ジャックを待ちながら

ロケットパンチマーケット──
何ともユニークな名前だが、観光客向けのお土産や食料品、日用雑貨なども一手に扱う、
ジャバウォック島で最もポピュラーな商業施設だ。
多くの旅行者や買い物客で賑わうその店内の休憩スペースには、今……
“超高校級の幸運”であるボクと、“超高校級のギャンブラー”のセレスさんだけがいる。

一台しかないベンチで、ボクは隣──少し離れた位置に座るセレスさんの横顔を盗み見た。
女王様気質だという彼女は、他人に待たされている今の状況が気に入らないようだ。
ツンと澄ました表情はさっきから少しも変わらず、不機嫌そうに黙り込んでいる。
艶やかな黒髪、陶器のように白い肌、整った目鼻立ち、淡い桜色の唇──
それらを兼ね備えた本当に綺麗な女の子だけに、そんな姿がサマになっているが……
このままじっと見ていても怒らせてしまうだけだろう。ボクは沈黙に耐えられず、おもむろに口を開いた。
「……ねえ。もし退屈なら、少し、ボクの話を聞いてくれないかな。
 最近起こった、ちょっと変わった事件の話なんだけど……
 ボクなりに思うところもあって……誰かに、聞いてもらいたくてさ」
………………………………
10秒ほどの間があって、セレスさんはこちらを見ようともせず、前を向いたまま答える。
「どうしても話したいのでしたら、ご自由にどうぞ。……わたくしが聞いて差し上げるとは、言いませんが」
あまりに素っ気無い口調。やはり、ご機嫌ナナメのようだ。ボクは苦笑して頬を掻く。
「……じ、じゃあ、話させて貰おうかな。──まず、事の起こり……ボクが事件を知ったきっかけはね──」
少しでも空気を和ませようと、出来るだけ明るい口調で話し始めた。

「あれは、先月の頭の日曜日。ボクは、一人で──もちろん日本の、ビーチを歩いてたんだ。
 学校は休みで特に予定もなかったし、寮に居ても暇でさ。何となく海が見たくなったから、
 学園前からバスに乗って──知ってるよね? ××岬」
××岬は、希望ヶ峰学園から車で1時間ぐらいの場所にある。
崖から海を一望できる絶景スポットあり、カップルに人気のビーチありのちょっとした観光名所で、
都会から比較的近い事もあって、春や夏の行楽シーズンには結構な賑わいを見せる。
学園の生徒なら、行った事がなくても噂を聞いた事ぐらいはあるだろう。
もっとも、ボクが行った当時は風が吹き荒れた悪天候の直後。
ビーチに人影はまるでなく、ひたすら薄ら寂しい景色が広がっていたのだが……。
「その時に砂浜に流れ着いた、ある物を見つけたんだ。……何だと思う?」
疑問形を繰り返したが、セレスさんは無表情のまま、黙っている。
……このぐらいの対応は、まだ想定の範囲内だ。ボクは構わず、一人で話し続けた。
「……うん。まだ、もったいつけるような場面じゃないよね。
 ……革靴だよ。真新しい、男物の革靴。サイズは28cm。両方じゃなくて、片方だけね。
 皮はツヤツヤしてるし、履き癖もついてない。長く海水に浸かったようには見えないから、最近誰かが落としたに違いない。
 何が起こったのかわからないけど、持ち主に届けてあげようと思ってさ。探してみたんだ」
またチラリとセレスさんの方を伺う。すると数秒遅れて、
「……それはそれは。本当にお暇だったのですね」
いかにも興味なさそうな、冷めた口調。だが、一応話を聞いてくれてはいるみたいだ。

