二限目

「ちぇっ……」
どこか憮然とした表情で、僕はつねられて赤くなった腕を冷やしている。
僕が早退を持ちかけたら
『まだ学校に一限目でしょ。ちゃんと授業を受けないと卒業できないわよ』
――なんて、僕に授業を受けられなくさせている本人が言ったところで、なんら説得力が無い。
まったくいったいどの口が……と愛しい彼女の唇の感触を思い出す。

普段は僕よりもヒンヤリとした肌だが、熱を帯びて、互いの唾液で潤った艶っぽい唇。
一生眺めても飽きることの無い、キスをおねだりする可愛い笑顔。
僕の心を掴んで離さない愛しい女性。


……ダメだダメだ。いつも良いようにされるわけにはいかない。
次に求められても絶対に我慢するぞ。冷やしたおかげでどこをつねられたのか、わからない状態になった腕を見ながら決意した。



「……ねぇ、キスは?」
一限目と同じく、僕らは席をくっつけている。勿論教科書を忘れたという口実も同じ。
唯一違う点があるとすれば、僕は絶対に誘惑に屈しない。――そう決意したことだ。

「……」
まず彼女のほうを一度たりとも見ない。
目をそちらへ向ければきっとまた、僕の理性を蕩かせる様な表情をしているはず。
だから、学生の本来の職務である学業に集中してみた。
顔を正面へ向け、眼は教師の一挙手一投足に注目している。

「……イジワル……」
ナニモキコエナイ……ナニモキコエナイ……
皆の目線が真面目に黒板を向いているのをいいことに、僕にもたれ掛かりながら耳元で囁いてくる。
六根清浄六根清浄……煩悩よ消え去れ……。

当然、もたれ掛かってくるということは、彼女の柔らかい二つの……考えるな……煩悩に打ち克つんだ……。
2、3、5、7、11、13……心を落ち着ける為に素数を数えることにした。
僕は授業に集中するんだ。いつまでも掌で転がされるわけには…………。彼女につねられた腕を見ながら必死に堪えた。


僕の決意が固いのを悟ったのか、隣に座る天使の様な悪魔は大人しくなってくれたみたいだ。気配でどうやら自分の席に着いたことが分かった。
と思った矢先――僕の手を。さっきつねられた方の手を、彼女が取った。


そんなことしても無駄だよ。目を合わさなければ……と腹を括ったが直後に覚えた、指先を襲うゾクリとした感覚に慌てて首を隣に向けた。


「なっ……!!」
思わず出そうになった声を無理やり殺して、改めて驚いた。
彼女に取られた手の、その指先をチロチロと彼女の赤い舌がねぶっている。

驚きと羞恥とくすぐったさで、急いで腕を引き抜こうとするも、しっかり握られていて拘束から抜け出せない。
抗議するように彼女を見ると、『私を無視するなんて生意気よ』……そう目が強く語っていた。

「ご、ごめん……何でもするから許して……」
妙なくすぐったさと彼女の舌の絶妙な動きに、言い様も無い興奮と快感を覚えているのは事実だが。こんな背徳的な光景を誰かに見つかるのは流石に不味い。
だから思わず口を滑らせてしまった。――こんな事言ったら絶対キスするまで許してくれないだろうな。
と、どこか自分でも嬉しく思ってしまっていた。やっぱり我慢なんてできないよ。

そう思っていたが、所詮僕はただの一般人だったようで……彼女の命令は僕の予想を上回っていた。


スッと、僕の前に突き出されたのは彼女の手。勿論いつもの様に黒い手袋は付けられている。
そしておもむろに開閉される、僕を虜にする彼女の口。
『な・め・て』そう言っている。――間違いない、間違えるはずがない。
彼女に鍛えられたこの観察眼がそう告げている。第一、こうして席が隣同士になる迄、僕らは互いの唇を読んで会話していたんだから。


観念するしかなかった。最初から僕が彼女に勝てるはずない。分かっているのに毎回今度こそ、今度こそと、勝負を挑む。
これが惚れた弱みなのかな。

僕は目の前に突き出された愛しい指を、まるで彼女の舌を求めている時のように舐めまわした。
ザラリとした皮の感触も今は気にならない。目一杯彼女の指を舌で愛撫し、唾液を絡ませた。

……おそらく僕の指も同様にベタベタだろう。目の前の愛しい存在に、自分の事など考える余地がなかった。


すると僕の口内からスルリと指が引き抜かれた。あぁ……名残惜しさで、行く先を目で追いかけると僕の手が自由になったことがわかった。

彼女の瞳が潤んでいる。間違いなく今の僕も同じように惚けた顔だろう。
さっきまで口内に在った感触を確かめるように、互いに唾液でヌラヌラとした指を咥えた。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。