kk26_934-936

 今朝の私の目覚ましは、小説で良くある鳥の声や雨の音のような風情あるものではなく、ガチャン、と無機質に閉まった扉の音だった。
 控えめながらも空間に響くその音の出処は玄関。つまるところ、彼が――本日も朝から仕事のある恋人が、共に暮らすこの家を出た音だ。


 その恋人、苗木君と同じ職場に勤める私は、今日は非番なのでのんびりしている。仕事のある日とない日とで別人みたいな生活態度だよね、とは彼の弁。
 要するに私生活が割とだらしない私は、今日ももちろん思う存分惰眠を貪る気だったのだが、一度起きると頭が覚醒してしまって眠れない。
 仕方なくもぞもぞと起き出してカーディガンを羽織り、欠伸を噛み殺しながらコーヒーメーカーを目指して歩き出した。


「さて…今日は何をしようかしらね」


 出来上がったコーヒーを手にテーブルへ向かいながら、ぼんやりと一日の過ごし方を考える。
 今日は久しぶりに何の予定もない日だ。既に霜月も後半だし、容赦なく寒波が襲ってくるので外気に身を晒す気にはあまりなれない。


 とは言えその寒い中仕事へ行った相方の為に、あとで夕食用の食材は買い足しに行っておいた方がいいかもしれない。
 それまではおとなしく読書でもしていようかと思案していたところで、ふとテーブルにメモが置いてあるのが目に入った。


「…?どうしたのかしら、用事なら大抵メールをしてくるのに…」


 見慣れた筆跡ですぐに彼のものだと解るが、わざわざメモを残して行くような用件があるのだろうか。
 不思議に思いながらも椅子に座り、コーヒーを啜って暖を取りながら目を通してみる。



  霧切さんへ


  暗号を解いてみてね。帰ったら答えを聞きます。



  【暗号】


  *1zI今O99各8BY再3D5WHSQ@72X4E1運N6


  【解き方】


  ・「forget」あるいは「busy」を実行する。これらは同じ意味を持つ。


  ・「彼」は漢字、「彼女」は記号を司る。
   「目」は私とあなた、「鼻」はあなたと息子、「耳」は息子と私を表す。
   アルファベットは「技術」であり、数字とは「芸術」である。


  ・おとのないけんばんがしんじつをかなでる。



「……なるほど、謎解きね…いい暇つぶしになりそうじゃない」


 読み終えた私は不敵に微笑む。
 彼は専門的な用語や知識などを暗号に組み込めるほどの技術はない。自分で考えたのなら、恐らく然程難しくないはずだ。すぐに解けてしまうだろう。
 それでも生粋の探偵気質である私の脳は既に疼いて、探求心を満たそうと気が逸っている。端的に言えば、そわそわしている。


 早く取り掛かりたいのはやまやまだったけれど、とりあえず脳に栄養を――と、簡単な朝食を摂り始めた。



※暇な方は自分で考えてみてください※



「ええと…まずはコレね、『forget』と『busy』を実行……」


 暗号に対して何かしらを実行するということだろうが、もちろんそのままの意味ではないだろう。
 二つの英単語、日本語で『忘れる』と『忙しい』。これらが同じ意味を持つとある以上は、何か共通点があるはず。それを探す。
 英語の発音、綴り、アナグラム…と紙に書きながら考えてみる。次いで日本語でも同じように書いてみて、そこで気づいた。


「…漢字ね」


 送り仮名を消せば、二つの文字の共通点が見えてきた。意味や読み方は違うけれど、漢字そのものは同じ文字の構成で出来ている。
 立心偏は少しわかりにくいけれど、部首としては「心」に属していたはずだ。



 さて、次である。
 暗号から『心』を『亡』くす、ということはわかったのだが、これまたそのままではやりようがない。
 『心』、『HEART』、どちらも暗号にはない文字があるし、何らかの変換が必要なのだろう。


「【解き方】二つ目の三行の文章が関係していそうね……彼、彼女…目、鼻、耳…」


 括弧に書かれた言葉がキーワードだろうかと思い、それらと『心』の関係性を探る。
 日本語では特に関連していない気がする…では英語はどうだろう。彼は『HE』、彼女は『SHE』。目は『EYE』、鼻は『NOSE』…。


