白罠

「……よし、勝負だ! ……8と9のツーペア」
ボクが些か緊張しながら場に示した手札を見て、セレスさんは微かな笑みを浮かべる。
「うふふ、残念でしたわね。……こちらもツーペア。ただしジャックとクイーンです」
セレスさんの示した『役』は、当然ボクのそれよりも強いものだ。
……また、負けた。これで15連敗か……。
ボクがため息をつくと同時に、背後で西園寺さんの無邪気な笑い声が上がる。
「あははっ。苗木おにぃったら、また負けたんだー? よわーい!」
傍観者ゆえのお気楽なコメントに、ボクは言い返す気力すら湧いてこない。やれやれ……。


ここは太平洋上に浮かぶリゾート地、ジャバウォック島。
そこに建つホテルの客室で、ボクとセレスさんはトランプゲームに興じていた。
ボクの後ろのベッドの上では、この島で知り合った日本舞踊家の西園寺日寄子さんが寝転がり、
時折適当なヤジを送りつつ勝負を観戦している。

「少し、疲れましたわね。ちょっと休憩にしましょうか。──ところで」
それまで楽しげだったセレスさんの声が、微かに不満の色を帯びる。
「どうして、わざわざ南の島まで来て、こんな状況になっているのですか? 苗木君」
──それは、仕方のない事だ。だって、朝からずっと激しい雨が降り続いていたんだから。
時計を見れば、針は午後8時を回ろうとしている。
今頃になって、ようやく雨が上がったようだが……これじゃ、島内観光どころじゃない。
ボクらは観光の予定を全てキャンセルして、一日ホテル内に留まるハメになってしまった。
「……天気の事はしょうがないよ。明日また、出掛ければ──」
ボクの言葉を遮って、セレスさんは首を横に振る。
「違いますわ。わたくしが言いたいのは、どうして余計なお荷物が増えたのか、という事ですの……!」
お荷物……? と、疑問に思ったが、彼女の視線を追って合点がいった。
その先には、西園寺さんがいる。セレスさんは予定外の闖入者が気に入らないのだろう。
──それは──それも、仕方がない事だ。多少の罪悪感を感じながら、ボクは小声で返した。
「西園寺さんのお父さんに頼まれちゃって、断れなかったんだよ。
 ……いや、でも人数が多いほうがきっと楽しいし……その……ゴメン」

ホテルに着いて早々、ちょっとしたトラブルに巻き込まれたボクとセレスさんは、
結果、西園寺さんや、彼女のお父さんと知り合った。そして今朝、またも偶然顔を合わせる。
お父さん曰く──娘は気の会う友達になかなか恵まれず、いつも寂しい思いをしています。
自分たちは明日には日本に帰るんですが、ここで知り合ったのも何かの縁。
迷惑でなければ今日一日だけでも、娘と遊んでやって貰えませんか?
──人の良さそうなあのお父さんに懇願されて……ボクにはどうしてもNOと答える事が出来なかった。
背後でセレスさんが、露骨な舌打ちをしていたとしても……。

セレスさんが呆れたように鼻を鳴らすのに続いて、西園寺さんがまたもお気楽な声を上げた。
「ところでさー、セレスおねぇ。おねぇと苗木おにぃは二人で旅行に来たんだよねー?
 って事は────もしかして付き合っちゃったりしてるのかなー?」
ボクは……突然の言葉に、一瞬顔が熱くなるを感じた。
微妙な事を……あっさり言ってくれるな、この子は……。
セレスさんは──僅かな沈黙の後、平然とした口調で答える。
「付き合う……というのは意味がわかりませんが……彼は、わたくしの“ナイト”ですの。
 わたくしに忠誠を誓う者として、常に傍に侍るのは当然の事ですわ」
「ナイトぉ……? それってさー、もしかしてイターい『設定』ってやつー?」
小馬鹿にしたように、クスクスと笑う西園寺さん。黙って聞いてるボクの方が無性に恥ずかしくなってくる。
一方のセレスさんは相変わらず、余裕の表情だ。
「設定ではありませんわ。事実ですもの」
西園寺さんは口を噤み、ボクとセレスさんの顔を見比べて、二度三度と瞬きを繰り返す。
それから小さく「なるほどねー」と呟いて、どこか意地の悪い笑みを浮かべた。

