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~自室~

「ふぅ……」 
 部屋に戻るなり、ボクはベッドに寝転んだ。そのまま時計に目をやると、時刻は夜の9時を回っている。
 今日も平和なうちに一日が終わった──と思っていいんだろうか。
 閉鎖された学園での異常な生活も、既に一ヶ月が過ぎた。その間コロシアイは一件も起きる事無く、15人全員が無事に過ごしている。
「9時か……」
 ボクは天井を見上げて呟いた。寝るには少し早いけれど、夜時間が迫っていることを思えば、今から何かをする気も起きない。
 さっさとシャワーでも浴びて寝てしまおうか。
 そう思って身体を起こすと、それを待っていたかのようなタイミングで、ドアのインターホンが鳴った。
「誰? ちょっと待って」
 ドアの向こうに呼び掛けてから、防音が効いている事を思い出す。あちらには聞こえていないかもしれない。
 ボクは慌ててベッドから降り、ドアへと向かった。その間にも続けて二回、三回と、やや強めにドアが叩かれる。
「今開けるから!」
 急いで駆け寄りドアを開けると、そこには大和田クンが立っていた。
「よお」
「大和田クン、ボクに何か用?」
 そう訊ねると、大和田クンは少し険しい顔をした。
「苗木、ちょいとツラ貸せや」
「いいけど……何かあったの?」
 大和田クンがわざわざボクの部屋を訪ねて来るなんて初めての事だ。
 苛立っているようにも見えるけど心当たりは全く無い。ボクが部屋に居る間、何か事件でも起きたんだろうか。
「いいから来いよ。行きゃ分かる」
 大和田クンはボクの腕を掴み、ぐいと引っ張った。
「ちょ、ちょっと待って!」
「行くぞ」
 廊下へと引き摺り出されたボクは大急ぎで戸締りを済ませ、先に歩き始めた大和田クンの後を追う。
「何処に行くの?」
 そう訊ねると大和田クンは不機嫌そうに一言だけ答えた。
「食堂だ」


