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右往左往と忙しなく眼球が動いている。
年端の行かない子供でも、もう少し落ち着きがあるんじゃないか。
そう思ってしまう程度には、視線の先にいざなわれていた。



致し方ないことだと思った。
むしろ健全な証拠で、喜ばしいことでもある気がする。
……いや、いくらボクでもそこまで前向きにはなれなかった。
それに、ここまで来るとただの開き直りだ。



同じソファーに腰を掛ける霧切さんは、興味深そうに漫画の単行本を眺めている。
当たり触りの無い、有名な少年漫画だが、彼女から見ると新鮮に映るのだろうか。
ボクから見ると、多少は色褪せてしまう。
手元の紙に集中など出来るはずもなく、隣の方へ泳いで行く。
ともかく、霧切さんの白い肌に目が行ってしまうのは当然の帰結だった。



目下の絵に集中しているのか、霧切さんはいたく無防備だ。
キャミソールの肩紐はひらひらと揺れて、消えかけのロウソクの灯よりも頼りなく見える。
そもそも服装からして、薄着にも程があると思う。
時節柄には相応しいのかもしれないが、年頃の男の前では相応しくない。
もう少し警戒心を持って欲しい、なんて普段とは逆の立場から物を言いたくなる。
……まあ、だけど、ボクの前では持って欲しくも無い、という邪な考えがあるのも否定出来なかった。



「苗木君、どうしてチラチラとこっちを見てるのかしら。言いたいことがあるならはっきりとしたら?」



一点に向けられているようで、存外広い視野を確保していたらしい。
ちょっと、これはまずいな……。
誤魔化すにはハードルが高すぎるし、本音をはっきりと口にするなんて到底出来ない。
それでも悪あがきをする以外の手段はなくて、不毛な弁解を始めるしかなかった。



「いや、さ。結構冷房も効いてるから、寒そうだなと思って。羽織る物持って来るね!」



「別に寒くはないし、冷えているなら温度を上げればいいじゃない」



逃げ道はあっさりと塞がれた。
上がりかけていた腰が宙ぶらりんになって、妙に重い。



「まあ、そうなんだけどさ……」



「何が言いたいのかは知らないけど、回りくどいのはあなたらしくないわよ。
ちゃんと、伝えたいことがあるなら、真っ直ぐに言って」



親が子供を諭すような言い方に、身体が縮まり返った。
どうも、隠す気力が失われてしまう。



「その……目のやり場に困るというか……」



「どうして困るの? それにやり場も何も、それを読んでいたのなら関係ないんじゃないかしら」



「だから、どうしても、霧切さんが、気になっちゃうんだよ。そういう、格好をされてると」



俯きながら発した声は、流暢とはいかず、歪になってしまった。
……やっぱり、言うのはやめた方が良かったかもしれない。
例え機嫌を損ねられてしまっても、汚れた目で見ていることを知らせるよりはマシなんじゃないか。



「……へぇ」



なんの変哲もない、相槌を打つような声だった。
霧切さんの表情は伺えしれないし、見る勇気も出なくて、不安だけが膨らんでいく。
……軽蔑、されてるよな。
自己嫌悪に陥っていると、ふと、ひんやりとした感触を腕に覚えた。
反射的に、接触した物の方へ向くと、その正体はあっさりと分かった。
……いや、どうしてこんなことをしているのかな。



「あ、あのさ、なにしてるの?」



「やっぱり、あなたの言う通り、肌寒いわね。少し肩を貸してもらっていいかしら?」



絶対嘘だ……。
ボクに身を寄せてきた霧切さんは、可笑しそうに頬を緩めていた。
それは読んでいる漫画のせいではなくて、ボクの反応を面白がっているのは明白だった。
完全に、からかわれているらしい。



ある意味、安堵していいのかもしれない。
引かれて距離を取られてしまうよりはずっと良い。
だけど、これだとあまりにも近すぎて危険だ。
気持ちが落ち着くはずもなく、規則性を失くした心臓の音が耳を打った。



「い、いや。温度を上げればいいって言ってたよね? それに、寒いならすぐに上着を持って来るからさ」



適当な口実を付けて、逃亡を図ったが、先回りしたように行く手は阻まれた。
霧切さんは、両腕でボクを挟み込むように囲んでいた。
手入れの行き届いた長髪が、少し垂れ下がって、ボクの頬をなぞった。



霧切さんはいつものポーカーフェイスに戻っていた。
四十五度あたりから見下ろして、威圧しているかのようにも思えるけど、
ボクが身動き一つ取れないのは、そのせいでは無かった。



感情を伺えない眼前の顔は、作り物のように整っていて。
でも本当は、霧切さんが表情豊かな、温かい血が通った人だということも、ボクは知っていて。
彼女の長いまつ毛が、瞬きのごとに揺れるたびに、鼓動が際限なく膨れ上がっていった。



「霧切、さん」



「……黙って、目を閉じてくれないかしら」



霧切さんはゆっくりと、確かな声で言葉を紡いだ。
逆、だとは思うんだ。
体勢も、言っていることも、男女がひっくり返っている。
それなのに、自然に受け入れられてしまうのは、どうしてなんだろう。
答えを求めることにも関心はあったけど、今は、ただ静かに目を閉じた。



