暗闇の館の冒険

「では、苗木君。わたくしはエステに行ってきますので、あなたも夜までゆっくりなさって下さいね」
「うん。いってらっしゃい……」
ジャバウォック島のリゾートホテルで過ごす午後。
ホテルの喫茶スペースを後にするセレスさんの背中を見送って、ボクは壁に掛けられた時計を確認した。
夜までまだ時間があるな。これからどうしようか……。

学園の冬休みに、セレスさんに連れられて数日を過ごし……今日は12月31日、大晦日だ。
今夜は『4番目の島』にあるテーマパークでカウントダウンイベントがあるそうで、
ボクらは夜まで時間を潰しながらのんびり過ごそうと決めていた。
それはいいのだが……特にやる事もなく、ただのんびりと言っても落ち着かない。
ボクは当てもなく視線をさ迷わせ――隅に置かれたマガジンラックに気が付く。
席を立って近づくと、そこにあったのは馴染みのない外国語の新聞や雑誌ばかりだった。
……いくら暇でも、これは手に取る気にはなれないな……。
ため息をつくが、1部だけ日本語の新聞が混じっているのが目に入り、ボクは何気なく手を伸ばした。
これは……ジャバウォック島の地元紙の日本語版か。一面の大きな記事にざっと目を走らせる。

“ノヴォセリック王国王女が電撃訪問”
“本日、ノヴォセリック王国のソニア・ネヴァーマインド王女がジャバウォック島を公式訪問する事が明らかになった。
 直前まで訪問が伏せられていたのは警備上の理由と、王女が日本の高校に留学中であり、
 長期休暇中のスケジュール調整に手間取った為、との事。”
“多くの島民がソニア王女に歓迎の意を示そうと、慌ててレイ(花輪)の準備を始めているものの、
 ジャバウォック州政府はやはり『警備上の理由で王女の訪問スケジュールは明かせない』としている。
“あわよくばソニア王女の姿が見られるのではと、空港には昨夜から多くの人々がつめかけているが、
 彼らの目的は王女だけではなく、王族の女性が海外訪問の際に身に着けるとされるイヤリングである。
 『黄金のマカンゴ』なるものを象ったというそれは、時価数千万ドルもの価値があると言われており……”

記事に添えられている写真には、つばの広い帽子を目深に被った幼い女の子の横顔が写っていた。
よく見れば10年も前の写真だそうで、噂のイヤリングどころか、王女の顔もほとんど隠れてしまっている。
新聞社が総力を挙げてこんな写真しか用意できなかったのも“警備上の都合”というやつで……
何でもノヴォセリック王国は金融と観光で成り立つヨーロッパの小国だが、政情不安を抱えているらしい。
王女が世界一安全な国と呼ばれる日本に留学していたのも……そういった側面が……――

――……ここまで読んで、欠伸が出た。こんなに活字ばかり読んだのは久しぶりだ。慣れない事はするもんじゃないな……。
いずれにせよ、ボクみたいな一般人には遠い世界の話に違いない。ボクは大きく伸びをして席から立ち上がった。
部屋に戻って昼寝でもする事にしよう。多分、今夜は長丁場になるだろうし……。


昼寝の後、エステを終えて上機嫌のセレスさんに連れられて島内のブランドショップに買い物へ。
そこで当初の予定通り(?)『荷物持ち兼ボディーガード兼暇潰し役』としての務めを果たし、夕食も済ませる。
そして午後11時――――ボク達はタクシ-を使い、それ自体が巨大なテーマパークになっているという『4番目の島』にやってきた。

『4番目の島』のテーマーパークはその名も『ネズミーランド』。(何だか力の抜けてしまう名前だな……)
ジャバウォック島観光の最大の目玉というだけあって、施設は日本でもお馴染みの某ランドにも引けを取らない。
今夜はカウントダウンイベントの影響も当然あるだろうが……こんな時間だというのに行きかう観光客の数も相当なものだ。
セレスさんと二人で人ごみを避けながら歩き、ランド中央の広場に差し掛かった時、人垣の向こうで大きな歓声が上がった。
流れてくる陽気で軽快なメロディー。きらきらと輝くカラフルな電飾。……ここからではよく見えないが、エレクトリカルパレードが始まったようだ。
ボクが思わず足を止めると、すかさずセレスさんに袖を引かれる。
「ここは騒がしくて堪りませんわ。早く離れましょう」
「見ていかないの? ……まあ、いいか。じゃあ、どこに行こう?」
目的のイベントまでに、まだ1時間近くある。このまま当てもなく歩き続ける訳にはいかないだろう。
ボクの言葉に、セレスさんは思案するように小さく首を傾げた。その動きに合わせて耳を飾る金色のイヤリングが微かに揺れる。
「そうですわね……。ランド内のカフェで眠気覚ましのお茶を頂きたかったのですが……
この混雑では席が空いているとは思えませんわ。……あまり気は進みませんが、一つアトラクションにでも乗りましょうか」
そう言われて辺りを見回す。夜の空の下、遠目に見えるのは大型のアトラクション。
ジェットコースター、観覧車……一際目立つメルヘンチックなお城はランドのシンボル、『ネズミー城』か。
他には――……目で探すよりガイドブックを見た方が早そうだ。
ボクがランドの入り口で貰ったそれを取り出すより早く、セレスさんが自分のガイドブックを開いて声を上げた。
「あら、良さそうなのがあるじゃありませんか。苗木君、早速参りましょう」
そして一人で足早に歩き出す。ボクは返事もそこそこに、慌てて彼女の背中を追った。
一瞬、パレードの先頭に見えたピンク色のウサギみたいなキャラクターが妙に気になったが……ここではぐれるのはまずい……。


