kk16 844-851

 

「……苗木君、ちょっといいかしら」

 幾度目かの自由時間。
 学園の探索も滞り、当初の生活と比べれば穏やかな日々が続いていた。
 いつものように朝食会に顔を出し、仲間たちと談笑を交わし、自室に戻ろうとしていたところで、珍しい相手に呼びとめられた。


「どうしたの、霧切さん?」
「…この後、用事とかあったりする…?」


 振りかえって、僕はギクリとする。
 声の主、霧切さんが、まるでモノクマに対峙している時のような表情を浮かべていたからだ。
 眉をしかめ、深刻そうに唇を結んで。
 驚いて、条件反射のように首を振る。


「…そう。なら、私の部屋に来て」
「え、」
「……いいわね」


 有無を言わさず、と言った語調で、口早に言い捨てると、霧切さんは背を向けて食堂を出て行ってしまった。
 心臓が嫌な跳ね方をした。


 というのも、これまでも何回か二人で話をすることはあったけれど、彼女の方から僕を誘うということはほとんどなかったからだ。
 それだけでも言うなれば異常事態なのに、加えて、あの切羽詰まった表情。
 何か、あったのかもしれない。
 僕は一度部屋に戻り、気持ちを落ちつけてから彼女の部屋に向かった。


 扉の前に立ち、チャイムを鳴らす。
 カチャリ、と鍵の開く音がして、チェーンの向こう側から霧切さんの怜悧な瞳が覗いた。


「あ、あの、苗木だけど。遅くなってごめん」
「……、今開けるわ」


 チェーンを外し、扉が開かれる。
 と同時に、僕は驚いて、一歩後ずさった。


 扉の向こうに居たのは、確かに霧切さんで、けれども僕の見覚えのある霧切さんの姿ではなかった。


「……え、」


 馴染みの暗い色のコートや、ゴツゴツしたブーツではない。
 まず、履いているのは室内用のスリッパ。
 続いていつものスカートの上に、裾の短いチューブトップ、その上から白のシャツを羽織っている。


 肌色、というには白すぎる肌が、その端々から覗く。
 何か見てはいけないものを見ている気になって、僕は思わず目を逸らした。


「……入らないの?」


 怪訝そうな、霧切さんの声。
 そこでようやく、それが彼女の部屋着なのだと気付いた。
 そういえば、夜時間寸前に朝日奈さんの部屋を訪ねた時は、ほぼ下着姿で応対されたっけ。
 女子の普段着というものは、よく分からない。


「その、……お邪魔します」

 

部屋の中は整頓されているどころか、生活臭がしないと言ってもいいくらいに、ものが置かれていなかった。
 いや、それでもある意味、霧切さんらしいと言えばらしい。
 らしいんだけれど、どこか釈然としないというか。
 もっとこう、せっかく切迫した用事があるかもしれないとはいえ、女子の部屋に呼ばれるって、こう…

 

「……気の利いた飲み物やお菓子はないのだけれど」
「え? あ、いや、お気遣いなく」


 眉をしかめたままの表情からは読み取れないものの、気を遣われているらしい。
 霧切さんは相変わらず神妙な顔で、ベッドに腰をかけた。


「…座って。綺麗にしてあるから」


 椅子でも借りようと考えていた僕に、霧切さんは自分の隣を指し示す。
 それは、いいんだろうか。
 いや、変な意味じゃなくて、けれども二人きりの部屋でわざわざ隣に座るというのは、思春期の青少年としては如何とも。


 駄目だ、いつもと違う霧切さんの姿に、すっかり頭が茹ってしまっている。
 さっきまでの深刻な雰囲気はどこに消えてしまったのか。


 と、立ちつくしている僕を、霧切さんが訝しげに見る。これ以上当惑していても不自然だ。
 観念して、なるべく意識しないように、少しだけ間隔を開けて、僕は彼女の隣に座った。
 ギシ、と僅かに軋んで、ベッドが二人分の沈みを作る。


「……」
「……」

 

 閑寂。

 

