あなたの隣で 6章 探偵と幸せ

 誠がロンドンへ――響子のもとへ来て二人で暮らし、一緒に仕事をするようになってから半年ほどが経った。
 普段、食事は誠が栄養バランスを考えた料理を用意し、毎回響子はその料理に舌鼓を打っていた。彼の料理は、盛り付けや味が共にクオリティが高くレパートリーもやけに多かった。
6年間のうちに料理も勉強したのかと響子が尋ねた時は、役に立ちそうなことは何でも覚えた――とだけ誠は答えた。

「今日は、牛肉の赤ワイン煮とかぼちゃスープとサラダ、それにフランスパンにしようと思ってるんだけど、どう?」

 誠はいつも響子に事前にメニューを教える。人にはその日の気分というものがあるから、誠なりの気遣いだった。その気遣いに響子は感謝しつつ、
「楽しみにしているわ」と返すのがすっかり日常になっていた。

「誠君、作りながらで良いんだけど、さっき受けた依頼の内容を聞いてくれる?」
「確か、今世間で話題にもなってる"現代版切り裂きジャック"についての依頼でしょ? 今のところ犯人の顔や名前どころか性別も判明してなくて、昔あった連続猟奇殺人事件の犯人とされる、
ジャック・ザ・リッパーの手口に犯行が酷似してることから"現代版切り裂きジャック"って言われてるやつ。彼からこの依頼が来るだろうとは思ってたけど、予想よりも結構早かったね」
「……まだ、何も伝えてなかったのによく分かったわね。どうしてわかったの?」
「実は読唇術も覚えてるんだ。分かるのは日本語と英語だけだけど」

 誠は当たり前のことのように、茹でたかぼちゃをミキサーにかけながらサラリと言ってのけた。響子はこの半年の間に、誠が身に付けたというあらゆる技術に何度も驚かされており、
度が過ぎている――とまでは言わないが「何を目指しているのかしら」と言いたくなることが頻繁にあった。
依頼は誠が言った通り"現代版切り裂きジャック"の事件についてだった。誠が言った依頼主の『彼』とは、この事件を担当する警部だ。時々響子は警部の依頼を秘密裏に受けていた。
立場上彼は堂々と探偵に依頼などできない為、オフの日に知り合いと会うという体でカフェなどに待ち合わせることが多かった。新たな情報を提供してもらう時なども同様に直接会って話をするのが習慣となっている。
連絡先はもちろん知っているが、第三者に情報が漏れることを防止する目的もあった。
今回もカフェで響子は警部から依頼を受けたが、誠には離れた席で見張りを頼んでいた為、まだ依頼内容を知らないはずだった。
すぐに誠に依頼内容を話さなかったのは、やはり第三者を警戒してのことであり、それは誠も承知している。
しかし、今度は読唇術ときた。響子は、距離的に難しくないだろうかと思ったが、もう彼の能力に関して突っ込まないことにしている。
しかし、それでも少し疑問に思った点を誠に聞いてみた。

「前私が、ファーストフード店であなたの知らない男性に話しかけられた時には話してる内容なんて知らなかったじゃない」
「それは……嫉妬してて、全然冷静じゃなかったから……」
「半年の間そんなことが出来るなんて聞いたことなかったわ」
「特別使う機会が無かったし、警部の顔が見える位置に座ったのって今日が初めてだったから」

 半年前の勘違いのことを掘り返されて誠は拗ねたような口調で答える。料理をしているので、響子には顔が見えなかったが、耳が真っ赤になっているのがチラリと見えた。
可愛い――などと思ったことは口にせず、響子は本題に戻った。

「そう。話を戻すけど、事件について表に出回っていない情報についても言わなくても大丈夫かしら?」
「大体は把握してるつもりだよ。被害者は決まって女性、っていうのは表にも出てることだけど、髪が長いアジア系の女性だけが被害にあっているんだよね。
それに、"切り裂きジャック"だなんて言われてるけど実際は拳銃で心臓を打ち抜かれて殺されている。その後に遺体を裂かれていて、その裂かれ方から、
かのジャックとは違って解剖学的知識は無い素人の犯行と考えられる……これで合ってるかな?」
「完璧ね。素直に驚いたわ」
「ありがとう。それでね、言っても無駄だと思うけど、とりあえず響子さんはこの事件にあまり関わってほしくないな、っていうのが率直な感想なんだけど」

誠が気にしているのは『髪が長いアジア系の女性』が被害に遭っているという点だろう。彼が心配してくれているのが響子にはすぐ分かった。

「心配してくれてありがとう。けれど、分かっているのはさっきあなたが言った情報だけだし、まだ無差別かどうかなんて分からないわ。
それに私、結構日本人離れした外見だと自負しているのだけれど……どうかしら?」
「まぁ、確かにそれは言えてるよね」

 普通の男女ではあり得ない会話だが、これが探偵同士である誠と響子の日常だった。依頼や事件などの話に考察を交えつつ、時には軽い冗談も交わす。
時々響子は、今やすっかり慣れてしまったこの日常は、誠にとっての非日常だったはずだと思うことがあり、その度に負い目を感じていたが、決まって誠は「気にしないで」と笑うのだった。

「正直、珍しく難しい依頼だと思うわ。今ある情報だけだと、ロンドン市民全員が容疑者みたいなものだから……
そこから最終的に”犯人を捕まえてくれ”だなんて仕事放棄するにも程があるわよね」

 響子は深いため息をついた。依頼主である警部は、それなりに優秀で人柄も良い人間ではあるのだが、響子に事件を丸投げすることがあった。今回がまさにそれだった。
これだけの重大事件を任されるほど、響子の探偵としての能力に信頼を置いているという証でもあるから光栄ではある。
しかし響子は、不特定多数の人間の中から一人を見つけ出す類の仕事は好きではなかった。

「さすがにこんな大きな事件を丸投げするなんて僕も驚いたよ……確か明日、一カ所だけ現場見せてもらえるんでしょ?」
「ええ。すべての現場を見せてほしいというのが本音だけど、仕方ないわね」
「とりあえずそこで、ある程度の犯人像が絞れると良いけど……こういう依頼は初めてだな……」