「それで……まずは砂浜近くの売店で地元の新聞を買って、読んでみた。
 ……だって、新品の靴を海に落とすなんて、落し物にしてはちょっと変じゃない?
 近くで何か事件でもあったのかなーって、まあ、そこまで期待はしてなかったんだけど。
 ……でも、ボクは運良くそれらしい記事を見つけたんだ。
 ──『××岬で背広を着た中年男性の水死体発見。自殺か?』──そんな見出しのね」
ちょっとショッキングな内容だけに、出来るだけ淡々と話したつもりだったが、セレスさんは眉をひそめた。
「悲しい事だけど、今のボクらの社会では、そんなニュースを見聞きするのは珍しくない。
 ボクは暗い気持ちでその記事を読んで……妙な事に気がついた。覚えてる限り、正確に話すよ。
 ──『男性の所持していた財布に免許証が入っており、遺体は希望ヶ峰学園の事務局に勤めるAさん(45)と思われる。
 目立った外傷はなく、警察は当初、誤って海に転落した事故死と見ていたが、
 背広の内ポケットに遺書が入っていた事、崖の上にAさんの靴が揃えて置いてあった事から、自殺の可能性を』──」
ここで初めて、セレスさんはこちらを向いた。表情に微かに驚きの色が見える。
「希望ヶ峰学園の……事務員さんですの? そんなお話、初めて聞きましたわ」
「それは、ショックを受ける生徒もいるかもしれないからね。……“他の事情”もあって、学園が伏せたんだと思うよ。
 どちらかと言えば運営側の職員さんだから、生徒と直接関わる事は無かっただろうけど」
「……ふん。そういう事もあるのかもしれませんわね」
納得したのか、彼女は小さく息を吐いた。
「記事を読んで、ボクが真っ先に妙だと思ったのは、もちろん靴の事なんだ。
 その“Aさん”が崖の上で靴を脱いで置いたのなら、海に靴が落ちる訳がないよね。
 ……じゃあ、ボクが見つけた靴は誰のだったんだろう?」
再びセレスさんに問いかけたが、彼女は前を向いて独り言のように呟く。
「……知りませんわ。そんな事」
「うん。でも、そうそう海に人が落ちたりしないだろうし、他に靴を落としそうな事情も思いつかない。
 とにかく、ボクはAさんの事件を、もっと詳しく調べてみようと思ったんだ」


「事件について問い合わせるなら、やっぱりその記事を書いた新聞社だよね。
 電話して靴の事を聞いてみたら、ちょうど担当の記者さんがいて、親切に答えてくれたよ。
 要点をまとめるとこんな所かな。──警察は、当然崖の上の靴がAさんの物である事を確認している。
 現物の写真を、彼の同僚に見せたところ、『Aさん愛用の靴にとてもよく似ている』との回答があった。
 ブランドも同じ。サイズも同じ28cm──」
「28cm……」
セレスさんが口の中で小さく繰り返す。ボクは頷いて、
「そう。ボクが拾った靴も同じ28cmだった。Aさん愛用の靴っていうのが、具体的にはどういう物なのか?
 突っ込んでみたら記者さんもちょっと困ったみたいだったけど──わざわざ警察に聞いてくれたんだ。
 いやあ、本当に感じのいい記者さんだったよ。彼は将来、出世すると思うな」
一人で感心していると、セレスさんは苛立ったような声を上げた。
「見ず知らずの高校生と、電話で無駄話をするような記者が出世できる訳がないでしょう。
 ……そんな事より、結果はどうでしたの?」
話が少し横道に逸れてしまったが、順調に彼女の興味を引き出せているみたいでホッとする。
「ボクが拾った靴と、崖の上で見つかった靴は同じものだったよ。
 同じブランド、同じ色、同じサイズ……違うのは、古いか新しいかだけ。偶然にしては、ちょっと出来すぎだよね」
「………………」
「どう考えても、手がかりはAさんの事件にある。そうなると、気になるのがAさんの背広に入っていたっていう遺書だよね。
 一体、彼は何故死ななければならなかったのか? 理由はそこに書いてあるはずだ。
 そこから、彼の身に何が起こったのかを──同じ靴が2組ある理由を──知る事が出来るかもしれない」
ここでボクは一旦、言葉を切って軽く唇を舐めた。全く、ボクが一人でこんなに長く話すのも珍しい。
不慣れな状況に微かな緊張と興奮を覚えながら、再び口を開く。