夜の闇の中、控えめな照明に照らされた重厚な洋館……ここが、セレスさんの言う『良さそうな』アトラクションか……。
少々不気味な雰囲気に、ボクは一抹の不安を覚えながらごくりと唾を飲み込む。
その横でセレスさんが入り口に掲げられた英語の説明文を読み、薄く笑った。
「このアトラクションは題して“暗闇の館”――所要時間はおよそ30分となっています。まさに、おあつらえ向きですわ」
「う、うん……そうだね。でも、もしかしたら他にも楽しそうな所があるかも――」
「そんなにいくつも回る時間はありませんわよ。ここ一つで十分ですわ」
ボクの提案を一蹴し、躊躇いなく足を踏み出すセレスさん。
仕方、ないか……。ボクは抵抗を諦め、腹をくくった。

施設の中も、重厚な外観に相応しい立派なホールになっていた。
ただし壁が真っ黒に塗られている上に、シャンデリアの照明がいかにも弱々しく、映画に出てくる吸血鬼の館のように不気味でもある。
奥に見える両開きの扉の前に控えた係員たちが、ボクらに向かって恭しくお辞儀をして見せた。
「うふふ……。なるほど、よく出来ているじゃありませんか」
セレスさんが満足げに何度も頷くだけあって、彼らの衣裳も雰囲気作りが徹底している。
扉の左右に立っているのは黒い守衛風の服を着た2人の男性係員。
正面に立って直接ボクらと相対しているのは、やはり黒ずくめのメイド衣裳を着た若い女性だ。
彼女は鈍く光る金色のトレイをボクらに向かって差し出した。上に片耳つけるタイプのイヤホンのような機械が2つ乗っている。
これは……音声ガイドか。セレスさんと一緒に、それを装着した。早速、静かな英語のメッセージが流れ出す。
「『ようこそ、暗闇の館へ――』……」
セレスさんがボクに向かって、その内容を訳してくれた。

ここは人ならぬ者が支配する“暗闇の館”。道に迷って館に入り込んでしまったボクたち“旅人”は、
暗闇に閉ざされた館の中を進み、2人の絆と知恵と勇気で“5つの試練”を乗り越え、元の世界に帰らなければならない――
――そういうストーリーらしい。要するに、お客は2人ペアになって、色々な仕掛けを解きながら進め、という事だ。
そんな説明を終えたセレスさんが、怪訝な表情を浮かべる。
「どうかしましたの? 何だかお顔が緩んでいるようですが」
「いや、思ったより楽しそうだと思って……」
説明を聞いて、ほっとしたのが顔に出てしまったようだ。ボクは曖昧に笑って誤魔化した。
お化け屋敷のようなものを想像して、恰好悪い所を見せてしまわないか心配だった……そんな本音が言える訳もない。
ボクの思惑を知ってか知らずか、セレスさんは小さく息を吐き、扉の方に向き直った。
「では、参りましょうか。暗闇の館、その深淵へと……」

2人組の守衛が扉を引いて、ボクらに中へ入るように促した。そこは待合室のような小部屋になっていて、すぐまた先に扉が見える。
ボクらが部屋の中に入ると、さっきの黒いメイドさんが付いてきて、何か言った。
「簡単なボディチェックをするようですわ。苗木君、両手を上げて大人しく従って下さい」
当然、火器や凶器になりそうな物は持ち込み禁止という事だろう。言われるがままにすると、メイドさんが前、横、後ろの順に軽くタッチする。
セレスさんも同じようにぽんぽんとあちこち叩かれ、メイドさんは無言で頷いた。これで準備完了か。
メイドさんは恭しくお辞儀をすると、ボクらが入ってきた扉の方へと戻り、それを閉じた。
と、――――ふいに待合室の明かりが消え、辺りは真っ暗闇に包まれる。
驚いて、思わず「えっ!?」と声に出してしまうボク。
「文字通り、暗闇の館という訳ですわね」
真っ暗闇で何も見えないが、落ち着き払ったセレスさんの声が聞こえた。
「暗闇って、本当に真っ暗にするんだね……。でも、この状態でどっちに行けば……」
戸惑いながら口にすると、すぐに音声ガイドが何か言い、続いて木の扉が軋む音がする。
「『さあ旅人よ、勇気を持って進むがいい――』……“案内人”がそうおっしゃいましたわ。
 今、音のした方向で扉が開いたのでしょう。そちらに向かえ、という事ですわね」
なるほど……。何も見えない中を歩くのはかなり不安だが、とにかく行くしかない。
ボクは恐る恐る――小さく足を前に出す。
「苗木君、今どの辺りにいますの? 声を出して下さい」
「え……? こっち――ここにいるけど、どうかした?」
セレスさんの声がした方に顔を向けると、
「どうか、じゃありません。このアトラクションの趣旨をお忘れですか?
 “2人の絆”と知恵と勇気で――試練を乗り越えなければならないのですよ。
 ここは、手を繋いで行くところでしょう。……だいたい、転んだりしたら危ないじゃありませんか」
「あ、ああ……そういう事か。ごめん。じゃあ、手を貸して」
そう言ってボクも手を前の方に出し、大きく、ゆっくりとそれを振る。
すぐに指先に布(……これはゴスロリ服のヒラヒラした袖だ)が当たり、苦も無く華奢なセレスさんの手を捕まえた。
……視覚を奪われた状態で触れたせいか、柔らかい手の感触とセレスさんの体温をはっきりと感じる。
彼女は少し強めに手を握り返してきて、ボクはどきりとした。
「わたくしの歩調に合わせてゆっくり、しかし確実に――足を進めて下さいね。
 わたくしのナイトならば、例え暗闇であろうとしっかりエスコート出来るはずですわ」
「うん……。わかった。セレスさんも、足元に気をつけて……」
セレスさんと繋いだ左の手に、緊張のせいか自然と力が入る。

真っ暗闇の空間で……ボクらは2人、慎重に足を進める。
恐らく、今いる場所は廊下のような構造になっているのだろう。自由に動かせる右手を横に広げると、すぐに壁が手に触れる。
壁を辿れるおかげで、少なくとも今は進むべき方向を見失わないで済みそうだ。
それに壁や床も革張りのソファのような柔らかい感触で、転んでも大事に至らないよう、設計されているらしい。
安全にアトラクションを楽しめるように配慮されている事に気が付くと、何も見えない不安感も多少は薄らぐ。
当然、“パートナー”と手を繋いでいる効果も小さくないはずだ……。

