『超高校級の希望』の希望

ボクらが希望ヶ峰学園を『卒業』してから、10年の時が過ぎた。

季節は春。絶望に覆われていた世界は、未来機関の手によって徐々に元の姿を取り戻しつつある。まだまだ事件の爪跡は残っているものの、人類は前を向いて確実に一歩を踏み出したのだ。

「霧切さん。コーヒーが入ったよ」
「ありがとう」

この10年間、ボクは全力で世界再建のために戦い続けた。こう書くと大層なことに思えるかもしれないけど、実際は目の前にある問題に片っ端からぶつかっていただけだったりする。
辛いこともあった。心が折れそうになることもあった。それでもここまで来れたのは、心強い仲間たちがいたからに他ならない。

「……あら。豆、変えた?」
「うん。たまには他のも使ってみようと思って。どうかな」
「前のもよかったけど、個人的にはこっちの方が好みかしら」
「本当? じゃあ今度からそれにするよ」

椅子に腰かけてコーヒーをすすっている女性――霧切響子さんも、その仲間のひとりだ。彼女の明晰な頭脳と、滅多なことでは動じない冷静さに、ボクらは幾度となく助けられてきた。

「……どうしたの、ニヤニヤして。私の顔に何かついてる?」
「ああ、ごめん。そうじゃないんだ。こうして霧切さんと一緒にゆったり過ごせる時間があるって、なんだかいいなと思ってさ」
「ひょっとして、口説いているの?」
「ち、違うよ! そういう意味じゃなくて、ボクはその」
「わかっているわ。だって苗木君だもの」

そう言って、霧切さんは口元を緩める。出会ったばかりの頃と比べて、彼女は本当に表情豊かになった。
でも、ボクだものってどういう意味なんだろう。

「学園を出てから今に至るまで、私たちには立ち止まる暇さえなかった。ようやく小休止ができて、心が安らいでいる。そう言いたいのよね」
「う、うん。そういうこと」

現在、ボクたちは一応未来機関に所属していることになっている。
一応、というのは、ほとんど仕事が回ってこないからである。

「世界修復の目処がはっきり立った以上、機関の上層部が『問題児』である私たちの力を必要とすることはないでしょうね。そろそろ転職も視野に入れないと」

ボクや霧切さん、それに十神クン、葉隠クン、朝日奈さん、そして腐川さん。希望ヶ峰学園OBであるこの6人は、機関から抜け出したり命令に背いたりなど、いろいろと上の方の人たちの手を焼かせていた。
復興が進み人手不足も解消された今となっては、ボクら厄介者をわざわざ使うつもりはないのだろう。
『今までよくやってくれた』なんて言いながら完成したばかりの高級マンションの一室を与えたのだって、いわば手切れ金のようなものだ。

「転職か。霧切さんは……聞くまでもないよね」
「そうね」

否定しないということは、やはり彼女は探偵業を再開するつもりらしい。

「あなたはどうなの? やりたいこととか、決まっているのかしら」
「うーん……ちょっと時間はかかるかもしれないけど、教師なんてどうかなと」
「教師……へえ、いいんじゃないかしら。似合っていると思うわよ」

新しい時代を作っていくためには、次の世代を担うことになる子供たちの育成はもちろん必要不可欠だ。政府もそれをわかっているからこそ、学校の再建を急ピッチで進めている。
ただ、肝心の教師の駒が足りないのである。なので応急処置として、教員免許を得る難易度が下げられた。ボクみたいな平凡な頭の持ち主でも、努力すれば半年もかからずに先生になることができるようになった。

「苗木君は人望があるから、子供たちもきっと懐いてくれるでしょうね」
「人望って……ボクにそんなものあったかな」
「あの堅物の十神君が、あなたにあれだけ柔らかい態度で接している理由を、もう一度よく考えてみるべきね」

……柔らかい? 会うたびに何かしら嫌味を言ってくる十神クンの、あの態度が?
そりゃあ、出会った当初に比べればずっとよくなったのは事実だろうけど。それならボクだけじゃなく他のみんなにだって当てはまるはずだ。

