あからさまにわざとらしいモノには、あからさまに純粋なものがよく似合う、と聞いた。
今、その出で立ちを見て、僕はそれを実感する。
「……何、じろじろと」
「いや、…似合うな、と思って」
特に照れるでも嫌がるでもなく、霧切さんはただ首を傾げた。
その仕草の、似合うこと。
『雪女』、だそうだ。
白地に仄かな群青色が宿った、帯まで本格的な意匠の着物。
雪の結晶をかたどった、透明な髪飾り。
仮装というよりはコスプレに近い装いだけれど、どこか浮世離れした彼女の雰囲気と相まって、
「…うん、似合うよ、やっぱり」
「…褒めてるのかしら、それは」
「え? や、そりゃ、まあ…」
「……貴方は邪気の無い人だから良いけれど。妖怪の出で立ちが似合うと言われても、反応に困ってしまうわ」
ああ、そういうことか。
「いや、うん…妖怪というか、こう……冬の国のお姫様、みたいな」
「…褒めすぎは嫌味に聞こえるわよ」
ほんの少し、白い肌に朱の色が差す。
見たままの感想を言っただけだけれど、本当に困らせてしまったみたいだ。
朝日奈さんや舞園さんは、素直に褒め言葉を受け止めてくれるのだけれど。
やっぱり霧切さんは、ちょっと、変わってる。
「……ところで。貴方のそれは、ギャグか何かかしら?」
「え、可笑しいかな」
「ええ。ここまで似合ってないと、むしろ清々しいわね」
そのくせ、此方への評価はストレート一本。
あまりに歯に衣着せないので、さすがにちょっと傷つく。
「『狼男』…カッコいいと思うんだけど」
「……」
くっ、と、霧切さんが頬を赤くして、口元を隠す。
彼女が笑いを堪えている時の仕草だ。
「っふ、……、はぁ。あのね、苗木君。兎が狼の皮を被っているのは、滑稽だと思わない?」
「…虎の威を借る狐、ってこと?」
「ん、ちょっと違うわね…」
まあ、霧切さんのように本格的な装いじゃない。
毛皮に見せた着ぐるみを、茶色に染めただけのものだ、けど。
「それにしても…苗木君が狼男、ね……ふふ、皮肉にもほどがあるわ」
「…舞園さんや朝日奈さんは、褒めてくれたんだけどな」
ぴくり、と、霧切さんの眉が動いた。
「いや、すまないね、二人とも」
と、彼女が何か口を開きかけたところで、しわがれた声に呼びとめられる。
希望ヶ峰学園の理事長だ。
「せっかくの同窓会だというのに、こんなことをさせてしまって…」
「……気にしないでください」
「僕たちもわかってて、一般開放の日程と被せたんですから」
そう、希望ヶ峰学園の一般開放。
年に何度かの頻度で、一般向けに教室や授業の公開を行っている。
僕たちが卒業した後にできた制度らしいけれど、その実施には霧切さんが一枚噛んでいる、らしい。
そして今年の同窓会は、それに合わせて、久しぶりに校舎を見学しよう、というものだった。
提案は、一応僕。
贔屓目に見ても企画としてはなかなか魅力的なものだと思うし、多くのクラスメイトが再び顔を揃えた
後輩たちの顔を見てみたい、久々の校舎を見て歩きたい、身内がいるので挨拶に行きたい、など、理由は様々。
そして、
「今回の一般開放は、更に学園祭を兼ねていたものでね。生徒はもちろん、教師やOB・OGも…一応主催者側ってことで」
「公開する側とされる側を見分けるために、仮装で判断するワケですね」
「ああ。君たちを一般客としてしまってもいいんだが…一般客では立ち入れない区画もあるからね」
まあ、この学校を訪れたのは僕たちのワガママ、みたいなものだ。
郷に入っては、とはやっぱり少し違うけれど、これはこれで楽しかったりもするし。
と、ふと視線を感じて、その出所を探る。
「……ね、アレ」
「うん…霧切先輩と苗木先輩、だよね」
「マジ? …あの『超高校級の探偵コンビ』?」
まあ、そりゃ希望ヶ峰学園の出身ともなれば、それだけで有名人にはなるけれど。
まさか学内でも名前が通っているだなんて。
「……」
霧切さんが、居心地悪そうに身じろいだ。
ふわり、白い裾が揺れて、何かを言いたそうに僕をジト目で見る。
もともと注目されるのを嫌う人だ。
決して悪意はないのだろうけれど、好奇の視線というのは時に面倒で厄介なもの。
「…あの、僕たちは、これで」
「ああ。もてなすことは出来ないが、まあ…ゆっくりしていってくれ」
在学当時と変わらない、しわくちゃの笑顔を向けて、理事長は校内巡察に戻っていった。
懐かしさを覚えつつも、その増えた白髪を数えて、自分たちがここを卒業してから時間が経ったことを実感する。
と、白い裾が僕の袖を、くいくいと引っ張ってくる。
「……苗木君」
何、と振り返って、例のジト目が僕を睨んでいた。