「……ふーん。じゃあ、わたしと同じだね。私にもいるよー。……『日向おにぃ』って“奴隷”がさー」
ど……奴隷!? どういう解釈でそうなるんだ……?
ともあれ、話題を変えるチャンスだ。ボクはすかさず口を開く。
「そ、その日向おにぃって、どんな人なの?」
「日向おにぃはねー、わたし狙いのロリペドでー、何のとりえもないド凡夫なんだー」
め、滅茶苦茶言ってる……! 会った事もないその人に、少し同情する。
「だけど……とっても優しくて……一緒にいるとホッとするの。
 お父さんとか……そうだね、苗木おにぃにも、ちょっと雰囲気が似てるかも……」
……話しているうちに『日向おにぃ』の事を思い出したのか、西園寺さんは頬を緩める。
そうか……この子は……。……いつもひねくれた事ばかり言ってるけど、素直にしてると可愛いんだな。
ボクとセレスさんの視線に気づいてか、西園寺さんは頬を赤らめ、慌てて立ち上がった。
「──って、いいじゃん、そんな事はさー! もういい、行くよ!」
「え……どこに?」
「決まってるでしょ、お風呂だよー。苗木おにぃ達も来るでしょ? お、ん、せ、ん……」


まさか南の島まで来て温泉なんて単語を聞くとは思わなかった。
しかしよく考えてみれば、ハワイなんかも火山島で、温泉に入れると聞いた事がある。
現にこのジャバウォック島にも、立派な活火山があるらしい。
「温泉……それは、このホテル内ではありませんわよね?
 わざわざ出掛けなくても、こちらに立派なお風呂がありますのに……」
セレスさんはいかにも気乗りしない、という口調だ。すかさず西園寺さんが言い返す。
「言っとくけど、ただの温泉じゃないんだからね!
 わたしの踊りを観て、感激したホテルのオーナーが特別に招待してくれたんだから!」
──詳しく話を聞いてみると、このホテルの裏山にVIP中のVIPだけが入れる『秘湯』があり、
今夜は西園寺さんだけの為に貸し切りにしてくれているんだとか──。
……ボクは正直、興味をそそられたのだが、セレスさんは面倒くさそうに横を向いてしまう。
「嫌ですわ、秘湯だなんて。雨上がりの事ですし、きっと足元も悪いでしょう。
 それにわたくし……夜8時以降は決して出歩かない主義ですの」
……そんな主義、初めて聞いたぞ……。

セレスさんの頑な態度に、さすがに西園寺さんも不機嫌になってくる。
「このわたしがせっかく言ってあげてるのに……。いーよ、じゃあセレスおねぇは“フツーのお風呂”に入れば?
 わたしはその間に、“セレブ御用達の美肌の湯”でツルッツルになってやるもん!
 それはもう、苗木おにぃみたいな朴念仁でも目が釘付けになるぐらいツルッツルのスベッスベに──」
西園寺さんが言い終わるより早く、セレスさんはすっと立ち上がった。
「では、早速その秘湯とやらに参りましょうか。西園寺さんの、せっかくのお誘いですものね」
にっこり笑って、何事も無かったかのように一人で歩き出してしまう。
ボクと西園寺さんは、呆れる暇もなく──慌ててその後を追った。


西園寺さんがホテルの人に用意してもらったという、お風呂セットの袋を提げて夜道を歩く。
幸い、温泉への道はしっかり舗装されている上に街灯も整備されていて、歩くのは苦にならない。
一本道の緩やかな上り坂が、女性の足でも10分ほどで目的地に連れて行ってくれるそうだ。
「感謝してよねー、わたしのお陰でVIP専用の温泉に入れるんだから」
などと得意げな西園寺さんにほどほどに相槌を打ちつつ、歩き続ける。
満天の星空の下、爽やかな夜風が吹いてきてとても心地いい。
やがて道が開け、その秘湯がある建物が林の中に見えてきた。