「それにしても……変わった――おもしろいアトラクションだね。完全に真っ暗にするのは流石にやりすぎのような気もするけど……」
歩いているうちに隣のセレスさんに話しかける余裕も出てきた。すかさず彼女の声が返ってくる。
「完全に……というと少し語弊がありますわね。わたくしも今気づいたのですが……ほら、足元を御覧なさい」
言われて一旦、足を止めて下に視線を移す。これは――
「ホントだ、緑色に光ってる。矢印があったんだ……」
「これを見れば道に迷う心配はありませんわね。所々にある赤い光は非常ボタンといった所でしょうか」
廊下の端、壁際の足元に光る緑色の矢印が一列に並んでいる。それはいかにも弱々しい光で、下を見なければ簡単に見落としてしまいそうだ。
セレスさんの言う通り、その矢印の間には赤く光るボタンが点在していた。万が一にも火事になったり、急病の時はこれを押せばいいのだろう。

「それに――先程変わったアトラクションとおっしゃいましたが、『暗闇』を楽しむアトラクションはドイツでは以前から人気ですわよ。
 もっとも、あちらではエンターテイメント性よりも、コミュニケーション能力の向上を期待して作られているようですが」
「コミュニケーションって……相手の顔も見えないのに?」
「だからこそ、ですわ。身振りや表情に頼らず、言葉だけで的確に自分の意思を伝えるというのは、案外難しいものです。
 あえて視覚を絶った状態で、複数人が言葉のみで協力しながら簡単な“ゲーム”をクリアしていけば……
 そうしたコミュニケーション能力が鍛えられるばかりか、参加したメンバーの絆も深まり、
 実生活の場でも、ビジネスの世界でも大変役に立つそうですわ」
「へえ……よく考えられてるんだね。じゃあ、ここもそういうゲームをやるのかな」
などと話しながら歩いているうちに、ボクの右手に触れていた壁が途切れた。
足元の矢印も前方の空間に吸い込まれるようして消えている。どうやら廊下を抜けて、『部屋』に着いたようだ。


「──『ここは黒猫の間……この部屋の番をしている一匹の黒猫を探せ。その背を撫でれば、次の試練への道が示される』……」
音声ガイドからの指示をセレスさんが教えてくれた。
──黒猫って……こんな真っ暗闇の中で?
「この部屋がどのくらい広いのかわかりませんが、闇雲に動き回るのは得策ではありませんわね。
 きっと、何かヒントがあるはずです。落ち着いて探してみましょう」
ボクらはその場に立ち止まり、息を殺して周囲を見回す。
しかし、相変わらず視界は真っ黒に塗り潰されたままで──………………『ニャア』。
ふいに猫の鳴き声がして、ボクは慌ててセレスさんの手を引いた。
「い、今の! 聞こえた!?」
「……しっ。静かにして下さい。今の声は、どの辺りからでしょう……」
今度は目だけではなく、耳にも意識を集中する。すると再び……『ニャア』。聞こえた。
今のは、ボクらの左前の方から……?
「あ……」
セレスさんが何かに気づいて声を上げる。ボクにもすぐわかった。
猫の鳴き声がした方、ボクらのお腹ぐらいの高さに、青く光る2つの瞳が見えたのだ。
それは何度か瞬きを繰り返した後、また暗闇の中に消えてしまう。だが、もう十分だった。
「なるほど。あそこに台か何かが置いてあって、その上に猫が乗っているのですね」
ゆっくりと足を進めて、目当ての場所に近づく。
そっと手を伸ばすとフワフワした毛皮の感触が伝わってきた。すると──
『ボッ』と火が燃える音がして、猫の後ろの背後の空間が一気に明るくなった。
どうやら、猫に触ると先へと続く廊下の灯りがつく仕掛けになっていたらしい。
ぼんやりとした弱々しい光ではあったが、部屋の隅のテーブルに黒猫が鎮座するこの部屋の内装や、
古風な燭台が転々と並ぶ廊下の様子が見える。
だが、それは一瞬の事で……風船がしぼんでいくように灯りは徐々に小さくなり……
やがて、元の真っ暗闇に戻ってしまった。
ともあれ、これで進むべき道はわかった。短い間とはいえ、先が見えた事で安心感も湧いてくる。
「うふふ、これで最初の試練はクリアですわね。さあ、この調子でサクサクいきますわよ」
弾みのついたセレスさんの声に急かされるようにして、ボクは足を進めた。

次の“試練”は風が吹き出す通路を探す『風の抜け道』。
その次は触れると温かい扉を手探りで探す『生きている扉』――そんな風にしてゲームは続いた。
仕掛けを解くのに手間取る事があっても、時間が経つと音声ガイドが次々にヒントを出してくれる。
そこはやはり、大人から子供まで楽しみながらクリアできるように配慮されているのだろう。
ボクらは難なく試練を突破して、また次の部屋を目指した。
「……これで試練は3つ終わりましたわね。最初に5つと言っていましたから、残りは2つ――
 次はどんな仕掛けになっているのでしょう。楽しみですわ」
「うん。最初はどうなる事かと思ったけど、何とかなるもんだね。……ボクらが進むの、結構いいペースなんじゃない?」
「それはそうでしょう。何と言っても、このわたくしがついているのですからね。うふふ」
……いつの間にかボクの声も、セレスさんの声も、随分明るくなっていた。壁を辿りながら通路を歩く足取りも軽い。
――参加したメンバーの絆も深まる、か……。まだゲームが終わった訳じゃないけど、この効果は本当みたいだ。
セレスさんとまた少し仲良くなれた気がして、素直に嬉しい。ここに来て、この島に来て良かったな――……
などとしみじみ思っていた頃……“事件”が起こった。

