貴音の休日(fly "with" me to the moon)

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 四条貴音が、彼のプロデュースで再デビューしてから、早くも二ヶ月近くが経った。 もともと961プロ在籍時、すでにトップランカーだっただけあって、人気の伸びも順調だ。 ファンにしてみれば、若干のブランクなど、問題ではないのだろう。もちろん、人気の復調と ともに、仕事の依頼も数多く寄せられるようになっていた。  だが、プロデューサーは、貴音が961プロにいた時のように、無理に仕事を詰め込むという スケジュールだけは絶対に避けていた。なるべく週一日は休日を設けるようにし、仕事も多くて 日に二つ。明らかにオーバーワークだった彼女の体調復帰も兼ねて、しばらくはゆったりさせて あげたい、と思っているのだろう。  ある日の夕方、帰り支度をしたままの貴音は、デスクワーク中の彼のところへやってきた。 「プロデューサー殿、少しお話が」 「ん?なんだ?」彼は書類の束から顔を上げた。 「明日は私の休日……プロデューサー殿も確か、お休みと伺いましたが、どう過ごされる おつもりなのか、お聞かせ願えますか」 「えーと、明日の予定、ってこと?そうだなあ、家でゴロゴロしたり、その辺に買い物に 行ったり、かなあ」彼は自分で言ってから、しまらない返事だと思ったらしく、頭を がりがりとかいた。  貴音は、自分の胸に左手を添えると、 「もし差し支えなければ、少々お時間をいただけないでしょうか」と顔を近づけて言った。  彼は「ああ、なんか買い物につきあってくれ、ってことか。オッケーオッケー、おやすい ごようだ」とすぐさま答えた。 「あ、ありがとうございます!」貴音の声が、心なしかうわずった。 「で、どこへ行きたいんだ?」  貴音は、持っていた雑誌を開き、彼に見せた。映画紹介の欄に載っているのは、お忍びで 街へ出たプリンセスと新聞記者の恋愛物で、モノクロの古い名画だ。 「あらすじを読んで、ぜひ観たいと思っていたのです」 「え、これ?相当昔の映画だから、映画館だとめったにかからないよ。……うーん、やっぱり、 どこでもやってないなあ」彼はそばにあったタウン情報誌をぱらぱらとめくって答えた。 「そうなのですか……」貴音は見るからにがっかりした。 「でも、DVDならうちにあるから、よかったら見る?」 「え、プロデューサー殿の部屋でですか?」 「あ、いや、そりゃちょっとまずいか……」彼は不用意な発言に、しまった、という顔をした。 「いえ、そうではなく、映画館には、その……」貴音は顔を赤らめた。 「ああ、わかった、わかった。ポップコーンは買っておくから大丈夫」 「お、恐れ入ります」考えを見透かされて、貴音は小さくかしこまった。 「よかったら、お昼もウチでラーメンを作ってあげるよ」 「ら、らーめんを、ですか」 「うん、インスタントじゃないから、そこそこ美味いと思うよ」 「ああ……」貴音は右手の甲を額に当て、崩れるように、そこにあったイスに座り込んで しまった。 「ど、どうした?」 「幸せすぎて、めまいが……私だけがこんなに優遇されて、果たしてよいものでしょうか」 「優遇って……休みの日にDVD見てラーメン食うって、そんなに大層なことじゃないと 思うけど……おれの休日もだいたい似たようなもんだし」 「なんと!プロデューサー殿は、いつもそのような優雅な休日を……」 「い、いや、結構貧乏くさいと思ってたんだけどな……」  話は決まり、プロデューサーは次の日、貴音を迎えに行き、ワンルームの自室に案内した。 キャラメル味のポップコーンは、彼女のイスの隣に山のように積まれ、飲み物も手に取れる 場所に置いてある。彼は去年のボーナスをはたいて買った、大型のテレビをつけ、DVDを 再生した。 「はあ……切ないものですね」  貴音はENDマークが出たあとも、感動を隠さずしんみりとしていた。もちろん、かたわらの ポップコーンはきれいになくなっている。「でも、なぜこういう結末にしたのでしょう?」 「まあ、現実的に考えたら、これが一番じゃないのかな。身分の違う恋って、やっぱり どこかで歯車がかみ合わなくなっちゃうと思うよ」 「身分の違い……」貴音はなにやら考え込む様子だった。 「見ているうちに、みんなが理想のハッピーエンドを心の中で望むようになるけど、そうは ならない、っていうところに、この映画の価値があるんじゃないかな」 「し、しかし……本人の気持ちはどうなるのでしょう?」 