大人ナエギリ 秋の風物詩編【晩秋は夜長、紅葉は暮れて、吐息共々に白】

 個人的には、旬の食材もそうだけど、秋の味覚として映えるのは乳製品だと思う。
 焦げ目のついたチーズや、芯から体を温めるホワイトソース。
 シチューやグラタンに入れてみたり、ちょっと変わり種を選べばピザやキッシュ、温かいものは肌寒い日にこそ、だ。

「……ホットミルク、飲む?」
「……いただくわ」

 ベランダの網戸越しに、椅子に座って膝を抱えている彼女に呼び掛けた。
 声はどこか虚ろで、単調で、秋の寒さを感じさせる。

「今日はお酒、飲まないんだね」
「……そういう日もあるのよ」
「考え事?」
「…物を考えてない時間なんてないでしょう」
「体調が悪いとか」
「…だったら家に籠ってるわね」

 切りがなさそうなので、とりあえず僕用のマグカップに口を付ける。
 沸騰させないように温めたミルクに、スプーン一杯のハチミツ。ハニーミルク、という奴だ。
 一口飲めば、甘みと温かさが体中に広がって、勝手に溜息が出る。
 霧切さんのマグカップには、バニラエッセンスとシナモンスティック。風味を楽しみたい人向け。
 美味しいはずなのに、彼女はまだ口を付けようとしない。

 ふ、と、彼女の視線を追えば、見事な中秋の名月。
 いつもなら、それを肴に、と、喜々として自分からコルクを開けるような人なのに。

「……苗木君、貴方は、…」
「何?」
「……いえ、何でも」

 我が家に来てから、今日はずっとこんな感じだ。
 虚ろをさまよっていた視線が、ふと僕を捕らえて、何かを言いたそうに口を動かして、それでも躊躇って口を噤んで。
 なのに、ソファーからは動こうとしない。

 気にはなるけど、なぜか急かしたくはなかった。
 彼女が言い淀んでいるほどのことを、自分から進んで聞く気にはなれない。

「……ごめんなさいね」
「何が?」
「鬱陶しいでしょう、沈んだ客人が、ずっと家に居座って」

 抱えた膝を、少しだけ強く抱き寄せる霧切さん。
 彼女を鬱陶しいと感じたことなんて一度もないけれど、きっとそういう答えを求められているワケじゃない。

「…何があったの?」
「……、たいしたことじゃないのよ、本当に」

 そう言って、眉尻を下げたまま、無理矢理に微笑もうとする。
 その笑みがあまりにも痛々しくて、胸が締め付けられる心地までする。
 彼女が言いたくないなら、僕も聞きたくなんてない。
 けれど、そんな笑顔だけはして欲しくなかった。

 彼女が抱えている苦悩を、悲痛を、普段は凛とした表情の裏に隠している、その重さを。

「…こういう弱みを見せられる相手、苗木君くらいしかいないから……ごめんなさい」

 隠しているということは、つまり見られたくないということで。
 だから僕も、彼女と接する日々の中では、出来るだけ気付かないフリをする。

 けれどその重さや弱みを、僕にだけ見せてくれるというのなら。
 見せてくれる間だけは、それを受け止めてあげたい。
 その間だけ、彼女のためだけの存在でありたい。

 傲慢だろうか。

「…ホットミルク、飲んで。霧切さん用のスペシャルブレンドなんだから」
「コーヒーみたいな言い方をするのね…」
 パーカーを脱いで、霧切さんの細い肩に、そっと羽織らせる。
 驚いたように此方を見上げる霧切さん。
 構わず、その後ろに座る。
「苗木君…?」
「飲んで」

 子猫を抱きかかえるように、怯えさせないように、後ろからゆっくりと、その肩を抱く。
 抱きしめるのではなく、温めるため。
 その肩はパーカー越しなのにとても冷たくて、両腕を回すと、ふるり、と、少しだけ震えた。

「……セクハラよ、苗木君」
「訴えていいよ」
 言いながらも、強く拒まれたりはしない。
 両の掌を温めていた、霧切さん専用のマグカップを、彼女はただじっと見つめていた。

「…ずるいわ、貴方は。私が拒めないのを知ってて…」
「霧切さんの嫌な事は、僕はしないよ。嫌なら、離れようか」
「ダメ」

 きゅ、と、存外に素早い仕草で、袖を掴まれた。

「……霧切さん?」
「……」

 沈黙が、夜に染み入る。
 月が陰って、しん、と寒さが深くなる。
 マグカップから立ち上る湯気は、夜風に晒されて、ゆらゆらと。

「…女の弱いところを、こういうところでくすぐるから…貴方は天然って言われるのよ…」
「……」
「独りが好きなくせに、側にいて欲しいだなんて…面倒な女でしょう、私は」
「今に始まったことじゃないから」

 す、と、目尻から一筋の光が零れていた。
 あまりに綺麗で、見惚れそうになる。
 眺めていると、涙はそのまま、首元に回した僕の手のひらに落ちた。

「……温かい」

 ホットミルクにようやく口を付けた彼女が、涙も拭わず、染みいるように呟いた。
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