会話が途切れたその一瞬――暗闇の中で敏感になっていたボクは、背後からした微かな物音を聞いた。
……今、扉が開いた? ボクらが通ってきたばかりの“試練”の扉が……?
足を止める程ではないが、違和感を覚える。セレスさんも聞こえたか尋ねようと、口を開きかけた時――
『ぱしっ』っと何かを叩いたような音がして、同時にすぐ近くで「きゃっ」と小さな悲鳴が聞こえる。
さらに間を空けず、セレスさんと繋いだボクの左手が、思い切り前へと引っ張られた。
――躓いた!? とっさにセレスさんの手を自分の方へ引いて受け止めようとしたのだが、みっともなくバランスを崩して2人とも倒れてしまう。
ボクは仰向けの体制で背中を強く打ち、体の上に重みがかかるのを感じた。
……かろうじて、セレスさんのクッションになる事だけは成功したようだ。
そうホッとしたのもつかの間、すぐに彼女の悲鳴が上がる。
「やめッ……!? ……痛い、痛い!!」
な、何だ!? この体勢でボクがセレスさんを踏んだり出来る訳がない。
ボクは軽いパニックになりながら大慌てで叫んだ。
「セ、セレスさん! どうしたの!?」
「ひっ……ぱらないで! やめっ、やめなさい!」
いつも冷静なセレスさんの声が、かつてないほど緊迫感を帯びている。
ボクはますます焦ってその場でもがき……唯一自由に動かせる右手が、偶然壁の赤く光るボタンに触れた。
――非常ボタン。これだ!!
思い切り指に力を入れてそれを奥へと押し込むと、『ピピピピ……』という甲高い音が鳴り響き、天井から柔らかな照明の光が降り注ぐ。
さほど眩しい光ではないはずだが、暗闇に慣れた目には刺激が強い。
ボクは反射的に目を細め、数秒してゆっくりと目を開けた。
見えたのは相変わらず床の上に寝そべったままのボクの体。その上に覆いかぶさったセレスさん。
痛そうに顔をしかめて耳のあたりを気にしているようだが、目立った怪我はしていないようだ。
その他は、特に変わり映えのしない廊下の風景。今、この場にボクら以外には誰もいない。
安心すると同時に急激に体の力が抜けた。
通路に溶け込んでいた緊急用の扉が開いて、青い作業着の係員が数人、こちらに向かって駆けてくる……。

それからしばらく後――ボクらを含む『暗闇の館』の客たちは、ランドの警備係の指示によって施設の出口のある大ホールに集められた。
ボクとセレスさんが遭遇した事態を整理すると……誰が暗闇の中、セレスさんに背後から襲いかかった事は間違いない。
当然、犯人はその時、施設内にいた人物に限られるという訳で……警察が来るまでの間に“犯人探し”をしようという事だ。
「……本当に大丈夫? セレスさん」
まだ苦い顔をしたセレスさんに聞くと、彼女は小さく首を横に振った。
「いえ……まあ。思い切り耳を引っ張られて、イヤリングが外れてしまいましたわ。
 血は出ていませんし、イヤリングも近くに落ちているのがすぐ見つかったからいいのですが……。全く、とんだ災難ですわ」
彼女の手には、いつも付けていた惑星型(?)の金色のイヤリングが2つ握られている。
取れてしまったのは左耳だけなのだが、まだ痛む方に付けるのはつらく、右耳だけに付けておくのも変なのでそちらも外したのだという。
犯人は変質者か暴行犯か、それとも強盗が目的だったのか……まだわからないが、セレスさんをこんな目に遭わせたのは許せない。
ボク自身――あんなに近くにいたのに彼女を守れなかった事が悔しい気持ちもある。
ボクは、犯人の姿を求めてホールに集められた顔ぶれを無言で見渡した。
このアトラクションはペアでの参加が前提になっているので、当然“容疑者”は2人組だ。
そして今日の営業での最後の客がボクらだった事から、前を歩いていたペアの中に犯人がいる可能性が高い。

まず、若い黒人のカップル。大学生だろうか? こんな状況だというのに2人でひそひそと話しては、小さく笑い合っている。
トラブルに巻き込まれて困惑するより、野次馬根性の方が強いのかもしれない。彼らが進行ルートの先頭だったらしい。
暗闇に身を潜めて次の客をやり過ごし、背後から襲う事は誰でも可能だが、わざわざ最後尾の客であるボクらを襲うのは不自然か……?
次は、大柄な中年男性と黒いハンチング帽を被った若い女の子。彼らはアジア系で……親子といったところか。
いかつい顔で黙り込むお父さんがちょっと怖い。女の子の方はずっと俯いたままなので、表情はわからない。
親子連れの強盗だとか考えたくもないが、それだけで容疑者から外すのは危険だろう。
3組目は上品な物腰の老人と、花柄のスカーフですっぽりと頭を覆った女の子。彼女は大きな黒縁メガネをかけている。
白人の祖父と孫……女の子が好奇心に目を輝かせているのと対照的に、老人は眉間に皺を寄せて何度もため息をついていた。
いかにも善良そうではあるが、彼らがボクらのすぐ前を歩いていたペアだったらしいので、その点に限れば容疑は濃厚だ。
そういう目で見ていると、お爺さんの白いヒゲがどこか作り物っぽいような……?

「……あの、苗木君。ちょっとよろしいですか?」
ボクの思考は、セレスさんの声で中断させられた。少し驚いて顔を上げると、彼女が壁際に佇む客の一人を視線で示す。
「あちらの方……少し気になりません?」
言われてみると、確かに妙だった。そのお客は、親子連れ風のペアのうち、ハンチングの女の子の方……。
この騒動の中心であるボクらが他の人の注目を浴びてしまうのは仕方のない事なのだが、
その子だけは時折探るような視線を送りながら、こちらが見返すと素早く視線を外して俯いてしまう。
もっとも、それは勘のいいセレスさんに指摘されなければ、気づかなかったレベルの違和感で……
明らかに不自然という程ではないのだが――……何だろう、何かやましい事でもあるのか……?
気になりだして見ていると、突然、ボクの隣に立っていたセレスさんがつかつかとその子に歩み寄った。
そして止める暇もない素早い手つきで、黒い帽子をはぎ取ってしまう。
「ちょ、ちょっと、セレスさん! ――――……って、あ……れ?」
「これはこれは……御機嫌よう。こんな所で会うなんて、本当に、奇遇ですわ」
セレスさんは帽子を手に勝ち誇り、ボクは訳のわからないまま、その場に立ちすくんだ。
帽子の下から現れたのはボクらがよく知った顔――数日前にもこの島で偶然出会ったクラスメイト、“超高校級の探偵”霧切響子さんだった。

