白黒緑赤

2月14日、金曜日の放課後。
クラスの仲間達がぞろぞろと教室を出て行く中、ボクは自分の席に座ったまま、ポケットから携帯を取り出した。
そして今朝、届いた最新の……母さんからのメールをもう一度確認する。

……『ハッピーバレンタイン、誠君。今日はお母さんから、素敵な贈り物があります』……

……要約すると──明日は土曜日で学校は休みだし、たまには実家に帰って来なさい。チョコもあるよ。
──という趣旨の事が、可愛い絵文字を織り交ぜて書いてあった。
嬉しい反面、ちょっと鬱陶しく、恥ずかしい気もしたが……
ボクは素直にメールの文面に従って実家に帰るべく、教室に残ってバスの時間を待っている。
……そこへ、一人のクラスメイトが近づいてきた。

「……なぁ、苗木。お前……どうだった?」
何か後ろめたい事でもあるのか、妙に声をひそめて話すのは“超高校級の野球選手”、桑田怜恩クンだ。
「……どう、って何が?」
聞き返すと、彼は微かに苛立ちのこもった声を上げる。
「何が、じゃねーよ! 決まってんだろ。……チョコだよ、チョコ。いくつ貰ったんだ、お前!」
……ああ、そういう事か……。ボクは正直に答えた。
「……いや、一つも……貰ってない」
ボクの言葉を聞いて、桑田クンはホッとしたような笑みを浮かべる。
「……だよな~!  だからお前も、シャイな女の子が放課後になってやって来るのを待ってる、っつーワケね!」
そんなつもりはないし、毎年の事ながら全く期待してなかった訳でもないけど……彼の言い方に少し傷つき、ムッとした。
とっさに「桑田クンは?」と言い返そうとして、思い直す。
そういえば今、『お前も』って言ってたな。じゃあ、桑田クンも……。
「お、お前! 何だよ、その顔! 俺は違うぞ! 俺はちゃーんと貰ったんだからなッ!
 ……1個……江ノ島のヤツがくれたんだ。……チロルチョコ……」
……それなら、ボクも貰った。というか、クラス中の男子に配ってたな……江ノ島さん。
何か「絶望しろッ!」とか冗談混じりに言って笑ってたけど……
いわゆる『義理』──それもかなり低ランクの──なのは明らかだ。
ボクと桑田クンは、妙な連帯感に包まれながら、目を閉じて同時に小さくため息をついた。


そこへコツコツと、小さな靴音が近づいてくる。
何気なく目を開けると、桑田クンのすぐ後ろに足音の主が立っていた。
整った顔立ち。派手な縦ロールのウィッグ。華奢な身体を可憐なゴスロリ服で包んだ彼女は──
セレスティア・ルーデンベルク。ボクらと同じクラスの、“超高校級のギャンブラー”だ。

セレスさんは、明らかにプレゼント用らしい、洒落たデザインの紙袋を持っている。
……そういえば、ボクは彼女とは、それなりに……彼女の中で『Cランク』に位置づけられるぐらいには、
仲良くしていた。……これは、もしかして……?
ボクと桑田クンが固唾を飲んで見守る中、セレスさんの視線がボクらの間をさまよう。
やがて、それが止まったのは──

「……桑田君。ちょっとよろしいですか?」
……桑田クンか……。ボクは心の中で、がっくりとうな垂れた。
「オ、オレか? ……ハハ、そうか。お前、いけ好かねー奴だとか思ってたけど……結構、可愛いとこあんじゃん。
 ありがとよ。チョコ、くれるんだよな……」
桑田クンが笑って手を伸ばそうとすると、セレスさんは露骨に顔をしかめて見せる。
「……は? このわたくしが、あなたごときにチョコを? ……冗談は顔だけにして下さいな」
ぴしゃりと頬を打つような、冷たい言葉。お調子者の桑田クンも一瞬にして凍りつき、顔を引きつらせた。
多分、言い返す言葉も思いつかないのだろうが……見ていてはらはらする。
そんなボクの心配とは裏腹に、セレスさんの方は微笑さえ浮かべる余裕の表情だ。
「誤解しないで下さい。わたくし……先程から校舎の外に立っていたのですが」
言われてみると、彼女は帰り支度をしていた時の格好まま、肩にストールを羽織っていて、
右手に通学用の鞄、左手にはさっきの紙袋を持っている。
頬がいつも以上に白く見えるのは、寒い屋外にいたからか。
でも、何で……? 桑田クンが出てくるのを外で待ってたわけじゃないよな……この流れだと……。

