k19_609-615

「おい、霧切。お前に話がある」

 そう私に突然十神君が話しかけてきた。正直、驚いた。彼は私を目の敵にしているようだったから。

「……何かしら? 私に改まって話がある、だなんて珍しいわね」

 彼の表情はいつもどおり、相手を見下しているような高慢さを帯びている。でも次に放たれた言葉は全くいつもどおりじゃなかった。

「そんなことはどうでもいい。それより本題に入るが――お前に俺の子どもを産む権利をくれてやる」
「……何を、言ってるの?」
「何だ、聞こえなかったのか? お前ごときが俺に二度も同じことを言わせるな。十神家の跡取りを産ませてやると言ったんだ。
世界中の女が泣いて喜ぶことだぞ。光栄に思うがいい」

 彼の歪んだ笑みが、声が、いつも異常に気に障った。私らしくもなく、少々苛立ちを声に込めてしまう。

「突然話があるだなんて珍しいと思ったら、今度は冗談? 今日のあなた、かなりおかしいわよ。体調でも悪いのかしら?
 それなら、こんなところで無駄な時間を費やしてないで早く体を休めることをお勧めするわ」
「ふざけるな。俺が冗談など言うわけがないだろう」
「……じゃあ、何を考えているの?」
「フン。お前は他の女どもと違って頭は回るようだし、容姿も悪くない。何より余計な干渉をしてこないからな。
だから、我が十神家の跡取りを産ませるにはお前が一番マシだというだけだ」

 かねてより、十神君に良い印象を持っていたわけじゃないけれど、今回は酷すぎる。さすがの私も彼の他人を軽んじる態度は度が過ぎると思った。

「十神家には確か、特殊な世襲制度があったわよね?」
「そんなものは、俺の代で終わらせる。次期当主は俺だからな。俺の好きなようにするさ」
「そう……悪いけど、いえ、悪いだなんて思わないけどお断りするわ。そういうことだから、さよなら」
「なっ……おいっ、待て!」

 これも珍しい。私を制止する彼の声は焦っていた。それでも、私が振り返るわけがない。彼にもなにか事情があるのかもしれないけれど、
私は苛立ちを抑えられず、歩くスピードにそれは表れていた。その苛立が、第三者の目がそこにあったことを気づかせなかったことを知ったのは翌日になってからだった。

朝、すっかり私は前日のことなど忘れていた。けれどそれは教室へ入った時に否応なく思い出された。ドアを開けたと同時に私に向けられた視線が物語っていた。
昨日のことが噂になっていたのだ。

「霧切さん、おはようございます」
「おはよう、舞園さん」

 教室のおかしな空気を物ともせずに、普段通り舞園さんが私のところへ来て挨拶をしてくれた。少しだけ安堵して息を吐く。でも、それは長くは続かなかった。

「あの、霧切さん? 十神君にプロポーズされたって噂になってますけど……」
「……プロポーズではないわ」
「似たようなことは言われたんですね」

 私は今度は安堵とは別の感情から息を吐いた。気を使って小声で話してくれているものの、周りの視線がどうにかなるものではなかった。

「舞園さん、ちょっと来てくれる?」

 私は不愉快な空気の教室から舞園さんを屋上へ連れだした。この時間の屋上には誰も居ない。色々聞きたいこともあったから、

「……誰が言い出したの?」

 当然私が知りたいのはそれだ。誰かが見ていただなんて気づかなかったのは私の落ち度だ。けれど、いちいち言い触らされるのは良い気はしない。

「確か、最初に言い出したのは腐川さんだったと思います。ひどく混乱しているようで、腐川さんのことだからってみんな最初は気にしてなかったんですけど……泣いてたんです、彼女」
「……そう。さっき姿は見えなかったようだけど?」
「”もう生きていけない”って言って、寄宿舎に帰って行っちゃいました。しばらく学校はお休みするそうです……それにしても、あの十神君がプロポーズだなんて意外ですね」
「だから、プロポーズなんかじゃないって言ってるでしょう」

