折れない剣

雲一つない午後の空から、強い日の光が降り注いで足元の砂を焼く。
眼前に広がるのはキラキラと輝く青い海。
水着を着たボクは、眩しさに目を細めながら急激に南国気分を高めていった。
そして──期待に胸を躍らせながら、彼女を待つ。

南国のリゾート地ジャバウォック島に滞在中の、ボクとセレスさん。
この島に着いてもう数日を過ごしてきたが、ビーチへ遊びに来たのは今日が始めてだ。
せっかく南の島に来たっていうのに、セレスさんが一向に海へ行こうとしないものだから、
もしかして海が嫌いなのかとも思ったが、思い切って誘ってみて良かった。
ボクの「せっかくだから、海に行ってみない?」との言葉を意外にも彼女はあっさりと了承し、
今は──ボクの背後のビーチハウスの中で、そろそろ水着に着替え終わった頃だろう。
アクシデントでもなく、明るい場所でセレスさんの水着姿を見るのは初めての事で……
……いや、ヘンな下心を持っちゃいけないのはわかっているけど……
わかっているけど……期待、するぐらいならいいよな。うん……。

「お待たせしました、苗木君」
ドアが開く音がして、セレスさんの声が続いた。ボクの期待はいよいよクライマックスに達し、反射的に振り返ったのだが──
「あれ……水着……?」
つい声に出してしまった。ボクの期待に反してセレスさんは、薄手のパーカーのような、白い上着を着ている。
目を白黒させるボクに対して、彼女は当然のように言った。
「嫌ですわ、苗木君。こんなに日の光が強い場所で水着になんかなったら、
 わたくしの美しい肌が焼けてしまうじゃありませんか」
「う、うん……そうだよね……まあ……」
そう甘くはない、か……。でも、まあ……気を取り直してセレスさんの格好を見直してみる。
上はサイズが少し大きめのパーカーで、足元は赤いリボンの飾りがついた黒のビーチサンダル。
裾の長い上着で腿の上辺りまで隠れてはいるものの、その先では白い脚が露になっている。
当然日焼け止めか何かで対策しているんだろうけど……彼女がここまで肌を露出するのも珍しい。
ボクはまた違った眩しさに目を細め──思わず、息を飲んだ。

「じゃあ……行こうか」
「ええ。たまには、波の音を聞きながらの読書というのも、いいものですわね」
え……読書? 泳がないまでも、せめて水遊びくらい──と思ったのだが、
セレスさんはすたすたとビーチを歩き、砂の上に立てられたパラソルの下に入ってしまった。
そしてベンチに座り、手にしたバッグから文庫本を取り出す。
「苗木君、どうしましたの? 早くこちらへ」
……唖然として見ていると、お呼びがかかった。
ボク一人で……海で遊ぶ訳にはいかないよな……。
ボクは仕方なく、彼女の隣に行って砂の上の日陰に腰を下ろした。


何人もの観光客が海ではしゃいでいるのを遠目に眺めながら、波の音に耳を傾ける。
ボクのすぐ隣ではセレスさんが読書に集中していて、時折波音にページをめくる音が混じる。
ここは柵で囲まれたプライベートビーチで、高級ホテルのお客しか入れない上に、一定人数で入場制限がかかるらしい。
だから、日本の夏の海水浴場のような混雑や騒がしさとは全くの無縁で……静けさの中、ゆっくりと時間が流れていく。
おまけに日本と違って湿度が低いから、日陰に入って風でも吹けば結構涼しく、快適だ。
ボクのイメージする海水浴とは全くの別物だけど……こういうのも、案外悪くないな……。
そんな事を思いながら、じっと海の方を眺めていたのだが──


意外なものが視界に入り、ボクは座ったままの格好で、前に身を乗り出した。
「ねえ、セレスさん。あれ……!」
「もう、何ですの? 今いいところですのに……」
うるさそうに顔を上げたセレスさんにもわかるように、指で差す。
その先には、黒いビキニを着た女の人がいる。
彼女は海から上がり、まっすぐとこっち──ビーチハウスの方へと向かってきている所だった。

「やはりお前達だったか。また会うとは、奇遇だな」
どうやら、相手もこちらに気づいて確かめにやって来たらしい。この人は──
「あら。辺古山さん……でしたわね。日本にお帰りではなかったのですか?」
「いや、それが少し予定が変わってな。滞在を1日延ばして、今日はここで遊んでいく事になった。
 それも、ある意味ではお前たちのお陰なんだが──」
──彼女の名前は、辺古山ペコ。“超高校級の剣道家”であり、ボクらの学園の先輩だ。
昨日、ちょっとした冒険に出掛けた先で偶然知り合ったのだが……まさか、ここで会うとは思ってもみなかった。
「わたくし達のお陰……とは、どういう意味ですの?」
「私とぼっちゃんや、組の連中が何をしにこの島に来たかは、お前達も知っているだろう。
 一口にジャバウォック島と言っても、広い。本来なら、仕事を終えるのにもっと時間がかかるはずだったんだ。
 だが、お前達が奴らを足止めしてくれたお陰で、予定よりはるかに早く仕事を終える事が出来た。
 組長に電話で報告したら、『せっかくだから少し遊んでこい』と言って下さって……」
ボクらのお陰と言っても偶然に過ぎないし、逆に辺古山先輩に助けられてもいる訳で、恐縮する。
「じゃあ、九頭龍先輩や他の人も?」
気になって、辺りをきょろきょろと見渡してみた。
辺古山先輩には、“超高校級の極道”九頭龍冬彦先輩や、黒服の“お兄さん達”という連れがいるはずだ。
「ぼっちゃんなら……あそこに」
辺古山先輩が指差す先──海近くにもビーチパラソルとベンチが並べてあって、そこから九頭龍先輩がこちらを見ていた。
だが、彼もセレスさん同様、服を着たままで……手を振ってお辞儀を送るが、ぷいと横を向いてしまう。
「えっと……九頭龍先輩、どうかしたんですか? 何か機嫌が悪そうですけど……」
「他の連中がここに来なかったのが、お気に召さなかったらしい。──何人かは仕事の為に日本に帰ったんだが──
 残った者も皆、突然、時差ボケや風邪気味で体調不良と言い出してな。結局、私達2人でビーチに来たんだ」
ボクとセレスさんは無言で顔を見合わせた。
……それは……詳しい事情はわからないけど、気を遣った……のかな、もしかして……。
当の辺古山先輩は、まるで訳がわからない、という風に首を傾げて見せる。

