kk30_116-123

ぼんやりとボケた視界と、気持ちの悪い浮遊感。
暑い。熱い。そして、寒い。矛盾した感覚に苛まれながら、枕元の携帯電話に手を伸ばした。



デジタルの待ち受け画面を見ると、時刻は昼前。
明け方に熱と疲労を確信し、どうにか欠勤の連絡をして……それ以降の記憶がない。
四時間以上、眠っていたということになるのだろうか。
着信があったことを知らせるライトが点滅している。そう言えば、おぼろげながら、何度か携帯が鳴っていた記憶。



「十神君から、連絡が入っていたわ」
「……うん、……」
「『ふらふらで来られても迷惑だから、明日も休むように』って。……同感ね。あなた無茶しすぎだもの」



彼なりに気を遣ってくれている、らしい。
他にも、朝日奈さんや葉隠君からメールが届いていた。どちらも僕を気遣うもので、嬉しさと申し訳なさがこみあげてくる。
ただ、返信は後回し。頭が回らない状態で文章を書けたものじゃないし、他に火急の用件が入っているかもしれない。
それから十数分ほど前に、今度は霧切さんからの着信がある。彼女は今ここにいるから、用件は直接聞けばいいとして。



「…………ん?」



彼女は今ここにいるから、直接聞けばいいとして。



「苗木君、食欲はあるかしら」
「え、っと……あんまり……」
「そう。なら、少し無理してでも食べて」



無慈悲な返しが、キッチンから帰ってきた。
ことこと、と、鍋で何かを煮込んでいる音がする。
大切な何かが抜けている。けれども、まだ思考がぼんやりとしていて、その輪郭をつかめない。



「それと今の内に、熱を測っておいてくれるかしら」



そう言って、ひょこ、とキッチンから顔をのぞかせる霧切さん。
いつも通り髪を後ろで結び、けれどもいつものスーツ姿ではなく、私服にエプロン姿だ。
ああ、違和感の正体を理解した。



「……霧切さん、何してるの……?」



ここは、僕の部屋だ。



未来機関の社員寮はセキュリティの関係で、玄関扉がオートロックになっている。鍵を閉め忘れた、なんてことはない。
彼女に僕の部屋のカードキーを渡した覚えもない。では、なぜここにいるのか。



僕の問いに、少し考え込む素振りを見せて、



「看病よ」



当然でしょう、とでも言わんばかりに、返された。



「……そ、そっか。ありがとう」



つっこみどころ満載だけれど、今はその一つ一つに言及する体力も精神もない。
僕の返事に満足したかのように、エプロン姿の霧切さんはまたキッチンに引っ込んだ。



「……味見をしたから、食べられないということはないと思うわ」



数分後。
お粥と付け合わせを載せたトレーを持って、霧切さんが台所から戻ってきた。
食欲はない、とさっきまでは言ったものの、あたたかな湯気とほのかな味噌の香りに、ゆるりと唾液が出てくる。



「口には合わないかもしれないけど…、無理をしてでも食べないと」
「いただきます」



自信なさそうに様子をうかがっている霧切さんをよそ目に、スプーンを取ろうとして、



「あ、痛っ!」



右腕に走った、熱のような激痛。
そろり、と挙げた腕をゆっくりおろす。
さっきまでどうして気付かなかったのか不思議なくらいに熱を持ったそこは、



「…………」



苦痛に耐えるように、霧切さんが眉をしかめる。
その視線の先には、服の袖から覗く、包帯でぐるぐる巻きにされた僕の腕があった。



「た……、ただの打撲だったんだ。本当に、大したことなくって」



言い訳するように、布団の中に腕を引っ込める。



「……他は?」
「え?」
「『右腕は』ただの打撲。他の傷は、どうだったの」



言い淀んだ。
霧切さんには確信があるのだろう。悲しいほどにまっすぐ、僕の瞳を捉えてくる。
敵わないな、と思う。この人に、その手の嘘が通じたことは一度もない。



「誤魔化さないで、苗木君」
「……ごめん」
「……あなたが謝ることじゃないでしょう……」



ひどく悲しそうな顔をして、膝の上に載せた拳をぎゅっと握っている。
そんな顔をさせたくなかった。彼女にこの怪我の責任はないというのに。



大した話じゃなかった。
復興の作業中に暴徒が出て、気付いたら彼女を庇っていた。
よくよく考えなくとも霧切さんの身のこなしなら、僕に庇われるまでもなく素人の暴力なんてたやすく避けられただろう。
むしろ僕が庇ったことで、足手まといになってしまった。結果、このありさまだ。