 大体の経緯は把握できたけど、かなり面倒だと私は思った。放っておけば自然に収まるだろうとも思ったけど、私にはこのことをあまり知られたくない人物が居た。

「とりあえず、状況を教えてくれてありがとう。こんなところまで連れてきて悪かったわね」
「そんな、気にしないでください。それより、教室の雰囲気がちょっとアレですけど……どうします?」
「……そうね、別にどうもしないわ。放っておけば自然に収まるでしょ」

 私の予想は当たった。放課後にはもう、すっかり過ぎたことになっていた。なのに、一番願っていたことはどうしてこうも上手くいかないのだろう。
私はいつもどおり、苗木君と一緒に帰ろうと彼の所へ行った。

「苗木君、帰りましょう」
「え、あ……良いの?」
「何が」
「だって霧切さん十神君と……」
「あなた、鈍感にも程があると思うわよ……とにかく、もう遅いから帰るわよ」

 私が押し切るように言うと彼は肯いて、慌てて帰り支度を始めた。一番気にしてほしくない人が気にするなんて、皮肉なものだと思った。
 苗木君と肩を並べて寄宿舎へ帰るのは、もう私の日常だった。いつも苗木君は色んな話をしてくれて、ころころ変わる表情が退屈しなくて、
私はこのひと時をかけがえのないもののように感じていた。そして、今こそいつもの様に色んな話をして欲しいのに、彼は気まずそうに黙りこんでいる。

「ねぇ、何か言いたいことがあるなら言ったらどうかしら?」
「べ、別に言いたいことなんて……!」
「……私と話したくないってこと?」
「違っ……! そうじゃなくてさ……あの……十神君にプロポーズされたって聞いたんだけど、どうして断ったの?」
「……嫌だったからに決まってるでしょう。何か問題でも?」
「いや、ほら……霧切さんと十神君って結構似合うかもなぁって思ったりして。はははっ……」

――パンッ!

 私の思考が停止するとともに、大きな音が響き渡った。私が、苗木君の頬に平手打ちした音だ。私はすぐに我に、返らなかった。
苗木君が大きい瞳を更に大きくしてこちらを見ている。

「……あなたにだけは……あなたにだけは、そういうこと……言われたくなかったわ……」
「霧、切さん……?」

 しまったと思った。私の視界がぼやける。苗木君の前で涙など卑怯以外の何物でもない。私はその場に居ることに耐え切れず、彼を置いて走りだした。

 僕はひりひりと痛む頬に手を添えながら、遠ざかる彼女の姿をただ見ていた。情けないことに、どうして霧切さんが怒って……泣いてしまったのかわからない。
初めてだ。初めて霧切さんが人前で泣いた。つまり、きっと……僕は余程のことをしてしまったんだと思う。でも、どうしたら良いか分からなくて、
ぐるぐると思考を巡らせながら寄宿舎へ戻ったけど、やっぱり何も分からなかった。

 翌日、いつもどおりの時間に目覚まし時計が鳴ったけど、僕はそもそも寝ていなかった。寝れなかった。霧切さんのことが気にかかって。

――とにかく、謝らなくちゃ。

 教室へ向かう僕の足取りは、まるで重りを付けているように遅い。でも行かなきゃ駄目だ。霧切さんに謝らなくちゃいけないから。その想いだけを頼りに、
着いた先のドアを開いて彼女が居るであろう席の方へ視線をやる。いつも通りに舞園さんの話を聞いている霧切さんの姿があった。
少しだけ僕はほっとすると、自分の席へまず荷物をおいて深呼吸する。そして、霧切さんの所へ近づいた。