……それはともかく──ボクは改めて、辺古山先輩の姿を見た。
髪は昨日はおさげにしていたのを、後ろで纏めて、大きく形を変えている。
服はセーラー服から、大胆な黒のビキニ姿に。
外国人モデルのような大人びた身体が、まだ水で濡れていて、目のやり場に困るぐらいに色っぽい。
昨日と同じメガネをかけていなかったら、イメージが違いすぎて一見、辺古山先輩とわからなかったかもしれない。
そして、紐で吊るして肩からかけているのは、黒い光沢を帯びた竹刀。────ん? 竹刀……?
“超高校級の剣道家”とはいえ、あまりに場違いな組み合わせに、つい凝視してしまう。
……どう見ても、竹刀……だよな。釣竿でも、船のオールでもないし……これは──
「──痛いっ!?」
考え込んでいると突然、片方の耳に鋭い痛みが走ってボクは悲鳴を上げた。


「見すぎですわ。わきまえなさい……!」
セレスさんがボクの耳を思い切り引っ張ったらしい。戸惑う辺古山先輩と不満げなセレスさんに慌てて弁解する。
「い、いや、違うって。その、下げてるのは……竹刀、ですか? それを、不思議に思って……」
「あ、ああ。これか。……そうだな。海水に浸けても平気な、特別製だ」
辺古山先輩が肩に下げているのを降ろして見せてくれた。
竹製じゃないものを竹刀と言っていいのかはわからないが、黒い金属質の素材で出来た竹刀のようだ。
「もしかして、スイカ割りでもしようというのですか? いくら剣道家でも、ちょっと大袈裟に思えますが」
南国のビーチ、ビキニの美女が、竹刀でスイカ割り……何だか可笑しい。当然、辺古山先輩は首を横に振った。
「まさか。これは、いざという時、ぼっちゃんを守る為の物だ。外国とは言え、いつ敵に襲われるかわからんからな。
 この国のギャングだろうが、サメだろうが……万一の時は、全て私がこの手で打ち倒す。
 私の剣はあの方の為にだけあるし、私もまたあの方の為にだけ存在しているんだ……」
……言葉だけ聞くと惚気話のようだが──辺古山先輩の表情には、はるかに重い……強い決意がみなぎっている。
この人は──どうやらボクなんかが窺い知れないものを背負っているようだ……。
たった1年しか違わないはずの先輩に圧倒され、ボクが返す言葉に詰まっていると──セレスさんがあっさりとした口調で言った。
「なるほど。辺古山さんは言わば、九頭龍さんのナイトですわね。……いかがでしょう、苗木君。
 いい機会ですから、あなたもわたくしのナイトとして、先輩に剣の教えを請うては?」
それを聞いた辺古山先輩は、大きく頷いて見せる。
「それはいい。見たところ、そう筋は悪くなさそうだ。まずは素振りを軽く1000回ほどして──」
「せ、1000回!? いきなりですか!?」
正直、そんな特訓にはついていける気がしない。慌てて首をぶんぶん振ると、辺古山先輩は頬を緩めた。
「冗談だ。人には向き不向きというものがある。君は、君のやり方で彼女を守ってあげるといい」
「はあ……良かった。ありがとう、ございます……」
ボクはほっと胸を撫で下ろし、セレスさんは微笑み、先輩はころころと笑う。
辺古山先輩……いつも冷静な表情だから、ちょっと怖い感じがしたけど……こんな一面もあるんだな。
セレスさんが空気を変えてくれて良かった。それにしても……確かに少しくらいは、ボクも体を鍛えた方がいいのかも……?