随分と引き伸ばされた時間の後、接触したのは、唇と唇……では無かった。
触れ合った箇所は、想定よりも大分上だった。



額に、口を付けられていた。
予測がずれて、頭の中身が一瞬空っぽになってしまう。
思考が回復しても、大きなウェイトを占めていたのは疑問符だった。
空気にそぐわないような、可愛げのあるスキンシップに対しての。
呆気に取られて目を開けると、霧切さんは詰めた距離を戻して、再び漫画に目を落としていた。



騙された……のか?
霧切さんは何も言わないけど、かと言って確認を取るのも気恥ずかしい。



……それは、無いんじゃないかな。
いや、思いの外、子供らしい行為に、胸が高鳴ったのは否めない。
疑問の中に、愛おしさだとか、そういう物が混じっていたのは、
確かに否めないんだけど、盛大に肩透かしを食らってしまったのも事実だった。
なんにせよ、おもいっきり翻弄されてしまったらしい。



なんだか、悔しい。
ここまで良いようにやられてしまうのは、流石に。
一応ボクも男なわけで、平凡なりには意地があって。
でも、さっきは完全に霧切さんの方が男らしいと思ってしまったような……。
……ともかく、少しぐらいは、やり返してみても罰は当たらないはず。



先ほどとは反対に、軽く身を乗り出して、霧切さんを囲うように、両腕をゆっくりとソファーに付けた。
床に何かが落ちる音がした。
多分、彼女が持っていた本だと思う。



不意をつかれたのか、霧切さんは大きく目を見開いて、呆然としていた。
不思議なことに、仕掛けた側のはずのボクも同じで、身体の自由が利かなくなった。



こうして、入れ替わるように見下ろす格好になると、普段とは受ける印象が違った。
もちろん霧切さんは綺麗な人で、ボクの好きな人で、これ以上ないぐらいに魅力的な人だけど、
いつもは凛とした、一人の女性としての意識が強くて、今みたいには思えなかった。



……こんなに可愛かったかな、霧切さんって。
なんか凄く失礼なことを考えている気がするけど、元から凄く可愛いんだ。
でも今は、女性というよりは、女の子として意識してしまって、もうどうしていいのか分からない。
分からないんだけど、一つだけ理解出来たことがあるかもしれない。
それは、さっきの霧切さんの心境だった。



――あれで、精一杯なんだ。
とても正常な思考なんて巡らなくて、身体の神経も麻痺してしまったように感じる。
唇同士を触れ合わせたら、心臓の働きすら狂わせてしまいそうで。



目の前の霧切さんは、到底ポーカーフェイスを保てているとは言えなかった。
戸惑いも、耳の赤さも隠し切れていなくて、見ているボクもどうにかなってしまいそうだ。
それでも何もせず元に戻るのは情けなく思えてしまって。
そっと、霧切さんの頬にキスをした。





無言で腕をどけて、ソファーに座り込んでからどれぐらい経っただろう。
やっと、ある程度頭が回るようになった気がする。
深く、深く、溜め息をついた。



なにやってんだよ、ボクは……。
今日日、中学生でも、もう少し進んだことをしている気がする。
いや、でも、しょうがない、相手は霧切さんなんだから。
寧ろこんなに動揺してしまうぐらいに、素敵な人なんだからしょうがないじゃないか!
……やっぱり、ただの開き直りだった。



「あ、あんまりさ、からかいすぎるのは良くないんじゃないかな。多分、お互いのためにも」



「ええ、そうね……本当に、ごめんなさい……」



「いや、何もそこまで謝らなくても……」



萎れた声の方へ向くと、どうも様子がおかしかった。
普段より、一回り小さく見えて、芯の通った姿勢も、心なしか不安定になっていた。
動揺しているみたいだけど、ボクのそれとは性質が違うように思える。
……何処か、怯えているような。



えっ? ちょっと、やりすぎた……?
いやいや、そこまで強く迫っちゃったかな……。
一応、乱暴にしないように、とは気を付けたんだけど……。



もしかして、またからかっているとか?
……なんでこんな時に限ってそこに考えが及ぶんだよ。
都合の良いことを信じたくなるのは、人の性なのかもしれない。



それに、別に騙されたって構わないじゃないか。
ボクが見事にやられても、いつものことで済む話だ。
それより下手に意地になって、霧切さんを放って置く方がもっと不味い。
ただでさえ傷つけてしまったのかもしれないのに、自己保身に走るなんて最低なだけだ。



細心の注意を払って、霧切さんの身体を引き寄せた。
一瞬、震えるような素振りをされて、嫌な汗が背筋を伝ったが、すぐに強張りは解けて、身を委ねてくれた。



「霧切さん、本当にごめんね。大丈夫だから。もうあんなことしないよ」



「……もうしてくれないの?」



「えっ?」



「ふふっ、また騙されたわね」



「や、やっぱりね……」



「……なんて、言えたら良かったのにね」



あれ? どういう、こと?
今度は声も出なくて、ただただ混乱するばかりだった。



「もう少し、このままでいいかしら」



「えっと、うん……」



もう意図をつかむことも困難だったが、改めて認識したことはあった。
やっぱり、霧切さんにやり返しても、手痛いしっぺ返しを食らうのはボクの方らしい。
分かり切ったことのはずなのに、なぜ学ぼうとしないんだろう。
恐らく、別に悪い気はしないせいだと思う。
惚れた弱み、というものなのかもしれない。
熱に浮かされているのは自覚しているけど、霧切さんから伝わる温かさに浮かされるなら本望なのかな。



もう少し、の長さは多分に延ばされていった。

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