ナエギリ問柳尋花

「…霧切さんって、気になっている人とかいないの」

 唐突に降って湧いた問いだったので、彼の目をまじまじと見てしまった。
 お手製のパスタを二人で食べ終えて、私にソファーを譲り、流し台の向こうから彼は問うた。

「……、苗木君でも、その手の話題に興味はあったのね」

 思わず、思ったことをそのまま素で返してしまう。
 馬鹿にされていると捉えたのか、苗木君は眉を寄せて、洗い物の手を一瞬止めた。

 適当に回したチャンネルは、どこも週末の天気について語っている。
 日本一律、概ね快晴。絶好の行楽日和になるらしい。
 桜は過ぎ去り、新緑の季節。そろそろ長袖もお蔵になるだろう。

 今日とて暖かかったので、先日舞園さんと一緒に買ったチューブトップを着て遊びに来たら、何故か苗木君に怒られてしまった。
 私をお嬢様か何かだとでも思っているのだろうか。…満更でもないけれど。

「一人身の女の子が不用心だよ、あんな…」
「……どうせ、襲ってくる度胸なんてないもの」
「そりゃ霧切さんは、護身も出来るんだろうけどさ。だからって」

 微妙に噛み合ってないというか、相変わらずこちらの意図が通じることもなく。
 私の八つ当たりの矛先は、彼に無理やり羽織らされたシャツに向かう。裾を伸ばしてダボダボにしてしまおう。

「石丸君じゃあるまいし、破廉恥な、とか言い出さないでしょうね」
「そ、そこまでは、言わないけどさぁ…」

 歯切れの悪いまま、洗い物に逃げる苗木君。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。

「…それで。何故それが、私の気になっている人の話になるのかしら」
「うん? …好きな人の一人でも出来たら、落ちつくかなって思って」


 ―――よし、もっとダボダボにしてやろう。


「それはつまり、私は落ち着きのない女だと…、…貴方はそう言いたいのね?」
「や、そうじゃなくって、だから…拠り所があれば、安心するじゃない」
「へえ、そう…ふぅん」
「だ、だから! そういう格好は、そういう人の前で、っていうか…!」

 食器を仕舞い終えると、冷蔵庫を手早に探る苗木君。

 最近お気に入りらしい缶チューハイを二つ取り出して、一つをこちらに投げて寄越す。
 どうも彼は最近、私には飲み物を与えておけば良い、と思っている節がある。
 …あながち間違っていないのが、また腹立たしい。

 いっそ、今晩は困らせてしまおうか。

 プルタブを引くと、プシ、と景気の良いスプラッシュに、柑橘系の爽やかな匂いが乗って、鼻孔に届く。
 出来心と言ってしまえばそれまでだけれど、そういえば最近彼をいじめていなかった。
 こっそりと前のボタンを外し、裸の足を組ませて、私はゆったりと笑みを作った。


「…いるわよ、気になる男の人なら」

 へ、と空気の抜けたような声。
 次に、ゴン、という鈍い音がして、フローリングの床に缶が転がった。
 蓋を開けていなかったのは幸いで、慌てて苗木君が缶チューハイを追う。

「…あら、どうしたの?」
「え、あ、いや、」

 笑いを押し隠して、さも気にしていない体を装う。
 よほど面喰らったのだろう、苗木君は缶を拾って、所在なさげに棒立ちしている。
 ソファーを横にずれて、席を叩いて示すと、やや気まずそうに腰かけた。

「…貴方が聞いてきたんでしょう?」
「や、うん、そうだけど…ほら、ビックリして」
「これでも一応、妙齢の女よ。思う人の一人や二人、いたって珍しくは無いでしょう」

 そう、そうだね、と、今度は苗木君が落ちつかない様子で、目を合わさずに間の抜けた相槌を打っている。
 そのままプルタブに指をかけると、先程落とした缶から、炭酸が勢いよく泡を吹いた。

「うわ、わ、」
「……、…」

 ぶしゅー、と、止めるすべもなく吹きこぼれる様。
 顔を背け、必死で笑いをかみ殺す。

 ああ、学生時分以来、久しい。
 あの頃も私は、事あるごとに苗木君をからかって遊んでいたっけ。
 どうしてか、他のクラスメイトには言えないような話も、彼を相手になら打ち明けていた。

 もう幾年も経ったけれど、変わらずこの関係に在れたことに密かに喜びを覚えながら、私も缶チューハイに口を付ける。


「…ね、どんな人?」

 フローリングに零れた酒を拭きながら、上目がちに苗木君が尋ねた。

 はて、と首を傾げる。
 どんな人、とはつまり、その『私が気になっている男の人』のことだろう。
 じとり、と苗木君の目は、私の表情を見据えていた。疑っている、というサイン。
 気に入らない。苗木君のクセにナマイキだ。