「あまり、ぼっちゃんから離れる訳にはいかん。……では、またな」
軽く手を上げた辺古山先輩に別れを告げる。彼女はまた海の方──九頭龍先輩の近くに戻っていった。
ボクらが──というか、セレスさんが──読書に戻ろうとすると、今度は後ろからビーチの係員が話しかけてきた。
英語なので、内容はボクにはわからない。
セレスさんがそれに応じ少し話すと、係員は頭を下げて別のお客の方に歩いていった。
「……今の、何て言ってたの?」
「たいした事ではありませんわ。この後ろの──ビーチハウスの、シャワーが壊れて使えなくなったそうです。
 ですので、シャワーを使う時は、ビーチにある簡易シャワーを使って欲しいと」
ビーチを見渡すと、一人用の簡易シャワーが1ヶ所設置されているのが目に入る。
プライベートビーチのお客の数は少ないが、さすがにシャワーが1ヶ所では混雑しそうで大変だ。
そう口にすると、セレスさんは首を横に振った。
「大丈夫でしょう。すでに、修理業者の方が来ているようですから。
 シャワー室内の細い送水管を一部外して修理するだけで、復旧には1時間もかからないとおっしゃっていましたわ」
「そう……それなら、いいけど……」
いや、でも、どうせ海に入らないボクらには関係ないか。
……やっぱり、ちょっとくらいは海で遊びたかったな……。仕方がないが、小さくため息をついた。


それからしばらくは、さっきまでのように、平和な時間が流れていた。
が────突然、ビーチの方から怒声が上がり、ボクはびくりとしてそちらを見る。
当然、ボクだけではなく、周りの観光客達も一斉に好奇の目を注いだ。
「ざけんじゃねーぞ、この金髪野郎ッ!!」
あれは……九頭龍先輩……!? どういう訳か、九頭龍先輩がすごい剣幕で、外国人の青年に向かって怒鳴っている。
すぐ横で辺古山先輩が『まあまあ』と言わんばかりになだめているので、緊急事態でもなさそうだが──
相手の外国人は気まずそうに辺りを見回し、逃げるようにその場を離れてしまった。
「ど、どうしたのかな? 九頭龍先輩……」
隣のセレスさんに尋ねるが、彼女は素っ気なく答える。
「さあ、あの外国人に足でも踏まれたのでは? ……もう終わったようですし、放っておけばいいでしょう」
それはそうかもしれないけど──すぐにそうも言ってられなくなった。

どこをどう歩いたのか、さっきの外国人の青年がこちらに向かってくる。
そのままビーチハウスに入るのかと思ったが……意外にも彼は親しげな身振りで話しかけてきた。
「えっ……あ、あの……?」
英語が分からず、戸惑うボク──を無視して素通りする青年。
そして、隣のセレスさんに向かって変わらぬ調子で話し続ける。
……何だ、そっちか。ほっとしたのもつかの間、疑問と不安が湧いてくる。
青年の方はやけにフレンドリーなのに、セレスさんは怪訝な表情を浮かべて黙ったままだ。
……別に知り合い……って訳じゃないよな、この感じだと……。
漠然とした不安を抱えながらも会話に参加できずに見守っていると、
ふいにセレスさんがボクの腕に抱きつくようにして掴まり、何か英語で返した。
予想外の展開にドギマギするボクをよそに、さらに青年に向かってにっこりと微笑むセレスさん。
青年は目を丸くして『Really?』と呟き──そう呟いたようにボクには聞こえた──がっくりと肩を落として小さく手を振った。
「な、何? どういう事?」
些か混乱しつつセレスさんと青年を見比べるが、青年の方はくるりと背を向けてビーチハウスに入って行く。
「……そうですわね。今のはいわゆる、ナンパというものでしょうか」
「ナ、ナンパだって!?」
平然とした口調で手を離すセレスさんに対して、ボクは驚きのあまり叫んでしまった。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう。ちょっとデートに誘われたぐらいで……。
 異国の男性とは言え、わたくしの魅力に逆らえないのは当然の事ですわ。
 もっとも、こちらはちっとも興味を感じなかったので追い払ってやりましたが……」
「ああ、そう……」
ボクはため息混じりに苦笑した。今の人……外国人だけあって背は高いし、容姿はそう悪くないと思えたけど──
──ん? それにしても追い払ったって、そのわりには穏やかに話してたような……。
「……フィアンセと一緒だから付き合えない、と言ってやりましたの。さすがに効きましたわね」
「フィ、フィ──!?」
ボクはまた驚いて叫びそうになったが──今度は口を押さえて踏みとどまった。
しかし声の代わりに、急激に熱が顔に上がってくる。
「だって、しつこく付きまとわれても面倒でしょう。……何か問題でも?」
「い、いや……そうだね。大丈夫……」
セレスさんは平然としているが……こちらは動揺させられっぱなしだ。ふっと息を吐いて気持ちを落ち着ける。
一旦、今の出来事は忘れて──思いついた事を口にした。
「そうか、でもこれでわかったよ。……さっき、九頭龍先輩が怒鳴ってた理由が」
「ああ、なるほど。今の方は辺古山さんにも声をかけていたのですね。
 ……全く、節操のない──あんな軽薄な輩は、後ろから刺されても文句は言えませんわ」
セレスさんが不快そうに眉をひそめ、吐き捨てる。
ボクは急激に気疲れし……「物騒な事言わないでよ……」と返すのがやっとだった……。