「遺書の内容について……ボクが見た記事では触れられていなかった。
 第一報では、警察の発表がまだだったんだろうね。その辺りも、記者さんに聞いてみたよ。
 ──故人の名誉に慮って詳細は教えてもらえなかったんだけど──
 どうやら、Aさんは希望ヶ峰学園の資金を不正に流用して……それがバレそうになって、
 償いの為に崖から飛び降りた……そういう趣旨の事が書いてあったらしい」
「……いわゆる“横領事件”の犯人だった、という事ですか。
 それで先程、学園が事件を伏せた理由に“他の事情”があるとおっしゃったのですね。
 近々、内部調査で犯人を突き止められたにせよ……希望ヶ峰学園の名に傷がついてしまいますものね……」
セレスさんの理解が早くて話しやすい。ボクは大きく頷く。
「世界に名だたる希望ヶ峰学園でも、“身内”の裏切りへの対策には穴があったみたいだね。
 もっとも……Aさんの横領の手口はかなり巧妙だったらしくて、一概には学園を責められない。
 長年、事務局に勤めてきた彼には、経理システムの盲点を突く経験があり──ある意味、“才能”もあったに違いない。
 学園は事件を内密に処理したがっていたみたいだけど……その辺りの事は、別の人に頼んで詳しく調べてもらったよ。
 ──ボクらの仲間には、そういう事が得意な人がいるからね」
「……もしかして、“超高校級のプログラマー”──不二咲さんですか?
 あの人なら、データの解析はお手の物でしょうけど……よく、協力してくれましたわね」
「ああ、それは──」
答えようとした時、通りすがりの外国人の男の子が、歓声を上げながらボクらのすぐ前を駆けようとした。
はしゃぎ過ぎて手に持った風船を離してしまったようなので、とっさにひょいと手を伸ばして取ってあげる。
ボクから風船を受け取った男の子は「サンキュー!」と元気よく言ってまた駆けて行った。
底抜けに平和で微笑ましい光景に思わず目を細めたが、まだ話の途中だ。
気を取り直してセレスさんの方に向き直る。

「──えっと、どこまで話したっけ?」
「……亡くなったAさんが希望ヶ峰学園の資金を横領していた、という辺りまでですわ」
「そうだったね、うん。それで、横領の被害額だけど──わかっているだけで1億円近いらしい。
 一部がAさんの銀行口座に残されていたものの、大半は警察の懸命の捜査にも関わらず、今も行方不明のまま……」
セレスさんは納得したように小さくため息をついた。
「ふぅん、ちょっとした金額ですわね。Aさんが弁済を諦めて自殺してしまったというのも、
 学園が体面を気にして事件を伏せようとしたのも頷けますわ」
「うーん。そう、見えるね……」
あえて含みを持たせた言い方をすると、彼女は微かに眉をひそめた。その目が、どういう意味か尋ねている。
数秒の沈黙の後、ボクは再び口を開いた。
「いや、実はAさん周辺のお金の流れを調べて貰った時……また妙な事に気づいたんだ。
 彼は独り暮らしで、普段の買い物も全て自分で──クレジットカードを使って済ませていた。
 それで、自殺したと思われる前の日も自宅近くのスーパーで買い物をしてたんだよね。
 食パンとか、少しの食料の他に……電動ヒゲソリの替え刃まで。次の日に自殺する人がだよ?」
「それは……習慣のようなものではありませんか? わたくしはそういった心理に詳しい訳ではありませんが……
 それとも、次の日になって衝動的に──という事かも……」
「もちろん、ないわけじゃない。それでも、Aさんの死について……もっと違う見方が出来るんじゃないかな。
 ほら、サスペンスもののドラマや小説でよくあるような……」
セレスさんははっとして目を見開き、口元を押さえた。
「では、あなたは……Aさんには自殺するつもりなどなかったとおっしゃいますの?
 自殺に見えた死は……殺人だったかもしれない、と……」

