未完成の僕たちに(1)


 病室に備え付けられた壁時計の長針がまた一つ進み、その先端が数字の6を示す。
 自分以外は誰もいない、暗いその部屋の中で彼、一条薫は一人ぼんやりと天井を眺めていた。
 彼の中には、もう眠気はない……訳ではないが、それ以上にこんなところで呑気に寝ている場合ではないという焦燥感が、彼が眠りに落ちるのを妨げていた。

 現在時刻は5:30。
 第三回の定期放送まで残り30分を切った西病院の中では、恐らくは放送に対する準備が順調に進められていることだろう。
 明かされるかもしれない仲間達の死への心構えや、禁止エリアの情報、或いは放送担当として現れるだろう幹部についての心当たりの整理。

 本当のところを言えば一条も、名護や翔太郎らと共にそうした放送内容に備える作業をして、気を紛らわせたい。
 だが、輸液を終えたとは言えようやく貧血症状が一端の収まりを見せた程度にしか体調が回復していない一条には、ベッドに横になり安静にしている他なかった。
 無理を言って色々な情報を整理するところに混じる、ということも勿論出来なくはないのだが、今の自分の体調を一番に理解しているのは他ならぬ自分自身である。

 正直に言って、立てこそすれど満足に走れはしないだろうような今の体調の自分が、一刻を争う彼らの放送に対する準備に加わったところで、恐らくは足手纏いなだけ。
 そんなことは百も承知である上で、しかし一条はどうしても居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。
 元々敏腕刑事として活躍していた一条にとって、こうした一刻を争う状況で一人休養に努めるという経験は、新人の時でさえ味わったことのないものだったのである。

 いやそもそも、こんなことを考えていること自体が今の自分にはストレスになり、より一層回復が遅れ大ショッカー打倒に対して生存者全員に迷惑をかけてしまうことになるのではないか。
 そう無理矢理自分を納得させ、思考の堂々巡りから逃れようと寝返りを打った一条の背後から、優しく二度ノックの音が響いた。

 「……どうぞ」

 「失礼します、体調、どうですか?」

 「津上さん……、えぇ、おかげさまで随分と楽になりました」

 「そうですか、それはよかったです。
 いやー皆さん忙しそうでなんだかこっちまでソワソワしちゃって、逃げてくるついでに一条さんの様子を見に来たんです。
 ……あ、これ良ければ一条さんもこれどうぞ。レンジでチンの簡単なものですけど」

 果たしてそこに現れたのは、この病院集団に属する青年の一人、津上翔一であった。
 差し伸べられた右手にはミルクの入った白いマグカップを持ち、そこから立ち上る湯気がその温かさを感じさせる。
 それを一言の礼と共に受け取りながら、一条は彼と初めて顔を合わせた際、小沢の最期を伝えた時のことをほぼ反射的に思い出していた。

 ――小沢の知り合いであるという彼に、彼女の末路を伝えるのは、とても心苦しかった。
 聞けば、彼は小沢があのレンゲルという仮面ライダーの力に囚われてしまったのは自分の責任だと感じ、その為に昨夜の22時に東病院に集合する約束さえ破ってこちら側のエリアに残っていたのだという。
 そんな彼に、小沢の辿った勇敢な……しかし惨たらしい最期を伝えるべきか、一条でさえ幾らかの逡巡が必要だった。

 そうして幾らか悩んだ結果として、彼には小沢という存在の生き様を伝えるべきだと判断し、てキバットに聞いた通り彼女の最期を伝えたのである。
 非難され感情的に罵られることさえ覚悟した一条に対し、しかし翔一は苦しい顔をしてなお第一声に『ありがとうございます』と述べた。
 これには思わず一条も呆気に取られたが、彼曰く『クモのモンスターに操られたまま死んじゃってたとしたらそれはとても悲しかったですけど、小沢さんが自分の意思でそこに残りたいって思ったなら、きっとそれがあの人にとって一番だったんだと思います』とのことであった。

 責められるどころか小沢さんを助けてくれてありがとうございます、とまで礼を言われれば、一条はもう彼という青年に対してあの小沢澄子も一目置くはずだと、そう納得をするほかなく、その礼に対し素直に返すほかなかった。
 ……第一印象からしてそんな不思議な印象であった翔一が、今再び自分の前に現れた。
 ただそれだけだというのに、一条は場の雰囲気が一瞬にして変わったような気がしていた。