「大きな怪我はなかったんだ、ホントに」
「……そういう問題じゃないわ」



ただ、ガラスや釘が入った簡易爆弾を使われて、切創や打撲が何箇所か。
病院で適切な処置を受けたし、何ともないと思っていたんだけれど、傷口が熱を持って、職場で昏睡するように倒れた、らしい。
らしい、というのは、先程メールで読んで知った事実だからだ。僕にその時の記憶はない。



「……」



霧切さんは何も言わず、責めるような泣きだすような、何とも言えない目で僕を見て、



「………」



トレーに乗ったスプーンを手に取り、お粥をすくう。
それを、ずい、と僕の前に差し出した。



「あの、霧切さん、」
「……手が使えないんでしょう。観念して」



それはそうだけど、そんな真似をさせてしまうのは、申し訳ないというか何というか。 
ずずい、とさらに口の前に近付けられるスプーン。ああ、良い匂いがする。



「ちょ、ちょっと待ってよ、そこまでしてもらわなくても」
「………」
「ただでさえ迷惑かけているのに、ご飯まで作ってもらって……そんなの悪いよ霧ぎ





ずずずい、べちょ。





「あっっっっっつ!!!」
「……素直に食べないからよ」
「はふ、はっふぃ、きりぎりは、あっふい!!」



話の途中で、黙らせるように口の中に突っ込まれたスプーン。
唇に押し付けられた粘性の高温、すなわちお粥が、ひりひりとアツみを訴えていた。
まさか、こんなに攻撃力の高い食べ物だったとは。



というか、僕の知っている看病と違うぞ……?



「苗木君。素直に食べないと、今度は実力行使に出るわよ」
「もう出てるじゃないか……ま、待って待って、ストップ! 食べる、食べるからせめて冷まさせ、あっっっつ―――!!?」
「ほら、『あーん』しなさい」
「そんな、『手を挙げろ』みたいな調子で言わないでよ!」
「あら、同じようなことでしょう?」



そういうプレイかと疑いそうな食事に悪戦苦闘しながら、どうにか僕はお粥を完食するに至ったのだった。





「……うん、美味しかった」



とはいえ、最後の方は熱も冷めてきて、ほとんど普通の食事だったのだけれど。
おかげで、彼女の作ってくれたお粥を味わう余裕もできた。



「レシピ通りに作っただけよ」
「そうなの?」
「……まあ、味覚も平凡なのだから、レシピ通りの味が一番合うわよね」



お皿を洗う最中も、チクリと一刺しを忘れない。



ピピピ、と電子音を立てて、体温計が鳴る。
見ると、昨晩よりはかなり熱が下がっていた。



「何度?」



キッチンから戻ってきた霧切さんが、体温計を渡せ、と言わんばかりに手を差し出してくる。



「……うん、平熱だよ」
「何度?」
「えっと、三十……六、」
「苗木君」



変わらぬポーズで、手を差し出している。問答無用、といった様子。



「……正直に言いなさい。何度?」



僕は観念して、体温計を手渡した。
よほど、信用がないらしい。



「……あなたの平熱は、随分と高いのね」



電子の示した本当の数字を見て、霧切さんはじとりと僕を睨んだ。



「……だって、」
「早く良くならないと、私が罪悪感を感じるから?」



言う前に、言い当てられる。図星だった。言葉を選ぼうとした甲斐がない。
何も言えずにいると、霧切さんはまた悲しそうに、目を伏せて、拳を強く握る。
また、だ。そんな顔をさせたくなかった。
僕の判断ミスで、彼女に負い目を作ってしまった。彼女は、何も悪くないのに。



「……それとも私が疎ましいから、元気になったフリをして、さっさと帰らせる魂胆?」



予想外の言葉が紡がれて、僕は飛び上がりそうになる。



「……バカがつくほど人の好いあなたにも、さすがに愛想を尽かされてしまったかしら」
「それは、違うよ!」
「……そう?」



強く、強く否定する。



「なら、いいのだけれど。……看病に来た、というのは建前よ。まあ、それが手段でもあったのかしら……」



霧切さんは、まだ拳を強く握りしめる。見ているこっちが痛みを感じるほど、強く。
彼女が憤慨している時の癖で、その主な矛先になるのは、決まって彼女自身だ。
自分で自分を責める。それを誰にも悟らせないように、静かに自分を罰する人。