「それは違うよ霧切さん。十神クンは――」

言いかけたところで、机に置いてあった携帯電話がブルブルと震えはじめた。
画面を開くと……噂をすればなんとやら、だった。

「ちょっとごめん」

一言霧切さんに断ってから、通話ボタンを押す。

「もしもし。どうしたの、十神クン」
『苗木。今夜の予定は空いているか』
「うん、大丈夫だけど」
『なら決まりだ。飲みに行くぞ』
「いつものバーだね?」
『そうだ。時刻は……そうだな、8時にしておこう』
「わかった。8時にバーで集合だね」

確認をしてから、ボクは通話を切った。たまにこうして、十神クンから誘われることがあるのだ。

「彼、いつか言っていたわ。俺は人前で酒は飲まないと」
「彼って、十神クンのこと?」
「ええ。理由は、酔った勢いで余計なことを言ってしまうのを嫌っているから。つまるところ、弱みを見せたくないのよ」
「でも、ボクはもう何度も飲みに誘われてる」
「そう。あなたの前では、十神君はお酒を口にしている。ここまで言えばわかるわね?」

……確かに、ボクは彼にある程度気を許してもらっているのかもしれない。だとすると、それはうれしいことだと思う。

「飲みに行くのなら、夕食はいらないということでいいかしら」
「そうだね。外で食べることになるだろうから」

今日の晩御飯の当番は霧切さん。掃除当番はボクだけど、午前中に片付けておいたから問題はない。

「あまり飲み過ぎては駄目よ。酔って騒いだりして、未来機関の人間が警察のやっかいになったりするのはよくないわ」
「大丈夫だよ。十神クンが案外お酒弱いから、彼と飲む時は控えめにするって決めてるんだ。ボクまで潰れたりしないように」
「そういえば、前にもそんなことを言っていたわね」

ぱっと見ではお酒なんかにやられたりしなさそうな雰囲気なんだけどなあ。

「………」
「どうかした?」

急に無言になった霧切さんに話しかけると、彼女はなんだか感慨深げな表情を浮かべていた。

「大したことじゃないわ。ただ、あれからもう10年も経ったんだ……そう思っただけ」
「……そうだね。もう、10年だ」

いろんなことがあり過ぎて、あっという間の10年だった。気づけばボクらも27歳で、立派にアラサーと呼べる域に達してしまっている。
そんな三十路間近のボクと霧切さんは、現在こうしてひとつ屋根の下に暮らしているわけだけど……別に、恋人関係にあるとか、そういうのではない。

「私も晴れて、婚期を逃した女の仲間入りかしら」
「ま、まだ大丈夫だと思うけど……」
「そう?」
「うん……多分」
「頼りないわね」
「はは……ごめんなさい」

単純に、2人の方が家事の負担も減るし楽だと考えたから。それだけの理由で、ボクら2人は同居生活を行っている。
いつか、霧切さんにいい人が見つかった時には、ここを出ていくことになるだろう。それはボクも同じだ。
異性同士ではあるが、やっていることはただの友人同士のルームシェアにすぎない。
……もちろん、彼女を女性として認識していないわけじゃない。
なにせ霧切さんは美人で、20代後半になって熟成された大人の魅力みたいなものも大いに感じられる。お風呂上りの頬が上気した姿にドキリとさせられたことも一度や二度ではない。
だけど、それが『付き合いたい』とか『結婚したい』という気持ちにつながるのかと言うと。

「どうしたいんだろうな、ボクは」

午後8時。
苗木君が出かけた後で、来客を告げるインターホンが鳴り響いた。

「霧切ちゃん、映画観ようよ!」
「……すごく唐突ね」

やって来たのは、同じマンションの一室に部屋を借りている朝日奈さん。
名作映画のDVDを借りたので、一緒に鑑賞しようと考え私を誘いに来たらしい。

「苗木は?」
「彼なら外出中よ」
「ならちょうどいいね。女の子同士、ガールズトークで盛り上がろう!」
「もう女の子やガールと言える年齢は過ぎたと思うのだけれど」
「それは禁句! 気にしてるんだから!」