 僕は霧切さんに呼ばれたはずだ。彼女の方から、それもおそらくは切迫した相談事があるはずだ。
 だとしたら、このいたたまれない沈黙はなんだろう。


 霧切さんは黙ったまま、膝の上で組んだ両手をじっと見つめている。
 時折思案するように物憂げに目を伏せたり、溜息にも似た深呼吸をしたり。
 余程言いにくいことなのか。だとしたら、僕はまだ彼女の言葉を待つべきなのだろう。
 下手な話を切り出して、その思考を邪魔することはできない。


 けれども、この状況で沈黙を保つということは、僕にとっては拷問に等しかった。


 部屋には私物と呼べるものがほとんどなく、ベッドの脇に、おそらくは手慰みで図書館から持ち出した本が数冊あるだけ。
 見るべきものがない空間で、視線は必然とその部屋の主、つまり霧切さんの方に向かってしまう。


 思案する時のクセなのだろう、唇を指でなぞる仕草が、妙になまめかしい。
 鍛えているのだろうか、シャツの袖やスカートの裾から見える四肢に、うっすらと筋肉のラインが見える。
 そして、チューブトップの下から見え隠れしているヘソ。
 ああ、ダメだ、と隅に追いやられた理性が叫ぶ。
 その肌色から、身体のラインから、火照った頭が、彼女のあらぬ姿を想像して―――

 


「―――苗木君?」

 氷のように冷たい声に、一気に現実に引き戻された。

 

「は、はい!」
「……そんなにジロジロ見られると、落ち着かないわ」


 霧切さんが困ったような顔で、僕を覗き込んでいた。
 その言い方だと、視線には気付いていても、その視線の意図には気付かれていないらしい。
 危なかった…というか、落ち着かないのは、僕の方なんだけれど。
 ばくん、ばくん、と跳ねまわる心臓をどうにか宥めて、平静を装う。


「…その、ゴメン。なんていうか、緊張しちゃってさ」
「……緊張?」


 僕の言葉に被せるように、霧切さんが眉根を寄せた。
 何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。


「あ、いやホラ、霧切さん、いつもと様子が違ったし…どうしたのかな、って」


 嘘は言っていない。事実を少しぼかして伝えただけ。
 馬鹿正直な僕のために、と霧切さんがいつか教えてくれた、ごまかす時の極意だ。
 まさか本人を相手に使うことになろうとは。


「それに、何か用事があって僕を呼んだんじゃないの?」


 それを言うと、霧切さんはますます不機嫌そうに眉を寄せ、目を細める。


「…用が無ければ、あなたを部屋に呼んではいけないの?」
「え?」


 彼女の言葉は、僕をいっそう混乱させた。
 なんだ、どういうことだ? 用事が無いのに、僕を部屋に呼んだ?
 彼女の悪戯や、監視カメラを危惧しての暗号の可能性も考えてみる。
 けれど悪戯にしては本人が不機嫌だし、カメラを危惧するなら脱衣所に呼び出せばいい話だ。


 霧切さんは不満気に目を細めたまま、また唇に指を這わせる。
 それから俯くと、少しだけ頬を染めて、


「…友人を部屋に呼んだのは、初めてだから……勝手が、分からないのよ…」


 言い訳をするように、もごもごと口をすぼめて言った。


 カッと、顔が熱くなる。
 恥ずかしそうにする霧切さんのその仕草だけでも、十分すぎる破壊力だというのに。
 彼女に友達と思われていたことが、なんというか、想定外すぎて。もちろん、良い意味で、だ。


「じゃ、じゃあ…何か相談事や、極秘の情報があって僕を呼んだわけじゃないんだ」


 そう言うと、霧切さんは傷付いたような顔を見せた。
 一手遅れて、そりゃそうだ、と自分の失言に気付く。
 彼女の問いに対して今の答えでは、『用事が無いと知っていたら来ませんでした』と受け取られる。


「……悪かったわね」
「え、あ、いや…!」


 しかも、謝らせてしまった。
 罪悪感が、氷水のように身を引きしまらせる。

 