舗装路が途切れ、木々の中に現れた広場の中央に、白い建物がぽつんと立っている。
ホテルと同じ真っ白い外壁は真新しくとても綺麗で、高級感さえ漂ってくる。
……秘湯なんて言うから、何となく粗末な施設を想像していたのだが、思ったより近代的で安心した。
雨上がりの少しぬかるんだ地面に歩を進め、入り口に近づく。
ここで西園寺さんが、懐から金色のカードを取り出した。
「これ、カードキーね。夜中まで開いてるけど、従業員がずっといる訳じゃないんだってさ」
防犯対策にもぬかりはないようだ。西園寺さん、セレスさんに続いて横開きの自動ドアをくぐる。

玄関マットで靴についた泥をぬぐい、ホールの中へ。
ふと目をやると、端の方に真新しい長靴が揃えて置いてあるのが目についた。
「あれ……誰か先に来てるのかな?」
思わず口にしたボクの問いに、女子二人が答える。
「……どう見ても、VIPの履物には見えませんわ。従業員用の作業靴ではありませんか?」
「そうだねー、今の時間は誰もいないはずだもん。こんな所で靴を脱ぐのも訳わかんないしー」
つまり、従業員が片付け忘れた長靴か。納得して正面に目を向ける。

ホールの先ではすぐ、男性と女性で通路が分かれているようだ。
「じゃあ、こっちの青い袋が苗木おにぃの分で、こっちの赤い袋がわたしとセレスおねぇの分ね。
 ……わかってると思うけど、日本と違って水着着用だからねー?」
……ボクはわかっていなかった。言われてみれば、海外ではそういう習慣なんだった。
口には出さず、苦笑しながら頷く。
「それでは苗木君、また後でお会いしましょう」
セレスさんが上品な笑みを浮かべ、小さく手を振る。
ボクも手を上げて応じたところで、突然、西園寺さんが素っ頓狂な声を上げた。
「……アチャッ、いっけなーい!」
彼女は握り拳で自分の額を軽くコツンと叩き、舌まで出してみせる。
……昔の漫画でよく見た光景だが、実際やると変な感じだ……。

「いきなり、どうしましたの? 車に轢かれた蛙のような声を出して」
西園寺さんは、赤い袋の中身を何気なく覗いてみたようだ。袋の方から顔を上げる。
「セレスおねぇの分の水着はあるけど、わたしの分が入ってない……。
 ホテルに忘れちゃったのかなー。戻って取ってくるから、二人は先に入ってて」
ボクらが何か言う前に、西園寺さんは赤い袋をセレスさんに渡して駆け出した。
「わたしが戻ってくるまで、ゆっくり入っててね。先に出ちゃったら嫌だからねー!」
自動ドアの前で振り返った西園寺さんを見送って、ボクとセレスさんは顔を見合わせた。
「……えっと。じゃあ、先に入ってようか」
「そうですわね。お言葉に甘えて」
もう一度さっきと同じやりとりを繰り返し、ボクらは通路の前で一旦、別れた。

通路の先には小部屋があり、ここが男性用の脱衣所になっているようだ。
部屋の奥には個室のシャワーが設置されていたり、清潔なタオルやサンダルなども用意されている。
これらはお客が自由に使っていい、という事だろう。
大きなガラス戸の向こうでは湯煙がもうもうと立っており、温泉気分が高まる。
ボクは早速、水着に着替えて脱いだ服を棚に置き、温泉の方へと向かった。


湯煙に包まれた温泉は、屋外にあった。当然ながら目隠しの為の高い塀が巡らされており、
広々とした浴場が全面、石材を敷き詰めて作られているところは日本の露天風呂に良く似ている。
だが、こちらには洗い場がなかったり……見たところ、湯船は結構な深さがありそうだ。
欧米の感覚では、温泉はお風呂というよりプールに近いものなのだろう。
文化の違いに軽いカルチャーショックを受けつつ、足先からゆっくりと湯に入る。
湯船の中でも、端の方は浅く、腰掛けられるようになっていた。
まずは肩まで湯に浸かり、一人、大きなため息をつく。
……ふぅ。……やっぱり、温泉ってのはこういうものだよな……。

