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 僕と罪木さんが恋人同士になってしばらく経った頃のこと。
 いつものように部屋にやってきた彼女と二人でくつろいでいると、不意に罪木さんが言った。

「あの、日向さん。もしこんな、歯医者さんもいない島で虫歯になっちゃったりしたら……大変、ですよね?」
「……考えたこともなかったけど、でも確かに罪木さんの言う通りだね」

 虫歯の痛みは人間の感じる痛みの中で最も強いものらしい。もし麻酔も無しに歯を引っこ抜くなんてことになったら、大変だ。

「それで、あのぉ……私が、日向さんの歯の健康を守ってあげたいなって、思ったんです……迷惑ですか?」

 眉を下げおずおずと、拒絶されることを恐れるように罪木さんは言うが、超高校級の保健委員にお世話されるのなら、こんなに心強いことは無い。

「迷惑なんて思わないよ。お願いして、いいかな」
「は、はいぃっ! じゃあ早速、始めますねっ!」

 ちょっと慌て気味な感じで、罪木さんは持ってきていたカバンを探り始めた。
正しい歯の磨き方でも教えてくれるのかと思っていたけれど、彼女が取り出した一本の歯ブラシを見て、その考えは消えた。

「これで、私が日向さんの歯を磨きますぅっ!」
「え、それは……」

 見たところその歯ブラシは、毛先が広がった、使用済みのものらしい。
 普通に考えて罪木さんのものだろう。
 それで僕の歯を磨くつもりなのか。罪木さんの唾液に塗れたそれを、僕の口に突っ込む気なのか。
 さすがにそれはちょっと。
 そう思って罪木さんの顔を見ると、いつも以上に必死で、むしろ悲壮な表情があった。
 昔からずっと酷い目に会い続けてきたせいでいつもビクビクおどおどしていた罪木さんだったけれど、最近は僕に心を開いてくれている。
 僕だけが彼女の支えになれるんだ!なんてだいそれたことを言うつもりは無い。
 でも罪木さんを悲しませるようなことは絶対にしたくない。
 大体、恋人同士がお互いの唾を気持ち悪がるなんて、おかしいじゃないか。
 床に仰向けに寝転がり、意を決して、僕は口を開いた。

「じゃあ、お願いするよ」
「……! は、はひぃっ! 頑張りますぅ! あ、頭、ここに乗せてくれますか……?」

 思いがけず膝枕されることになってしまって、なんだか恥ずかしい。
 でも罪木さんのちょっとムチムチした、女の子らしい、柔らかいフトモモに触れられて嬉しくないはずが無い。
 よく育ったおっぱいや、真剣な、でもどこかぼうっとした感じの罪木さんの顔を見上げていられるのも、なかなか悪くない。
 ホッとしたような表情で、罪木さんは僕の口に彼女の歯ブラシを差し入れ、奥歯の方から丹念に磨き始めた。
 さすがは超高校級の保健委員、口の中を弄られているというのに不快感は全く起こらず、むしろちょっと気持ちいいくらいだ。
 しかし今、僕の口の中にある歯ブラシを罪木さんも使ったことがあるんだろう。
 つまりこれには罪木さんの唾がたっぷりついているんだということを改めて意識した途端、首筋の毛が逆立つような気がして体温が上がった。
 もう彼女とはキスも済ませているというのに、どうして唾ぐらいでこんなに興奮してしまうのか分からない。
 口から生唾が沸き上がって、歯ブラシを汚してしまう。二人の唾が交じり合うところを想像すると、心拍数が高まった。

「じゃあ、歯の次は、舌をお掃除しますね……」

 歯ブラシの硬い毛が粘膜に触れても痛みは全く無い。
 むしろ、優しく愛撫されているような感じだ。
 口の中全部を罪木さんの唾液で染められて酔ったような心地でいると、不意に歯磨きは終わった。

「……これで、おしまいです」
「ありがとう罪木さん。……なんというか、良かったよ」

 後頭部のフトモモの感触は名残惜しいが、終わってしまったのなら仕方ない。
 気づけば結構な時間が経ってしまっていたようだし、と身体を起こすと、罪木さんがさっき使ったばかりの歯ブラシをじっと見つめていた。

「これを……これに、日向さんのが……」
「?」

 何やらブツブツつぶやいていたかと思うと、急に罪木さんは持っていた歯ブラシを咥えた。
 さっき僕の歯を磨いて、もちろんまだ洗ってもいないそれを。

「うわっ、罪木さん何してるんだよ!」
「あふふぅ……ひなはさんろ……ひなはさんろあじぃ……えへへぇ……」

 自分の歯を磨くでもなく、ただ歯ブラシをねぶり続ける罪木さん。
 異常な光景に固まっていると、僕と視線を合わせた罪木さんが動きを止めた。

「あ……あ、私、何を……」
「ええと……」

 我に返ったような罪木さんは、口から歯ブラシを落とすと、床へとへたり込み、顔を手で覆って泣き始めた。

「うっ……うううぅ……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい! ほんの出来心だったんですぅっ! 日向さんの唾に、つい、ふらふらっとなっちゃっただけなんですぅ! 変ですよね、気持ち悪いですよね、私……」

 僕に捨てられるとでも思っているんだろうか。
 泣いている罪木さんの姿はとても痛々しくて、もう見てられない。
 彼女の側にしゃがみこんで目線の高さをあわせて、僕はゆっくりと言った。

「ねえ罪木さん。付き合い始めてから今まで、僕達何回くらいキスしたと思う?」
「へっ……? ええと、確か、37回です」

 覚えているのか。
聞いた僕もそこまで正確には数えてなかったぞ……でも、そのほうが好都合だ。

「そう、37回。それだけ、僕らは唾を飲ませあってるんだよ。今更歯ブラシくらいで、気持ち悪いなんて思わないよ。それに、僕の唾なら、言ってくれればいつでも……」

 そこまで言うと、不意に罪木さんが顔を上げて、僕の首に両手を回して激しくキスしてきた。
 彼女の柔らかい身体を抱きしめ返すと、いつになく積極的に唇を貪ってくる。
 舌を絡ませ合い、やっぱり口の中は歯ブラシより罪木さんの舌で撫でられたほうが気持ちいいなあ、なんて考えていると、一層彼女のことが愛おしくなった。
 みんな、ごめん。今夜も島の清潔度は下がってしまいそうです。

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