「お前達──その、平気だったか?」
辺古山先輩が海の方から駆けて来て言った。今度は後ろから仏頂面の九頭龍先輩もついてくる。
さっき遠目で見た通り、九頭龍先輩は水着ではなく、白シャツ一枚に黒いスラックスというラフなスタイルだ。
先輩たちも、同じ人にセレスさんがナンパされるのを見ていたらしい。
少し心配そうな辺古山先輩に、セレスさんがにっこり笑って答える。
「ええ、ご心配なく。わたくしにはナイトがついていますから」
……特に何も出来なかった事にちくりと胸が痛むが……黙っておいた。先輩は軽く頷き、
「私たちは、もう帰る事にした。……いや、さっきの男のせいでぼっちゃんの機嫌がますます悪くなってしまってな。
 私の方がぼっちゃんに心配をかける訳にもいかん……」
九頭龍先輩の方を気にして、後半はかなりの小声になっていた。
「そうですか。では、ここでお別れですわね。どうぞお気をつけて……」
「ああ。同じ学園なんだ、休みが明けたらまた会うこともあるだろう。それまで、体に気をつけてな」
セレスさん、ボクの順で辺古山先輩と固い握手を交わす。
九頭龍先輩にも挨拶をするが、彼は「おう」とぶっきらぼうに返しただけだった。

「では、ぼっちゃん。すぐに着替えてきますので、むやみに動かず、ここで待っていて下さい。
 私のいない間、壁を背にして、くれぐれも油断されないように──」
「あー、わかったわかった。いいから行って来い」
2人の先輩のやりとりが、まるで姉弟か母子のようで微笑ましい。
そんな光景に見とれているうちに、辺古山先輩はドアを開けてビーチハウスの中に入ってしまった。
ふと、ある事を思い出して声を上げる。
「あ……しまった」
「あら。どうかしましたの? 苗木君」
「ここのシャワー、確か壊れてるんだよね? 先輩に言えば良かった」
「ああ……そうでしたわね。まあ、すぐに気づいて戻ってこられるでしょう。別に、あなたが──」
セレスさんが言い終わる前に、勢いよくビーチハウスのドアが開いて辺古山先輩が飛び出してきた。
いくらなんでも、早すぎ──と苦笑する事も出来ない。
何故なら、彼女の表情がまさに“血相を変えて”と表現するのが相応しいものになっていたからだ。
「大変だ! 早く医者を呼んでくれ!」
誰にともなく叫ぶ辺古山先輩。これは──ただ事じゃない……!?
開いたままのドアの向こうに、ビーチハウスの中が見える。その、床の上に────水着姿の男が一人、倒れていた。
うつぶせの体勢で……真っ赤な水溜りの上に、頭を置いて────


すぐに駆けつけた係員の手で応急手当を受けた青年は、その後救急車によって運ばれていった。
発見が早かったおかげで、彼は生命の危機を脱したようだ。が──……
「……ペコが容疑者だぁ!? ンだそりゃ!?」
九頭龍先輩の怒鳴り声が再びビーチに響き渡る。
至近距離にいたボクとセレスさんはほとんど同時に耳を塞ぎ……かろうじてダメージを免れた。
────九頭龍先輩の言う通りだ。
……ビーチにいたお客や係員から一通り話をした警官は、辺古山先輩を第一の容疑者として連れて行ってしまった。
ボクや九頭龍先輩の代わりに警官と話したセレスさんによると、彼女は今も、ビーチの外で事情を聞かれているらしい。
「おい、どういう理由かちゃんと聞いたんだろうなぁ!? 事と次第じゃタダじゃおかねーぞッ!?」
怒りを露に、セレスさんに詰め寄る九頭龍先輩。
そんな“超高校級の極道”を前にしてもセレスさんは少しも怯まず、静かな口調で言った。
「九頭龍さん、少し落ち着いて下さいな。そんな大声を出されては、話しにくくて仕方ありませんわ」
「……ッ! ……悪ぃ。続けてくれ……」
九頭龍先輩が固く唇を結ぶのを見てから、セレスさんは話を始めた。
あの辺古山先輩が犯人だなんて、信じられないのはボクも同じだ。先輩と一緒に、真剣に耳を傾ける。


「まず、辺古山さんが疑われている最大の理由ですが、彼女が事件の直前に被害者に接近できた数少ない人物だからです」
「被害者に接近……って言うのは、もしかしてビーチハウスの事?」
ボクは事件の前の出来事を思い出す。
──被害者が辺古山先輩に声をかける。次にセレスさんに。彼がビーチハウスに入って、少し後に辺古山先輩が続いた……
「ええ。被害者がビーチハウスに入ってから倒れている姿を発見されるまでの間に、
 ビーチハウスに入った人間は辺古山さんだけだそうですわ。
 ビーチハウスの出入り口は表と裏の二ヶ所がありますが、表の入り口の前にはわたくし達がいましたし、
 裏の入り口の前では2人の係員が作業をしていて、『ここから出入りした人はいない』と証言しているそうです」
……ちなみに、その係員達は夜からのバーベキューパーティの準備をしていたんだとか……。
「……窓から……誰か、窓から出入りしやがったかもしれねーじゃねぇか……」
九頭龍先輩が呻くような声で反論したが、セレスさんはバッサリ斬って捨てる。
「人が出入りできる大きさの窓は、ビーチに面した一ヶ所しかありません。
 ビーチにいた大勢の人の目を盗んで、そこから出入りする事は不可能ですわ。
 窓のすぐ下の砂浜にも、全く足跡がついていなかったそうですし……」
何か言い返そうと口を開きかける九頭龍先輩だが、唇が震えるばかりで言葉が出ないようだった。
……先輩は今、とても冷静に考えられる精神状態じゃない。代わりに、ボクが気になっていた事を口にする。
「……でも、さっきセレスさんは辺古山先輩が被害者に接近できた“数少ない人物”って言ったよね。“唯一”じゃなくて。
 って、事は……他にも容疑者が────もしかして、最初からビーチハウスには他の人もいた……?」
ボクの言葉に、セレスさんは満足げに頷いた。
「その通りです、苗木君。ビーチハウス内のシャワー室で、修理業者が仕事をしていました。
 彼は被害者より先──数十分前に裏口から中に入り、騒ぎが起こった時も作業を続けていたようです」
ああ……そう言えば、シャワーが壊れて業者を呼んだって言ってたな……。
この情報に、苦虫を噛み潰したような九頭龍先輩の顔が一気に明るくなった。
「何だよ、だったら犯人はそいつで決まりじゃねーか!」
ボクも同感だったが、セレスさんは冷めた目で首を横に振る。
「残念ですが、それでも辺古山さんの方が分が悪いのです。
 ……警察が被害者の傷口を調べたところ、“硬い棒状の凶器”で頭を殴られていたそうですわ。
 ところが業者の方はそんな凶器を持っておらず、現場からも凶器になりそうな物は見つかっていません」
……そこから先は、聞かなくても容易に想像出来た。
──つまり、凶器になりそうな金属質の竹刀を持っていた辺古山ペコが犯人である──……

