kk13_40-48

 今日の霧切さんは、なんだか朝から挙動不審だった。

「霧切ちゃん、おっはよー」
「おはよう、朝日奈さん」
「おはよう、霧切さん、朝日奈さん」
「苗木もおはよっ。今日もいい天気だねぇ」
「っ、お、おはよ、う、苗木君」

 ――訂正。正確には、僕に対して、挙動不審だった。
 朝日奈さんの挨拶にはごくごく普通に、いつもどおりの返事をしていたのに、僕に対してはどこか気まずそうにそっぽをむいて。
 何かあったのだろうか。というか、僕、何かしたっけ?

「こういういい天気の時はさぁ、やっぱ思いっきり泳いで、そんでドーナツをたくさん食べるに限るよね!」
「今日に限らなくったって、朝日奈さんはそればっかりな気がするけれど……」
「天気のいい日は特別なだって! それがわかんないなんて、苗木、人生の8割は損してるね! ね、霧切ちゃん?」

 との朝日奈さんの言葉に、霧切さんは、

「そ、そうね、損しているわね……」

 僕と朝日奈さんは、思わず顔を見合わせた。やっぱり、いつもの霧切さんじゃない。

「……苗木、なんかやったの?」
「な、何もしてないよ! というか僕のせいなの?」
「決まってるじゃん! あの冷静沈着な霧切ちゃんがこんな挙動不審になるなんて、苗木絡みとしか思えないもん」

 朝日奈さんの霧切さん評はさて置いて、

「いや、でも、本当に心当たりは……」

 と、僕が言いかけた時だった。

「……ごめんなさい、今日は少し調子が悪いみたい」

 こほん、とわざとらしい咳払いとともに、霧切さんはそう言って、

「少し、保健室で休んでくるわ。元気になったら授業にでるつもりだから、先生方と石丸君にはそう伝えておいてくれる?」

 かつかつかつ、と廊下に硬質な音を立てながら去っていった。

 僕と朝日奈さんは、そんな彼女の後ろ姿を見送って、再び顔を見合わせる。

「……本当に何もしてないの?」
「してないよ!?」


―――――

―――――


「なるほど、了解した。そういうことならば僕の方から先生方に伝えておこう」

 教室に入ると、既に石丸クンは自分の席に座って、自習だろうか、ノートを広げていた。
 相変わらず真面目だな、と思いながら、霧切さんのことを伝えると、返ってきたのがそんな言葉だった。

「ありがとう、石丸クン。本当は頼まれた僕が伝えるべきなんだろうけれど……」
「なに、気にすることではないさ。僕は日直簿を書いているし、クラス委員でもある。僕から伝えたほうが手間がなくていいだろう」

 言いながら早速日直簿に、『霧切、体調不良により遅刻』と石丸クンは書き込んだ。

「それにしても珍しいこともあるものだな。霧切くんは職業柄、体調には十分に気を払っているようにも見えたのだが」
「きっとトキの撹拌ってやつだべ!」

 ……鬼の霍乱?

「おはよう、葉隠くん!」
「おはよう、葉隠クン」
「おはようだべ、石丸っち、苗木っち」

 葉隠クンは薄っぺらな鞄をぽーん、と自身の机に向けて放り投げると、石丸クンの前の席から椅子を引っ張り出して、どっかりと腰を落ち着けた。

「いやー、しかし珍しいこともあるもんだな。霧切っちなんて俺らのクラスの中でも風邪に縁遠い方だと思ってたべ」
「なんでだろう、葉隠クンが言うとろくな意味に聞こえない」
「ひっでーな苗木っちは。俺にだってデリバリーっちゅもんはあるって」
「デリカシー?」
「そうそれ!」

 一人ボケを連発している葉隠クンはさて置いて、確かに霧切さんが体調不良、というのは僕も少し信じられないものがあった。
 自惚れかもしれないけれど、この学園の中で一番霧切さんと一緒にいるのは僕だと思う。だから霧切さんが体調管理にどれほど気を付けているのか、ある程度は知っている。
 手洗いうがいは基本としても、食事の時も、少なくともお昼の学食では栄養を考えて食べているようだし、時間があればランニングをしたりして身体を動かしてもいるらしい。
 ランニングなんかは時々僕も付き合うことがあって、その時に本気か嘘か、乾布摩擦もやっているとか言っていた記憶がある。……さすがに冗談だと思うけれど。
 それもこれも時に過酷な探偵稼業を無理なくこなすためのもの、と霧切さんは言っていた。体調不良で捜査ができない、なんてことがあったら、探偵失格でしょう? とも。
 だからやっぱり、珍しいなぁ、と思う反面、にんげんだもの、体調崩すこともあるよね、とも思った。

