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朝、社員専用の食堂でコーヒーを飲むのが日課だ。
挽き立ての香ばしい豆の香りと味わい深いコーヒーの苦みにより、霧切は一日の始まりを実感する。
つまり、コーヒーを飲まなくては一日が始まらない。

普段であれば苗木に淹れてもらうところだが、彼は昨日から出張で開けているため自分で淹れるしかない。

自分の部屋の戸を開けると、睡魔が吹き飛ぶような寒さが頬を刺した。もう冬も近いのだろう。
これ以上体を冷やすまいと霧切は早足に食堂へと向かった。


「あら、十神君…。おはよう」
「フン、霧切か。朝早くに此処へ何の__…おい、お前それ目は見えているのか」

厨房に入ると珍しく十神がいた。あいさつをするなり、彼は寝起きの霧切の顔を見て呆れたように問う。

「眠いし、何より明かりが強くてちゃんと目が開けられないのよ…。目は見えてる…」

普段隙のかけらも見せない霧切だが、彼女は朝が弱い。すっきりと起きられないタイプなのだ。それ故に、
寝ぼけた顔をしているし__今の相手とそこそこの関係を取り持っている、というせいでもあるが__ぽつぽつと
十神に返答する。

「…見かけるたびに思うが、お前の寝起きの顔は酷いものだぞ?仮にも支部長がそんな呑気で平和ボケしたような顔でいるのは
如何なものだろうな」
「だからいつもコーヒーを飲むんじゃない…」
「その前にいつもどうやってコーヒーを用意しているんだ、その状態で」
「いつも苗木君が淹れてくれるわ」

ふぁ、と欠伸をしながら自慢げに十神を見やる。
十神はそれを馬鹿にしたように見返した。

「ハッ。あいつが淹れるのか。ブラックも飲めないくせしてな…そんなものが本当にうまいのか」
「ええ。毎日淹れていたら彼、ものすごく上達したもの。貴方も頼んだら?…ああ、そうね。恥ずかしくて頼めないわね。シャイだものね…」
「馬鹿馬鹿しい。それとその呼び方はやめろ。それにな、凡人極まりない苗木が淹れたものより、完璧である俺が淹れたほうが確実にうまいんだ」
「わかったわよ。そんなにムキにならないでも…」
「なってない!」

十神は鬱陶しそうに言った。

「…で、あなたは何故ここに?」
「飲み物を取りに来た」
「ふぅん…」
「……」

自分から聞いたくせに無関心な霧切に十神は少しイライラした。本当にこの女はマイペースだな。

既に霧切の意識はコーヒー豆に向けられていたのである。

豆は数種類あった。いつもならティーポットの横に並べられているのだが、誰かが戸棚にしまって
しまったようだった。
霧切は数あるコーヒー豆からルアックを選んだ。学生時代からの、彼女のお気に入りだ。
背の高い祖棚に手を伸ばし、瓶を取ろうとする。

「んっ、んうぅ~~…」
「………」
「…っふう」
「…………」

駄目だ、高すぎる。踏み台をもってこよう…
霧切がやれやれ、と息を吐きだした時だった。

「…邪魔だ、どけ」

隣でもどかしそうに彼女を見ていた十神は、霧切を押しのけて長い手を伸ばし、ルアックを取った。

「…?あ、ありがとう?」
「……」
「えっと…渡してくれないのかしら?それ」
「違う、俺が今からコーヒーを挽くんだ。目障りだからあっち行ってろ」
「…私が淹れに来て____」
「行け」
「…分かった」

威圧感あふれる物言いに、霧切は不機嫌になりながらも朝から口論する気力はなく、渋々厨房を出た。







……寒い。
そもそも彼女は早く温まりたくてここへ来たのに、何もせずただ座っているこの状況、もはや滑稽だ。
もはや眠気も覚めた。いや、まだ正確には頭にもやがかかったようにすっきりしないのだが。
眠くなくなったら、今度はイライラしてきた。何故私が十神なんかのために至福の一杯を遅らせなければならないのか、と。

一人椅子に腰かけ、そんなことを考えていると、厨房から十神がコーヒーをもって出てきた。

ようやく終わったか…ため息をつき、霧切は十神のほうをみた。手には二つのマグカップ。

………二つ?