頬をふくらませる朝日奈さんを見て、私は思わず顔をほころばせる。
彼女の快活な部分は、以前と何も変わっていない。それに助けられたことが何度もあった。

「それで、どうかな。今ヒマ?」
「そうね。特にやることもないし、付き合いましょうか」

朝日奈さんの部屋に移動して、2人で映画鑑賞を始める。映画の題名は、私も名前くらいは聞いたことがあるようなファンタジーものだった。

「そういえば、霧切ちゃんは結婚とか考えてるの?」

物語が主要人物の結婚式の場面にさしかかったところで、そんなことを問いかけられる。

「結婚と言われても、まず相手がいないことにはどうしようもないわ」
「またまたあ。相手ならちゃんといるじゃん!」
「……ひょっとして、苗木君のこと?」
「そうだよ? だって同居してるんだし」
「私たちはそういう関係ではないわ」
「またまたあ」
「本当よ」

きっぱり否定すると、朝日奈さんは目を丸くして驚いていた。

「……本当に?」
「本当に」
「嘘……ずっと恋人同士だと思ってた。未来機関でもいつも一緒にいたし」

確かに、彼とともに行動する機会はかなり多かった。そういうところも含めて、誤解を与えてしまっていたのかもしれない。

「苗木君のことは、もちろんいい人だと思っている。でも、そういう気持ちにはなれないの」
「そうだったんだ……私はてっきり、もう何度もエッチなことをしてるんだろうなあって」
「……そう」
「……今ちょっとギクッてしてなかった?」
「気のせいよ」

朝日奈さんの言葉に、思わず動揺してしまった。表に出さないようにしたつもりだったが、どうやら看破されてしまったらしい。自覚はあるのだけれど、苗木君のことになると私は自分を隠すのが下手になる。

「ねえねえ、どうしたの? 何か隠してる?」

興味津々とばかりに追及してくる朝日奈さん。

「そ、それより映画を観ましょう。ほら、今いいところみたいだし」
「ちゃんと見ながら霧切ちゃんの話も聞くから大丈夫だよ」

あっさり逃げ道を封じられる。
もちろん、頑なに口を閉ざすこともできるのだが……彼女の無邪気な様子を見ていると、その気持ちも失せてしまった。観念して打ち明けることにしよう。

「私と苗木君は付き合っていない。だけど、そういう行為をしていないわけではない」
「え? それってつまり」
「数年前から、何度も体を重ねあっているわ」
「……え、ええええっ!?」

先ほど以上に驚愕の表情を浮かべる朝日奈さん。貞操観念に関して非常にピュアな彼女にとっては刺激的な内容だったと思われる。

「つ、付き合ってないのにエッチしてるって……ま、まさか苗木に無理やり!?」
「彼がそんなタイプに見える?」
「うーん……確かに。でも、男はみんなケダモノになるかもしれないし」
「とにかく、私は別に襲われたわけではないわ。初めての時は……どっちが求めたのだったかしら」

いや。どっちがとかではなく、互いが互いの体に触れようとしたのだったか。

「えっと。どうしてそんなことになったのか、聞いていいかな」
「構わないけれど、たいした話じゃないわよ」

困惑する朝日奈さんに向けて、簡潔に事情を説明する。お互い、映画を観るという当初の目的は気にしなくなっていた。

「彼も私も、いろいろなことが重なって心が弱っていた。だから異性の体にすがった。快楽に溺れることで、一時的に現実から逃げていたのよ」

絶望との戦いは、生半可なものではなかった。あの前向きな苗木君でさえ、何度も何度も弱音を吐いたほどだ。
だから、それを紛らすために行為に走った。
純愛小説のような、愛を囁く言葉などはもちろんなく。ただ貪欲に相手の体を求め、性欲を満たした。そうすることで、明日を生きる活力を得ていたのだ。