「心に秘めて、またいつもの自分に戻るしかない、かな。おれたちの仕事だって、そういう ところがあると思うけどな」 「……」貴音は納得のいかないような顔をして黙っていた。彼は腰を上げた。 「さて、じゃあ約束通りラーメン作ろうか」 「ありがとうございます」  貴音はイスに座ったまま、キッチンに立った彼をじっと見ていた。確かに今観た映画の中の ヒロインには、恋心を犠牲にしても、絶対に守らねばならないものがあった。自分にもそれは あてはまる。765プロのアイドルに敗れ、一度は瓦解したはずの目標ではあるが、また今、 目の前のプロデューサーと一緒に、着実にステップを重ねている。最終的には自分の存在を 全世界に知らしめ、散り散りになっている民を束ねて再び国を興さねばならない。たとえ故郷が 何十万キロ彼方にあろうとも、それが自分の使命だ。その責任を捨てて一人の女性として 生きることは決して許されない。  だが、それでは四条貴音自身の生きるよろこびはどこにあるのか?ただひたすらに目的へ 向かって突き進むしかなかった、961プロ時代とは別の苦しさが彼女を襲っていた。 「できたぞー」彼がラーメンの丼を二つ、手にしてキッチンから戻ってきた。 「ああ、申し訳ございません、私が取りに参りましたのに」 「いいよ、いいよ。おれがこっちへ持ってくる方が手間がないし」  その言葉を聞いて、貴音の頭の中に、今までとは全く別の考えが、電光のようにひらめいた。 映画のプリンセスは、国を捨てることはできなかった。だが、自分なら、その逆のことは できる。国を捨てずとも、相手に来てもらえばいいのだ。 「いただきまーす!」彼は大きな声で言った。 「い、いただきます」  彼の作ってくれたラーメンはとても美味しかった。貴音は、ラーメンをすすりながら、さっき 考えついた自分の望みがかなった時のことを想像し、それに酔った。目的を成し遂げ、国に 戻った自分のそばに、いつでも彼が寄り添ってくれる……しかも、そこにはらーめんまでも……。 貴音は首を振った。彼とらーめんを同次元にするのは失礼だ、そう思い直し、自分の不心得な 考えを恥じた。  彼より先にラーメンを食べ切った貴音は、器をテーブルに置くと、満足げに、ふう、と息を 一つついた。それから彼の前に座り、三つ指をついて深く頭を下げた。 「ど、どうしたんだ、貴音」彼は立ち上がるようにと頼んだが、貴音はお願いごとをするので あれば、この姿勢でなくては、と譲らなかった。 「これはいずれ私が国へ帰る日が来たときのことです。私はまだ弱輩、いくら王家の血を引く 最後の一人だとしても、その責務を自分だけで負うことは到底かないますまい。もし……もし、 私を助けて国を統べる者が必要だとお願いしましたら、プロデューサー殿……いえ、あなた様は 一緒に来て下さいますか?」 「え?貴音を助けて?滑る?ああ、なるほど、オッケーオッケー」 「ほ、本当でございますか?」貴音は思わず歓喜の表情で顔を上げた。 「うん、これでも学生時代は、よくみんなで冬山へ行ったもんだよ。しかし、貴音にも苦手な ものがあったとは意外や意外」 「……なんのことでしょう?」貴音の顔に焦燥と疑惑の色が浮かんだ。 「スキーを教えて欲しいんだろ?」 「……違います」今度はやや怒りの色も加わった。 「え、なんか悪いこと言ったかな……でも、貴音の故郷が雪深いところだとは思わなかったなあ」 「……雪は降りませぬ」 「そ、そうなんだ……ちょっと勘違いしちゃったみたいだな、ははは」 「あなた様は……」彼女はそこで言葉を一度切り、困ったような表情で彼の顔を見た。「本当に いけずです。ちゃんとわかっているのに、わざとお答え下さらないのでございましょう?」 「……なんのことかなあ」彼は首をかしげ、またイスから立ち上がった。「ラーメン、おかわり 食べるよな?」 「……はい、お願いいたします」  貴音は再びキッチンに立った彼を見ながら、ため息をついた。残念ながら、まだ今の自分では、 彼の心を動かすまでには至らない。それでも故郷へ旅立つ日が来たなら、その時こそもう一度、 命がけでお願いしてみよう。できれば自ら進んで来ていただきたい。自分の気持ちをじいやが 知ったなら、たとえ力ずくでも、連れて行かずにはおかぬであろうから。 end.

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