「そちらで、名も知らない可愛い女の子に頼まれたのです。『桑田君に伝言をお願いします』、と……」
その言葉を聞いて、一気に桑田クンの顔が明るくなった。
「か、可愛いって、どんな子だ……!?」
「それは、わたくしに聞くより、ご自分で確かめた方がよろしいかと。
 ……とにかく、その女の子が裏門の所で待っているそうです。
 早く行って差し上げなさい。この寒い中、レディーを待たせるのはいかがなものかと思いますわ」
何故か、後半でセレスさんは意味ありげな視線をボクの方に送ったが……
桑田クンにとっては、もうそんな事はどうでもいいのだろう。
彼は満面の笑顔になって、いそいそと帰り支度を始めた。
「そうか、わざわざサンキューな! ……苗木、悪ぃ。俺、行ってくるわ。……じゃーな!」
……わ、悪いって……。
口にする暇もなく、桑田クンは猛スピードで教室を飛び出して行った。
プロも注目する野球選手のタマゴだけあって、脚力も相当なものだ。


「……ねえ、今の話……本当?」
……ボクは、恐る恐るセレスさんに尋ねた。決して桑田クンへのやっかみからじゃない。
あまりに話がうますぎる気がしたからだ。……セレスさんの性格からして、親切心で伝言役を引き受けるとは思えないし……。
「……うふふ。ご想像にお任せしますわ」
彼女はそう言って、にっこり笑ってみせた。
──時に他人を追い詰める、残酷なウソはセレスさんを“超高校級”たらしめている特技の一つだ。
ああ……桑田クン……。
これから彼は寒空の下、来るはずのない『可愛い女の子』を待ち続けるのだろうか。
……いや、大丈夫。セレスさんはウソだとは言ってない。
だから、きっと本当だ。……そう思っておいた方が精神衛生上いい……。

ボクの葛藤などまるで気にする風でもなく、セレスさんはきょろきょろと辺りを見回した。
桑田クンが出て行って、まだ教室に残っているのはボクらだけだ。
その事を確かめると、彼女は小さく咳払いをして左手の紙袋をボクの鼻先に突き出した。
「あの……これ。差し上げますわ」
……突然の事に、言葉が出ない。
……どう考えても、バレンタインのチョコ……だよな。……セレスさんが、ボクに?
もしかして、外に立ってたっていうのも、桑田クンを追い払ったのもこの為に──
一度は諦めただけに、嬉しさもひとしおだ。感動のあまり、目頭が熱くなった。

「……ちょっと、どうしましたの? 要らないなら──」
「い、いや、待って! 貰うよ! ……ありがとう、セレスさん!」
苛立ちのせいか、照れのせいか、微かに頬を染めたセレスさんから、奪い取るようにして紙袋を受け取った。
……よく見ると、紙袋は有名な高級チョコレート店のものだ。
中には、包装紙で包まれたチョコの箱と、もう一つ……何か筒のような物が入っている。
──これは……イン・ビトロ・ローズ?
セレスさんに断って袋から取り出し、手にとってみると、やはりそうだ。

ガラス管の中に、一輪の薔薇を閉じ込めた工芸品。
プレゼント用にリボンが巻かれているが、このデザインには見覚えがあった。
……これは、以前ボクがセレスさんにあげたのと同じ物だ。
学園の購買部で買い物をした時、貰えるメダルと引換えに手に入る限定グッズの一つで、
渡した時は随分喜んでくれたものだが、これは──
──中に入っている薔薇の色が変わってる。
……もしかして、セレスさんが中身を入れ替えたのか?