「な、なんだか大人な関係だね……」
「実際大人でしょう」
「そうだけどさ……あ、でも」

何かに気づいた様子の朝日奈さんは、ポンと手を叩いた。

「心が弱った時にしてたってことは、最近はそういうことやってないんだよね?」
「そうなるわね」

復興作業が軌道に乗った今となっては、精神を削られるような事態にはそうそう陥らない。私も彼も、快楽を必要とはしなかった。

「納得してもらえたかしら」
「うん……私が深入りするような話題じゃないってことはわかったよ」

こくりと頷き、彼女はテレビに視線を戻す。いつの間にか、物語はクライマックスらしき戦いに突入していた。

「霧切ちゃん、絶対苗木のこと好きだと思ってたのになあ」

主人公と悪の軍団の戦いを見ながら、朝日奈さんがぽつりとつぶやく。
その言葉に対して、私は返事をすることも、表情を変えることもしなかった。

「お前たち、まだ交際していなかったのか」
「う、うん。そうだけど」

バーでお酒を飲んでいる最中、話題がボクと霧切さんの関係に移った。

「妙な話だな。確か今は同棲しているのだろう」
「それはほら、2人暮らしの方が何かと便利だからさ」

ボクの説明を聞いた後でも、十神クンの視線は懐疑的なままだ。

「お前は霧切のことをどう思っている?」
「どうって、それはもちろん」
「先に言っておくが、仲間としてではなく女としての霧切の印象を聞いている」

頼りになる大事な仲間、と答えようとしたら、見計らったかのように問いの範囲を狭められてしまった。

「……魅力的だと思ってるよ。美人だし、性格もいいし」
「フン。俺ならあんな性格の女と同居していれば3日で息が詰まるがな。まあいい、今はお前の主観が重要だ」

ほんのり顔が赤くなっているところを見ると、十神クンはすでに結構お酒がまわっているようだ。
だからこそ、ボクたちのことについて追及してくるのかもしれない。普段の彼なら、どうでもいいと言って何も聞いてこない気がする。

「美人で性格がよく魅力的。なら告白でもなんでもすればいい。違うか」
「………」

それは違うよ、とは言えない。彼の言っていることは正しいからだ。
でも、ボクは。

「わからないんだ」
「わからないだと? 何がだ」

……ひとりでうじうじ悩んでいても、仕方がないのかもしれない。
いい機会だと思ったボクは、心の内を十神クンに明かしてみることにした。

「なるほど。それがお前の悩みか」

ボクの話を黙って聞いてくれていた十神クンは、グラスを傾けてわずかに残っていたお酒を飲み干した。

「実に愚かな思考だな」
「お、愚かって……」
「これだけは言っておくぞ。欲しいと思ったのなら、余計なことは考えずに手に入れようと努力しろ。それができないのなら、所詮はその程度の想いだったということだ」

そう言って、彼はボクをじっと見つめた。口調は厳しいけど、きっとこれは十神クンなりに激励してくれているのだろう。

「ありがとう、十神クン。おかげで何か見えてきそうだよ」
「フン、俺はただ思ったことを言っただけだ。……この話は終わりだ」

その後は、2人で他愛もない話をして時間を過ごした。そして、日付けが変わろうかという頃合いに会計を済ませ、店を出る。

「苗木。俺のもとに来る気はないか」
「それって、十神家に仕えろってこと?」
「そうだ。俺はこれでもお前の能力を買っている。悪いようにはせんぞ」

帰り際、いきなり向こうからスカウトを受けてしまった。

「……ごめん。今はボク、教師になろうと思ってるんだ」
「教師? ……なるほど、確かにお前には適任かもしれんな」

霧切さんと似たような反応を見せた十神クンは、そのままボクに背を向ける。

「フッ。俺の誘いを断ったことを後悔しないよう、せいぜい努力することだ」
「あ、うん……頑張るよ」

応援……してくれてるんだよな。
夜の雑踏に消えていく彼の背中を見送ってから、ボクも自宅に向けて歩き始めた。
……霧切さんとのこと、ちゃんと決めないとな。

あれは、苗木君と初めて一緒に寝た夜のこと。
ふと夜中に目を覚ました私は、何をするわけでもなくぼーっと彼の寝顔を見つめていた。

「あどけない顔して……意外と中身はケダモノなのね」

先ほどまで自分達が行っていたことを思い出すと、顔が熱くなるのを感じる。
互いに服を脱ぎ捨て、手探りで始まったその行為。でも気づけば、私も彼も狂ったように相手の体を求めていた。あれこそ、人間の本能というやつなのだろう。