「…特別な用事は無いわ。時間を使わせてしまってごめんなさい……もう帰っても、」
「そ、そうじゃなくって!」


 ああ、霧切さんが悲しそうな瞳で俯いている。
 ここまで感情を顔に出す霧切さんというのも珍しいし、そんな彼女の横顔は、改めて綺麗だと思う。
 けれど、と思考を切り換える。
 そんな顔をさせてしまっているのは、僕自身だ。一刻も早く誤解を解かなければ。


 ここで発言を間違えてはいけない、更に彼女を傷つけてしまうことになる。


「その、霧切さんに、友達として部屋に呼ばれ…呼んでもらえるなんて、意外っていうか、考えもしなかったんだ」
「……」
「いつも僕の方から誘ってばかりだから、もしかしたら迷惑だったかな、とか考えてたし」
「……そうなの?」


 おずおず、といった感じで、霧切さんが顔を上向かせる。
 野良猫に懐かれているような微笑ましい気分だ。
 もちろんここで頬を緩めようものなら、またさっきのように訝しまれてしまうので、顔を引き締めつつ頷いて返す。


「…あなたじゃないのよ。私は、嫌だったら嫌ってはっきり言うわ」


 傷付くというよりも、拗ねたような表情を浮かべ、そっぽを向く霧切さん。
 まだご機嫌は斜めのようだ。それでもさっきまでと比べると、幾分か和らいだように見える。


「そ、そっか…でも、うん。友達として呼んでくれたのなら、光栄だし―――」
「…それよ」
「えっ?」


 上手く弁解できた、と胸を撫で下ろしたのも束の間。
 やや喰い気味に、霧切さんが僕の言葉を遮った。


「さっきから緊張だとか、光栄だとか…友人相手に、そんな言葉を使うものなの?」


 どうも、友人という枠にこだわっているらしい。
 霧切さんは憮然として、僕を非難する。


 そんなこと言われても、なんてったって相手は『超高校級』の学生だ。
 抽選で選ばれた僕とは違って、その才能を認められてスカウトされた、本物の才能の持ち主。
 友人と呼ばれたところで、どこか遠い存在だという事実は変わらない。
 女の子の部屋に呼ばれているっていうだけでも緊張するのに。

 

 余程僕が顔に出やすいのか、それとも霧切さんの勘がいいのか。
 見透かしたように、ジト目で僕を睨んで、


「……朝日奈さんとは、『恋人ごっこ』までしたそうね」


 そんな爆弾を投下してきた。

 

 ギシリ、と身体が固まった。
 なぜ、そんなことを知っているんだ……!?

 

「い、いや、アレは……朝日奈さんが悩んでるっていうから付き合ったのであって、けっしてやましいことをしたワケじゃ…」

 舌が上手く回らない。どんな言い訳だ、これは。


「…それだけじゃないわ。セレスさんはあなたのことを、Cランクのナイトと評していたわよ」
「な、何度かチェスと紅茶に付き合っただけなんだけど…」
「舞園さんも、あなたを信頼して随分と悩み事を打ち明けているそうね」
「ホラ、同じ中学だし…話しやすいとか、あるんじゃないかな、ハハ……」


 恐るべし、女子の情報網。いや、探偵の調査力。
 僕のプライバシーはどこへ。


「彼女たちとはそこまで信頼関係を築いているのに…どうして私にだけ気を遣っているの…?」


 それは探偵としての追求、というよりも。
 思い通りにいかなくて拗ねた、子どものような口ぶりだった。


「…それとも、友好的な関係を築けていたと思っていたのは……私の思い上がりだったのかしら」


 霧切さんは唇を尖らせて、膝を抱く。
 横目でしっかりと僕を睨みながら、返答を待っている。


 体勢を変えた彼女から、ふわり、といい匂いがした。
 甘い匂いだった。シャンプーや香水ではなく、きっと、女の子の。
 膝に乗せた腕、そのシャツの裾から、ちら、と脇まで覗いた。

 

