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「…納得いかないわ」

 言いながらも、彼女は僕が買ってきたお菓子の箱を開けた。
 既に二箱目だった。

「なぜ、11月11日はポッキー&プリッツの日で統一されているのかしら」
「…棒状のお菓子だから、じゃないの?」
「私はそういう月並みな事を尋ねているわけじゃないのよ、苗木君」

 びし、とこちらに突きつけるのは、それでもやっぱりポッキーだったりする。
 ついでにいうと、僕の好きなムースチョコのついたものだ。
 最近なかなか購買やコンビニで見つけられないのを必死で探して来たもので、ちょっと惜しかったりする。

 まあ、今は僕は彼女に勉強を見てもらっているという状況なので、文句なんて言えないのだけれど。

「棒状のお菓子なら他にもあるでしょう? ちなみに苗木君、私はトッポ派よ」
「うーん…代表的なお菓子から無作為に選出した結果、じゃないかな? もしくはどちらが歴史が長いか、とか」
「そう…貴方はポッキーこそ至高と言いたいのね、苗木君」

 そういうと霧切さんは、また箱の中からポッキーを取り出した。
 指にはさんで、ぐい、と頬を突っつかれる。

「――…戦争よ」
「いやいや…」

 流石に行儀が悪いので、指を離させる。
 ちなみに僕自身は、どちらが至高とか、そういう争いに含むところはない。
 どれも好物だし、今日はたまたま部屋にポッキーしか置いていなかっただけ。

 そしておそらく、霧切さんも単に話の種として、冗談としてこのネタを持ち出して来ただけなのだろう。
 言いながらも、僕を突ついたポッキーを、無表情でぽすぽすと食んでいく。

「プレッツェル、っていうんだっけ。最初に考えた人は偉大だよね、チョコをコーティングするなんて発想」
「今では当たり前に受け入れられているけれど」
「コロンブスの卵、ってやつかな?」
「…少し違う気もするわ」
「持ち手の部分があるのも画期的だし」
「…私個人の意見としては、全部にチョコが付いているほうが…」
「それは、ホラ。ソフトクリームのコーンとか、タイヤキの餡が入っていないしっぽの部分とかみたいな」
「口直しのための必要素、ということかしら?」

 霧切さんが席を立ち、コーヒーメーカーが置いてある台所へと向かう。
 コポポポ、とお湯が注がれる音が聞こえて、少し乾燥した部屋の中に、何とも言えない香ばしい匂いが広がる。
 休憩の合図だ。僕はペンを手放して、思いっきり背を伸ばした。

 昼過ぎから初めて、ちょうど三時間。言うなれば、お八つ時、である。
 霧切さんに倣って、僕もお菓子の小箱を手に取った。


 最後の一本、だった。

「……」
「……何よ。残しておいてあげただけでも、ありがたいと思いなさい」

 僕の追求の視線に気づいた霧切さんが、二人分のカップを持って机に戻ってくる。

「……楽しみに取っておいたのに。ムースチョコ」
「……」

 気まずそうに視線を逸らし、濁すようにして、コーヒーに口を付けた。
 彼女はブラック。僕は甘党なので、スティックシュガーを二本。

「…隣町まで買いに行ったのに」
「…女々しいわよ、苗木君。お菓子の一つや二つくらいで」

 そのお菓子の一つや二つで戦争まで持ち出して来たのは、どこのどちら様だったろうか。
 はあ、と一つ溜息。
 彼女に口で敵わないことは分かっている。
 いや、口だけじゃないけど、敵わないのは。悲しくも。

 とにかくその名残惜しき最後のポッキーを、言い表せない寂寥感のままに摘まむのだった。

「…他のプレッツェルと何が違うっていうのよ、そんなもの」
「他のだってもちろん美味しいけど。でも、ポッキーが代表的っていうのは、多くの人が思っていることだと思うよ」
「…そうかしら。仮にそうだとしても、多数派に流されざるを得ない社会の性というものには嘆息が零れるわね」
「ほら、『ポッキーゲーム』なんて言葉もあるし」