「苗木君」

名前を呼ぶも、返事はなし。ぐっすり眠っているようだ。

「………」

愛から生まれた行為でないことは、もちろん理解している。私たちは、それぞれの心の綻びを補うために体を重ねただけ。『本当にいいの?』と何度も尋ねる苗木君に対して、私が首を縦に振り続けたからこそ成立したにすぎないのだ。
それでも、私の心は暖かな感情で満たされていた。彼の初めてをもらえたことが、純粋にうれしかった。
今さら否定しようがないし、否定するつもりもない。私は彼に惹かれている。
周りの者に希望を与える彼の生き方は、私には決して真似できない。この人と一緒なら、きっと絶望だらけの世界でも生きていける。
そんな風に尊敬しているうちに、いつしか苗木誠という男性に仲間意識以上のものを抱くようになっていた。

「苗木君……寝てるわよね」

再度確認を行ってから、ゆっくりと唇を彼の頬に近づけていく。さっきまでもっと激しいことをやっていたのだし、少しくらいは許される……はずだ。

「ま……」

彼の口から声が漏れたのは、まさしく唇が触れようかという瞬間のことだった。目は閉じているあたり、どうやら寝言のようだが――

「……舞園さん」

――冷や水をぶっかけられたような気分とは、まさしくこのことだろうか。
気づけば、彼の寝顔は悲しそうなものに変わっている。
浮かれた気持ちが急速にしぼんでいく中、私の脳内にはある光景が浮かんでいた。
あの悪夢のようなコロシアイ生活。学級裁判を終えた後など、節目の出来事が過ぎるたびに、苗木君はある行動をとっていた。
亡くなった彼女――舞園さやかの部屋の前で、何もせずにただ立っている。『マイゾノ』と書かれたネームプレートを見つめる彼の姿を、私は何度も目にしていた。

「それだけ、彼女のことが大切ということ」

舞園さんの死を引きずっていく。そう語っていた彼の言葉を思い出す。
きっと、苗木君は彼女に好意を抱いていたのだろう。そしてそれは、あれから何年も経った今になっても変わっていない。

「そういうことよね、苗木君」

そう考えると、『彼と一緒になりたい』という気持ちをもつことに臆病になってしまう。彼の想いを押しのけてまで、私のような女の感情をぶつけていいものなのか。
それでも、私は完全には諦められないみたいで。その結果が、今の同居につながっている。ルームシェアの提案は、私から行ったものだ。

朝日奈さんの訪問から、3日が経った夜のこと。

「霧切さん。遊園地に行かない?」
「……え?」

苗木君からの突然の誘いに、一瞬反応が遅れる。

「せっかく暇なんだしさ。平日の遊園地で思い切り遊ぶのはどうかなって」
「それは、わからなくもない意見だけれど……随分急な誘いね」
「ごめん。僕もついさっき思いついただけで。でも、どうしても霧切さんと一緒に行きたいんだ」

私と一緒に行きたい……それも、どうしてもと付け加えてきた。さっき思いついたことの割には、どうにも頼み方が真剣に感じられる。
いったい何を考えて――

「……ダメ、かな」

頬をぽりぽりと掻きながら、苗木君はすがるような目つきでそう尋ねてきた。いつも通り感情がそのまま顔に出ていて、とても腹に一物抱えているようには到底見えない。
……なんでも深く考えすぎてしまうのは、私の探偵としての性であるが、同時に悪い癖でもある。
真意は測りかねるけれど、彼がせっかく遊びに行こうと誘ってくれているのだ。ここは素直に受け入れるべきだろう。

「いいわ。家にいて本を読むだけというのも退屈だし」
「本当!? ありがとう!」

喜びをあらわにする彼の笑顔に、胸をどきりとさせられる。もちろん表には出さないが。

「それで、どこの遊園地に行くのかしら」
「あ、それはね――」

こうして、急遽苗木君とのお出かけが決定したのだが。
よく考えると、これはデートのお誘いなのではないだろうか?

