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「…僕は、ほら。霧切さんのお陰で何度も救われてるしさ、その…霧切さんの事、大事だって思うけど」
「アンタだって、霧切ちゃんを助けたじゃない」
「え?」

 なんだ、いつの話だ、と、数瞬本気で悩む。
 別段、僕の方から彼女を助けようと何かしたことは、思い出せる限りではない。
 …それもそれで情けない話だけれど。
 「側にいるだけで~」とか、精神論じみた話でも無さそうだし。

 と、首をひねっていると、心底呆れた表情で、答えを述べられる。

「ほら…最後の方の学級裁判でさ」
「……あ」

 思いを馳せる朝日奈さんの目が、少しだけ曇る。

「いや、でもアレは、結果的にそういう形になったっていうか」
「同じこと…ううん、もっとすごいことだよ、苗木がやったのは」

 僕も同じだ、あの日々を思い出すのは、今でもまだ辛い。

「…霧切ちゃんを助けるために、死のうとしたんだよ。これって、ちょっとやそっとの情じゃ出来ないでしょ」

 彼女がそのエピソードに、誰の影を重ねているのか。
 気付いているけれど触れないように、僕は努めた。

「……それは、美化しすぎだ」

 霧切さんのために死のうとしたわけじゃない。
 ただ、彼女の不利になるようなことを言うべきかどうか迷って、それで。
 結果論だ。
 結果的に、彼女を庇ってオシオキされることになった、それだけ。

「結果論だとしても。つまりそれって、霧切ちゃんを庇って、苗木がオシオキされるっていうことでしょ」
「けど、僕はそれを意図してやったわけじゃない」
「…分かった。こう言い変えるね」

 少しの間目を瞑って、それから言い淀む。


「……苗木は、霧切ちゃんのせいで死にかけたんだよ」


 勢いよく立ち上がったので、ベンチが音を立てて倒れた。

「朝日奈さんっ…、そんな酷いこと、」

「霧切ちゃんは、そう思ってるんだってば!!」

 強い語調で責めようとした僕の言葉を叩き伏せるように、水泳選手の肺活量で繰り出された大音声が響く。
 キィン、と、耳の奥でシンバルが鳴ったような錯覚。
 僕の方が気圧されて、一歩後ずさって、それでようやく沸騰した頭が治まった。

「……っ、ゴメン」
「……私も、ゴメン」

 互いの吐く白い息が、空に溶ける。
 お互いに口が上手い方じゃない。選べる言葉だって少ない。
 ゆっくりと吐いた分の息を吸って、染みいる冷たい息をゆっくり体に入れた。

 ダメだ、落ち付け。
 朝日奈さんは、もともとそんな無神経な事を…言うこともあるけど、意図して言ったりはしない。

 今の僕は、いや彼女も、冷静さを欠いている。
 それこそ昔の朝日奈さんのように、直情だけで動こうとしている。

「……そう、思っちゃってるんだよ。自分のせいで、危うくアンタを…仲間を失う所だった、って」
「だって、そんなの…一度も、言われたこと、無いし…」
「苗木本人に、そんなこと言えるわけないじゃん!」
「…でも、僕はそんなの、気にしてない」
「だから、たぶん……アンタが気にしてないから、いっそう苦しいんだよ。いっそ責めてくれた方が楽な場合だって、あるんだから」

 もしも。

「アンタが一番分かってるでしょ…? 弱みを見せるような子じゃないんだ、って」

 もしも本当に、朝日奈さんの言うように、霧切さんが僕に対して罪悪感のようなものを感じているのなら。
 もしも本当に、僕が彼女の命を救ったのだと、霧切さんが考えているのなら。
 彼女が僕にだけ、例えば雑用を押し付けたり、扱いがぞんざいだったり、何かとからかいに来るのも、それは。

「言葉にできないけど、大切なんだよ、苗木のことが! アンタが霧切ちゃんを大切なのと同じくらいに!」
「……それは、朝日奈さんの勝手な想像だ。霧切さん本人がそんなことを、」
「…言ったよ」
「え?」
「あの後…苗木が出てった後ね。アイツがまた、苗木の事を馬鹿にしたの」
「それは…いつものことだし」
「ううん、その…今回は、霧切ちゃんが中々相手にしなかったから…たぶん苛ついてたんだ、酷かったよ」