 「あれ?どうしました?なんか俺の顔に変なものでもついてますかね?」

 「……いえ、そんなことは。それより、お気遣いありがとうございます。いただきます」

 生まれてしまった沈黙に、翔一は困惑を示しながら自分の顔をペタペタと触る。
 どことなくコミカルな動きをする人だな、と思いつつ一条は未だ完治とはいいがたい右腕でそのカップを掴み、ホットミルクを口に運んだ。
 だがその場を持たせる以上の意味を持たなかったはずの行為の末、口内を満たしたその温かいミルクは、一条の顔を驚愕に染めることになる。

 何故なら、簡単なもの、レンジで温めただけと言っていたはずのそのミルクが、一条の想像できる範疇を大きく超えるような味わい深さを誇っていたからだ。
 思わずカップの中に残ったミルクを二度見する一条を前にして、翔一は一つ笑った。

 「フフフ、驚きました?一条さんにはまだ言ってなかったですけど、俺はこれでもレストランでシェフをやってるんです。
 だから、どれだけ簡単なものでも人の口に入るものにはちょっとした拘りがあるんですよ」

 「そうなんですか……、いやしかしおいしい……」

 「えへへ」

 照れるなぁ、と頭を掻いた翔一の姿は、一条にどことなく五代を連想させた。
 おいしい料理や、手品や即興のドラム演奏や……ともかく人を喜ばせることに長けた技を数えきれないほど持っていた彼は、きっと目の前の青年とも気があったことだろう。
 そうして同時、もうそんな彼の笑顔が、そして彼がこれから先ずっと齎し続けただろう温かい笑顔が永遠に失われたことを思い出して、一条の表情は思わず曇った。

 「どうしました?一条さん」

 「……いえ、なんでもありません。
 それより、先ほど『逃げる』と仰っていましたが、津上さんは名護さんたちと一緒に放送への準備などしなくてもいいんですか?」

 翔一の当然の疑問に、しかし一条は無理矢理に話題を切り替える。
 明らかに不自然な間が存在していたが、翔一も無遠慮ではあっても配慮が出来ないわけではない。
 特に気にすることはなく、続けた。

 「はい、俺は全然手伝いません。
 正直、俺は頭を使う感じの仕事は向いてないですし、そういう仕事は名護さんとか左さんとか、向いてる人がやればいいじゃないですか」

 「……そうですか」

 翔一のその、恥じることのない堂々としたサボり発言に一条は思わず面食らう。
 当然と言えば当然だが、彼と五代とではやはり似ているようでいてその実全くタイプが違うらしい。
 五代であれば、恐らくはあの持ち前の手際の良さで思考面では強く貢献できないながらも何かしら役に立てるよう振る舞ったはずだ。

 こんなにすぐに相違が見つかるというのに、これ以上今は亡き友と翔一を重ねるのも失礼かと、一条は思考を切り替える。

 「――でもその分、もしも戦いになったら俺が皆を守ります。勿論、一条さんのことも」

 そうして頭を振った一条を前に、突然に翔一が続けた言葉は、やはり真っ直ぐなものだった。
 あの小沢がこの場で最も信用に足る実力を持つ、と評した翔一の実力を、疑うわけではない。
 疑うわけではないが……そんな彼の進言に対し「はい、お願いします」と素直に引き下がれるほど、一条もまた素直ではなく。

 「待ってください、幾ら特別な力があるとはいえ、貴方は一般市民です。
 そんな貴方に、刑事である私が一方的に庇護を受けるわけには――」

 それは、一条のちっぽけなプライドだった。
 自分が如何にこの場で矮小な存在であると分かっていても、それでもなおどこかで自分は刑事で周りは守るべき市民なのだという思考が払いきれない。
 照井や小沢や、また彼女の知り合いだった北條という男も含め、旭日章に命を捧げる覚悟を誓った者は、皆誰かを守る為その命を散らしたのだ。

 無闇に命を捨てる気はないが、一般人を盾にして生き残るなど自分に許されるわけがないと、一条はどうしても思ってしまう。

 「――でも俺は、少なくとも今の一条さんより絶対に強いです」

 この10数時間もの間持ち続けた悩みを吐露すれば、しかし翔一ははっきりとした口調でそれを遮る。
 堂々としたその言葉に、再び呆気に取られれば、先ほどまでと違い彼は真面目な顔で自分をしっかりと見据え、続けた。

 「……人はそれぞれ、自分が得意なものがあると思います。でもそれと同じで、誰でも不得意なものはあるんです。
 だったら、俺たちはそういう不得意なことを自分で無理せず、それが得意な他の人に任せちゃえばいいんです。
 だから俺は、考えることを他の人にお任せする分、戦うときは頑張ろうと思うんです」