十神クンと飲みに行った日から、ボクはずっと自分のとるべき行動がなんなのかを探し求めていた。
心の中で燻っている想い、そして悩み。それらを解決するために、ボクはどうするべきなのか。
考えに考え抜いた結果……霧切さんをデートに誘うことにした。

「平日でもそれなりに混んでるのね」
「地方最大のテーマパークだからね。早めに並んでおいてよかったよ」

例の事件以前と比べると、遊園地などの娯楽施設の数は減少している。世界全体が復興の途中段階なので、生きるために絶対に必要なもの以外の建設は後回しにされがちだったりするのだ。
だから、数少ないテーマパークに人が集中するわけで。おそらく休日に行っても多くのアトラクションは楽しめないだろう。
でも今日は火曜日で、しかも最前列で入場することができた。

「じゃあ、めいっぱい楽しもうか」
「ええ」

ちなみに、今日の霧切さんはミニスカート着用である。27歳にもなると肌の張りとかを気にして履くことを避けるようになる女性もいるらしいが、彼女はまったく意識していない様子。
それも当然で、スカートからすらりと伸びる脚は引き締まっており、他人に見せるのをためらうような代物ではないからだ。まさしく脚線美という単語がふさわしい。

「……苗木君。そうジロジロ眺められると困るのだけれど」
「あっ、ご、ごめん! つい」

いつの間にか視線が霧切さんの脚に固定されてしまっていたようだ。気をつけないと。

「………」
「霧切さん?」
「なぜ、ついなのかしら」
「え?」

問いの意味が理解できなかったボクが聞き返したところ、彼女はちょっぴり恥ずかしそうにそっぽを向きながら答える。

「どういう経緯で、あなたは『つい』私の脚を凝視してしまったのか。それを聞いているのよ」
「え? それは、その……」
「脚フェチだから?」
「それは違うよ! ボクが特別脚が好きなんじゃなくて、霧切さんの脚が特別きれいだった、から」
「……そう」

勢いに任せて大胆な発言をしてしまったけど、どうやらまんざらでもないらしい反応が返ってきた。霧切さんは色白なので、頬が赤くなると結構わかりやすいんだ。

それからは、時間をいっぱいに使って遊園地のアトラクションを楽しんだ。

ジェットコースターにて。

「何回乗っても、この頂上に昇るまでの時間は慣れないなあ」
「あら、怖いの?」
「まあね。そういう霧切さんは?」
「私はなんともないわ」

さすが霧切さん、肝が据わってるな――と思いかけたんだけど。
よく見ると、ほんのちょっとだけ顔がこわばっていた。

「どうして私を見てにやついているのかしら」
「いや、なんでもないよ?」

ちょっと微笑ましいと思ったのは、内緒にしておこう。




お化け屋敷にて。

「ここのお化け屋敷には、時々本物の幽霊の影が出るって噂らしいよ」
「ただの噂でしょう。幽霊なんて現れるわけないわ」
「そうかな……ところで霧切さん。さっきから妙に早足なのは」
「気のせいよ」
「せっかくなんだしもう少しゆっくり楽しんだ方が」
「気のせいだと言っているのがわからないのかしら」

有無を言わさずごり押しされてしまった。
でも、隠そうとしても怖がってるのは丸わかりなんだよな……
霧切さんは意外とお化けが苦手。覚えておこう。




犬と触れ合うコーナーにて。

「霧切さん、ここに来たかったんでしょ?」
「……よくわかったわね。私は何も言ってないのに」
「さっきここの近くを通った時、興味ありそうな感じだったから」

とはいっても、一瞬犬を凝視していた程度のものだけど。

「苗木君にも観察眼が備わってきたのね。どう、探偵やってみる?」
「遠慮しておくよ。霧切さんのことだから見抜けただけだし」

伊達に何年も一緒にいるわけじゃない。出会ったばかりの頃は何を考えているのかさっぱりわからなかったけど、今では些細な表情の変化などをある程度敏感に察知することができるようになった。