「……」
「あー、……」
無言のまま、圧をかけてくる。
むぅ、という効果音までつきそうな。
苗木君、の先は、霧切さんはいつも言わない。
僕に察させようとする。
『助手は探偵が言わずとも、その心意を察してしかるべきなのよ、苗木君』
いつかの彼女の言だ。
幾度となく主張してきたことだけれど、僕は彼女の助手を主張したことは、ただの一度もない。
けれど。
雪女、ファンタジーの世界の姫のような、幻想的で儚げな出で立ちの霧切さんが、不満を隠さずにジト目。
なんというか、ミスマッチが新鮮で、愛くるしささえ覚える。
「あー、えっと…じゃ、行こ「苗木先輩っ!」」
エスコートの手を差し伸べようとして、突き飛ばされるような大音声に呼ばれ、つんのめる。
聞き知らぬ、甲高い声。
見ると、不二咲さんほどの小さな女の子が、顔を真っ赤にして僕を見上げていた。
「あ、あのっ…苗木誠先輩、ですよね…?」
「あ、うん…そうだけど」
女の子は、西洋の魔女のように黒いローブに身を包んでいた。
竹箒を握りしめる手に力が入って、痛々しいほどに赤くなっている。
は、は、と息は上がり、言葉を探して眼を泳がせ。
いくら鈍い僕でも、流石に分かる。
こういう相手は、希望ヶ峰学園に入学する前までは、少なくとも僕には縁のないものだと思っていたけれど。
いや、もちろん、悪い気はしない。本当だ。
「あ、あの…私、苗木先輩の…ふ、ふぁん…です…」
「えーと、…気持ちは嬉しい、よ…」
「ざっ、在学中の武勇伝も、色々耳にしています!」
げ、と思わず口に出して言いそうになる。
ちょっとクラスメイトと起こしたドタバタ騒動が、どういうわけか尾ヒレがついて、武勇伝としてこの学校には残っている。
有名人がマスコミに翻弄されている気分を、少しだけ味わっている。
す、と、霧切さんが距離を取った。
僕に用事があるから、と、彼女なりに気を利かせてのことだろうけど。
「あ、霧切さん…」
「……ごゆっくり。私は一人で楽しんでくるわ」
色の無い瞳が、僕を捉えることなくそう言ってのける。
「あ、…えっと」
気まずそうに、後輩の女の子が怯むのを置き去りにして、霧切さんは廊下を足早に抜けていった。
「あの…すみません、興奮しちゃってて、その…お邪魔、でしたか?」
「え? あ、いや、そういうワケじゃないんだ、ゴメンね」
「い、いえ、とんでもないです!」
声をかける度に恍惚に震える姿は、江ノ島さんが時々見せていたあの笑みを思い出させる。
ちょっと、なんか、嫌な予感。
「あの…君、さ」
「ああっ、すみませんでした、私なんかがその、お呼びとめして…」
少しだけデジャヴ。
初めて霧切さんや、他のクラスメイトと出会った時の僕も、このくらい物怖じしていたっけ。
そう思うと、霧切さんを追いかけたいのは山々だけど。
このまま何も無しに、彼女に別れを告げるのも、どこか心苦しい。
と、今日が何の日か思い出して、ポケットを探る。
「あの…先程の方、霧切さん、ですよね?」
「ああ、そうだよ」
「えっと……あの、お呼びとめした私が言うのもなんですが…追いかけた方が」
「ああ、うん、ちょっと待ってね」
あった、あった。内ポケットの奥の方。
「えっと、せっかく会えたのも何かの縁だし。今日、ハロウィンだし、ね」
手を差し出すと、おずおずと、女の子も手を伸ばす。
その小さな手のひらの上に、落とした。
ビニールに放送された、お気に入りのキャンディ。黒糖とミルクが混ざった、特別の。
「え…」
「プレゼントにしちゃ、ちょっとしょっぱいかもしれないけど…味は保証するからさ」
「……! あ、ありがとうございます!」
少女に背を向けて、足早に去る。
廊下にはもう、霧切さんの影は無かった。
そうだ、今日はハロウィン。トリック・オア・トリートの日。
いたずらか、もてなすか。
それはつまり、「なんでもいいから構ってくれ」という、寂しがり屋の小悪魔たちの言葉だ。
ほったらかすなんて、ありえない。
一度も自称したことはないけれど、僕は彼女の助手なんだから。
この学園祭、同窓会、ハロウィンでも、やっぱり彼女と一緒にいないと、絵にならないじゃないか。
ふ、と、人混みの奥の奥に、見覚えた白の着物の裾。
一瞬だけ、その主と視線が合う。
「あ、霧切さ…」
ふい、と、そらされる顔。
主はそのまま背を向けて、人混みの奥へ奥へと。
ああ、そうだ、こういう時の彼女は頑固だ。
拗ねた時。意地になった時。徹底的に、僕とのコミュニケーションを拒む。
昔の僕なら、ここでへこたれて、ほとぼりが冷めるのを待つだけだけれど。