「本当は、あなたに謝りたくて……」
「……謝りたくて、アツアツのお粥を口に突っ込んだの?」
「あ、あれは……! ……忘れて」



カ、と霧切さんの耳に火が灯る。



「霧切さん、アレ、誤魔化そうとしたんでしょ」
「……何の事を言っているのか、分からないわ」
「熱いうちに食べさせれば、味もよく分からないもんね」
「……、……」



図星、のようだ。



「……言わなくていいことを言い当てるようになったわね、苗木君」
「そうだね。誰かさんに似たのかも?」



ハハ、と笑いかけて、息を吸った拍子に胸の奥に鈍い痛みを感じた。



「っ……」



自分の顔が歪むのが分かる。視界の端で、霧切さんが動いたのが見えた。



銀色の何かが、視界を覆う。霧切さん。の、髪。
ふわり、と、かすかな香水の匂い。



抱きしめられている、と感じないのは、彼女の肩が震えていることに気付いてしまったからだろうか。
布団と僕の服の袖を掴みながら顔を伏せている。
それは抱くというよりも、縋っているかのようにすら見える。





「……、……二度としないで」



寄りかかりながら、突き放すように言われた。





「……ごめん。迷惑を、」
「違うわ」



迷惑を掛けてしまって、とつなげるつもりだった言葉を寸断される。



「……違うわ、苗木君。あなたと引き換えに助かる、だなんて、そんな事」



くぐもった声。
彼女が、布団に顔を沈めていた。腹部に、軽い圧迫感を感じる。



「二度と、私に経験させないで。どんな小さな怪我でも」
「……」
「あんな痛み、もう……味わいたくない……」



あの時の判断に、後悔はない。
けれど、軽率だったと思う。
身内を失った彼女の前で、自らを呈して庇う。それは、彼女に何を想起させるだろうか。



「………今でも、夢に見るのよ。処刑台に運ばれていく、あなたをただ見ているだけの夢」
「トラウマ?」
「当たり前でしょう……だから、感謝はしない。助けてくれてありがとう、なんて言わないわ」
「……うん」
「あんな思い、二度とさせないって、約束して」



張り上げるわけでも、怒りにふるわせるわけでもなく、ただただ悲痛を訴える声。
だからこそ、僕には謝るしか出来なかった。ただ、先程までの謝罪と違うのは。



「……ごめん。約束はできない」



がば、と霧切さんが顔を上げる。



布団に押し付けてほつれた髪の隙間から、紫色の瞳が間近で僕を捉えた。
目元が赤い。
わなわなと震えて、怒りとも悲しみとも違う何かを宿して、僕を見据えている。
普段感情を殺している彼女が、ここまで感情に揺さぶられている姿は、久しぶりに見たかもしれない。



「…………これ以上、言わせないで。苗木君」
「もし同じ状況で、同じ事が起こったとしても、僕は霧切さんを庇おうとする……と思う」
「自己犠牲で助けられたって、少しも嬉しくなんかないわ……!」



絞り上げるような、悲痛な声だった。
そこまで思ってもらえたのはとても光栄だし、嬉しいし、気恥かしさもある。





「私は、あなたの事……っ」



何かを。



言ってはいけない何かを、彼女は口にしかけた、ように見えた。
言いかけて、止まる。
言ってしまえば、彼女にとって大切な何かを壊してしまいそうな、そんな言葉なのだろう。
熱に浮かれた僕の頭では、どんな言葉か想像もつかない。



僕を見つめたまま、何度も言おうと口を開き、思いとどまって、顔を伏せる。
瞳の奥で、衝動と理性が葛藤している。
人の唇は、こんなに震えるのか、と、僕は思った。



少しの間、霧切さんはそうして迷っていて、一度だけ目を閉じ、



「……、失いたくないって、思っているわ。とても大切な、仲間だって……」



結局、理性に軍配が上がったらしい。
そのあとに続くはずだった言葉を、飲み込んだようだった。
すぐに、うつむいてしまう。瞳の奥の、言いたかった何かを隠すように。





「……あの学園で助け合った。最後まで、何の見返りも求めず、私を信じてくれたのは……あなただけよ、苗木君」
「……その割に、扱い雑だったよね。口も聞いてくれない時もあったし」
「茶化さないで、もう……」



