて歯を磨き部屋に戻ってみると、入り口の襖を閉めて霧切さんは出てきた。
「あら、いいタイミングね」
白いブラウスの上に黒のカーディガンを重ねた上着。
丈の短い黒のスカートを補うように白のニーソックスを履いている姿。
浴衣姿ではない、約半日ぶりのよく見る霧切さんの姿だ。
でも髪型だけは違い、後ろにヘアゴムで纏めただけのポニーテールだった。

「私も歯を磨いてくるけど、一人で着替えられる?」
「大丈夫だよ。袖を通すだけなら左手は痛くないよ」
「そう。でも無理はしちゃ駄目よ?」
「わかってるよ」

霧切さんと入れ替わるかたちで僕は入り口の襖を開ける。
すると目の前に僕の着ていた服が折りたたまれた状態で置かれていた。
部屋の違いの様子を確認するように周りを見る。

部屋を出る前に広げられていた二つの布団は綺麗にたためられていた。
敷き布団の上に掛け布団、その真ん中に枕が置いてある。
「着替えだけじゃなく、布団の片付けもしてくれたんだ……」

そう言いながらも着替えるために入り口の襖を閉めて、丹前と浴衣を脱ぐ。
下着の半袖シャツを最初に着る。
次は保温効果の高い発熱素材のインナーに袖を通す。

そして問題の靴下。
両手を使わないと履けないけど、僕の履いていたのはスニーカーソックスの足先が短いタイプ。
何とかテーピングされてない親指と薬指、小指に力を込めて左足の靴下を履く。
……よし、突き指した指もそんなに痛くない。
そのまま右足の靴下も履き終わり難関を突破した。

後はジーンズを履いてジッパーを上げ、ベルトを締める。
最後にパーカーの袖を通し、ジッパーを胸元まで上げる。
これで着替えは完了だ。

「霧切さんが戻ってきたら、片付けくれた御礼を言わなきゃな……」

そんな独り言をつぶやきながら、自分が先ほど脱いだ浴衣と丹前を折りたたむ。
そして布団の脇に置かれている同じようにたたまれた浴衣の上に重ねる。 
……あまり霧切さんが着ていた服って意識しないようにしながら。
「おや?」
枕元に挟み込むように一枚の紙切れがポツン、と置かれていた。
「霧切さんの落し物かな……?」
本人には悪いかもしれないけど、一つ折りにした紙を開いて中味を確認してみる。

開いた瞬間、コロリと白いモノが転がり落ちた。 拾い上げてみる。
「……これは、心付け?」
昨日、僕が作ったようなティッシュでお札を包んだ心付けがもう一個あった。

次に紙切れの中味を見るとメッセージが書かれていた。
手書きのメッセージで筆跡を見ると、霧切さん本人のモノだと断定できる見覚えのある筆跡だった。
そのメッセージには、こんなことが書かれていた。

『色々ご迷惑をおかけしました。
 これはほんの少しばかりのお礼です。

 そして、とても素晴らしいサービスをしていただき、
 本当にありがとうございました。
 是非、機会があればもう一度
 足を運びたくなる素敵な旅館です。 


 霧切 響子』

この直筆のメッセージを見ると、コレは心付けというより後払いのチップなのだろう。
僕はそっとチップを挟んだ手紙を元の場所に戻した。

これが御礼の手紙とチップだとわかった瞬間、僕にはこの部屋でどんなことがあったのか手に取るようにわかった。


僕が洗面所でゆっくり歯を磨いている間、最初に霧切さんはメモ帳の一枚を使って御礼の手紙を書いていた。
次に自分の財布にあるお金から心付けを作ったんだ。
今度は僕らの布団を片付けた状態にして、枕元に心付け(チップ)を挟んだ手紙を置いた。
そして霧切さんは浴衣から私服に着替えた。

でも、着替えたのはいいけど三つ編みを結う時間がなかった。
下手に待たせすぎると僕の着替える時間も遅れ、電車に乗り遅れる可能性もある。
せめて簡単な身だしなみだけでも……と、いうことでヘアゴムを使ったポニーテールの髪型にした。

最後に僕の着ていた服をクローゼットから畳の上に置く。
そして僕と部屋の入り口で出くわした。そう、同じタイミングで。
これが、この部屋で起きた一連の出来事なんだ……!


COMPLETE!


トントン、と軽く襖を叩く音が聞こえ振り返る。
「そろそろいいかしら」
「うん。もう、いいよ」
OKの返事をして霧切さんを招き入れる。
「後は出発するだけね。忘れ物はない?」
「貴重品は確認したし、荷物はこれだけだよ」
ネックウォーマーを頭から被り、首元を覆う。
最後に上着のコートを着て僕の準備は完了した。

「待って、外はまだ寒いわ。ボタンを閉めてあげる」
「それくらい僕でも「いいから」
そう言って僕の正面に立ち、コートの丸ボタンを一つずつ閉めてくれる。


昨日から今日にかけての霧切さんの行動を振り返ると、ギャップに戸惑ってしまう。
学園でも探偵業の場においても、常にクールに振る舞って難題を解決する霧切さん。
それとは対称的に美味しいご飯を食べて頬を緩める姿、恥ずかしさから顔を真っ赤にする姿。

