猫は自らの死期を悟ると、人知れず姿を消すという。
自分の死体を見せたくないのだとか、死ぬべき場所を探しに行くのだとか、諸説ある。
小噺好きの同級生が声高にそんなうんちくを語っているのを聞いて、僕はあぁ、なるほどと妙に納得してしまったのだ。
あまりにも、あてはまり過ぎていたので。
「……あなたは犬っぽいわね、苗木君」
脈絡も無しに霧切さんがそう切り出したので、僕はしばらく忘れていたその猫の話を思い出した。
そういう霧切さんは猫っぽいね、と言い返そうとして、やめる。
なんというか、女の子に『猫っぽいね』だなんて、ちょっといやらしい意味に取られてしまうかもしれない。
「どの辺が?」
「大好きな御主人の為に死にそうなところ、とか」
さらり、と言葉の刃が心臓に突き刺さった。
相変わらず冗談の切れ味が鋭い。否定できないところが、ますます痛かったりする。
二人だけが残っている教室の、ほんのわずかにあけ放たれた窓が風を呼び込んで、絹のような銀髪を揺らしている。
言い放った霧切さんは、どこかアンニュイな表情を浮かべている。
情か理で言えば、理の人だ。何も考えずに物騒な事を口走ったりはしない。
どうしていきなり彼女がそんな事を言い出したのか、僕は気になったので、訪ねてみることにした。
「苗木君は……」
すみれ色の石のような瞳が、僕を覗き込む。
「自分と、大切な人。どちらか一人が死ななければいけない時……どうする?」
また脈絡のない質問を。
しかも、微妙に重い。声の調子からしても、冗談や話の種ではなく本気で答えを求めている。
「どうする、って……」
「大切な人を助けるために、自分から命を絶つ? それとも……」
「そんなの……状況によって、違うんじゃないかな」
何とも僕らしい、オーソドックスで当たり障りのない答えだ。
当然霧切さんが納得するはずもなく、複雑そうに眉根を寄せて、小さな声で「ん……」と唸っている。
「じゃあ、視点を変えるわ」
「視点?」
「ええ、もっと分かりやすい……そうね、苗木君が答えやすいように」
それなら、どうして最初からそうしてくれないのだろうか。
「貴方の大切な人が、どうしても生きたい理由があって……自分が生きるために、貴方を見捨てたとしたら」
教室には、僕と霧切さんだけがいた。
他の誰もいない。影もない。声も足音もしない。時計の針は、ずっと止まっている。
「貴方は、その相手を……やっぱり、恨んでしまうかしら……?」
「どうして?」
返した僕の第一声は、それだった。
面喰らったように、霧切さんが二、三度目を瞬かせる。
「残念には思うけど、その人が悪いわけじゃあないじゃないか。ましてや大切な人なんだし、恨んだりはしないよ」
何かを言いたげに、霧切さんは口を開いて、けれども言葉が見つからないのか、すぐに閉じた。
理解しきれない、という表情で。
しばらくそれを繰り返した後、泣きそうな表情で、少しだけ俯く。
「私は、……きっと、同じことをされたら恨んでしまうわ」
罪を告白するかのような口ぶりだった。
彼女が泣く時は、表情を一切変えない。
声も上げず、息も震わせない。
自分が泣いていることにすら気付いていないのではないか、と思ってしまう。
「相手は悪くない、と……頭では分かっていても……。苗木君、私を軽蔑する……?」
「しないよ」
「嘘……っ、軽蔑した、でしょう……いえ、軽蔑して。その方が、貴方に軽蔑される方が、ずっと……」
そこから先は声も為さず、掠れたような音を喉の奥から漏らす。
許される方が辛いってことも、あるのだろうか。
一呼吸置いて、彼女が落ち付くための時間を作る。
「生き残った方だって、きっと辛いんだ。それは、忘れないであげて」
ふと気が付いた。どうしてこんな話になったのだろう。
そもそも、いつから僕はここにいるのだろうか。
始まりはなんだったのだろうか。私は、
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
「霧切さん、寝不足?」
彼女にしては珍しく欠伸をしていたので話しかけると、ふい、と目を逸らされてしまった。
「……昨晩、倒錯的な悪夢を見たのよ」
「倒錯的?」
「……自己嫌悪するほどね」
僕から目を逸らしたまま、なぜか気まずそうに霧切さんが言う。
未来機関のオフィスで、二人きりの昼休憩。特に話がはずむことも無く、気まずい空気が流れる。
相当嫌な夢だったのだろう、目を伏せた霧切さんが、その夢を思い返して顔をしかめているのが分かる。
「その、さ。元気出してよ」
「寝不足相手に、酷なことを言うのね」
「そんなに嫌な夢だったの?」
「ええ。……そういえば夢の中でも、苗木君に慰められたわ」
「……えっと」
答えに窮する。
なんというか、霧切さんのその言い方が、絶妙に色っぽくて。
そんな声と表情で『慰める』だなんて言われると、どうしてもこう、いやらしい方の意味を想像してしまう。
くす、と霧切さんが表情を崩した。
「……やっぱり、苗木君は犬っぽいわね」
「『やっぱり』、って?」
「こっちの話よ」
そういう霧切さんは猫っぽいなぁ、と思う。
「苗木君、犬は好きかしら」
「……実は、猫派なんだ」
「あら、そうなの?」
その答えに、僕がどういう意図を込めたかは語らなかった。
「それは残念ね」
けれど、霧切さんは笑った。
それはもう嬉しそうに。
「私は犬派なの、苗木君」
「……そっか」
「趣味が合わないわね」
「そ、そうだね……」
痛快な笑み、というものを、彼女は浮かべない。
心底嬉しい時は微笑を浮かべたまま、少しだけいつもより饒舌になる。
それだけのことなんだけれど、何故か妙に気恥ずかしくなってしまう。
「……ねえ、苗木君? よかったら、その猫のどこが魅力的なのか、私に教えてくれないかしら」
「え、あ、えっと、書類溜まってるから、僕はこれで、」
「今は昼休憩よ、苗木君」
「そ、そういう霧切さんは……犬のどこが好きなの?」
「馬鹿正直でお人好しで、ちょっとだけ前向きなところかしら」
くすくすと、小気味よく笑いながら、間髪入れずに返してくる。
これはもう確信犯だろう。
気遣っていたはずなのにいつの間にかはぐらかされて、気付けばからかわれているのにも、もう慣れた。
「……まあ、元気が出たようでなによりかな」
「……ありがとう、苗木君」
互いが最後に呟いた言葉だけは、お互いに届かずに終わる。
二人が互いの想いに気付くのは、まだまだ先のことだろう。
最終更新:2014年02月02日 15:15