※ナエギリ生誕祭(後編)

「ご、めん……なさい、苗木君、……私、」

 おそらく、それが私の中での引き金になったのだろう。

 溜めこんでいた言葉が、溢れだすように。
 凍らせていた罪悪感が、熱で溶けて零れるように。
 涙の代わりかもしれない、と思った。
 泣き叫ぶ権利なんて私にはないから、代わりに謝罪を零しているのだ。

 あの悪夢が脳裏に蘇る。『私のせいで』と、顔の無い像に責めたてられる夢。

「ごめ、ん……なさ、……」

 心拍数が上がっていく。
 息が苦しい。上手く呼吸が出来ない。喉が潰されているようだ。
 過呼吸の一歩手前かもしれない。苦しいのに、必死に謝罪の言葉を紡ごうとして、また喘ぐ。

 苦しい。気持ち悪い。
 悪寒がとぐろを巻いて、臓腑を絞めつけてくるかのような心地さえする。

「っ、……は、……」
「霧切さん?」

 私の異常を察してか、調理の音が止まった。
 苗木君がこちらを振り向く一瞬、心臓が裏返りそうになる。
 あの夢の中の『絶望』。虚ろな瞳、しわがれた声。
 振り向いた彼の姿が、瞼の裏の、あの『絶望』に窶してしまっていたら――

「……大丈夫?」
「……!!」

 びくん、と、反射で縮こまる。
 肩に置いた手を、申し訳なさそうに苗木君が引っ込めた。
 いつの間にか、ベッドのすぐ隣に立っている。

「痛、……」

 無意識に、私は彼の手を取った。
 苗木君が驚いた拍子に声を上げ、それを呑みこむ。
 構わず、力強くその手を握りしめる。
 男の子を思わせる骨ばった手が、ギシリ、と痛々しく軋んだ。

 離れてしまうのが、こわい。拒まれるのが、こわい。失うのが、こわかった。

 握り返して欲しかった。あるいは、振りほどいて欲しかった。
 か細い声で、痛みに喘いで欲しかった。
 決意を秘めた時の力強い声で、私を罵ってくれたっていい。

 なんでもいい、反応が欲しい。
 そこに『いる』と、確かめさせてほしかった。

 苗木君だけだ。私には、彼しかいない。
 自分のこんなにも弱った、情けない姿を、躊躇なく晒してしまえる相手は。
 苗木君だけが、私を弱くする。
 苗木君だけに、私は弱くなる。

「……霧切さん」

 痛いだろうに、文句の一つも言わない。
 此方の心情を察したかのように、膝を立てて、側にしゃがみ込む。
 滑稽に見えただろうか、あるいはヒステリーでも起こしていると思われたかも。
 どちらでもいい。どう思われようと。

