大人ナエギリ 秋の風物詩編【中秋は秋晴、涼感天高く、人も馬も肥ゆる】

 午睡の心地よい季節だ。

 冬のような凍えるほどの寒さはなく、夏のような溶けるほどの日差しもなく。
 熱を冷ます程度の涼やかな秋色の風が、時折ベランダから流れ込んで来る。
 体温が下がると眠くなる、というのは、冬眠のシステムと同じもののようで、うん、まあ、こんなところでいいだろう。
 苗木君への弁護は。

「……すー……すぅ…」
「…耳掃除している最中に寝るかしら、普通」
 膝の上、薄ぼんやりと閉じたままの瞳に、中学生といっても通じてしまいそうなあどけない寝顔。
 商店街に二人で出かければ、姉弟と間違われることもあるくらい。

 それにしても、耳掃除の最中でご就寝とは良い身分じゃないか。
 はぁあ、と、力が溜息とともに抜けていく。
 朝日奈さんのくれた恋愛アドバイスも、中々どうして当てにはならないものらしい。

 他人に耳の穴の奥まで覗きこまれ、柔らかな太ももに頭を預け、垢を飛ばすためだといって吐息を吹きかけてみたり。
 そういう嬉し恥ずかしなイベント、と聞き及んでいたのだけれど。
 どういう神経をしているのか、この朴念仁は私の提案を二つ返事で承諾し、頭を預けて一分ほどで夢の世界へ潜っていってしまった。

 乙女、なんて言葉を使えば、彼に鼻で笑われてしまうかもしれないけれど。
 そんなものを彼と私自身に期待するには、普段の距離が近過ぎるのかもしれないけれど。
 私だって、そういう、その、甘い雰囲気に憧れる時はある。
 人肌恋しい秋寒さが、いっそうそうさせる、というのもあるかもしれない。

 だというのに、ホントもう、この唐変木。

「……貴方にとって、そんなに私は、刺激のない女なの?」
 誰に当てるワケでもない愚痴をこぼす。
 まるで此方の独り言に応えるかのように、苗木君が寝返りを打った。
 太腿の隙間に顔を埋めて来て、少しくすぐったい。

「…私はこれでも、膝枕を申し出るのに、結構勇気を振り絞ったのよ」
「ん…、…すぅ……」

 つんつんと頬を指で突いてみる。
 此方の零した恨み事に返すような、幸せそうな寝息を、それでも起こす気にはなれない。
 期待していた展開とは違うけれど、これもまあ、これでよし。
 下手をしたら、彼の寝顔を覗くだなんて、学生時代の中休み以来かもしれない。

 携帯電話を目で探す。こんなレアなもの、メモリに残さないで何とするのか。
 それに『女子の膝枕で熟睡する苗木君』だなんて、良い話のタネになりそうだ。

 と、視界の先、壁に掛けていたコートのポケットに、入れっぱなしだったことを思い出す。
 とても手の届く距離じゃない。
 しかし、諦めようとも思えない。
 一度悪戯心が芽生えると、何かしてやらないと気が済まなくなるのは、哀しいかな、人の性だ。

「…起きなくていいのかしら、苗木君」

 火が灯る。
 この欲情とも興奮ともつかない昂りは、彼にだけ抱く私の嗜虐心。

「……悪戯、されてしまうわよ…?」
 耳元に口を寄せて、吐息をかけるように、甘く囁いた。
 彼が起きている間には出来ない、こんなこと。

 まあ、そうは言っても、悪戯するのは私なワケだが。

 こちとらこれでも、表に出さないように精いっぱい気を配っていたけれど、ホントは貴方を膝に寝かせるなんてすごく恥ずかしかったのに。
 そう、不公平だ。だから、今から私が苗木君にするくらいの悪戯は、きっと許されるはず。
 恥ずかしいことをしてやろう。