「ノートは誰かから見せてもらえばいいし、休み時間になったら無理しないで休むように言ってくるよ」

 僕の提案に石丸クンは頷きながら、

「そうだな、それがいい。風邪は引き始めが大切だと言う、無理してこじらせたら大変だ」
「んだべ、風邪こじらせてもいいことなんかひとっつもねーしな」

 男三人うんうんと頷いて、それから僕らは雑談へとなだれ込んでいった。


―――――


―――――


「さて、申し開きはありますか?」

 ……はずだったのに、なぜか教室後方のスペースで正座させられている僕がいます。

「あの、セレ――」
「被告人は挙手をしたのち許可を得てから発言するように」

 ……大人しく手を挙げた。

「どうぞ」
「……あの、これはどんな状況なの?」

 発言した後、僕は改めて当たりを見渡した。
 教室後方のスペースに、机をアーチ型に並べて、その中心に僕がいる。真正面にはセレスさんがいて、並べられた机にはなにやら楽しそうな表情の桑田クンや人仕事やり遂げた表情の山田クンがいた。他の面々はこの異様な状況を遠巻きに眺めている。……誰か助けてよ。

「学級裁判です」
「学級裁判?」

 と、オウム返しに尋ねる僕に、

「ええ、学級裁判です。容疑者及び被告人である苗木誠君を、検事及び裁判長であるわたくし、セレスティア・ルーデンベルクが裁くための裁判です」
「べ、弁護人は!?」
「居ません」

 ひどい出来レースだった。

「罪状は『霧切響子の体調不良について』。……ここまで言えばわかりますね?」
「わかんないよ!」

 セレスさんはそんな僕に対して、やれやれ、と肩を竦ませ、

「わからない、ということはないでしょう。なにせわたくしが直に彼女から聞いたのですから」
「え……?」

 霧切さんが?

「はーい、裁判長。まずは事件の全貌を明らかにするべきだと思いまーす」

 机に頬杖付いた桑田クンが、ニヤニヤしながらそう発言した。完全に他人事として楽しんでいる様子だ。
 しかしながらセレスさんは、そんな桑田クンを気にした風もなく、

「一理あります。いいでしょう、桑田クンや他の皆のためにも彼女との会話を再現してさしあげましょう」

 セレスさんは口に手を当て、可愛らしくこほん、と咳をし喉の調子を整えると、

「と言っても、そう長い話ではありません。今朝方、ちょうど寮の自室を出た頃、携帯に朝日奈さんからのメールが届いていることに気がつきました。内容はいたってシンプル、霧切さんが体調不良らしい、と」
「それ、霧切ちゃんが保健室に行ってすぐに送ったメールだよ」

 遠巻きにしていた筈の朝日奈さんが、いつの間にか僕を取り囲む机のひとつに座って裁判に参加していた。


「足取りは結構しっかりしてたし、大丈夫だとは思ったんだけど、やっぱり心配だったから女子にメールしたんだ」
「うむ、我も受け取った。生憎保健室に顔を出したときは眠っていたようだったが」
「私も、教室に来る前に軽く。その時も寝ていましたよ、霧切さん」

 と我も我もと集まってくる女子に対して、

「ちっ、男子ばっかりのけ者にしやがって」
「うむ、僕は苗木くんから直に聞いたから知っていたが、やはり時間があるならお見舞いに行きたいと思うぞ」
「だべだべ。朝日奈っち、ちっと薄情すぎねぇか?」
「馬鹿! いくらクラスメイトっていっても、誰彼構わず弱ったところ見せられるわけじゃないんだからね!」
「そそそ、その通りよ。わわわわわ私だって白夜様以外には見せたいと思わないもの……!」
「お前は黙っていろ」
「ひゃぃん!」

 十神クンは疲れた様子でため息を吐くと、腕を組んだまま顎でセレスさんを示し、

「続けろ。時間の無駄だ」
「まあ不遜な態度。……別に構いませんけれど」

 セレスさんはそう言って、再び僕を見る。

「メールを見たわたくしは、知ってしまったのですから放っておくのも気分が悪いと思ったので、まずは保健室に向かいました。半分うとうとした様子の霧切さんがいらっしゃいました」

 いつの間にかクラスの全員が、つまり僕と霧切さんを除く14人が僕を囲んでいた。あの戦刃さんすらぽーっとした様子ではあるけれど机についている。
 ぱっと見いじめの現場としか思えない状況だ。江ノ島さん寝てるけど。