ボクが無言で虚空に視線を投げると、セレスさんはそれを肯定と受け取って話を続ける。
「なるほど……。それで最初の靴の話と事件が繋がるのですね。
 ──何者かがAさんを自殺に見せかけて殺害する為に、彼のポケットに遺書を入れて海に突き落とした。
 崖の上に置かれていた靴は、当然犯人の用意したフェイク……。
 Aさんが元々履いていた靴は海に捨てて処分したはずが……それをあなたが偶然、拾ってしまった──」
やっぱり、この子は運が強いだけじゃなく頭の回転も速い。ボクは素直に感心しながら言った。
「一気にそこまで考えつくなんて……さすがだね、セレスさん」
彼女は、「この程度、大した事はありませんわ」と機嫌良さそうに少し笑う。
「こうなると自殺の動機だという横領の件も、俄然怪しくなってきますわね。少し想像が飛躍しますが──
 Aさんは学園の経理に携わるがゆえに、犯人が資金を不正に流用している事に気づいてしまった。
 それを察知した犯人が、逆にAさんを横領犯に仕立てて殺害してしまう──というのも、
 サスペンスの世界ではよくあるストーリーです」
「うんうん、いいね。筋は通る。だけど──……そうなると、今度は別の問題が出てくるんだよね……」
「別の問題……とは?」
セレスさんの形の良い眉がぴくりと動いた。
「さっきも言ったように、Aさんの事件では警察が動いているんだ。
 明らかな病死や自然死でもない限り──警察は“変死”として一通りの可能性を検証するものなんだよ。
 その警察が、Aさんの死を自殺と判定したからには当然いくつかの根拠がある」
ボクは指を1本ずつ立てて示しながら、その根拠を挙げていく。
「まず、一つ。Aさんの遺体には外傷がまるでなかった。当然、それには縛られた痕なんかも含まれる。
 アルコール、睡眠薬の類も検出されていない。目立った病歴や身体的なハンディも元々なし」
「……暴力や薬物で体の自由を奪った上で、海に突き落とす事は出来なかった、と……。
 ですが、刃物や拳銃で脅して崖から海に飛び込ませたのかもしれませんわよ?」
「うん、そうだね。……でも、それではちょっと不確実かな。ボクがさっき言ったように、問題の崖はビーチの近くなんだ。
 Aさんがカナヅチだったなんて話は出てないし、崖の下の海は深くても、少し泳げば助かった可能性は十分にある。
 ……まあ、結果的にAさんは亡くなっちゃった訳だけど……」
「ふん……では、この点は保留しておきましょうか。根拠の二つ目は?」
セレスさんの問いに、ボクは2本目の指を立てながら答える。
「二つ目は、監視カメラの映像だよ。実は、××岬の周りにはカメラが複数設置されているんだ。
 ほら、若者が夜中のビーチで花火をして大騒ぎしたり、ゴミを散らかして帰ったりして、地元の人が迷惑している──
 そういうニュースがよくあるでしょ? だから、その対策の為にね」
「そのカメラに……Aさんが映っていましたの?」
「うん。深夜の2時頃──××岬の入り口の一つから、“一人で”崖の方向に向かう人物が映っていた。
 あまり鮮明な映像じゃなかったらしいけど……背格好や服装から、その人物はAさんの可能性が高いと思われる」
歯切れの悪いボクに、セレスさんは微かに皮肉めいた笑みを見せた。
「では、偶然通りがかった別人の可能性もあるという事ですわね。それに、そんなものいくらでも誤魔化せそうですわ。
 犯人は『話し合いをしよう』と言って深夜の崖にAさんを呼び出し、自分だけはカメラの死角を通るとか、
 全く別の場所で犯行に及び、Aさんに変装してわざとカメラの前を横切るとか」
鋭い指摘にボクは苦笑する。
「うっ……そこを突かれると痛いなあ。さすがに全く無関係の人が映った可能性は低いと思うけど……
 確かにカメラの死角を通る事は、そう難しくないね。実際に現場に行ったボクの目で見ても間違いない」
「ならば、この点においても疑惑は拭えませんわね。……それで、まだ他にも根拠はありますの?」
「もちろん。根拠の三つ目は動機の問題。Aさんを殺害したとして、利益を得る人が見当たらないこと。
 Aさんは一人っ子で、両親と死別した後は独りで暮らしていた。結婚歴もない。
 つまり、直接遺産を受け取る人がいないんだ。……ついでに、自殺では保険金は出ないから、保険金目当てという事もありえない」
「動機……ですか。そういえば、怨恨というのはどうですの? 当然警察はそちらの方面も検証したのでしょう?」
セレスさんの言葉に、ボクはゆっくりと首を横に振る。