 不安を含んだ誠の声は、響子にというよりも自分に言っているようだった。響子が誠の腕を認めたと言っても、彼は探偵になってからせいぜい2年と少し程で、
響子に比べ圧倒的な経験不足だというのは否めなかった。日本で活動していた時も、殺人事件の依頼が多いわけでもなく、あったとしても大抵は容疑者が絞られていたので苦労することはほとんどなかった。
だから誠は自分が役に立てるのか、響子の足を引っ張ることにならないか少しだけ不安を感じていた。

「誠君」
「うわっ! ど、どうしたの? 急にそんなことすると危ないよ、響子さん」

誠は料理中――と言ってもすでに盛り付けに入っていたが、やんわりと注意しつつ手を止めた。さっきまで椅子に座っていた響子がいつの間にか誠のすぐ後ろまで来ていた。
しかも誠の腰に腕を回して彼の肩に顎を乗せている。響子がそのような行動をすることは皆無に等しいため、誠は心底驚いた。
響子も自分でそうしておきながら、かなり恥ずかしいらしく少し顔が赤い。体勢はそのままのため、響子は上目づかいになる。

「私が初めて一緒に仕事をした日に言ったことを覚えてる?」
「えっと、”自信を持ちなさい”って言ってくれたこと?」
「ええ。それと、”頼りにしている”とも言ったわ」

 響子は彼に回していた腕にぎゅっと力を入れて、誠に密着した。

「私、頼りにならない人にはそんなこと言わないわよ?」
「……僕が少し不安を感じていたのが分かったんだね。ありがとう、響子さん」
「ええ、あなたなら大丈夫だから。心配要らないわ」

 誠が気を取り直したのを確認すると、響子は体を離した。誠は背中に感じていたぬくもりや感触が失われたことを少し残念に思うが、一応まだ盛り付け途中なので諦めた。
そしてすぐに料理は出来上がった。

「運ぶの手伝うわ」
「うん、ありがとう」

 いつもの温かい食事。いつもの穏やかな時間。確かな幸せがそこにあった。誠は響子が「美味しい」といつも笑ってくれることが嬉しかった。
しかし、この日は言葉では言い表せない異様な感覚に襲われた。まるで、これが最後のような――もう聴くことが出来ないような――それは恐怖にも似た感覚だった。



  ◇◆




 夜中、事務所で携帯電話を耳に当てて誠が立っていた。すでに響子は寝室で眠りに就いており、ひどく静かな時間だった。
そこに誠がかけた電話の呼び出し音が一瞬だけ彼の耳に響き、すぐにそれは無愛想な男の声で遮られた。

「もしもし? 久しぶり。急にごめん……ちょっとお願いがあるんだ――」



 ◇◆



 翌日、誠と響子は普段より早めに起きた。現場は少し事務所からは距離がある。唯一の捜査が許された現場からできるだけ多くの情報を得るために、時間が必要だった。

「……昨夜も犠牲者が出たみたいね。一番新しい現場を見れたら良かったのだけど」
「ニュースでやってたね……7人目だっけ? 早く捕まえて、もうこれ以上犠牲者が出るのを止めなきゃ……」

 誠は黒のスーツを、響子はグレーのスーツを身に纏いながら神妙な面持ちで話す。ちなみにスーツは二人ともそれぞれ動きやすさに重点を置いた特注品である。
 時計を見て、「そろそろ」と呟いた誠がテーブルの上のキーを手に取った。

「響子さん。僕、車出してくるから5分後くらいに出てきてね」

 響子が頷くのを確認して誠は事務所を後にした。事務所に残った響子は、ひと通りの用意は済んでいたが、最後に一つだけ、ある物を取りに寝室へ入った。
寝室の奥に設置されていた金庫の前に響子は来た。この金庫の番号と中身について、響子は誠にも教えていないが、恐らく彼はここ何が入っているのか気付いているだろう。
そして響子は静かにそのダイアルを回し始めた。

――ガチャッ

 開錠特有の金属音が鳴り、ゆっくりと開けたそこには一丁の拳銃が黒い光沢を放っていた。銃規制の厳しい国ではあるが、響子と誠は銃の携帯および使用の特別許可を出されていた。
それでも、それを持ち出すことはほとんどなかった。しかし、響子は今回ばかりはそれを手に取った。

「……死神の足音……嫌な予感ばかり当たるなんて皮肉よね……」

 得体のしれない、恐怖のような予感に襲われていたのは誠だけではなかったのだ。二人の探偵が今回の依頼に何かがあると感じ取っていた。
 響子はずっしりと重く感じる、拳銃をしばらく見つめてから左肩に装着していたホルスターに仕舞い込んだ。

「もう、5分くらい経ったかしら」

 ちらりと腕時計を見てから事務所を出ると、誠がちょうど事務所前に車を停車したところだった。
彼女はカツカツとヒールの音を響かせながら近づき、助手席へ乗り込んだ。誠の視線はすぐに彼女の左半身へ向けられた。

「あ、響子さん持ってきたんだ……あの金庫の中に入れてたの?」
「あなたこそ……どこに今まで隠し持っていたの?」

 特別使用許可を出されていることはお互いに話していた為知っていたが、拳銃の場所まで教え合っていたわけではなかった。
普通の人ならば、彼らの姿を見ても懐に拳銃があるなどと簡単には気づかないだろうが、探偵同士である二人には手に取るようにわかった。
そして、お互いに”何か”を感じたのだということも理解することが出来た。

「何もないと良いんだけど……あの足音が聞こえてしまったからにはそれを無視することは出来ないわ」
「”死神の足音”だっけ?」
「そうよ」

 シートベルトを引き出しながら響子は誠に返事をする。ガチャリという音が合図であったかのように、誠はアクセルを踏み込んだ。
車体がゆっくりとスピードを上げながら進みだし、徐々にその速度が安定しだす。

「それと同じなのかは分からないけど、僕も昨日の夜から妙な胸騒ぎがしてね。念には念を入れておこうと思って」
「私と一緒に居たからかしらね。これまでの仕事でも、あなたには霧切家の探偵としての能力が垣間見えることがあったわ……
技術を教えることは出来てもこういう勘にも似た能力ばかりは教えられない。けれどあなたにはそれがあるようだった……とても興味深いことだわ」
「たぶん、初めて会った探偵も一緒に行動した探偵も響子さん以外に居ないから、僕の探偵としての多くは響子さんがベースなんだよ。
それに、こうやって毎日一緒に居たら、教え合わなくても意識しないうちに得るものとかあっても不思議じゃないんじゃないかな?
ほら、似た者夫婦とかよく言うでしょ?」
「……まだ夫婦ではないけれどね」