 けれども、苗木君はそんな素振りを少しも見せない。
 いつもの顔色を伺う子犬のような、人懐っこい表情を浮かべている。


「霧切さんは、悪くないよ」

 そして、いつもの苗木君らしい、あたたかい言葉をくれた。

「……、…」

 いつも通りのはずなのに、握りしめていた手の力が、ふっと抜ける。
 いつも通りのあたたかさに、安心している自分に気付く。

 彼が私を邪険に扱ったことなんて、ただの一度だってないはずなのに。
 どうして私は、あんなことを思ってしまったのだろう。

「熱が出ちゃったんだから、しょうがないよ。みんなも怒ってないし。パーティは、また別の日にやろう」
「あ……」

 眉尻を下げる、人の良さそうな微笑み。
 違う、と口をついて言いそうになってしまったのを噤む。

「今日は駄目だったけれど、明日でも、明後日でも。それが駄目なら、その次の日でも」

 違わない。
 私の謝罪の意図は違っていたけれど、無意識にでも望んでいたのは、きっとその言葉だった。

 その言葉を、私は苗木君に言って欲しかったのだ。
 ずるい人間だ。
 結局、自分が許されたいだけ。
 苗木君は、最初から怒ってなんかいない。恨んでもいない。

 私が許されたいのは、『自分自身に』なのかもしれない。

「……そうね」

 私は、自分を許せなかったのか。
 感情を抱く暇もないくらい、機械的に仕事に没頭して、忘れようとしていたのか。
 自責の念を。彼を見捨てかけた過去を。

 なんて体たらく。それで結局、また苗木君に迷惑をかけた。
 いっそ自分に呆れそうになる。

「……ええ、次の日が、あるものね」
「そうだよ、今日がダメでも」

 私が気持ちを取り戻したのを確認して、苗木君はほっとしたように笑った。

「ごめんなさい、その……疲れていたから、ちょっと感情的になってしまって」
「いつもそのくらい感情を表に出してくれたら、僕も助かるんだけど」

 冗談めかして、苗木君が笑う。
 私を落ち付かせるように軽く手を握り返してくる。
 父親が子どもをあやすような気遣い。少しだけ悔しい。

「それ、どういう意味かしら?」
「あはは」
「……ねえ、苗木君」
「うん?」
「一つだけ、いいかしら」
「……うん、なに?」


「鍋、噴きこぼれてるわよ」


 あわててキッチンに戻る彼の後姿に、思わず私は吹き出しそうになった。


―――――


 鶏の旨味を染み込ませた、卵と舞茸の雑炊。
 ほうれん草のおひたしには、大根おろしと手作りのなめ茸。
 とどめに、デザートはヨーグルトベースのババロア白桃添え。当然、これも買って来たものではない。

「……、限度があるでしょう」

 作ってもらったものに文句をつける主義じゃないけれど。
 さすがにこれは、なんというか、熱を出した程度でやりすぎじゃないだろうか。

「食べられなかったら、残して大丈夫だよ。保存の効くものは冷蔵庫に入れておけるし」
「だから、そういう問題じゃなくて」

 言いかけたところで、気恥ずかしそうな苗木君と視線がぶつかる。
 思わず、溜息が洩れた。

 本当は、分かっている。
 深夜に電話を何度もかけ、目の前で過呼吸を起こしそうになって。
 そんな女を相手に、気を遣わない方が苗木君にとっては難しいのだ。

 言葉で気を遣われても、私は大丈夫だと強がってしまうから。
 だからこうして、彼にできることで励ましてくれている。

 見透かされているようで、嬉しくて、少しだけ悔しい。嬉しいのが、悔しい。
 そういうのは私の専売特許なのに。
 結局、文句なんて言えるはずが無かった。

「―――……、…いただきます」

 手を合わせ、感謝の念を込めて、盆の上に手を伸ばし……、気付く。
 スプーンが無い。

「ふー、ふー」
「……ちょっと」

 いつの間にか、スプーンは苗木君の手に握られていた。
 雑炊を一掬いして、自分の口元へ運んでいる。はふ、はふ、と熱そうに呼気を漏らす唇。

「……うーん。ごめん、ちょっと味薄かったかも」
「別に、それは構わないのだけれど……」

 作ってくれる彼には悪い言い方かもしれないけれど、余程の酷さでなければ食べられる。
 栄養と最低限のバリエーションさえあれば、シリアルやレトルトで事足りる人間だ。
 それよりも。

「はい、霧切さん。あーん」

 熱が上がったんじゃないだろうか、少し頭がくらくらした。
 何の臆面もなく、同じスプーンを使って、私の目の前に一口分の雑炊を差し出す苗木君。

 前に朝日奈さんが熱を出した時も、確か彼は看病を申し出て、似たような事をやっていたっけ。
 どちらともその方面には無頓着なのか、さして恥じる素振りも見せていなかった。
 妹がいたから慣れている、とは、その時の苗木君の言葉。

 ふざけないでほしい。私は一人っ子だ。
 あなたが慣れていようが、こっちには心の準備というものが必要だというのに。
 苗木君は私の硬直などものともせず、口元に突きつけてくる。