霧切さんはボクらの表情を無言で見比べた後、気まずそうにまた横を向いてしまった。
普段なら彼女の長い髪はかなり目立つのだが、今は小さく纏めて帽子の中に隠していたらしい。
おかげでボクはこの瞬間まで、全く気が付かなくて――これはつまり、変装してたって事だよな……。
同じ学園の仲間であるボクらに黙ったまま……この場所で……何の為に……?
「霧切さん。ここにあなたがいらっしゃるという事が、先程の事件と無関係とは思えませんわね。
 いえ……むしろ、わざわざ変装までしてわたくし達に近づいたとすれば、あなたこそが、暗闇の中でわたくしを襲った犯人なのでは……」
セレスさんの突拍子もない発言に、霧切さんは一瞬、驚きと……微かに傷ついたような表情を浮かべる。
しかし、口を開きかけても反論する事はなく、弱々しくかぶりを振って黙ってしまった。
いつもの霧切さんなら鋭く切り返してくるのに――――少し戸惑いながら、代わってボクが答える。
「ちょ、ちょっと待ってよ。 それは変じゃない? 霧切さんはボクらより前の順番でここに来てるんだし。
 何かの狙いがあって待ち伏せするにしても、セレスさんがこの『暗闇の館』に入る事は誰にも予想出来ないはずだよね?」
「ふん、それもそうですわね」と、あっさり矛を収めるセレスさん。
「では……霧切さんがここにいらっしゃったのは偶然で、先程の事件とも無関係だったとしましょう。
 この騒ぎにあっても探偵として捜査に乗り出さず、わたくし達の目から隠れ続けていた理由は――
 ……友人に知られたくない、プライベートな時間をお過ごしだったからでしょうか? だとすれば、お邪魔様でしたわね」
言いながら、意味ありげな視線を霧切さんの連れ――大柄な中年男性に向ける。
そう言えばこの人は……霧切さんのお父さん、の訳がないよな。
島に住んでる親戚のおじさんにランドを案内してもらっていたとかは――さすがに無理があるか。でも……いや、霧切さんに限って――
「ち、違うわよ。……勝手に変な想像をしないで頂戴」
こちらの思考を察したように、霧切さんがついに声を上げた。ボクは「ご、ごめん」と謝りながら、どこか少しホッとする。
「…………仕事よ。決まっているでしょう。今回の依頼は“特別”で……例えあなた達にも何も話せない内容だったから――
 セレスさんが誰かに襲われたというのは、もちろん気になったけど――名乗り出る訳にはいかなかったのよ。
 全く……よりによってこんな時に、あなた達と一緒に事件に巻き込まれるなんて……」
そう言って霧切さんは、珍しく大きなため息をついて見せた。
……この説明ではまるで事情がわからないが、彼女はつまらないごまかしをする人じゃない。
ボクはなんだかとても申し訳ない気分になって、セレスさんと顔を見合わせる。
その時――ボク達3人が話している場に、また別の人物が近づいてきた。

「あの、霧切さん。ひょっとすると、ひょっとして、そちらのお二人はあなたのご友人ですか?」
目の前にいるのは、老人の連れだった眼鏡の女の子。スカーフの下から少し覗いた金髪と青い瞳のおかげで一目で外国人だとわかるが――
少々たどたどしいものの、明瞭な日本語で霧切さんに話しかけている。
その瞬間、霧切さんは目を丸くして、何故か他の数人のお客の間からもざわめきが起こった。
な、なんだこの子……? 霧切さんと知り合いなのか? 今までそんな素振りは少しも見せなかったのに……。
「え……はい、そうです。でも、どうして……」
答える霧切さんの声にも困惑と緊張が表れている。信じられない、あのいつも冷静な霧切さんが……この子、本当に何者だ?
「でしたら、どうか“依頼”の件は一時忘れて、ご友人の力になってあげて下さい。あなたは、“超高校級の探偵”さんなのでしょう?」
力強い口調には、有無を言わせない威厳が漂っている。直接話している訳でもない、ボクらまで飲み込まれてしまうような――
「あなたは……一体誰ですの? 霧切さんと、どういう関係でここに……?」
セレスさんが、表情こそ変わらないものの、やはり声を堅くして尋ねる。
謎の女の子はこちらに向き直り、顔を隠していた大きな黒縁眼鏡と、頭を覆う花柄のスカーフを一気に取り去って見せた。
現れたのはサラサラの金髪と、気品に満ちた整った顔立ち――彼女は優雅な所作で軽くお辞儀をして言った。
「ご紹介が遅れました。わたくしこそが、霧切さんの雇い主にしてノヴォセリック王国王女。
 名は、ソニア・ネヴァーマインドと申します。以後、お見知りおきを……」