 そういって、気を取り直してポッキーを食もうと口を開いた時。
 何故か、首筋の裏の辺りに、言い知れぬ寒さを感じた。

 それは、虫の報せだったのか。

「…ぽっきーげーむ?」

 珍しくひらがな発音全開の霧切さんが、聞いたこともない、と首を傾げた。

「…知らない?」
「…日本の文化かしら? だとしたら、疎いのよ」
「や、海外でもあるのかどうかは分からないけど」

 こういう時、最近の情報化社会というのは便利なもので。
 ほんの些細な気になることでも、携帯端末を使ってキーワードを絞り込めば、簡単に情報を引き出せるのだ。
 とりあえず僕は、最後のポッキーを名残惜しさなど忘れて口に咥え、そのまま手を離して、ポケットを探る。
 なんて説明するのが、一番正しいのだろうか。

「えーとね、基本的には二人でやるんだけど、ポッキーの両端を咥えて、…むぎゅ」

 ぐい、と、頬を挟むようにして、顎を持ちあげられる。
 首を少し無理に捩じるようにして、僕の顔が半ば強制的に霧切さんの方を向いた。
 そして、咥えていたポッキーも。

 霧切さんは、僕の口から飛び出していたポッキーの取っ手部分を、何の躊躇もなく――唇で咥えてみせた。

 呆気に取られて、数秒。

 一本のポッキーの両端を、僕と霧切さんがそれぞれ咥えている。
 当たり前だけど、彼女との距離が、ポッキー一本分にも満たないほど間近に。

 事の重大さに気付いて、ひゅ、と喉が鳴った。

「……ここから、どうするのかしら?」

 ポッキーを咥えたまま、器用に尋ねてくる霧切さん。
 言葉で説明するよりも、実際にやって見せた方が早いという考え方は、いかにも彼女らしい。
 怪訝そうな表情、含むところもないのだろう。
 例えば僕をからかう時は、少し意地悪気な笑みを浮かべていたりするのだけれど。

 こういうところで、彼女は酷く、無邪気で無垢で無防備だ。

「あ、の…霧切さん、このゲームは、その…いわゆる男女二人でやることを想定されたゲームで、」
「…? 貴方は男子で、私は女子よ、問題ないでしょう」

 そういうことじゃないのに。
 隠し事には驚くほど敏感なのに、察して欲しいことにはどうしてこんなに無頓着なのか。

 所在なさげに、霧切さんが咥えたポッキーを唇で挟み、転がしている。
 色素の薄い、ふっくらとした唇。
 リップクリームを塗っているのだろうか、柔らかくてらてらと光っているのが、妙に背徳的に見えてしまって。

 僕の言葉を待つ薄紫色の瞳が、心の底まで読んでくるように感じて、思わず目を伏せた。

「えっと…簡単に言うと、お互いが両端から少しずつ、ポッキーを齧っていくんだ」
「……」

 せめて口頭で伝わってくれと祈りながら説明する。
 それもむなしく、口に咥えたポッキーが折れる振動が、霧切さんの側から伝わった。

 彼女ほどの察しの良さなら、それが何を意味するかをわかっていてもおかしくないはずなのに。
 ぽす、ぽす、と、向こう側から表情一つ変えず、ポッキーを食べ進む。
 チョコレートがコーティングされた場所にまで、既に到達している。
 くに、と、食べ進む度にポッキーが、霧切さんの柔らかそうな唇を押し上げて、目を奪われそうになる。

 くゎん、と、教会の鐘が頭の中で鳴っているようだ。平たく言って、混乱中。
 理性は全力で警鐘をあげ、それでも体に力は入らず、魅了されてしまったかのようで。
 だって、こんな至近距離で、霧切さんの唇が動いて、少しずつ近づいて、その行先は、ポッキーゲームの結末は、――


「……、苗木君」

 聞き慣れた、凛とした声。
 熱で解けそうになっていた頭が、冷たい水を被ったかのように醒めた。

「…両端から齧っていくゲームでしょう。なぜ貴方は呆けているの」
「あ、…その」
「それに…ここからどうするの、という私の質問にも、ちゃんと答えて欲しいわ」

 言われるがまま、ぽす、と、一口目を齧る。
 甘いチョコレートは既に口の中で解けきってしまっていて、なんとも味気なかった。
 僕の噛んだ振動が伝わったのか、ぴく、と、霧切さんが眉を動かす。

「……両端から、交互に齧っていくんだ。それで、先にポッキーを口から離した方が負け」
「なるほど、ね…チキンレースのようなものかしら。それで……お互いが最後まで離さなかったら、どうなるの?」
「……キスを、することになるね」
「……そう」