 つい先ほどの緊張したような空気が、誠によって一気に取り払われた。普段の調子で、明るく話す彼は気づいていないかもしれないが、
好ましくない空気をがらりと変える強さが誠には昔からあった。特に、”あの時”の誠は誰が見ても頼もしかっただろう。
響子は、皆が絶望に堕ちかけていた”あの時”を少し思い出しながら誠を見つめる。運転中の誠はそれに気づかないまま、微笑みながら言葉を返した。

「”今は”ね……でもほとんど似たようなものだし、日本へ帰ったらそれこそちゃんと夫婦になるんだから」
「そうね……帰国したらしばらくは二人でゆっくりしましょうか」
「え? 休業ってこと?」
「ええ。長期間は無理だけど……色々考えるべきこともあるし、やるべきこともあるはずでしょ?」
「そうだね。そうしようか」

 怖いのかもしれない。幸せだからこそ今回の足音が一層怖いのかもしれない。事件の捜査前に事件とは無関係なことを話している今の状況は珍しいことだった。
だから響子は、自分は恐怖から目を逸らそうとしているのでは?――と感じた。だから「まだ」などと、未来を示唆するような発言をしたのではないか――と自問自答していた。
そのように言えば、誠が話をそちらへ持っていくことも予測できていた。
 2時間ほど車を走らせた頃、エンジン音が次第に静かになりやがて停まった。現場に着いたのだ。二人が車を降りると、車内の窓からも見えていたが、大きく立派な教会が誠と響子を迎える。
外から見ただけで、内装もかなり素晴らしいであろうことが容易に想像できた。近くに住宅街などはなく、ひっそりとした場所にこの教会は建っていた。

「こんなに綺麗な建物の敷地内で悲惨な事件が起きたんだね」
「ええ。観光客もよく来ていたみたいだけど、今は一時的に閉鎖されているわ。当然のことだけどね……じゃあ、行きましょうか」

   ◇◆


――昨夜、誠が電話をかけていた同時刻での出来事だった。

 真夜中に響く銃声、失われる心音。生贄はその生を突然終えた。理不尽に、一瞬にして奪われた。理由は誰にもわからない。ただ、一人を除いては。
 男が、ニタリと笑う。しかし歪んだその表情からは楽しんでいるような様子は見られない。その目には一つの感情が込められていた。
見る者をぞっとさせるほどの深い深い憎悪、憎しみがその目には込められていた。

「恨むなら、あの女探偵を恨んでくれよ……ひひっ、ひひひひひ……」

 突然狂ったような笑い声を上げながら、彼は懐からきらりと光るものを取り出した。鋭利な先端が生贄の肉に刺さる。それはナイフだった。
男がそれを一気に手前に引くと、まだ熱を持った赤い液体が切り口から溢れだした。男は構わず、何度も何度もそれを抉る。
動かぬそれは、人だったもの――髪の長いアジア系の女性の死体だった。

「思った通りだったよ。あの出来損ないの警部はあいつに依頼すると思ってた。盗聴器に気づかないなんてあの警部おしまいだなぁ……!
 まぁ、探偵にこそこそ依頼してる時点で終わってるがな…………ひひひっ……これでもうすぐ終われる。
ああ……どんな反応をするのかな……自分のせいでこんな残虐な連続殺人が起きたなんて知ったら……あの女は、キリギリキョウコはどんな顔をするのかな?
 そして、どんな顔で死んでいくのかな? もうすぐだ、俺の人生を狂わせたあの女に復讐ができる……!」

――ビチャッ

 ゆらりと立ち上がった男がナイフを振り、今まで抉っていた死体の血液が地面に線を描いていた。

   ◇◆ 

 現場は教会の裏側にあった。そこは観光客などの一般の人間はもちろん、教会の関係者すら立ち寄らない場所で、周りに木々が茂っており午前中だと言うのにかなり薄暗い。
誠と響子は見張りの警官――警部から連絡を受けている数少ない関係者である――と一言二言だけ言葉を交わしてから、そこに足を踏み入れた。
そして、すぐに教会の壁に付いた血痕とそのすぐ下に広がるおびただしい血の跡に目が行った。

「はぁ、大量の血の跡って何度見てもゾッとするや……昔ほどじゃないけど」
「……こっちの壁の方が銃で撃たれたときに付いた血痕ね。下の方は死んだ後で切り裂かれたことによる出血の跡」

 この連続殺人は、ごく短期間で行われている。二人が訪れたこの現場は一番目の被害者が発見された現場で連続事件の中では最も古い現場ではあるが、
血生臭さや血の跡がはっきりと分かる状態だった。

「見たところ何のトリックもなさそうね」
「ただ単に、人気のないところで射殺されて引き裂かれたってだけだね。ここだけで犯人の手掛かりを見つけるなんて気が遠くなりそうだよ……ん?」
「どうしたの?」
「ここの血痕不自然じゃない?」

 血だまりの跡から横にぽたぽたとわざと血を垂らしたような跡があった。誠がそれを指さして近づくと、響子も「そうね」と呟いて血の跡をたどってみた。

「……ここ何か掘った後じゃない? 掘り返してみる?」
「ええ、道具が居るかしら?」

 響子の問いかけに「大丈夫」と答えながら、誠が右足を軽く上げて踵で地面を叩くようにして下ろした。
彼の動作の意味が理解できず響子が首を傾げながら見守っていると予期せぬものを目の当たりにした。

――キンッ

 誠の踵が地面と接触したと同時に、彼の履いている革靴の先端から小さな金属音と共に鋭利な刃先が現れた。幅は2cm程で長さは10cm程だろうか。
小さ目ではあるが充分な殺傷能力を備えているであろう危険な代物だった。

「…………何なの、それ」
「え、隠しナイフだよ。これで掘ろうと思って」
「そうじゃなくて、いつそんなもの手に入れたのよ?」
「一昨日、響子さんが出かけてる時に暇だったから作ったんだよ……まぁ、そんなことどうでもいいでしょ?」
「……」