「わたくしが室内に入ってくるのに気づいて……」
「時間の無駄だと言ったろう。要点だけを述べろ」
「ちっ」

 こころなし楽しげに語っていたセレスさんは、十神クンのそんな一言に露骨な舌打ちをして、

「体調不良、と言っていたので、心当たりがないか聞いたのです。昨晩遅く寝た、不摂生な生活が続いた、等々。すると霧切さんは、どこか上の空な様子で、『苗木くん……』と、呟いたのです」

 さて、とセレスさんは僕を指さし、

「苗木くん、ここまで言えばわかりますね?」
「だから知らないってば!」

 絶叫する僕に、セレスさんは呆れた視線を向け、十神クンからは
「くだらん」
 の一言をもらい、朝日奈さんからは冷たい視線を浴びて……、心が折れそうです。

「しかしあれですな、霧切響子殿の体調不良の原因が苗木誠殿……こう言うと、こう、なんかキター!」
「黙ってなさい豚野郎」
「ブヒィー!」
「……随分と調教されてんなぁ」

 びくんびくん恍惚に浸っている山田クンはさて置いて、

「つーかさ、なにがあったか知んねーけど霧切本人が言ってんなら決定じゃねぇの?」
「苗木本人が否定してもなぁ、やっぱ霧切の口から名前が出たんなら、そう考えねぇわけにゃいかねぇよな」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 どうしよう、着々と意見が固められている。僕じゃないのに……!

「大丈夫ですよ、苗木君」
「ま、舞園さん!」

 頭を悩ませる僕に、傍聴席(裁判員席?)から手を差し伸べてくれたのは舞園さんと大神さんだった。

「私も、大神さんも、苗木君のこと、信じてますから」
「うむ。苗木にそのような度胸が無いこと、よく知っているからな」

 なんか凄い毒を吐かれた。

「……それもそうですわね」

 そして納得されてしまった。

「それはち――」
「違うのですか?」
「ち、ちがわない、です」

 ふっ、と誰かが鼻で笑う声が聞こえてきた。……ああ、埋まってしまいたい。

「さて、苗木君で一頻り遊んだところで本題に入りましょうか」
「ああ、やっぱりそういうノリだったんだね……」

 ため息と一緒に、いい加減しびれかけていた足を解いた。
 がらがらと音を立てながら皆が机を戻していく中、僕はセレスさんに問いかける。

「どこまで本当なの?」
「だいたい全部本当ですわ。ただ、霧切さんが呟いた言葉というのが『苗木君』ではなく『ちょっと悩み事があって』でしたけど」
「今の学級裁判が根底からひっくり返る気がするんだ」

 ふい、とセレスさんがそっぽをむいた。……ああもう、この人は本当に。

「ともかく、霧切さんにはなにか悩みがあること、そしてそれが苗木君、あなたに関係があるということはほぼ間違いありません」
「どうして?」

 その言葉は、今まさに僕が口にしようとしたもので、けれど発したのは僕ではなく。

「戦刃さん?」
「えっと、あ、はい」

 つ、とセレスさんに視線を向けられた彼女は、慌てた様子で右手をぴん! と真上に挙げた。

「……もう裁判は終わっていますから、一々発言に許可を求めなくても結構ですよ」
「あ、そっか。えっと、それじゃあ、今の話なんだけど」
「霧切さんの悩み事について、ですわね?」

 戦刃さんは、うん、と頷いた。

「決まって――」
「そんなの……決まってるじゃないですか……」

 セレスさんの答えを、さっきまで眠っていた江ノ島さんが遮った。
 面倒臭そうに、怠そうに、つまらなそうに、自慢の髪の毛をいじりながら、

「あの人が……悩みそうなことなんて……事件か家族か苗木くんくらいのものですし……。そんなこともわからないなんて……本当、絶望的なまでに残念ですね……残念おねえちゃん」
「ご、ごめんね、盾子ちゃん」

 いつものやりとりを二人と、ため息を吐く僕。そんな僕らに、

「君たち、いつまでそうしているんだ、そろそろ授業が始まるぞ!」

 石丸クンのそんな声が飛んでくる。
 セレスさんは気がついたら自分の席についていて、かなわないなぁ。

 ……とりあえず、授業が終わったら、霧切さんの様子を見に行ってみよう。ああでも、弱った姿は見られたくないんだっけ……?


