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 未来機関第14支部、その一室。
 液晶とキーボードがずらりと並んだ目の痛くなるような部屋が、この施設においての主な職場である。

 既に日の沈んだ時間だというのに、窓のないこの仕事部屋では時間の感覚がいまいち掴みづらい。
 絶望派閥や汚染空気からの防衛手段とはいえ、かつての息がつまりそうな――特に、記憶を奪われてからの悲惨な――シェルター生活を思い出すような造りが、あまり好きではなかった。

 今日のように、仕事が立て込んでいて残業せざるを得ない日は特に、疲れが何割か増しで溜まる心地だ。

「……あー、やっと一区切りついた……。葉隠クンの書類、間違い多すぎだよ……地味に朝日奈さんも」
「お疲れ様。私もキリの良いところまでもうすぐだから、少し休憩しましょうか」
「あ、じゃあコーヒー淹れてくるよ」

 ……それでも、心身共に疲れ果ててしまわないのは、体から前向きさを促進する何らかのオーラが分泌されているのではないかと常々思っているこの同僚の少年……の様な青年の存在が大きいのだろう。
 彼――苗木君と2人で残業することに決まった時、少しだけ頬が緩んでしまったことは誰にも気づかれていないと思いたい。

 そんなことを考えつつも手はリズミカルにタイピングを続け、こちらも漸く一区切りつくところまで終わった。
 席を立って軽く伸びをしてから、部屋の隅にあるちょっとした休憩スペースへ向かう。疲れを取る気が全く無さそうな硬いソファーに腰かけたところで、慣れ親しんだ香りがふわりと鼻孔をくすぐった。

「はい、お待たせ。ブラックでいいんだよね?」
「ええ、ありがとう。……いつも言ってるけど、確認しなくても私はブラックしか飲まないわよ」
「わかってるけど……霧切さんもたまには甘いのが欲しくならないかなって」
「そういうのはお菓子でいいのよ」

 同じような内容の会話を既に何度もしたことがある。それでも、一向に飽きはこない。
 彼とこうしてゆるゆるととりとめのないことを話しながらゆっくりとコーヒーを味わう時間が、とても好きだった。
 娯楽要素のない無機質な機械だらけの空間や安物のインスタントコーヒーが全く気分を害さない程度には、心安らぐひと時。本人には言わないけれど。
 こくりと黒い液体を飲み下して、思わずほうっと息をつく。

「そういえばさ、今日残業だって決まった時に、霧切さんなんだか嬉しそうだったけど、何で?」
「……」

 何とも間抜けなことに、本人に思いっきり気付かれていた。大分観察眼にも磨きがかかってきたようで、嬉しいような悔しいような複雑な気分になる。
 それとも、こちらが彼に影響されて、多少なりともバカ正直さが移ってしまったのか。そうだとしたら大変迷惑な話である。

「それにしても、インスタントの割には美味しいわよね、これ」
「あ、なんか露骨に話題そらしたね」
「あら、よく気付けたわね。苗木君のクセに凄いじゃない」
「これ以上なくバカにされてるなあ……」
「そんなことないわ、私はこれでもあなたを高く評価しているのよ?」
「はいはい、それはどうも」

 露骨であっても深く追及はしてこない。適当にはぐらかす私も、適当にはぐらかされてくれる彼も、いつもの事。一種のコミュニケーションの様なものだ。それからまた、他愛無い会話を続ける。
 そうしてコーヒーの残りが3分の1ほどになったとき、ふと苗木君が不思議そうな顔をして訊いてきた。

「でも……美味しいって言う割には、霧切さんってあんまり普段これ飲まないよね?」
「まあ、そうね。家でもいつもコーヒーばかり飲んでいるからというのもあるけれど……」

 前から疑問ではあったのだが、確かに同じコーヒーの筈なのに、自分で淹れても特に美味しいとは感じないのだ。ついでに言うと、他の人が淹れた場合も同じである。
 苗木君が淹れてくれた場合のみ、不思議と悪くない味だと思うのだ。
 インスタントなのだから、淹れ方に違いも何もない。味だって同じ筈なのに。

 顔に疑問符を浮かべながらそのことを話すと、彼はきょとんという擬音が聞こえてきそうな呆けた顔をした。

「ボクが淹れた時、だけ?」
「ええ。何故かしらね……物は同じなのに、よくわからないわ」

「…………それはさ」

 何か心当たりがあるのだろうか。
 実は違う種類を持参していたとか、隠し味を入れていたとか――

 そう聞こうとした口が半端な状態に薄く開いたまま、彼のそれで一瞬だけ塞がれた。
 唇が離れた時の軽いリップ音を聞いて、軽く目を見開いた間抜けな顔のままで漸くそのことを理解する。

「こういう関係だからじゃないかな?……響子さん」

 ――卑怯だと思った。
 2人きりの時しか使わない呼称。
 関係を公にしていない為、ともすれば恋人だということすら忘れてしまいそうになる色気のないこんな場所で、その破壊力は凄まじいものになるということを理解して使ったのだろうか。

 嗚呼、心臓が暴れ出す。

「……苗木君の、クセにっ、……」
「名前で呼んでくれないの?」
「……職場での不純異性交遊はよろしくないわ」

 そんな石丸クンみたいな、と苦笑する彼の頬を指で挟んで引っ張る。痛い痛いと顔を歪ませる様を、恐らくは赤いままの顔で睨みつけた。
 甘ったるい雰囲気に流されそうになるが、まだ仕事は終わった訳ではないのだ。強引に空気を断ち切りたくて、やや温くなった残りのコーヒーを一気に飲み干した。唇に残る感触を、全て洗い流す様に。

「ほら、さっさと仕事に戻るわよ」

 あえての冷たい口調と態度。そんな照れ隠しも、私達にとっては日常で。当然、彼にわからない筈もなく。

「うん。……早く終わらせて、響子さんの家で美味しいコーヒーでも飲もうか」
「……図々しいわね」

 微笑ましそうな視線から逃げる様にそっけない言葉を返し続ける。
 しばらくは名前で呼んであげないと胸中で呟きながら。

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