「……けどよ、確か──そう、ルミノール……反応だっけ? エモノに血が付いたんなら、警察が調べりゃわかんだろ?
 ペコがやる訳ねぇから、それで別な凶器があるってわかんだろうがッ……!」
ルミノール──ボクも刑事ドラマなんかで耳にした事がある。
確か、警察が科学捜査で使う薬品で、凶器についた血を犯人が拭き取ってしまっても、
そのルミノール液を吹き付けると色が変わり、犯行の痕跡が目に見えるのだとか……。
九頭龍先輩の言ったような事を、警察が検証していない訳がないと思うのだが……セレスさんはまたも首を横に振った。
「それは、どうでしょう? 日本の警察は世界的にもかなり優秀なレベルだと聞きますが、
 はっきり言ってこちらの警察は足元にも及びそうもありませんわ。
 ──と、言うのもジャバウォック島では島ごとに管轄の警察が違っていて、
 都会の『3番目の島』や『5番目の島』の警察ならまだしも、のどかなこちらの島では……」
その警察のうち──30代くらいの若い警官のコンビになら、さっきボクも会った。
そう言われると、平和な島では珍しい血なまぐさい事件に、何だか浮き足立っていたようにも思えてくる。
もちろん警察を信じたいけど……ボクの頭の中で、『誤認逮捕』や『冤罪』という言葉がこだまする……。
「ンだよ、ここの警察はルミノールも知らねえボンクラ揃いだってのか!?」


「いえ……そこまでは言いませんが、竹刀からルミノール反応が出なくても、
 辺古山さんが逮捕される事は十分にあり得ると思うのです。
 何しろ、他に凶器らしい物を持っていた容疑者はいない訳ですし、彼女には“動機”もあります。
 ……事件から、もう1時間は経っていますわね。未だに辺古山さん一人だけが解放されない事が、
 警察が誰より彼女を怪しんでいる証拠ではありませんか?」
「グッ……!!」
やり込められた九頭龍先輩は、歯軋りをしながら体をわなわなと震わせた。
ボクは「仮定の話でそこまで追い込まなくても──」と言いたくなったが、気休めにしかならない反論をしても意味がない。
そこで、気になった別の点について尋ねてみる事にした。
「えっと、その……“動機”について、警察はどう考えているのかな?
 辺古山先輩は多分、被害者と知り合いでもなかっただろうし、強盗事件でもないんだよね……?」
……薄々想像はついていたが、聞かずにはいられない。
「それはもちろん、先程のナンパ騒ぎですわ。あの被害者の方、どうやらこの界隈では有名な“女たらし”だそうですの。
 旅行者だろうが地元の女の子だろうがお構いなしに次々と恋人を変えて、トラブルになる事もあったのだとか。
 今回もその例に漏れず、言い寄ってくる男に業を煮やした辺古山さんが──」
つまり、警察の想定はこんなところか。
────いつものようにビーチでナンパをしていた被害者が、辺古山先輩に声をかける。
一度は九頭龍先輩に怒鳴られて引き下がったものの、ビーチハウスで偶然、再会してしまった。
今度こそ、としつこく食い下がる男。拒む女。そんな綱引きが繰り返された末に────!
「……っざけんじゃねえ!! だったら正当防衛だろうがッ!!」
怒り心頭の九頭龍先輩が吼え、ボクはそれをなだめた。
「お、落ち着いて下さい。──辺古山先輩は何もやってない。……そうでしょ?」
「ああ……そうだ。……クソッ、悪いな。また……」
しかし──客観的に見て、辺古山先輩はかなり状況が悪いみたいだ。
このままだと、本当に彼女が犯人にされてしまうかもしれない……。