―――――


「苗木が行くのがベストだと思うよ」

 朝日奈さんのひとこえで、クラス代表お見舞いは僕に決定した。
 ほかの男子ではダメで、僕ならいいのだろうか、なんて思いながら教室を出ようとしたところで、不二咲さんに呼び止められる。

「あの、苗木君、ちょっといいかなぁ」

 小さなノートPCを抱えていた彼女(彼?)は、言うやいなやPCをスリープモードから復活させ、

「これ、見て欲しいんだけど……」

 画面に映っていたのは、希望ヶ峰学園の内部匿名掲示板だった。

「これが、どうしたの?」
「うん、とりあえずでいいんだど、読んでみてくれる?」

 授業の合間の休み時間は、それほど長いわけではない。
 でも、不二咲さんもそのことは知っているはずだし、なのにこのタイミングでそんなことを言うということは、たぶん霧切さんに関することなんだと思う。
 ひょっとして、なにか心無い誹謗中傷でも書かれているのだろうか……。
 そう思った僕は、少し唇をかみしめ、画面をのぞき込む。

 すると、そこに書かれていたのは、
『最近、78期生の霧切さんを呼ぶとき、苗切さんって呼びそうになって困る』
『わかる』
『わかる!』
『あー、すげぇわかる。あれだよな、苗木と一緒にいることが多いから、苗木と霧切、って呼ぼうとして苗切、って言いそうになるんだよな』
『あのコンビいいよね。何か見てて和む』
『本人たち無自覚なのか知らんけど、昼飯時の学食とか二人のとこだけほんのりピンクな空気だからな。さっさと結婚しろよ』
『リア充爆ぜろ! 爆ぜろ! 畜生!』

「……もしかしなくても原因これだよね、きっと」
「うん……」

 顔が火照っているのが、自分からしてもよくわかった。
 穴があったら入りたい。というか埋まりたい。もういっそ死んでしまいたい。恥ずかしさで人間死ねるんだ、ということを証明したい。

「さっきちょっと調べてみたら、霧切さんきのうこの掲示板見てたみたいで……」
「……もしかしてさ、このクラスに他にも見てる人いる?」
「……」

 無言が答えだった。たぶん桑田クンとかセレスさんとか山田クンとか江ノ島さんとかかなぁ……。

「と、とにかく、あの、原因は知っておいたほうがいいと思って」
「……うん、ありがとう、不二咲さん」

 できれば知りたくなかったけど。

「が、頑張ってねぇ」
「ありがとう、行ってくるね」

 なんか戦地に送られる気分。
 とにかく。
 僕は不二咲さんに見送られて、霧切さんが眠る保健室へと向かった。


―――――


「失礼しまーす……」

 小さな声で訪いを告げた。しかしながら、保健室の中は無人だった。入ってすぐのところに、小さなホワイトボードがかけられていて、そこには養護教諭がしばらく離席する旨が書かれていた。
 物騒だなぁ、と思う反面、まあ監視カメラもあるし、とも思ったり。
 でも霧切さんが眠ってるんだっけ、と思うと、やっぱり鍵も占めずに席を離れたのは少し腹立たしい。

 ホワイトボードから視線をずらすと、すぐに休息用のベッドが目に入る。
 いくつか並んでいる中で、ひとつだけカーテンが引かれている。たぶん、あそこに霧切さんが眠っているのだろう。

 どうしようか。
 といっても、出来ることなんてそう多くない。眠っているところに突撃をかけるなんて論外だし、眠っているのに外から声をかけて起こすのも良くないだろう。
 ということで、なにか書くものを、と養護教諭の机の上を漁り始めた時だった。

「……誰かいるの?」

 小さな声が聞こえた。


「あ、あの、苗木だけど……起こしちゃったかな?」
「な、苗木君!?」

 思ってもみなかった、といった様子で裏返る霧切さんの声。それからほんの少し、沈黙が続いて、

「……カーテン、開けてもいいわよ」
「え、でも……」
「別に、睡眠不足からくる体調不良だもの。少し眠ったら平気になったわ」

 だから、と言われて、ことさらに断る理由もない。それに少し話をするにしても、やっぱり顔を見ながらの方がしやすいし。

「……失礼します」
「どうぞ。……ふふ、自分の部屋でもないのに、変な感じね」

 霧切さんは、ベッドの上で身体を起こしていた。僕はベッドの横に小さな腰掛を置く。

「気分はどう? 石丸クンが、風邪は引き初めが肝心だから、今日は休んでもいいって。ノートは皆で見せるから、って」
「さっきも言ったけれど、ただの睡眠不足だから。少しでも寝れたし、仕事中は徹夜なんて日常茶飯事だから、それほど苦でもないわ」

