あなたの隣で 3章 空白の6年間(1)

 6年前――誠は響子から、自分は3日後にロンドンへ行くのだと急に告げられた。そこで探偵として活動するのだと。その言葉を聞いた瞬間、誠は真後ろから頭を鈍器で殴りつけられたような衝撃に襲われた。その顔はサッと青ざめ、暑くもないのに大量の汗を滲ませていた。

「え? なんで……? そんな話、急すぎるじゃないか! それに3日後って……」
「……実は結構前から決めていたのよ。もう住む所も手配してあるの」

 その時響子は気まずそうに誠の顔から視線を外した。その様子から誠は、彼女がまだ迷っているのではないかと考えた。自分になら止めることが出来るのでは――と。

「……行かないでよ」
「え?」
「ロンドンになんて行かないでよ。僕は……君に会えなくなるなんて嫌だ。だから――」
「苗木君……ごめんなさい……」
「――っ! どうして……?」
「……ごめんなさい、言いたくないわ」

――このままここに居たら私はあなたに甘えてしまう……そしてあなたを危険にさらしてしまう……私は、あなたを失いたくない。

 響子は、理由を話すことで誠が自身を責めるのを避けようとしていた。そして自分が、誠を言い訳に逃げることを本人に知られたくなかった。しかし、誠もだてに超高校級の探偵と一緒に過ごしていたわけじゃなかった。

「僕が、原因なの? ……じゃなきゃ、君は僕に謝る必要もないし、理由だって言えるはずだよね。それに」
――すごく、つらそうな顔をしている。

 誠は知っていた。いつもポーカーフェイスを崩さない彼女が、つらそうな顔を見せるときはたいてい自分が関わっていたことを。
 響子は知らなかった。いつもニコニコと笑う、平凡で頼りなさげな彼が、こんなにも自分を、自分以上に分かっていてくれたことを。
 しかし、ここでは肯定してはならない。響子は必死に冷静を装った。

「違うわ。あなたが原因というわけではないの」
「……それじゃあさ――僕も連れて行ってよ」
「え? あなた何を言って……」
「僕は、君の隣にいたい。一緒に行きたい」

 響子は彼が冗談を言っているのかと、思った。しかしその瞳はまっすぐ響子を捉えており、口調も真剣そのものだった。第一バカ正直な彼がこんな冗談を言えるわけもなかった。つまり――誠は本気だということだ。

「霧切さん、僕はね……」

 誠は静かに、しかし強い意志を込めた口調で話し出す。

「君のことが好きなんだ。ずっと隣で君を支えていきたいんだ。……霧切さんは、僕のこと嫌い?」
「――っ、嫌いだなんて……むしろ私も、あなたのことが――苗木君のことが好きよ」
「だったら―― 「でも一緒に連れては行けない」」

 誠は遮られた言葉に意表を突かれ動揺した。彼には響子に拒絶される理由がわからなかった。

「私は……あなたのことが好き。だから、一緒に居られないの」
「どういう、意味? 意味が分からない……」
「私は探偵なの。いつだって危険が付きまとうわ……。そんな危険に、好きな人を巻き込もうと思う人間がどこに居るの?」
「そんなの! そんなの関係――「あるのよ」」 

 響子は誠に反論させなかった。ここではっきりと拒まなければ、彼は本当に付いて来そうな勢いだった。

「たとえばあなたは、暴漢に襲われて対処できる? 相手は、刃物を持っているかもしれないし、もしかしたら拳銃を持っているかもしれない……そうでなくとも何か体術を心得ているかもしれない。あなたはそういう危険を対処できる?」
「そ、それは…………」

 響子に正論を突きつけられ、誠は言葉を失う。そして、彼女が自分を拒む意図も理解できた。確かに体力・知力・能力すべてが平均的な誠には、実際に響子の言うような
危険に遭遇した場合、成す術もなく命を落とすかもしれない。いや、確実に落とすだろう。そして何より、響子の命まで危険にさらしてしまうかもしれない。
 誠は、自分に力が無いせいで彼女に拒絶されたのだと分かると愕然とした。しかし、感情は理屈ではどうしようもできなかった。

「でも……でも、君と離れたくないんだ……君が居なくなったら、僕は、僕は……」
――どうなってしまうかわからない。

 誠は俯いたままぽつり、ぽつりと気持ちを吐露する。
 響子は、自分が生まれた時から探偵であることに、誇りを持ってはいても、疑問は抱いたことさえなかったが、ここへ来て初めて探偵である自分を恨めしく思った。
 今にも泣きだしそうな彼を見て、胸が締め付けられ息苦しさを響子は感じる。すると、無意識に彼女の口は誠にある提案を出していた。

「ねぇ、苗木君。6年後――6年後の今日までに、もし、他に好きな人が出来たならそれでいいし……そのまま私のことは忘れてくれて構わないわ」
「え……何を、言ってるの?」

――本当に私は何を言っているの?

「けれど、6年経っても変わらず私のことを好きだと言ってくれるなら、その時は――私の所へ来て……本当に危険なんて関係ないくらいに、強くなって……」

――どうして6年後なんて数字が……でも、6年もすれば彼は忘れてくれるはず。

 響子は自分が馬鹿げたことを言っていると自覚していた。口をついて出て来た6年という年月の間ずっと、彼を縛り続けられるわけがない。
だからこそ、誠には自分を忘れて危険のない場所で幸せになってほしいと彼女は考えた。6年もあれば新たに好きな人の一人や二人出来てもおかしくはないだろう。
つまり、約束は果たされることはなく、誠を危険に近づけることもなくなる、そう響子は思ったのだ。もしくは、この約束自体を彼は受け入れないかもしれないとも彼女は考えた。
しかし――

「――ったよ」
「え?」
「分かったよ。約束、するよ」

 あっさりと自分の予想を裏切る誠に響子は目を見開いて驚いた。そんな響子のことはお構いなしに、誠は真剣な表情で言葉を続けた。

「6年で、僕は君に釣り合う人間になる。霧切さんと一緒に居られるなら、どんなことだってする。……だから、絶対に約束は守る」

 響子にはそれに上手く返す言葉を見つけることが出来なかった。ただ一言、静かに呟くしかできなかった。

「そう。ありがとう――苗木君……」


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