~食堂~

 夜時間が近いにも拘らず、食堂にはまだ人が残っていた。
 セレスさん、葉隠クン、石丸クン、山田クンといった面々が、奥のテーブルに集まっている。
「オイ、連れて来たぞ」
 大和田クンが声を掛けると、山田クンと葉隠クンがこちらを振り向き、小走りにやって来た。
「おぉ、苗木誠殿! ようやく来て下さいましたか!」
「んじゃ、あとは苗木っちに任せるべ」
「任せるって……何を?」
 話がさっぱり分からない。そもそもボクは何も説明されないまま、ここに来たのだ。
「いいから、いいから。行けば分かるべ」
 大和田クンと同じ事を言いながら、葉隠クンがボクの肩をポンポンと叩く。
「あら、お次は苗木君ですか?」
 二人に急かされて奥のテーブルに向かうと、笑顔のセレスさんがボクを迎えてくれた。その隣には石丸クンが渋面を作って立っている。
「ごめん、状況がまだよく分からないんだけど……」
「うふふ、それならそこにいる負け犬さんたちから、お聞きになればよろしいですわ」
「……誰が負け犬だ、コラ」
 大和田クンがセレスさんを睨み付けた。
「あら、違いましたか?」
 その視線に動じる事も無く、セレスさんは涼しげな顔で言葉を返す。
「えっと……」
 白い丸テーブルの上には、映画で見掛けるカジノのシーンみたいに、モノクマメダルがうず高く積み上げられている。
 それに加えて横に置かれたトランプのカードを見れば、何があったのかは一目瞭然だった。
「……つまり、セレスさんとギャンブルをして負けたってことでいいのかな?」
「その通りだ」
「具体的に言うと、我々は皆、セレス殿とポーカーをして負けたのです」
 石丸クンが苦渋の表情で頷き、山田クンが補足する。
 セレスさんに目を向けると、彼女はそれを肯定するかのようににっこりと微笑んだ。
「そっか、ゲームをしてたんだ」
 揉め事を想像していたボクは少しほっとした。もちろん、こういったギャンブルが深刻な問題に発展する場合もあるんだろうけど。
「それにしたって、なんでセレスさんとポーカーなんて……」
 彼女が超高校級のギャンブラーであることは周知の事実だ。普通に考えて勝ち目なんかあるはずも無い。
「ちょっとした腹ごなしのゲーム……のつもりだったんだべ」
 葉隠クンは、ばつの悪そうな顔で頭を掻いた。
「勝負を挑まれて逃げるなんてできねぇだろ、男としてよ」
「本来ならば賭け事など持っての外なのだが、兄弟がやられて黙っているわけにはいかなかったのだ」
 大和田クンはセレスさんに上手く乗せられて、石丸君クンはその雪辱を晴らそうとして。
 それぞれセレスさんに勝負を挑み──そして負けたという事らしい。
「山田君は?」
「拙者は──」
「助っ人が来るまでの場繋ぎですわ」
 山田クンの言葉を遮ってセレスさんが答えた。
「それってボクの事?」
「ええ」
「あと、それって葉隠クンの?」
 ボクはテーブルの上にある水晶玉を指差した。
「だべ」
「そうですわ」
 葉隠クンとセレスさんの二人が頷く。
「それもギャンブルで取られたの?」
「ま、そういう事だべ」
 葉隠クンが溜め息をついた。
「わたくしが提案したのです」
 手にした水晶玉を弄びながら、セレスさんが笑顔を見せる。
「最後に何か一つ、自分の持ち物を賭けて勝負に勝てば、それまで負けた分の一切を返却する、と」
「……で、皆してそれに負けたんだ」
 テーブルの隅に乗せられた腕章には『風紀』の二文字があった。当然これは石丸クンの物だろう。
 空いた椅子の背もたれに掛けてあるのは大和田クンのシャツだ。葉隠クンの水晶玉と合わせて、三つの『戦利品』というわけか。
「どうせなら負けた分だけ血液を抜くとか、命そのものを賭けるといった方が盛り上がるとは思ったのですが……」
「誰がやるか、そんなもん」
 吐き捨てるように大和田クンが言った。
「危ない事は止めてよ……あ、ところで山田クンは? 何も取られていないみたいだけど、最後の勝負しないの?」
「い、いやいやいや、とんでもありませんぞ! 拙者は苗木誠殿が到着した時点で全ての任務を完了したのです!」
 山田クンはすごい勢いで首を左右に振り、転がるように席を立った。セレスさんは空いた椅子をちらりと眺め、そしてボクに微笑み掛ける。
「さて苗木君、どうしますか?」
「……もし、ボクが勝ったら?」
「その時は全員の負け分をチャラにして差し上げます」
 自信無さげなボクとは対照的に、セレスさんの瞳は自信に満ちていた。負ける事なんて微塵も考えていないんだろう。
 ボクも自分が勝てるなんて微塵も考えていない。
「一応、やるかやらないかは本人の意思を尊重する事にしていますが……」
 そう言いながら、セレスさんはボクの背後に目をやった。
「おい、勿論やるだろ?」
「僕の代わりに兄弟の仇を討ってくれ! 頼む!」
「苗木っちが最後の希望なんだべ!」
「ここが正念場ですぞ! 苗木誠殿!」
 背後から掛かる皆の声と期待がボクの肩に重く圧し掛かる。
「いや、ちょっと待ってよ」
 そう言って考えるフリをしたものの、答えは最初から決まっていた。
 ボクは少しばかり前向きな性格ではあるけれど、基本的に小心者だ。
 この状況で断れるような度胸なんか持ち合わせてはいない。
「……分かった、やるよ……」
 口の中で小さく溜め息をつくと、ボクは半ば諦めの境地でセレスさんの前に座った。

