kk25_104-112

 それは放課後と言うには些か遅い時間のこと。
 人の引けた学園からは明かりも声もほとんど消えて、自分自身の輪郭さえ曖昧で。
 すっかり薄暗くなった教室の中で、聞こえるのは二人分の吐息の音だけ。
「ねえ、霧切さん…」
 静寂に、新たな音が加わる。
 その美しい声の持ち主である目前の少女は、果たして何を考えているのか。
「私…あなたのことが、」
 自信があった筈の鋭い観察眼は、しかし彼女の笑顔の裏側を少しも教えてはくれなかった。



「たまには、女二人でガールズトークに興じてみませんか?」
 ほとんど自習の様な授業が終わった後、そのまま机で推理小説を読んでいたら、上から声が降ってきた。
 にこにこと眩しい笑顔を放ちながら談話を誘ってきた美少女――名前は、舞園さやか。
 級友の一人であり、この国では知らない者の方が少ないであろうトップアイドルでもある。
 既に教室に残っていたのは私と彼女の二人だけで、特に断る理由もないのでそっけなく肯定の言葉を返した。
「…別に、構わないけど」
「本当ですか?良かった!」
 普通の女子高生ならいざ知らず、過密なスケジュールの中で生活する彼女に、本来ならそんな時間は存在しない。
 ――少なくとも、この間まではそうだった。
「もうじき窓も全部閉鎖しちゃいますもんね。黄昏の教室で二人っきりなんていう青春っぽいイベントは、ちゃっちゃと消化しておくべきです!」
「そういうのは異性とやったらどうかしら」
「霧切さんはそんじょそこらの男性よりよっぽどカッコいいから問題ないですよ?時々本気でときめいちゃいますし」
「……意外と呑気なのね」
 何事もなかったかのような笑顔を浮かべる彼女は、女優の才能もあるのかもしれない。
 ここ一年ほど学友として過ごしてきて、最近はそんな風に思う様になった。
「そりゃあ、本当はすっごく怖いし、不安だし、怯えてもいますよ。
 こんなふざけた理由で夢を絶たれるなんて冗談じゃない、っていう怒りもあります。家族や仲間だって心配ですし」
「そうでしょうね。……あなたの荒れっぷり、凄かったもの」
「やだ、あんなアイドルとしてあるまじき姿は忘れちゃってくださいよ!恥ずかしいじゃないですか…」
 人類史上最大最悪の事件――そんな仰々しい名前の付けられた出来事は、あらゆる日常を奪っていく。
 希望の名を冠するこの学園もまた、例外ではない。
 それでも、世界に僅かでも希望を残そうと、生き残った者達でここに閉じこもることを決めたのが、ほんの数日前の話。
 実際に窓や扉を封鎖し、シェルターとして改装し始めるのが、ほんの数日後の話。
「でもほら、霧切さんみたいな頼りになる人が一緒なんだし、案外何とかなるんじゃないかなって思いまして」
「…だから、そういうのは異性を頼りなさいよ」
「響子お姉さま……」
「やめなさい」
 性格も嗜好もまるで違うというのに、どういうわけか舞園さんは私に付き纏う。
 嫌、という訳ではない。自分でも驚きだが、私は自身が籍を置く78期生というクラスに、思った以上に心を許しているらしい。
 私の不愛想な態度も気にすることなく親しく接してくれる彼女は、友人だと言っていい人になっていた。
「それで。……本当の用事は、何?」
 だからこそ、彼女が何か話したい用件があるからこうして誘ってきたのだろうと、推理もできる。
 尤も、彼女の方も特に隠す気はなかったようだが。
「まあ、この際ですし、ちゃんと話をしておきたいなあと思ったので」
「…何の話かしら」
「あ、今の言い方。推理ドラマで追い詰められた犯人がとぼけたみたいな台詞ですよ!」
「ふざけてないで……」
「私と霧切さんと、苗木君の話です」
 ――嗚呼。
 やっぱり、ガールズトークなんて断ればよかった。