 額に手を当てて何とも言えなさそうな顔をする響子を無視して、誠は足先のナイフでサクサクと穴を掘り始めた。
やはり一度掘ってあったせいだろう、掘りやすいとは言えない手段ではあったが誠は難なく掘り進めることが出来た。そして、ナイフの先端が何かに当たった音がした。
それは金属同士がぶつかった際に発せられる音だった。しかし、まだその正体は見えない。

「おっ! 響子さん、何かあったみたいだよ」

 宝物を見つけた子供のような反応をして、誠は先程と同じように踵を地面にぶつけて物騒なものをしまうと、今度は手で土をかき分けて目的のモノを探し出した。
すると、すぐにそれは見つかった。誠は手に取って土を払い落とし、それを観察してみた。

「……お金、じゃないな。何かのコイン? あれ、事件と関係ないのかな……いや、これは血……?事件発生前から落ちてたのものかな?
 いや、それならわざわざ埋められていたことについての説明がつかない。それに、こんな場所で誰かが落とすなんてあり得ないし……あとこの血は……」
「誠君、私にもそれ見せてくれるかしら?」
「うん、何かのコインなんだけど、血が付いてるんだ。それもかなり古い血だと思う」

 そのコインを受け取るとすぐに響子の顔色が変わった。

「――えっ? これは…………」

 自然と驚きの声が響子の口からが漏れ、彼女は何かを確かめるようにコインの模様や形状、傷、血痕の付き方など念入りに観察し始めた。

「響子さん、もしかしてそれについて何か知ってるの?」
「ええ…………ちょっと、話が昔に遡るけど」
「関係あることなんでしょ? 構わないよ」
「私がこちらに来たばかりの頃よ――つまり5年位前の話ね。その時に5人家族のうち4人が殺された事件があったのよ。その事件の依頼が警部からあって、私はそれを受けたわ。
それで、詳細は省くけど、生き残った三男がその殺人事件の犯人だったのよ」
「身内が犯人?」
「そうよ。動機は単純で、遺産や保険金が欲しかったらしいわ。それで、このコインだけど……彼の部屋で見たことがあるのよ。
こんな血のついたコインが、なんだか大切そうにケースの中にしまってあったからよく覚えてる。その時見たコインの模様や血痕の付き方とこのコインの特徴は完全に一致しているわ。
けれど、その犯人は終身刑が言い渡されて、今もまだ服役中のはず……」
「脱獄とかの情報は?」
「いいえ、何も聞いていないし、ニュースにもなっていないみたいよね……」

 何故そんなものがここにあるのか。明らかに不可解なことだった。だからこそ、それは重要な手がかりであり、決して無視することは出来なかった。
自然と手の中のコインをぐっと握りしめる響子に誠が一つの提案を出した。

「とりあえず、警部に連絡してその一家殺人の犯人が今もちゃんと刑務所に居るのか確認を取ってみようよ」

 極当たり前な提案ではあるが、他に何の手がかりもない状況では仕方がなかった。むしろそれは次に起こすべき行動の一つに違いない。
誠の提案を聞いた響子は、顎に手をやって現場を一瞥して少し思案するが、すぐに肯いた。

「そうね。この現場では他に分かりそうなこともないし……一旦戻った方がいいわね」
「今は連絡取れないの?」
「残念だけど、昼間は連絡がとれないのよ。向こうから連絡が来ることはあってもこちらからはしてはいけない約束なのよ。仕事を丸投げするわりには本当に不親切よね」
「じゃあ、警察か刑務所に直接問い合わせるとか」
「……目的を聞かれた場合に、うまく掻い潜るのが難しいわ。一応警部から依頼を受けているというのは極秘だもの」
「そっか……あ、あそこの彼に聞いてみたら?」

 二人はすっかり存在を忘れていたが、少々手持無沙汰そうな様子を見せつつ現場の見張りをしている警官が居たのだ。彼は、誠や響子と同じくらいの歳に見える。

「隠蔽の可能性がある情報を、あんなに若い人が知ってるかしら? 一応聞いてみる価値はあるかもしれないけど」

 響子はほとんど期待していない様子で、誠に促されて警官に声をかけた。すると、まるで日本人のように彼はへこへこと頭を下げて嬉しそうに話しだした。

「”オツカレサマデス!” えっと、日本語で仕事の後ってこう言うんですよね?」
「あれ? 日本語分かるんですか?」
「いや、挨拶みたいな言葉だけ、なんとなく知っている程度です。でも日本は好きですよ!」

見張りが余程退屈だったらしい。彼の目は輝いている、と言っても過言ではなかった。現場と彼の表情やテンションが見事に不釣合いだ。
響子は少しだけ、誠君に似た人種かしら――などと思いながら本題に入った。

「無駄話はそれくらいにして、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい! 自分に分かることなら何でも話しますよ!」
「なんでもって……警察がそんなに口が軽くていいのかしら」
「あ、いや! 警部があなた達には何でも言っていいっておっしゃっていたので」
「そう。単刀直入に聞くけど、5年前の一家殺害事件の犯人について聞きたいのよ。そんな昔の事件についてもあなたは把握しているのかしら?」
「――っ! そ、それは、ですね…………」

 元気よくハキハキと答えていたのに、一つ目の質問で彼は青ざめて黙り込んでしまった。そして、響子から目を逸らして挙動不審になる。
彼は何か知っている――あからさまな反応をされて、響子が気づかないわけが無かった。やんわりと響子が彼に催促すると、躊躇しつつも知っていることをすぐに話してくれた。
それは誠と響子の予想以上の事実だった。

   ◇◆

 誠と響子は現場を後にし、今度はそこからは正反対の方面へ車を走らせていた。目的地は、一家殺人事件のあった現場――その一家が住んでいた家だ。
その家も、先ほどまで居た教会と同じ様に街外れに位置しており、人通りの少ない場所である。事件後にはその家に住んでいるものは居なくなってしまったが、親戚が管理をしており事件の痕跡は処理したが、
一家の荷物や家具などはそのまま残っているらしかった。

「驚きだよ。まさか、切り裂きジャックの犯人が例の三男だって警察は知っていたなんてね」
「そうね。でも、簡単に脱獄を許してしまった挙句に複数の監視や警官まで殺されたという事実、
そしてそれが切り裂きジャックの正体であるという事実を汚名だと思って世間には公表できなかったんじゃないかしら……
くだらない名誉や体裁のために真実を隠すだなんて、本当に迷惑な話だわ。この仕事が終わったら、警部にはきつく言っておいたほうがいいかもしれないわね」