「その線も薄いね。ボクも学園の事務員さんを何人か捕まえて、それとなく聞いてみたんだけどさ。
 Aさんは何というか、“地味な人”だったらしいんだよね。人付き合いでも、仕事でも……ほどほどにはこなすけど、
 良くも悪くも目立った所が何もない。仲の悪い人どころか個人的な付き合いをしてる人すら見当たらなくて……」
「そうですか。では、動機に関しては先程わたくしが言った可能性だけが残りますわね。
 “横領の真犯人が、Aさんに罪をなすりつけて殺害してしまった”という――」
自信たっぷりに微笑むセレスさんだが、ボクが薄く笑みを浮かべたままなのを見て、すぐ無表情に戻った。
「残念だけど、その可能性は最後――根拠の四つ目で否定されてるんだよね……。
 ……根拠の四つ目は、警察の捜査で、Aさんの遺書の内容が裏付けられた事。
 海に浸かったせいで指紋は取れなかったけど、遺書の筆跡はほぼ間違いなくAさんのものだった。
 パソコンの使用履歴からも横領にAさんが関与した事は確実で、実際、彼の口座には不審な入金記録が残っている」
「それは──……」
今までは即座に反論してきたセレスさんが、ここで初めて言い淀んだ。
彼女との“論戦”をどこか楽しんでいたボクは、わくわくしながら困り顔を見つめたが──キッと睨み返されて怯んでしまう。
「……しかし、あなたが言ったんじゃありませんか。『別の見方』がどうとか──」
「うん。……いや、ボクは殺人事件だなんて一言も言ってないよ。そういうドラマみたいな仮説は面白いとは思うけど」
苦々しい表情のセレスさんに、ボクは微笑みながら答えた。
「あなた、人に散々喋らせておいて……。──では、今度はあなたの考えを聞かせて頂きましょうか。
 警察の判定とも、わたくしの意見とも異なる“事件の見方”とやらを……」
挑戦的な光を帯びた目が、ボクの顔をまともに見返す。


