km1_928-940

――アンタはどうするの?

――どうしようかな?

――あのさ。

――ん?

――も、もし……。

――もし?

――よかったら――――










「――お………い」

「――小泉!」

「ん…」

夢を、見ていた。
どこかで見たような、見なかったような。
そんな、おぼろげで儚い夢を。

アタシ――小泉真昼は、そっと体をリクライニングシートから起こす。
さっきまで全身を預けていたそこは、まだ少し温い。
隣の席に目を移すと、アイツ――日向創が笑っているのが見えた。
その慈愛に満ちた目が、何となく子供扱いされているようで、アタシはちょっとムッとする。

ぷい、と反対を向く。
ちょうど朝日と――その下にいくらかの雲の層が小窓のカーテンから漏れ出ていた。

そう。ここは飛行機の中。
日本行きの、長い旅路の途中にアタシはいた。

絶望的な過去から前へ進みだして、もう五年が経った。
あの修学旅行のメンバーたちも、もはや子供ってわけでもない。
皆それぞれ、仕事を持ったり、勉強したりしている。

アタシの場合は、写真。
ただ一つ、自信を持って出来る気がしたことだ。

そして、隣に座るコイツも同じ。
正確にはアタシの助手だけれど。






「ずいぶん疲れてたみたいだな?」

カーテンを開けて、朝日を拝むアタシに日向が声を掛けてくる。
調子を確かめるようなそれに、アタシは手で眩しい光を少し遮って目を慣らしながら答えた。

「まあね。アンタはそうでもないの?」

昨日まで、移動と撮影、それに手伝いでクタクタになった体の調子を確かめるように伸びをする。
…うん、イケるイケる。

「うーん…。まぁ、一応俺は男だしさ」

大したことでもなさそうに言うと、日向もつられるように伸びをした。

「……そ」

それだけ返すと、アタシは窓の外を見つめる。
雲の海の下に広がっているであろう風景を想像して、うっすらと微笑む。

この半年、アタシと日向はさる紛争地帯へと出向いていた。
昔からの目標、戦場への取材。
初めてのそれは、とても緊張感に溢れていた。

砲撃の爪痕。血の染みついた誰かの住まい。
……人の死体が転がっているのが当たり前の、恐ろしい世界。

人の死体は、昔の経験でまだ少しは慣れていた。
同行してくれたガイドさんが「珍しい」と評価してくれたのに苦笑いで対応したのをまだ覚えてる。

一枚一枚、心から気持ちを持ってシャッターを押した。
安全のため、と許可されていた非戦闘地域での撮影ではあったけど、惨劇の跡がまるで昨日のモノのように見えた。





「にしてもさ」

思いついたように日向が話しかけてくる。
何だろ?

「人って、強いんだな」

しみじみと深く息を吐くような声を隣で聞きながら、アタシはかすかに頷いて、ガラスに映る自分を見た。

さっきも言った通り、アタシと日向は紛争地帯に撮影へ行っていた。
といっても、半年ずっとってわけでもない。
撮影開始から二か月して、今度は難民キャンプで残りの期間滞在していた。

理由は単純で、アタシが行きたかったからだ。
お母さんが撮っていた戦場の写真。
アタシに見せてくれたそれらは、全部人の笑顔の写真だった。
アタシも、そんな写真が撮りたかった。
そうするにはまず少しだけ戦地を離れてみることだ、とガイドさんに言われて、すぐに実行に移した。
日向は何も文句を言わずに付いてきてくれた。

「助手だからな」

そう言って来てくれたのは、すごく嬉しかった。
それを言うことはなかったけれど。

難民の人たちは、すんなり歓迎してくれた。
…まぁ、支援団体に頼まれて供給する予定の食糧を一緒に持ってきたからだろうけど。

それからは、写真を撮ったり、子供たちの遊び相手をしたり、畑を耕すのを手伝ったり、簡単な治療をして二か月を過ごした。
目が回るくらい、忙しくて、悲しくて、楽しい二か月だった。
皆、心が強い人たちだった。

家がなくなったり、帰れなくなったのに、辛いことを全部受け入れて進もうとしていた。
そんな人たちの姿に、つい昔を思い出してしまうこともあった。
気持ちも自然と乗って、これまでで一番最高の写真が撮れた。