 運転をしながら、誠が響子をちらりと見ると彼女は多少苛立ちを感じているようだった。
 現場の見張りをしていた警官に知らされた真実は響子が言ったとおり、一家殺人事件の犯人が脱獄した上に監視や警官を殺したということ。
また、殺害された全員が切り裂きジャックの殺害方法を模した殺され方をしていたことだった。ちなみに、ナイフや銃を犯人がどのような手段で入手したのかは分かっていないという。
この事件は表に公表されないまま、今度は同じ殺人方法の連続殺人が起きてしまった。警察では内部に共犯者が居たのではないかと大騒ぎになっており、
その上で切り裂きジャック事件の犯人も追わなければならず、はっきり言って混乱状態に陥ってしまっているそうだ。
だからこそ、警部は響子に仕事を丸投げしたのだと、響子と誠の考えは至った。

「組織として、少し脆すぎる気がするけど……それで彼の家に行って何を調べるつもり?」
「このコインがあの家に無いことを確認したい、っていうのもあるけれど本命は隠し部屋よ。
事件の時は別に関係無さそうだったから警察には報告していないのだけど、その部屋は巧妙に隠されていて警察も気づいていないと思う。中には、拳銃やナイフが複数保管されていたわ。
確か、さっき聞いた話では、刑務所で殺された人たちと外で無差別に殺された人たちに使われた銃弾の口径が異なっているという話だったでしょう?
 刑務所では口径12mm、外では口径9mm……だからその隠し部屋の銃を彼は使っている可能性がある。それを確かめに行くのよ。運が良ければ本人が姿を現す可能性もあるしね」

 一気に説明を終えた響子の目には、これから戦場へ行く人間のような強い光が宿っていた。何の手がかりもなかった状況から犯人そのものを知ったのだ。
あとは依頼通り犯人を「捕まえる」ことさえできればいい。しかし、またすぐに彼女は黙りこんで何かを考えこみ始めた。車内にしばらくの沈黙が流れるが、誠がそれを破った。

「響子さん。他にも何か気になることでもあるの?」
「ええ。切り裂きジャックの犯人が例の三男だというのは分かったけれど、今回の動機が分からないわ。一家殺人の時はお金がほしいという単純明快な動機があった。
でも、今回は被害者から金品が盗まれているわけでもないし、今のところ無差別に殺されているから怨恨の可能性も低い。それに、わざわざ切り裂きジャックのまね事をする必要性もわからない。
考えられるとするなら、彼の名前が”ジャック”だから、ということだけどあそこまでの残虐なことをする動機としては薄すぎる気がするのよ……」
「なるほどね。”ジャック”だからって、切り裂きジャックのまね事をしなければいけなかったという理由はないはずだよね。
けど、そればかりは本人を捕まえた時にでも直接聞かないと分からないよ」
「ええ。あともう一つ……足音が聞こえてしまったからには、今日これから何かあるかもしれない。誠君、気を抜かずに行きましょう」
「もちろん、そのつもりだよ」

 二人は一度、街中の店で軽食を取ってから再び車を走らせた。
 徐々に建物や人々の姿は消え、辺りに緑が広がりだした。木々に囲まれている――というわけではないが午前中に訪れた現場のように物静かで、のどかな場所だった。
そして、前方に二階建ての一軒家が見えた。

「この家よ」

 響子の一言とともに、誠は車を停めて窓の外を眺める。

「極普通の家だね。5年前って言ってたからもっと寂れているのを想像してたけど、いまだに誰か住んでそうだ」
「管理が行き届いているのね。鍵は用が済むまで持ってて良いってことだったから、思う存分調べられるわね。どこかの依頼主とは大違いだわ」

 皮肉を呟きながら車を降りる響子に倣って、誠も苦笑しながら車を降りた。目の前には道路から玄関に向ってゆるやかなカーブを描いた通路が伸びていた。
家の壁はベージュを基調としており、赤色の屋根が目立つ。どちらかと言えば可愛らしい印象を受ける家だ。右側にはガレージが有り、大量に埃を被った車が2台停められていた。
その方向に響子は視線を向けた。それは確かにほぼ5年前のままだった。しかし、右側に停められている車のフロント部分にこすった為に埃が取れたような跡があった。

「……あからさまね。ここを最近誰かが通った証拠だわ」
「この奥に隠し部屋が?」
「ええ。恐らくここに住んでいた人達と私くらいしかその存在は知らないんじゃないかしら……この分だとやっぱり犯人は隠し部屋に行ったのは間違いなさそうね」

 そう話す響子を通りすぎて、誠がガレージの奥へ歩を進めた。そこには工具箱や靴など統一性のない数多くのものが乱雑に落ちていた。

「響子さん、ここって5年前もごちゃごちゃしてた?」
「整理されて綺麗に片付いていたと思うけど、荒れているの? どこかその辺りに――」

――ガコッ

 響子の話を聞きながら誠が床のある場所を押したと同時に、床の一部が小さな長方形の形に凹んだ。「これだね」と呟きながら、誠がそれを一気に引っ張りあげるとそこには地下へ続くハシゴがあった。
躊躇することなく誠はハシゴに足をかけて下へ降りて行った。

「ちょっと、誠君? あなたが見ても以前との違いが分からないでしょ?」
「いや、そんなことないよ。ここには何もないみたいだ……他に何か手がかりがないか僕が調べるから、響子さんは他の所を見てていいよ。すぐ終わると思うし」

 薄暗い地下へ降りていった為、誠の姿は見えず声だけが聞こえてくる。

「そう……全て持ちだしたのね。わかったわ、そこはお願いするわね」

 響子は一度ガレージを出ると玄関へ移動して鍵を開けた。向かうは犯人の自室だ。コインが同一のものだとは分かりきっていたが、念の為だ。
二階へ上がって真っ直ぐ目的の部屋へ入った響子は、5年前見たものと同じケースを用意に見つけることが出来た。

――やっぱり同じもので間違いないわね。でも、何故これが現場に埋められていたの?