「やっぱり、食欲ない?」
「いえ、……食べる、けど」

 鼻先に、鶏と舞茸の芳しい香りが飛び込んできた。
 いい匂いだ。
 食欲がなかったとしても、きっと食べたくなる。そう、そこは問題じゃない。

 拒むことは出来る。不衛生よ、と一言告げればいい。
 一人で食べられる、と憮然としてスプーンを奪い返すことだって出来る。
 普段の私なら、そうしただろう。

 けれど。

「……苗木君」

 けれど、今日くらいは、


「……私、猫舌だから……、もう少し、冷ましてくれないかしら」

 今日くらいは、許されたっていいと思う。


 頬が熱い。きっと真っ赤だ。耳も熱い。だって、こんな、幼児みたいな真似。
 少しくらい赤くなったところで、不自然ではないと思う。
 熱があって、よかった。


「あれ、でも、いっつもコーヒー淹れ立てで飲んd」
「――― 冷 ま し て く れ な い か し ら 」
「はい喜んで!」

 薄味かもしれない、と言われたけれど、特に問題はなかった。
 というか、味はほとんど分からない。熱のせいだろうか。

「あーん」
「……あ、あーん……」

 熱のせいに違いない。


 味はともかく、彼が気を遣ってくれたからか、とても食べやすかった。
 二口、三口、と食べるうちに、不思議と食欲も戻り、デザートを平らげると幾分か体も楽になっていた。
 その後は市販の解熱剤を飲まされ、毛布を重ねたベッドに転がされ。
 午後になっても復調の兆しが見られなければ、病院まで車を出してくれるとのこと。

 洗い物をする背中をぼんやり見つめる。

「……、」

 あなたは、どうして。
 どうして私に、親切にしてくれるのか。
 私は酷い仕打ちをしたのに。

 ふと尋ねそうになって、慌てて口を閉じる。蒸し返すのは野暮だとか、それ以前に。

 その答えに、私は一体何を期待しているのだろう。
 望外な感情か。単なる仲間以上の関係か。或いはもっと事務的な、『いつもの』答えか。

「……埋め合わせは、そのうちするわ」

 掻き消すようにして、他の言葉に漕ぎ付ける。

「気にしなくていいって言ってるのに……」
「あなただけにじゃなくて。他のみんなにも、迷惑をかけたでしょう」
「……まあ、十神君あたりは文句言いそうだよね」

 カチャカチャと、食器を重ねる音に混ぜて、さりげなく笑う。

「でも、僕は気にしてないよ」
「……わかった。苗木君風に、こう言い換えるわ」

 本当に、このお人好しときたら。
 恩を一つ返すのにも一苦労だ。なにせ、彼自身が恩を自覚していないのだから。

「あなたには、ずっとお世話になっているから。今回のことを口実に、恩返しがしたいの」

 う、と詰まったような声を漏らす。

「そ、そんなことないと思うんだけど」
「でも、それが苗木君にとって迷惑なら……遠慮せず、そう言って。あなたが嫌がる事は、したくないから」
「……そういう言い方はずるいよ」

 苗木君が困ったようにこちらを振り向くのを見て、してやったり、思わず笑みがこぼれた。

「あなたのいつもの手口じゃない。非難される謂れはないわ」

 まあ、とはいえ。
 金銭や、それで買えるもので恩返しとはしたくない。
 彼から受けた恩は、そういう類のものではないからだ。

「何か、困っていることとか……悩み事はないの?」
「悩みかぁ」

 きゅ、きゅ。蛇口を捻る音。
 掛けてあった布巾で軽く手を拭き、それから玄関へ。
 大きなビニール袋からパッケージを取り出すと、此方に戻ってくる。

「……パッと思いつくようなものはないかな」
「なんでもいいのよ。小さなことでも、大きすぎることでも」
「えー……でも、話してどうなるようなこともなぁ」
「別に、『私に任せて』とは言わないわ。それでも、私にだって話を聞くくらいなら出来るでしょう」