「さて、おわかり頂けましたか? もう、わたくし達は帰ってもよろしいですね。
 ……では、御機嫌よう。辺古山さんの容疑が、一刻も早く晴れる事をお祈りしていますわ」
にっこり笑ってビーチの出口に向かおうとするセレスさん。それを慌てて引き止める。
「ちょ、ちょっと待ってよ! まさか、このまま先輩を見捨てる気?」
ボクの言葉に、彼女はあっさりと答えた。
「見捨てるも何も、この件はわたくしとは関係ありませんもの。……あなたの方こそ、どういうおつもりですの?」
……どうと言われても、答えに詰まるが──このまま黙ってはいられない。
詳しく話を聞いても、やはりボクには辺古山先輩が犯人だとは思えなかった。
このまま見て見ぬふりなんて、出来るわけがない……!
「ボクは──辺古山先輩は絶対に、犯人じゃないと思うんだ。
 だから、その事を……警察に言って、わかって貰いたい……」
九頭龍先輩が、はっとした表情でボクを見た。一方、セレスさんは訝しげに眉をひそめる。
「絶対……思うだなんて、矛盾していますわよ。どうして、そんなに辺古山さんを庇いますの?
 わたくし達は、昨日先輩方と会ったばかりじゃありませんか」
「それでも……ボクは、信じたいんだ。事件の前に、辺古山先輩が言ってたよね。
 自分の剣は九頭龍先輩の為だけにあるし、自分自身も九頭龍先輩の為だけにいる……って。
 そんな人が、ナンパしてきただけの相手を剣で殴って大怪我させるなんて、おかしいよ……!」
「あいつが……ペコが、そんな事を……?」
一人呟く九頭龍先輩をよそに、セレスさんは思案するように少しの間、目を閉じ……また開いた。
「全く……お人好しもいい加減にして下さいな。そんな事では、何度騙されても足りませんわよ?」
さらに小さく「呆れてしまいますわ」と続け、ふっと息を吐く。


……駄目、なのか? ボクなんかじゃ、……親しい……セレスさん一人さえ納得させられないのだろうか。
気落ちしかけたが、彼女はボクの方に向き直って言った。
「仕方がありませんわね……。あなたがそこまで言うのなら、わたくしも協力して差し上げますわ。
 どうせ、わたくしが警官と話さなくてはいけないのでしょう?」
「セ、セレスさん、ありがとう……!!」
感激のあまり、ボクはつい勢い良くセレスさんに歩み寄ってしまった。
突然すぎて驚いた様子のセレスさんに手で制されて、一歩、後ずさる。
「お、お礼は真犯人が見つかってからで結構ですわ。まだ、何もわかっていませんのに……」
「ご、ごめん。いや、でも……ありがとう」
繰り返すボクに、セレスさんはほとんど聞き取れないような小声で呟いた。
「本当に……呆れたお人好し……。……ですが──……」


「オメーらの気持ちは嬉しいけどよ。一体、どうすりゃペコの容疑を晴らせるんだ?」
九頭龍先輩が真剣な眼差しで問いかけてくる。ボクは、少したじろぎながらも、それに答えた。
「それは──ボクらが事件の真相を推理して、警察に別の“可能性”を示すしか、ないと思います」
「真相を……推理だあ? そんな事、マジで出来んのかよ……」
胡散臭そうにボクの姿を見回す先輩。──確かに、ボクはあまり頼りがいのある外見じゃないだろうな……。
だけど、とにかくここは、信用して貰うしかない。ボクは内心の動揺を悟られぬよう、力強く頷いて見せた。
「出来ます。だって、ボクらはあの有名な“超高校級の探偵”のクラスメイトなんですよ。
 いつも、彼女が解決した難事件の話を聞かされてきたんですから、大丈夫です……!」
「……あの有名な、って俺は知らねーぞ。しかもそいつの話を聞いてただけかよ……?」
「そんなお話、初耳ですわよ。……ねえ?」
セレスさんまで、胡散臭そうに首を傾げる。……そ、そこは話を合わせるとか──!
心の中で入れたツッコミが届いた訳でもないだろうが、彼女は付け足した。
「でも、まあ……“超高校級の探偵”が身近にいた事は事実ですし、こう見えて、苗木君は結構鋭い所もありますわ。
 とにかく、やるだけやってみましょうか。……辺古山さんの容疑が晴れなくても、それはそれ、という事で……」
「おい、待てよコラ!」「そ、それじゃ駄目だって!」
……ボクと九頭龍先輩が同時に声を上げ、捜査は始まった。

まずは情報を集める為に、現場になったビーチハウスに近づく。
が……当然、入り口には見張りの警官が立っていて、中には入れそうもない。
「これは……交渉した所で中を調べるのは無理ですわね」
「うん……。とりあえず、建物の周りを一周してみようか。窓から覗くぐらいは出来そうだし」
ボク、セレスさん、九頭龍先輩……3人で連れ立って歩き出す。
ビーチハウスは平屋建て。白い石造りの上品な建物で、まさに“セレブな海の家”といった外観だ。
警官が守る正面のドアのすぐ横には立派な出窓がついていて、ちょうどそこから現場が見える。
窓の下の砂浜にはすでに警官のものと思われる足跡が複数あり、ボクらがそこに立っても特に問題はなさそうだ。
実際、ゆっくり窓に近づいても、そばの警官はこちらを一瞥しただけで何も言わなかった。
「あれが、ヤローが倒れてやがった跡か。他には……特に何もねえな……」
九頭龍先輩が失望感のこもった声を上げる。
内装は……飲物の詰まった大型のクーラーとゴミ箱が目に付くぐらいで、そもそも見るべき所がなさそうだ。
部屋の中央あたりに生々しい血痕が残っている他、ここからではこれといった異常は見つからない。
何人かの警官が今も動き回ってはいるのだが、すでに容疑者が確保されているせいか、どこか淡々として見えた。
──ここは、もういいだろう。そのまま建物の裏に向かって歩き出す。

ビーチハウスの裏はちょっとした広場になっていて、バーベキューに使う道具や、屋外用の机と椅子が並べられていた。
事件当時、ここで2人の従業員がパーティのセッティングをしていたというが、事が事だけに今は中断していて誰もいない。
裏口のドアの前の警官に軽く会釈をして、ボクらは裏からビーチハウスを仰ぎ見た。
「おい、あれ……天窓じゃねえか? ひょっとすると、あそこから出入りすりゃ……!」
九頭龍先輩の指差す先──屋根の一部がへこんでいて、小さな窓が見える。
ボクも着替えの為に一度はビーチハウス内に入っていた。
その記憶を辿ると──あの窓があるのは、シャワー室あたりか?