 心臓に灯った火が、どんどん大きくなる。

 す、と、最近伸びて来た彼の襟足を捲る。
 綺麗なうなじが現れた。ちょっと悔しいほど、綺麗。

 苗木君は起きない。
 呆れるほど呑気で、幸せそうな寝顔だ。
 私に悪戯されるだなんて、露とも思っていないような。

 嗜虐心の火が大きくなる。
 いけないことをしているような、…いや、しているのだけれど、そんな仄暗い熱だ。

 健康的な、白無垢の肌。
 彼が横たわっている太ももごと、それを近づける。
 は、と開いた口から漏れた、熱気。


「……い゛っ…!?」

 びく、と、脱力していた体が縮こまって、跳ねる。
 起きぬけで困惑しながらも、苗木君が上体を持ち上げる。

「あ、えと…?」
「お早う、よく眠れた?」
 首筋に唇を沿わせたまま話しかけると、また苗木君が縮こまる。
 刻み込んだ歯型と唾液に、まだ彼は気付いていない。

「あの、…? あ、僕、寝ちゃってた?」
「ええ、それはもう気持ちよさそうに」
「ご、ゴメン…昨日、ちょっと報告レポートで徹夜しててさ」
「知ってるわ。お疲れ様」

 何も知らずに申し訳なさそうに笑う、無垢な少年。
 その首筋には、私の残した跡が、まだ熱を持っている。
 震えた。

 興奮しているのを悟られないように、必死で平常を装い、いつも通りに不敵に微笑む。
 薄いカーディガンの下で、鳥肌が擦れる。

 私は今、彼の知らないところで、彼に私を刻みつけた。淫靡に。

 背徳感に震えながらも、おくびにも出さないように、いつもの笑みを彼に向ける。

「ところで…女の子に膝枕をさせて爆睡だなんて、良い御身分だとは思わない?」

 ぎくり、と、苗木君の笑みが強張った。
 私の言わんとするところは察してくれたらしい。こういう辺りには敏い人だ。

「……あの、」
「ああ、そうね。申し出たのは私からだったし、貴方はそれに付き合っただけよね」
「いや、あの…ホント、徹夜明けで、」
「別に責めているワケじゃないわ。ただ、ああまでされると、女としてのプライドが、ちょっと…ね」

 酷い女だ、と、自分の中で唾を吐いた。
 こうして弱みを握ってコントロールしておけば、先程の背徳感が罪悪感に代わるまで、幾許か時間を稼げるから。
 冗談めいた口調の裏の打算を、彼には悟られないように、笑みで隠す。

「……えーと、この時間だとそろそろ石焼きイモの販売車が」
「いいわね。それで手を打ちましょう」
「買ってきます…」
 はあ、と溜息一つ零して、丸めてあった椅子の上のコートを広げる。
 羽織りながら、それでも困ったような笑みを、彼は私に向けた。

 まずい、と、直感。
 こういう顔をしている時の彼は、


「霧切さんの膝枕、なんか温かくて、安心しちゃってさ…ゴメンね」

 悪びれもせず、そういうことを言ってのけるのだ。


「……、…」
 抉られる罪悪感と比例して、頬が燃える、燃える。紅葉のようだ。
 邪気のない微笑みに当てられて、背徳感は一瞬で罪悪感に色を変えた。
 何よりも、私を信頼しきって、露とも疑わないその微笑みに。

 この笑みに翻弄されて、もう何年になるのだろう。
 実は一番意地が悪いのは、私じゃなくて彼なんじゃないだろうか。

「…コート貸しなさい」
「え?」
「……やっぱり、私が買ってくるから」
 せめてもの罪滅ぼし、というには、軽すぎるだろうか。
 何より、彼の首筋に私がつけた淫靡な傷、外に出れば他の誰かに見られてしまう。それは嫌だ。

「でも、寒いよ?」
「…いつも貴方に行かせてるから、偶には…」
 顔を見ることも出来ずに、口早に言ってのけて、飛び出すように玄関を開いた。
 びょう、と、隙間から秋風が部屋に押し入る。

 寒いね、と、背中で彼が呟いた。
 マフラーの下に隠した火照った頬を、冷やすにはちょうど良さそうだ。
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