 ・
 ・
 ・

「フルハウスですわ」
「……ワンペア」
 ボクは絶望的な気分でカードをテーブルに晒した。セレスさんはボクの顔とカードを交互に眺め、くすくすと笑う。
「超高校級の幸運も、意外にあっけなかったですわね」
 やはりボクの幸運なんて嘘っぱちなんだろうか。それともこういった勝負事に関しては、セレスさんのギャンブル運に敵わないのか。
 ボクはあれよあれよという間に負け続け、気が付けば手持ちのメダルは底を突いていた。
 そして皆と同じように最後の勝負を仕掛け──あっさりと敗北した。
「苗木っちでもダメか」
「どうにかしてくれると思ったんですがなぁ……」
「ごめん……」
 そう謝りはしたものの、実のところ肩の荷が下りた気分だった。
 がっくりと肩を落としている皆には申し訳ないけれど、負けるのは予想通りだったからだ。
「では苗木君、そのパーカーを頂きますわ」
 ボクは言われるままにパーカーを脱いでセレスさんに手渡した。それと同時に一つの疑問が頭に浮かぶ。
「ところでそれ、どうやったら返してもらえるの?」
「僕も腕章がないと微妙に落ち着かないのだが……」
「だよな……てめぇが持ってても仕方ねぇだろうが」
 大和田クンの言うとおりだ。大和田クンのシャツに石丸クンの腕章、葉隠クンの水晶玉……というかガラス玉、そしてボクのパーカー。
 どれもお金になるような物じゃないし、そもそもここではお金があっても仕方ない。
「確かにわたくしが持っていても意味の無い物ばかりですし……」
 セレスさんが壁の時計をちらりと見た。それに釣られてボクも時刻を確認する。9時35分だった。
「もう一勝負、と行くには少々時間が足りませんわね」
「……チッ、あと30分もねぇのか」
「うむ、今日はここで切り上げるべきだろう」
「そうですわね……では、こうしましょう。これは今夜一晩だけ、わたくしが預かります」
「一晩でいいの?」
 ボクがそう訊ねると、セレスさんはにっこり笑った。
「えぇ、明日になったら皆さんにお返ししますわ。……それでは、ごきげんよう」
 彼女は大量のモノクマメダルと幾つかの『戦利品』を抱えると食堂から出て行った。
「ま、今日のところは解散ですかなぁ」
 セレスさんの後姿を見送りながら山田クンが言う。
「そうだな」
「寝て起きりゃ返ってくるんだし、暇潰しになったと思えばいいか」
「おう、寝るべ寝るべ」
「うん。じゃあ、おやすみ」
 皆も三々五々、自分の部屋に帰っていく。ボクも帰ろうと椅子から立ち上がり──そこで自分のミスに気付いた。
「……あ!」
 ──部屋の鍵。確かパーカーのポケットに突っ込んだはずだ。
 あれがないと部屋に戻れない。ボクは自分の迂闊さを呪いながら、慌ててセレスさんの後を追い掛けた。