しばらく目を閉じて身も心もリラックスしていると、どこか近くで「キィ」とドアの開く音がした。
……誰か、入ってきたみたいだ。ボクらの後で別のお客さんが来たのか……。
構わず目を閉じたままでいたが……ボクのすぐそばで、お湯が大きく波立つ。
「なかなか、いいお湯ですわね」
聞き慣れた声が聞こえ、ボクは驚いて目を開けた。ボクのすぐ隣に座ったのは、セレスさんだ。
……こ、混浴だったのか……!
よく考えれば当然だ。その為の水着着用だろうし、海外では男女混浴が普通らしい。
セレスさんは、いつもの派手なウィッグを外した姿で……いや、そんな事よりも。
彼女の着ている水着にどうしても目がいってしまう。これは、どう見ても──布が少ない!
シンプルな黒のビキニでありながら、卑猥な……とまではいかなくても、結構大胆な露出度だ。
おかげで、彼女の真っ白な肌が露になり──いや、詳しく表現するのは止めておこう……。
「……苗木君。そうジロジロ見ては、レディに対して失礼ではありませんか?」
視線に気づいたらしいセレスさんにたしなめられ、ボクは慌てて目を逸らした。
「ご、ごめん……」
「いえ。……まあ、この水着が少々人目を引いてしまうデザインなのは、わかりますが。
 どうやら、西園寺さんにハメられたようですわね……」
……西園寺さんがホテルで見せた、いじめっ子のような意地の悪い表情が目に浮かぶ。
もしかして、あの時すでに? こんなイタズラをするなんて……西園寺さん、ありがt──じゃない、困った子だな……。

「それにしても」
しばらくの沈黙の後、セレスさんが静かに口を開く。
「こうしてゆっくり過ごすのは、何だか久しぶりのような気がしますわ。
 その点に関しては、ここに連れて来て下さった西園寺さんに、感謝しなくてはいけませんわね……」
「……そうだね。それを言ったら……ボクは、セレスさんにも感謝しないと。
 多分、ボク一人じゃ一生こんな所には来られなかっただろうし……」
言うまでもなく、これは素直な感想だ。
“超高校級の幸運”なんて呼ばれているボクだが、自他共に認める『普通』の高校生でしかない。
“超高校級のギャンブラー”として、世界を飛び回るセレスさんにとっては、そう珍しい体験でも無さそうだが……。
「いいえ、それは違いますわ」
セレスさんは小さく首を横に振る。
「いくら海外を渡り歩き、高級なホテルに宿泊したとしても、わたくし一人では当然の事で、さほど価値がありません。
 わたくしが感謝しなくては、と言ったのは……その……あなたとこうして……」 
意外な言葉を聞いて、ボクは彼女の方を見ずにはいられなかった。
夜の温泉。照明はさほど強くなく、うっすらとボクらを照らしている。
セレスさんの白い肌は熱を帯びて紅くなり、その中でも頬はさらに上気して見えた。
ボク自身も……温泉の温度以上に、体が熱くなるのを感じる。
自然と彼女と視線が重なり、鼓動が急激に早くなる。そしてボクは────…………湯船から立ち上がった。

「ご、ごめん。ちょっとのぼせてきちゃったみたいだ……。一旦、上がるね」
セレスさんは無言で頷き、目を閉じる。
……危なかった。本当に、あれ以上は、色んな意味で……。
ボクは頭を振って雑念を振り払い、熱を冷ます為に脱衣所のシャワーを目指した。


男性用の脱衣所で、ぬるめのシャワーを頭から浴びて、ほっと息をつく。
……少しは、気持ちが落ち着いたようだ。だが、このままここに居続ける訳にもいかない。
気を取り直して浴場に戻ろうと振り返り──ボクは思わず声に出していた。
「あ……れ?」
脱いだ服を入れておいた棚が、空になっている。
何かの間違いだろうと辺りを見回すが、どこにもボクの荷物は見当たらない。
まさか、盗まれたのか──!?
一瞬、ホールの方に向かいかけたが、濡れた体ではそうもいかない。
体を拭くより、まずはセレスさんに異変を知らせるべく、ボクは浴場に足を向けた。

「大変だよ、セレスさん!」
──セレスさんは、さっきと同じ湯船の端に腰掛けたままの格好でボクの話を聞き、ゆっくりと首を傾げる。
「苗木君の服を……? それは、ショボい……というか、おかしな泥棒ですわね……」
ボクも同感だが、実際に盗まれてしまったのだから仕方がない。
「ともかく、ホテルの方に連絡しましょうか。ホールに内線電話ぐらい置いているでしょうから。
 ここはわたくしに任せて、苗木君は待っていて下さい」
セレスさんはそう言って立ち上がり、女性用の脱衣所の方に歩いていった。
──が……5分と経たず、戻ってきた。
「……やられましたわ。こちらも同様です」
……!! 予想外の展開に、声も出ない。
どうやら、ボクとセレスさん……一度に、二人分の着替えが盗まれてしまったようだ……。