「あなたに頂いた薔薇の方は、お部屋に飾ってありますから。
 ……それ、わたくしに似て美しい薔薇でしょう?」
ああ、やっぱり……。
それにしても、確かに綺麗な薔薇だ。こんなの、初めて見た。
──黒い薔薇。
容易く手折れてしまいそうな細い茎の頂上を、ビロードに似た暗い色が飾っている。
それは華やかで、気品があり……同時に、どこか妖艶な空気を纏っているかのようだ。
……見入っているうちに、ボクは思わずごくりと喉を鳴らしていた。
セレスさんがそれを見て、満足そうに微笑む。

「うふふ。あなたにも、この薔薇の美しさがわかるようですわね。
 ……興味を持たれたのなら、図書室に行って図鑑で調べてみる事をおすすめしますわ」
「ああ……うん。そうだね、今度──」
「……図書室に行って、図鑑で調べてみる事をおすすめしますわ」
「…………」
……今すぐ調べてきなさい、って事か……。
正直な所、綺麗な物は綺麗なんだし、説明はそんなに要らない気もしたが……何か特別な意図があるのかもしれない。
ちらりと壁の時計を見ると、午後4時を回ったところだ。バスの時間にはまだ少し余裕がある。
ボクはセレスさんの言う通り、図書室に行ってみる事にした。

もう一度、セレスさんにお礼を言って、「またね」と告げて教室を後にする。
いつも余裕の彼女が、照れくさそうに横を向いていた姿が目に焼きついて離れない。
これって……本命……なのかな……。随分高級そうなチョコだし、プレゼントまで……。
いや、でもボクはまだ『Cランク』のはずだよな……。やっぱり義理……?

ああでもない、こうでもないと考えているうちに図書室に着いた。
そろそろ閉館時刻のはずだが、まだ数人の生徒が居残っている。
ボクはまっすぐカウンターに向かって、設置された端末で目的の本を検索した。
検索ワードは『薔薇』と『図鑑』──何の苦もなく、そのままのタイトルで『薔薇の図鑑』という本が見つかった。
念の為に貸し出し中でない事を確認して、部屋の隅にある図鑑が集められたコーナーへと向かう。……が……
……無い。様々なジャンルの図鑑が並ぶ本棚の中で、明らかに一冊分だけ隙間が空いている。

これは……どうすれば……。多分、今この図書室にいる人が読んでるんだろうけど……
一人一人に声をかけて回るか? でも、知らない顔ばかりだし、人が読んでる本を横から借りるのは躊躇われる。
じゃあ帰りに本屋に寄ってみるか? それも、どうだろう。薔薇の図鑑なんてよほど大きい店でないと置いてなさそうだ。
だからと言って、諦めるという選択肢はあり得ない。
早く調べておかないと、次にセレスさんに聞かれたら確実に機嫌を損ねるぞ……。


本棚の前で首を捻り、頭を悩ませていると突然、後ろから声をかけられた。

「邪魔よ。用が済んだら、さっさとどいて……」
見ればそこには、メガネをかけた三つ編みの女の子が立っていた。
偶然にも、彼女もボクのクラスメイト──“超高校級の文学少女”腐川冬子さんだ。
現役高校生にしてプロの作家でもある彼女が、資料集めによく学園の図書室を利用している事は知っている。
さっきは気がつかなかったが、今日もここの蔵書を漁っていたのだろう。
反射的に「ああ、ごめん……」と答えて道を譲ると同時に、ボクの目は相手の手元に吸い寄せられた。
表紙に躍る『薔薇の図鑑』の文字──まさにボクが探していた本を、腐川さんが持っている!
ちょうど今、本を棚に戻しに来た所に違いない。
ボクがあまりに熱心に見たせいか、腐川さんは顔にさっと困惑の色を浮かべた。

「な、何よ苗木……わ、私に何か文句でもあるわけ……?」
「い、いや、そうじゃなくて──」
否定しようとするが、その前に腐川さんがぎこちなくニヤリと笑った。
「ああ……そういう事ね。ま、全く……しょうがないわね……」
……どうやら、察してくれたようだ。話が早くて助かる。
「そうなんだよ。探してて……ちょうど良かった」
「か、勘違いしないでよね。……私、本当はびゃ……十神君に渡すつもりだったのよ。
 だ、だけど……け、結局……話しかける勇気が出なくて……。
 このまま家に持って帰るのも癪だし……あ、あんたに譲ってあげるわ」
何故か頬を染め、モジモジと体を揺らす腐川さん。
……? 十神クンも、この本を探してたのか?
事情はよくわからないけど、とにかくボクが借りてもいいんだよな、その本……。

「ふぅん。それにしても、気づかなかったわ。あんた、わざわざ探してまで……。
 そ、そんなに欲しかったのね……私の……」
「う、うん。そうなんだよ。ありがとう、腐川さ──」
最後まで言い切る前に、下校時間のチャイムが鳴った。
すかさず、カウンターの図書委員が室内の全員に呼びかける。