~廊下・セレスの部屋前~

「セレスさん、あの……ちょっといいかな?」
 そう声を掛けると、ドアノブに手を掛けていたセレスさんが振り向いた。
「何かご用ですか?」
「うん、実はそのパーカーなんだけど……」
「苗木君?」
 セレスさんはボクの顔を覗き込むようにして、じっと見詰める。
「あなたは負けたのです。今更勝者に縋るのは見苦しいですわよ」
「いや、そうじゃなくてさ」
 ボクは気圧されそうになりながら、曖昧な笑顔を作った。
「そのパーカーのポケットに、ボクの部屋の鍵があるんだ。それだけ今返してくれないかな?」
「鍵、ですか」
 セレスさんはパーカーのポケットをまさぐると、ボクの鍵を取り出し摘み上げた。
「あ、うん、それだよ。ありがとう」
「まぁ、これは思わぬ拾い物ですわ」
「え?」
 予想外の反応に、鍵を受け取ろうと差し出したボクの手が止まる。
「当然これも戦利品の一つ……という事になりますわね」
「あの、それじゃボクが部屋に入れないんだけど……」
「残念でしたわね」
 話は終わりとばかりに、セレスさんはボクに背中を向けた。
「いや、残念って、それは困るよ!」
 ボクがそう言うと、セレスさんはこれ見よがしに溜め息をついてみせ、こちらに向き直る。
「それでは一つ、交換条件と致しましょう」
「交換条件?」
「ええ」
 どうやらタダで返してくれるつもりは無いらしい。
 ニコニコと笑うその様子は、気のせいかポーカーをしていた時よりも、ずっと楽しそうだった。
「でも、もうメダルは無いし……代わりになるような何かを渡すとか?」
「そうですわね……」
 セレスさんは考え込むように、口元に指を当てて目を伏せる。
「ボクに出来る範囲で頼むよ」
「心配しなくても、そのつもりですわ。そうでなければ意味がありませんから」
 そうやって数十秒ほど経った頃、セレスさんがふと顔を上げた。 
「それでは、苗木君に紅茶を淹れていただきましょう」
「紅茶?」
 意外だった。実のところ、もっと無茶な要求をされるだろうと思っていたのだ。
 いくらセレスさんでも、本気で部屋の鍵を質に取る気は無いのだろう。
「えぇ、それで苗木君の負けた分を相殺して差し上げます。お部屋の鍵と、それにパーカーもお返ししますわ」
「あ……でも、ロイヤルミルクティー……だっけ?」
「もちろんですわ」
 当然だろうといった顔でセレスさんが頷く。
「ボク、淹れたことなんて無いんだけど……」
「うふふ……では、楽しみにしてますわね」
 悩むボクの目の前で、セレスさんの部屋のドアがばたんと閉じた。 
 部屋まで持って来いという事だろう。
「……急がなきゃ」
 食堂のドアがロックされるまで、あと20分くらいしかないはずだ。ボクは慌てて食堂に引き返した。


~厨房~

 無人の食堂を抜けて厨房に入ると、山田クンが冷蔵庫の中身を物色していた。
「山田クン?」
「おや、苗木誠殿」
「……何してるの?」
「実は少々小腹が空きまして、何か夜食になるような物はないかと探していたのですハイ」
 少し恥ずかしそうにしながら、山田クンは冷蔵庫のドアを閉めた。
「そっか、でもちょうど良かった」
「何か?」
 ここ最近、山田クンはセレスさんのお茶汲み係を務めている。……半ば強制的に、ではあるけれど。
 その彼がここに残っていたのは、どうやらボクにとって幸運と呼べる出来事のようだ。
「悪いんだけど、ボクにロイヤルミルクティーの淹れ方を教えてくれないかな?」
「むむ? それは構いませんが……唐突ですなぁ」
「うん、実は──」
 ボクはセレスさんとのやり取りを手早く説明した。正直もう時間が無い。
「そういうわけでさ、今からセレスさんの所にミルクティーを持って行かないといけないんだ」
「なるほど」
 山田クンは大きく頷くと、芝居がかった仕草で胸をドンと叩いた。
「そういう事ならこの山田一二三、一肌脱がせて貰いますぞ!」

 ・
 ・
 ・

えー、校内放送でーす。
午後10時になりました。
ただいまより"夜時間"になります。
間もなく食堂はドアをロックされますので、
立ち入り禁止となりま~す。
ではでは、いい夢を。おやすみなさい…

「危なかったね」
「ギリギリでしたなぁ」
 夜時間を告げるモノクマの放送が流れたのは、ちょうどミルクティーの用意が済んで廊下に出た時だった。
「では苗木誠殿、夜時間になった事ですし……」
「うん、ありがとう。ホントに助かったよ」
「ではでは、また明日」
「うん、また明日ね」
 部屋に戻る山田クンを見送ってから、ボクは紅茶が載ったトレイを手に、そろそろと歩き出す。
 そうやってセレスさんの部屋に辿り着くと、トレイを取り落とさないよう注意しながらインターホンを鳴らした。