は……? お、おうじょ……? 王女様って、まさか、そんな――
驚きのあまり声が出ないボクは、またセレスさんの方を見た。
彼女はボクよりは幾分か落ち着いていて、それでも動揺は隠せないが――一人呟く。
「そう、ですか……。そう言えば、ホテルでニュースを見ましたわ。
 公務の為に、日本に留学中の王女様がジャバウォック島を訪問されているとか……」
霧切さんがこうなっては仕方がない、と言うように頷き、
「ええ、その通りよ。ソニア王女がジャバウォック島を訪問しているのはあくまで公務の為なのだけれど……
 王女のたっての希望で、公務を終えてからお忍びでこの遊園地に遊びに来られたの。
 安全の為に変装をして頂いて……こうしてSSも護衛につけて」
ここで霧切さんは言葉を切り、周囲の大人達を見回した。
霧切さんとペアのアジア系の男性、そしてソニア王女のペアの白い髭の老人――――彼らはSS(シークレットサービス)の変装だったのか。
「だけど、いかつい大人の男性をゾロゾロ連れて遊園地を回っていたら、目立ってしまうでしょう?
 王女ご自身が『出来るだけ一般客に迷惑をかけないよう、自然な形で』と指示されたのもあって、
 “超高校級の探偵”である私に協力の依頼が来たのよ」
探偵の名門一族である霧切家の名声を受け継ぎ、海外暮らしの経験もある霧切さんは、
外国の警察関係者の間でも『知る人ぞ知る』存在らしい。
数日前に起こった“誘拐事件”に霧切さんが関わり、どうやら今も島に滞在している――そう聞きつけた警備筋が、
王女の希望に最大限応えるべく、今夜、遊園地内だけという形で霧切さんに依頼をしたんだとか。
確かに、超一流の探偵であり現役女子高生でもある霧切さんは、
無理なく観光客に溶け込んで王女を護衛するにはこれ以上ない人材だろう……。


「と、いう事は……霧切さんと、SSのお2人。それに……王女様は容疑者から除外してもよろしいのですね?」
「モチのロン、ですわ! わたくし達はずっと2人ペアで行動しておりましたし、
 霧切さんも、SSの2人も信頼のおける者達です。職務中に強盗を働いたりする訳がありません」
胸を張って答えるソニア王女に、セレスさんは僅かにたじろぎながら頷きを返した。
おお……やっぱりセレスさんも緊張してる……これが本物の王女様の威光……。
感心していると、すかさずセレスさんに睨まれてボクはびくりとした。
……い、今はそんな事はどうでもいいな。気を取り直して話に戻ろう。
「じゃあ、残る容疑者はあの2人……?」
ボクがちらりと視線を送ったのは最後に残った容疑者――若い黒人のカップルだ。
彼らはここまでの日本語でのやりとりが理解出来ないのか、きょとんとした顔をしている。
「いいえ、それはあり得ないわ。彼らは先頭のペアで、セレスさんとの間には私やSSを含む2組のペアがいた。
 私達はゲームに参加しながら、後続の王女の身に危険がないか最大限警戒していたわ。
 先頭の2人が全く気付かれずに私達をやり過ごし、最後尾のセレスさんを襲って、また先頭に戻れたとは思えない」
冷静に話す霧切さんと対照的に、ボクの頭は混乱してきた。
そうすると……もう容疑者が誰もいなくなっちゃうぞ。
「では、アトラクションの暗闇の中に、最初から曲者が潜んでいたというのはどうですか?
 闇に生まれ、闇に生き、名もなきままに散りゆく……それが忍のさだめと言うでしょう」
キラキラした笑顔で提案する王女様。所々に妙な日本語が混じっているのは気のせいだろうか。
「施設の入り口は一か所……不審者が係員の目に触れずに、セレスさんが襲われた通路に行くのは不可能らしいです。
 非常用の通路と繋がるドアがあちこちに設置されていますが、施設側からは開け閉め出来ない構造だそうです」
ボクが非常ボタンを押した時、裏方の係員たちが駆けつけてきたあの扉か。あれも使えないとなると――

「ちょっと待って下さい。まだ疑問はありますわ。そもそも犯人は真っ暗闇の中で、どうやってわたくしを見つけたのでしょう。
 声を出していればおおよその方向はわかるかもしれませんが、わたくしは歩き続けていたのですよ。
 襲われた時にはわたくしも苗木君も黙っていたように思いますし」
そうだ。確かにあの時――ボクらは声を出していなかったし、床が柔らかいおかげで足音もほとんどしなかったはず……。
だから後ろからの気配――恐らく犯人が試練の扉を開ける音――に気が付いて――……
「犯人は、軍隊が使うような暗視スコープを準備していたという事でしょうか。でしたら、関係者全員の荷物を調べれば……!」
何故かやる気満々のソニア王女が腕まくりをするのを、霧切さんが慌てて止める。
「いえ、そんな目立つ道具を持ち歩いていたら必ず誰かに見咎められたはずです」
そして彼女はボクとセレスさんの方に向き直って言った。
「真っ暗闇でも、何度もこの『暗闇の館』に足を運んだ人間なら移動は容易いわ。
 セレスさんの位置さえわかれば――……そうね、事前に何か“光る目印”が付いていたというのはどうかしら?」
「光る、目印? そんなのあるかな……」
言われて、隣りに立つセレスさんの姿を上から下までじっくりと観察してみる。この明るいホールでならよく見えるが……
「……嫌ですわ。あなたにそんなに物欲しそうな目で見られては、わたくし……」
彼女は恥じらうように胸元に手を当てて横を向いてしまった。
「え、いや……ご、ごめん」
反射的に謝り、目を背けるボク。霧切さんが苛立ったように咳払いをして言った。
「部屋を暗くしてみればすぐにわかるわよ。……今、係員に頼むから」
ホールの隅には警備担当者と数人の係員が集まって、あちらはあちらで話し込んでいる。
霧切さんが責任者らしいおじさんに英語で推理の経過を伝えると、おじさんはすぐに指示を出してくれた。
やがて部屋の照明が落ち、辺りはアトラクションと同じような真っ暗闇に包まれる……。
「まあ! 皆さん、見てください。セレスさんのうなじが光っていますわ!」
ソニア王女と数人が歓声を上げたが、ボクの位置からは何も見えない。
――と、突然暗闇の一部が丸く切り抜かれた。……霧切さんがペンライトを点けたようだ。
その灯りを頼りに、今度は全員でセレスさんの後ろに回り込む。
……本当だ。セレスさんのうなじ――というか、襟の後ろが光ってる!
後ろに立たなければ見えない程度の、ボンヤリした緑の光……これは。
「夜光塗料の粉末が付けられていたようね。時計の文字盤なんかに使う……」
霧切さんが英語で責任者のおじさんに「ありがとう」と声をかけ、部屋はまた元の明るさに戻された。
明るい状態で見てみると、やはり襟に何がついているのかは、全くわからない。