 響子は改めて一つの疑問を抱えながら、家の外へ出て来た。そして再度、ガレージの前に立って全体を見渡した。すると、車のフロントの隙間に小さな白い紙の端が見えた。

「――何かしら?」

 すぐに、そばに寄ってそれを引き出した。それを見た響子は一瞬にして思考を奪われた。手紙だったのだ。
珍しく動揺した様子で、響子はそれを読み進めていった。

『親愛なる女探偵 キリギリキョウコへ
 やぁ、我が家へようこそ。君ならここへ来てくれると思っていたよ。切り裂きジャックの事件の捜査で来たんだろう? 知っているさ。なんてったって俺がそのジャックだからね。
まぁ、君へのヒントのつもりであのコインを君の目に触れそうな現場に埋めておいたんだけど……これを読んでいるということは無事に見つけてくれたんだね。とても嬉しいよ。
 さて、話は変わるが君に質問だ。出来損ないの警部が君に依頼をしたと思うが理由は何だと思う? 君が優秀だから? 君が俺を知っているから? どちらも違うね。
俺は優しい男だ。親愛なる君に教えてやろう。君は警察に騙されているんだ。”オトリ”なんだよ。どうしてかって? 俺は刑務所を出る時に置き手紙を用意したのさ。
もちろん君にも内容を教えてあげるよ。”Kill Krgr.K”ってね。これだけだけど、あの警部は何のことだか分かっただろうね。そうだよ、俺は君にお礼をするためだけのために、
何の罪もない何の関係もない女達を殺してやったんだ。全部君のせいなんだよ。全部、全部君のせいで死んでいったんだ。ああ、可哀想に。でも大丈夫。お前もちゃんと殺してやるよ。
俺の人生を狂わせたお前もすぐに、あの女達の所に行かせてやるから、思う存分謝罪すればいいさ。
――ジャックより』


「……逆恨みも良い所ね……最初から私が目的だったのに、無関係な人達を――」

 その時ちょうど、地下から誠が出て来た。彼は響子の姿を見て、様子がおかしいことにすぐ気が付いた。そしてその奥に――見えてしまった。

「――っ! 響子!!」
「えっ?」

 誠は瞬時に彼女のもとへ駆け寄った。そして響子の腕を掴んで引き寄せると同時に外の方へ背を向けた。それと同時だった。

――パンパンッ! パンパンパンパンッ!

「っ……! クソッ!」
「誠君!?」

 悲鳴に近い響子の声が挙がる。痛みに顔を歪めた誠が、すぐに振り返り懐から銃を抜いた。そして二発の銃声が響く。相手の脚に一発が当たった。

「ぐぁっ……! チッ……!」

 相手は悪態をつきながら、体を一瞬だけよろめかせ、痛みを押して走って逃げ出した。その様子を見ていた誠の体がグラリと揺れた。しかし、倒れることはなかった。

「誠君! どこをっ――どこを撃たれたのっ!? 」
「あはは……大丈夫大丈夫。ちょっと痛むけど、致命傷は全部避けてるよ。それより響子さんは早く追って。装弾数6発のリボルバー式拳銃だったから今あいつは丸腰同然だよ。
見たところ他に武器も持ってないようだったし、この腕前だとほぼ素人だね。予備の弾を持ってたとしても、走りながら込めることはあいつには出来ないと思う。
それと、僕が撃ち込んだ銃弾には強力な麻痺薬と睡眠薬塗ってあるから運が良ければその辺で倒れてるかも」

 事態は深刻だというのに、ヘラヘラと笑う誠だが、響子は青ざめたままだった。誠のシャツには赤い血が滲み出していた。

「本当に、大丈夫なの?」
「うん。だから早く行って。ちょっと休んだら君の後を追うから……だから早く!」
「……わかったわ。でも、お願いだから無理はしないで!」

 響子はすぐに思考を切り替えて、走り出した。角を曲がると――居た。
誠の言った通り銃弾の薬が効いているのだろう。明らかに足の痛み以外の原因でよろめいている様子の犯人の姿があった。

「待ちなさい! ……もう終わりよ」

 響子の凛とした声に相手が振り返る。憎悪で狂ったような表情だった。彼はわなわなと肩を震わせていた。しかし次の瞬間。

「クソォォオオオオッ!! ぶっ殺してやる!! このクソアマァァァアア!!」

 響子めがけて真っ直ぐ拳が伸びてきた。しかし、響子は冷静だった。スッと体を横にずらして拳を躱すとその腕に両手を添えて華麗に投げ飛ばした。
犯人の背中に強い衝撃が走る。

「がぁっ……!?」
「よくも彼を傷つけてくれたわね。代償として腕一本くらいどうってことないわよね?」

 そう呟くと響子は犯人をうつ伏せに押さえつけてギリギリと彼の腕を後ろに力いっぱい引いた。

「うぁぁああッ!! やめろ! やめてくれぇええっ!」
「冗談よ。私はあなたみたいな犯罪者とは違うわ……そろそろ薬が効いてきたみたいだしね」
「な、んだ……体が……」

 その言葉を最後に犯人は意識を失った。誠の銃弾に塗られた睡眠薬が効いたのだ。

「……ねぇ、依頼通り捕まえたわよ。さっさと連れて行ってくれるかしら?」

 響子が斜め前方の茂みに向って叫んだ。誰も居ないはずのそこから、ガサガサと音がすると彼は姿を表した。

「いやぁ、私がここに居たのが分かっていただなんて、さすが霧切君だね。素晴らしい、柔道の腕前だったよ! 思ったより犯人を捕まえるのも早かったし、報酬は弾ませもうらうよ」
「……警部。私を囮にしたというのは本当かしら?」
「あ、いや……まぁそうかもしれないが、私は君なら大丈夫だと信じていたんだ! ほら、実際この通りだろ?」
「もういいわ……早く連れて行って。私は他にやらなければならないことがあるから」