「じゃあ、ボクの考えを話すね。まず、最初に話した、新聞記事を読んだ時の違和感──
 気になったのは靴の件だけじゃなくて、遺書の件もなんだ。
 だって、変じゃない? 海に飛び込んで自殺する人が自分のポケットに遺書を入れたままにするなんてさ。
 遺書っていうのは、誰かに読んで貰う為に書く物でしょ。海に浸かったら読めなくなるかもしれない。
 崖の上で靴を脱いだのなら、そこに一緒に置いておけば良かったんだよ」
「……そこまで変ではありませんわ。Aさんは遺書を自分と一緒に見つけて欲しかったのかもしれません。
 あるいは、靴の中や下に挟んだのでは風で飛ばされると思ったのかも……。
 崖の上のような高所では結構、風が強いものでしょう。先月の頭と言うと、確か天気は荒れていたように思いますし」
セレスさんはさっきの“サスペンス説”を捨てて、警察の説を支持し始めたようだ。当然の反論にボクは頷きを返す。
「うん。そうとも考えられるし、確かに当時は風が強かった。
 ──だけど、ボクはAさんの身辺を調べるうちに、色々な情報を手に入れたんだよね……」
「色々な情報……とは?」
「まず、さっきとは別の買い物の記録。Aさんは、実は半年ぐらい前から少しずつ…ネットでインスタント食品の類を買い集めていた。
 日常の買い物は普通にしているから、それを普段食べていたとは思えない。
 そのまま置いておいたのなら、一人で食べる分には相当な量になったはずだけど……彼はいつ食べるつもりだったんだろう?」
「…………」
ボクの問いかけにセレスさんはまたも無言になってしまったが、今度は真剣な表情でその答えを探しているようだ。
彼女が口を開くのを待たず、さらに畳み掛ける。
「それにもう1点。これは調べるのに苦労したんだけど、定期的な移動の記録を追って、ようやくわかったんだ。
 Aさんはどうも隣県の山奥の地方で、アパートを借りてるね。これも半年ぐらい前に……他人名義で。
 ……これで、衣食住のうち食と住が保証された訳だ。もしかすると衣類も、少しずつそこに運び込んでいたのかもしれない……」
「衣食住を……秘密のうちに……揃えて……」
「そう。まるで――“隠れ家”を作ろうとしていたみたいだよね。誰にも……警察にも、気づかれないように。
 これを踏まえて……今までに出た疑問点を見直してみると――――どうかな?」
ここでセレスさんは気づいたらしい。表情にははっきりと驚きの色が表れている。
「まさか、あなたは――彼が偽装自殺を計画していたと言いますの? 半年も以前から――」

「そう考えると、色々おかしな点が随分すっきりしてくるよね。
 Aさんは自殺するつもりなんかなかったから、出来るだけ普段通りの生活をしていた。
 自分が死んだと見せかけて、身を隠す準備をしながら――
 その上で、警察の目を欺く為の工作もしている。遺書も靴も、彼自身が準備した“本物”だ」
「それでは――本当はAさんは生きていて……海で見つかったのは別人――……
 ……いえ、そんなはずはありませんわね。そう都合よく、自分にそっくりな替え玉を用意出来たとは思えませんもの。これは一体……?」
考え込んでしまったセレスさんに、ボクは自然に笑いかける。
「そんなに難しく考える必要はないよ。ここまで出揃った情報をシンプルに並べてみればいいだけさ。
 ――『死んだフリをしようとしていた男が、本当に死んでしまった』『殺人でも自殺でもない』――
 ……つまり、これは事故だったんだ」
「は……? 事故……?」
“超高校級のギャンブラー”はポーカーフェイスの達人だというが、この時ばかりは心底呆気にとられたようだった。
その表情を少しばかり意地悪い気持ちで眺めていると、またもきつく睨まれてしまう。
ボクは出来るだけ陽気に笑ってそれを受け流し、事件の形を改めて説明する事にした。