ここで一旦、切ります。続きは1時間後ぐらいに投下させて下さい

「それで……電話は?」
「残念ながら、ざっと見た限りではホールには見当たりませんでした。
 元々設置されていないのか、あるいは、それも犯人が盗んでいったのかも……」
電話まで……だとすると、事件の発覚を遅らせる為だろうか?
犯人は、なかなか周到な人物のようだ。ただ、それにしては盗んだ物が──
「そういえば、セレスさんの方は服以外に何か盗まれたの?」
ボクが着替えと一緒に置いていたのは、ホテルの部屋のキーぐらいのものだ。
十分迷惑だが、今のところは被害はさほどでもない。
セレスさんは、記憶を辿るように目を伏せながら答える。
「わたくしは──そうですわね。部屋のキー、携帯電話、化粧品類を少々。
 お財布はホテルに置いてきたので無事ですが、後は……まあ、下着でしょうか」
下着……! それは、そうだ。ボクも着替えと一緒に盗まれているが、セレスさんとはまるで意味が違う。
だいたい男の下着なんて盗んでどうするんだ。女の子のならともかく……いや、世の中には変なマニアが……?
──って、今はそんな事はどうでもいい。今重要なのはこれからどうするか、だ。
「現実的な所では、歩いてホテルに戻って警察を呼んでもらう、でしょうね。
 この格好を人目に晒すのは少々抵抗がありますが……背に腹は変えられませんわ」
セレスさんは胸の前で腕を組み、小さくため息をついた。
緊急事態にあって忘れていたが、彼女の無防備な格好を見て再び意識してしまう。──それは、ボクも嫌だ。
だが、セレスさん一人をここに残し、ボクだけホテルに戻るのも何だか心配な気がする。
「もう一つの手は、水着を取りに戻った西園寺さんが来るのを待って、彼女に連絡してもらう……ですわね。
 彼女が来るのは、あと何分後でしょうか。5分後? 10分後?」
……わからない。そんなに時間はかからないだろうけど、ただ待っているというのも落ち着かない。
そうだ、それまで水着姿のセレスさんと二人きりで……ボクは──
ダメだ、また熱が上がってきた。こうなれば、やる事は決まっている。
「西園寺さんを待つ間、ボクらで犯人の足取りを追ってみよう。
 もしかしたら、だけど……服なんてお金にならないわりにかさばるし、案外近くに捨ててあるかもしれない」
ボクの提案に、セレスさんは大きく頷く。……良かった。捜査に集中していれば、少しは落ち着いて──
「そうですわね。ですが、危険な犯人がまだ近くにいるとも考えられますわ。
 苗木君。ナイトとして、しっかりわたくしを守って下さいね?」
そう言って彼女はボクの腕を掴み、ぴったりと寄り添った……。


──とにかく。煩悩を振り払う意味でも、さっさと捜査に取り掛かる事にする。
脱衣所にはこれといって犯行の痕跡は見られないので、次はホールだ。

一応、犯人の襲撃を警戒して身構えつつ、ホールに入った。
セレスさんと二人で慎重に調べて……わかった事は2つ。
1つ、ホール内に電話機(と、ボクらの荷物)は存在しない。
2つ、ホールの隅に置いてあった長靴が無くなっている。
……これは──これも、犯人が盗んでいったのだろうか。だからといって手当たり次第、という訳でもなさそうだ。
その証拠に、壁に飾られている絵や高級そうな花瓶などには手をつけていない。
つくづく、おかしな泥棒だな……。とりあえず頭の隅に置いておき、捜査を続ける。
さて、次は──