 響子が言うとどこからともなくパトカーが現れた。そして、駆けつけてきた警察たちが眠っているジャックの手に手錠をかけ、彼を抱え込んでパトカーに運んでいった。

――だいぶ経っているけど、誠君が来る気配がない……まさか……
――彼の言葉を鵜呑みにしたわけじゃない……確かに大丈夫そうな様子だった……けど……

 警察の様子を見ながら響子は焦りだしていた。未だ姿を表さない誠の身が心配だった。
つい、彼の様子と言葉で安心して置いてきたが、嫌な予感が彼女の頭から離れない。

「霧切君」
「警部……まだ何か?」
「今回はこちらに非があったことは認めるよ。申し訳なかった」

 先ほどの態度とは打って変わって深々と頭を下げる警部の姿に響子は目を丸くした。

「そして、協力感謝する。これからも何かあったら宜しく頼むよ」
「……それは出来ないわ」
「え? ど、どうしてだい? そんなに怒っているのか?」

 響子の返事が予想外だったのだろう。警部はあからさまにうろたえて響子に尋ねた。

「そうじゃないわ。日本へ帰るのよ……だからこちらでの仕事はこれが最後」
「そうか……それならば仕方ないな」
「ええ。世話になったわね。でも、もう少し自分の仕事は自分で何とかしたらどうなのかしら?」
「はははっ! 君がいなくなるのなら、そうせざるを得ないな……それでは私は行くよ。報酬はいつも通り1週間以内に口座に振り込むから」
「ええ」

 彼がパトカーに乗り込むと、すぐに響子の前から遠ざかっていった。そして響子もすぐに、来た道を全速力で戻っていった。

――お願いだから、無事で居て……誠君





 犯人を追う響子の姿が目の前から消えると、誠はズルズルと倒れこんだ。彼の口からは力のない笑い声が漏れる。


「…………ははは、ごめん……響子さん……見事に……全部致命傷だよ…………それ、と……演技力も…………磨いていたんだよね……

もう、バカ正直、だ……なんて……言われることはないかも、ね……」


 ガレージの前に鮮血が広がっていた。誠が受けた6発の銃弾すべてが、致命傷を彼に負わせていた。

銃撃を受けた箇所が熱く痛む。しかし、その感覚は薄れつつあった。

誠は自分が危険な状態であることは承知の上で響子をこの場から離れさせたのだ。



――僕は、やっぱり《超高校級の幸運》なんだ、な…………響子さんを守れた……かすり傷ひとつ付けさせなかった…………

――響子さん……犯人捕まえたかな…………あ、れ……なんだか……さ、むく……なってきた、かも……眠い……少し、休もう、かな…………



 誠の体温が急激に下る。もう体を動かす力も彼にはほとんど残っていなかった。そして、誠はゆっくりとその瞼を閉じた。



 息を切らしてガレージの前に戻ってきた響子は、目の前の光景が理解できなかった。見慣れているはずの光景だった。
横たわる影、広がる鮮血――今まで何度も何度も目にしてきた。なのに、鳥肌が立った。震えが止まらなかった。声が出なかった。
力が抜けたように、フラフラとそこへ近寄った。

「誠、君? 何よ……これ…………ねぇ、起きて……誠君、起きて!」

 響子は叫んだ。落ち着かなければならないことは分かっているのに、冷静になることは得意なはずなのに、一番必要な今、それが出来ない。
そして軽く彼の体を揺さぶると、誠の瞼がピクリと動き、そしてうっすらと開かれた。

「…………きょ、こ……さ……?」
「誠君!? 誠君、しっかりして! すぐに、救急車を呼ぶから!」

 響子は急いで携帯電話を取り出すと、救急の番号にかけようとしたが携帯電話を持つ手を掴まれて行為を遮られた。

「誠、君……? な、にを?」
「きょう、こ……さん……大丈、夫…………大丈夫、だから……」
「何が、大丈夫なのよ!?」
「…………響子さん……あい、してるから――――」
「え?」

 響子は最後の言葉が聞き取れなかった。しかし、それっきり彼は口を開かなくなってしまった。
響子の視界がぼやけるが、それどころではない。

――冷静に、冷静になるのよ

 響子は誠の頸動脈に手を当てた――が、何も感じない。ゾッと悪寒が走る。

――そんなの、絶対に認めない……!

 彼女は、手袋を外し投げ捨てた。そして火傷の跡が目立つその手を再び誠の頸動脈に当てる。

――トク、トク……

 ゆっくりでとても弱いが確かに脈があった。しかし、助かる可能性はほとんど無いかもしれない。
一瞬でもそう思った自分を叱咤して、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「嫌……嫌よ……お願い……目を、開けてよ…………誠君……! 家族になってくれるって、言ったじゃない……
一緒に歩いてくれるって……約束したじゃないっ……!」

 もう、耐えられなかった。響子の目から涙が止めどなく溢れだした。どんどん体温が低くなっている誠の体を抱きしめて嗚咽する。
その時だった。けたたましい音が空から鳴り響く。さすがの響子も驚き、音の響く方向を見やると一台のヘリコプターがこちらへ向かって降りてきた。
そしてそのドアが勢い良く開かれた。

「何を呆けている! 霧切! 馬鹿かお前は!」
「十、神くん……?」
「呆けている場合じゃないと言っただろ! こいつを今すぐヘリに運ぶ! お前もさっさと中に乗れ!」

 頭がついて行けなかった。しかし、急に現れた十神に腕を引かれてヘリへ乗り込む。
誠も、同じヘリでやってきた医療班の人間だと思われる男性達に担架で運ばれると、ヘリはすぐさま離陸した。

「十神家の管轄下にある病院へ苗木を連れて行く。安心しろ、絶対に苗木の命は救ってやる。十神の名にかけてだ」

 放心状態の響子に、十神が話しだした。少しだけ落ち着きを取り戻し、焦点の合っていなかった響子の目が十神の目を見つめた。

「誠君は、助かるの……?」
「愚問だな。俺を誰だと思っている? 俺が従えるドクターたちは世界中から一流の者だけを集めたチームだ。
6発の銃撃程度、その辺の病院で助からなくても、こちらでは助からないわけがないだろう」

 根拠がないのは気になるが、自信満々に言う十神の言葉に響子は何故だか安心することが出来た。
しかし、何故彼はタイミングよく現れたのか、響子は直接十神に尋ねた。

「苗木の心臓にちょっとした細工がしてあってな。もちろんそいつの要望だが、脈拍の異常や低下を感知したらGPSが起動するチップを手術で取り付けていたんだ」
「でも、それじゃこんなに早くは駆けつけられないんじゃないの? あなたは日本に居たのよね?」
「こちらの時間で、昨夜苗木から電話があった。“何かあるかもしれないから直ちにロンドンに来てくれ”とな。
だから言われたとおりに来てやったんだ……まさか本当に何かあるとは思っていなかったがな。心臓のGPSも気休め程度で実際に使うことはないと考えていたんだが……
これもどうやら苗木の考えが正しかったらしいな……フンッ」
「どうして……誠君はGPSを心臓に?」
「”絶対に霧切さんを一人にさせるわけにはいかないから”と言っていたな……そいつは死ぬつもりは全く無いようだぞ」
「――っ!」