 飄々とした風に、しかし確かな考えを持って翔一は語る。
 何だか仙人のように悟った男だな、という印象を抱いた一条に対し、翔一はどこか確信めいたような物言いで続けた。

 「だから一条さんも、刑事だからとか気にせずに、普通に守られていいんです。
 ここにいる俺たちは皆仮面ライダーで、とってもとっても強いんですから」

 今まで何度も氷川さんを助けてきましたし、慣れっこですと続けながら、翔一はまた笑う。
 その様を見て、一条は意図せず自分の口が力なくポカリと開いているのを自覚した。
 なるほどこれは確かに、あの小沢澄子が一目置くわけである。

 クウガである五代との触れ合いを通じてもなおずっと感じていた、一般市民を前線で戦わせることに対する申し訳なさのような感情。
 そんな今までの“当たり前”を真っ向から打ち砕くような翔一の言葉に、一条は反論さえ出来ず打ちのめされるような心地であった。
 ――刑事という立場など関係なく、強いのだから弱い者を守る。

 なるほどそれはこんなデスゲームの中では至極当然の考えで……しかし今の今まで一条の中でどことなく踏ん切りのつかなかった一線であった。
 だが、どこかで彼の意見に納得している冷静な自分がいる一方で、やはり頑固な自分が再び顔を覗かせるのを、一条は感じていた。
 どうにも言葉を上手く吐き出せず口ごもった一条を前に、翔一は柔和な笑顔を浮かべ、続ける。

 「確かに今は、得意なことも出来なくて辛いかもしれません。
 でも多分それはきっと、一条さんが休むことに何か意味があるんです。
 それで、今たっぷり休んだ分、その代わりとして多分、今後何か一条さんにしか出来ないことをやる時が来るんだと思います」

 「俺にしか、出来ないこと……」

 ぼんやりと翔一の言葉を復唱して、一条は少しの間思考する。
 その答えとして思い浮かぶのは、幾つかある。
 だがその中で最も気がかりで、そして自分にとって大事なことは、若き戦士クウガ、小野寺ユウスケを導きたいという思いだった。

 迷い、挫け、しかしそんな中から立ち直った彼を、もう二度と憎しみに晒したくない。
 こんな自分に人一人を導ことが出来るなど、自惚れかもしれない。
 その役目を果たすとしても、最早五代雄介を知ると言うだけの自分よりも、彼をここに来る前から知っている旅の仲間である門矢士の方が、やはり適任なのかもしれない。

 だがそれでも、今の自分が成し遂げたいこととして思いつくのは、それが一番だった。
 しかしそんな自分の願いを再認識した後に、一条はどうしようもないと分かりつつもただやるせない思いを誰かにぶつけたい一心で再び口を開いた。

 「しかし結局私は……何に関しても中途半端です。
 小野寺君のことを放って、一人だけこんな風に休んで……彼は今この時間も、苦しんでいるかもしれないのに」

 僅かばかり白んできたとはいえ未だ黒の範疇である空を病室の窓越しに眺めながら、一条はぼやく。
 この暗い空の下で、彼は未だ無事なのだろうか。漠然とした、どうしようもない不安が頭をもたげる。
 だがそんな一条に対し、翔一は心底理解が及ばないと言った様子で腕を組んで唸った。

 「う~ん、でもそれって、当たり前じゃないですか?」

 「――なんですって?」

 言いながら、僅かばかり語調が強くなっているのを、一条は自覚する。
 亡き父の口癖であった言葉、「中途半端はするな」。
 勉強も習い事も、或いは刑事としての姿勢さえもその言葉を糧にして生きてきた一条にとって、翔一の「中途半端で当たり前」などという言葉を、安易に一意見として飲み込むことは、すぐには出来なかったのである。

 しかし思わず凄んだ一条を前にしてもなお、翔一はどこかもの悲しげな表情で続けた。

 「だって、俺たちは皆、いつかは絶対死んじゃうんです。それがいつかも分からないのに、全部を完璧に終わらせられるわけないじゃないですか」

 「それは……確かにそうですが」

 「それに、中途半端をしちゃ駄目だって思ってたら、まだ自分が試してない、見つけてない楽しいことも、探せなくなっちゃいます。
 そんなの、俺は悲しいです。色んな事をやってみて、その中で自分が好きだなと思ったことをたくさんやりたいじゃないですか。俺たちの人生は、限られてるんですし」