「あのさ」

「何?」

日向が話かけてくるのに応じながら、アタシは荷物をまとめる。
そろそろ空港に到着するらしい。

「今日はどうする? …泊まってくか?」

昔だったら、ドキリとしたんだろうな。
アタシが成長した、というのか、一種の諦めを心に抱いている、というのか。
それは知らないが、アタシは日向の言葉についてちょっと考えをまとめる。

「ん……そうね」

もうそういった言葉に動揺するほどアタシもお子様じゃない。
それに、今は仕事の方が思考の中で優先されている。
至って平静に、アタシは返事をした。

「泊まってくわ。現像もしたいし。…ついでに講評もね」

「おう。俺、今回は自信あるよ」

そう言って、日向は誇らしげにアタシの薦めたカメラを見せながら笑う。
講評、というのはそのままの意味だ。
日向が助手になってから、アタシたちはお互いに撮ったモノを評価し合うようにしている。
自分だけじゃ気付けなかったこと、良いところ悪いところを考えてみよう、というわけだ。

「言うじゃない。楽しみにしてるわ」

「あぁ、小泉のもな」

そんな風に言い合っているうちに、とうとう空港に着いた。










「うん、変わってないな」

機材やら旅の荷物やらをどっかりと下ろしてから、日向がぐるりと部屋を見渡した。
アタシたちはその後、無事に空港から日向の家に来ていた。

日向の家は都心を離れた郊外に建っている。
旅の間は家政婦か何かに掃除を依頼していたらしく、どの部屋もキレイにされている。

「じゃ、すぐに現像しておくから」

そう言って日向は奥に消えた。
日向の家には暗室があって、よく仕事が終わってから撮ったモノをまとめていた。
今回の写真は量が量だから時間もかかるだろう。

「さ、てと」

そういうことで現像する間に、アタシはシャワーを浴びに浴室へと足を運んだ。






「…うん、メインのところが中央にくっきり撮れて良いわねこれ」

「そっか、じゃあこれは?」

「んー?」

日光が全体に差し込む広いリビングルームの純白のソファにアタシたちは腰掛けている。
現像が終わり、アタシの手料理を昼食にしてから、二人だけの選評会が始まった。
といっても、今のところは日向の写真だけだけれど。

写真を講評するのも何度目だろう。
長い間、ずっとこんな風だ。

お互いの写真を肴に晩酌したり、ひたすら子供みたいに夢中になって朝まで語り明かしたこともある。
今回は、まぁ抑え目だ。
今は昼下がり、それに旅の疲れもあるし。

「……っと、そろそろ小泉のも見たいな」

思い出したように自分の写真を一冊の封筒に仕舞ってから日向は別のモノからアタシの写真を取り出す。
それを目にしてから、少し緊張した。

「……」

「……」

二人して言葉を出すのも忘れて、写真を一枚一枚丁寧に眺める。

内心、ホッと胸を撫で下ろす。
良かった。ちゃんとブレもなく、撮りたいモノが、撮りたい姿で映っていた。
それを確認して、やっとアタシはもう一つのことに気が向いた。

「……ど、どう?」

隣の助手におそるおそる尋ねる。
日向の評価を、聞いてみたかった。
最初の会話以来は、いつも真剣にアタシの写真を評価してくれた彼の意見を。

「………」

答えは、無い。
ただ日向はまじまじと写真たちに目を奪われたようにしている。
な、何か言ってよ……。不安になるでしょ。
そう思い勝手にハラハラしながら、アタシはまた口を開いた。

「ね、ねぇってば」

「…え? あ、あぁ悪い悪い」

今度は少し袖を引っ張りながら言ったおかげか、ちゃんと気付いてくれた。

「で、どう…なのよ?」

「えっと、そうだな」

改めて聞くと、日向は頭の中で感想を纏めているのか、渋い顔をしている。
会話に間が空く。
その間はいやに長く、束縛的で、窮屈に感じた。
昔の、少女だった頃みたいに、こういう時だけドキドキする。
アタシもまだまだ子供なのかもしれない。
そう思っているうちに、日向が言葉を紡ぐ。

「悪いな待たせて。つい今回のは見入ってさ」

「そ、そう?」

とりあえず相槌を打つ。
まずは軽いジャブ。感想はここからだ。

「ああ。小泉が分かって欲しいモノががっしりと伝わってくるよ」

言いながら、日向は満足そうに写真をアタシに渡す。

「辛いこと、悲しいこと」

砲撃の跡、崩壊した誰かの家とも呼べない石と木の集まり。
半分ほど身体の残っていない死体。
それらを目にすれば、すぐに数か月前のことが思い出せた。
これが、悲惨な世界。救われない場所の欠片。
――『絶望』。