「んもう、露骨に逃げようとしないでください!恋する純情乙女探偵が聞いて呆れますよ!」
「そんなむず痒くて痛々しい称号を名乗った覚えはないわ。名誉毀損罪で訴えるわよ」
 別に逃げようとしたつもりはない。思わず扉に目がいっただけで。
「今日は逃がしませんからね!同じ人を好きになった者同士、熱く語りましょうよ!」
「同じ人?何のことかしら、私は好きな人なんて生まれてこの方一度も」
「今更とぼけるんですか?霧切さんが苗木君を好きなことなんて用務員のおじさんでも知ってますよ!」
 茶番の様な会話だ、と思う。
 先ほどから誤魔化そうとはしているが、舞園さんに知られていることはわかっている。
 一年の学園生活を通して、私がいつの間にか想いを寄せる様になったあのお人好しの少年を、それよりずっと前から想っていた彼女だ。
 私の想いに気付いたって不思議ではないのだろう。所謂女の勘とでもいうものだろうか。
「ね、霧切さん。この機会に苗木君について思う存分話しましょうよ。恋バナしましょう、女子高生らしく!」
「そんなの…話したところでどうなるのよ」
 どうせ、どうにもならない。
 苗木君と舞園さんは中学の頃から互いのことを気にしていたらしく、この学園に入ってからは瞬く間に仲良くなった。
 彼女と一緒にいる時の彼は、いつだって笑顔で、嬉しそうで。
 私の様に時々喧嘩をしたり、面倒事に巻き込んで迷惑をかけたりすることもない。
 自分が入り込む余地が無いのはわかっているし、邪魔をするつもりもない。
 勝負などとっくについている。だから、この件についてはあまり話したくないのに。
「むう、もっと興味持って相手してくださいよー。何なんですか、勝者の余裕ってやつですか!」
「……それは嫌味かしら?喧嘩を売っているつもり?」
 小さく溜息が出てしまう。勝者が敗者に何を言うのか。
 すると舞園さんはきょとんと目を瞠り、少しだけ考え込む様な仕種をした後、何やら納得したような顔で頷いた。
「なるほど、霧切さんは気付いてないんですね。そっち方面の観察力は大したことない、と。なるほどなー」
「…ちょっと、聞き捨てならないことを言ったわね。私が何に気付いていないというのよ」
 褒められたことは多々あれど、探偵として培った観察力を『大したことない』と表現されたのは初めてだ。思わずムッとしてしまう。
 しかし舞園さんは僅かに顔を歪めた私を全く気にした様子もなく、何が楽しいのかにやにやと笑って、
「あのですね、霧切さん。苗木君は霧切さんが好きなんですよ」
 とんでもないことを言うのだった。