「今後は用心するわ。あなたに感情を気取られないように」
「そこは用心しなくてもいいんじゃないかな。霧切さんだって、よくボクの考えてることを先読みしてるわけだし」
「私があなたの思っていることを当てるのはいいけど、その逆はなんだか癪なのよ」
「ええー……?」

一日中遊び倒して、もうそろそろ閉園時間が迫ってきたころ。
最後の締めということで、ボクらは観覧車に乗ることにした。

「いい眺めだね」
「夕方に乗ったのは正解ね」

ゴンドラが上昇するにつれ、夕陽に照らされた美しい風景がよく見えるようになる。霧切さんも満足してくれているみたいで、窓の外をじっと見つめていた。
そんな彼女の横顔は、射し込んでくる夕陽の光と相まってとてもきれいだった。

「………」

今日一日、霧切さんと一緒に過ごして、ようやく自分の気持ちがはっきりわかった。

「きれいな風景ね」
「そうだね。でも、霧切さんの方がきれいだ」
「どうしたのいきなり? ひょっとして、口説いてる?」
「うん、口説いてる」

冗談めいた口ぶりで唇の端をつり上げる彼女に対して、ボクは迷うことなくそう言い切った。
その反応が予想外だったのか、彼女は目を見開いて一瞬固まった。

「……冗談?」
「ボクが本気で言ってるってこと、霧切さんならわかるはずだよね」

洞察力に優れた彼女。バカ正直なボク。見抜くのは容易なはずだ。

「確かに、嘘や冗談の類には思えない。けれど……」
「霧切さん。ボクは君のことが好きなんだ」

珍しく戸惑いの表情をあらわにする彼女に、これ以上ないくらいはっきりと言葉を突きつける。

「ずっと悩んでいたんだ。ボクのような平凡な人間が、君に釣り合うのかって。恋人でもない君を抱いてしまったボクが、君を好きになっていいのかって」
「………」
「でも、もう抑えきれない。釣り合うのかとかふさわしいのかとか、そういう思いを全部引きずってでも、ボクは霧切さんと一緒にいたい」

自分勝手な願いだとは思う。他の要素をすべて取っ払って、自身の感情だけを優先しているのだから。

「……あなたは自分を過小評価しているわ。私に釣り合うのかなんて、考えるまでもないことよ」

少し落ち着きを取り戻したらしい霧切さんは、目を伏せて優しい言葉を投げかけてくれた。しかし、その表情は明るくない。

「でも、舞園さんのことは?」
「舞園さん?」

想定していなかった名前が登場したので、思わず面食らってしまった。

「あなたは、舞園さんのことを好きだったのでしょう? 今でも大切に思っているのではないの?」

そう言って、霧切さんはボクらが初めて一緒に寝た夜の話をした。それによると、ボクは彼女がが隣で寝ているのにもかかわらず別の女性の名前をつぶやいてしまったらしい。

「確かに、ボクは舞園さんのことが好きだったのかもしれない。だから彼女の死はショックだったし、これからも忘れるつもりはないよ。忘れちゃいけないものでもあるしね。舞園さんだけじゃなく、犠牲になった他のみんなのことも」

彼女の笑顔は素敵だったし、彼女の声は魅力的だった。それが恋だったのかは今となってはわからないけど、それに近い感情を持っていたのは間違いないと思う。

「でもね、霧切さん」

ゴンドラが、観覧車の頂点に到達する。でも、ボクは景色に目もくれず彼女を見つめていた。

「ボクは、今ここにいる君を大切にしたいんだ。今ここで生きている霧切響子という人に、恋をしているんだ」

たくさんの命が失われた。だからこそ、今ある命を、愛しい人を大事にしたい。

「手放したく、ないんだ」

霧切さんの反応を待つ。
彼女はぎゅっと拳を握りしめ、下を向いたまま顔を赤くしていた。

「……私は、女らしくないわよ?」
「それは違うよ。一緒に暮らしていて、霧切さんが魅力たっぷりなことはわかってるんだから」
「仕事を大事にする女よ。そのせいで、あなたによくない思いをさせるかもしれない」
「平気だよ。探偵の仕事に誇りを持っているところを含めて、ボクは霧切さんの全部が好きなんだ」
「あと」
「霧切さん」