つい、全身から痛みの悲鳴が上がる。
色々と心に浮かんできてしまって、もう今は存在しない爪痕まで浮かんできた錯覚を起こした。
鈍く、断続的な痛み。
顔には出さないけれど、辛い。

「でも」

アタシの痛みを振り払うように、日向の言葉が耳に届く。
日向はそれらを見た上で、新しく写真を渡した。

「ちゃんと楽しいことも、嬉しいこともある」

煤けているけれどはっきりした子供たちの笑顔、供給された食糧を食べて美味しそうにする人々。
そのそばで支援団体から派遣された医者。
慣れていないのか、振りかぶった農具に振り回されているのを笑われている日向とそれに対して快活に笑う日向。
それらを目にすれば、また別の数か月前のことが思い出せた。
これが、アタシが伝えたいモノ。救われない場所にだって、何かがある。
少なくとも、皆が生きている。
アタシなりの――『希望』。

「要するに、俺は嬉しいよ」

自分が農具に振り回されている写真に苦笑いしながら日向は言った。

「こんなにも、幸せを伝える写真を一番初めに見れたんだからさ」

屈託のない笑顔を、見せられた。思わず、またドキリとする。
こ、この男は………ッ!!
内心、右拳をぶるぶると震わせながら、アタシは。

「さ、サンキューね」

嬉しくなって、ニッコリ笑った。
笑うように顔の筋肉に努力してもらった。
……笑えてるわよね?

「俺こそありがとう」

特に何の意味も無いであろう、当たり前の笑顔で日向は返してくる。
こういうところが、コイツへのアタシの弱み…なのかもしれない。

「それはそうとさ」

「…何よ」

ふと、思いついたような声を上げる日向に、アタシは訝しげに尋ねる。
すると、日向はアタシの写真の入った封筒から何枚か写真を取り出す。

「あのさ、一つ不思議に思ってたんだけど」

言いながら、写真たちをアタシに示す。
何だろう?

「俺が一緒に写ってる写真が多くないか?」

――――ッ!
言葉に、息が詰まる。
そ、そんなことにばっかり何で気付くのよ!?
思わず叫びたくなった。

日向の言う通りだった。
アタシの写真には日向が入っているモノの割合が多い。
無論、日向がいないモノだってある。
ただ、その。

「気のせいじゃない? っていうか、単なる偶然だと思うけど」

とっさに言い訳を口にした。
だって、言えない。
ついつい無意識にアンタも撮っちゃうのよ、だなんてことは口が裂けても言えない。

「そうか? まぁ良いんだけどさ」

あっさりと、追及もせずに日向は下がる。
それから写真を全部仕舞って、封筒を手に立ち上がった。

「じゃ、これいつもの場所に置いとくから」

そう言って、二人の共有スペースとして扱っている部屋に向かって歩き出す。
木製のドアを開けて、日向はリビングルームを出ていく。
一息をつけたのは、キィ…と軋むような音を立てて閉まるドアを確認してからだった。

まったく、もう。
不満を、ぶつぶつと心の中で呟く。
どうして日向はあんなにもよく分からないところで鋭く、そして鈍いのだろう。
どっと疲れた気がして、アタシは日が差し込む窓を見上げる。
……やっぱり、アタシはまだまだだわ。






「ふぅ…」

共有スペースを出て、俺は背を木製ドアに預けて一息ついた。
旅の疲れが、それなりに大きく出ているようだった。
…まぁ、それ以外にもあるけれど。

「俺の気のせい、か」

一言、呟いた。
残念な気持ちだった。期待を裏切られたような、そんな気持ちだった。

都合が良すぎるとは、分かっていた。
小泉がわざわざ俺を意識なんかして写真を撮るわけがない。
期待を持つなんて、バカらしい。

いつからだろう。アイツに惹かれ始めたのは。
いつからだろう。この気持ちに気付いたというのに、伝えられなくなったのは。
いつになったら――俺はケリをつけれるのか。

ふう、とため息を漏らした。
どうすればいいか、分からない。
…また、アイツらに相談かもな。
どっと疲れが溜まった気がして、俺は廊下に光を与える窓を見上げる。
……やっぱり、俺はまだまだだな。

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