「あの、霧切さん……おは――」
「ごめんなさい、舞園さん。ちょっと用事を思い出したから席を外すわね」

 僕の言葉は最後まで紡がれることはなく、霧切さんの視線は一度も僕に向けられることがなく、彼女は僕のすぐ横を通り過ぎていった。

「……苗木君?」
「あ、おはよう舞園さん」
「おはようございます」

 にこりと微笑んで挨拶をしてくれる舞園さんに少しだけ心が救われた気がした。

「霧切さんと何かあったんですか?」
「う、うん。多分……」
「多分?」

 僕の曖昧な回答に当然舞園さんが不思議そうに聞き返してきた。改めて自分の情けなさに泣きなくなってきた。

「えっと、昨日一緒に帰ってる時にね――」

 僕は舞園さんに相談することにした。彼女なら、何か分かる気がしたから。僕のその勘は当たったけど、僕は自分の愚かさを突き付けられることにもなった。

「それは……ちょっと私も最低、としか言えないかもしれません」
「え?」
「苗木君、本当にそんなこと思ってたんですか? 霧切さんと十神君が付き合えばいいって思ってたんですか?」
「純粋に、二人ならお似合いかなって……」
「はぁ……もう、どうしてそんな……」

 舞園さんが凄く大げさなため息を付いて顔を覆った。どうしてそういう反応をするのか僕には分からなかった。
すると、舞園さんはパッとこちらに顔を再び向けた。怒っている、ように見える。

「苗木君は霧切さんのこと好きですよね?」
「え? きゅ、急に何を……」
「好・き・で・す・よ・ね?」
「は、はい」
「なのに、どうして霧切さんに十神くんとお似合いとか言っちゃうんですか? 馬鹿なんですか?」
「え……馬鹿って……馬鹿かもしれないけど」
「馬鹿なのは分かりましたから、どうして自分が霧切さんを好きなくせに、そんなことを言ったのか教えて欲しいんですけど」
「だって、僕なんかが霧切さんに釣り合うわけもないし……」
「はぁ…………」

 また舞園さんが凄い溜息をついた。僕にでも分かった。舞園さんは僕に怒っている上に呆れている。

「あのですね、苗木君。霧切さんは苗木君のことが好きなんですよ?」
「………………え?」

 一瞬、舞園さんが何を入っているのか分からなかった。少し時間を置いて漸く理解出来たけど、そんなことあり得ないとしか思えない。

「それは、あり得ないでしょ」
「あり得ないとかあり得るとかじゃなくて事実なんです。いい加減気付いてあげたらどうなんですか?
 好きな人に他の人とお似合いだ、だなんて言われたらショックに決まってるじゃないですか。泣くに決まってるじゃないですか。
霧切さんだって女の子なんですよ? わかってます?」

 捲し立てるように思いもよらぬことを次から次へと言われて、僕は混乱せざるを得なかった。霧切さんが僕を好きだなんて、夢物語だと思ってたから。
そんなことを急に言われても、すぐに受け入れられるわけがないんだ。

「いいですか、苗木君? もう、苗木君が絶望的に鈍感なのはわかりましたから。だから私がストレートに説明してあげてるんですけど、とりあえず屋上に行ってきてください」
「え、なんで屋上?」
「屋上に霧切さん居ますから。ちゃんと謝って、謝って、告白してきてください」
「はぁっ!? そ、それはちょっと……無理だよ!」
「良いから私が言ったとおりにしてください! 絶対大丈夫ですから。私が保証しますから!」
「わ、わかった」

 すごい剣幕だった。頷かずにはいられなかった。舞園さんに言われたことは正直、まだ信じられない。けれど、霧切さんを放っておけなかった。
謝りたかった。仲直りしたかった。僕は――霧切さんが好きだから。

 僕は階段を駆け上がって、切れる息を落ち着けながら屋上へ通じるドアノブに手をかけた。緊張からか、それとも階段を駆け上がってきたせいか上昇した体温にドアノブがやけに冷たく感じる。
それをゆっくりひねって開けて隙間を覗くと、思いがけない人物がいた。

「……十神君?」

 僕は小さく呟いた。彼の見つめる先には霧切さんが居る。僕は、ドアを前回にせず覗き見るような形で二人の様子を伺った。

「……はっきりと断ったはずだけど、どういうつもり?」
「分からないからだ。十神家の跡継ぎを産むということは、お前にも十神の財が渡るということだ。何不自由ない暮らしができるんだぞ?
 誰が考えても良い話だろう。なのに何故お前はの俺が選んでやっているというのに断るんだ」
「……別にお金にもあなたにも興味が無いから。ただ、それだけよ」
「――っ、じゃあ興味を持たせてやる」
「え? ――んっ!?」