~セレスの部屋~

「ロイヤルミルクティーを淹れた経験は無い、と言っていたはずですが……」
「うん」
 セレスさんが顔を綻ばせた。
「どんな物が来るかと思っていましたけれど、まずまずの味ですわ。初めてにしては上出来の部類です」
 そう言って嬉しそうにミルクティーをもう一口啜る。
「ふふ、これでまた苗木君はBランクに一歩近付きましたわね」
「……良かった」
 ティーカップを口元に運ぶセレスさんを見ながら、ボクはほっと胸を撫で下ろした。
「実は山田クンがまだ食堂に残っていたんで手伝ってもらったんだ」
「山田君に?」
 セレスさんの眉がぴくりと動く。
「というかボクはほとんど見てるだけで、山田クンが淹れたようなものなんだけどね」
「なるほど……そういう事でしたか」
 セレスさんは、ティーカップをゆっくりと受け皿に戻した。
「それで僕の鍵なんだけどさ……返してもらえるかな?」
「それは出来ません」
 さっきまでとは打って変わって冷たい声が響く。セレスさんの顔からは笑みも消えていた。
「え……どうして?」
「わたくしが出した条件を覚えていますか?」
「……『紅茶が飲みたい』」
「違います」
「え、と……『ロイヤルミルクティーが飲みたい』?」
 セレスさんは、やれやれといった風に首を振った。
「よろしいですか? わたくしは『苗木君に紅茶を淹れていただく』と言ったのです」
「あ……」
 そう言われてみれば、そうだったかもしれない。
 失敗してもやり直す時間は無いと思って山田クンに頼んだけれど、どうやらその選択こそ失敗だったようだ。
 というかこの場合、何も考えず正直に話してしまった事が失敗なんだろうか……。
「やり直しです」
「え? でも、もう夜時間なんだけど……」
 それはつまり食堂にも厨房にも入ることが出来ないということだ。
 モノクマの放送は、たった今流れたばかりだし、セレスさんもそれを聞いたはずなのに。
「では仕方ありませんわね。鍵をお返しするのは、また明日以降という事に」
「いや、ちょっと待ってよ!」
 出された条件を満たせなかった事は確かだけれど、ボクとしてもこれで帰るわけにはいかない。
 というより、このままじゃ帰る事が出来ない。
「何か他にないの? 今から出来る事で他に何か……」
 焦るボクを見て、セレスさんは意味ありげに微笑んだ。
「苗木君さえよければ、この部屋に居てもいいですわよ?」
「え?」
 一瞬、頭が真っ白になった。
「あ……いや! その、それは色々まずいと思うけど……」
 ボクは慌てて首を左右に振った。自分でも声が上ずっているのが分かる。多分、顔は赤くなっているに違いない。
「妙な誤解をなさっているようですが……」
 セレスさんは呆れたような軽蔑したような目でボクを見た。そしてトランプのカードケースをボクに差し出す。
「先程の続きをしても構わない、という意味で言ったのです」

 ・
 ・
 ・

「キーン、コーン… カーン、コーン」

オマエラ、おはようございます!
朝です、7時になりました! 起床時間ですよ~!
さぁて、今日も張り切っていきましょう~!


「ん……」
 目が覚めると、頬に硬い感触があった。薄く目を開けて頭を起こす。
 すると、頬に貼り付いていたトランプのカードが、ぱらりと落ちた。
「お目覚めですか?」
「……セレス、さん」
 どうやら机に突っ伏したまま眠ってしまったようだ。目を擦り、何度か瞬きをする。
「ごめん……今何時……?」
 そう訊ねた瞬間、流れたばかりの放送を思い出した。
 朝の7時だ。
「あ……あ、ごめん! 結局泊まっちゃって……」
 セレスさんは既に身支度を整えていた。ボクが寝ている間にシャワーを浴びたのか、微かにシャンプーの香りがする。
「構いませんわ。わたくしがいいと言ったのですから」
「うん……それはそうなんだけどさ」
 ボクはまだ半分寝ぼけた頭で、昨夜の事を思い出していた。
 ポーカーの他にブラックジャックやセブンブリッジなど、ルールを教わりながら何度も勝負をしたが、結局一度も勝てずに終わった。
 その挙句に力尽きて眠ってしまったらしい。
「うふふ、ですが結果は変わりませんでしたわね」
「うん……」
 そういえばそうだ。部屋の鍵はまだ返してもらっていない。
 それどころか一晩中連戦連敗で、ボクの負け分が雪ダルマ式に増えただけだった。
 その『借金』も、鍵の分とは別で支払う約束になっている。
「さ、もう行きますわよ」
 そう言ってセレスさんが立ち上がった。
「何処に?」
「もちろん食堂です。朝の食事会に顔を出さなければいけませんし、今度こそ苗木君が紅茶を淹れてくれるのでしょう?」
「あ、そっか。もう皆集まってるのかな……」
「どうでしょうか」
 セレスさんは興味無さげに応じる。
「それより顔くらいは洗って下さいな。洗面台とタオルは貸して差し上げますので」