 「……」

 翔一のその言葉に、一条は応えない。
 というより、虚を突かれた思いだ、というのがより正確なのだろうか。
 正直に言えば、一条とてその程度の疑問を考えなかったわけではない。

 思ったことがある。
 父、一条祐にとって、息子の10歳の誕生日に迎えた死は、耐えがたい中途半端だったに違いないと。
 勿論、刑事として父のことは尊敬している。

 川に落ちた作業員8名を救出する為に自らの身を犠牲にしたその精神は、“刑事”としてこれ以上ない死だったとそう言い切れる。
 だが“夫”として、また“父”としては。
 愛する妻に無念の涙を流させ、息子と共に家族三人で野球観戦に行ってやることも出来なかったのは、これ以上ないほどの中途半端だったことは、疑いようがないだろう。

 だが、そんな風に思う一方で、薫は父としての祐のことも、中途半端だと思ったことはない。
 いつも家族に真摯に向き合い、そしていつまでも妻や息子の心に大きく存在感を残す彼を、家族を守る大黒柱としてもこれ以上なく尊敬していた。
 しかし、いや、だからこそなのだろうか。

 薫は、女性と深く関わりを持たない。
 “刑事”としての中途半端を行わないことは、“夫”として、また“父”としての中途半端を行うことになり、そしてまたその逆も同様な気がするから。
 少なくとも自身の父祐のように、両方を完璧にするような器用は、自分には出来ない。

 そう感じるからこそ、彼は周囲に何を言われようと一家の長ではなく刑事として全力を尽くすことに決めたのだ。
 だがそうして中途半端をしないよう心がけるその生き方が、果たして父の言葉の意味するところなのか、ふと悩む瞬間もある。
 少なくとも、五代が、そしてユウスケが自身の父の言葉を受けて覚悟したそのあまりにも険しい選択を、父はその言葉の語意に含めていたのだろうか、と。

 「一条さん」

 傷からか、或いは募る自分への不信感からか、らしくなく俯いた一条に対し、翔一はもう一度優しく名前を呼び、続けた。

 「今、一条さんはこうして生きてます。小野寺さんだって、きっと大丈夫なはずです。
 だったら、次に会ったとき上手くいくよう頑張れば良いじゃないですか。そうしたら、中途半端じゃありません」

 「津上さん……」

 思わず名前を呼んでしまったのは、先ほどまで真っ直ぐにこちらを向いていた翔一の顔が僅かばかり天井の、恐らくはその先を見つめるようなものだったからだろう。
 その視線の先にあるのは考えるまでもない。彼が恐らくは後悔してもしきれない無念、小沢澄子を死なせてしまったという事実に対するものなのだろう。
 だがそれでも、彼の表情からは立ち止まろうという意思など一切見えない。

 やはり彼も中途半端に関わるつもりだと言うわけではないのだとそう再認識した一条は、最早ユウスケが死んでしまっているかも、などという懸念を吐くことはしなかった。
 そんなことを言ってみたところで、恐らくは彼は動じることもなく「そうかもしれませんけど、そんなのはわかりっこありません」とのらりくらりと躱すだろうから。

 「……さっきはあんなこと言いましたけど、俺たちの人生はこれから先長いんです。
 すぐに結果を求めて落ち込むより、気長に行きましょうよ」

 まぁ、こんな状況なんですけどね。とばつが悪そうに頭を掻きながら、翔一は締めくくる。
 自分たちの命には限りがあると言ったり、これから先も長いと言ったり。
 どことなくふわふわとした論調だが、同時に一条は彼のことを嫌いにはなれなかった。

 彼を見ていると、一条は何だかどこか気の抜けたような心地になってしまう。
 自分やユウスケが常に眉間に皺を寄せていたのと同じだけの時間をこの凄惨極まりない会場で過ごして、なおこのマイペース。
 これで実力が伴っていないというなら自分にも何かしら言えることはあったのかもしれないが、聞けば彼はあのB2号を倒し、第零号を前にしても犠牲を払うことなく帰還したという。

 状況は幾らか違うだろうとはいえ、自分たちが多大な犠牲を払いユウスケを凄まじき戦士にしなければ凌げなかった、あの第零号が変じたブレイドという仮面ライダー。
 それに加え奴の未確認としての姿さえを打ち倒し、あまつさえ奴に“逃げ”を選択させたというのであれば、彼の言葉に説得力も伴おうというものであった。

