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「――苗木君、聞いているのかしら?」

 すぐ隣から霧切さんの淡々とした声が聞こえてくる。
 肩と肩が触れ合っていて、雨の匂いのなかに彼女の香りも感じられるほどに近い距離から。

「う、うん。ちゃんと聞いてるよ」

 ボクは可能な限り平静を装って笑みを作る。ちゃんとできているだろうか。
 できていなくても、それはボクのせいじゃない。むしろできないのが普通なんじゃないだろうか。
 ひとつ傘の下、女の子と寄り添って歩く。超高校級の幸運の才能を持つボクでも、そんな経験はいままでなかった。

 ……今日までは。

 今朝は寝坊してしまって、慌てて家を出た。天気予報を見る余裕はなかったし、あまりにも急いでいたので昨夜見た予報なんて頭になかった。
 昨日の天気予報のお姉さんは正しかった。午前中は晴れて午後になってから雨が降り出した。じめっとして蒸し暑くなってげんなりするはめになった。
 それほど強い雨ではないから宿舎まで走って帰ろう。そう思っていたところで霧切さんから相合傘を提案されたのだ。

「本当に?」

 ボクの平静を装う努力は無駄だったと、彼女の疑惑をはらんだ目が物語っていた。
 いつもと変わらない、物事を簡単に見抜いてしまう瞳。凛とした態度。
 それらは霧切さんがボクを異性としてまったく意識していない証拠だ。こっちは校舎からずっと心が乱れているというのに。

「……ごめんなさい。聞いてませんでした」
「そんなことだろうと思ったわ。ねえ、さっきからなにをそわそわしているのよ」

 好きな人と相合傘しているからです。そんなことはもちろん言えない。言ってしまえば、ボクと彼女の関係が壊れてしまう。

「だって、こんなところだれかに見られたら……」

 ボクは彼女を直視できなくて視線を外す。
 霧切さんは少し沈黙を作って「私と恋人同士だと思われるのは嫌かしら?」と面白がるように静かに笑い声をあげた。

「そんなことないよ」

 ボクは反射的にそう答えていた。彼女の目を見据えて。

「えっ!? ……えっと、私も、よ」

 霧切さんが顔を赤くして口元を隠す。どこに視線を置けばいいのか探っている。ワンポイントの三つ編みが左右に揺れる。
 ボクの心臓がリズムを上げる。和太鼓のような大きな音を立てて、身体全体に振動を送る。

 霧切さんがこんな態度をとるなんて。出会って三か月経つけど初めて見た。『恋人なんていらない』というタイプに見える彼女が照れている……?
 もしかして霧切さんもボクのことを……? いやいや落ち着けボク。そんな都合のいいことが……。そんな幸運があるわけない。

 そこでボクは自分の才能を思い出した。超高校級の幸運。この才能が役に立ったのは、希望ヶ峯学園に入学できたことぐらいしかない。
 でも、もう少しボクはボク自身の幸運を信じてもいいのかもしれない。

 待て待て、そんなことは――
 でも、霧切さんの態度は――

「霧切さんっ!」

 少々の葛藤の末、ボクは霧切さんに抱き着いた。
 より正確に言えば抱き着いていた。理性が持たなかった。だってこんなにもいじらしい姿を見たら、自制心なんて持たないよ。
 考えても見てほしい。普段かっこよくて、可憐で、すましている女の子が、自分のひとことで、たぶんだれにも見せないような表情を見せるんだ。
 これで気持ちが高ぶらないなんてありえない。ボクは平凡で、一般的な男の子だ。

「ボクは霧切さんのことが好きだよ」

 彼女の身体がびくりと動く。それが困惑を示しているような気がして、ボクは腕に力を入れた。
 離したくない。離れたくない。ここで霧切さんを離してしまったら、もう二度と捕まえることができない。近くにいてくれることもなくなる。
 そう思うと、途端に気持ちが暗くなる。顔を見られない状態でよかった。きっとボクの顔はひどく情けないものになっているだろうから。

「…………苗木君、痛いわ」
「ご、ごめん」

 ボクは慌てて霧切さんの背中を締め付けていた腕をほどく。雨に打たれない範囲で距離を取って、やや上にある彼女の顔を恐る恐るうかがう。

「……ねえ、苗木君」
「な、なに?」
「あなたって、結構力が強いのね。こんなに小さいのに」

 霧切さんは、分厚い雲に隠された太陽の分も世の中を照らそうとしているような、そんな笑顔をボクに見せた。
 世界を明るく照らす彼女から目をそらすことができなかった。思わず生唾を飲む。その行為がボクを現実に戻す。
 いきなり世界が暗くなる。立ちくらみのような感覚に襲われて、僕は濡れている地面を見下す格好になった。

 ……おかしいよ、霧切さん。抱き着いて、好きだと告白された返事がそれなの?

「私、まだまだあなたの観察が足りないみたい。こんなことも知らなかったなんて探偵失格ね」

 霧切さんがつづけた言葉を受けて、ボクは一つの結論にたどり着いた。
 彼女はボクの告白をなかったことにしたいんだ。だから、その部分に触れないように――

「……だれよりも、そばにいたいと思う人のことなのに」

 ――え?
 ボクが顔をあげると、霧切さんが瞳を潤ませ微笑んでいた。

「霧切さん、それって……」
「あなたの推理は間違っていないと思うわ」

 ボクは霧切さんが好き。
 霧切さんも、ボクのことが好き。

 体温が燃えるように上昇する。いまのボクの身体は夏の暑さなんて目じゃないぐらい熱いだろう。
 格好良く彼女を見つめて、気の利いた言葉のひとつでも言いたいけれど、口元がどうしても緩んでしまう。

「……それで、あなたは私にどうしてほしいの?」
「え?」

 霧切さんは恥ずかしさからか、目を伏せて「その、苗木君も私も、どちらも相手のことが好きなのがわかって……」とぼそぼそとしゃべって、身体を小さくする。
 きっと彼女はボクを立ててくれようとしているんだ。男らしく、言うべきところを言わせようとしてくれている。

 だからボクは――

「霧切さん、ボクと付き合ってくださいっ!」

 ――その期待に応えたくて、まっすぐな気持ちで応えたくて、勇気をもって素直な想いを声にした。

 まだぱらぱらと雨が降っている。その音しか聞こえなくなった。
 でも、気分は悪くない。すごく心地がいい。
 どれくらい返事を待っただろうか。ついに霧切さんが口を開く。

「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 霧切さんの目元から涙があふれそうになったので、ボクは指で彼女の目元を拭いた。
 必然、身体の距離が近くなる。顔の距離も、目も、唇も。

「霧切さん」
「苗木君」

 ボクらはそれだけでお互いがなにをしたいか読み取った。
 霧切さんがそっと目を閉じ、唇の形を変える。
 ボクは少しだけつま先立ちになって、そおっと彼女の唇の柔らかさを堪能した。
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