あの時の事は、悪かったと思っているから。
そう続く、くぐもった声が、布団に押し込められてさらに小さくなる。



「……あなたが、一番分かっているはずよ。信頼していた仲間を失う恐怖……絶望を」
「……うん」



それは、分かる。あの学園の中で、幾度も経験したことだ。
忘れられないし、忘れるつもりもない。だから、



「僕も霧切さんの事、大切だって思うよ」



意趣返しだ。
あっけにとられたように、ポカン、と霧切さんが目を見開いている。盲点だったのだろう。



「もちろん、他の皆のこともね」



僕のその言葉に、少しの間呆然としていた霧切さんは、けれども納得したかのように頷いた。



「……ええ、そうね。あなたなら、そういうと思った……」
「だから、もう二度とあの絶望を味わいたくない。仲間を……君を失う恐怖なんて。霧切さんなら、分かってくれるよね」



強く、しっかりと、言葉にする。
どれほど彼女が正しくても、どれほど僕が愚かでも、そこだけは譲れない一線。





「…………はぁ」



数秒続いた睨みあいは、彼女のため息で終わった。



「根負けって、こういうのを言うのね」
「負け?」
「……苗木君。私はあなたより、強いわ」



僕は躊躇もなく頷いた。あらゆる事に当てはまった。
けれど、と霧切さんは続ける。困り果て、諦めたように笑いながら。



「我慢比べ……『諦めない』って勝負だけは、あなたに勝てる気がしないもの」
「じゃあ、」
「……言っておくけれど。あなたの無茶を認めたわけではないのよ」



びし、と釘を刺される。



もう、いつもの調子の霧切さんに戻っていた。
内心で、ほっとする。



あんなに取りみだした霧切さんを見たのは、久方ぶりだったからだ。
それも、二人きりで。縋りつかれながら、だ。正直言って、心臓に悪かった。



「……あなたが一つ無茶をするたび、私もあなたが困るようなことをする、というのはどうかしら」
「えーっと、例えば……?」



さっきのアツアツおかゆだろうか。
ああいう体を張った芸人みたいな真似は、ぜひとも葉隠君あたりにお任せしたい。



「……そう、ね」



霧切さんが、イタズラめいた笑みで僕の頬を撫ぜる。
どき、と心臓が跳ねた。確実に、分かってやっている。



チリ、と触れられた一か所に熱が走る。どうやら、小さな傷があるらしい。
にやり、と霧切さんが笑う。いつもの、僕をからかうネタを思いついた時の表情。
やめてください、女王様。その言葉を、僕は必死に飲み込んだ。



ふわ、と、再び視界に銀色が舞う。



「……ん、」



生温かい何かが、傷に触れた。
呼吸と体温を、とても近くに感じる。
一拍置いて、それが彼女の唇だと気が付く。



「きっ、きり、き、」



声が、壊れたみたいに、上手く発せられない。



「………、……消毒よ」



絶対に、嘘だ。耳を赤く染めながらも、してやったり、と笑うその顔は。



霧切さんが布団の上から退いて、体を起こし、温もりが離れていく。
感じていた彼女の体温が引いていくことへの名残惜しさと、まだ醒めない混乱と。
呆然とする僕の顔がよほど可笑しかったのか、満足げに霧切さんはほほ笑む。



ぺろ、と舌を出して、唇を舐める仕草は、獲物を前にした蛇のような。



「さて、苗木君」
「……はい」
「……傷。あとはどこに、何か所あったかしら?」



心臓が跳び上がった。



「ま、ま、待って、待ってよ!」
「……そうね。今回は初犯だから、これくらいで許してあげるけど」



次はこれくらいじゃ済まさないわよ。脅す声は、ひどく楽しそうだ。
いたずらを成功させた少女のような無邪気な笑みと、僕を弄ぶような妖艶な瞳が、ひどくアンバランスで。
ああ、困ってしまった。
無茶を出来ない理由が、一つ増えたのだから。



「……霧切さんには敵わないよ」
「当然でしょう。我慢比べ以外で、あなたに負けるはずがないもの」



肩を落としてうなだれると、霧切さんが呟くように言った。



「……だから今回は、私の負けよ」
「え?」
「先に惚れた方が負け、って、よく言うものね」



がば、と顔を上げる。
霧切さんの顔は、もう見えなかった。そそくさとコートを鞄を掴んで、帰り支度を始めている。



「き、霧切さん、今、」
「……私を振ったのだから。覚悟しておくことね、苗木君」
「えぇ!?」



身に覚えのない言葉に翻弄されている間に、その背中が玄関の向こうへと消える。
心なしか、その口ぶりがとても楽しそうで。
まだぼんやりと熱の残る頭で、そういえば彼女はひどく負けず嫌いだったことを、ようやく思い出した。

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