~食堂~

 顔を洗ってさっぱりしたボクは、セレスさんと一緒に部屋を出た。
 食堂に入ると案の定ボクたち以外の全員が集まっていて、遅れてきたボクたちに視線が集中する。
「二人とも遅いぞ。早く席につきたまえ」
「ごめん」
 石丸くんに急かされ、慌てて手近な席に座る。寝不足のせいか、まだ少し頭がはっきりしない。
 セレスさんもほとんど寝ていないのだろう。ボクの隣に腰を下ろしながら小さく欠伸をした。
「寝不足ですか?」
 舞園さんが心配そうな顔でセレスさんに声を掛ける。
「えぇ、昨夜は苗木君が寝かせてくれませんでしたから」
「セレスさん!?」
 まさかの発言に、ボクは思わずセレスさんの顔を覗き込んだ。
 けれど彼女は何気ない雑談のように後を続ける。
「一度や二度で終わって下されば良かったのですが、わたくしが疲れたと言っても聞いてはくれず……」
 嘘ではない。鍵を取り返したくて、ボクは何度も勝負を挑んだ。けれどこの言い方じゃ、あらぬ誤解を招くことになる。
「何っ!? どういう事なのだ? 何があったのか報告したまえ!」
「ま、まさか昨夜からずっと一緒だったので!?」
「昨夜って何ですか? ひょっとしてセレスさんの部屋に泊まったんですかっ? 答えて下さい!」
「違うよ! あの、えと、違わないけど、とにかく違うから!」
「では、どういう事かしら? 具体的に話してもらえる?」
 石丸クンと山田クンだけでなく、何故か舞園さんと霧切さんまでもが怖い顔でボクを見据えていた。
「確かに、その……セレスさんの部屋には居たけれど、別に変なことは何も……」
「あら、何も無かったなんて酷いですわ。……ねぇ?」
 目を伏せたセレスさんが、優しい声音でお腹に手をやった。
 愛しげに下腹部をさするその様子はまるで、お腹の中に赤ちゃんでも居るかのようだ。
「セレスさん、それは……」
 ボクは先日彼女に呼び出され、妊娠を告げられた。もちろん、ただの嘘だ。
 『あなたの子です』なんて言われた時はびっくりしたけれど、そもそもボクたちはそんな関係じゃない。
 だからそれが事実無根、性質の悪い冗談だとすぐに分かったのだ。
 でもそれは当人だから分かる事であって──。
「まさか、妊娠してるんですか!?」
 顔面蒼白になった舞園さんが悲鳴のような声をあげる。
「え?」
 しまった、と思った時にはもう遅かった。恐る恐る皆の様子を窺うと、全員が無言でこちらを見詰めている。 
「……マジ?」
 しんと静まり返った中、桑田クンがぽつりと呟いた。
「へ、変態! 痴漢! 苗木、最低だよ!」
 朝日奈さんがボクを睨み付け、声を張り上げる。
「ち、違うよ! ホントに違うんだ、誤解なんだよ!」
「言い訳するなんてホントにサイっテー! さくらちゃんも何か言ってやって!」
 朝日奈さんはボクを睨み付けたまま、大神さんに話を振った。
「苗木よ……」
「は、はいっ!」
 射抜くような視線を向けられて、ボクは思わず背筋を伸ばす。
「覚悟あっての行いであれば、我は何も言わぬ……」
「……へ?」
「この際は良き夫、良き父となるよう精進するがいい」
「さくらちゃん……」
「待ちたまえ! 学生という立場でこれは……不純異性交遊などという言葉では済まない事態じゃないかッ!」
 椅子を蹴立てて石丸クンが声を荒げた。
「苗木も草食系に見えてヤる事ヤってんじゃん! ぶっちゃけ見直したよ~!」
「俺の占いによると女の子が産まれるべ!」
「いや、だから、その……」
「ま、まさか堕ろせとか言うつもりなの……ッ!!」
「うっわー、苗木クンてば超鬼っ畜ぅ」
「みんな、ちょっと待ってよ。苗木君の話も聞いてあげようよ」
 食堂は一気に騒がしくなった。気が付けば何時の間にか現れたモノクマまで一緒になって盛り上がっている。
 不二咲さんがフォローしようと頑張ってくれているけれど、一向に静まる気配は無い。
 何も言わないのは十神クンくらいのものだけど、彼の場合は単に興味が無いだけだろう。
「ど、どうするの、これ……」
「さぁ?」
 騒ぎを引き起こした張本人であるはずの彼女は他人事のように笑っていた。
「どうしてあんな事言ったのさ」
「苗木君はわたくしとの約束を破ったのですから、ペナルティです」
「これがペナルティって……」
 既に騒ぎはボクらの手を離れ、収拾のつかない状態になり掛けている。
 学級裁判とやらが開かれていれば、こんな感じなんだろうか。
「苗木君、ここに座って」
 霧切さんがボクを睨みながら、自分の隣にある椅子を指し示した。普段は表情が読み難い彼女だけれど、明らかに怒っているのが分かる。
「いや、あの……」
「いいから座ってくれる?」
 その有無を言わさぬ雰囲気に逆らえず、ボクは仕方なく立ち上がった。
 けれど彼女の隣に座ろうとした時、今度はセレスさんから声が掛かる。
「苗木君? わたくし、紅茶が飲みたくなりましたわ」
 振り向くとセレスさんがいつもの笑顔を浮かべていた。その手にはボクの部屋の鍵がちらりと見える。
「えっと……」
 ボクは霧切さんとセレスさんを交互に見た。
 怒っている霧切さんを放置しておくのは怖いけれど、部屋の鍵も返してもらわないと困る。
 セレスさんの性格を考えれば、この次はどんな無理難題を押し付けられるか分かったものじゃない。
「ごめん霧切さん、話はまた後で……」
 彼女の刺すような視線を背中に受けながら、僕は逃げるように厨房へ向かった。