「……そういえば、犯人はどこから入ってきたのでしょうか?」
セレスさんのふいの質問に、「えっ」と聞き返す。
「こちらの入り口は……西園寺さんが持っていたカードキーを使わなくては入れませんわよね。
 VIP専用の施設ですから、不審者が他の場所から楽々侵入できるとは思えません。
 という事は、犯人は入り口から堂々と侵入した──カードキーを持っている人物に限られるのではありませんか?」
なるほど、一理ありそうだ。警察が調べれば、それだけでかなり容疑者が絞り込まれるかもしれない。
となれば、次に調べるべきなのは──。ボクらの目は、入り口のドアに吸い寄せられる。


自動ドアが閉まると厄介なのでセレスさんにドアの間に立ってもらい、ボク一人で外に足を踏み出す。
夜ではあるが、施設の照明と道路の街灯が辺りを照らしており、周囲はよく見渡せた。
その中で、まず目につくのは、足跡だ。
向こう側の道路と、こちらの施設の間のぬかるんだ地面に、複数の足跡が散らばっている。
これは──重要な証拠かもしれない。はっとして、すぐ後ろのセレスさんに声をかけた。
「ねえ、これ……この辺りの足跡は、ボクらが来た時の分だよね?」
ボクが指差した辺りには、ほぼ横並びに3人分の足跡が、道路側から温泉に向かってついている。
セレスさんは同じ位置に立ったまま、少し背伸びして頷いた。
「ええ、間違いありませんわ。わたくしのヒール、苗木君のスニーカー、それに西園寺さんの下駄の痕でしょうね」
三者三様、特徴的な形が綺麗に横一列に並んでいるので、わかりやすい。
問題なのは、それらを除いた足跡で──
1つは、温泉から道路に向かう、西園寺さんの物と思われる下駄の跡。
ホテルに水着を取りに戻った時についたのだろう。
そして──正体不明の靴跡が、きっちり一往復分だけ残されている。
それは明らかにボクのスニーカーとは別の靴跡で……
道路側から温泉に向かう片道分は、他の靴跡とは離れた位置に、
温泉から道路側に向かう片道分は、同じ方向についた西園寺さんの靴跡と重なるように。
ボクらが温泉に来た時には、こんな足跡はついていなかったはずだ……!
「それは、きっと犯人の靴跡ですわね。道路側から温泉に来て、また帰った時の……。
 周りに他の足跡がついていない事からすると、すでに目的を達成して逃げてしまったのでしょう」
だとすると、犯人は真っ直ぐ温泉施設に来て、正面のドアからカードキーを使って侵入した。
そして素早くボクらの服を盗んで、また真っ直ぐ道路の方に帰って行ったのか……。
確かに筋は通っている。だけど……ボクはどこか違和感を感じていた。
この足跡──何か変じゃないか?

「道路に出られては、その先は足跡を追えません。後は警察に任せるべきでしょうか……」
そんなセレスさんの声を背中で聞きつつ、しゃがみ込んで道路側に向かう犯人の足跡をよく観察してみる。
靴跡は……一部が同じ方を向いた西園寺さんの足跡に踏まれているものの、とても綺麗だ。
靴底が欠けているとか磨り減っているとかいった特徴は、それ自体にはない。
サイズから、大人の男性用の靴で間違いないだろう。見比べると、ボクの靴跡よりも一回り以上大きい。
だから、犯人は大人の男で……恐らくボクよりも背が高い……──ボクよりも……?
それにしては……やけに歩幅が狭いような……。

頭の中に突然ある考えが閃いて、ボクは思わず「あっ!」と叫んでいた。
背後でセレスさんが聞き返す声にも答えずに、『──だとしたら?』という自問自答を繰り返す。
そして……ようやく結論が出た。
「セレスさん、犯人がどこにいるかわかったよ」
しゃがんだ体勢のまま、後ろを向く。
「まあ……! それは──どこですの?」
と──下から水着姿のセレスさんを見上げる格好になってしまい、ボクは慌てて目を逸らして答えた。
「多分……いや、間違いなく──ボクらがさっきまでいた、この温泉施設のどこかだよ……」


ボクの推理を証明する為に、もう一度温泉施設の中を見て回る。
ボクらが一度見た場所以外には、トイレとランドリー(客用のタオルを洗濯する部屋か)があった。
そして犯人は──苦もなく見つかった。ランドリーのタオルの山に埋もれ、すやすやと寝息を立てて……
「西園寺さん……こんな所に隠れてたのか……」
そう……ホテルに水着を取りに戻ったはずの西園寺さんこそが、犯人だった。
彼女のそばに、盗まれたボクらの荷物が置いてあるのが動かぬ証拠だ。
「全く……隠れるのが好きな子ですわね。能天気な顔をして、よく眠っていますわ……」