「これではっきりしたわね。事前にセレスさんの服の襟に夜光塗料を付ける事が出来た人物こそが犯人……。
 セレスさん。あなた、今着ている上着をどこかで脱いだりした?」
霧切さんの問いかけにセレスさんは首を横に振る。
「そんな事はしていませんわ。このお洋服は、今夜ホテルで初めて袖を通したものです。
 わたくし以外の誰かが手を触れたとすれば、ホテルからこの施設に来るまでの間でしょうか。
 もっとも、わたくしにはそんな不愉快な記憶はありませんが……」
「えっと……苗木君とセレスさんはずっと一緒に行動してたのよね? じゃあ、苗木君――」
突然指名されてボクは驚き、首をぶんぶん振って答えた。
「ボ、ボクは何もしてないよ! さっき暗闇で襲われた時だって、セレスさんの方がボクの上に乗ってきて――」
「それはそれは……とんだ吸った揉んだでしたわね」
ソニア王女が深刻な表情で呟くが、何だか変な会話だ。霧切さんは小さくため息をついて言い直す。
「そうじゃなくて。一緒に行動していた苗木君なら、“セレスさんに最も接近した不審な人物”に気が付くんじゃない?
 ホテルからランドへの移動の間はどう? それともランドの人ごみの中では?」
「ホテルからランドへは、タクシーを使ったから誰もセレスさんには近づけなかったはずだよ。
 人ごみの中って言われても……ボクらは人ごみを避けて歩いてたし……」

一応、ボクにもセレスさんの護衛役という建前がある。人の多い場所で少しも警戒していなかった訳じゃない。
不審者がセレスさんの襟に触ったりしたら、すぐにわかるはずだ……。
じゃあ、残る可能性はこの『暗闇の館』に入ってから? 暗闇の中でなら……いや、それじゃ本末転倒か。
ボクは必死に自分の記憶を辿り――……そして、ふと気が付いた。
「……そうか、あの人……。 “彼女”にだけセレスさんの服に触るチャンスがあった……!」
「彼女? 不審者の正体は女性ですの?」
「不審者というか……むしろ、堂々とボクらの目の前で触ってたよね。受付の黒いメイドさん」
ボクの言葉に、セレスさんは大きな目を丸くする。
「あ……。まさか、アトラクション前のボディチェックの時に? あの方が、わたくしを襲った犯人……!」
間違いない。そうやって自然にセレスさんの服に夜光塗料を付けておき、暗闇ですぐに襲ったのではバレてしまうから――
ある程度ボクらを先行させてから後を追った。施設の構造を熟知した係員なら追いつくのは簡単だし、
ボクらに気づかれそうな派手な仕掛けは無理に解く必要もない。
そしてセレスさんを襲った後、彼女は単純に入り口の方に戻っていった……!
「受付という心理的盲点……『見えない男』パターンだったのね。すぐに手配をしないと!」
受付や守衛役、裏方まではこの場に集められてはいない。霧切さんが警備責任者に向かって英語で叫んだ。
係員達の間にざわめきが起こり、彼らは慌ただしく動き始める……。


――15分後。
警備係や、駆けつけた警察と話した霧切さんが落胆した表情でボクらの前に戻ってきた。
「どうやら、遅きに失したみたい。あの受付の女性は、とっくに逃げてしまったわ」
「……しかし、どうして受付の女性がわたくしを襲ったのでしょう。
 いくらわたくしが可憐でも、初対面の方に嫉妬されてしまう……何て事は流石にないと思うのですが」
セレスさんの疑問に、霧切さんは少し離れた場所でSS達に守られているソニア王女をちらりと見て答える。
「……もしかすると、間違えたのかもしれないわね。あの王女様と」
「え……。でも、2人はそこまで似てない……よね?」
「そうね。だから、犯人はソニア王女の外見をよく知らなかったとすればどうかしら。
 彼女の最近の姿はテレビや新聞でも報道されていないし、今夜は変装もしていた。
 あの時間に、王女様がお忍びで『暗闇の館』に来る――それだけがわかっていたのなら、
 同じぐらいの年齢でお嬢様風のセレスさんと勘違いしてしまったのかもしれない」
ああ……そう言えばホテルで読んだ新聞にもソニア王女の写真は出てなかったっけ。
それに……もしかすると王女を襲った犯人の狙いは――
「――イヤリング?」
「わたくしのイヤリングならちゃんと持っていますが……それがどうかしたのですか? 苗木君」
思わず口にした言葉に、セレスさんが小さく首を傾げる。
「いや、セレスさんが犯人に襲われた時、『耳を引っ張られた』って言ってたよね?
 新聞に“ソニア王女がすごく高価なイヤリングをつけてきてる”って書いてあったのを思い出して」

「確かに、セレスさんもよく目立つイヤリングをしてたわね。
 犯人は初めから王女のイヤリングを狙って……それで余計に勘違いしたのかも……」
霧切さんとセレスさんが納得したように頷き、ボクはさらに記事の内容を思い出そうとした。
「ええと、何て言ったかな。名前は黄金の……“ママンゴ”?」
「“マカンゴ”ですわ。嫌です、そんなはしたない事をおっしゃられては……」
いつの間にかソニア王女がすぐそばに、羞恥で顔を赤くしながら立っていた。
ボクは慌てて「ご、ごめんなさい」と謝りつつ、内心混乱する。
マカンゴは良くてママンゴは“はしたない”……? いや、そもそもマカンゴって何なんだ??
「ソニア王女。……その、マカンゴのイヤリングは、今どちらに?」
「お聞きの通り大切な物ですので、ランドに入る前――変装した時に供の者に預けましたわ。心配ゴム用です。
 それより……皆さんの会話をちょっと小耳に挟んだのですが、
 何でもセレスさんが曲者に襲われたのは、わたくしと勘違いされてしまった為だとか。
 だとすれば、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。何とお詫びすればいいでしょう……」
ソニア王女は心苦しそうに、しかしぎりぎり威厳を失わない上品な所作で、ゆっくりと頭を下げた。
セレスさんはそんな王女の手を取って、微笑を浮かべながら首を横に振る。
「おやめ下さい、ソニア王女。それは仮定の話に過ぎませんし、そうだとしても悪いのは犯人ですわ。
 それに……わたくしとしても、王女様と勘違いされるのは悪い気はしませんもの……」
後半は相手を気遣う冗談めいた口調だったが、半分くらいは本心だったのかもしれない。
ソニア王女はそんなセレスさんの手を握り返し、「ありがとうございます」と太陽のような笑顔を見せた。