~厨房~

「確か沸騰させちゃいけないんだよね……」
 山田クンから習った手順通りに準備をしながら、ボクは溜め息をついた。
 食堂の騒ぎも大変だけど、鍵を取り戻そうとして逆に増やしてしまった『借金』の事を思い出したからだ。
 鍵だけは先に返して貰える事になったけど、膨れ上がった借金はまた別の話できちんと返さなくてはいけない。
「えっと……」
 ボクはポケットから数枚のメモを取り出した。畳まれた紙を広げると、そこは『正』の字で埋め尽くされている。
 ゲームで一回負ける度に書き足して、気が付けばこの有様だ。
「ギャンブルって怖いなぁ」
 ボクは他人事のように呟いた。負けが込み過ぎて現実感が欠けているのかもしれない。
 けれど一応、きちんと数えたはずだ。確か全部で──。
「331敗、だっけ」
 そしてセレスさんから指定された支払い方法は『一敗につき一杯のロイヤルミルクティー』だった。
 つまり朝、昼、晩と一杯ずつ淹れたとしても三ヶ月は掛かる事になる。
 よくもまぁ、一晩でこれだけ負けたものだと自分でも不思議に思う程だ。
「しばらくはお茶汲み係、か……」
 ボクはゆっくりと天井を見上げ、本日何度目かになる溜め息をついた。





~fin~

ツールボックス

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