「実際に人間が通れるかどうかは、検証してみないとわかりませんが、結構な高さがありますわよ。
 建物の中と外で、どうすれば屋根の高さまで登り下り出来るのでしょうか?」
残念だが、セレスさんの反論ももっともだ。九頭龍先輩はため息をついた。
「そう……だな。もし仮に屋根に乗った奴がいたしても、目立ってしょうがねえか……」
何か、否定的な意見ばかりだな……。ボクは取り繕うように、一つの案を口にする。
「じゃあ……人が通るのは無理でも、凶器だけならどうだろう?
 犯人がシャワー室の中にいた修理業者の人なら、槍投げみたいにして窓から凶器を処分したとか」
セレスさんと九頭龍先輩が同時にボクの顔を見た。……ガッカリした表情で。
「ンな器用なマネ、本当に出来んのかよ……?」
「先程、建物の裏には係員がいたと言ったでしょう。彼らは窓から凶器が飛んできた事に気づかなかったのですか?」
正直、さほど自信があって言った訳じゃない。ボクは頭を掻いて発言を撤回した。
一旦、この場での推理は諦め、再び建物に沿って移動する。

結局、建物の周りを一周して、正面に戻ってきた。
わかったのは「それは違う」という事ばかりで、事件解決への糸口は未だに見えない。
ボクらは自然と無口になり……ボクは当てもなくビーチに視線を巡らせる。
事件の後……今もって集中的に事情聴取をされているのは辺古山先輩だけだが、
念の為だろう、事件が起こった時にビーチ内にいた全ての人が、警察の要請で柵の中に留められている。
その人々──大半が水着姿の観光客だ──の中に一人、明らかに係員でも観光客でもない人が混じっているのが目に入った。
青いツナギの上下を着た、現地人らしい若い男性。彼は、建物の影の下に腰を下ろし、無表情でタバコをくゆらせている。
「あの人が、例の修理業者かな?」
「そうですわね。隣に置いてあるのが、ここに持ち込んだ工具セットの箱でしょう」
事件が起こった時にシャワー室内にいたという、もう一人の容疑者──彼を見る九頭龍先輩の目が、きらりと光った。
「ペコが犯人じゃねー以上、アイツがやったに決まってらぁ。いっちょ、オレが締め上げて──」
「だ、駄目ですって! まだ警察がいるんですから!」
血気に逸る先輩を何とか押し止め、ボクは改めて修理業者の男性を観察した。
さっきビーチハウスの周りを調べて……彼と辺古山先輩以外の人間が建物に出入りした可能性はなくなった。
九頭龍先輩の言う通り、辺古山先輩が犯人でないなら、当然彼が犯人という事になる。
しかし、そうなると立ちはだかるのは凶器の問題だ。
事件が起こった時、シャワー室にいたという修理業者。彼に使えた“硬い棒状の凶器”とは何だろう?
また、この事件は発生から発覚までが非常に早かった。そんな短い間に、どうやってその凶器を処分した?
「……警察は、もちろんあの工具箱の中は調べたんだよね?」
「もちろんですわ。中に入っていたのは各種のドライバーや小型のスパナぐらいで、
 とても凶器になりそうな物は入っていなかったとか。だからこそ、辺古山さんが……」
……ドライバーやスパナ……使えた……凶器……?
ボクの頭が急速に回転を始め──突然、ある考えが閃いた。もしかして──!?
「……セレスさん。警官に確かめてくれないかな。あの場所に、凶器がないかどうか」
「何か、思いついたのですね。……あの場所とは、どこですの?」
「シャワー室の中だよ。シャワーに水を送る送水管。……それを取り外せば、凶器になるかもしれない……」


ボクの思いついたアイデアをセレスさんから警官に伝えてもらったところ──警官は目を丸くして頷いた。
そして修理業者を立ち合わせ、彼が修理していたという送水管を再び取り外すと、
壁際の陰になっていた部分に、乾いた血がべったりとこびりついていたという。
観念した修理業者は特に抵抗もせず……傷害事件の犯人として連行されていった……。


「……なるほど。つまり、こういう事だったのですね。送水管を修理する為に呼ばれた業者の男性。
 彼は穴が開いたかどうかした送水管を、工具を使って取り外した。
 同じサイズの送水管と交換しようと、それを持ってシャワー室を出た時に、
 タイミング悪く、元々恨んでいたあのナンパ男と遭遇してしまい──」
恨みというのは、被害者が犯人の恋人を奪っておきながら、あっさり捨てた事だったらしい。
カッとなって相手を殴ってしまった犯人は、建物の外に逃げ場を失い、再びシャワー室に戻った。
そこで彼が犯行の証拠……凶器を隠す為に取った方法が、外した送水管(その状態なら、ただの鉄パイプだ)を、
元通りに壁に取り付けておく事だったのだ。ただし血のついた部分を、壁際に向けて……。
「しかし、警察にはもっとしっかりして欲しいものですわ。
 犯行の直後に現場に入ったというだけで、危うく辺古山さんが犯人になる所だったじゃありませんか」
セレスさんの言う通りだが、目の前に辺古山先輩という分かりやすい容疑者がいたのだから、
それに飛びついてしまうのも無理はないのかもしれない。
ボクらが口出ししなくても、いずれは辺古山先輩の無実を証明してくれたはず……と、思う……。