生憎、追跡術と図太さは、彼女の側でイヤというほど学ばせてもらった。
「霧切さん、待ってってば…!」
「……」
するすると、水が流れるように人の隙間を抜けていく、その少女の裾を掴む。
着物を着ていた分だけ、少しだけ歩みが遅かった。追い付くのは、ワケもない。
さすがに手を掴まれては観念したのか、ゆるり、と霧切さんが振り向いた。
本当に、着物の白と相まって、恐ろしいほど綺麗な所作。
寒気すら覚えるのは、彼女の視線のせいもあるだろう。
『雪女』は舞園さんの見立てだったのだけれど、中々どうして。
「……もういいのかしら、苗木君」
「何が?」
「お邪魔そうだったから、空気を読んで場を外してあげたんだけど…私の厚意に気付かなかったワケじゃないでしょう」
色の無い瞳で、僕を睨む。
ジト目の彼女は、まだ感情を表に出してくれている分、扱いやすい方。
こういう時の彼女は、頑固だ。ホントに。
「……偉くなったわね、苗木君。ファンの一人や二人、適当にあしらってきたってワケかしら?」
「…別に、有名人を気取るつもりはないよ」
「……ええ、そうね。優しい対応だったわね。お菓子まで上げちゃって…餌付けのつもり?」
「ちょっと、霧切さん…」
「優しいのね、他の女の子には」
『他の』女の子には。
「ちょっと待ってよ。霧切さん、今の、」
「…その気もないクセに、どうして私の側に来るのよ、いつも……」
「あの、」
「『狼男』…良い皮肉だわ、本当に」
捲し立てるように、僕の言葉を跳ね返すように、言葉の弾幕を張る霧切さん。
もともと理性の人だ。こういう頑固な時は、いつもより数倍ボロが出る。
頬を上気させて、眼を苦しげに細めて、自分の言葉で自分を追い詰めるようにして。
いつもの霧切さんらしくない。
いや、これはこれで綺麗だけれど。
一通り言葉をぶつけて、少しは熱が冷めたのか、僕を見ていた色の無い瞳に、ふ、と色が戻る。
滲む。涙だ。
すう、と胸を反らせて、大仰に息を吐く。
「……ごめんなさい、当たり散らして」
やっぱり、理性の人だ。
我を失いそうになっても、そこからの回復は早い。
「…変な事を、言ったわね。忘れて頂戴」
でも。
理性の人と、いうことは。
こうやって喚き散らした飾らない言葉にこそ、本音があったというわけで。
「…僕こそ、ゴメン」
「苗木君…?」
「いや、うん…正直、後輩に慕われるって、今までなかったからさ…ちょっと舞い上がっちゃって」
特に、相手が女の子ともなれば、そりゃあ嬉しさも一入なわけで。
憧れの眼差しは、彼女のような人にとってみればむしろ、慣れすぎて煩雑に感じるのかもしれないけれど。
「…でも、一番隣にいて欲しいのは、霧切さんだよ」
「……それは、探偵と助手、という意味で?」
「僕は一度も、助手を名乗った覚えはないんだけど」
色の宿った瞳が、潤みだす。
彼女は別に、感情を持っていないワケじゃない。
ただ、人よりそれを表に出して、相手に伝えるのが下手なだけ。
本当は印象よりも、ずっと優しくて、繊細な人だ。
だから。
「そう、ね……私が、そういう言葉でしか…貴方を隣に拘束できなかっただけ…」
「…霧切さん、そうじゃなくて、」
「…自分でも分かってるわ、ずるい方法だった……でも、私からは…怖くて、口に出せないのよ…」
震えた声。
ああ、ちょっと言い方を間違えたか。
「…うん。だから、僕が霧切さんの隣にいるのは、霧切さんの助手だからじゃないよ」
「……」
「僕が、霧切さんの隣にいたいから、いるんだ」
ば、と、銀色の髪が広がる。
彼女が勢いよく顔をあげたからだ。
「な、苗木君、……それって、」
白い生地に、映える赤。
知的でミステリアスな印象の強い人だけど、その狼狽する表情も、僕は好きだ。
「…あー、コホン。せっかく現実離れした衣装を着ていることだし…もうちょっと、オシャレに言ってみよう、かな…」
「……止めておきなさい。『狼男』ではしゃぐような貴方のセンスじゃ、大火傷するだけよ」
「そうかな? じゃあ――トリック・オア・トリート」
数瞬だけ、霧切さんが目を伏せて考える。それから、きっと意を介したんだろう、また噴き出した。
「……苗木君、私はお菓子を持っていないわ。…貴方、分かってて言ったでしょう」
「そっか、残念……じゃ、悪戯、するね」
「ええ、どうぞ」
「…じゃあ、えと……目をつぶってください」
後日。
希望ヶ峰学園の苗木誠武勇伝に、新たな一ページが刻まれたそうだ。
曰く、『後輩の一人に唾を付けつつも、本命の彼女を侍らせて学園祭を徘徊した』と。
最終更新:2012年12月08日 12:10