 故に一条は、そのまま前のめりになっていた姿勢を崩し深くベッドにもたれかかった。
 五代が笑顔と共に力強く伸ばすサムズアップを見た時と同じか、それ以上の脱力感。
 敗北感などではない。何だか心地よささえ感じるそれは、堅物とさえ言われた一条をもこの短時間で揉み解すようなものであった。

 「あれ、どうしました?一条さん」

 「いえ……なんだか気が抜けてしまって。
 あなたと話していると、殉職した小沢警視正があなたを気に入っていた理由がよく分かります」

 「えへへ、ありがとうございます。あ、それと気が抜けたついでに、その口調もやめていいですよ」

 「え?」

 翔一のその言葉に、一条は再度呆気にとられる。
 その口調、とは一体何のことだろうか。自分は何か間違った言葉遣いをしていただろうか……?
 そうして疑問符を浮かべた彼に、翔一はどこかハッとしたように続けた。

 「あ、気付いてませんでした?一条さんは敬語使ってるとき、ちょっと緊張してるのかなって思って」

 言われて初めて、一条は理解する。
 敬語。そうして言及されれば確かに、自分が敬語を用いるときの口調は翔一のような親しみを匂わせるそれではなく、刑事として一般人と距離を置くためのものだ。
 自分は刑事であるという自負を持っているときに用いるそれは、確かに近寄りがたさを感じさせるだろう。

 また同時、五代や椿など気の置けない人物を相手にするときは敬語が出ないのだから、自分はプライベートでは俗にいうタメ口を使う人間なのだということは疑いようもない。
 であれば敬語を使っているときは他者と距離を保ちたがっている、いわば自然体の自分ではないと言われても、なるほど納得するような心地であった。
 そしてまた、そんな翔一の指摘に対して刑事としての職務がどうのだのを熱弁して彼を説得し、敬語を使い続けられるほどの体力は彼にはもう、残されていなかった。

 「……確かにそうだな。ならこれからよろしく頼む。津上君」

 「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。一条さん」

 そうして、ようやく刑事という職務を背負うのをこの一瞬だけでもやめ、真に自然体でリラックスした姿を晒した一条。
 そんな姿を見られて心底よかったというように笑った翔一を前に、一条は目の前が眩む感覚を覚えた。
 薬やら毒やら、そんな大層なものではない。

 張り詰めていた緊張の糸がほぐれ、今まで溜まっていた疲れが再びぶり返したのである。

 「一条さん、寝ててください。俺、ここにいますから」

 「しかし、放送を聞き逃すわけには……」

 「いえ、大丈夫です、こういうときくらい、仲間をしっかり頼ってください」

 最早会話に対する思考さえろくに纏まらない中、一条はほぼ反射的に、五代が初めて赤のクウガになった後、気絶していた自分が目覚めてすぐに彼とした会話を思い出す。

 『おはよう、一条さん』

 『なんで、お前の肩に……』

 『まぁまぁ、いいじゃないですか』

 クウガになって戦った男が、生きている。
 あの赤い姿になれたのは何故だ、とか、未確認はどうなったのか、とか。
 彼に対して、幾らでも聞かなければいけない質問があったはずなのに、一条はその五代の言葉に対してただ一言、『一生の不覚だ』とだけ吐いて再び泥のように眠った。

 今でも思う。あそこでもしも、五代を敵の一種かもしれないとして拘束を試みたり、或いは未確認について深く問い詰めていたら、彼との友情はあったのだろうかと。
 恐らくはそれでも五代は気にはしまい。だが自分は……。
 だから一条は、今この場でも意地を張るのはやめた。

 少なくともこの翔一という青年には、五代が目指していたような気ままな日々を過ごして欲しいと、そう思うから。

 「なら、すまないが頼む。次に起きたときは、きっと――」

 「はい、おやすみなさい、一条さん」

 そうしてベッドに横になり目を閉じると、次の瞬間にはもう一条は深い眠りに落ちていた。
 それを見やり、何だか可愛い寝顔だなぁなどとぼんやり感じながら、翔一もまた一つあくびを吐いた。


 ◆


 「ふぅ、大体こんなものか」

 一方で、病院のロビーのような場所で、テーブルの上にこれまでの情報を纏めた名護は一つ溜息をついていた。
 正直なところ、大ショッカーという組織について未だ分からないことは余りに多い。
 それでもこうして目に見える形で情報を共有することは、決して無駄ではないと思えた。

 一息つき、先ほど翔一が淹れてくれたコーヒーをすすりながら、名護は少しだけ微笑む。
 流石にコーヒーについては、自分の行きつけの店であるカフェマルダムールのマスターの方が上手らしい。
 とはいえここはコーヒーショップではないし、豆もなく粉状のインスタントが元であろうことを思えば、このコーヒーも十分においしいものであったが。