何故、ボクが犯人の正体に気づいたのか──それは、不自然な靴跡のせいだ。
“犯行の前にホテルへ戻ったはずの西園寺さんの靴跡が、逃げた犯人の靴跡を踏んでいる”
……そんな馬鹿な事があるわけがない。
確かなのは、西園寺さんは犯行前にホテルへ戻っていない。つまり、彼女はホテルに戻ると嘘をついたのだ。
そしてボクらの荷物以外にも盗まれていた、ホールの長靴。
あの長靴を使って足跡を偽造したから、不自然な靴跡が出来てしまったのに違いない。

ボクは、頭の中で事件の流れを再現する。
まず、水着を忘れたフリをした西園寺さんが、一旦、施設の外に出てボクとセレスさんをやり過ごす。
(恐らく、最初はそれだけのつもりだったのが、自分達の足跡を見ているうちに、偽装工作を思いついたのだろう……)
ボクらが脱衣所に入った頃合を見て、ホールに戻った西園寺さんは置いてあった長靴を持って再び外に。
そこから、長靴をスタンプのように使って足跡をつけながら道路まで歩いた。
これでホテルに戻る西園寺さんと、犯行を終えて立ち去る“犯人”……片道で二人分の足跡が出来る。
ただし、この時誤って長靴の跡を自分で踏んでしまう。
道路までたどり着いたら、下駄から長靴に履き替え、今度は下駄を手に持って施設側へ戻った。
これで温泉へ犯行に向かう“犯人”の足跡の完成だ。
最後に、ボクらが温泉に入っている間に脱衣所を回って荷物を盗み、ランドリーに身を隠す。
そして──隠れている間に居眠りしてしまった……。

「ちょっと、いつまで寝ていますの? 早く起きて下さいな。あなたのせいで──」
セレスさんが苛立ちを滲ませた口調で声をかけ、西園寺さんの肩をゆする。
やがて薄く目を開けた西園寺さんは、呑気に大きな欠伸をしてみせた。
「ふぁー…………あー、セレスおねぇだー……。温泉はもういいのぉ?」
この子は……大物だな。体は小さいけど……。
「『もういいのぉ?』、じゃありません……! 全く、タチの悪い悪戯ばかりして……
 今度ばかりは、しっかり反省しないとお仕置きしますわよ」
セレスさんの厳しい口調にも西園寺さんはまるで怯まず、口を尖らせて不満を露にする。
「むー、何でわたしがお仕置きされなきゃいけないの? セレスおねぇの為にやってあげたのにさー」
「セレスさんの為に、って……どういう事?」
不審に思って聞き返すと、彼女は得意げに胸を張った。
「だってさー、セレスおねぇは苗木おにぃともっと仲良くなりたいんでしょ?
 でも、セレスおねぇは素直じゃないしー、苗木おにぃはどっちつかずのヘタレだしー、
 わたしが、二人の仲が進展するように、二人きりで“裸の付き合い”をさせてあげたんじゃん」
は、裸の付き合いって……!
当然、悪戯心もあったんだろうけど……それで、ボクとセレスさんを水着姿のまま温泉に閉じ込めたのか……。
さらに西園寺さんは、にやりと笑って続ける。
「で、手ぐらい握ったの? チューはした? それとも、もっとスゴイ事も……?」
……!!!!
こ、これは……どう答えれば……いや、ボクはもしかして、西園寺さんの言う通りに……──
色々な考えが頭を巡り、混乱を極める。救いを求めてセレスさんの方を見たが……
彼女も無言のまま、赤い顔でこちらを見ていた。

結局、ボクらは西園寺さんをそれ以上責められず……逆に彼女にからかわれる事になってしまった。
こんな空気で温泉に入りなおす訳にもいかず、服に着替えて帰路につく。
その後、ホテルに帰り着くまで、セレスさんがボクと目も合わせてくれなかったのは、
照れのせいか、あるいは怒り……のせいだろうか?
──この旅行から帰る頃には……ボクの中に……答えが出るといいな……。

ツールボックス

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