犯人が逮捕されたので、ビーチに留まっていた人達は全員、帰宅を許された。
辺古山先輩も解放されるというので九頭龍先輩が迎えに行き、ボクらだけが残される。
気がつけば、もう日が傾き始めていて……辺りは夕焼けに赤く染まっていた。
「事件が解決したのはいいのですが、こんな時間になってしまいましたわね。
 ……わざわざ、海に遊びに来たというのに」
つまらなそうに言うセレスさんに、ボクは謝る事しか出来ない。
「その……何ていうか、ごめん。ボクが海に誘ったのに、結局、先輩の方にかかりきりになっちゃって……」
「ええ、本当ですわ。あなたという人は、自分の立場も忘れて、『放っておけない』と駄々をこねて……」
拗ねたような口調。ボクはまた、反射的に「ごめん」と言いかけたのだが──セレスさんはぴしゃりとそれを遮り、
「わかっていますわ。……あなたは、誰かの為に力を尽くせる優しい人。変わらぬ意志を貫く人。
 それをわかった上で、こうしてそばに置いているのです」
彼女は、にっこりと──これ以上ないくらい、穏やかに微笑んでいる。それを見た瞬間、ボクの心臓がどくん、と跳ねた。
「……少し、歩きましょうか」
「うん……」
セレスさんがそっと差し出した左手を取り、2人並んで歩き出す。
まだ昼間の熱を残す、柔らかな砂浜の感触が心地いい。
すっかり人影がまばらになったビーチを、ボクらは何も言わず、ただ歩き続けていた。


……波打ち際までやってきた。ビーチの入り口──ビーチハウスの辺りはもう遠く、辺りに人気はない。
セレスさんが、静かに口を開く。
「辺古山さんは、強く、真っ直ぐな剣をお持ちの人でしたわね」
「そう、だね。辺古山先輩はあんなに強いのに……九頭龍先輩の為にしか、剣を振らない。
 どんな時でもそれが変わらないのは、剣士としてだけじゃなく、人として……とても強いから……」
前にボクらを助けてくれた時も。今日のビーチでも。全ては九頭龍先輩の為────
ボクはそんな強い人に、ただただ敬服するしかない。
「少し、九頭龍さんを羨ましく思いましたわ。あんなに忠実な騎士は滅多にいるものではありません」
それは、全く同感だ。ボクは前──海の方を向いたまま、頷きを返した。
「ですが……すぐに思い直しました。何故なら、わたくしはすでに持っていますもの。
 辺古山さんに負けないくらいの──腕力はなくても、自分の優しさを貫ける強さを持った、忠実なナイトを……」
セレスさんの言葉に、ボクは思わず彼女の方を見た。
白い頬が、夕焼けに染まって紅く見える。きっとボクの顔も、同じように紅くなっているだろう。
「どんな時も、決して信頼を裏切らないという事は、ナイトとして最も重要な条件ですわ。
 そして時には、主人であるわたくしも、その信頼に応えなければなりません」
セレスさんはボクの手を解き、自分の上着に手をかけた。
衣擦れの音に続いて現れたのは、黒い生地に紫色のフリルがついた可愛いビキニ姿。
逆光の中でも……露出した真っ白な肌との対比が目を奪われるほど綺麗だ。
「本来ならわたくしが人前で……ましてや太陽の下で肌を晒すなんて、あり得ない事ですわ。
 今日は特別に……あなたにだけ……ご褒美を差し上げましょう」
ボクはセレスさんと向かい合い……互いに一歩、近づいた。彼女の手が、ボクの肩に添えられる。
さらに、距離が縮まり──────…………

「──ンだよ、ここにいたのか! 探したぜ、オメーら!」
…………!!!!
絶妙のタイミングで九頭龍先輩の声が聞こえ、ボクはとっさにセレスさんを離して振り返った。
「く、九頭龍先輩! それに、辺古山先輩も!」
2人の先輩が満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。ボクの後ろで、セレスさんがいそいそと上着を羽織る気配がした。
「お前達が、警察に説明してくれたそうだな。本当に、助かった。ありがとう」
辺古山先輩がそう言って頭を下げてくれたのだが、ボクらはぎこちない笑みを返す事しかできない。
「オメーら……どうかしたかよ? 急によそよそしいっつーか、何つーか」
不思議そうにこちらの顔を覗き込んでくる九頭龍先輩。
「い、いや、別に! 大丈夫です、先輩!」
「……? そうか、ならいいけどよ」
その後、繰り返し先輩達に礼を言われている間も、ボクは赤い顔に気づかれないかとハラハラし続けだった。
セレスさんはずっと黙ったまま……気のない素振りで海の方ばかりを見ている。
全く……今日の事は、多分一生忘れられそうにもない。
先輩達の事も、厄介な事件も、ご褒美の事も────

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