 くらり、と熱に浮かされる。
 彼女を傷つけない答えを探していた僕の頭は、その熱で僅かに溶かされて。


「……あの、間違ってたら、申し訳ないんだけど」


 とんでもない言葉を口走らせたのだ。


「霧切さん、もしかして……嫉妬してるの?」

 

 ヒィン、と部屋の空気が音を立てて凍りついた。
 熱で溶けた思考が、急速に冷やされて戻ってくる。
 僕は、何を、言ってるのか。


「っ……! ご、ごめん、今の無し! 聞かなかったことに…!」


 ああ、せっかく部屋に招いてもらったのに、これじゃあ台無しじゃないか。
 いつも一人でいる霧切さんがどこか物寂しげに見えたから、友達になれれば、と思って。
 何度もしつこいかもってくらいに誘って、やっと少し心を開いてくれた矢先に。


 ただでさえ気難しい彼女のプライドを逆撫でする言葉を吐いてしまったのだ。
 しかも、自惚れのような台詞。


 突き刺さるような冷たい視線を予想して、おそるおそる彼女の方へ向き直る。
 と、霧切さんはもう、僕の方を見ていなかった。
 不機嫌全開、といった具合に何もない部屋の隅を睨みつけ、服の裾をギュッと握りしめて、


「……」


 そして、耳を真っ赤に染めて。

 

「あ、あの、霧切さん…?」
「……」


 ジロリ、と不機嫌そうな瞳だけ、そのまま僕の方を見る。
 口元は膝に埋めたままだ、何もしゃべらない。


「えっと、その…今のは、からかおうとか、そういう意図じゃなくってさ」
「……」
「ちょ、ちょっと自惚れちゃったというか、そうだといいなって願望っていうか」
「……」


 無言の威圧である。
 けれど、いつもの彼女の背筋も凍るような冷たい視線ではなかった。
 心なしか、目元も潤んでいるような気がする。
 怒らせてしまったのとは、何か違うような。


「あのさ、でも僕もホントに霧切さんと仲良くしたいと」
「……帰って」


 フォローを切り出そうとした言葉を遮られる。
 霧切さんはおもむろに立ち上がると、僕の手を引いて同じように立ち上がらせる。


「うわ、っと、」


 それから流れるような動きで背中に回り込むと、ぐいぐいと後ろから押すのだった。


「き、霧切さん!?」
「…今日は帰って。お願いだから」
「ほ、本当にゴメン…! 僕、」
「そうじゃなくて…!」


 振り向こうとすれば首を押さえられ、足を止めようにも、悲しくも体格差で力負ける。
 なんというか、その必死さに霧切さんらしくなさを感じてしまう。
 それでもせめて、目を見て謝らせてほしかった。
 今日の僕は、本当に彼女に失礼な言葉を幾つもぶつけてしまったから。


 そうして振り向こうとする僕と、部屋を追い出そうとする霧切さんの取っ組み合いが、少しだけ続いて。


 彼女が僕の背後から、ドアノブに手を伸ばした、ほんの一瞬。
 その隙をついて、僕は彼女に抑えられている腕と逆方向に回転し、彼女に相対することができた。
 霧切さん、待って、と、言おうとして、取り繕う言葉を探した口は、けれども固まってしまう。


「―――……苗木君のくせに、ナマイキよ」


 それは本当に一瞬で、その言葉とともに、僕は部屋の外に追い出されてしまう。
 後ろ向きに転倒しそうになるのを、なんとか体勢を立て直そうとするうちに扉は閉まり、ガチャリ、と鍵の掛かる音。


「…今日はもう、顔を見られたくないから、帰りなさい。…いいわね」


 扉の向こうから、くぐもった声でそう言われ、僕はしぶしぶ彼女に別れを告げたのだった。


 顔も見たくない、ではなく、顔を見られたくない、とはどういうことだろうか、と、僕は熱の残る頭で考える。
 あの一瞬。今までに見たこともない霧切さんの表情。頬と目元を緩ませた、柔らかな。
 耳まで真っ赤だったことを考えると、けっして不機嫌にさせてしまったわけじゃないんじゃないか、と、僕は自分の部屋に戻るまでの短い帰路で考えたのだった。

 

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