 響子の目から止まっていた涙が再び溢れ出す。
それを見た十神は呆れたようにため息をつくが、珍しく優しげな声色で響子に声をかけた。

「苗木が回復したら、さっさと日本に戻って来い。式場は俺がすでに用意してある。朝日奈や葉隠……それと苗木の家族もお前たちを待っているぞ」
「…………ありがとう、十神君……!」 


   ◇◆


 ゆっくりと、誠の目が開かれた。視界がぼやけているが、徐々にはっきりしてくる。最初に見えたのは白い天井だった。久しぶりに目を開けたせいか、とても眩しく感じられた。
 彼の口と鼻は酸素マスクで覆われている。自分が病院に居るのだと理解することが出来た。そして、左横を見ると愛しい人の顔があった。

「……誠君? 私が、分かる?」
「…………響子さん……久しぶり……僕、どれくらい寝てた?」
「久しぶり、じゃないわよ……バカ。5日間昏睡状態だったわ……」

――ああ、また泣かせてしまった

 誠は響子に微笑みかけた。まだ体に力が入らないが、精一杯微笑んだ。

「よくも、私を騙してくれたわね……」
「ちゃんと、騙せてたかな……ははっ、ごめんね……」
「言ってたでしょう? 6年前も。あなたを危険な目には合わせたくないって」
「……ごめん。けどね、僕はあの時自分の身が守れないから君と約束を交わしたわけじゃないよ」
「え?」
「君を守りたかったんだ。でも、あの時の僕は君を守れる力なんか無かったから……
でも今回、君を守ることが出来た。だから僕はそれで良いんだ……」

 相変わらず誠は笑っているが、響子はそれで良いわけがなかった。
あんなにも、これまでにない程の恐怖を感じたのだ。誠を失う恐怖を。

「怖かった。あなたを失うのがすごく怖かったの」
「……うん」
「もう、あんな思いをするのは嫌よ……」
「うん、ごめん……でも僕だって君を失いたくないよ……だから君の隣に居たかった。だから探偵になった」
「……それは、分かっているつもりよ」
「ねぇ、響子さん。もうそんな顔しないで……僕は、ここに居るよ? 確かに今回は危なかったけど……約束するよ。
僕はこれからも君の隣に居るから。だから、君も――」
「私も、約束するわ。あなたの隣で……ずっと、一緒に歩いて行くわ……」

 二人が約束を交わした時、誠が一番見たかった響子の表情があった。涙はまだ彼女の目に浮かんでいるけれど、響子はやわらかく微笑んでいる。誠は安心して、再び眠りについた。

 しばらくして、病室のドアが開いた。十神が苗木の様子を見に来たのだ。

「十神君……誠君、今は眠っているけど一度目を覚まして、さっきまで普通に会話もしていたわ」
「そうか。もう心配ないようだな。あと一週間もすれば退院できるだろう。お前たちはそれと同時に帰国しろ。すでに飛行機も手配してあるからな……どうせ帰国する予定だったんだろう?」
「ええ。あなたには世話になるわね……」
「フンッ。気にするな」
「ありがとう……」

   ◇◆

―― 一ヶ月後

「響子さん、結婚式本当に挙げなくていいの?」
「何度も言ったでしょ? 私にはそういうの似合わないし……苦手なのよ」
「……似合わないことないと思うけど」
「とにかく、私がいいと言ったらいいのよ。わかったわね?」

 日本に帰ってきてすぐに二人は籍を入れたが、十神が用意してあると言っていた結婚式は断って静かに過ごしていた。
以前話していた通り、今は探偵の仕事は休業中であり、かつて誠が一人で探偵として活動拠点にしていた事務所兼自宅に住んでいた。
 誠は少しだけ、響子のウェディングドレス姿を見ることが出来ないことを残念に思っていたが、響子が嫌がるのでは仕方がなかった。

「それより、話があるわ」
「何? 改まって話って……」

テーブルに向い合せになり、コーヒーの入ったカップを持っていた響子の手に力が入る。
誠もすぐに何か大事な話なのだろうと察すると、姿勢を正して彼女の目を見つめ返した。

「あの、約束のことだけど……お互い隣にずっと居るっていう……」
「……?」

 誠は響子の様子を観察したが、明らかにおかしかった。頬を紅潮させて、目を泳がせている。
一体何が言いたいのかも予想がつかなかった。

「あの、誠君……二人の間にもう一人加えてくれるかしら?」
「…………え? そ、それって……まさか……」
「私に似た、子どもにならもみくちゃにされても良いんでしょう? ……まだ似てるかはわからないけれど」
「ほ、本当に?」
「ええ」
「僕の、子ども?」
「他に誰が居るのよ」
「……やった! やったね、響子さん! 僕、すごく嬉しいよ!」
「え、ええ。不安もあるけど、私も嬉しいわ……この子が生まれてきたらいよいよ本当に”家族”らしくなるわね」

 目を細めて微笑みながら、お腹に手を当てる響子の表情はすでに母親の表情のように誠には感じられた。
心の底から湧き上がる感情が抑えきれずに息が荒くなる。誠は椅子を倒しそうな勢いで立ち上がると、ポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出した。
その手はブルブルと震え、操作に手こずっている。

「ぼ、僕、十神君たちに電話してくる!」
「え、ちょっと! まずはあなたのご家族に……!」
「え? ああ! そうか!」

 そんな誠の様子についクスリと響子が笑う。

「ねぇ、そんな状態じゃこの子の"父親"は務まらないわよ」
「――っ! ち、父親……!」

 こんな日が来ることは誰が想像できただろうか。本人たちが一番想像できなかったかもしれない。
特に、生まれた時から探偵だと言っていた響子は、自分がこんなに幸せを感じられる日が来るとは思っていなかった。

――あなたの隣で、この子の隣で私は歩いていく

 響子は笑って、誠とこれから生まれてくる子どもとの希望に満ちた未来を思い描いていた。


― END ―


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