『えー、閉館時刻でーす。本を借りる方は今すぐ手続きを済ませて出て下さーい』……

反射的に顔を上げて、遠くの壁の時計を見る。
まずい、もうこんな時間か……!
図書室で薔薇の事を調べて帰るだけつもりだったのだが、ここは本を借りて帰った方が賢明だろう。
「ありがとう! これ、借りてくね!」
お礼と別れの挨拶もそこそこに、ボクは慌てて腐川さんの手から本をもぎ取り、カウンターの方に駆け出した。
唖然として立ちすくむ腐川さんの手に、何か包みのような物が見えたが……そんな事を気にしている場合じゃない。
カウンターで貸し出し手続きを進めながら、ほっと息をつく。
──何はともあれ、無事に目的の本を借りる事が出来て良かった……。


色々な事があったが、予定通りの時間にバスに乗り、実家に帰って来た。
学園の寄宿舎も快適だけど、やっぱり実家はいいな……。
玄関の扉を開けて「ただいま」と声をかけてみたものの、返事が無い。
母さんは──どこかに出掛けているようだ。いつも履いていたスリッパが綺麗に揃えて置いてある。
夕食前の時間だから、近所に回覧板でも回しに行ったのか?
……まあ、すぐに帰って来るだろう。

勝手知ったる我が家の事で、さっさと上がって手洗いとうがいを済ませる。
いつも家族が集まるリビングで鞄を一旦下ろし、ソファに腰掛けた。
……さて、父さんも妹も帰ってないみたいだし、夕食にはまだ時間がかかりそうだ。
先に、こっちの用事を片付けてしまおう。

鞄から取り出したのは、もちろん『薔薇の図鑑』だ。
大きくタイトルが書かれた緑色の表紙を開き、まずはパラパラとページをめくってみる。
────次々と目に飛び込んでくる、薔薇、薔薇、薔薇……。
そこでは文字通り、色とりどりの薔薇が写真付きで解説されていた。
同じ色でも、花が咲く季節、花の大きさ、葉や花びらの形、トゲの多いもの、少ないものなど様々だ。
薔薇って一口に言っても、随分色んな品種があるんだな……。

それで、セレスさんのくれた薔薇は──と探し始めてすぐ、本に付箋が挟まれている事に気がついた。
何気なくそこを開いてみると、まさに同じ色の薔薇が集められたページだった。
……恐らく、ボクが目的の薔薇を見つけやすいようにと、セレスさんが事前に付箋を挟んでおいたのだろう。
1ページに載っている薔薇は4種類。そのうち1種の薔薇の名前の所に、
ここを見ろと言わんばかりに、さらにもう1枚付箋が貼ってあった。
写真と実物のイン・ビトロ・ローズを見比べて、同じ品種だと確信する。
……全部、計算ずくか。用意周到さに少し苦笑した。
しかし、ここまで用意するからには、何か明確な目的があるはずだ。
その意図を汲取るべく、ボクは気合を入れて、薔薇の解説を読み始めた。

その薔薇の名前は──『ブラックバカラ』。
バカラっていうと、確かフランスのガラス工芸の?
それとも、カジノにもあるトランプゲームの事だろうか。
まさにセレスさんらしい名前だが、この程度の事ならあの場で教えてくれたはずだ。

さらに読み進めていくと、この品種の特徴など、園芸に関する記述が続く。
別に、この薔薇を育ててください、とか言いたいわけじゃないよな……?

解説の末尾には、『花言葉』の項目があった。

──①【恨み】
……いきなり物騒な言葉が目に飛び込んできて、ぞくりとした。
ボクに心当たりはないけど……知らないうちにセレスさんを怒らせるような事をしてしまったのか……?

──②【憎しみ】
とっさに、山田クンや桑田クンを威嚇する時に見せる、恐ろしい剣幕のセレスさんを目に浮かべてしまった。
……セレスさんは、ポーカーフェイスの達人だ。
ボクが仲良くしていると勘違いしているだけで、本当は嫌われて……?
何とも言えない暗い気持ちになったが、まだ続きがあった。
一応、そちらにも目を通す。


──③【貴方は、あくまで私のもの】……


……リビングのドアが開く音がして、どこか遠くから妹の声が聞こえてきた。
「……お兄ちゃん、どうしたの? 顔、真っ赤だよ」


ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。