「先に言っておきますけど、嘘や冗談や推測じゃないです。何せ本人に聞いたんで、確定事項ですから」
 またお得意のエスパーかしら?残念だけど全く外れているわよ。それともからかいのつもり?質の悪い冗談は嫌いなの。
 ――そう出かかった言葉を牽制するように、先手を取って言われてしまった。
 まるで思考を読まれているようで、落ち着かない。自分は読む側の人間の筈なのに。
 そんな小さな動揺を悟られないように、表情を動かさないまま、冷静に紡ぐ言葉を考える。
「その言葉が真実である根拠はないわ。信じるに値しないわね」
「そんな…霧切さんは私が嘘つきだって言うんですか?酷いです、友達を疑うなんて!」
「悪かったわね。探偵は疑う仕事なのよ」
 大袈裟に(白々しく、とも言う)嘆く彼女に淡々と返す。これもまた、茶番だ。
 苗木君が舞園さんに惹かれていることくらい、それこそ予備学科の人間でも知っていただろう。
「もう…そうやって嘘を疑ってばかりいると、いつか泉の精霊に鼻が伸ばされても誰も信じてくれなくて狼に食べられちゃうんですからね!」
「……色々混ざってるわね」
 それにしても、彼女は結局何が言いたいのだろうか。
 いつにも増して妙に馴れ馴れしかったり、苗木君が私を好きだと言ってみたり、目的がよくわからない。
 単なるスキンシップと言えばそうかもしれないが、何となくはぐらかされている気がする。
 大事な話があるのだろうと、思っていたのだけれど。
「私、苗木君が好きなんですよ」
 考えていると、唐突に舞園さんが呟いた。
 相変わらず、笑顔を崩さないまま。
「それなのにどうして、苗木君は霧切さんが好き――なんて、平然と言ってるんだと思います?」
 どうせわからないでしょうけど、なんて挑戦的な言葉が顔に書いてある気がして、また少し眉を寄せてしまう。
 まだその話をするのか。
 どうしても何も、平気で当然だ。それ自体が嘘なのだから、
「それはですね、私には他にも好きな人がいるから、です」
「………は?」
 だから、「嘘だからでしょう」と、言おうと思ったのに。
 その言葉は遮られ、まるで予想していなかったことをあっさりと告げられた。
 口が半開きになったまま、職業柄自然と身についたポーカーフェイスも忘れてぱちぱちと瞬きをする。
 聞き間違いだろうか。今彼女は何と言った?
「苗木君と同じくらい……もしかしたらそれ以上に、好きな人がいるんです。
 だから、苗木君に好きな人がいても、それほどショックじゃないんですよ」
 笑顔のままで、何でもないことの様に彼女はしっかりと言い放った。一言ずつ、噛みしめるように。
「………」
 反応を窺うように顔を覗き込んでくる彼女に、しかし唖然としたまま言葉が出てこない。
 苗木君以外の異性に想いを寄せているなんて、考えたこともなかった。
 とても一途だという印象があったのだが、違ったのだろうか。それとも、これもただの冗談なのか。
 ……本当だとしたら、何故それを私に言うのだろうか。
「……それは、初耳ね。一体誰のことかしら」
 感情を無表情で静かに覆い隠しながら、教室内に並べられた机を見回し、男子の名前を列挙してみるけれど、舞園さんは笑って首を横に振る。
 それなら、前の学校の誰かかしら。それとも芸能界の人?近所に住んでる人?親戚?
 私の推測を、彼女はやはり、否定する。
「もっと素敵な人ですよ。――そんじょそこらの男性よりかっこよくて、とても頼りになる人なんです」
「…………」
 気のせいだろうか。ごく最近、似たようなことを言われた気がする。
「仕事熱心で真面目なところも好感が持てますし、いつも冷静で落ち着いてる大人っぽいところも憧れますね。
 だけどちょっと天然だったり、頑固だったりするところもあって、放っておけなくて。
 たまに笑った顔とか、怒って拗ねちゃった時の子どもっぽいところとか、なかなか人を頼れない不器用さとかが、すごく可愛くて」
「だから、苗木君が全く同じことを照れながら言ってた時、すごく妬いちゃいました。
 そんなの、私だけが知ってればいいのに、って」
 いつの間にか、黄金色だった夕日はほぼ沈んで、夜に近い時間が訪れていた。
 暗くなった教室の中を、小さな靴音を響かせながら、彼女が近づいてくる。
「ねえ、霧切さん…」
 先程までの楽しそうな様子とは打って変わって、真剣そうな瞳。
 その目は真っ直ぐにこちらを見つめていて、金縛りにあった様に、視線が逸らせない。
 それは、人を惹きつけるアイドルとしての能力だろうか。
 なに、と小さく頼りない声が自分の口からぽとりと零れた。
「私…あなたのことが、好きです」