 けれどもここで下手に誤魔化せば、余計に疑われてしまうだろう。

「……そうね。パッとしない人よ」
「…そうなの?」
「ええ。基本的に鈍いし、なのに無駄なところで勘が良い…どこにでもいるような、冴えない人」

 思いつくままに、特徴を並べてみる。
 苗木君は罰が悪そうに、目を逸らして頬を掻いた。

「そ、そんな悪し様に言わなくても」
「…いいの、どうせ本人には聞こえないんだから」


 相手が誰であれ、私が人を悪し様に言う時、苗木君は必ず相手の肩を持つ。
 そもそも私自身、他人の目の届かないところでその陰口を言う行為は、見えないところから石を投げるようで、ホントは好きじゃないのだけれど。
 卑怯な行為だと分かっていても、それでも苗木君が相手の味方になるのは、ちょっと気に入らない。

 ぐび、と一口、チューハイを流し込む。
 甘みの中に少しだけ渋みのある、柑橘系の香りが喉を流れていく。

「…けど、じゃあさ」
「……何よ、まだあるの?」
「その人の、どこが良いのかな、って」

 今度は苗木君は、私の目を見なかった。疑ってはいない、ということだろう。
 何処が良いか、だなんて、そんなの。

 数えたことも無いのに。

「……、優しい、ところとか」

 言って、頬が燃えた。

「……」
「…とか?」
「……あとは、そう…いざという時に、その、意外と頼りになったり…」

 何でこんな話を、苗木君相手に正面からしなければいけないのか。
 ああ、暑い。
 きっと春が過ぎたせいだ。あるいは、このお酒の。

 じとり、と居心地を悪くするような汗が、背に滲む。

 止めておこう、この話を続けるのは。
 私ばかりが語り続けなければならないのは、不公平だ。

「…そういう苗木君はどうなのかしら?」
「え?」

 唐突に話題が自分に向いたので、苗木君はまた目を見開いた。

「学生の頃から、女の子には人気があったでしょう。 …特定の子との付き合いは、無かったようだけれど」
「な、なんでそんなこと、知ってるのさ」
「…言っているでしょう。私の稼業は探偵なのよ」

 その理屈でいくと、同級生全ての恋愛事情を知っていなければならないことになるだろうが、まあ蓋をしておこう。

「…まさかその歳で、思う人の一人もいない、なんて言わないでしょうね?」

 仕掛けたこっちがまさかの割を喰ったので、もう一つおまけにからかってみる。
 苗木君は困ったように笑い、ソファーに座り直した。

「……うん。いるよ、ずっと」
「……、…」


「…結構前から。片思い…みたいなんだけどね」
「…そう。それは、」

 それは、の続きを紡げず、私は再び缶に口を付ける。
 底の方に溜まっていた果実の粒が、一気に口の中に飛び込んできた。酸っぱくて、苦い。

「…辛いわね、片思いは」
「ううん、いいんだ。高嶺の花っていうか、魅力的な人だから…僕じゃ釣り合わないって分かってるし」

 そういう、自分を過小評価して諦める所は嫌いだ。
 人には必要以上に励ましてくるクセに。

 苗木君はプルタブを引いたっきり、缶チューハイに口を付けようとしていない。
 私が飲むから、合わせて自分も持ってきただけなのだろう。

 その缶を奪って、新しく一口飲む。特に文句は言われなかった。

「…どんな人?」

 別に聞きたくはないけれど、まあ、礼儀や話の流れというものがあるだろう。
 苗木君もさっき、私に同じ質問をしたのだし。

「…頭の良い人かな。ちょっと理屈っぽいところもあるけど」
「……そう」
「ホントはすごく優しいのに、それを表に出すのが下手っていうか…結構不器用でさ、素直じゃないんだ」

 愛おしそうに、苗木君は笑った。
 自分の愛犬を紹介するかのように、穏やかな、保護者のような、友人のような。

「それで、」
「―――似合わないわ」

 ああ、きっと本当に、酒を飲んでしまったからだろう。
 さっきから、思った言葉を素のまま吐き捨ててしまうのは。

「似合わない、苗木君にそんな、……そんな女の、」
「…霧切さん」
「……、…」

 酔っているはずなのに、肌寒さを感じる。春は過ぎたのではなかったか。
 頭に鈍痛が奔った。冷えか痛みか、一瞬判断に迷う。
 今日は随分悪い酒になってしまった。こんな、柄にもない話をしたからだろうか。

「……ごめんなさい」

 私が悪し様に言えば、必ず苗木君は相手の肩を持つ。

「飲みすぎた?」
「…かもしれないわ。泊っていっても、いいかしら」
「いいけど…寝巻きとかは」
「…このシャツを、頂戴。今度、新しいものを返すから」


 苗木君は許すように笑って、寝床の準備をしに向かった。
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