「希望ヶ峰学園の事務員だったAさんは学園の資金を不正に引き出し、どこか別の場所に隠していた。
 用意周到な彼は、いずれそれがバレる事も見越して、隠れ家や当面の食料も確保しておく。
 そしていよいよ学園の調査が始まった時……彼は偽装自殺を決行した。
 まず、自分で遺書を書いて用意し、履き慣れたを脱いで新品の靴に履きかえる。
 それから人目につかないように深夜の××岬の崖の上に行き……そこに靴と遺書を置いて身を隠せば、
 いずれは警察の捜査も打ち切られるはずだった。でも――」
「そこで……何が起こったと言いますの?」
セレスさんはもういつものすまし顔に戻っていた。おかげでこちらも話しやすい。
「恐らくだけど……崖に靴を置いてポケットから偽物の遺書を取り出すまでの短い間に、風に煽られたんだろうね。
 さっきセレスさんが言っていたみたいに、当時は天気が荒れてて崖の上は相当風が強かったはずだから。
 バランスを崩して崖から転落してしまったAさんは、そのまま海へ……」
「……それで同じ靴が2足あったと……。わざと履き古した靴を崖の上に残し、自分は新品の靴を履いて――
 新しい方の靴は持ち主もろとも海に落ち、浜に流れ着いてあなたに拾われた――ですが……事故だなんて……。
 大体、あなたもさっき“サスペンスみたいな見方”とかおっしゃっていたでしょう?」
不満そうな声に、ボクは微笑みを返す。
「それは偽装自殺の事だよ。犯人が死んだフリをするトリックはドラマや小説でもよく出てくるけど、
 それが『やっぱり事故でした』じゃ、お話にならないからね」
「そんなお話を……あなたは今、わたくしにしたばかりじゃありませんか。全く……何て人でしょう」
セレスさんはそう言って悔しそうに歯噛みして見せた。
……なるほど……もっとクールな感じかと思ったけど、こういうリアクションになるのか。
やっぱり……じっくり話してみないとわからない事もあるんだな。
ボクは“超高校級のギャンブラー”の新たな一面を知った事を嬉しく思いながら、一人何度も頷く。


――さて、こんな機会は滅多にないだろうから、もう少し話させてもらおう。
ボクは近くの壁に掛かった時計を確認してから、今度は冷ややかな声で言った。
「だけどさ……ボクは思うんだ。Aさんは、“その瞬間”まで、本当に上手くやっていた。
 自分の持てる力、与えられた環境を最大限に活かして……大金を手に入れ……
 おまけに学園の調査が自分に及ぶ前に危機を敏感に察知して、逃亡の準備も万全だ。
 このままほとぼりが冷めるまで逃げ切れば、きっと彼は金銭の力で自分の望みを叶えられただろう。
 それが土壇場で“運”に見放されたのは……生まれ持った“才能”以上の事をしようとしたからじゃないか?」

「彼は……欲張りすぎたから失敗したと……そう、言いたいのですか?」
「そうだよ。どんな天才だろうと、人は自分の身の丈に合った生き方しか出来ないものじゃないかな。
 多くを望みすぎれば……どんなにあがいたところで結局は失敗して……最悪、元々持っていたものさえ失ってしまう……。
 ねえ、セレスさん。キミはどうかな。“超高校級のギャンブラー”と呼ばれるキミにも、限界はあるはずだ。
 キミは、自分の器以上の事を望んではいないかい? もし、そうだとしたら……キミもいずれ――」
「あなた……何を、言って……」
セレスさんはボクの顔をまっすぐに見つめ、唇を微かに唇を震わせる。瞳の奥で、感情が波立っているかのようだ。
これは、怒り? それとも怯懦? ――ちょっと、言い過ぎただろうか。