「……ん、…心…、HEART……あ」


 脳内で軽いカタルシス。よくよく見れば、HEARTという単語は三つの言葉が重なっていた。
 彼、耳、芸術――それらが指すのは『漢字』『息子』『私』『数字』。これらを暗号から消せばいいのだ。
 漢字と数字はそのまま、『息子』と『私』は英訳すればSONとI。このアルファベットを抜く。



 そうして残った暗号は『*zBYDWHQ@XE』。


「大分短くなったわね…あとは最後、『おとのないけんばん』で奏でてみろ、と」


 最初に読んだ時にパソコンのキーボードのことだろうと思ったので、既に電源は入れてある。椅子に腰掛けて、メモ帳を起動する。
 平仮名で書かれているのは恐らく、平仮名で入力しろと――かな入力で書くという意味だろう。ローマ字入力から切り替える。


「フフ…ぬるいわ、苗木君。頑張った方だけど…次があるならもう少し歯応えをつけて貰いたいわね」


 我ながら楽しそうにぶつぶつと呟いて、一文字ずつタイプしていく。
 今は彼と共に未来機関で働いているけれど、いつかまた探偵に戻ることがあったら、彼を助手にしても楽しいかもしれない。
 毎日一つずつ謎解きを作らせてみたら面白そうだ、なんて考えだしたらニヤニヤしてきた。周りに人がいなくて良かった。


「ええと…まず*、z…は小文字だから、小さい方の『つ』かしら…」


 簡単ではあっても謎の解けていくこの感覚はたまらなく好きだ。事件ならこんなことを思うのは不謹慎だろうが、こういった遊びの謎解きなら遠慮もいらない。
 彼にドヤ顔で答えを言うその時を想像して口許に浮かぶ笑みが深くなる――が。


「………え」


 打ち終わり、画面に並んだ10文字の平仮名を見て一瞬思考がぱたっと止まった。
 やや空いて意味が脳に染み込んでくると、身体中の熱が集まったのではと思うくらいに一気に顔が赤く染まる。
 『帰ったら答えを聞きます』とは……つまりそういう意味なのか。


「……苗木君の癖に、生意気ね…」


 思わず立ち上がり、火照った頬を革の手袋でぺちぺちと叩く。
 そしてそそくさと二杯目のコーヒーを淹れながら、職場にいる彼に向けて口癖になってしまった言葉をぼそぼそと吐き出すのだった。


「ただいまー」


 日が暮れて夕飯の匂いが家の中に漂ってきた頃、朝と同じ扉の音を響かせて彼が帰ってきた。
 最初は違和感しかなかったスーツ姿も、今はもう見慣れたものだ。似合っている、とは言い難いけれど。


「おかえりなさい。……早速だけど、暗号はちゃんと解いたわよ。なかなか楽しめたわ」
「え、あー…と、ありがとう?なのかな……アハハ」


 話題を切り出せば途端に緊張したように身体を強張らせて、落ち着かないように視線を彷徨わせる。
 しかしすぐに深呼吸して、真面目な表情で改めて真っ直ぐこちらを向いた。


「それで、ええと……答えを、きかせてもらえるかな」
「ええ、もちろん。…ほら、これが答えよ」
「……?」


 そう言って私は苗木君に小さく折り畳んだメモを差し出す。
 彼は不思議そうな顔をしながらもそれを受け取った。


「霧切さん…これは?」
「答えを書いたメモよ。ただし、直接だとつまらないから…暗号にしておいたわ」
「えええええ!?」
「あなたが先にやったんじゃない……大丈夫よ、苗木君でもすぐにわかるような簡単なものにしておいたから」
「そ、それはそれで何だかなあ……」


 実を言えば最初は本気を出してノリノリで暗号を作っていたのだが、難解になりすぎてしまったので至極簡単なものに作り直したのだ。
 少し物足りない気もするけれど、これなら彼でもすぐにわかってくれるだろうから、今回に関してはこれでいいのだろう。
 本格的な謎解きは、また今度――


「まあ、謎解きの前に腹ごしらえをしておきなさい。今日はあなたの好物だから」
「あ、カレーなんだ?やった!」
「DHAのたっぷり詰まったマグロの目玉を入れてあげたわ。ちなみにドコサヘキサエン酸で頭が良くなるというのはガセよ」
「何その嫌がらせ!?それこまるの好物だよ!!」


 ……苗字が、変わってからにしよう。



  答え  たよたろたたこんたたでた


  ヒント 狸



終わり




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