ネガティブな発言を続けようとするのを止めて、彼女に向かって笑いかける。

「月並みな言い方しかできないけど……幸せにするから」

霧切さんがハッと顔をあげる。ボクの気持ちは、きちんと伝わったのだろうか。

「……幸せにするだなんて、告白を通り越してもうプロポーズなのね」
「え? ……ああっ! いや、これはその、ちょっと気が急いたというか、でもいずれはそうしたいなと思っているのも確かだし、つまり」
「わかってるわ」

いつの間にか、彼女の態度はいつもの余裕たっぷりなものに戻っていた。

「せっかく格好よかったのに、最後に焦ってしまっては締まらないわよ?」
「うう……面目ないです」
「ふふ……でも、うれしかった」
「え?」
「私もあなたのことが好きよ、苗木君。だから返事はイエス」

あっさりと、彼女は自らの想いを口にする。
あんまり自然に言うものだから、告白を了承してもらえたことを理解するのに若干時間を要してしまった。

「バカ正直でお人好しで少し天然で、けれど優しくてひたむきで頼もしい。そんなあなたのことが、ずっと前から好きだった」
「ずっと前から……そうだったの?」
「どんな事情であれ、私が好きでもない男の人に体を許すと思うかしら?」
「……言われてみれば、そうだね」

ということは、ボクは何年もの間霧切さんからの好意に気づかず過ごしてきたのか。

「ボクたち、結構前から両想いだったみたいだね」
「道理で朝日奈さんに付き合っていると勘違いされるわけね」
「ボクも十神クンに言われたよ」

遠回りをしてしまったのかもしれないけど、その分は今からでも十分に埋められるはずだ。
何より今は喜びの気持ちでいっぱいで、過ぎ去った時間をもったいないなどと考える余裕は微塵もなかった。

「改めて、これからよろしくね。霧切さん」
「………」
「霧切さん?」
「ねえ。名字で呼ぶのって、なんだか他人行儀じゃないかしら」
「え?」
「だって、あなたは私の家族になる人に立候補したんでしょう?」
「ええっ!?」

にやりと笑う霧切さん。いや確かにその通りだけど、そうはっきり言われると恥ずかしい。

「だから、名字ではなくて、その……ここまで言えばわかるわね」
「えっと、じゃあ……響子さん?」

下の名前で呼ぶのは初めてだから、なんだか奇妙な感じがした。

「正解よ。こちらこそよろしく頼むわ、誠君」

でも、彼女はちゃんと満足してくれたみたいで、笑顔でボクの名前を口にしてくれた。
それと同時に、ボクは下の名前で呼ばれることの幸福感みたいなものを実感したのだった。

「……もうすぐ、下に着くね」
「最後のアトラクションだったのに、後半はまったく外を見られなかったわ」
「あはは……なら、最後だけでも風景を楽しもうか」
「そうね。それもいいけれど」

そこでいったん言葉を切って、響子さんは黙ってボクの顔を見つめる。
銀色の髪が夕陽に照らされ、美しく輝いている。
そしてその頬がこれまで以上に朱に染まっているのを見て、ボクは彼女の意図することを察した。

「誠君。目を閉じてもらえるかしら」

――これから先、何が起こるかわからない未来が待ち受けているだろう。
なにせ、あんなとんでもない事件が現実で起きたのだから。宇宙人がやって来たなんて言われても、今なら信じてしまうかもしれない。

それでも、彼女と一緒ならきっと生きていける。根拠はないけど、確信はある。
いつだったか、彼女はボクのことを『超高校級の希望』だなんて呼んでいたけれど。
ボクにとっては、彼女こそが希望なのだから。

Fin
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