さらに一言付け足そうとした時――突然、セレスさんは何かに気付いて振り返る。
仮面のように凍りついていた表情に一瞬、赤みが差し……口元が僅かに綻んでいたのをボクは見逃さなかった。
セレスさんの視線の遠く先には――――どうやら日本人らしい、ボクとあまり変わらない年頃の少年がいる。
彼はいかにも人が好さそうな……少し申し訳なさそうな微笑みを浮かべながら、こちらに向かって歩いてきた。
なるほど……彼は――……。ボクは再び、穏やかな口調に戻って言った。
「キミのジャックが来たんだね」
「ジャック……?」
訝しげな表情で、セレスさんが聞き返す。
「『家臣』。……でしょ? これでクイーンとジャックが場に揃うわけだ」
茶化して言うと、彼女は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふん……。顔に似合わず、キザな事をおっしゃいますわね。……ならば、あなたはさしずめジョーカー――道化といった所でしょうか」
「ははっ、そうだね。ボクには暇潰しのピエロ役がお似合いだ。……用済みの邪魔者は、さっさと退場するよ」
ボクは言葉通りに、この場を離れようと立ち上がる。
「――ああ、その前に一つだけ。……さっきまでの話、全部ウソだから」
「え……」
セレスさんは何を言っているのかわからないといった、きょとんとした表情を浮かべる。
「横領事件とかの話だよ。……素晴らしい才能を持った“超高校級のギャンブラー”のキミの事が知りたくて――
 気を引こうとして、時間潰しがてら即興で作り話をしただけさ。…………ごめん、気を悪くしたかな?」
ボクは爽やかに笑ってみせたが、彼女は無言で小さく肩を震わせた。
白い顔にははっきりと――今度は怒りの色が表れている。
「……まあ、最後のは先輩からの過ぎた忠告だと思って聞き流しておいてよ。
 ボクはキミ達のような、本物の“希望”が……この先もずっと、強く輝き続けて欲しいんだ。
 全てを失ってしまうような、失敗を犯す事なく、ね……」
セレスさんはまだ黙っていたが、モタモタしていたら頬でも叩かれてしまいそうだ。このまま退散する事にしよう。
――こちらに向かってくる、あの少年……何故だか彼にはまだ、会わない方がいい気もするし……。
ボクは振り返る事もなく、バスの停留所へと歩き出した。

……おっと。帰る前にお土産を買っていこうかな。調べ物が得意な学園の仲間――“超高校級のスパイ”、神代優兎クンに。
セレスさんと話すのに、彼から聞いた話が参考になった訳だし……。


※※※

「待たせてごめん、セレスさん。……レジで並んでたら、ちょうどボクの番で機械が故障しちゃったみたいでさ。それで時間がかかって……」
「苗木君。あなた、時々そういう事をおっしゃいますが……本当に“超高校級の幸運”ですの?
 ……まあ、いいですけど。それより、妹さんへのお土産は買えたのですか?」
「うん、それは大丈夫。ありがとう、セレスさん。
 ところで――さっき男の人と話してたみたいだけど……あの人、誰?」
「あら。あなたでも、ヤキモチを焼く事があるのですね」
「い、いや、そういう訳じゃ――」
「……あの方は、狛枝凪斗さんとおっしゃるそうです。偶然にも、わたくし達の先輩である希望ヶ峰学園の77期生らしいですわ。
 何でも“超高校級の超高校級のマニア”だとかで……わたくしの事を知っていて、あちらから話しかけてこられたのです。
 でも……おかしな事ばかり言って……全く、食えない方でしたわ」
「へえ……。狛枝……先輩か……」
「あの……苗木君。わたくしの方も一つ、つかぬ事をお伺いしてもよろしいですか?」
「? ……どうぞ」
「例えば――あなたにとって実現が難しい目標があったとします。何とかそれに手が届きそうであっても、大きなリスクも伴う……。
 あなたは、それでも目標に向かって進み続けますか? それとも安全を優先して、ほどほどの所で妥協しますか?」
「…………そう、だね……。どうしても叶えたい目標なら、諦めないで努力するかな……」
「……やはり、そうですか」
「だけど……ボクなら誰かに力を貸してもらうかもしれないね。信頼できる仲間、とかにさ。
 一人で出来る事なんてたかが知れてるけど……同じ目標がある仲間がいれば、たいていの事は何とかなりそうな気がするんだ。
 あえてリスクを冒さなくても……遠回りでも……いつかは……」
「…………それは、まあ……単純で平凡な、あなたらしい考えですわね」
「そ、そうかな。うーん……」
「――ですが、わたくしとした事が……簡単な事を、改めて気づかせて頂いたようですわね。……ありがとうございます、苗木君。
 ……そうですわ。あなたのような、まっすぐな方と歩んでいけば……きっと――」

ツールボックス

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