そして、怪我をした僕を優しく介抱してくれる姿。
お節介をしながらも、どこか嬉しそうな顔をする霧切さん。
それが僕には何だかこのイメージと重なるんだ……。

  お母さんみたいだ
→ お姉さんみたいだ
  お嫁さんみたいだ

「お姉さん……」
「え?」
「何だか今の霧切さんがお姉さんみたいに見えるよ……」
「フフ、なかなか面白い喩えね」
「でも怪我をした僕の手当てをしてくれて、顔を拭いてくれたり、女将さんに頼んで朝食のメニューも変えてくれた。
 今だって部屋の布団を霧切さんが先に片付けてくれた」

何だかこれって、同じクラスメイトや探偵と助手っていう関係を超越していると思うんだ。
もっと親密で、それでいて確固たる絆があるような。

「それが何だか家族のイメージと重なったんだ」
「家族……」
「そ、それに……」
「それに?」

今から言うことを聞いた後の霧切さんのリアクションが怖くて、先に彼女から目を逸らしてしまう。

「今朝だって、僕が寝惚けて霧切さんの布団の中に入ってしまった時も口頭で注意するだけだった。
 あの時ばかりは引っ叩かれるか、嫌われるかを覚悟はしていたんだ」
「……わざとだったら張り倒した後に簀巻きにしていたわね」
それは怖いよ! ……じゃなくて。
「これでも結構戸惑っているんだ、兄と妹の関係はあっても姉と弟の関係は経験したことがない」
「私だって一人っ子だから、兄弟や姉妹がどんなものかって言われても正直わからないわ」
「そうだね。僕も戸惑うと同時に心地もよかった。
 この一連の出来事が旅の思い出になるんだって考えると、貴重な体験だと断言出来るよ」
「苗木君……」

今度は真正面から霧切さんを見つめる。

「だから改めて御礼を言わせてほしいんだ、霧切さん。
 ありがとう、今回の依頼に僕を助手として同行させてくれたことに」
「……よしてよ。本来なら今回の宿泊は予想外だったはずよ、トラブルがなければ昨日の夜には帰れた」
「確かに最初は"不運"なトラブルだと思ったよ。でも僕は少しだけ前向きなところが取り柄だ」
「それでも私は苗木君を必要以上に拘束させてしまったのよ?」

長時間の拘束も、観光と温泉旅行を満喫出来たと思えばあら不思議、"幸運"に早代わり。
それでも難色を示す霧切さんを見ていると少し困らせたくなった。
こう、お姉ちゃんの気を引こうとする弟のように。

「だったら霧切さんの気持ちも聞かせてよ。急に僕と温泉旅行することになったけど、楽しくなかったの?」
既に手紙の中味から霧切さんの本音が何なのかを知っている癖に、わざと知らないフリをして尋ねてみる。
「私の感想なんてどうでもいいことでしょう? ほら、長話をしていたら電車に乗り遅れるわ」
「やっぱり……。ホントは答えたくないくらい嫌だったんだ。霧切さんにとって僕は要らない存在なんだね」
「そ、そんなわけないでしょう。
 私と苗木君は探偵と助手よ。万が一あなたに何かあったらどうするの……」  

霧切さんの声がだんだん尻すぼみになり、悲しそうな顔を浮かべて俯いてしまった。

「ご、ごめん! つい調子に乗り過ぎちゃって……!
 で、でも楽しいって言ったのは……えっと、丸っきりウソって訳でもなくて……!」
「……ほら、簡単に騙されたわね」
「……え?」
「"要らない存在"なんて言葉……あなたが言うには無理のあり過ぎるセリフよ。
 私が気付かない訳ないでしょう?」
「……え? じゃあ……」
だ、騙したと思ったら……騙し返されてた……?

呆然としている僕を無視して霧切さんは腕時計を見ると、自分のコートを羽織りショルダーポーチを肩にかける。
「頃合よ。行きましょう苗木君」
「あ、うん……」
そう言って、僕らは部屋を後にした。

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「お姉さん、か……」
ミシミシと音を立てる床の音に紛れて、霧切さんがつぶやいた。

「あ、あれは思ったことを言ったまでで……」
「……別に不快になんて思ってないわ。
 むしろ苗木君をからかうボキャブラリーが増えて嬉しいの」
「からかうって……」
「お兄さんの苗木君が、実は甘えん坊の弟タイプだった……。
 舞園さんに言ったらどうなるのかしら?」
「それは誤解だよ! あとそういうのは勘弁してよ、霧切さん」

何を思ったのか霧切さんは階段の前で立ち止まり、後ろにいる僕の方へ振り向いた。

「そうね……。私と二人きりの時は言ってもいいのよ? "響子姉さん"って」
「えっ?」
「また、騙されたわね……。フフッ、フフフ……本当にバカ正直ね、苗木君は」
僕をからかったことで機嫌がよくなったのか、床板を軽快に踏みながら階段を下りていく。

また騙されて、また笑われた……。
だけど……珍しく声に出して笑っている。
霧切さんが本当に楽しそうに笑っている。
……これってやっぱり僕と一緒で、この旅行が楽しいってことだよね?

僕も霧切さんに釣られるように軽い足取りで階段を下りていった……。




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