 でも、と霧切さんは続けて、

「……たまには、皆の厚意に甘えるのも悪くないかもしれないわね」

 そう言って、目を閉じた。
 その横顔をじっと見ているとわかるのは、どことなく疲れているようだ、ということ。苦じゃないと言ったけれど、やっぱりなんというか、日頃のものとはまた別の疲労感があるんだと思う。
 もしあれが原因だったなら、の話だけれど。

「その、さ、霧切さん」
「なにかしら?」
「僕も見たよ、あの書き込み」

 途端、霧切さんの顔が真っ赤に染まった。

「な、なえぎくんはきにするひつようないのよああいうとくめいけいじばんなんてものはたいていくちさがないうわさばかりでむせきにんなひとたちにあふれかえっていてそうねもはもこんきょもないこうりょにあたいしない――」
「お、おちついて、落ち着いてよ霧切さん」

 引っ張り上げた掛け布団に半分顔を埋めながらマシンガンのような勢いで言葉を放つ霧切さんをなだめながら、僕はぼんやりと珍しいな、なんてことを考える。
 日頃慌てさせられたり言い訳したりするのは僕の役目で、霧切さんはどっちかって言うと僕の手を引っ張ってくれるタイプだから、こうやってなだめるなんてことはめったになくて。
 顔を真っ赤にして、子供みたいに掛け布団で顔を隠す霧切さんの姿は、なんだかいつも以上に歳相応で、

「……可愛いなぁ」
「………………えっ?」

 その言葉が自分の口から出たのだと、理解するまでにかかった時間は、霧切さんが茹で蛸になるのに十分すぎる時間だった。
 気づいたときには、霧切さんは頭まですっぽりと毛布に埋もれ、まるで亀のようにこもってしまっていた。

「えっと、その……」

 ごめん、とか、誤魔化すべきなのかどうかもよくわからない。けれどあの掲示板に書かれていた『ピンクの空気』って、きっとこういうことだと思う。
 すごく、気まずい。けれど、なぜか、嫌じゃない。
 少なくとも、僕は。


「……冗談じゃ、ないからね」
「……」
「さっきの霧切さん、その、すごく、可愛かったから」
「……」
「……怒った?」

 なんの反応もないのが怖くて、思わずそう日和ってしまったけれど、

「……可愛い、なんて言われて、怒るわけないでしょう」

 もぞもぞと掛け布団の中からそんな言葉が返ってきて、思わず笑ってしまった。

「……なによ」
「なんでもないよ」
「……苗木君のくせに、生意気よ」
「霧切さんの割に、今日は控えめだね?」
「……今日は体調が悪いから」
「ただの寝不足だったんじゃないの?」
「くっ……」

 舌打ちをひとつこぼしたきり、霧切さんは静かになってしまった。
 やり込めた嬉しさと、可愛い霧切さんが見れた喜びと、不思議な満足感で胸が満たされた気分。
 本当はもっとこうしていたいけれど、次の授業がもう始まってしまう。名残惜しいけれど、行かないと。

「それじゃあ、僕はそろそろ教室に戻るね。お大事に」

 そう言って立ち上がった僕の手を、霧切さんの手がつかんだ。
 ちょっとした驚きと共に彼女を見やると、掛け布団から鼻より上を覗かせて、もごもごと、

「……苗木君もあの書き込みを見たのよね?」
「えっと、うん」
「そう。だったらきっと苗木君も体調不良になるわよね?」
「え?」
「な・る・わ・よ・ね?」

 訳の分からない凄みを感じて思わず頷いてしまう。
 すると霧切さんは僕の手をくいっくいっと引いて、

「……なら、ここにいなさい」

 それだけ言って、そっぽをむいてしまった。

 仕方なしに腰掛に再び座り、ほんのり赤くなった霧切さんの横顔を見つめる。
 しばらく動く様子はなくて、眠ってしまったのかとも思ったけれど、霧切さんはもぞもぞと僕の方に目を向けて、

「……何か言うことはないの?」
「えっと……」

 なにかを期待するような目に、慌てて言葉を探したけれど、結局なにを期待されているのかはわからなくて、

「……可愛いね、霧切さん」
「……ばか」

 どうやらお気に召さなかったようで、再びそっぽをむいてしまった。
 結局、なんと言えばよかったのか分からなかったけれど、その後の穏やかな雰囲気は居心地の悪いものではなく。
 それからしばらくして、授業開始のチャイムが鳴った後、霧切さんの静かな寝息を聞きながら、僕は片手で携帯を取り出して、朝日奈さんと石丸クン(たぶん、石丸クンは授業中に携帯を見ないだろうけれど)に授業を欠席する旨を連絡した。

 もう片方の手に、霧切さんの手の温もりを感じながら。
ツールボックス

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