 僕は目を疑った。あの十神君が、霧切さんの唇を無理やり奪っていた。そして次の瞬間には、霧切さんが十神君を突き放していた。
見たことのないような明確な憎しみ、嫌悪を込めた目で霧切さんが彼を睨みつけている。

「はぁっ、はぁっ……何、するのよ。あなたがそこまで最低だとは思わなかったわ」
「フン……興味を持たせてやるといっただろう」

 一連の流れを見ていた僕は頭に血が上って、自分でも何がなんだかわからなくなっていた。気がついたら、ドアを開けて歩きだしていた。

「十神君」
「……苗木、なんでお前がここにいる? 部外者は失せろ」
「ごめん、僕だって関係者だから……十神君、残念だけど霧切さんには先約が居るんだ。僕が、その先約だよ。だから、もうそういうことを霧切さんに言うのやめてくれる?」
「な、んだと?」
「苗木君、何を言って……」
「そういうことだから。行こう、霧切さん」
「ちょ、ちょっと苗木君!」

 呆然と立ち尽くす十神君を無視して僕は霧切さんの手をとってその場から彼女を引きずるように離れた。

「ねぇ、さっき言ってたことって……」
「そうだよ、僕は霧切さんのことが好きなんだよ」
「……本当?」
「うん。本当。昨日はごめんね……本当は霧切さんが誰か他の人と付き合ったりするのなんて考えたくもなかった。
でも僕、自信がなくて……でもやっぱり霧切さんのことが好きで好きで仕方がないんだ」
「嘘、じゃない?」
「嘘じゃないよ。僕の、心からの気持ちだよ」

 僕が正直に話すと、霧切さんがまた、僕の前で泣いていた。

「――して」
「え?」
「キス……して。お願い……さっきのを苗木君で忘れさせて。私も苗木君のことが好き……なのに……初めてだったのに……んぅっ」

 僕は彼女の願いどおりに、唇を重ねた。凄く柔らかくて、頭の中が大変なことになりそうだったけど、その感触をゆっくり堪能するように重ね続けた。
数秒だったかもしれなけど、恥ずかしくて長く感じられた。

「――かい……て」
「ん?」
「……もういっかい、して?」

 その言葉に、タガが外れたように僕は再び霧切さんの唇に口付けた。
 何度も、何度も……「もう一回」とねだる霧切さんのお願いを何度でもきいた。互いの唇しか認識していないみたいに何度も何度も。
 時間を忘れて、何度も唇を重ね合わせ続けた。


「授業、サボっちゃったね」
「別に……1時間くらいどうってことないわ」
「……さっきの霧切さん凄く可愛かった」
「忘れてちょうだい」
「嫌だよ、忘れられないよ!」
「……そういえば、どうして屋上に来たの?」
「舞園さんが、教えてくれたんだ。屋上に行けば霧切さんに会えるって……そしたらとんでもないもの見ちゃったけど」
「…………思い出させないで……あの時の苗木君、顔が怖かったわ」
「うん……完全に頭に血が上ってた。初めて十神君に、っていうか他人に殺意が芽生えたよ。今でも許せない」

 本当に十神君はやり過ぎたと思う。あとで大神さんに相談してふっ飛ばしてもらおうかな。本気で僕はそう考えていた。

「私は、もう忘れたいから……あなたも忘れてちょうだい。じゃないと、さすがの私もつらいわ……」
「そっか……霧切さんがそう言うなら、わかったよ……霧切さんが居ない所で制裁しておくね」
「……今サラッと何か恐ろしいこと言わなかったかしら?」
「はははっ。そんなことないよ」
「そう……まぁ良いわ。そろそろ、教室へ戻りましょうか」
「うん」

 僕と霧切さんは二人で一緒に教室へ戻ると、舞園さんが笑顔で迎えてくれた。本当に舞園さんには迷惑をかけちゃったな。ちゃんとお礼をしなきゃね。

 僕と霧切さんは、恋人になった。

― END ―


ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。