 そうして一人コーヒーブレイクを楽しむ名護を遠目に見ながら、談笑する男が二人。
 翔太郎と総司、何となしにこの集団の中でペアのような扱いになりつつある二人である。
 彼らもまた先ほどまでは名護の手伝いをしていたのだが、他ならぬ名護本人がこれ以上は自分だけで十分だと言ったので休憩していたのだ。

 「ねぇ、翔太郎」

 「あん?」

 「……もしかして翔一の淹れる飲み物って、おいしいって思わせるような何かが入ってたりしないかな?」

 悪戯っぽく笑いながら、総司は言う。
 決して彼を疑っているわけではない。ただ仏頂面のイメージがどうしても強い名護がああまで気を休めて飲み物を口に含んでいるのを見ると、少しだけそんな可能性を感じてしまったというだけのことだ。
 それを翔太郎も理解しているのか、少しだけ笑って、しかしすぐに帽子の縁をなぞりながら返す。

 「かもな……けど、だとしたらあんなにおいしくなりゃしねぇよ。
 もしもなんかあれにあるとするなら、それは『温かくておいしいものを飲むと幸せになる』なんていう、そんな当たり前のことはこの辛い状況でも当たり前なんだって、それを皆に思い出させるだけで十分だってことさ」

 クイと顔を上げながら、翔太郎は気障に笑う。
 もう幾度となく見た光景ではあるが、どことなくこれを見ると安心する自分がいることを、総司は自覚していた。
 気の置けない友、そして名護という師匠に、翔一や、今この場にはいないが真司を始めとする仲間達。

 そんな様々な人を思い出して、総司は何だか無性に嬉しくなる心地だった。

 「ねぇ、翔太郎。やっぱり――」

 ――仲間っていうのはいいね。
 そう続けようとして、何だか気恥ずかしくて、喉元まで出かけたそれを急いで飲み込む。
 だがそんな一瞬の葛藤を、翔太郎は……名探偵は見逃さない。

 「あん?……今なんて言おうとしたんだ総司?
 やっぱり……?やっぱりなんだ総司?言ってみろよ」

 字面とは裏腹に、悪戯っぽい笑みを携えて、手をワキワキとさせながら問う翔太郎。
 まるでお前の言いたかったことは分かっているぞとでも言いたげなそれに、総司も釣られて笑ってしまって。

 「やめて翔太郎―!やめてくれー!」

 「いいや止めねぇ!お前が何を言いたかったのかちゃんと言うまでは絶対に許さねぇぞ!」

 どちらからともなく追いかけっこの始めた彼らを見て、名護はただその喧噪さえ愛おしそうに、それを止める気さえないように朗らかに笑った。
 あぁ出来れば、この瞬間が永遠であればいいのに。
 大ショッカーを倒し殺し合いが終わった後も、彼らとこうしてずっと過ごせたならいいのに。

 元の世界になんて、帰ったところでこれほどの友と呼べる存在が果たして出来るのか。
 いっそのこと、大ショッカーを倒さずにこのまま――。
 一瞬芽生えたそんな思いを、しかし大きく首を振り否定して、総司は笑う。

 この戯れが、辛い現状を忘れるための一時だけの現実逃避なのだとしても、或いは元の世界で誰も自分の帰りを待っていないとしても。
 こうして別の世界の住人に、仲間が出来た。それだけで十分ではないかと、総司は思った。
 大ショッカーによる殺し合いが終わった後どうなるにせよ、今この瞬間を焼き付ければいいではないか、と。

 しかしそんな時間は、すぐに終わりを告げる。
 窓ガラスが突然に割れて飛び散る騒音と、そして――。

 「――随分楽しそうじゃん、僕も混ぜてよ」

 その窓ガラスの先、原理は不明ながら揺らぎさえせず浮遊する青年が、現れたことによって。
 唐突極まりない、かつ善良な参加者とは到底思えない派手な登場に、場の空気は一瞬で豹変していく。
 そしてまた、ここにいる彼らは決して、平和ボケした一般人ではなかった。

 一瞬で戦士としての風格を取り戻し、現れた敵を強く睨み付ける。
 そして同時、彼らはその青年に見覚えがあることを、思い出していた。

 「てめぇ……まさか大ショッカーの……!」

 「おー、覚えててくれた?そ、僕は大ショッカー幹部のキング。よろしくね、仮面ライダー」

 真っ先にその存在に言葉を発したのは、翔太郎だった。
 第一回放送で仮面ライダーの正義を口先だけなどと嘲笑したこの男を、彼が忘れるはずもない。
 大ショッカーの幹部である彼を前に情けも無用かと、彼は懐からドライバーを取り出そうとする。