丁重に別れの言葉を述べた王女様が護衛達を引き連れて去った後……霧切さんが一人呟く。
「……犯人が王女を狙ったのだとすれば、今夜のスケジュールが漏れていたとしか思えない……。
 要人警護やランド内部にまで入り込むような……強い力を持った“組織”が背後にある……?」
「……えっと、犯人にはもっと仲間がいるかもしれない……って事?」
聞き返すと、霧切さんは何か言いかけてやめてしまった。
「いえ、これ以上は……あなた達が関わるべきでない領域ね」
ボクが戸惑いながら黙ってしまうと、彼女はくるりとこちらに背を向ける。
「私は、もう少しこの事件を追ってみるわ。依頼人から協力の要請もあったし……
 霧切の名を継ぐ者として、関わった事件を未解決のままでは終わらせない……」
相変わらず静かな口調だが、表情には強い決意が満ちていた。最後に僅かに顔をセレスさんの方に向けて、
「じゃあ、もう行くから。…………頑張ってね」
ボクの方には目もくれず、霧切さんは颯爽と歩き出す。探偵としての矜持を胸に、真実を追って……。


「カウントダウンイベント……終わっちゃったね」
警察の事情聴取に協力し、ようやく解放されたボクらは施設の外に出てきたが……時刻はもう2時近い。
辺りにはお祭りが終わった直後の余韻のような熱気がまだ残っているものの、多くの人がランドから立ち去ろうとしている。
「残念ですが、済んだ事は仕方ありませんわ。……わたくし達も参りましょう」
そう言ったセレスさんが足を向けたのは出口とは逆方向だ。ボクが慌てて、
「あ、出口はこっちだよ!」
「こちらで合ってますわ。ランドを出る訳ではありませんから……」
何も聞かされないままついていくと、着いた先はランド内にあるホテルだった。
ランドの象徴であるネズミー城と同じく、中世のお城をイメージした外観だが、
入り口の先はフロントになっていて、ホテルマン達が笑顔でボクらを迎えてくれた。
「イベントの後で、『1番目の島』のリゾートホテルに戻るのは面倒ですから、予約しておいたのです。
 予定よりも、だいぶ遅くなってしまいましたが……さあ、こちらですわ」
さっと手続きを済ませ、カギを受け取ったセレスさんと一緒に最上階の部屋へと向かう。

最上階のスイートルーム――開け放たれたバルコニーの窓から、煌々と輝く満月が覗く。
2人で窓際に立つとまるで夜空がすぐ近くに迫っているようで、圧倒されたボクは息を飲んだ。
「本来なら、ここからイベントの花火を見るはずだったのです。おかしな事件にさえ巻き込まれなければ……」
「そう、だったんだ。それは……惜しかったね。ボクの“幸運”も、当てにならないな……」
ここから花火が見られればあの月に重なって、とても綺麗だっただろう。
ボクは心からのため息をついたが、セレスさんはゆっくりと首を横に振った。
「ですが、惜しいばかりではありません。だって、だって……あなたという人の価値を見極める役には立ちましたもの。
 今夜だけではなく、この旅行に出てから色々なトラブルがありましたが――
 あなたの問題に立ち向かう機知や勇気、他者への気遣い……何より、わたくしへの忠誠心。
 それら全てを見せて頂き、改めて確信しましたわ。わたくしにとって、あなた以上のナイトはいません。
 ……このわたくしに、ここまで言わせたのです。――もっと、誇ってもいいのですよ?」
セレスさんの赤い瞳は真剣そのもので、ボクは嬉しくなったが――少し引っかかっている事がある。
「あ、ありがとう。……でも、さっきはごめん。その、犯人が襲ってきた時、守ってあげられなくて……」
「何をおっしゃるのです。あなたが非常ボタンを押して下さったから、犯人は慌てて逃げ去ったのでしょう。
 それに、とっさに主人の下になるなんて……まさしく筋金入りの、忠実な下僕ぶりだったじゃありませんか」
あの時は無我夢中で、そこまで考えてなかったんだけど……。ボクは苦笑し、セレスさんは小さく笑った。
多少は気分が軽くなった所で、セレスさんが改めて真剣な表情でボクに向かって手を差し出す。
「苗木君。これからもわたくしのナイトとして――わたくしの夢を叶える為……共に歩んで下さいますわね?」
それは――今更考えるまでもない。ボクは恭しくセレスさんの手を取り、「はい」と答えた。
……ボクからすれば途方もない夢に人生を賭けて――なおかつ楽しみながら歩み続けるセレスさん。
そんな“希望”に満ちた彼女のそばで、一緒に夢を見られたら……きっと楽しいに違いないから……。
セレスさんはこれ以上ない位に可愛く――にっこりと笑って、ボクの手を握り返す。
「わたくしの夢は『西洋のお城に住み、吸血鬼の扮装をした執事達をはべらせ、耽美で退廃的な世界で一生を過ごす事』――
 ――わたくしと夢を共有するのならば、わたくしと一生を添い遂げる事に他なりません。
 あなたにその覚悟があるのなら、わたくしも覚悟を示しましょう」
微かに頬を染めたセレスさんは片手でボクの手を握りながら、もう片方の手を壁のスイッチへと伸ばした。
窓から降り込む月明かりだけを残し、部屋はビロードのような薄闇に包まれる。
「……ところで苗木君。人の体で、このように視界が暗闇に覆われても……最も敏感に刺激を察知する部分が、どこかわかりますか?」
「えっと……指先、かな」
「……唇ですわ」
ボクのそれに、温かく柔らかいものがそっと触れた。

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