私は暑さに頭でもやられてしまったのだろうか。
それとも、時間を有り余すことに慣れていないせいなのか。
いずれにせよ、普段の自分では無いことは確かだった。
健康に悪いことは承知だが、クーラーの温度を一気に下げた。
鋭さすら感じる風が、頬を突いた。
少し、冷静さを取り戻せた気がする。
改めて、自分の所業と向き直した。
デフォルメされすぎているが、確かに彼を模っている。
その、苗木君の姿を。
「なんでこんな物を作ってしまったのかしら……」
こんな物、と言いつつも、それに親しみを感じてしまうのが苛立った。
あまりいい出来では無いぬいぐるみが、人畜無害の微笑みを張り付かせている。
そもそもとして、仕事が休みなのがいけない。
加えて、苗木君が休みでは無いのもいけない。
調子が狂うからと、自分も出勤しようとしたら、
半ば怒っているような形相で、咎める苗木君もいけない。
そして、それに気圧されてしまった私もいけない。
これだけ重なってしまったのだから、しょうがない。
そう自分を宥められる人間なら、もう少し楽に生きられている。
もやもやを苗木君にぶつけた。
とは言っても、もどきにすぎないぬいぐるみを抱き締めても、
気持ちが晴れるはずが無いのに。
……はずが無いのに。
どうして、落ち着いてしまうのだろうか。
本当に、普段の自分からはかけ離れているようだ。
もう、思考を続けるのも嫌になった。
ベッドに身を投げて、意識を手放した。
「……切さん……霧……さん」
ぶつ切れの声が、耳に入った。
重たい瞼を上げると、ぼんやりとした輪郭が映った。
苗木君、だろうか。
いや、彼がここにいるはずがない。
今頃は、忙しさに追われて、夜まで身動きが取れないはずだ。
ということは、さっきのぬいぐるみだろうか。
全く、どうかしているらしい。
幻聴まで聞こえるなんて。
それにしても、随分離れているように見える。
胸に抱えていたはずなのに。
癪だが、もう一度引き寄せることにした。
「こんな冷えた部屋で寝てたら、風邪を引いちゃうよ。取りあえず一回外に……な、なにをしてるの?」
幻聴まで、私を気遣ってくるのは、らしいと言うのか何なのか。
まあ、悪い気はしなかった。
さっきよりも、気持ちが安らいでいる。
どうしてか、抱き締めると、しっかりとした感触が伝わって、
……苗木君の匂いがした。
それに、風邪を引くなんて現実味が無い話だと思った。
こんなに暖かいのに。
心地よいまどろみの中で、頬を緩めた。
意識が戻ったのは、昼下がりを少し過ぎたあたりだった。
行き場の無い思いはすっかり消えてしまっている。
頭の中は澄み切っていて、普段より冴えていた。
こんなに寝覚めが良かったのはいつ以来だろうか。
意外と、このぬいぐるみも捨てたものではないらしい。
……ぬいぐるみ?
……これが?
ピグマリオン効果、というものだろうか。
彫刻に恋焦がれて、本物の人間のように接していたら、
本当に命が宿ったというあれだ。
……いや、それは名称の元になっただけで、ただのフィクションだ。
無機物に当てはまる訳がない。
じゃあ、どういうことだ?
どう見ても、等身大だった。
顔は埋めていて、分からないが、特徴的なくせっ毛が、ぴょこぴょこと忙しなく動いている。
肩と思わしきものを掴んで、仰向けに直した。
「苗木君、なの?」
「だ、誰に見えるの?」
苗木君に見える。
……えっ?
数瞬置いて、澄み切った頭は平穏を失くした。
「……ごめんなさい。拘束してしまって」
「い、いや。別にそれはいいんだけどさ」
必死に平静を装っているが、目は合わせられなかった。
「どうして、ここにいるのかしら?」
「……哲学的、だね」
「いいから答えて」
足らないのは分かっているが、もう上手く言葉が出て来ない。
相当、参っているらしい。
誤魔化すように、苗木君を睨んだ。
……またやってしまった。
「え、えっと。午前中で切り上げられたからさ、早めに帰って来られたんだ」
「……そう。幻聴じゃなかったのね」
「えっ?」
「いえ、なんでもないわ」
連絡の一つでも寄越して欲しいと思ったのは我儘だろうか。
……いや、眠っていて対応出来ないのかもしれないが。
どちらにせよ、こんな醜態を晒す羽目になる可能性が少しは減ったと思う。
「あ、あのさ……これ、どうしたの?」
苗木君が向いた先にあったのは、苗木君だった。
いい加減、平静を装うのも辛くなってきた。
「寂しかったのよ……」
「えっ?」
「なんて言ったら、あなたは慰めてくれるのかしら?」
「だ、騙したね……」
別に、苗木君を騙してはいなかった。
騙したのは、自分の気持ちの方だ。
寂しかったに決まっている。
こんなおもちゃを作って、気を紛らわせているぐらいには。
本当に、慰めて欲しかったが、そんな弱味は見せたくない。
いくら苗木君の前でも、そこまで晒す勇気は出なかった。
「暇だったから、なんとなく作っただけよ。意外とかわいらしいでしょう?」
「自分のぬいぐるみをかわいいとは思えないよ……」
「それもそうね」
ごもっともな意見だった。
少し、可笑しくなって、気持ちが落ち着いて来た。
冷静になって苗木君の方を見ると、様子が変なのが分かった。
どこかそわそわとしていて、覚束なかった。
やっぱり、分かり易い。
それに気付かなかったあたり、事態の深刻さを物語っていた。
「苗木君、落ち着きが無いけど、何か隠しているの?」
「い、いや……なんでもないよ……」
「分かり易いあなたには隠し事なんて向いてないわ。
さっきも、『それは』いいんだけどって言っていたじゃない。
私に出来ることなら力になるから、教えてもらえないかしら?」
「ありがとう……嬉しいけどさ、本当に分かっているの?」
「……生意気な物言いね」
らしくないような問いだった。
少し、ムキになっているように見える。
「霧切さんの鋭さなら、そんなこと言わなくても分かると思うんだけど……」
「本当に、生意気ね。いいから、話してもらえない?」
「だからさ! 霧切さんは凄くかわいいんだから、
ずっと抱き付かれていたら落ち着かないのは当たり前だよ!」
「えっ?」
苗木君が言うには無理がある言葉だった。
だから、一瞬で彼の顔が真っ赤になったのはその証明で、
本音であることが痛い程に分かってしまった。
……かわいい?
……私が?
意味を認識するまでには、数秒掛かった。
認識してから、顔に熱が集まるまでは、一秒も掛からなかった。
堪らなくなって、苗木君の胸に顔を埋めていた。
「き、霧切さん……?」
「何も、言わないで……」
どうせ、酷い顔をしているなんて、隠せてもいない。
それでも、気休め程度のことはしたかった。
苗木君は私の言った通りに、何も言わなかった。
ただ、軽く背中に手を回して、抱き留めてくれていた。
「……やっぱり、かわいいなんて、あなたが言うには無理があるセリフね」
「ボクが一番痛感したよ……」
「だから、私も、一つだけ無理を言いたいの。いいかしら」
「えっと、どうしたの?」
「……寂しかったわ。慰めて」
最終更新:2014年09月16日 15:12