 「どきなさい!翔太郎君!」

 だが翔太郎が行動を起こすより早く、自身の後方から怒号のような指示が飛んでいた。
 それに思わず身を躱せば、後方からキングと名乗った青年に向けて高密度の衝撃波が放たれる。
 不意を突いたはずの一撃は、しかしキングに到達するより早く、彼の目の前に生じた盾に防がれ意味を成すことはなかった。

 「危ないなぁ、もし当たってたらどうするのさ。仮面ライダーなんだから生身の人間を殺したりしたらまずいでしょ?」

 「黙れ。大ショッカーの手先に、かける情けなどない……!」

 あと一歩だったのに、と歯噛みする翔太郎を前に、ヘラヘラと馬鹿にした笑いを浮かべながら煽るキング。
 しかしそんな敵を前にしても、イクサナックルを手に構えたままの名護もまた、一切動じることはない。
 未だ揺らぐことなく、その切っ先をキングに向け続けていた。

 だが、これ以上ないほどの敵意を向け続ける名護の一方で、相対するキングの興味は既に名護にはない。
 視線をチラと動かし目当ての人物を補足して、そのままゆらりと病院のロビー内に着地する。
 どうにも手を出し切れずじりじりと距離を取る面々に対し、彼は残る一人の青年に足を向けた。

 「やぁダークカブト。それともこう呼ぶべきなのかな?天道総司君、って」

 「……」

 キングのあからさまな挑発に、総司は答えない。
 自分の経歴を知る大ショッカーが相手となれば、こうして自分の特殊な状態を知り尽くされているのも予想の範疇であった。
 だがそれはそれとして、やはり自分にとってのデリケートな部分にこうしてずかずかと土足で踏み入られるのは決して愉快なことではない。

 「いやぁ、君には一つお礼を言いたくてさ。
 実を言うとさ、第一回放送で言ってた僕の知り合いのお人好しの仮面ライダー……あれは君が殺したブレイド……剣崎一真のことなんだよね。
 皆に代わって礼を言うよ。君があの口先だけの正義の味方を殺してくれたおかげで、この殺し合いでルールを分かってない奴がどれだけ役立たずなのか、あいつみたいな甘ちゃんもよくわかったと思うし」

 「野郎……!」

 キングの、軽薄ながら的確に総司の地雷を踏みぬくようなその発言に、翔太郎は肩を怒らせる。
 奴は間違いなく、総司の今までの動向を知り尽くしている。
 下手をすれば総司がトラウマを刺激され動けなくなってもおかしくない、と懸念を抱きかけて、しかしそれは杞憂に過ぎないと彼は気付く。

 他ならぬ総司本人が、キングを前に一切の揺らぎを見せずその足を進めたからだ。

 「……キング。確かにそれは僕の罪だ。けど……だからこそ僕が、お前を倒す。
 剣崎の遺志を継いで、いやお前が馬鹿にした全ての人の分まで、僕が“お人好しの仮面ライダー”の強さを見せてやる……!」

 「……本気で言ってるの?自分で殺しておいて、一丁前にその遺志を継ぐとか寒すぎ。
 それに、偉そうに言ってるけど、今ブレイドが誰の手にあってどう使われてるかも知らないんでしょ?教えてあげるよ、実は――」

 どこまでも続くキングの煽りに最早一切動じることなく、総司はそのまま懐に手を伸ばす。
 これ以上ないと言い切れるほどの強い意思に反して、どうしようもなく自分の手が震えているのを、自覚しながら。

 「――え?」

 果たして、総司が取り出した銀のバックルを前に、キングはこの会場に来てから恐らくは一番の驚愕を示した。
 何故ならそこにあったのは、キングの想定においては未だダグバという暴力の化身が遊戯の為に用いているはずの道具。
 口先だけの仮面ライダーが、この場でどれだけ無力なのかを証明する為の生き証人となるはずだった、忌々しきブレイドの力そのものだったのだから。