「…ついでだ。やる」
「……いいの?」
「ついでだからな」

念押しするように、十神は繰り返しながらズイとマグカップを霧切の顔の前に押し出す。

目の前にカップを押し出され、反射的に受け取る。
さっきのむかつきは、予想外の出来事にどこかへ消えてしまった。

中身は混じり気のないブラックコーヒーだった。かぐわしい香りが、湯気として立ち上る。
霧切はカップを両手に包み、ゆっくりとそれを啜った。


暖かな液体が、喉を通り胃に落ちる。冷たい体に十神が作ったコーヒーが染み渡り、徐々に冷たい足指に熱が回っていく。

「……おいしい」
「当然だ。この俺が淹れたんだからな。滅多にないんだぞ、光栄に思えよ」

十神は得意げに口角を吊り上げ、霧切の隣に座り自分もそれをゆっくりと飲んだ。
霧切が温もりに口許を緩ませ、問うた。

「何故、私の分まで淹れてくれたの?」
「…。己惚れるな馬鹿者。ついでだと言ったろうが。余ったからだ」
「へえ?」
「それに、寝ぼけたお前が瓶を倒して豆をこぼしたとなれば俺が困るんだよ。俺はルアックが一番気に
入ってるんだ。フン、高貴な者の余裕と慈悲だ」
「あらあら、それはどうも」
「……フン」

鼻を鳴らす十神がおかしいというように、彼女は彼を見つめていたが、しばらくしてまた口許にカップを運んだ。



無言だった。

無言でお互いにコーヒーを飲んでいた。
しかしその沈黙を、唐突に十神が破る。

「…あいつと、比べて……」
「え?」
「あいつと…苗木と、比べて…どう思う」

いうと、十神は恥じ入るように顔をそらした。
霧切はあっけにとられたように隣に座る彼をみたが、やがてくすっと笑っていった。

「やっぱりムキになってたんじゃないの。男の子はそうやってすぐにムキになるんだから」
「ちっがう。それと俺をその他大勢と一括りにするな!あと俺は味の感想を聞いているんだ!」

霧切はふふふと微笑みながら答えた。

「さっきも言ったわ、おいしい。十神君が丁寧に時間をかけて抽出したんだもの。それに…あなたが少なからず私のことを思って
淹れてくれたものだと、分かる。なんというか、十神君らしさを感じるわね」
「なっ…!だ、だから、さっきから違うと…」

十神は焦ったようにブツブツ言うと、カップをテーブルに置いた。

「…霧切お前、今日はなんだか変だな」
「そうかしら?私に言わせればあなたの方こそおかしいんだけど」

霧切はすまして言うと、最後の一滴を飲み干し、カップを十神同様テーブルに置いた。

「あなたのコーヒーはおいしかったわ。でも私としては飲みなれている苗木君のコーヒーのほうが好きかしら」
「…そうか」
「あら、珍しく反論しないのね?」
「別にもうどうでもいい。…そういえば、今回の遠征は苗木一人で行ったんだったな」
「78期生はほかにいないけど、ほかの隊員はいるわよ…。不安なの?」
「保護者じゃないんだ、そんなわけないだろう。お前の方こそどうなんだ」

霧切は、少し考え込むようなしぐさを見せた。

「そうね…今は昔ほどに危険なものも減っているけど、暴動が完全に収まったわけではないし。でも、何故か絶対に大丈夫だ
って思うの。根拠もなしに」
「まあ、ゴキブリ並みのしぶとさだからな。簡単には死なないだろうな」
「…ええ」

二人はまた黙ったが、今度は霧切が沈黙を破る。

「でも、いつかは皆死ぬの。だから私は、今できることを精一杯やるの。何かを形として残せるように」
「それはお前の言葉なのか?」
「いえ、苗木君よ。彼に感化されたの」
「…全く、さっきから聞いていれば苗木苗木と…」

十神は呆れたように言った。

「…奴が帰ったら、俺がコーヒーを淹れてやる。俺が一番だと認めさせてやらんとな」
「まだ根に持ってたの…」
「うるさい。何であろうと俺が一番でなければならん」
「ああ、そう」

霧切はちょっと面倒くさそうに言った。
カップを持ち、立ち上がる。
十神も立ち上がった。

二人並んで厨房へと向かう。

「歩くのに邪魔なんだけど。もう少し離れて歩いて」
「お前が離れればいいだろう。お前こそ邪魔なんだよ」

言うが、お互いの顔はさほど嫌がっていない。カップを洗い終えると、霧切が言った。

「今日はどうも。お礼に…そうね、今度は私が淹れてあげるわ。特別な一杯を、ね」
「フン、まあ…悪くない。少なくとも苗木より飲める味だからな」
「あら、私の次は苗木君が淹れるのよ。勿論あなた同伴で」
「……まあ、仕方あるまい。だが、この俺を誘うのだからまずいものを出したら許さん」
「ふふ、大丈夫よ、私が保証するわ」

楽しそうに微笑む霧切と、くつくつと不敵に笑う十神の影がとなりあって、朝日によって伸びていた。

その差し込む朝日を浴びると、胸の中に明るい希望が染み渡っていくようだった。
少し前の彼女なら、不確かで不明瞭だと言っただろう言葉。
少し前の彼ならば、薄っぺらで中身がないと言ったろう言葉。

だがそれは苗木誠により、二人が信頼できる言葉へと変化した。

霧切は、コーヒーで温まった体に少しの幸福感を感じつつ、一日が始まることを実感した。
また十神も、霧切のそんな様子を見て、あまりなじみのない満足感を感じている。

今日は仕事が捗りそうだな、と二人は思った。
そして休憩においしいコーヒーを飲むために、頑張れる気がするのだった。
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