 ああ、うん。そういう手の人だ。
 いったいどのような調子で、表情で、雰囲気で会話が続けられていったのか、容易に想像できる。

「苗木の事…『仲間の才能のおこぼれで助けられてる、何の取り柄もないクズ』だって」
「……」
「そうしたら、霧切ちゃんが立ち上がって…すごかったんだから。聞いたこともない低い声で、震えながら、『訂正しなさい』って」

 それでも先輩は、当然のごとく訂正なんてしない。

 むしろそれで霧切さんがようやく反応したことを喜んだだろう。
 反応してしまうから、向こうも喜ぶ。虐めやからかいの基本構造だ。そうやって、繰り返される。
 あの先輩は、繰り返したのだろう。霧切さんが反応することを期待して、僕をなじる言葉を。

「……顎に、右ストレート一発。殴りかかったんだよ、霧切ちゃんが」
「……うそ」
「嘘じゃない。そいつが目を回して倒れた後も、飛びかかろうとして…みんなで必死で抑えたんだから」

 それでも、僕の知っている霧切さんは、理性で感情を殺すことが出来る人だったのに。
 言葉を暴力で抑え込むような真似を、一番嫌うような人だったのに。

 僕が、そうさせてしまったのか? 僕のために?

 ぽろ、と、朝日奈さんの目から光る滴が零れた。
 自分のことよりも何よりも、仲間のことに心を配り、それで喜び悲しめる人だ。

「ホントに…苗木にとって霧切ちゃんは、ただのクラスメイトなの?」

 違う。

「苗木が、自分の目の前で思いっきり霧切ちゃんを馬鹿にされたら、黙っていられるの?」

 そんなこと、出来ない。

「自分がクロになるまで、霧切ちゃんを庇っておいてさ…同じことでしょ!?」
「うん、そう…だけど」
「命をかけてくれた相手が、大切じゃないわけ、ないじゃん…そんな相手に、『関係ない』って…!?」

 あ、やばい。
 とっさに身構えるも、運動神経も一般人並の僕が、一流アスリートの瞬発力を越えられるワケもなく。

「え、あの、朝日奈さ」
「苗木の……馬鹿っ!!!」


 ばちこーん、と、今度は水泳選手の鍛え上げられた膂力が、僕の顔をふっ飛ばした。


「……、…ぐふぇ…」
「ああっ、もう! 何が言いたいのかもう自分でも全っ然わっかんないっ!!
 こうやって難しいことごちゃごちゃ考えるの、私の役目じゃないじゃん!!
 アンタ、二人も悲しませたんだからね! 私と! 霧切ちゃんと! ホントもう、苗木の大馬鹿っ! テンネンジゴロっ!」

 んな馬鹿な。
 たぶん後の単語は本人もよく意味が分からないまま使っているんだろうな、と、ぐゎんぐゎん揺れる頭でぼんやり考える。

「……会ってあげなよ。それで、ちゃんと謝んな。関係ない、って言ったこと」
「…うん」

 ああ、でも。
 殴られて、ちょっとだけ気持ちよかった。別に変態的な意味じゃなくて。

 彼女が僕を大切に想っているだなんて朝日奈さんは言うけれど、未だに実感が湧かない。
 けれども、そうだ、それは二の次。

 彼女がどう思っているかよりも、まずは自分がどう思っているか。
 それすら、朝日奈さんに教えてもらえるまで気付けなかった。
 自分可愛さに捨てることが出来ないくらいには、僕はあの頃から、霧切さんという存在を大切に思っていたんじゃないか。

 あの時、オシオキを受けた時の勇気を振り絞れば。
 もう一度、いや、何度だって踏み込める。

 何を謝るべきか、どう切りだすべきか、だなんて、まだ一つもまとまってないのに。
 それでも僕の足は勇みよく、一度は逃げた彼女の元へと向かっていた。


「……ホント、立ち直るのは早いのになぁ」
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