 「なんで、それを君が……」

 「決まってんだろ、俺たちがダグバに勝ったからだ。
 ……その様子を見ると、ダグバに勝てないようなお前達は結局口先だけ、なんて煽るつもりだったみてぇだな?」

 「は?そんなわけないじゃん。ダグバなんて僕に比べたらつまんない戦い方しか出来ない奴だし」

 そう言いながら、しかし明らかにキングは先ほどまで浮かべていた余裕を崩していた。
 この会場有数……否、恐らくはこと戦闘のみにおいては右に並ぶもののいない怪物、ン・ダグバ・ゼバ。
 セッティングアルティメットにさえ変貌した彼を、自身が否定した仮面ライダー達が打ち倒したという事実に僅かながら動揺を隠しきれなかったのである。

 それを見抜いているのかは先ほどまでとは違い精神的余裕を手に入れた翔太郎が気障に笑うのも無視して、キングは再び総司に向き直る。


 「君、本当に仮面ライダーの遺志なんて継ぐつもりなの?やめておきなって。
 正義の味方の真似事なんてつまらないことするよりさ、僕と一緒にここにいる全員殺して、世界を無茶苦茶にしようよ」

 「――いやだ。僕はお前とは違う。僕は……仮面ライダーだ!」

 キングの嘲りにしか聞こえないような言葉の一切を切り捨てるように、総司はそのバックルにスペードのAを滑り込ませる。
 そのまま彼が腰にバックルを迎えれば、闘争心を掻き立てるような待機音が、エンドレスに響き渡った。

 (剣崎……、僕なんかじゃ、とても君の跡は継げないと思うけど――)

 その場の誰もが見守る中、見様見真似で剣崎と同じ構えを取りながら、総司は心中で呟く。
 その瞳に後悔と、罪の意識と、そしてそれ以上の希望を宿しながら。
 キングの言葉にも全く揺るがぬ強い意志を伴って、彼はバックルのトリガーを引いた。

 「変身!」

 ――TURN UP

 鳴り響いた電子音声と同時生じたエネルギーの障壁が、総司の目前に停滞する。
 その光景を前に彼は一瞬躊躇したように俯いたが、しかし瞬間彼はその中を思い切り潜り抜けた。
 刹那、オリハルコンエレメントを抜けた彼の身は最早、アンデッドに対する最強の鎧を纏っているも同じ。

 スペードの意匠を刻んだその鎧を纏って、総司は少しばかりの高揚に駆られながら、しかし油断なく腰のホルスターから醒剣を取り出した。

 (――でも僕も、君の跡を継ぐ者の一人としての責任を、負わせて欲しいから。
 だから今だけは、一緒に戦って……!)

 自身が手にかけた男の鎧を身に纏って、しかし罪悪感に押しつぶされることなく、総司は胸中で強く宣言する。
 許されざる悪を前にするその時だけでも、自分に力を貸してくれ、と。
 そうして”仮面ライダー”への変身を完了した総司を前に、翔太郎は一つ笑みを浮かべる。

 「へっ、随分と似合ってるじゃねえか総司」

 「翔太郎……ありがとう」

 先ほどまでブレイドを立派に纏っていた翔太郎の言葉に照れくさくなった総司……ブレイドの横に、二人の戦士も並ぶ。
 名護啓介と左翔太郎。相応の実力を誇る彼らが今、総司と共に戦う為の力をそれぞれ手にしていた。
 だが戦闘準備を整えた彼らを前に、キングは一つ小馬鹿にしたような笑いを上げる。

 「ちょっとちょっと、三対一なんて卑怯じゃん、そんなの正義の味方がやっていいの?」

 「……お前は全ての仮面ライダーに喧嘩を売った。こうなるのも予想のうちだろう?」

 「確かにね。それなら――」

 言ってキングは、指を弾き小気味良い音を鳴らす。
 瞬間、建物が揺れ、何かが押し寄せるような轟音が彼らの耳に到来する。
 一体彼は、何をしたというのか。そう問いただそうとして、彼らのその疑問はすぐに晴らされた。

 「ギシャァ!」

 気色の悪い呻きを上げながら、窓を、壁を破壊し夥しい量の影がロビーにどんどんとなだれ込んでくる。
 その数は、ざっと視認できるだけで10体以上……残存参加者数を考えても到底人が変身しているとは思えないそれらが、一瞬で三人を取り囲む。

 「――これでも、文句は言わないよね」

 現れた無数のモンスターを前に、キングは満足げに手を広げ笑った。


132:Diabolus 投下順 133:未完成の僕たちに(2)
時系列順
128:忘られぬmelody! 一条薫
津上翔一
擬態天道
名護啓介
左翔太郎
129:レクイエムD.C.僕がまだ知らない僕(3) キング
130:居場所~place~ 門矢士



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最終更新:2018年11月09日 22:48