 何を馬鹿なことを、とか。
 ふざけるのも大概にしなさい、とか。
 言うべき言葉は、出てこない。思考能力の停止なんて、探偵としてあるまじきことなのに。
 どれくらい茫然としていたのか。
 くすくすと、近くで笑い声が聞こえる。
「苗木君も言ってましたけど、やっぱり無表情はやめた方がいいですよ?
 笑った顔や怒った顔や慌てた顔の方が、すっごく可愛いですから」
「……、…」
 ――ああ、ほら。やはり、からかっただけなのだ。
 そんなことは当たり前なのに、そう思うと少しほっとして、無意識に握っていた手をゆっくりと解いた。
 漸く、思考が正常に働くようになってくる。
「……あなたこそ、嘘ばかり吐くのはやめた方がいいわよ。趣味が悪いわ」
 悪意は、ないのだろうけれど。
 嘘を暴く仕事をしている身としては、印象が悪くなってしまうのだ。クラスメイト相手に、そんな感情は持ちたくなかった。
「やっぱり嘘だと思われちゃうんですね…一世一代の告白だったのに、がっかりです…」
「私を騙してからかいたいなら、もう少しマシな嘘を用意することね」
「苗木君の想いも私の告白も全部本当ですよ?証拠もないのに断定だなんて、それでも探偵ですか!」
「証拠がないのはそっちもでしょう?嘘つきアイドルには言われたくないわよ」
 何故信じると思ったのだろうか。
 何か大事な話があるのだろうと思って付き合った自分がバカだった。
 結局、ただからかって遊びたかっただけなのだろう。……普段、苗木君をからかってばかりいるから、しっぺ返しを食らったような気分になる。
 或いは単に、これからの生活への不安や恐怖を紛らわしたかったのかもしれないが。
「まあ、いいですよ。霧切さんが頑固なのはわかってますし、長期戦は覚悟の上ですから。
 どうせしばらく…もしかしたら一生、一緒に生活するんですし。まだまだチャンスはありますよね!
 楽しみだなぁ…憧れのアイドルに大好きな人を取られちゃったら、苗木君はどんな顔をするんでしょうか」
「……帰るわ。戸締り、よろしく」
 もう十分付き合っただろうと判断し、意気込んでいる舞園さんに背を向けて扉に手をかける。
 変に緊張して疲れたからだろうか、動悸がやや不規則になっている。今日はさっさと寝た方がいいだろう。
「霧切さん」
 廊下に出て後ろ手に扉を閉めようとしていた時、教室の中に留まったままの彼女の声が聞こえて、ぴたりと手が止まった。
 返事をしないまま、無言で言葉の続きを待つ。
「私、これでも根性ありますし、意外と欲張りなんで。
 苗木君のこともまだまだ諦めてませんし、霧切さんのことも落としちゃいますからね。
 二人とも、私の虜にしてみせますよ」
 なんたって私、腐ってもアイドルですから。
 力強く宣誓するように言い切った彼女の方を見ることなく、私はそのまま教室を後にしたのだった。
 バカバカしいと思いながら。
 まるで、逃げるように足早に。



 近くでドサドサと雪崩の音がした。
 顔を上げると案の定、向かいの机に積み上げてあった書類が崩れて周辺を散らかしている。思わず、溜息。
 自分の机にも降ってきたそれらを鬱陶しげに隅へと押しやり、ふと隣の机にいる苗木君の方を見る。
 彼は散らばった書類ではなく、机の上に飾ってあるシンプルな写真立てをぼんやりと眺めていた。
 それは、かつて共に青春時代を過ごした彼らとの思い出。
 78期生全員が揃った集合写真。
 あの学園から脱出する際に、持ち出したものだ。
「…あ痛っ」
「感傷に浸っている時間はないわよ。上への工作がまだ全然終わってないんだから」
 ファイルで頭を軽く小突き、仕事に集中するよう促す。
 『名前もない小さな事件』の後始末を休日返上で頑張る彼を手伝いに来たのに、当人がやる気なしでは困る。
「あはは、ごめん…なんか、日向クン達見てると、みんなのこと思い出しちゃってさ…」
「……」
 そう言ってまたちらりと写真の方を見る。ほんの少し、寂しそうな顔。
 みんな、と言いつつも。
 彼がその写真を見る時は、いつだって彼女を最初に見ていることは知っていた。
 絶対に助けると言いながら、結局最初に死なせてしまったあの少女を。
 ――私もまた、同じ。
「死んじゃったみんなの分まで、頑張らないとね」
「……ええ」
 あらゆるトラウマを刻み込んで逝ってしまった彼女は、良くも悪くも決して忘れられない人になってしまった。
 記憶が戻ってからは、より一層。
「…見事ね。ちゃんと捕われてるわよ、私も、苗木君も」
「え?」
「腐っても…とは、よく言ったものね」
 疑問符を浮かべる彼になんでもないと誤魔化して、亡き友を思いながら仕事に戻る。
 微笑んだつもりが苦笑いになってしまったのは、あの日の会話を思い出したからだろうか。
 写真の中の偶像が、得意そうに笑った気がした。

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