 少しだけ間を置いてから一言呟いて、長い睫毛を伏せた。
 霧切さんが思索する時の何気ない仕草だけれど、それもすぐに終わって、彼女はまた、ぽす、とポッキーを齧る。

 僕ももう、深く考えることを止めて、ただ彼女に合わせてポッキーを齧った。
 ぽす、ぽす、ぽす。
 小気味よいリズムで、ポッキーが縮まっていく。

 ほんのりと、頬が赤い。
 先程まで僕の瞳を覗き込もうとしていた瞳が、今は伏せられている。
 それでも、ポッキーを食むのは止まらない。

 それが何を意味しているのか、僕はもう考えないようにした。

 吐息を感じる。
 香水の匂いがする。
 鼻先が触れあいそうだ。

 とくん、と、驚くほど静かな心臓の拍動。
 とくん、とくん、と、静かに、それでも逸っている。
 かつてここまで彼女に近づいたことはない。

 残り3cmほどの距離を、彼女の最後の一口が、一気に詰めた。

 ふ、と、掠るように触れる、唇と唇。
 少しだけ、くすぐったい。

「ふ、っ…ふ、……ん」

 少しだけ唇をもぞつかせて――その端から妙に色っぽい声が漏れていた――霧切さんは、器用にポッキーを折る。
 残っていたポッキーを、口の中に押し込めて、吐息が、匂いが、離れていく。
 口に残っていたポッキーを咀嚼する少しの間、沈黙。

「――ごちそうさま」

 どちらの意味で、とは、流石に尋ねられなかった。

「……霧切さん、あの」
「興味深いゲームだったわ、苗木君」

 少し強引に、僕の言葉を遮る。
 声音は微塵も変わらないけれど、長いこと彼女の側にいたから分かる、少しだけ声が逸っている。

「…それにしても、お菓子が無くなってしまったわね」
「……、食べたのは、ほとんど霧切さんだけど」

 とくん、とくん、と、静かに逸る拍動が、まだ残っている。
 当たり前だ、だって。
 僕たちは今、キスを、したんだから。

「……休憩を取り過ぎたわね。苗木君、新しいお菓子を買って来て頂戴。貴方が帰ってきたら、勉強を再開しましょう」
「え、いや、でも僕の、」
「お代は後で、私が払ってあげるから。いいわね?」
「……全部食べたことを悪いと思ってるなら、霧切さんが買いにいk」
「い・い・わ・ね?」

 逸っているのは声だけで、それ以外は本当に、いつもの僕と霧切さんのやり取り。
 それは、彼女が僕にそれを望んでいることの証に他ならない、けど。

 じゃあ、どうしてあんな突飛なことを、と、思うばかりで聞けはしない。

「……わかった。霧切さんは、トッポ派、だっけ」
「……ええ」
「……買って、くるね」

 けれど。
 それは決して、僕にとって悪いものではなかった、というか。

 唇に残る、わずかなリップクリームの感触に指を這わせ、僕は部屋を後にした。

――― ――― ―――

「……あ、」

 彼を追い出した後の部屋。
 壁に背を持たせかけ、ふ、と息を吐くと、一緒に膝から力が抜けて、私はその場に崩れるようにして腰を落とした。
 ぎゅ、と、心臓の辺りに手をやると、途端に肩が震えだす。

 そうして思い出したかのように、心臓がドラムロールを打ち始める。
 自分の体なのに驚いて、肺から絞り出された空気に、勝手に音が混ざった。

「はっ、は、ふ……っ、ぁ、……」

 どっ、どっ、どっ、と、胸を殴る心臓。
 肺が痙攣するように絞まる、痛くて苦しい。ああ、脳が沸騰してしまいそうだ。触れていた唇が、まだむずむずする。
 恥ずかしい。どうして、私は、あんな。

 だって苗木君は、絶対逃げると思っていたのに。

 ちょっとポーカーフェイスのままからかってやろう、と、少しばかり悪戯心が過ぎたのが運のつきというか。
 そのまま自分でも止め時が分からなくなってしまったというか。
 そのままポッキーが残り3cmほどになったところで、理性は途切れて、彼の唇を求めて体が動いていた。
 苗木君の瞳に映った私自身が、苗木君と同じくらいには頬を赤く染めていて。

 せめて平静を装ったつもりだけれど、あれで案外鋭い男の子だ。
 いきなりあんなことをして、どう思っただろうか。
 拒まれなかったということを、自分に都合の良いように解釈してしまいそうで、怖い。だって。


「……っ、ポッキーゲームくらい、知っているに決まっているでしょう、バカ…」


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