 とはいいつつも、確かに彼には縁遠い言葉だ。
 いつも前を向いて歩いているような人なのだから。
 その時その時で、立ち止まったり躓いたりすることはあれど、物寂しさに後ろを振り向くことはない。

「そう、例えば……身長のこととか」
「……霧切さんの背が高すぎるんだよ」

 拗ねたように顔を背けるのが楽しくて、いつもからかってしまう。
 先程恥ずかしい思いをさせられた、ちょっとした仕返しに。

「そうかしら? 確かにいつも、ヒールや底の厚いブーツを履いてはいるけれど、じゃあ他のみんなは」
「うぐっ……は、葉隠君も十神君も、背は大きい方だし」
「ええ、そうね。じゃあ、腐川さんも?」

 はは、と声だけ笑って目を逸らす。負けを認めたくない時の癖だ。
 人は彼を温厚だとかお人好しだとかいうけれど、けっしてそれだけの人じゃない。
 意外と芯の強い、諦めの悪い男の子。
 私は、それを知っている。

 実はちょっとだけ、こういうコンプレックスの話になると、負けず嫌いになるということも。
 それをこうやって突っついて確認するのが、ちょっと楽しみだったりするのだ。


「はあ……同じ目線で話せるの、朝日奈さんくらいだもんなぁ」


 ちくり。


「……霧切さん?」

 無意識に、胸元を押さえていた。

「……まあ、あなたの身長はいいとして」
「話を振ったの、霧切さんだよね……」

 あ、と、声には出さず、彼の口が形を作った。
 思い当たるものでもあったのだろう。
 解決出来るかは分からなくとも、悩みを共有することで、少しでも近しくありたい。

「何?」

 そんな気持ちで、すかさず尋ねる。けれど、

「……ううん、なんでも」

 首を振って笑みを作り、買って来たらしいカットフルーツを手渡される。
 酸味の効いた柑橘の香り。
 一つをプラスチックのフォークに刺して、あーん、と、また食べさせようとしてくる。

「……」

 明らかに、はぐらかそうとしている。
 それで私が誤魔化せないことくらい、知っているくせに。
 フォークを奪い取って、八つ当たり気味にオレンジを苗木君の口に突っ込んだ。

「もごっ」

 きっと、後ろめたいことではないのだろう。
 そういう時の彼は、分かりやすい。目が泳ぐし、言葉もはっきりしないからだ。
 『あるにはあるけれど、私に話せることではない』というのが正しい。

 とりあえずもう一つ、口の中に突っ込んでおく。

「むぐ……、きりぎりふぁん?」
「……そう、分かった。『なんでもない』のね」

 ふ、と冷めたような寂しさに襲われそうになって、無機質に相槌を打った。
 私だって、彼に言えないことの一つや二つはある。
 自分に秘密があるというのに、彼の隠し事は知りたいだなんて、随分虫の良い話だ。
 出来る事なら、私は彼と対等でありたい。

 あの絶望の学園生活を潜り抜け、それから同僚になった、その程度の仲。
 浅くはないけれど、無遠慮に踏み込めるほど深くもない。


 それに、

「で、でもさ。何かあったら頼りにしてるよ」

 『その程度の仲』なりに、信頼はあるのだ。


「……本当かしら」
「本当だってば!」
「その割には、いつもいつも独りで突っ走って無茶をしているように見えるけれど?」
「……霧切さんには言われたくない」

 じとり、と苗木君にしては珍しく、私を睨めつける。
 あてつけか、と、私も負けじと彼を睨む。

「……ふふ」
「はは」

 そして、どちらからともなく破顔した。

「……冗談よ。頼りにしているわ、苗木君」
「うん、僕もだよ」

 彼が帰った後、疲れがたまっていたのか、私は吸いこまれるようにして眠りに落ちていった。

 その日も。
 その日も、いつもと同じように悪夢を見た。
 いつもと同じ『私』、いつもと同じ『■■君』、いつもと同じ展開、そして絶望。

 一つだけ、いつもと違うものがあったとしたら。
 その日、絶望の貌をした『私』が、私を責めてくることはなかった。

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